「ジャロってなんジャロ?」でお馴染みのJARO(日本広告審査機構)が発行する会員誌「REPORT JARO」の巻頭エッセイを 社内でたらい回しに 任されて、寄稿した。依頼は随分前だったのだが、いろいろあって11月号掲載になったらしい。

依頼では千二百字だったのに、勢いに任せて書いてしまった最初の原稿は三千字。原稿を削っていく中では論旨をシンプルにせざるを得ず、「企業のソーシャルメディアへの進出を巡り、期待と懐疑が渦巻いている。 」という書き出しで始めながら、ツイッター礼讃一辺倒で終わってしまった。

公の場でネットに関して語るのはおそらく最後になるであろう文章にしてはちょっと脳天気すぎるだろうと思い、このブログには削除した「懐疑」の部分を敢えて書き残しておきたい。

---
マーケティングにおいて一番大切なことは、「ターゲットと目的」を見失わないことだ。

ターゲットに関して言うと、現時点において、ツイッターユーザーはまだ限定されたユーザー層だということは押さえておくべきだ。CMに関するツイートを見ても、明らかにある偏ったネタに反応する傾向がある。

生の声というのは強い。強すぎると言ってもいい。だからユーザーからポジティブな反応があると、担当者としてはものすごく効果的なプログラムを運営している気分になってしまう。普段ユーザーと直接触れることのないメーカー企業やマネジメント層であれば、尚更そういう傾向が強くなるのは致し方のないことだ。当然、コールセンターやソーシャルメディアの生の声が記載されたレポートはマネジメントへの受けも良い。しかしそれは、限られたターゲットの中の、さらに限られた人たちの声だということをゆめゆめ忘れてはならない。

次に、目的に関して。これは余り議論されているのを見かけないが、ソーシャルメディアでのコミュニケーションが危険なのは、それ自身が「楽しい」ことに起因する部分が大きいと考えている。自分が投げかけたツイートが広まっていく様子を見ると、脳内に快楽物質が広がる。それは、DJが自分の選曲でフロアの客と一緒に盛り上がっていく感覚に近い(DJやったことないけど)。だから担当者は、本来の目的を忘れて、より喜ばれる方向、より面白い方向へ舵を切りがちになる。

もちろん、ユーザーを無視したプロモーションばかりのツイートではフォロワー獲得も拡散ツイートも期待できない。要は、常に本来の目的を忘れずに、いかに戦略的に遊べるかというところが勝負なのだが、これが何気に難しいのだ。

もうひとつ、「炎上のリスク」に関しても触れておこう。
ソーシャルメディアのリテラシーが低すぎてユーザーの逆鱗に触れる例、不用意な発言でユーザーを傷つけてしまう例など、「炎上」の憂き目に会ってソーシャルメディアから撤退していく企業を見かけることがある。

ただやってみて思うのは、そこで撤退するからダメなんじゃん、ということだ。普通の人間関係に置き換えてみれば分かるように、悪いことをして謝りもしないで退散したら、それはネガティブなイメージだけがしか残らないだろう。逆に、個人を前面に出していくのが今のソーシャルのお作法である以上、大体のケースにおいては誠心誠意謝れば何とかなるのではないか、ということだ。

それよりも本当に怖いのは、企業として「出してはいけない情報を出してしまう」リスクの方だと思う。新商品の情報、個人情報、経営上の情報など、リスクは遍在している。こればっかりは、謝ろうが何しようが取り消せない。ソーシャルメディアがマーケティング上の二次会のようなものだとして、そこが無礼講だと参加者間では認識されていたとしても、この手の情報拡散は企業として無視できないリスクだ。

こうして考えてみると、今行われている双方向系のツイッター活用というのは、お客さんが見えている、ある程度の規模までのサービス業や小売業に向いているようにも思われる。

それを大きな企業で行うときには、リーチの限界を理解した上での役割設定を行い、それに見合ったコストと工数に抑えるという前提のもと、ツイート担当の特定の「中の人」に頼り切らない、常に冷静な視点を複数から投げかけられるチームが必要だと思う。

今後は、企業としてサステナブルなソーシャルマーケティングを行うための組織論も増えてくるだろう。ソーシャルでの双方向コミュニケーションに必要になってくる、リアルタイムで正しい返答をするスキルを考えた時、中心になるのは広報とコールセンター機能ではないか。マーケティング部門が主導するべきは、アドホックの刹那的拡散のための活用法、ストック系のメディアに素材を蓄積していく活用法などに限定される時代がやってくるかもしれない。