オリヴィエ・アサイヤス
2009年05月20日
夏時間の庭
公開初日に観てきました。
一人で暮らしているおばあちゃん。
亡き夫は芸術家。
夫と買い集めた家具や装飾品は美術館に寄贈を頼まれるほど。
再婚前に生まれたおばあちゃんの子供たち―長男はかろうじて国内に住んでいるものの、次男と長女はそれぞれ上海とアメリカに住んでいる。
長男の娘と息子を含めた三世代数家族に渡る継承を巡る物と場所と記憶についての話。
我々は何を継げて、何を継げないのか。
各世代、各家庭と決定的にある断絶を肯定的に描いている姿はひょうひょうとしていてかっこいい。日本にはさっとこういうものを撮る土壌がないんだよなぁと少し嫉妬した。
植物が同じところに生え続けているということが景色を作るという当たり前のことを妙に意識した。エリック・ロメールの「春のソナタ」でも庭の手入れのシーンがあるのだけど、長いこと庭を持たない暮らしをしているためか、私にはどこか新鮮に思えた。ジュリエット・ビノシュ演じる長女はどうだろうか?長男の娘たちは?と定住しないで暮らしているものたちにとっては、見所になると思う。
たまたま同じ回に居合わせた同僚とも後日話したのだが、「グラン・トリノ」同様祖母に電話を贈るシーンがある。しかも反応も似ていて嫌そう。
この電話は後にも出てくる。
「つながる」道具としての電話というのはあちこちで言われていることだけど、「グラン・トリノ」でもこの映画でも、「つながれない」ものとして電話は映画の中で使用されることが多い。つながるはずだからこそ実際にはつながらないことが効果的に分かって、大変良い。今度使おう。
老年ともなれば、何がつながっていてつながっていないのかがよく分かるものなのだなぁと思わされた。
普通、家の解体は描かれるけども家の分担はあまり描かれない。
確かに分けられてちゃんと手にしているんだ、というリアリティがあった。
しかしそれより何よりも、具体的な問題への頭の悩ませ方が、こと家族のこと
となるとどれもこれもギリギリ譲れないレベルの問題で、難しい。
その悩む姿を観るのが一番な映画だと言える。
家族には血縁に対して口に出して言えない問題を言わなければならない瞬間が訪れる。その瞬間瞬間が、歴史だ。という観点が新しい。
難しいのですね。
〈ブラザー〉
一人で暮らしているおばあちゃん。
亡き夫は芸術家。
夫と買い集めた家具や装飾品は美術館に寄贈を頼まれるほど。
再婚前に生まれたおばあちゃんの子供たち―長男はかろうじて国内に住んでいるものの、次男と長女はそれぞれ上海とアメリカに住んでいる。
長男の娘と息子を含めた三世代数家族に渡る継承を巡る物と場所と記憶についての話。
我々は何を継げて、何を継げないのか。
各世代、各家庭と決定的にある断絶を肯定的に描いている姿はひょうひょうとしていてかっこいい。日本にはさっとこういうものを撮る土壌がないんだよなぁと少し嫉妬した。
植物が同じところに生え続けているということが景色を作るという当たり前のことを妙に意識した。エリック・ロメールの「春のソナタ」でも庭の手入れのシーンがあるのだけど、長いこと庭を持たない暮らしをしているためか、私にはどこか新鮮に思えた。ジュリエット・ビノシュ演じる長女はどうだろうか?長男の娘たちは?と定住しないで暮らしているものたちにとっては、見所になると思う。
たまたま同じ回に居合わせた同僚とも後日話したのだが、「グラン・トリノ」同様祖母に電話を贈るシーンがある。しかも反応も似ていて嫌そう。
この電話は後にも出てくる。
「つながる」道具としての電話というのはあちこちで言われていることだけど、「グラン・トリノ」でもこの映画でも、「つながれない」ものとして電話は映画の中で使用されることが多い。つながるはずだからこそ実際にはつながらないことが効果的に分かって、大変良い。今度使おう。
老年ともなれば、何がつながっていてつながっていないのかがよく分かるものなのだなぁと思わされた。
普通、家の解体は描かれるけども家の分担はあまり描かれない。
確かに分けられてちゃんと手にしているんだ、というリアリティがあった。
しかしそれより何よりも、具体的な問題への頭の悩ませ方が、こと家族のこと
となるとどれもこれもギリギリ譲れないレベルの問題で、難しい。
その悩む姿を観るのが一番な映画だと言える。
家族には血縁に対して口に出して言えない問題を言わなければならない瞬間が訪れる。その瞬間瞬間が、歴史だ。という観点が新しい。
難しいのですね。
〈ブラザー〉
movie_kings at 06:13|Permalink│Comments(0)│