無駄に過ぎ行く日々

ある阿呆の独り言

定点観測

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苦しさが取れてきた。昨晩マッサージを受けたからか。背中の怠さも取れた。ポンコツ車はメンテナンスが大変なのだ。燃費も悪いしすぐ故障する。

朝飯

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買った雑誌 〜 Blues & Soul Records

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やはり買ってしまった

定点観測

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変わらない日々の有り難さよ

焼き飯に焼き鳥

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焼き飯

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串に刺さない焼き鳥

ぜんざい

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届いたCD 〜 KEITH JARRETT

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タイ料理〜快気祝い?

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ピクチャーコラージュを使って複数の写真を1枚にしてみた。2週間ぶりの外食。健康のありがたみを感じた。それにしてもこの初めて入ったタイ料理屋が禁煙だったのは嬉しかった。息苦しさも取れてきた。やっと振り出しに戻った感じ。

磯辺焼き

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新富津の海苔はほんとに美味しいわ。

心肺機能

心配機能を上げないとあかんな。病気の1週間及び病み上がりの1週間ですっかり体力が落ちてしまった。もともと大して無い体力。この落ち方の自覚症状は半端でなかった。やっと外で飲んで美味しいと感じ締めのラーメンも勢いで食べられるようになったがまだまだ本調子ではない。少し歩いたり小走りしたり物を持ったりして筋力アップ及び心配機能の向上を図らねばなるまい。今度家の近くに新しくできる24時間営業の小さなジムに入ろうかなとも思うが、こういうものはどうせ長続きせず、毎月の会費ばかり引き落とされる結果になるのは自明の理であるから(今まで何度、入退会を繰り返してきたことか)、やはり少しでも階段を使ったりなるべく歩いたりしてセルフトレーニングを心がけよう。老化とともに筋力はかなり落ちているし、気力も落ちている。まあ今流行りのマラソンやジョギングもなんとなく自然の摂理に抗ってるように見えるので決して無理をするのはやめよう。これまたどうせ長続きしない。そもそもがグウタラで何もしないことに喜びを感じる性格であるわけだから今さらアクティブになれと言われても無理だろう。いや、これからそういった劇的な変化も訪れるのだろうか。齢とともに頭もどんどん硬くなってきて所謂偏屈な頑固オヤジになれとなっていることは間違いない。自覚はあるがこれまたそう簡単には治せない。決して諦めているわけではないのだが、やはり鉄は熱いうちに打たないと変形したまま錆びてゆくのだ。鉄は放置すれば錆びる。人間とて全く同じである。と、ここまで書いてきてピタッと頭から考えが止まり入力する指も止まった。帰宅してストーブの前でうたた寝をしていて目が覚めたら夜中の3時過ぎ。今すでに朝の4時である。いかに今日はオフとはいえそろそろきちんと寝なければならない。それにしても村上春樹の四年ぶりの新刊は深夜零時に売り出してずいぶん人が並んだらしい。ハルキストと呼ばれる連中は嫌いだが、それほど発売を心待ちにする読者が多いというのは驚きである。ゲームやiPhoneなどを店の前で何日も待つ人たちは見てきたが、小説の発売を深夜零時に解禁してそれをまつような作家が今までいただろうかと思うとそんな人はいなかったと思うし、ある意味社会現象にもなってきた村上春樹。今までとっつきにくくてまともに読めなかったが、前作の「色彩のない田崎つくるとなんとか、、、」は素直に読めたのでまた新作も読んでみようかしら。いや読まないな。上下巻もあり、各巻が1700円もする。みんなどうせ上下巻買うから3400円も払うわけだ。仮に印税が10%だとして340円、100万部売れれば印税収入は3億4千万円ということになる。驚きだ。そんなに面白いのか? やはりへそ曲がりにはハルキストなる気持ち悪い人たちをメディアで見るから余計に抵抗感を感じるのかもしれない。読後に何も残らないような文体は読むことに快感を得る小説なのかもしれないな。まあそもそも小説を読んで何かを学ぼうとか残そうなんて思って読む人はいないのだし結果的にそれが爆発的に売れればそれで良いのだろう。さて、そろそろ朝の5時を迎えて腹も減ってきた。酒も抜けたし眠気も抜けた。やはりジジイは早起きである。

夜飯

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やっちまった。禁断の、、

昼飯

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弁当

写真 〜 野島崎灯台

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以前、バイクで行った時に撮った写真

息苦しい

まだ何となく息苦しさが残る。病み上がりだからなのだろうか。歩いたり階段を登ったりすると息切れがする。救心でも飲むか。

朝飯

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納豆が隠れている。

鯖缶とネギの煮麺

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素麺の温かいバージョン煮麺。サバの缶詰とネギを入れたシンプルなやつ。冬でも素麺は活躍する。素麺は一旦別の鍋で湯がいてザルに上げて冷水で滑りと塩気を落としてから、あらかじめ作っておいた麺つゆの鍋に入れて一煮立ちさせる。素麺は湯がく時間も短くて済むし、夏だけの食べ物という固定観念は最近なくなってきた。

