February 09, 2018

【書評】『競輪文化 「働く者のスポーツ」の社会史』(古川岳志、青弓社、2018・01)

お前達何も悪い事してるんじゃないんだぞ!
いいか、高い税金取られたうえにまだ足りなくて、100円券1枚について25円も役場に寄付している、道路作らせたり学校建てさせたりしている功労者じゃないか。
もっと大きな面をしろ!
胸を張って威張るんだ!

  西村昭五郎監督『競輪上人行状記』(1963)ラスト、小沢昭一扮する生臭坊主の伴春道が紆余曲折の末に場立ち(予想屋)となり、競輪場に来た客たちに自分の予想を聞けと口上を述べているシーンの一部(※1)だが、ここには端的に競輪がかつて日本でどのようなものだったかがよく語られている。競輪は地方自治体の頼れる財源としてあり、その利益はさまざまな形で公に還元されていた。
  しかし、今日、そうした歴史はすっかり忘れ去られている。世間のイメージは未だに煙の匂いが立ち込めた酔っ払いがたむろしている鉄火場といったところではないだろうか。半分くらいはその通りだし、半分くらいは偏見だ。とまれ、競輪に対してほとんどの人は抽象的な印象しか持っていない。『競輪文化 「働く者のスポーツ」の社会史』は戦後社会において競輪が果たしてきた役割を正面から論じつつ、日本におけるスポーツ/ギャンブルのありようを問い直していくユニークな一冊だったのでここに取り上げたい。

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  「序章 文化としての競輪」
ではまず競輪とはそもそもどんなスポーツで、どんなギャンブルなのかが描かれる。競輪を齧ったことがあれば、概説的な本章の内容はそれほど目新しくはないので流し読みでも良いかも知れない(但し、著者の競輪への思いが伝わる)。ただ、次の主張は本書を貫くモチーフなので引いておきたい。

初めからプロスポーツを前提として始まり、アマチュアの競技世界があとから広がっていった競輪は、他の多くのスポーツの歴史を逆向きにたどってきた。スポーツと政治、あるいは、スポーツとお金、商業主義化など、今日のスポーツをめぐる社会的な問題の多くは、競輪ではよりはっきりした形で表れてきた。競輪は、スポーツの陰画のような存在なのだ。(p.31)

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  先に上の箇所だけ掲げてもイメージしづらいが、「第1章 自転車競技が公営ギャンブルになるまで」からは具体的な競輪史が詳述される。日本の公営ギャンブルにおいて最も歴史が長いのは競馬である。それは「馬匹の改良・馬産奨励」を建前に殖産興業のコンテストとして始まった(※2)。1923年には競馬法が制定されて法的な位置づけも明確となり、戦時中は開催が中止になるものの、占領が終わって僅か2年で農林省(現・農林水産省)の監督する特殊法人として日本中央競馬会が設立される(※3)。
  競輪とその他公営ギャンブル(オート、競艇)は競馬を範としてスポーツ振興の名目のもと、事業者たちの働きかけによって各省庁の監督下に組織化・法整備されていった(※4)。特に競輪は1948年(小倉)とかなり早い時期に興業が始まるが、そこには戦前から自転車競技がある程度人口に膾炙していたという素地があった。ただ、著者が強調するのは、むしろ競輪が飽くまでも「働く者のスポーツ」=プロフェッショナルなスポーツとして規定された事実、言い換えれば(かつての)オリンピックの掲げたアマチュアリズムとは明確に一線を画した競技と位置付けられた点である。今日ではオリンピックのアマチュアリズムも一部を除いて形骸化してしまっており、やや伝わりづらいが、この点は非常に重要な指摘である。

