昭和なつかし奇譚クラブ分譲写真 - Japanese Bondage Photos presented by "The KITAN CLUB" in 1951-'75

 昭和のよき時代、奇譚クラブという雑誌がありました。記事に使う目的で撮影した緊縛写真を分譲してくれました。今では滅多にお目にかかれない貴重な品なのですよ。そのオリジナルの緊縛写真のみをアップいたします。 皆様の秘蔵品もよろしければいかがでしょうか・・・。

 偶々手元に置くことになりました約2,000枚に及ぶ、50年代から75年の奇譚クラブの分譲写真を掲載します。
 奇譚クラブ以外の写真は、http://blog.livedoor.jp/mrkinbakusyashin/ http://minomurakoh.doorblog.jp/ 生理帯写真は http://blog.livedoor.jp/dannamurakami/ を御覧下さい。

174)G組 大中判写真 1956年12月

 奇譚クラブ 1956年12月号誌上で、「天星社代理部分譲品目録」が付録となりました。
 白表紙になってから1年半が経ち、官憲の言い分もコロコロ変わり、押収されたネガは返してもらえず、会社の経済状態もあって、この間の発禁・休刊は5号を数えました。ちょうど現代の香港の出版社に対する・・・ウームみたいなものですね。はっきり書くとよその国から叱られそうですので。出版社が潰れてくれた方が都合が良いんですから。
 分譲写真も、誌上では宣伝がしにくく、「代理部分譲品総目録 ご入用の方は八円切手封入の上御申込み下さい。お送りします」と手紙でカタログを取り寄せてから申し込むことになっていたのですが、そのカタログが別冊で付いたのです。
 その冒頭掲載されたのがG組の1から10までで、この組が一般の目に触れた最初だったと思います。花坂道子嬢のG-09は前頁でご紹介しましたが、まだ5枚が新資料に残っております。それら大キャビネ判の写真を引き続きお目にかけます。

174-01) (G-01) 「鉄鎖と柔肌」 高瀬忍
 解説は「全裸の柔肌に喰い込む鎖、柔と剛との醸し出すコントラストの妙味、正面に向って立膝した美貌忍嬢の媚態と赤裸々な純白裸体のエロチシズム。」
174-01 G-01C 高瀬忍b174-01 G-01M 高瀬忍c1
 


174-02) (G-04) 「羞紅の椅子」菅登紀子
 「ドアーの閉じられた密室に置かれた殺風景な椅子一つ、猿ぐつわに声を奪われた可憐な菅嬢は、両乳房もあらわに裸身にむかれた恥しさに、只、「許して、許して」と助けを乞うばかりであった。然し飽くなき暴虐の手は、彼女をこの罪の椅子に縛り上げてしまったのであった。あゝ、彼女の運命やいかに?」と、1枚の写真に長々と解説がついてきます。
 菅嬢の写真は珍しいでしょう。実は前頁前半の資料にも1枚これと同じものが付いていたのです。原版は同じで、引き伸ばし倍率の関係で、わずかにアップに見えるだけですので、敢えて掲載いたしませんでした。
174-02 G-04C 菅登紀子b174-02 G-04M 菅登紀子c1


174-03) (G-05) 「量感の帯」 伊吹真佐子
 「益々豊満さを増した伊吹嬢をストツキング一つの裸身にむいて、その弾力性のある全身を顔面から後手へと純白の練布を以て緊縛しでゆく。今や、身動きも出来ない十五貫余の肉体は、「嫌、嫌」と身もだえする度に包帯の間から、ピチピチと躍動するのであった。」
 15貫余すなわち57kgね。失礼ながら、もうちょっと御有りになるような・・・
174-03 G-05C 伊吹真佐子b174-03 G-05M 伊吹真佐子c1


