2006年05月19日

 10時を少し過ぎたあたりに会場入りしたが、既にウォールケース前は人で埋まっていた。会場整理員はさかんに「自由観覧」を呼びかけていたが、1作品あたりの展示面積が広い絵巻で「自由観覧」と言われても困ってしまが、このような状態では自分のペースで見学していくのはかなり困難である。

 展覧会の印象は「評価の定まった作品を一堂に集めたもの」というところである。実物を見るのは初めてでも、書籍・雑誌などで目にしたものも多い。しかし、それだけに「あの挿図はこの作品だったのか」と記憶の彼方から蘇ってきたものもある(「華厳宗祖師絵伝」)。

 馬に乗る人物が描かれている作品がいくつかあり、それぞれの登場人物の階層によって、馬具の質にも明らかな差がある。こういうのを見ると、絵画史料を歴史史料として使いたくなるもの。「粉河寺縁起」の「長者の娘」とか「泣不動縁起」に登場する「証空」の乗る馬は良い馬具を使っているし、「当麻寺曼荼羅縁起」の馬喰たちの馬具はそれなりだ。証空の場面を確認しようと思い図録を参照したが、証空が登場する場面は残念ながら全く掲載されていなかった。まあ、今回の図録は京博にしてはページ数も少なく、会場で展示されている場面が全て網羅されているわけでもなさそうなので仕方がない。

 少し前に読んだばかりの『フィクションとしての絵画』で「信貴山縁起絵巻」で倉が飛ぶ場面についての解説を読んだ。そこでは倉の飛ぶ様子を効果的に見せるため、床下の柱が描かれてない事が指摘されていた。実際の作品を見ると、柱の省略は倉が地上にある段階から行われており、その場面だけ見ると逆に妙な違和感を感じてしまったが(これは私が校倉造りの倉は高床であると思いこんでいることから来るものだろう)、実物を見ることができたことに比べれば些細なことだ。絵巻をめぐる個人的な記憶で、絵として最古のものが「華厳宗祖師絵伝」だとすれば、物語として最古のものは「飛び倉」なので、個人的に感慨深い。輪宝とともに疾駆する護法がチャーミングで、いつもより価格が高かったクリアファイルも購入した。

 今回の展覧会では、特に著名な作品については展示されている部分が通常よりも長尺であった。見る側にとっては、一度に多くの場面を鑑賞できてありがたいのであるが、当然の事ながら制作当時の鑑賞法とは全く違っている。単に展開してあるものを見ると、「巻いて広げて」見るのでは絵の印象も変わってくるのだろうか?
 ディスプレイ上で、一区切りずつ場面を展開させるというのはすぐにでもできそうだが、「巻いて広げる」という動作も含めて体験するにはハンズオン用レプリカを作るしかないのかもしれない。


追記
 かって勤めていた博物館で「ひょうご歴史の道」というコンテンツがこの春から公開されている。結構楽しいサイトで近世の旅を疑似体験させてくれるのだが、そこに出てくる「近世」の旅人のアニメーションが全員西洋式の歩き方をしているのが惜しい。ちなみに、今回の展示作品の登場人物たちは当然のことかもしれないが、いわゆる「ナンバ歩き」をしているように見える(同じ側の足と手が同時に前に出ている)。


(20:54)

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