2016年12月08日 02:14

オマル・ハイヤーム作 〜 ルバイヤート

image11世紀ペルシヤの詩人オマル・ハイヤームの四行詩(ルバイヤート)である。なんでこれを知ったのかは今となっては記憶していないが、この四行詩の詩集がなかなか面白い。本の表紙裏には「生への懐疑を出発点として、人生の蹉跌や苦悩、望みや憧れを短い四行詩(ルバイヤート)で歌った」と書いてある。この詩集はその四行で書かれた短い詩の数々なのであるが、これが何とも今の時代と何ら変わらない人間の真理をついている。というか21世紀の現代も一千年前の11世紀も、人の営みや悲しみや喜びなんて何にも変わってないんだなと思うし、人間たるものいつの時代でも苦悩がありそれに一喜一憂するから人間なんだと思わずにいられない。

いくつかその詩を紹介したいのだが、この本は480円(税別)だからぜひ買って読んで欲しい気がする。特に酒にまつわることも多く出て来て、何とも共感できることばかりで思わず苦笑してしまう。詩を読むのはあまり得意ではないけれどこれは短く端的に書かれており、ある意味読みやすい。まあ詩もいろんな形があるもんだなと今更のように感慨に浸るのである。それと11世紀のペルシヤにも興味が湧いてくる。私は受験では世界史を選択したが、その当時はまったく興味は湧かなかったが、こういった詩や文学によって、もう一度その時代背景を調べてみようかなと思うのである。

それにしてもペルシヤとは現在のイランの辺りだと思うのだが、イスラム教では酒は禁じられているのに、その当時は酒を飲んでも良かったのか? それともその当時はイスラム教ではなかったのか?。それがとても気になってきた。知的好奇心は尽きない。

この詩を書いたオマル・ハイヤームと言う人はペルシャ人で、今のイラン人の祖先なのかと思うと、彼らに対する偏見も解消されて親しみを感じるのである。イスラム過激派によるテロが頻発する昨今、イスラム教徒とイスラム過激派を同一視する傾向はとても危険であり、本来は単なる過激派の一部にしか過ぎないのに、イスラム教徒全体への差別や敵意や偏見が増幅されてしまっている感じがする。悲しいことだ。どんな宗教を信じていても真面目に信仰している人がほとんどで、過激派はあくまでも少数派の単なる犯罪者であるという認識が必要だろう。

日本においてはまだテロの危険性は薄いとは思うが、欧米で繰り返されるテロには心が痛む。シリアやイラクなどの中東からの難民が大挙してヨーロッパ各地に移民として散らばり、それが各国の経済を圧迫して、移民に対する憎悪や偏見も増長されている。また、過激なナショナリズムやポピュリズムの台頭も心配される。再び第二次世界大戦のようなことにならなければ良いなと思うが、まだ戦争経験者が生きている間はそう簡単にそんなこともないだろうけれど、その経験者たちも今ではかなり少なくなり、生きていたとしてもかなりの高齢になっており、その人たちがこの世からいなくなったら、つまり、戦争を体験したことのない人たちだけの世界になったら、すっかり戦争の悲惨さを忘れてしまい、また同じ過ちを繰り返すような気がしてならない。

歴史は繰り返すと言う。しかしその頃には自分は生きていないだろうけれど、日本も済し崩し的に世界の紛争地に巻き込まれていき、そのうち何らかの紛争や小競り合いに巻き込まれて犠牲者が出ないとも限らない。そもそも閣議決定だけで憲法解釈が変わってしまったことも、とても憂慮される。そんなに簡単に憲法解釈を変えていいのだろうか。そもそも自衛隊が海外に派遣された時には自衛としての武力行使は全く認められていなかったのだろうか。いやそんなことは無いだろう。自分たちだけで無く同盟国が攻撃された時に応戦できるということを付加しただけなのだろうか。そもそも「駆け付け警護」なんて言葉もなんとも安易な言葉に聞こえるが、現地邦人の警護のためには仕方がないのだろうか。それとも戦争に加担するための法律なのだろうか。やはりよく分からない。この、所謂、戦争法案も人が死んで初めて間違いに気づくのかもしれない。

昨晩は酒も飲まず品行方正に夜の9時半に寝たのだが深夜2時過ぎに目が覚めたらこんなことを思いついて書いてしまった。さて、また朝の6時の目覚ましまで二度寝しよう。

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