生姜焼き

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たっぷりの生姜をすりおろして醤油とみりんで肉を漬け込んで味付け。炒める時にどこまで炒めて肉と玉ねぎの硬さが程よくなるかが決め手。肉は炒めすぎると硬くなるし。玉ねぎも炒めすぎるとクタクタになるが炒めが甘いと固い。フライパンに入れるタイミングを同じにするのか少しづらすのかどうか。今後の課題だな。キャベツはそろそろ春キャベツが出てきたので千切りよりも炒めたほうが良いのかもしれないが生で葉のまま齧るとかなり甘うて美味しい。これからの季節は春キャベツのパスタなんかも良いだろう。春と言えば、キャンディーズの「もうすぐ春ですね」という歌が頭に浮かんだ。

届いたCD 〜 Johnny Winter

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この一週間

生まれて初めてオンフルエンザにかかってしまった。最初は単なる風邪だと思い熱も平熱なので寝ていたのだが3日めに急激に39度まで体温が上がり驚いた。その晩は氷嚢など押入れから引っ張り出してきて頭を冷やして朝を迎えたのであるが、医者が開くと同時に駆け込んだら、鼻に綿棒のような試薬を突っ込まれてインフルA型の診断。そもそもインフルエンザの人は近くにはおらず、朝の満員電車か、たまたま体がだるいので風邪の引き始めに受けたマッサージ屋がとても寒かったからそこで移ったのかわからない。そもそも風邪なら喉が痛いとか鼻水とと咳とか出るのだが、インフルエンザはそうではないらしい。確かに寒気と頭痛がしたのでパブロンを2日くらい飲んでいたのだが、そんなものは効くはずもなかったわけだ。しかし不思議と38-39度の高熱が出ても歩いて医者に行けるくらいだったし、家では体温計も38度であったのに、医者で体温を測ったら39度と書いてあり自分でも「あら、こんなにあるわ」と驚いてしまったほどだった。医者では他の患者と部屋を分けられて待たされて、診察も先生のデスクではないところで受けさせられた。わざわざマスクをして医者に行ってるのに、やはり伝染する病気は隔離しなくてはならないのだろう。それにしても咳もしてないしそんなに厳重に隔離しなくたっていいじゃないかと少しムッとしながらも家の近所に最近できたばかりのクリニックになんとも疑問を感じたが、先生も若いお兄ちゃんで、へらへら笑いながら「インフルA型ですね」と試薬のインジケータを見せられたが、その見方もわからないから、「あーそうですか」と。そして「もう治りかけですけどね」と意味不明のことを言われたが、後で調べてみたら、インフルエンザウイルスというとは低温で乾燥したところを好み、人の細胞に入って増殖するが、高熱でそれを殺そうとするので、39度の熱が出てるということは、体が必死にウイルスをやっつけているということなので、そんな高温になればウイルスも減ってくるというので、終わりに近いと言ったのかどうか。まあよくわからないが、結局はインフルエンザ発症から5日間は自宅療養という診断書をもらい、薬局に行った。いまはタミフルとかいう薬ではなくて、イナビルという口から吸入する薬を一回吸えばそれで治療は完了になるらしい。薬局に行って薬剤師さんにその吸入薬のパッケージを開いてもらって、1つの吸入薬の1と2の扉の分の薬を各一回づつ吸い、大人の場合はそれを二個吸うので、合計四回大きくその吸入薬を吸って完了。その夜にはすっかり熱も平熱に戻ったものの、やはり全てのウイルスが死滅するまで自宅にこもっていたわけだ。いまこうやって治ってやっと普段通りの生活になって、こんなことも書かけるのだが、実際に病気になってみると、こんなことを書く気にもなれず、ただただ廃人のように何もやる気が起こらず、食欲だけはあるボケ老人のような自分を感じていたわけであるが、ありきたりな言い方ではあるが、普段の健康の有難さをしみじみといま感じている。自分はインフルエンザになんかなるわけないよと豪語してきたし、今までなったこともないし、いったいどうしたことかとおもうのだが、確かに過去に風邪で高熱は出たことがあるが、あれはもしかしたらインフルだったのではないかなんて思い返したりしている。そういや最初に寒気がした日の前日と前々日は家にこもって喉を使うようなことをしていて龍角散なんか飲んでいたのので、その弱った喉が満員電車に漂っていたウイルスに感染してしまったということだろうか。こればかりは未だに不思議であるが、いままでもマスクは嫌いなのでほとんど電車でもマスクはしなかったし、それでも移らなかったということは、やはりこちらの体の抵抗力がかなり落ちていたという証拠だろう。