174-04) (G-07) 「叫喚の森」 伊吹真佐子
人里離れた。森の中、誘拐された女性が一本の松の木にガンジガラメに後手に縛りつけられている。裸にされた乳房、臍、太股、足首には縄目がいたいたしく喰い込んでいる。助けを求めて叫べども、通る人とてなき森の中は、寂として只、こだまが返ってくるだけであった。」
 このパンティー、時々見かけますね。
174-04 G-07C 伊吹真佐子b174-04 G-07M 伊吹真佐子c1
 

174-05) (G-08) 「全裸目隠し」 村田奈美子
 「全裸の女体が、どたりと床の上に投げ出されている。後手に縛り上げた縄は乳房の間で結び目を作り更に鳩尾と臍の上で都合三つの結び目を綾なしている。 黒布で目かくしをされた彼女は豊満な女体を海老のように弾ねくねらせ、目かくしを取ろうとするのだが、後手に縛しめられた両手の自由はきかず、只、艶やかな雰囲気をいやが上にも、盛り上げるのに役立つばかりであった。 今まで、秘蔵してあった村田嬢のサデイスチック・シーン。」
 よくこんなのが村田嬢ってわかりますね、って尋ねられそうです。雲居久子嬢もこういう黒の全面マスクしていた写真がありましたから。実は、これと同時に入手した「美しき縛め」第2集22ページに同時撮影の写真が掲載されていまして、これがバックの座敷机のシミまで同じ。前の持ち主が「村田奈美子」って鉛筆書きしてくれていたんです。
174-05 G-08C 村田那美子b174-05 G-08M 村田那美子c1
 

174-06) (G-09) 「優すがた」花坂道子
 前頁の再掲です。
174-06 G09C 花坂道子b再掲174-06 G09M 花坂道子c1再掲
 

174-07) (付録)手札判 高瀬忍
 同じアルバムに2枚だけ手札サイズの写真が入っておりました。組名不詳ながら高瀬忍嬢ではないかと思います。
174-07 手札01C 高瀬忍b174-07 手札01M 高瀬忍c1
 

174-08) (付録)手札判 高瀬忍?
 同上、こちらはかなり薄く退色しておりました。
174-08 手札02C 高瀬忍b174-08 手札02M 高瀬忍c1


    

173)花坂道子嬢 大中判写真 1956年~58年頃

 お盆を迎え、お約束通り花坂嬢の大キャビネ版のプリントをお目にかけます。
本当はもう少し早くと思っておりましたが、寄る年波で、ディスプレイの前に座ると居眠りするようになり、仕事が捗りません。それとこの間に、10枚の新資料を手に入れまして、総数30枚となってしまいました。現状20枚しか用意できておりませんが、まずそちらからご覧いただきます。
 印画紙は薄手光沢。少しセピア変色しており、所々フェロの気泡痕がありますので、間違いなくオリジナルのプリントです。
 奇クが大中判写真(今の2L判)を分譲したのは、1956年12月のG組から64年10月の(さつり)まで。キャビネ版は53〜65年ですので、両者並行して分譲されていたことになります。戦後10年経って両規格とも使われていたようですが、多分アメリカの規格が(5×7吋≒130×180mm)となっていたためと思われます。朝鮮戦争前後の日本の産業はアメリカ市場や軍の需要により復興を遂げたので、両規格が併存し、物資が少ない時代でしたので、両者振り分けたものと思われます。
 なお、ここ数年、在るはずのない左近麻里子や前田真知子の2L写真などがネットで出回っておりますが、コピー品です。しかし、スキャンした画像をデジタルプリンターで印刷したようには見えません。
 70年代後半にプラスチックコートされた印画紙が出る前のバライタ印画紙のように見えますので、そうとう古いもの、すなわちもっと以前に光学的にコピーされたものと見えます。コピーらしきピントの甘さと階調の雑さがあるのですが、こちらにもフェロタイプ仕上げ時の気泡痕がついているのです。
 フェロタイプって知ってます? フェラじゃないですよ、フェロ。70年代までの印画紙は紙の上に酸化バリウムって言いますから、まあ胃のレントゲンの時に飲むあの白い奴ね。ああいった白いものを塗った上に、臭化銀や一部塩化銀(ブロマイド・クロロブロマイド)のゼラチン乳剤を塗ってあったんです。バライタ紙って言います。それを光沢仕上げするために、鉄板(フェロ)をクロムメッキした薄板に張り付けて電熱で熱したんです。そうするとピカッと光るきれいな光沢仕上げが出来るんですが、これが難しくてね・・・。
 失敗しても水で濡らして、もう一度くらい出来るのですが、一発で決めないときれいな色調の印画が出来ないんです。特にブルーブラックが売り物の三菱の月光だとか、さくらの吉野などは確実に茶色くなります。富士ブロやオリエンタル・シーガルなどは温黒調で割に鈍感だったですが、それでも何かボテッとした感じになったのを覚えています。印画の傷となるのは気泡とムラです。また、その後スポッティング等をしますとその部分の質感が変化してしまいます。まあ、泣かされました。人にあげる写真などは、私は半光沢や微粒面を使っていました。
 1980年頃でしたっけ、プラスティックでコートされた印画紙が出たときは助かったと思いましたが、頑迷な写真家さんからは、「潤いがない」とか「無機的である」など散々でした。もう銀塩モノクロフィルムすらなくなった時代に、さあ、バライタ紙って売られているんでしょうかね?
 閑話休題。多分この出品者にはコピー品という認識は無かったのかも知れませんね。数年前に私のサイトの画像をデジタル印刷して出品した人に比べると罪は軽いのかな?
 もっとも一番罪が重いのは昔の品を公開している私自身って言うことになりますが・・・。

