朝は楽園

朝は他の時間以上に忙しくなります。シャワー、着替え、食事、子どもの登校の準備を手伝う、などなど。短時間に多くのことをしなければならないので、必然的に一つ一つの動作にあまり時間をかけていられないので、忙しく感じるのでしょう。

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量子物理学者たちにいわせると、素粒子の次元では時間と空間が存在しない側面があるそうです。たとえば、物理的に離れていると思われる二つの素粒子が同時に動き、反応したりするそうです。また、精神世界においても本当は未来や過去などの時間は存在せず、あるのは「いま、ここ」だけであり、またすべては一つにつながっており、究極的には自分と他者とを区別する空間は存在しないと。つまり、より人間の生活の根本的な部分では時間も空間もそもそも存在しないことになっています。さらにいえば、時間は人間がつくりあげた道具であると。

その意味で、朝思わず口走る「時間がない」(no time)というのは真実をついているのかもしれません。もちろん、私たちの意識では「○○をする十分な時間がない」という意味でこの言葉を使っていますが、一方で私たちは無意識に「時間など本来存在しない」といっているのかもしれません。いいかえると、宇宙の意思が私たちの口を借りて、そういわせているのかもしれません。

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私たちが朝時間と格闘しているとき、頭の中では同時に様々なストーリーが作られていきます。「遅れたら、同僚たちに顔向けできない」とか、「遅れたらいい一日のスタートがきれない」とか、「遅れたらイライラしてしまって、仕事にミスが出る」とか、「遅れたら多くの人々に迷惑がかかる」などなど。頭の中は大きな騒音でいっぱいになります。余計なことをする時間がないはずなのに、頭の中ではどんどん余計なストーリーを作り出してしまいます。その結果、感情が高ぶり、様々なネガティブな言葉や行動が表に出たりしてしまいます(例:「早く早く! 遅刻しちゃう! はずかしい!」)。

そんなとき、ちょっと深呼吸して目をつぶって、私は自分の言動の観察者になってみます。すると、結構忙しく動いているようで、実はけっこう無意味な行動もしていることに気がつきました。特に何か考えているときは、別に何をするわけでもなく、ただ歩きまわったり、立ち止まったりしているのです。また、頭の中のストーリーに圧倒されてそれに基づいて子どもやワイフと議論してしまったり。。。。。そういうときにかぎって、時計の針はどんどん速く動いていくのです。

そういう自分に気がついたら、余計な思考はストップします。あるいは、何も考えないようになります。ただ、ひたすら自分のやるべきことを淡々とこなすようにします。すると、結構いろいろなことができて、時計の針もあまり動いていないことに気がつきます。

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よく「朝は戦場」という言い方をする人がいますが、頭の中をストーリーでいっぱいにしてしまうと、まさしく戦場のように殺伐とした気持ちになってしまいます。そもそも頭の中でストーリーを作り上げている正体は自我(エゴ)なので、ストーリーにふりまわされ、気分を害したりするのはエゴの思う壺なのです。エゴの究極の目標は不幸を引き寄せることだからです。不幸や痛みによってエゴは肥大化していくからです。

そんなときこそ、そうしたエゴ、そしてそれがつくりあげたストーリーを観察者として眺めて見ましょう。エゴは溶解していきます。

「そんなこといたって、忙しく騒々しい朝の時間に自分を見つめるなんて悠長なことはできないよ」という声が聞こえてきそうですが、それをいっているのはだれですか? 本当にあなたですか? 実はそれをいわせているのは自我(エゴ)なのです。

どんなに忙しそうにみえても、どんなに騒々しくても、必ず時間や空間のスペース、いいかえれば静寂があります。そこに焦点をあててみてください。自分がいかにエゴによって作り出された思考やストーリーに振り回されていたかがわかります。

特に午後になってある程度周囲が静かになってくると、「なぜ朝はあんなに『凶悪』だったんだろう。本当に自分があんなことをいったんだろうか?」と思うときがあると思います。そのとき、あなたは朝の発言や行動やエゴがつくりあげたものだと気がつきます。そうした認識こそ、本来のあなたの認識だと思うのです。

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朝は騒々しさ・忙しさの中に静寂を発見し、自分の自我(エゴ)を溶解させる訓練をする絶好の場所なのです。この現代社会は多くの忙しさや騒々しさでいっぱいですが、そうしたものにふりまわされていると心の平安を体験できず、様々な苦しいことを引き寄せてしまうことはほとんどの人たちが経験していることだと思います。朝はこうした現代社会が凝縮した時間帯です。だからこそ、自分を鍛えて、本当の自分を発見する時間にしたいものです。

一つ私の経験からいえば、朝みんなが騒々しくなる前に、早起きして、散歩にでかけてみるのです。近くに自然があればぜひそこにいってみてください。MP3プレーヤーとかもっていかずに、ありのままの自然(もし自然がなければ建物でも道路でも犬や猫でもいいと思います)をそのまま感じてみてください。そして、できれば目をつぶって瞑想もしてみてください。そして、身体全体で静寂を奥底まで体験してみてください。いったん静寂が内面に定着すると、そのあとに展開される「騒々しさ」の中でも静寂を発見しやすくなります。心の中の静寂は心の外の静寂も引き寄せるのです。


朝は夢と現実の中間点にあります。朝起きたら夢の中に潜む静寂をリセットしてしまうのではなく、心の中で持ち続けると一日ががらりとかわります。

「朝は戦場」ではなく、本当は「朝は楽園」を発見するためにあるのです。

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さあ、今日も一日がはじまるぞ!
やっほー!

それでは、また。
遠く真夏のオーストラリアより




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