昨晩も湯豆腐を食べてさっさと早寝したのだが深夜に目が覚めてしまったが、こんな文章を書く気になるくらい回復したとも言えるわけで、まずは良かったと思うことにしよう。そもそもインフルエンザなんて誰でもかかる病気であるし、とりたてて騒ぐようなものではない。ただこの一週間は丸々潰れてしまった。諸所に迷惑をかけたことはお詫びをしなくてはならない。それにしても久々にまた混んだ電車に乗ってみると、なんともまあ家畜運搬列車とどこが違うのだろうかという感じで、よくもまあみんなこんな混んだ電車に押し込まれて静かに耐えているなあと思ったし、そうしなければ生きていけないような都会に生きている人たちはどれだけ忍耐強いかということをら感じざるを得ない。金のため?家族のため?出世のため? あんなパーソナルスペースがゼロの、人権無視なような混んだ電車に家畜のように詰め込まれて、いや、家畜ならまだ食肉になるから有用であるが、虫けらが虫かごにぎゅうぎゅう詰めにされたのとどこが違うのだろうかと思えるような四角い動く箱に詰め込まれて、乗り換え駅ではそれらが吐き出されるように出口から出て行く。一つ間違えば足を踏み外して転倒して上から百人の人が乗り上げてきそうな勢いである。よくもまあ1人くらい死んでもおかしくないほど、みんなが我先にと出口に向かうのでドアの人に挟まれた人などは「痛いー!」なんて悲鳴も聞こえてきて、ほんとうに殺伐としている。あれは前に進もうとせず、かえって一歩後ろに下がる気持ちで、押されるくらいの感じにしておくと、絶対に危ない目には合わないのだが、そんなことを全く赤の他人に教えてやることもできず、掃き溜めから押し出されるゴミのように出入り口から今朝も押し出されたのである。そんな人々を見ているととても不埒な考えが頭に浮かぶがそんなことを書いても頭のおかしな人だと思われるから書くのはやめよう。まあ確かにそもそも頭のおかしな人だから何を書いても頭がおかしいので、今更躊躇しても始まらないのであるが、こんな文章も健康に戻ったから書けるのであると思うと、少しは嬉しくなった深夜零時過ぎなのであった。しかし、まだまだ本調子ではないので油断は禁物である。年齢とともに体力も気力も落ちてくることだけは今回実感した。もう全てのことについて無理はできないし、無理をしようとも思わなくなった。それが人からなんと言われようが、自分は自分のペースでしかできないし、人と比較して抜きん出ようとも思わなくなった。これでも昔は少しはそんな気持ちもあったのかと言われるかもしれないが、今でも無いわけではないが、人と比較してもそれは所詮人間が違うわけであるし、その人にはなれないのである。だから人より劣っていることもそれはそれでしかたのないことだと思うようになってきた。そもそも何を持って劣っているのかということ自体が比較するものでもないだろうし、人は人。自分は自分。人にはなれないし自分にも人はなれない。「こうしなければいけない」とか「常識的にこうあるべきだ」などは所詮人が言っていること。自分にはそれが簡単にできないこともあるのだ。決して言い訳をしているのではなくて、それしかもうできないと思うのである。若い頃は周りを気にして(今でも多少は気にしているのであるが)、少しでも普通の人間のように立ち振る舞おうとしてきた。でもそれはやはりできなかったわけであるし、そうやって人の顔を見ながらご機嫌を伺いながら生きることには疲れてしまった。だからと言って「自分がよければそれで良い」とも完全に思えるわけではないが。まだまだ社会と繋がっている限りは、早々勝手なことばかりできないことはわかっている。しかしそれがだんだん年齢とともにできなくなってきていることは確かであるし、その許容範囲も狭まってきている。確かに経済的な余裕があればあんな家畜列車に毎朝揺られて出かけることはないわけであるが、そんな余裕も無いような現状にしてしまったのも自分であると思うと、誰を責めるべきものではないし、それは全て自分に返ってくるわけであって、そうやってつまらない悲哀を感じながら明日も寒風吹きすさぶプラットホームに立っていることであろう。

夕飯は鍋

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夕飯はきのこ鍋を頂いた。午前中から何だか寒気や頭痛や空咳が出るのだが、夕飯は鍋で体が一時的に暖まるものの、やはり何か体温調節機能がおかしいようだ。久々の風邪なのだろうか。熱は無さそうだがこの諸所の具合の悪さはとてもイライラする。早寝して明日の朝には治っていることを期待しよう。わからんけど。馬鹿は風邪ひかないのにどうしたもんか。。