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「第2章 競輪の高度成長期」は競輪興業の始まりから人気が最高潮に達する高度経済成長の時期までを描く。それは一言で言えば、競輪をいかに競技として成立させていくかの試行錯誤の時代であった。まず競技を開催するにあたって必要な選手、自転車や競技自体のルールの問題があった。そもそも自転車競技法にはレース形態についての規定が現在もなく、極端な話、ツールやジロのようなロードレースであっても構わない(現に構想としてはあった)という。(p.79-80)また、自転車については今はある程度定まったレーサーを使用しているが、当初は実用車やタンデムのレースもあった。
  そうした点は興業のなかで現実的な形に収まっていったが、今度は競輪場での暴動や八百長などへの対応が問題となった。かつて「競輪」がその治安の悪さゆえに「狂輪(キョウリン)」と呼ばれていたことはよく知られている。しかし、そもそも公営でギャンブルをやることは、賭場を生業としてきた暴力団のシノギを奪うことに等しく、それゆえ戦後に始まったばかりの競輪では組織や制度の穴を突いて選手を買収した八百長やノミ行為、騒擾などおよそ考えられるだけの問題が起こされた(全てが暴力団の関与したものではないが)。鳴尾事件(1950年)や近畿ダービー事件(1959年)はメディアで大々的に取り上げられ、そのために競輪のイメージはすこぶる悪く、常に廃止の議論がつきまとった。当時は多くの自治体にとってドル箱だったとは言え、問題が続出した大阪や兵庫の府営、県営の競輪場は実際に廃止に追い込まれた(※5)。
  こうした逆風に対応するため、競輪は早くから選手の養成機関を整備し、賭けの対象となるからこそスポーツマンシップを遵守する(=まっとうに競技を成立させる)ことを徹底的に教育していった。実態を見れば、問題の発生とはいたちごっこな部分もあったが、競輪が公営ギャンブルの最たるものとして考えられていたがために、過剰にストイックな規範が求められたのだ。

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  話が少し前後するが、「第3章 都市空間のなかの競輪場」は競輪場が都市型のレジャーとして発展していった背景、それがために美濃部亮吉東京都知事に代表される革新自治体のなかで廃止に追い込まれていった経緯に焦点が当てられる。
  先に書いたように、日本の競輪は1948年の小倉開催を以ってその嚆矢とするが、現存するものにせよ、廃止になったものにせよ、ほとんどの競輪場は1950年前後にオープンした。つまり、全国の自治体でほとんど一気に広まっていったということになる。戦前からの新聞社などのメディア企業、鉄道会社のレジャー産業の推進合戦がそうした事態を準備した。著者は自らが親しんだ阪神エリアの話(甲子園競輪場、西宮競輪場)を中心にこの点を説明しているが、このケースや東京の後楽園のように、競輪場は主に工業が盛んな都市部のレジャーとして育っていった。それはまず自転車競技法の理念に則っていたからであり、かつ競輪場は必要とする用地に条件があまりないという利点があったからだという。
  しかし、そのことがむしろ仇となって、都市部を中心に出現した革新系の首長などに目をつけられた。特に1967年に東京都知事となった美濃部亮吉は治安や環境への悪影響を強調して黒字経営だった後楽園と大井オートを廃止に追い込んだ。美濃部の反ギャンブルの態度は強硬で、大井競馬場も危うく(主観)廃止になるところだった。ただ、著者はこの時代にいくつかの都市部の競輪場が廃止になったことを指摘しつつも、革新首長の皆が皆公営ギャンブルに否定的だった訳ではないことを強調する。蜷川虎三なども美濃部と似たような姿勢だと思っていたが、考え方はだいぶ異なっていたという。とは言え、(戦後の復興期には財政への貢献を以って辛うじて黙認されていたが)ある程度の発展を遂げた自治体にとって公営ギャンブルはNIMBYとしか見られていないことを改めて感じた(※6)。

