第4部第12編   誤審
13 思想と密通する男
(640~659ページ)



✤この章の「思想と密通する男」とは、なかなか洒落た?上手い表現だと、感じ、まさか、ミーチャのことではないので、弁護士のことであろうと予想。原卓也訳では、「思想の姦通者」とあり、詳細な訳注がある。

❈訳注:1875年、保守的な社会評論家マルコフが、『声』紙に『19世紀のソフィスト』なる一文を発表し、その中で農奴解放後の公開裁判における弁護人を「思想の姦通者」と呼んで反響と批判を巻き起こした。「思想の姦通者」とは、目的のためには白を黒と言いくるめようとし、詭弁を弄する無原則な弁護士を意味する言葉として大いに流行した。(新潮世界文学15、866ページ)

ちなみに、以前ブログに書いたかどうかすら忘れてしまいましたが、原卓也は、亀山郁夫の大学の先生でもあり、この長編小説の日本語訳でも原卓也訳(1978年、新潮社)、江川卓訳(1979年、集英社)以来の亀山郁夫訳は、ある意味、翻訳界の「父親殺し」とも言えるものでもある????
「いとお菓子」(孟子は毛がありません)


❈ミーチャを犯人とする多くの状況証拠があるので、弁護人は苦しい立場にある。
苦し紛れとは言いませんが、弁護人は、「父親殺し」ではないという。
殺されたフョードルは、父親としての役割を一度もしたことがない、だから、弁護人は、百歩譲って、仮に被告が犯人だとしても、ただの「人殺し」に過ぎない、と、かなり無理な議論を展開する。

 殺されたカラマーゾフ老人のような父親を、父親と呼ぶことはできません、また、そう呼ぶにも値しません。父親と認められない父親への愛情ほど、愚かしいものはありません、そんなものは不可能です。無から愛は生まれません。無から創造しうるのは、神のみです。
(647ページ)

 全ては一瞬のうちでした!これは、狂気と錯乱のせいで起こった、一種の心神喪失です、しかしまた、自然界の発作でもあるのです。自然界の全てと同様、永遠の法則に対し、抑え難く無意識に復讐しようとする、自然界の錯乱なのです。
 にもかかわらず、犯人はそこでも殺さなかった。私はそう主張し、叫びたい。そう、彼は杵を、おぞましい怒りにかられて、ただ、ぶんと一振りしただけなのです。殺すつもりはなく、また殺してしまうことも知らずにいました。この宿命的な杵を手にしさえしなければ、彼はおそらく父を殴っただけで殺したりはしなかったでしょう。逃げ出した後も彼は知らなかったのです、自分に殴り倒された老人が死んだかどうかを。
 このような殺人は、殺人ではありません。このような殺人は、父殺しでも何でもありません。いいえ、こんな父親を殺しても、父殺しとは呼べません。このような殺人を父殺しと見なすことができるのは、ただの偏見によるのみです!
(655~656ページ)


❈さらに弁護人は、陪審員たちの「情」に訴える。

 陪審員の皆さん、彼はこのように言うに違いありません!誓ってもいいですが、あなた方がもし有罪の判決を下せば、それは彼の気持ちを楽にするだけです、良心の苦しみを軽くするだけなのです。彼は、自分の手で流した血を呪いこそすれ、憐れみはしません。と同時に、あなた方は彼のうちに息づいている、まだ見込みのある人間を滅ぼしてしまうことになるのです。なぜならば彼は、これから死ぬまで、悪意をひめた、モグラみたいな人間として留まることになるからです。
 でも、みなさんが、想像しうる限りの、おそろしくつらい、最もひどい刑罰で彼を罰しようとするのは、それによって彼の魂を永遠に救い、生まれ変わらせるためではないですか。だとしたら、彼を、皆さんの、温かい憐れみで圧倒してやって下さい!
(656~657ページ)





その4.12-14につづく)

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カラマーゾフの兄弟 第4巻 (岩波文庫 赤 615-2)
ドストエーフスキイ
岩波書店
1957-10-15