定点観測

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雲ひとつない快晴。寒いが身が引き締まる。昨晩はさっさと22時前に寝たのにまだ眠い。ドドールのコーヒーで目を覚まそうとするも、まだ頭がボーっとしている。朝起きて眠いのはある意味よく眠れた証拠。普通の人は朝起きてもまだ眠いらしい。

風呂上がりに三冷ホッピー

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焼酎の量は70mlと少なめにした。普通は100とか110入ってるらしい。氷を入れない三冷(ジョッキ、焼酎、ホッピーの3つとも冷やした)ホッピー。ビールよりも飲みやすいし腹パンにならない。風呂上がりに熱燗という算段をしていたが、やはり体があったまっているので冷たいものが飲みたくなった。売っているホッピーの瓶にはアルコールは入ってないのでアルコール量は自分で入れる焼酎で調整できるところがホッピーの良いところ。

昼飯

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休みだからといって昼酒はやめておく。昼飯は日本蕎麦のカップ麺で簡単に済ましておいて晩酌は夕方からにしよう。外は風が強いようだ。洗濯物が飛んでいきそうな勢いである。

Blues With A Feelng

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この曲のソロの部分がなかなかねえ、、、

朝飯

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昨日の酒量から考える

昨日は赤ワイングラス2杯と日本酒熱燗300ml(1+2/3合)を飲みました。このアルコール量を出しなさい。算数の問題です。

以下、あるサイトから抜粋:
[ アルコール度数 ÷ 100 ] x 量(ml)× 0.8(アルコール比重) = 純アルコール量(g)
*アルコール比重は、エタノールの0.792gを0.8gとして設定。

そして

ワインのアルコール度数は12%
日本酒のアルコール度数は15%

ワインのボトルは750mlで普通はこのボトルから6杯のグラスに注ぐらしい。と言うことは1杯は125ml。

つまり、

A:ワインは
(12÷100)×(125×2)×0.8=24g
B:日本酒は
(15÷100)×300×0.8=36g
なので昨日の酒量は
A+B=60g(Cとする)

なるほど。60gね。

果たしてこの量はどうなんだろうか。。
またネット検索してみよう。

そして身体がアルコールを消費する時間は体重によるらしい。

D:体重(kg)×0.1=1時間に分解できるアルコール量とのこと。なのでC÷Dが飲んだアルコールの消化時間。D:61×0.1=6.1

つまりC÷D=何時間でシラフに戻るか。

60÷6.1=9.83時間?
これだけ経つと酒が抜けるのか。

昨日は8時頃には飲み終えていたから約10時間足すとして6時か。ということは今は朝の6時過ぎだから完全に酒は抜けていることになる。

というかその前に60gのアルコールは体に適量なのかどうかを調べていたのであったのだ。

まあしかしインターネットにはこんなことをきちんと書いている人もいるわけで、なんでも調べられるこの時代。良いのか悪いのかわからない。こんなことを知らない方が美味しく酒が飲めるのかもしれない。

さらに調べてみた。

ネット検索するとこんなサイトがあった。せせらぎメンタルクリニックというところのサイトである。その中から抜粋すると:

『適量はアルコール20g
限度はその2倍の40g
60g以上は過剰摂取 』

だそうで、さらに抜粋すると:

『純アルコール量20gというのはどれくらいかというと
・ビール・酎ハイ(アルコール度数5%)であれば中瓶1本(500ml)
・ワイン・日本酒(度数15%)であれば1合(180ml)
・焼酎(度数25%)であれば0.6合(110ml)
・ウイスキー(度数43%)であればダブル1杯(60ml)』

だそうである。

てことはやはり1日、酒は1合。
飲んでも2合。3合以上は飲みすぎってことになるのだな。

わかりました。やはりワンカップ大関の300mlくらいにしとけって感じですね。ちなみに昨晩は過剰摂取ギリギリの60gだったわけである。

暇人の算数はこれで終わり。


夕飯

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写真 〜 鉄骨

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ゴホンと言ったら

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これが始まりだったのもしれないな、、、今思うと(2/24記)

昼飯

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正月に残った餅を焼いて富津の海苔を巻いて二個食った。

バーンチェン @秋葉原

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ビーフキッチンスタンドから流れてタイ料理へ。シンハービールを飲みながらメニューを眺める

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パイセンがタイの卵焼きを食べたいとのことで、タイ風オムレツを注文。このフワフワ感は独特だ。