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「第4章 競輪のスポーツ化」は前章までに描かれたような公営ギャンブル・競輪の歴史を踏まえて、「世界通有」の競技・競輪として再出発していこうとした時代を描く。公営ギャンブルへの逆風が吹き荒れた時代でも競馬が矢面に立たずに済んだのは、一つにはそれが洋の東西を問わず世界各地で浸透した文化として受け入れているという面があった。他方、競輪は競馬を改めて意識し、スター・中野浩一の活躍などを梃子にケイリン/KEIRINを積極的に外へとアピールしていく。
  1980年、KEIRINは世界プロ選手権自転車競技の種目となり、1996年にはオリンピックの正式種目に採択された(開催は2000年のシドニーから)。こうした背景にはオリンピックのアマチュアリズムが退潮していくのと息を合わせるように、中野のようなプロの競輪選手たちが積極的に自転車競技へと参加して実績を残していったということがあった。その甲斐あってかつての「狂輪」イメージからの脱却にはある程度成功したが、売り上げ自体は中央競馬や競艇の後塵を拝するようになり、組織の再編を余儀なくされた。それがダーティーなギャンブルからクリーンなスポーツへと脱皮するプロセスだとすれば話は分かりやすい。しかし、著者はことはそれほど単純ではないと述べ、序章の指摘を念頭に次のように記す。

競輪は誕生当初からスポーツであることが意識されてきたし、スポーツを志向することはギャンブルの対象として求められている公正さという要請に応えることでもあったのだ。オリンピックという看板も、ギャンブルとしての売り上げ増を目指す取り組みのなかで求められたものだった。(p.194)

  競輪はギャンブルとしてあることでスポーツであり、スポーツとしてあるためにギャンブルでなければならなかった。

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  「第5章 ギャンブルとスポーツの境界線上で 選手とファンは何を考えてきたのか」
は章題の通り、ギャンブルとしての妙味とスポーツとしての魅力の間に揺れる競輪を、著者による長義和のインタビューや山口国男、井上茂徳といったベテラン選手たちの発言などから浮かび上がらせていく。プロ/アマの制度、オリンピックの政治に翻弄された長が見てきた日本の自転車競技の歴史は多分に個人の思いを含んでいるが、競輪にとどまらず総体としてのスポーツを考える上でも大変面白い。
  また、後半の「ライン」や「競り」など競輪特有の文化(※7)について選手たちとファンが相互に意識し合うことで「競輪道」なる共同幻想が作り上げられていったという議論も説得的である。これまで語られてきた「働く者のスポーツ」という競輪のあり方がよく見えた。欲を言えば、頑なに競輪であることを守ってきた選手たちの言葉と併せて、前章に出てきた中野のような積極的に対外アピールに努めてきた選手の言葉なども読めるとなお良かったと思うが、行論上仕方ない。あと、一流の競輪選手(新田祐大や浅井康太、深谷知広ら)たちでありながら、独自の組織でオリンピックを目指すDream Seekerなどの今の動向もこの議論の延長線上でどう見たら良いのか気になった。

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  「終章 競輪の「未来」 日韓対抗戦と女子競輪の復活」では近年始められた日韓対抗戦と女子競輪の取り組みから今後の競輪を考える。海外に目を向けた事業が早くから行われてきたことは前章まででふれられてきたが、基本的には対欧州との話であった。韓国の競輪は1994年に始まった。もっとも、ルールはケイリンのそれに近い。従って、折衷案として韓国開催では韓国の、日本開催では日本のルールということでやっているという。どの競技でも対韓国となるとナショナリズムの問題が騒がれる。競輪は特にファンの罵声などが心配されたようだが、そこはギャンブルということである意味フラットな態度で行われているらしい。競馬でも国際競走ではしばしば海外馬がやって来るし、2016年の凱旋門賞からは一部の海外G1の馬券発売が(JRAで)解禁された。勝ち目があれば日本の馬を買うことも、海外馬を買うこともある。(賭けに関係のない応援ももちろんあるが)ギャンブルでスポーツを見るとはそういうものだ(※8)。
  女子競輪は1948年の小倉開催から始まっている(車券対象になったのは翌年から)。つまり、競輪の始まりから女子競輪はあったわけだ。しかし、玉石混淆で寄せ集めた選手間でレベルの差が大きすぎたにも関わらず、労働環境の整備が後手に回ったため、男子のそれに人気で劣った。そして何人かのスター選手を輩出したものの、東京オリンピックの年に廃止された。2012年、そんな女子競輪(ガールズケイリン)が再開したのはロンドンオリンピックのケイリンに女子の種目が設けられたためである。かつての課題はまだありつつ、「ケイリン」と称したように、女子の競技は最初からオリンピックに準拠したルールで行われている。この点では「競輪道」のしがらみがある男子より世界と足並みを揃えているのだ。オリンピックではまだメダルはないが、今後の活躍が期待されている。

