また、岐阜県瑞浪市で女子生徒が遺書を残して自殺した。ここでも現場学校長の発言が二転三転し、「いじめ」による自殺だとは断定できないと記者会見で述べた。遺族との話し合いでは、いじめを認め謝罪したが、プレッシャーで言ってしまったと発言を訂正し混乱が始まった。
何故、きちんと調査し再発防止に取り組まないのか理解できない。
自分(校長)の過ちを認めない態度が昨日の保護者説明会でも露呈している。
生徒のためといっているが、実は自分のため、自分の保身のために認めないと思われる。
このような管理者の下で働く先生たちの気持ちはいかがだろうか?彼らも、自己保身に陥っているのだろうか?
実に情けない態度だと思う。
同じように、履修不足問題も同様だ。この県でも学校長が自殺した報道を聞いたが、残念だ。このことで自分で始末できない行為を正当化することは出来ないと思う。最後まで対策を考え、生徒のために行動することが責任を取ることだと思う。
いかに責任を取らない体制ができているのかと思うとこの国の形が相当疲弊しているようだ。
このいじめなどの報道を見たり聞いたりしているときに遠い昔、会津潘の教育のことを思い出した。会津潘では、1803年(享和3年)藩校「日新館」をつくり、10歳以上の子弟を入校させ学問を学ばせた。また、6歳以上の子弟には、「什の掟」を繰り返し教え、子供たちの成長を促し幕末に会って独特の会津の気風を作り上げた。この「什の掟」は、現在のいじめのはびこる時代に教訓的に問いかけるようだ。以下・・・
一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者におじぎをしなくてはなりませぬ
三、うそをついてはなりませぬ
四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五、弱いものをいじめてはなりませぬ
六、戸外でものを食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
この七つの戒めを毎日唱え、今日はきちんと守ったかを問われ、守れなかった場合は罰があったようです。
こうして、会津の子供は小さい頃から、繰り返し教えられていたということです。
われわれも、この什の掟が、現代の人々に何を訴えているのかを再考することが重要でしょう。
何故、きちんと調査し再発防止に取り組まないのか理解できない。
自分(校長)の過ちを認めない態度が昨日の保護者説明会でも露呈している。
生徒のためといっているが、実は自分のため、自分の保身のために認めないと思われる。
このような管理者の下で働く先生たちの気持ちはいかがだろうか?彼らも、自己保身に陥っているのだろうか?
実に情けない態度だと思う。
同じように、履修不足問題も同様だ。この県でも学校長が自殺した報道を聞いたが、残念だ。このことで自分で始末できない行為を正当化することは出来ないと思う。最後まで対策を考え、生徒のために行動することが責任を取ることだと思う。
いかに責任を取らない体制ができているのかと思うとこの国の形が相当疲弊しているようだ。
このいじめなどの報道を見たり聞いたりしているときに遠い昔、会津潘の教育のことを思い出した。会津潘では、1803年(享和3年)藩校「日新館」をつくり、10歳以上の子弟を入校させ学問を学ばせた。また、6歳以上の子弟には、「什の掟」を繰り返し教え、子供たちの成長を促し幕末に会って独特の会津の気風を作り上げた。この「什の掟」は、現在のいじめのはびこる時代に教訓的に問いかけるようだ。以下・・・
一、年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者におじぎをしなくてはなりませぬ
三、うそをついてはなりませぬ
四、卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
五、弱いものをいじめてはなりませぬ
六、戸外でものを食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
この七つの戒めを毎日唱え、今日はきちんと守ったかを問われ、守れなかった場合は罰があったようです。
こうして、会津の子供は小さい頃から、繰り返し教えられていたということです。
われわれも、この什の掟が、現代の人々に何を訴えているのかを再考することが重要でしょう。