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ガイヤーン。鶏肉の焼いたやつ。

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そしてタイ料理に欠かさない現地でもよく屋台で食べられているソムタム。青パパイヤの千切りを壺に入れてスリコギのデカイやつでポクポクと叩いて繊維をしんなりさせた酸っぱくて辛いサラダ。辛さは半端なかった。これはなかなかお店では食べられない。普通のソムタムとイサーン風のソムタムがあったのでイサーン風にしたが今度は普通のソムタムも食べてみよう。

ビーフキッチンスタンド @秋葉原

アパホテルの一階にできた店。ガラス張りで中の様子が丸見え。知らなきゃ絶対に入らない店だが先輩から安くて良いと薦められたので入ってみた。

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なんとも若者向けの肉バルだが飲み物もつまみも値段は安い。まずは生ビール。

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各地の地酒のワンカップがある。一合でワンコイン以内。燗もしてくれた。ここはビーフステーキが290円。一口サイズより少し大きめだが、なかなか美味かった。写真無し。

朝飯

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ハムエッグと納豆を炊きたてのご飯にかけて。味噌汁は昨日の残り。

3時に目が覚め

それにしても寒い。寒くて目が覚めた。

読んでる本 〜 新樹の言葉

imageだいたいは読んでいたと思っていた太宰治。しかし、たまたま古本屋で見つけてこれは読んでないなと思い、しかも100円だったので買った。短編集であるがなかなか面白い。この人は自分の経験を主人公の名前を変えて書いているだけなんだけどそれが面白いのかもしれないな。小説なんて作り話なんだけれど、それは自分の経験が無ければ書けない訳だし、それをそのまま書けばただの日記になってしまうので、いかに読者に作者の姿を想像させないかにかかっているように思う。そしてそのうち経験した事もないことを、さも自分が経験したことのように書けるのが作家というもんなんだろう。言い換えれば、経験しなくても書けるようになれば作家になれるのかもしれない。と、ここまで書いてきて電話がかかってきた。何を書いていたのかわからなくなってきたのでこれでやめよう。書いた文章を推敲する気もないし誤字脱字も見直すつもりもないこのブログ。恥は書き捨て? しかし恥とも思わないTwitterの呟きのようなものである。Twitterは140文字までしか書けないけれど、このブログは無制限に書ける。それがいいところじゃないかと勝手に思っている。頭に浮かんだことをそのまま文章にできるかどうか。何のバイアスもなくて頭と手が直結している瞬間。ただそのために書いているのかもしれない。。

定点観測

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かなり冷え込んだ朝。昨晩は強い風が吹き荒れていたようで窓ガラスがゴーッという音を立てていた。

朝飯

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納豆を見えるようにしてみた。やはり目玉焼きの下に隠す方がスッキリ見えるのかしら。朝からどうでも良い話。今朝は富士山が見えるね。

夜は蕎麦

image財布を忘れたのでさっさと帰宅。夜はお酒一合熱燗で温奴などをつまみにして最後は乾麺の日本蕎麦を茹でて食べた。昼はコンビニのおにぎり二個だったので今日は炭水化物が多かった。これで1キロは体重が増えてる感覚。明日の朝の体重を当てられるだろう。毎朝デジタル体重計に乗っていると小数点以下の数字まで気になってしまうものだ。61.4とか61.9が多い。少し食べ過ぎると62キロ代になる。そしてあまり食べなかった時には60代の60.9とかになる。つまり1-2キロの増減を繰り返しているが63キロ代になることは稀だ。かつては66キロが平均だったから水泳をやってた時に5キロは落とした計算。まあ身長から110を引くのが平均体重と言われた時代もあったけど、そんな計算は今はしないのだろうか。今はメタボとか言って腹回りが84センチ以上がメタボだと言われるらしいが、それとて身長が高い人と低い人では腹回りに対する比率が違うではないか。あの指数だってやはりおかしいのではないかと思う。そういやリーバイスのウエストは30インチだった。1インチ=2.54センチと言われるから、30×2.54=76.2センチということになる。ん? いつもは79センチくらいのズボンを履いているからジーンズは少し伸びるのか? まあジーンズとチノパンとウールのズボンではウエストサイズもそれぞれ少しづつ違うのかもしれない。昔は82センチくらいの時もあったから体重減とともにウエストも絞れたということだろう。まあどうでも良い話である。さて寝よう。