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  ギャンブルに関わるテーマの本となるとつい記事に力が入ってしまった。ただ、最初に「ユニーク」と評したように、競輪をこのような視点から書いた本はほとんどなく、とても面白く読めた。競馬については色々ある(試みに蓑虫屋で検索してみてほしい)が、競輪の議論は本当に少ない。(※9)あとがきによると、本書は著者が大阪大学に提出した博士論文「戦後日本社会と公営ギャンブル」のうち競輪について書いたところを焦点にリライトしたものだそうで、こちらも読んでみたいところだ。欲を言えば、競輪が自治体の財源としてあまり活用されなくなった後も、その売上金は社会福祉への貢献(補助事業)などに使われてきており、そうした取り組みなどにもふれていると良かったのではないか。とは言え、一冊のなかでよくこれだけの内容をまとめたと思うし、このような議論がまず出てきたことに喜ぶべきだろう。
  さて、ちょうど今日から平昌オリンピックが始まった。政治的な話題が先行している感があるが、注目の一つはフィギュアスケートだろう。(現代式ではあるものの)アマチュアリズムを通しながらシーズン中は多くの試合がテレビ中継される人気競技である。競輪とは色々な面で対照的だ。
  一方の競輪でも全日本選抜が初日を迎えた。去年の決勝はとても見応えのあるレースだったが、今年はどうなるか。


(※1)リンクは貼らないが、当該シーンはYouTubeに動画がアップロードされている(2018年02月08日現在)。
(※2)近代競馬の黎明期については立川健治『文明開化に馬券は舞う 日本競馬の誕生』(世織書房、2008・11)や武市銀次郎『富国強馬 ウマからみた近代日本』(講談社、1999・02)などが詳しい。
(※3)先に日本中央競馬会(以下、JRAと略記)とことわりがあるものの、「一九五四年に、農林水産省が監督し、政府が資本金を全額出資する特殊法人としてJRAが設立」(p.41)との記述については、農林水産省は農林省で、当時の日本中央競馬会はJRAの略称を使用していないのではないか。
(※4)現在、競輪はJKAという公益財団法人(経済産業省監督)によってオートレースと一緒に統括されている。
(※5)競輪以外の公営ギャンブルでも同様の問題は起こっている。相対的には批判が少なかった中央競馬でも1965年にカブトシローを八百長で勝たせたとされる山岡事件などが起こっており、これらと無縁とはいうわけではなかった。
(※6)全くの余談だが、私の地元の北区赤羽でも90年代に西口の再開発に際して場外馬券場(WINS)とオートの場外車券場を作る計画があった。しかし、区内の小中学校PTAの反対署名などが寄せられて結局計画は頓挫したという。これもギャンブル施設が誰にどう思われているのかを端的に示す一つケースかと思う。
(※7)ライン読みが競輪独特の醍醐味ではあると思うが、近年の競馬では「ライン」に近いラビット(ペースメイカー)がしばしば指摘される(よく持ち出されるのは一昨年の有馬記念)。これはヨーロッパの競馬では一般的な文化だが、日本の競馬は飽くまでも個人レースという建前でやっており、露骨なラビットなどに対しては人によって見解が分かれているのが現状ではないかと思う。
(※8)一方、日本の競輪でかつて日本人以外の選手が排除されてきた歴史があったことにも言及されている。
(※9)数少ない例としては三好円『バクチと自治体』(集英社新書、2009・05)。


競輪文化
古川 岳志
青弓社
2018-01-27



moyoko0629 at 20:09│Comments(0)

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