ロケ立ち会いで、久々の早朝からの業務。
まだ明け切らぬ空を見上げながら、そういえば昔、「夜明けを見て感想文を書け」という小学校の宿題があったことを思い出す。
今思えば、それなりに粋な宿題であったとは思う。小学生の僕は、「何を面倒な」とウンザリする半面、そういえばちゃんと見たことのなかった夜明けというものにそれなりの期待を抱いてもいたように思う。だが親にたたき起こしてもらって見た夜明けは、イメージとは違っていた。どこか夜から朝への明確な転換を勝手に想像していたのだが、空は太陽が目視できる随分前から十分に明るく、その境目は存外曖昧なものだったからだ。
それでも僕は「目の前に金色の光が広がり、すべての色が生命を帯びる。新しい日常が鮮やかに始まった。」的な感想文を書いて提出した。教師が求めているのはそういう文章だろうと簡単に想像がついたからだ。
案の定、教師は自らの与えた気の利いた課題が子供の記憶に強烈な印象を与えたことに満足の笑みを浮かべ、僕の感想文は優秀賞に選ばれた。醒めた優越感に浸りながら、皆の前で空虚な文字の繋ぎ合わせを朗読したのを覚えている。
そして今、夜明けを見る。
失ったものの想い出を抱えながら。やってくるであろう困難を覚悟しながら。
夜明けには劇的なドラマがあるわけではない。少しずつ着実に、決められた通りに力強く、光が闇を溶かしていく。そのことの価値が、小学生には解るはずもなかったのだ。
子供は純粋で、大人以上に繊細かつビビッドに物事を感じ取る、というのは大概の場合において幻想に過ぎない。
培ってきた経験や痛みや責任が、物事により深い意味を与え、その美しさに幅と厚みをもたらす。大人の心にこそ、「もののあはれ」は素直に響くものなのだ。
今から20年後、30年後に見る夜明けは、自分の目に、心に、どう映るのだろうか。
今よりも美しい夜明けを見たいと思う。そのための一日が、また始まる。
まだ明け切らぬ空を見上げながら、そういえば昔、「夜明けを見て感想文を書け」という小学校の宿題があったことを思い出す。
今思えば、それなりに粋な宿題であったとは思う。小学生の僕は、「何を面倒な」とウンザリする半面、そういえばちゃんと見たことのなかった夜明けというものにそれなりの期待を抱いてもいたように思う。だが親にたたき起こしてもらって見た夜明けは、イメージとは違っていた。どこか夜から朝への明確な転換を勝手に想像していたのだが、空は太陽が目視できる随分前から十分に明るく、その境目は存外曖昧なものだったからだ。
それでも僕は「目の前に金色の光が広がり、すべての色が生命を帯びる。新しい日常が鮮やかに始まった。」的な感想文を書いて提出した。教師が求めているのはそういう文章だろうと簡単に想像がついたからだ。
案の定、教師は自らの与えた気の利いた課題が子供の記憶に強烈な印象を与えたことに満足の笑みを浮かべ、僕の感想文は優秀賞に選ばれた。醒めた優越感に浸りながら、皆の前で空虚な文字の繋ぎ合わせを朗読したのを覚えている。
そして今、夜明けを見る。
失ったものの想い出を抱えながら。やってくるであろう困難を覚悟しながら。
夜明けには劇的なドラマがあるわけではない。少しずつ着実に、決められた通りに力強く、光が闇を溶かしていく。そのことの価値が、小学生には解るはずもなかったのだ。
子供は純粋で、大人以上に繊細かつビビッドに物事を感じ取る、というのは大概の場合において幻想に過ぎない。
培ってきた経験や痛みや責任が、物事により深い意味を与え、その美しさに幅と厚みをもたらす。大人の心にこそ、「もののあはれ」は素直に響くものなのだ。
今から20年後、30年後に見る夜明けは、自分の目に、心に、どう映るのだろうか。
今よりも美しい夜明けを見たいと思う。そのための一日が、また始まる。