「おい、猫耳。来年からOB会ブログをドシドシ更新していくことにしたから、お前何か書きなさい」
11月某日、OBが参加して行われたweb会議の途上で、私はこのような指令を受けた。
発言者はもちろん、OB会会長である。
「テーマは自由でいいから」
自由と言われたって困るのだが、その言葉を額面通り受け取り、「自由」というテーマで一文こさえることにする。
11月某日、OBが参加して行われたweb会議の途上で、私はこのような指令を受けた。
発言者はもちろん、OB会会長である。
「テーマは自由でいいから」
自由と言われたって困るのだが、その言葉を額面通り受け取り、「自由」というテーマで一文こさえることにする。
鉄道に関わる中で「自由」ということばから連想されるもの、自由席やフリー切符だろうか。そういえば、先日発売された冬期の青春18きっぷは、制度が大幅に改定されて使いづらくなったと話題になっていた。
青春18きっぷ、思えばかつては随分とお世話になったものだ。北陸回りで新潟を目指し〈ムーンライトえちご〉で東京へ出てみたり、長野経由で新潟を目指し〈ムーンライトえちご〉で東京へ出てみたり、東京から〈ムーンライトえちご〉で新潟に出て一日で南東北を一周してふたたび〈ムーンライトえちご〉に乗ってみたり、……なんか私いつも新潟に行ってるな。
かように人は自由を与えられるとついつい何かに定められた同じ行動を取ってしまうものなのである(そんなこともないと思う)。
兎にも角にも、私は2009年から2013年にかけて〈ムーンライトえちご〉にやたらと乗っていた。中でもよく乗ったのは、千マリの183系。本来ならば上沼垂の485系が来るべきなのだろうが、当時は臨時化された〈能登〉に485系が充てられていたため、〈ムーンライトえちご〉には183系が使われていたのだ。
しかし千マリの183系はお世辞にも快適と呼べるような車両ではなかった。ストッパーが付加されただけであとはほぼ原形の簡易リクライニングシート、当然伸ばすことはできない足元、減光されない室内灯、窓枠から吹きすさぶ隙間風、今思えばよく「あんなの」で眠ったものだなと思う。
ともあれそのような苦行を伴ったとしても、当時の北陸や新潟というのはそれだけ魅力的な土地であった。北陸本線に目を向ければ413系はもとより475系、419系が現役バリバリ。信越本線に転じれば485系から115系、キハ40までが豊富に走っていた。
目を閉じれば今でも当時の新潟駅の喧騒が思い出される。ホームに据え付けられた電車の床下から響き渡る電動発電機の回転音、ポーンポーンと静かに鳴る独特の盲導音、不意に出発を告げる放送がはじまり、電車のブロワが豪快に動き始める……という具合である。
そういえば、2009年頃の下り〈ムーンライトえちご〉は白新線の下り終電と同時に新潟駅を発車していた。そのため、新潟駅から上沼垂信号場まで183系と115系がぴったり並んで走っていたのである。 狭苦しい簡易リクライニングシートに身をうずめていた私は、確かにそれを見た。新潟駅を発ってまもなく隣りの線路を並走して来た白新線の乗客たちがみんなこちらに向かい、手を振っているのを。一人や二人ではない。こちらが速度を上げていき、一両また一両と抜かしていくと、窓ごとに手を振っている人がいる。周りを見やればこちらの車内でも、隣りの列車に向かって手を振り返している人が何人もいた。そうこうしているうちに、上沼垂信号場に差し掛かり、互いに別れて行ってしまった。
思えばあれは金曜日の夜だったかも知れない。金曜日の夜の終電といえばもはや酔客のためにあると言っても過言ではない。みんな良い気分でニコニコしながら手を振ってくれたのだろう。
そんなできごとから15年以上が経過した今、私はかつて幾度となく通った新潟に住んでいる。おそらく新潟に呼ばれたのだろう。白新線の終電にもよくお世話になる。だいたいそういうときはほろ酔い気分で良い気分なので、並走する列車があれば手を振ってやりたいところなのだが、そのような列車は今はもうない。

青春18きっぷ、思えばかつては随分とお世話になったものだ。北陸回りで新潟を目指し〈ムーンライトえちご〉で東京へ出てみたり、長野経由で新潟を目指し〈ムーンライトえちご〉で東京へ出てみたり、東京から〈ムーンライトえちご〉で新潟に出て一日で南東北を一周してふたたび〈ムーンライトえちご〉に乗ってみたり、……なんか私いつも新潟に行ってるな。
かように人は自由を与えられるとついつい何かに定められた同じ行動を取ってしまうものなのである(そんなこともないと思う)。
兎にも角にも、私は2009年から2013年にかけて〈ムーンライトえちご〉にやたらと乗っていた。中でもよく乗ったのは、千マリの183系。本来ならば上沼垂の485系が来るべきなのだろうが、当時は臨時化された〈能登〉に485系が充てられていたため、〈ムーンライトえちご〉には183系が使われていたのだ。
しかし千マリの183系はお世辞にも快適と呼べるような車両ではなかった。ストッパーが付加されただけであとはほぼ原形の簡易リクライニングシート、当然伸ばすことはできない足元、減光されない室内灯、窓枠から吹きすさぶ隙間風、今思えばよく「あんなの」で眠ったものだなと思う。
ともあれそのような苦行を伴ったとしても、当時の北陸や新潟というのはそれだけ魅力的な土地であった。北陸本線に目を向ければ413系はもとより475系、419系が現役バリバリ。信越本線に転じれば485系から115系、キハ40までが豊富に走っていた。
目を閉じれば今でも当時の新潟駅の喧騒が思い出される。ホームに据え付けられた電車の床下から響き渡る電動発電機の回転音、ポーンポーンと静かに鳴る独特の盲導音、不意に出発を告げる放送がはじまり、電車のブロワが豪快に動き始める……という具合である。
そういえば、2009年頃の下り〈ムーンライトえちご〉は白新線の下り終電と同時に新潟駅を発車していた。そのため、新潟駅から上沼垂信号場まで183系と115系がぴったり並んで走っていたのである。 狭苦しい簡易リクライニングシートに身をうずめていた私は、確かにそれを見た。新潟駅を発ってまもなく隣りの線路を並走して来た白新線の乗客たちがみんなこちらに向かい、手を振っているのを。一人や二人ではない。こちらが速度を上げていき、一両また一両と抜かしていくと、窓ごとに手を振っている人がいる。周りを見やればこちらの車内でも、隣りの列車に向かって手を振り返している人が何人もいた。そうこうしているうちに、上沼垂信号場に差し掛かり、互いに別れて行ってしまった。
思えばあれは金曜日の夜だったかも知れない。金曜日の夜の終電といえばもはや酔客のためにあると言っても過言ではない。みんな良い気分でニコニコしながら手を振ってくれたのだろう。
そんなできごとから15年以上が経過した今、私はかつて幾度となく通った新潟に住んでいる。おそらく新潟に呼ばれたのだろう。白新線の終電にもよくお世話になる。だいたいそういうときはほろ酔い気分で良い気分なので、並走する列車があれば手を振ってやりたいところなのだが、そのような列車は今はもうない。

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