173-01) (はな1-01)
 (はな1)は1957年11月誌上、大中判10枚組800円で「花坂道子嬢全裸緊縛集」として発売されました。解説は「可憐な容貌と優美な姿態で好評のモデル花坂道子嬢を特に煩して全裸の緊縛を敢行しマニアの皆様の熱烈な要望に応えました。今まで一度も衣服を脱いだことのない花坂嬢の姿態を印画紙焼付の鮮明な写真にてごらん下さい。」
 多分この01〜10だと思います。花坂嬢の大中判写真は全部で25枚。全裸で股縄がかかっていないものを選ぶとちょうど10枚でした。
173-01 はな1-01C 花坂道子b173-01 はな1-01M 花坂道子c1


173-02) (はな1-02)
173-02 はな1-02C 花坂道子b173-02 はな1-02M 花坂道子c1
 

173-03) (はな1-03)
173-03 はな1-03C 花坂道子b173-03 はな1-03M 花坂道子c1
 

173-04) (はな1-04)
173-04 はな1-04C 花坂道子b173-04 はな1-04M 花坂道子c1
 

173-05) (はな1-05)
 173-05 はな1-05C 花坂道子b173-05 はな1-05M 花坂道子c1


173-06) (はな1-06)
173-06 はな1-06C 花坂道子b173-06 はな1-06M 花坂道子c1
 

173-07) (はな1-07)
173-07 はな1-07C 花坂道子b173-07 はな1-07M 花坂道子c1
 

173-08) (はな1-08)
173-08 はな1-08C 花坂道子b173-08 はな1-08M 花坂道子c1
 

173-09) (はな1-09)
173-09 はな1-09C 花坂道子b173-09 はな1-09M 花坂道子c1
 

173-10) (はな1-10)
173-10 はな1-10C 花坂道子b173-10 はな1-10M 花坂道子c1
 

173-11) (はな2-01)
 続いて同時発売の(はな2)10枚組をご覧いただきます。
組名は「花坂道子嬢股間縛り集」解説は「数々の傑作を過去に於て作成した写真部が、ここに美貌のモデル花坂道子嬢の協力を得てマニア垂誕の強烈な縛り写真の撮影に成功し、ここにその一部を発表することになりました。是非コレクションの一端へお加え下さい。」とのことです。
 これも、当時の手持ち20葉の中からパンティーを着けたものを含めて股間縛りをセレクトすると10枚になったものです。
173-11 はな2-01C 花坂道子b173-11 はな2-01M 花坂道子c1