定点観測

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出かけたのに財布を忘れた。Suicaと千円札しかない1日になりそうだ。そして朝からドトールで220円を使ってしまった。残り780円。しかし昼飯の金があれば良い。今日はさっさと帰ろう。というか帰らないと金が無いし銀行のキャッシュカードも持っていない。そういや昨日の夕方に買い物に出かけた時にデイパックに入れ替えた財布。すっかり忘れて出てきてしまったようだ。ドトールに着いていつものバッグを開けてびっくりした。まあ何とかなるだろう。逆に無駄なものを買わなくて済むのかもしれない。そもそも財布なんて要らないのかもしれないな。Suicaの他にもauウォレットのカードもあるからコンビニでも何か買えるし身軽でもある。これを機に財布の存在を見直そうかとも思う。普段の生活でそうそう至急に金を払う場面も無いだろう。Suicaで電車も乗れるしオートチャージなのでチャージも自然にクレジットカード払いになっているからSuicaが残高不足になることもない。やはりこのSuicaは便利だ。そういやそもそもこのSuicaはJRのviewカードというクレジットカードが付随しているSuicaなのだからクレジットカードとして使うこともできる。しかもVISAも付いているから海外でも使えるわけだ。だからこれ一枚あれば財布は要らないということかもしれない。現金しか使えない店もまだまだあるが、コンビニでもカード払いが当たり前の時代になったことを改めて嬉しく思う朝なのであった。さて、出かけよう。

朝飯

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あと何日これが食べられるのだろうか。。いつもと変わらない朝飯。

よく寝た

昨晩はよく寝た。途中覚醒もなく。たまにはそういうこともある。

煙草の煙

本当に苦手だ。人には会いたいが禁煙の店はほとんどない。ほんの少しの煙でも副流煙を吸っているせいか店に行った後には少し気管支が苦しくなる。好きなお店も喫煙ルームみたいだし困ったもんだ。早くニューヨークみたいに全ての飲食店が禁煙にならないかなと思うが、どうもニュースで見ている限り難しそうだ。2020年の東京オリンピックまでに完全禁煙を目指したい自治体に対してそれを阻止したい飲食店が納得しないらしい。しかしこれだけ分煙も進み、公共の施設やビジネス環境においても禁煙が進み、喫煙者は完全に密閉された喫煙ルームで喫煙することが当たり前の社会になっても飲食店においてそれがまったく進まないのは理解できない。飲みながら吸いたいのはわかるが、すでにライブハウスなどでは禁煙のところも多いし、吸いたくなったら外に出て吸っている人もいるわけで、喫煙者にとってはお店が禁煙になっても吸える場所が外にあればそれほど苦情も来ないだろうし、そのために店に来なくなる人もいないのではないかと思うのだが。まあとにかく自分は副流煙を少しも吸いたくないのでそういう店には行かなければ良いだけなのだが、人と会う時は禁煙の店を探す方が困難であるわけだし、少しは我慢しなければなとも思うが、最近ではそういう店に行った次の日は必ず息苦しくなるのでやはりほんとにダメなんだろう。道路でも歩きタバコの後ろは歩かないようにして走って追い越すことにしている。昔はタバコの匂いくらいは平気だったが、最近ではちょっとした匂いもダメになった。まあ自分のいる場所は禁煙なんだからそれで良いわけであるが。。ちなみに五輪真弓の「煙草のけむり」という歌は大好きな曲である。昔はまさにあの歌詞のような感じの店ばかりで自分もそれに浸っていたわけであるのだが。。時代は変わる。いや自分が変わっただけなのか。よくわからない。

焼きそば

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このところ焼きそばが多いような気がするが、簡単に肉も野菜も採れるから便利だ。マルちゃんの三玉焼きそばはやはり優れものである。キャベツとモヤシは大量に入れたが炒めるとしんなりとするから入れ過ぎぐらいの方が良い。

起床

7:20分起床。よく寝た。三度寝はかなり熟睡して夢はほとんど見なかった。靴下を履いて寝たからなのか。基本的に寝るときは靴下を履いていると気持ちが悪いので必ず脱ぐのだが、ここのところ熟睡して目が醒めると靴下を脱いでなくて履いたまま寝てることがわかった。やはり頭寒足熱なのか。よく女性で冷え性の人は靴下を何枚も重ねて履いているなんてことをテレビで見たことがある。自分もどちらかというと血行が悪いような気がするのでやはり手足が冷えているのかもしれない。両腕の肩から肘の間のいわゆる二の腕がよく冷える。そして両手をクロスして二の腕を抱くようにすると体が温まる。手のひらが暖かく感じるということはやはり手のひらの方が二の腕より体温が高いという証拠だろう。というか二の腕が冷えているということだ。だから自分の場合はダウンベストは意味がない。体の体幹より二の腕の方が寒いからである。どちらかというと腕だけダウンが欲しい。そんなものは世の中に無くそんなものを欲しい人もいないのだろうか。そもそも両腕だけのダウンなんて二本になってしまうしそれをつなげるものは無いわけでミトンの手袋がよく長い糸で繋がっていて一つをなくさないようにしているのと同じように両腕のダウンを肩や首を這わすつなげるものがあれば良いのか。寝起きはいろいろなことを考える。これは多分夢の続きなのだろう。頭がぼーっとして思索することがそのまま指の先から出てこのiPhoneに文章として文字になり打たれている。さて、今日は安息日。何もしない。何の予定もない。それが一番。予定のある生活は平日だけで充分である。この何もない心の安息日をゆっくりと過ごすことにしよう。

