コレクションから関谷夫人をピックアップしていて、分からなくなった分があります。
 お一人は、大島照代さんと知れましたが、この人は誰でしょう?
 偐関屋田舎源氏? それとも関谷夫人本人ですか? 皆様のお知恵にすがります。お教え下さい。

 以上のように皆様にお知恵をお願いしましたところ、 随心院様、名和様、GT5500様からご教示頂き、竹野ひろ子と確認致しました。そこで、01枚目から04枚目までの文章を書き換えます。ご教示有り難うございました。

122-01 不明モデル−1122-01a) 竹野ひろ子−1a
 竹野ひろ子のかな組は、62年1月号の(まい)(まろ)の計6枚。おしめカバーガールのひろ子ですが、それは(まろ)で、90頁の4a〜cに掲載済みです。
 英字組は63年1月のZ組、B組と8月のE組に16枚。この写真は3枚組と思われますが、(まい)は「完全に自らの下着をむしり取られて・・・」とありますので、やはり英字組の3枚か?
 誌上グラビアとしては、62年3月号の『嵌口に憑かれて』以下5葉にあたります。








122-05 竹野ひろ子−1b122-01b) 竹野ひろ子−1b
 新たにスキャンしました。上記と同じ時に同じ状態で撮影されたと思われますので、枝番で表示します。














122-06 竹野ひろ子−1c122-01c) 竹野ひろ子−1c
 左乳房の痣がよく見えます。
                           
                           













122-02 不明モデル−2122-02a) 竹野ひろ子−2a
 ここからが、随心院様仰有る、美しき縛め第11集の写真ですね。02,03,04と合わせて5枚在ります。






122-07 竹野ひろ子−2b122-02b) 竹野ひろ子−2b
 これも追加分です。







122-03 不明モデル−3122-03) 竹野ひろ子−3
 さて、問題は竹野嬢の左のおっぱいの乳首上方内側に見える異物のことです。何でしょうか? アザ? 腫物痕?
 このページは関谷夫人と見間違えたモデルさんを掲示しているのですが、間違えた原因はこの痕跡なのです。
 関谷夫人にも、121-04や10、20に顕著なように、左乳の同じところに痕跡があります。後編ではもっと明確に写っています。
 全くの別人の、全く同じ箇所に痕跡がある。名和様はお気づきのようでしたが、不思議なことです。








122-04 不明モデル−4122-04) 竹野ひろ子−4
 これは、ひょっとすると縄ズレ、もしくは縄ダコとでも呼べる、縛られ女優特有の職業病ではないかと思うのですがいかがでしょうか?
 乳ガンじゃあるまいし、乳房の特定部位に出来やすい腫物なんて聞いたことがありません。
 乳房を上下に縛るにしても、亀甲に縛るにしても、ここの部分は常に縄が来るところじゃないでしょうか? 2重縄だと動くたびにおっぱいが挟まれたりして。
 じゃあどうして右側にはないんだ? 股縄を掛けると、そこの部分にもタコが出来るのか? とか、いろいろ疑問が出て参ります。
 女性を縛った経験のあるかたのご意見を、ぜひ戴きたいと思います。
 このページは竹野ひろ子さん9枚。大島照代さん5枚の予定です。





122-08 竹野ひろ子−5122-05) 竹野ひろ子−5
 新スキャンです。
 同じ場所での撮影なのに、随分設定を変えています。上の写真に比べてこちらのほうが撮影時刻が早いのでしょうか?














122-09 竹野ひろ子−6122-06) 竹野ひろ子−6
 新スキャンです。
 これはバックが違って見えます。
 62年5月号のグラビア、「私のよろこび」と同じです。














122-07 大島照代−1122-07) 大島照代−1
 最初関谷夫人と思って分類したのですが違ってました。
 67年7月号でアナウンスされた、大島照代夫人の(しむ) 『牝犬と奴隷の生態』だと思います。大手札4枚組で「肉づきのよい<牝大>、そして如河なる苛酷な命令でも易々として涙をのんで従う<奴隷>の生々しい姿を四葉のフォトによって具さに観察して頂こうと思う。」と解説されています。
 お腹の札はセロテープで貼られていて、ちょっと興ざめです。










122-08 大島照代−2122-08) 大島照代−2
 上記と同じ組でしょう。
 この方のお臍は随分特徴的ですね。曲がって付いているように見えます。
 もし、これらが開股ポーズであれば、3月発売の(そよ)と考えたでしょうが、閉じてますので(しむ)だろうと思います。













122-09 大島照代−3122-09) 大島照代−3
 電気のコードのようなもので縛られています。同月発売の(しく)がそれにあたります。
 ここにアップした5枚の写真は、全て顔が暗く、全体に硬調です。
 67年11月号に、河本光三という人の名で、「大島照代との顛末記」という懸賞告白が載っています。多分内部の人間のフィクションと思いますが、筆者は婦人用生理バンドの行商をしていたことになっています。
 ありましたねー、そういう商売が。市場の横手あたりで、露天でも売ってました。当時は既に黒は少なく、ピンクやブルーでしたが、薬店あたりで売っている最新のネット式ではなく、古風な替えゴム式でした。母子寮というのも在りました有りました。





122-10 大島照代−4122-10) 大島照代−4
 同上です。
 大島夫人は、67年の3月から11月にかけて、かな組を25組も出していらっしゃったんですね。あとはX組が4枚あるだけですが。














122-11 大島照代−5122-11) 大島照代−5
 この下着、印画紙ではゴムのように見えたのですが、拡大してみると腰ひもの部分はバイアスに織り目が見えます。クロッチ部分も布のような風合いが見て取れました。男性用のスポーツサポーターか? はたまた当時最新式の生理用品だったのかも知れません。
 スキャンテクニックを駆使したつもりなのですが、自然な階調を保ちながら顔を明るくしようとしますと、腰の白飛びが救えませんでした。それくらい硬い印画でした。