173-12) (はな2-02)
173-12 はな2-02C 花坂道子b173-12 はな2-02M 花坂道子d1
 

173-13) (はな2-03)
173-13 はな2-03C 花坂道子b173-13 はな2-03M 花坂道子c1
 

173-14) (はな2-04)
173-14 はな2-04C 花坂道子b173-14 はな2-04M 花坂道子c1
 

173-15) (はな2-05)
173-15 はな2-05C 花坂道子b173-15 はな2-05M 花坂道子c1
 

173-16) (はな2-06)
173-16 はな2-06C 花坂道子b173-16 はな2-06M 花坂道子c1
 

173-17) (はな2-07)
173-17 はな2-07C 花坂道子b173-17 はな2-07M 花坂道子c1
 

173-18) (はな2-08)
173-18 はな2-08C 花坂道子b173-18 はな2-08M 花坂道子c1
 

173-19) (はな2-09)
173-19 はな2-09C 花坂道子b173-19 はな2-09M 花坂道子c1
 

173-20) (はな2-10)
173-20 はな2-10C 花坂道子b173-20 はな2-10M 花坂道子c1
 

173-21) (G-09)
 ここからが今回入手した分で、花坂道子嬢だけで10枚あります。写真は"Design"と書かれた、B5サイズの青色の厚紙表紙のノートにきちんと収められていました。各ページの四隅に切り込みを入れて挟み込んであったのです。しかし欠落ページも多く、花坂嬢の部分だけで16頁が切り取られています。したがって元々26枚あった可能性もあるのです。
 各写真はセピア変色しているものの保管状態は良好です。上記20枚より昔のプリントらしく、銀塩がマイグレーションを起こし、暗部が潰れているものもあります。
 早速お目にかけます。まず1956年12月号付録でアナウンスされた、G組の09番。「優すがた」。解説は「自慢のロング・ヘアーをあらわな胸に垂らして、縛られた縄目にうつむき加減の羞らいを見せる道子嬢、太股から脛、指先と大胆に前に投げ出して、今までにないエロチックなポーズでサド・フォトマニアの方々に開陳する優すがた花坂道子嬢。」
 なお、G組は01〜10まで大キャビネ各1枚ずつ10枚。このデザインブックには6枚が入っています。
173-21 G09C 花坂道子b173-21 G09M 花坂道子c1


173-22) (はな4-01)
 1953年3月号に(はな3)と(はな4)がそれぞれ2枚組で発売されました。これは(はな4)のうちの1枚で、19や20と同時撮影分ではないかと思います。
 組名「股間縛り」解説「首縄に胸から二の腕縛り、胸縛り股間縛りとロープがからむ。」とシンプルです。
173-22 はな4-01C 花坂道子b173-22 はな4-01M 花坂道子c1


173-23) (はな3-01)
 組名「ヌード縛り」 解説「芳しくも麗しき惚々するヌード」
173-23 はな3-01C 花坂道子b173-23 はな3-01M 花坂道子c1
 

173-24) (はな3-02)
173-24 はな3-02C 花坂道子b173-24 はな3-02M 花坂道子c1
 

173-25) (はな1-02)
 ここから6枚は、(はな1)と(はな2)。20までに掲載したものとダブっております。ただプリント時期が古く、コントラスト等良いのですが、経年変化もそれなりに起こしております。
173-25 はな1-02C 花坂道子b173-25 はな1-02M 花坂道子c1
 

173-26) (はな1-01)
173-26 はな1-01C 花坂道子b173-26 はな1-01M 花坂道子c1
 

173-27) (はな1-08)
173-27 はな1-08C 花坂道子b173-27 はな1-08M 花坂道子c1
 

173-28) (はな1-09)
 173-28 はな1-09C 花坂道子b173-28 はな1-09M 花坂道子c1
 

173-29) (はな2-05)
173-29 はな2-05C 花坂道子b173-29 はな2-05M 花坂道子c1
 

173-30) (はな2-06)
173-30 はな2-06C 花坂道子b173-30 はな2-06M 花坂道子c1
 以上で花坂道子嬢の大キャビネサイズの写真を終えます。 