小刻み睡眠

どうも早く寝ても一度はすぐに眠りに落ちるのだがその眠りの深さはすぐに浅くなり夢を見てから起きてしまう。やはり睡眠のサイクルがどっかおかしいのだろう。まあ朝までトータルすればそこそこ寝ているとは思うのだが、途中覚醒の回数が多すぎるような気がしてならない。ちょっと前までは早く寝ても夜中の2時くらいに目が覚めてしまい、そこから一度ベッドから出てうだうだと本を読んだりしているとまた4時くらいに眠くなり二度寝をして6時に起きるパターンであったのだが、最近は二度寝三度寝のような小刻み睡眠になってしまい、どうしたもんかなあと思うのである。確かに加齢による夜中にトイレに頻繁に行く話は聞いたことがあるが、自分の場合はそうでもないらしい。トイレで目が醒めるわけではないのだ。単に夢、それも比較的変な夢を見て目が醒める。そしてまた寝て1-2時間経つとまた夢で目が醒める。これはやはり睡眠障害というやつなんだろうかとも思うが、どうせ医者に相談しても睡眠薬をくれるだけなんだろうから、真面目に医者に行く気にもなれない。睡眠専門の医者にでも行けば良いのかもしれないが、まったく眠れないわけではないので、まあこんなもんかと思うようにはしている。まあやはり眠りが浅いということなんだろう。ということはやはり脳に何か問題があるのか。考え事が多くて脳が休まることが無いせいなのかもしれない。もうこんな年齢になって考えても仕方がないだろうとも思うのだが、それはそれでまだまだ人生を諦めていない証拠なのかもしれない。それは良いことのような気もするが、それならそれですぐに実行に移せば良いわけで、考えたところで何も生まれない。考えはあくまでも考えであって脳の中で燻っているだけのものである。やってダメなら仕方がないという当たって砕けろ的な精神は昔から無かった。やる前にあーでもないこーでもないと考えて考えて結局はやらないタイプの人間なのである。やって失敗するのが怖いのだ。そらならやらないで失敗しなければ良いという結論になる。そういえば今までに駄目元で何かに挑戦したことがあるのだろうか。そう考えると思い当たる節がない。自分は何もかもがそこそこできるという小手先が器用なところがあり、何でもすぐに真似やコピーをしてそれができるのですぐに手をつけてすぐに飽きてやめてしまう。まあ物事を舐めてるとも言えるが、それをやっている時はまったくそんなことはなく、それなりに真剣に取り組んでいるのである。しかしある一定の時期が来るとプイッというかプツッという感じでその熱を入れたものが終わるのである。そして何事もなかったかのような自分に戻るのである。「一体自分は何者なのだろう」という疑念が常に湧き上がってきて、度々ひどい自己嫌悪に陥ることもある。自己嫌悪の精神構造について調べてみようかとも思う。自分が嫌になるということはもしかしたらとても崇高な理想の持ち主なのではないか。その理想が高すぎて自分の今の状況がそれについて行けずに自己嫌悪になるのではないだろうか。そうだ。やはりそうなのだろう。現実的に「これでいいじゃないか」とか「こんなもんだろうな」みたいな妥協ができずに自分を責め続けてしまうのかもしれない。ん?「自分を責める」? このワードはそういえば鬱の精神構造だったよなと今気がついた。先日読んだ本『ほんとうに「うつ」が治ったマニュアル』にも出ていたっけ。そしてその脱出法は三つの考え方を唱えることだと書いてあった。「困ったことは起こらない」「すべてはよくなる」「過去は思わない」の三つである。この本の著者はうつになったときにこの三つの言葉をつぶやき続けてうつを脱したそうだ。確かにこの三つの考え方にはネガティブ要素はなく、全てポジティブに考えるということなのだろう。困ったことは起こらないのでありすべてはよくなるのであり過去は思わないのである。まあこんなことを唱え続ければ鬱が治るのであればそれはそれに越したことはないのだろうが、やはり心の病気というのは薬などでは治らなくて、心を治すのは心しかないということなんだろう。生きていれば悩むのは当たり前であり、それが苦悩というものであって、そんなものは誰でも多かれ少なかれ持っているわけで、それをいかに払拭するか、どうやってそれと付き合って行くかしかなくて、悩んだところで何も生まれないという結論に達してあるところでそんな悩みも吹っ飛ぶのだろう。悩みのない人はいないとよく言われる。そりゃみんな何かしらの人に言えない悩みもあるだろう。しかしそんなことに一つ一つ拘っていたら何事も前には進まないだろうし、どこかで諦めないとならない。「人生は諦めの連続だ」とどこかで聞いたことがある。やはり人生は小さな諦めの連続なのかもしれない。大きなところで諦めてはいけないのだろうけれど、小さいものは捨てていかなければそれをすべて引き摺ってしまえば苦悩も止まない。物事の重要性の大小を判断して小さなものから捨てていく。これが重要なのだろう。しかしいまの自分の頭の中では、大きいものも小さいものも、すべてが一つの大きなお盆の上に撒き散らされたような状態になっている感じがする。小さいものから順にお盆の上から取り去ればよいだけなのに、小さなものも大きなものも選別する力が無くなっているのだろう。と、こうやって、思っていることを文章にすることで次第に眠気がやって来る。文章を読んだり書いたりすることで脳が疲れてくるのかもしれない。まあそうやって眠れるのだからそれはそれで良いことなのだろう。何事もポジティブに考えよう。ポジティブとは前向きという意味だ。人生は前に進むしかないのである。後ろには戻れないのだ。だから過去のことをくよくよと考えても何も始まらない。しかし前に進むためにも解決しなければならない問題は残っており、それを解決する方法も同じように大小これまた違うお盆の上に散らばってしまっているのである。。

