2016年04月

2016年04月21日

先日の日曜日、このエントリで書いている義父の49日法要がありました。

なにせ、オットもその弟(モモノリの義弟)も個人事業主をしているものです
から、その朝早くに東京を出て法要を行い、夜遅く帰宅するという結構ハードな
スケジュールでした。

おまけにこの日は台風並みの豪風が吹き荒れ、帰りの列車も運行が
まばらになるというおまけつき。
何とか高速バスを使って東京まで帰ってきたころはヘトヘトでした。

しかしながら、正直、きれいごとを言うようで嘘っぽいかも知れませんが、
モモノリ自身は「あ~、疲れた。散々だったわ」という気持ちはみじんにも
思いませんでした。

それは我が家の21歳になる長男も同じようでした。

というのも、モモノリ息子を出産後4か月目から仕事に復帰したモモノリに
とって、オットの両親は泊まり込みでまだゼロ歳の息子と、ついでにオット
の世話までしてくれた(モモノリの海外出張時)ありがたい存在だったから
です。

いろいろな事情があって、その支援は息子が幼稚園の年中くらいの時に
終わったのですが、しかし、今時の「保育園落ちた、日本死ね」と吠えず
に済み、そしてキャリアを途切らせることなかったのはひとえに義父母の
おかげだったのです。

おじいちゃんと海



さて、そんな義父母たちですが、この5年くらいの間に、まず舅が認知症を
患い、老々介護では対応できない、ということで認知症専門施設に入所。

そしてその数年後、ひとり残った義母も認知症を発症。
ヘルパーさんの助けを受けながら一人で暮らすのも限界がでて、結局
義父とは別のグループホームへ入所したのでした。

【預けて安心というわけではない介護施設】

徘徊や義母への暴力行為をしていた義父が施設入所し、いったんは東京の
オットおよび義弟も安心したのもつかの間。
何度も何度も施設から呼び出しがありました。

例えば・・

厳重な出入り施錠がされている施設から脱走を図り、なんと施設の
大広間の窓ガラスを図った、とか←まるで脱獄犯!

院内感染で急に容体が悪くなったとか

そんなこんなでしょっちゅう東京のこどもたちへお呼び出し電話がありました。

特に、車の運転が出来る義弟(なんとモモノリオットは免許持っていません)
はフットワーク軽く現地でも動けるためすぐに連絡が来ることが多く、急に
この北関東の地方都市へ行ったり来たりすることが多かったようです。

その義弟ほどではないにしても、モモノリオットも何度も何度も呼び出されて
は駆けつける、ということを繰り返していました。

そのうちに、義母の体調も崩れていき、認知症の診断がされ、要介護2と
なった頃から、浴室で倒れたのを発見されたり、自宅にこもっていて脱水症
を起こしたり、はたまた小さなボヤ騒ぎを起こすに至りました。

ここでもやっぱり、義弟およびオットがなんども東京から突然呼び出される
ことになります。

この状態は「ひとり暮らしは心配だから」とグループホームへ義母が入居
しても変わりませんでした。よく救急車で運ばれることもあったようで、その
都度駆けつけていたようでしたから。

義弟の妻(モモノリの義妹)もフルタイムで働く女性ゆえ、オットもそうですが、
一度たりともそれぞれの妻に何とかさせる、ということはありませんでした。

運転も出来ず、地元にまったく明るくないモモノリなど突然かけつけても何の
役にたたない、と思ったのか。自分の親だから自分で、と思ったのか、とに
かくこの段階でのモモノリの出番はなかったのです。

正直、モモノリ夫も、義弟もへとへとだっただろう、と思います。

それもこれも、このオット実家のある地方都市が、中途半端に近いような遠い
ところだったせいでした。

特急で1時間半。オフィスや自宅から乗り換えや現地についてからの移動
など入れると2時間半弱。

もっと遠ければ「そんなに急にはいけない」という距離だったのでしょうけれど、
呼ばれれば行ける距離。だから施設も呼ぶ。だから行く。しかし往復5時間以上
は結構体に応える距離だった、、、、。

そう、施設に入ったから安心できるか、というとそうじゃなかった、というお話。

そして、それと同じ位かそれ以上に想像を超える難関が。。

いま目の前の仕事や子育てに悩まされるあなた。
しかし、こんな現実が誰もの未来にまっているかもしれないんです。
詳細は次回エントリにて。

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通訳、ツアーコンダクター、海外コーディネータ、バイリンガル司会・ナレーター、
企業研修・セミナー講師、と様々な経験を経て現在はランゲージスペシャリストの
コーディネーション(零細)会社を経営するモモノリが今年も日本の女性を元気に、
とメッセージをお届けします。