172)花坂道子嬢 1956年~58年頃

 しばらく殺伐としたのが続きましたので、懐かしレトロに返りまして、清楚な美人の花坂道子嬢にご登場願います。
 古い写真ですが、変色はありません。原版は6×6だと思うのですが、粒状を気にしてか、ややアンダー露出のフィルムを柔らかな現像処理。これを2号の印画紙に焼いたものらしく、グレーっぽい(10年ほど前に流行った現代写真家の黒白印画紙のような)大手札サイズのプリントです。スキャン時に帯域を狭めたうえ、修整でコントラストを調整しております。

172-1,2,3) DS01 「観念横臥の図」3枚組 1956年8月号
 解説は「後手、高手小手に首縄と厳しく縛しめられた美貌の道子嬢が眉をひそめて観念したところ。蒲団の上に転されてポニー・テイルの黒髪が芳紀十九才の頬にかゝったところは正に落花紛々の風情。」となっております。
 実は、分類について、次項のDS02と同時撮影で横位置5枚と縦位置3枚ですので迷ったのですが、「布団の上に転がっている」写真3枚をこちらに分類いたしました。
172-01 DS-01 花坂M01c1172-02 DS-01 花坂M02c1

172-03 DS-01 花坂M03c1
 

172-4~8) DS02 「乙女の開陳」5枚組 1956年8月号
 前項写真と同時発売の大手札サイズ5枚組。解説は「ひしひしと肌に喰い込む縄目にこらえながら、じっと奥歯をかみしめて、懸命に、前、後、横とさまざまのポーズをとって、十九の乙女の緊縛姿態を余すところなく開陳したコレクシヨン・フォト。」となっております。 
172-04 DS-02 花坂M04c1172-05 DS-02 花坂Mc1

172-06 DS-02 花坂Mc1172-07 DS-02 花坂Mc1172-08 DS-02 花坂Mc1


172-9~15) ES08 「乙女のすべて」7枚組 1956年12月号
 解説は「新人、花坂道子嬢の緊縛ポーズの美しさを御紹介するため、七枚のフォトによって彼女の隅々まですべてをあらわにさらけ出した。」
 ライティングはご覧の通り、真横右側からモデル上半身に向けて、多分250か350Wフラッド。真横左側から下半身に向けて同じ球。カメラマンは膝で立って三脚を低くして二眼レフを上から覗き、その真下に100Wの電気スタンドを置き、それを紐でおち○ち○に結びつけて上げたり下げたり調整しながら撮った。ンなこと無いか。
172-09 ES-08 花坂M01c1172-10 ES-08 花坂M02c1172-11 ES-08 花坂M03c1

172-12 ES-08 花坂M04c1172-13 ES-08 花坂M05c1172-14 ES-08 花坂M06c2

172-15 ES-08 花坂M07c1


172-16,17,18) (ふり)「振袖哀歓」3枚組 1958年12月号
 解説は「振袖衣裳に盛装した花坂嬢を後手、高手小手に縛り上げる。」 
172-16 ふり01 花坂M01c2172-17 ふり02 花坂M01c2

172-18 ふり03 花坂M03c1


172-19,20,21) (まき)「剥がれた腰巻」3枚組 1958年12月号
 解説は「最後に残された一枚の腰巻も無残にも荒々しい手にてむしり取られる。」 
172-19 まき01 花坂M01c1172-20 まき02 花坂M02c1172-21 まき03 花坂M03c1


172-22~26) (きょう)「全裸強烈股間縛」5枚組 1958年12月号
 解説は「一糸もまとわぬ全裸とされた花恥すかしき道子嬢の柔肌に喰い込むきひしい縄目。」 
172-22 きょう01 花坂M01c1172-23 きょう02 花坂M02c1172-24 きょう03 花坂M03c1

172-25 きょう04 花坂M04c1172-26 きょう05 花坂M05c1
いかがですか? 少しは癒されましたか?