焼きそばではないふりかけ

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アメ横に行った時ついつい衝動買いした。焼きそばではなくふりかけである。焼きそば味のふりかけなのだろうか。まだ食べていない。

夕食はパスタ

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カレーライスのような盛り方になってしまった。キャベツと玉ねぎと豚肉をオリーブオイルとニンニクで炒めて瓶入りのトマトソースで少し煮込んで茹でたてのパスタにかけて食べた。トマトソースに赤ワインが合う。今日のお酒はワイン2杯だけ。嗜む程度がよろしいようで。

映画 「沈黙」を観た

image遠藤周作の「沈黙」をマーティー・スコセッシが映画化したと聞けば観に行かない訳がない。今日はその映画を観にいってきた。スコセッシは長年にわたりこの原作を映画化したくてやっとそれがかなったみたいなことがどこかに書いてあった。昨年私もこの原作を読んで長崎に行きたくなり、貯まったマイレージを使って旅をしてきた。旅をした時には映画化されていることは知らなかった。過去にも篠田三郎監督が映画化したようだが、TSUTAYAで探したが置いてないところを見ると今回のスコセッシの映画化と権利関係で何かあったのかもしれないな。スコセッシと言えばやはり映画「タクシードライバー」なんだろうけれど、それ以外の作品はほとんど観ていないかもしれない。ブルースに関する7本の映画を全て違う監督に撮らせた、ブルースムービープロジェクトのボックスセットは確かマーティー・スコセッシ製作総指揮だった。そんな有名な監督が長年映画化したかったという遠藤周作の「沈黙」。確かに衝撃的な小説だった。しかしキリスト教の国の人にとっては宣教師の棄教を扱ったこの小説はもっと衝撃的なものだったのだろう。一時期発禁本になったなんて話もどっかで読んだような気がする。さて、映画のほうはどうだったかと言うと、何ともコメントしづらい映画だった。しかし唯一言えることは、全編に渡りまったく音楽が流れていなかったこと。役者が口ずさむ歌と太鼓などの音以外はBGMがまったく入っていなかった。だから波の音や風の音が際立っていたような気がする。映画を見ると涙もろい私もこの映画では涙も出なかったし笑うところもなく、ただただ淡々と話が進んでいって3時間近い長い映画もそれほど長いと感じなかった。モキチ役をやった映画監督の塚本晋也監督の演技も素晴らしかったし、キチジロー役の窪塚洋介も良かった。しかしこの映画のロケ地が長崎ではなく、台湾だと見る前にテレビで知ってしまったことがちょっと興ざめだった。あの風景は全て台湾なのかあと思うと観ていてやはりちょっと気になってしまった。

届いたDVD 〜 CRSSROADS

image気になるタイトルでブルースに関係あるみたいなので検索していたら千円で売っていたのでポチッと。まあそのうち観てみよう。

そういや、このyoutubeを見たから買ったんだったな。

届いたCD 〜 Charls Brown

image知っていそうで知らなかったCharls Brown。
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