読者の方からのご相談にお答えするエントリも絶好調。
ご相談は
こちらからどうぞ













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2016年04月13日

ごきげんよう。一か月近くの音信不通をしておりましたモモノリです。
何とか通常モードの「忙しさ」に戻り、このお休み期間に起ったあれやこれや、を
語ってまいります。

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「え?」

まだまだ寒い石川・小松空港の搭乗手続きカウンター。

2日間の某省関係の仕事終了で全国11か所の最後の回を終了。
重かった肩の荷をやれやれ、とおろしてチェックインカウンターに並んだ時のこと。

ふっと見た携帯のSMSにオットからのメッセージ。

「おじいちゃんが危篤です。〇〇(息子)と今病院へ向かっています」

93歳のオット父の最後が近づいたことを知らせるメッセージでした。

空港ロビー

羽田空港に着いたのが2時間後。

何度もオットへ連絡をしても留守番メッセージが繰り返されるばかりだったのが、
やっと繋がったのはもうすでに羽田空港からのバスに乗り込んだ時でした。

「親父さん、ダメだった。病院に着いた時には亡くなっていた」

ああ、来たか。

正直、ここ数か月間ずっと毎週全国を飛び回っていた連続講師の終わったその日に
入った知らせに、義父の思いやりかも、とも思いました。

喪主でもあったオットの父と未亡人となった義母たちのことを少し書きたいと思います。

海を眺める

オットの実家は東京から特急で1時間半ほどの北関東の地方都市です。

もともとはそこそこ広い田畑を有していた農家の跡取りだった義父は閉鎖的な農家
を嫌い、「自分は後を継がない」と宣言をして、当時は珍しかった東京への進学を
しました。

早稲田大学文学部へ進学ののち、地元に帰り、当時は今とは違って地方国立大
教授なみの地位だった(本人談)県下トップ校の教諭となった舅。

仕事を通じて知り合った姑はずっと定年近くまで働き、当時地方では極めて珍しい
共稼ぎ生活を続けていたふたりです。

お二人の生きざまについてはいろいろと学ぶことがありますが、特にここ5年くらいの
人生末期については未知のことだらけ、で認識を新たにすることも多かった。

いまでこそ東京との文化的にも社会のインフラの側面でもそん色なくなったこの地方
都市も、東京の有名大を卒業した県立有名校の進学指導担当だった舅にとっては
「都落ち」の心持ちが多かったのでしょう。

リタイア後はかなり頻繁に上京して、地元よりも中央での様々な会合に顔を出して
いたようでした。

それだけとてもプライドの高い義父であったのです。

その義父が認知症の施設に入所したのが4年ほど前。
もともと「ちょっと変わった存在」という認識が家族全員にあったので、加齢で「その
要素が加速したね」みたいな感じに受け止め始めたのはそのもう少し前から。

耳が遠かったこともあり、10年くらい前からコミュニケーションをとるうえで問題が
多かったのですが、同居していた義母と言い争いになったり、徘徊を繰り返し、
止める義母に暴力をふるうようになった義父。

義父が第一線で働いていた頃のことは何度も聞かされていました。「教え子
たちがよく家に食べて飲んでいたぞ」「県立〇〇一校は東大に何人、慶応に何人
云々」地方の数少ない知識エリートを自負していた義父も、措置入院した認知症施設
を数か月ごとに転々とするようになりました。

外では非常に進歩的で民主的な人物であった義父も家庭では問題児だったようで
とくに、もっとも愛していた県立進学校からいわゆる底辺校へ転勤になったころから
精神的に病み、酒量も増えて家庭にお金も入れなくなって家計は義母が担うように
なったようでした。

その後、不本意だった高校の勤務を辞してからは先述のとおり、のびのびと詩作の
生活にはいり、また地方のインテリエリートを自負して安定した日々に戻ったと言い
ます。

最高学府を出て、弁護士にもなったオットはそんな義父にとっては自慢の息子で
あったことは間違いないことでしょう。

結婚した後も、「病院の担当医師に『うちは息子が弁護士だ』と言ったら扱いが変
わった」「家の改修に来ていた業者に『うちの息子は〇大卒だと言ったら、ぺこぺこ
しよった」と妄想に近い自慢を聞くこともしばし。

ただし・・・・・・

その肝心の「自慢」のはずのオットですが、むしろ煙たい存在だったようで、特に
「弁護士云々だ」とふれて回ることには嫌悪感だったようです。

それでも、認知症施設に入所してからはどんどん症状が悪化し、完全に別人と
なった父親はそういった感情も薄れ、適度な距離感をもちつつ穏やかな関係を
持てるようになったようでした。

しかし、感情的な緊張関係が改善した一方、予想外に悪化したのが別の問題でした。

:::::::

離れて暮らす親を持つ身になって始めた身に染みた問題の詳細は次回エントリで。

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2016年04月11日

・・・・・・・。

みなさま、一か月強、すっかりここをお休みしておりました。

その間、いろいろなことがありまして。
それらをひとつひとつ書けば、またそれがブログのネタになりそうです。

そして、その間、世間さまはセンテンススプリングの爆風に煽られて
ニュー(新)タイド(潮)で、びっくりメガトン級の5人不倫の話題がでたか、と
思えば、「日本死ね」で国会も右往左往しているありさま。

み~んな、モモノリひと言いいたい!

という話ばかりじゃないですか。

そんなわけで、少しばかり冷めたからこそ語れるネタもあります。
あ、学歴詐称の彼は実は業界的に近いところにいた方なんです、
あれよ、あれよ、という間にメジャーへ駆け昇って行きましたが。
そのことだって、「言わせてよ」ということがありました。

少しずつ、そんな溜まった「言わせてよ」を発信していこうと思います。

仕事もプライベートもやっと落ち着き始めました。
モモノリ、再開いたします。

モモノリ

また宜しければお立ち寄りくださいまし。


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