 


 


 


 


171) 1965年頃(昭和40年頃)の切腹写真(山原清子・益田みゆき)

 切腹写真の最後の頁となります。171-00 S37年頃切腹袋Cb
 1965年頃発売の山原清子と益田みゆきの切腹写真です。



171-01~10) 「白フン脇差切腹」(ひに)大手札10枚組 1965年3月号
 解説は「白フンドシを勇ましく締めた刺青娘が、豊満な裸身をさらけだし脇差を手にして、キリキリと真白い下腹を切り裂いてゆく有様を刺青切腹ファンのために十枚の組写真として分譲品を加えました。」とあります。
171-01,02,03) 
171-01 ひに01 山原Mc1171-02 ひに02 山原Mc1171-03 ひに03 山原Mc1
171-04,05)  
171-04 ひに04 山原Mc2171-05 ひに05 山原Mc1
171-06,07,08) 
171-06 ひに06 山原Mc1171-07 ひに07 山原Mc1171-08 ひに08 山原Mc2
171-09,10) 
171-09 ひに09 山原Mc1171-10 ひに10 山原Mc1


171-11~15) 組名不詳 山原清子 大手札5枚
 この5枚は入手先が別で、封筒も無く、裏書もありませんが、上記(ひに)と同時撮影されたものと思われます。かつ、1枚目だけが脇差で、残りは短刀ですので、複数の組が混じっているのかもしれません。
 考えられる組名は、短刀の4枚は同時発売の(ひぬ)10枚組、(ひり)10枚組。脇差の1枚が66年1月号の(うた)4枚組、などと考えられます。
171-11,12,13) 
171-11 山原01Mc1171-12 山原02Mc2171-13 山原03Mc2
171-14,15) 
171-14 山原04Mc1171-15 山原05Mc1


171-16~25) 「自刃血まみれ屍体」(えし)大手札10枚組 1966年5月号
 「白褌一本の剌青女性が脇差短刀を用いて下腹から鳩尾にかけて、したたかに切り更に止めの刃を咽喉へ。豊富な血紅を使って切腹と屍体有様を微細に描写した。」と、屍体に扮する山原譲。これだけならまだいいんですが、同時発売で「屍体からミイラヘ」と、ミイラになってしまうそうで、お仕事とはいえお気の毒です。そういえば棺桶に入った写真もありました。65年8月号の(ねか)ですか。
 少しセピア変色していましたので、カラーと修正後の黒白写真を並べます。
171-16,17) 
171-21 えし01山原Cb171-21 えし01山原Mc1

171-22 えし02山原Cb171-22 えし02山原Mc2

171-18,19) 
171-23 えし03山原Cb171-23 えし03山原Mc2

171-24 えし04山原Cb171-24 えし04山原Mc2
171-20,21) 
171-25 えし05山原Cb171-25 えし05山原Mc1

171-25 えし06山原Cb1171-25 えし06山原Mc2

171-22,23) 
171-26 えし07山原Cb171-26 えし07山原Mc1

171-27 えし08山原Cb1171-28 えし08山原Mc1

171-24,25) 
171-29 えし09山原Cb171-29 えし09山原Mc1

171-30 えし10山原Cb171-30 えし10山原Mc1


171-26~29) 「妊孕腹の凄愴切腹」(ほら)大手札4枚組1966年12月号
 解説「実質的には臨月にも比すべき豊満な孕み腹をドキドキとする白刃によって今まさに切り裂こうとする凄惨な妊婦切腹の実写は又と得難い資料を提供するでしょう。」 益田みゆきの妊婦切腹。
 益田みゆきさんは、65年7月にご夫君の責めを受ける形でデビューされました。妊婦腹で67年5月まで(かな組)で58組のモデルをなさいました。
171-31 ほら1 増田Mc1171-32 ほら2 増田Mc1

171-33 ほら3 増田Mc1171-34 ほら4 増田Mc1
 これで、手元にまとまっている切腹写真は全て終了いたしました。

 

170) 1961年頃(昭和36年頃)の切腹写真(大塚啓子)

170-00 S36年頃切腹袋b 続きまして、前頁から7年後。モデルさんは大塚啓子嬢です。


170-01~03) 「大塚啓子血紅切腹図絵」(おせ)大手札3枚組 1961年6月号
 「豊満な白肌に脇差の切先が、ぐさりと突き立てられ、鮮血がじわじわと下腹いっぱいに滲じみ出る悲愴な女体切腹の光景。」と解説されています。縦一文字に切り裂いているのに何故か血紅は横に。十文字のつもりでしょうか?
 ピントやや甘いですがミディアムとアップを上手にまとめています。
170-01) 
170-01 おせ1 大塚Cb170-01 おせ1 大塚Mc1
170-02) 
170-02 おせ2 大塚Cb1170-02 おせ2 大塚Mc1
170-03) 
170-03 おせ3 大塚Cb170-03 おせ3 大塚Mc1


170-04~08) 「悲愴女体自決」(ひい)大手札5枚組
 1962年7月号
 「真白い肌と氷のように輝やく九寸五分の脇差の刃先が、この緊迫した空気を一層冷ややかなものにしている。えいッという絹をさく気合と共に刃は下略腹へぐさりと突きささり思わず「うッ」とのけぞる白い顔。ジリジリと真一文字に臍の真下まで引きまわし、やがて右脇腹まで思う存分に切る。額からにじみ出る汗。左掌にて左の乳房をかかえ上げ、心の臓めがけて、ぐさりと最期のとどめ、最期のとどめとしては、更に両手にしっかと握った刃を、咽喉元めがけて力いっぱい突き立てる悲壮な顔つき、若き女性の自決態勢をあますところなく、露呈した作品。」と長々と解説されています。
 ちょっと写真の順番を間違えたかもしれません。ご自身で想像力を巡らせて入れ替えてください。
170-04 ひい1 大塚Mc1170-05 ひい2 大塚Mc2170-06 ひい3 大塚Mc1

170-07 ひい4 大塚Mc1170-08 ひい5 大塚Mc1


170-09~13) 「自刃悶絶」(せよ)大手札5枚組
 1962年11月号 「
豊満な肉づきをみせている下腹を脇差で掻き切ると溢れる血潮が(血紅使用)臍の下一面をくれないに彩る。今はもう覚悟の切腹であるから、力いっぱい深々と腸に至るまで刃を突き刺し、自刃の恍惚感に陶酔するのであった。腰まで垂れる黒髪の大塚啓子が豊かな姿態をくねらせて、切腹の痛手に悶絶する光景。」
170-09)

170-09 せよ1大塚Cb170-09 せよ1大塚Mc1
170-10) 
170-10 せよ2大塚Cb170-10 せよ2大塚Mc1
170-11) 
170-11 せよ3大塚Cb170-11 せよ3大塚Mc1
170-12) 
170-12 せよ4大塚Cb170-12 せよ4大塚Mc1
170-13) 
170-13 せよ5大塚Cb1170-13 せよ5大塚Mc2


170-14~16) 「祭壇の女体切腹」 (せぬ)
 1963年12月号、大手札3枚組。解説「白布をめぐらした背景、白布をひきつめた台上に、白フンドシ一つの裸女が、いけにえの白い肌を晒して、肉づきのよい下腹を白鞘の短刀で切りさばいてゆく。白一色の中に赤い血が美しく彩り、苦悶に乳房を掴かみ、のどに手を当て、台上にて転々と身をくねらすさまはマニヤの心をゆさぶるでしよう。」
170-14 せぬ1大塚Mc1170-15 せぬ2大塚Mc2170-16 せぬ3大塚Mc2


170-17~21) 「褌裸女血紅切腹大写し連続フォト」 (おお)
 1964年1月号 大手札5枚組。
 「股に喰い込むばかりに、きつくきりりと締め込んだフンドシ一本の臍下を刃先だけを出して白紙で巻いた短刀でぶすりと突き刺し、真一文字にじりしりと切りさいてゆく有様を血紅を用いて迫真的描写。乳房から下、太股から上のアップによって、女体切腹の妙味を最大限に発揮。切腹マニヤの指導による連続五枚の秘蔵品。」
 切腹腹部アップの写真。頁トップの(おせ)から2年半も経っているのに、この妙にエロい褌は同じに見えます。永保ちする褌ですね、オニのパンツみたい。あるいは同時撮影だが、プリントして発売したのが64年だったんでしょうか?
 連続フォトとして見るなら順番が違います。き↓キ,僚腓な?
170-17 おお1 大塚Mc1170-18 おお2 大塚Mc1

170-19 おお3 大塚Mc1170-20 おお4 大塚Mc1

170-21 おお5 大塚Mc1


170-22~26) 「女体切腹血紅使用苦悶表情悦楽篇」 (くえ)
 同年同月発売。大手札5枚組。6×6をトリミングせずに四角く焼いてあるので350dpiでスキャンしてあります。
 解説は「最近益々悦虐の表情の豊かさを見せはじめた大塚嬢が、その豊満なヘソ下を思うままに深々と切りさばき、溢れる血汐を飛び散らせて、凄惨きわまりない切腹ポーズを演じ、苦悶に美しくゆがむ顔面の表情と、痺れるように痙れんする全身肢体の真に迫る表情とをハイスピードシャッターによって刻明に捕捉しました。数多く撮影した中から。特に素晴しいものばかりを選んで提供いたします。この肢体と顔面の表情によって皆様の切腹熱は一段と高まるでしょう。」
170-22 くえ01 大塚Mc2170-23 くえ02 大塚Mc2

170-24 くえ03 大塚Mc1170-25 くえ04 大塚Mc2

170-26 くえ05 大塚Mc2


170-27~38) 「血紅切腹連」 (のせ)
 1965年8月号。大手札12枚組。
 解説は「白く輝く豊満な裸身を惜しげもなく晒して、大勢の人達の前で女が腹を切りさばいて命を自らの手で断つ順序を連続で写真化いたしました。下腹から手まで血だらけにして苦痛にのたうつ女体。そこには女の哀れさと美しさとが、渾然一体となって、マニヤの方々の胸に追ってくることでしょう。」
 事情があって(のせ01~06)(のせ07~09)(のせ10~12)の3つに分けてご覧に入れます。07~09は入手先が違うのです。でも、根本の持ち主は同じだと思います。

170-27~32)
170-27 のせ01大塚Mc2170-28 のせ02大塚Mc1170-29 のせ03大塚Mc1

170-30 のせ04大塚Mc2170-31 のせ05大塚Mc1170-32 のせ06大塚Mc1


170-33~35) この3枚のみ、ネットでの入手先が違っております。でも写真の保管状態などから、多分元の持ち主は同じかただと思っております。
170-33 のせ07大塚01Mc1別170-34 のせ08大塚02Mc1別170-35 のせ09大塚03Mc1別


170-36~38) 最後の3枚です。
170-36 のせ10大塚Mc2170-37 のせ11大塚Mc1

170-38 のせ12大塚Mc2

170-39~41) 組名不詳 
 真刀を使っています。「内臓」もしくは「腸」というのもキーワードです。とするなら、63年8月号の(やい)(やお)(やえ)10月号の(せい12)あたりなんでしょうか?
170-39 大塚04Mc1170-40 大塚05Mc1170-41 大塚06Mc1


 

お役立ちリンク

1.昭和なつかし緊縛写真
 http://blog.livedoor.jp/mrkinbakusyashin/ 
2.昭和なつかし生理帯・月経帯
 http://blog.livedoor.jp/dannamurakami/ 
3.懐かしき奇譚クラブ
 http://nawa-art.com/index.html 
4.SMペディア
 http://smpedia.com/ 
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