総評 ■■■■■□□ 5
シナリオ ■■■■■□□ 5
主人公 ■■■■■■□ 6
ヒロイン ■■■■■□□ 5
CG ■■■■■■■ 7
音楽 ■■■□□□□ 3
声優 ■■■■■□□ 5
演出 ■■■□□□□ 3
名作シリーズがまた一つ終わりを迎えてしまったことに例え難い悲しさを感じてしまいましたが、最後の作品に相応しい有終の美を本作品で飾ってくれたことに安堵する気持ちもいっぱいです。やや前作の『1000万人性行為生配信』と比較して良くも悪くも大きな事件が起こらなかったので、『これで終わり?』という肩透かし感はありましたが、それを覆すほどにエピローグの出来とエッチシーンの実用性が素晴らしかったように思います。
まずエッチシーンから述べると『ランチタイムの秘め事』『いとしくて、いとしくて』『ところかまわずどこまでも』の三本構成が凄すぎます。エロゲで味わった事がないような斬新過ぎる構図の前にひたすら驚かされました。『ランチタイムの秘め事』ではよくある屋上昼食イベントをこなした後で、彼女が胸にバイブを仕込んでいたことがわかって、そこから普通の日常が途端に淫靡なものになるそのギャップが堪らなかったです。『いとしくて、いとしくて』は森山しじみ先生は自慰行為の天才だなと相変わらず感じてしまう構図の上手さがありまして、鉄柱に激しく股をこすりつけるどスケベオナニーに目を奪われましたね。『ところかまわずどこまでも』は一つの一枚絵に『PIZR』『後背位バック(前から)』『後背位バック(後ろから)』の三人の桃を張り付ける大盤振る舞いなエッチシーンで、うおおおおおおおおおおっ!と思わず叫んじゃいました。こんな豪華なことされて抜けないわけないだろが!
そしてエピローグの方ですが、Little Sick Girlsシリーズの集大成という意味で本作品の結末はなんとも余韻の残る意義深いものであり満足でした。本作品のエピローグがどのようなものだったかについて述べる前に今までの作品達を振り返ります。
一作目では学園の優等生である恵莉がADSにかかったことで人生が狂わされしまい、罪悪感を心に抱いた主人公は彼女をところかまわず連れまわし、性行為に及ぶことで何とかして治そうします。ADSを治療することに尽力し過ぎた結果彼は倒れてしまうのですが、最後の最後で主人公が寝込んだことがトリガーとなり、彼女のADSは治癒し幸せなエンドを迎えました。
次の二作目ではアイドル活動をしている流林檎編では、流林檎が両親に愛されたことがないことで抱えてしまった苦悩を主人公は知ります。そして心の奥に抱いている承認欲求を満たすために1000万人に性行為の生配信を見てもらうという荒業をもってADSを治療しようと試みました。最終的にその努力は実ります。だけれどもADSに対しては『だってこんなの普通じゃない。病気でセックスする関係なんて、健全じゃないだろ?』と諸悪の根源で憎むべき存在のような見解を依然とっていました。
そして三作目である本作品では今までの作品群とは少し変わった傾向が垣間見えます。エピローグにて主人公が心の中でつぶやいた下記の台詞が、この作品と今までの作品を明確に別ける象徴的な発言だと言える。
『しあわせだ。今の俺たちは本当に幸せだ。この幸せを二人で育んでいけば、きっと、近い将来桃のADSは緩解することだろう。正直、そんなことはどうでもいい。だって、どういうことになろうと、俺たちは変わらないからだ。』
注視しなければいけない大きな相違点としては『桃のADSが治療されきっていないこと』、そして『ADSという存在を肯定も否定もせずに受け入れていること』の二点が挙げられます。今までの作品群でADSの完全治療が作中での一つの到達点として何度も意識させられてきたから、最後の最後でADSは関係ないというオチを持ってきたのは構成として素直に美しいと感嘆しましたし、ADSという疾患に囚われず最後まで自分らしさを貫いた生き方を見せる主人公にはカッコよさがありましたね。
桃ちゃんはLSG『かまって型』が発症してしまったこともあり、ちょっとだけめんどくさい女の子の部分を感じさせてしまいます。『病気だから、お兄ちゃんは恥ずかしいのを我慢して、付き合ってくれてるんでしょう?可哀想だって思っているんでしょう?』と自分を卑下しながらも、病気のせいで我慢できずにセックスを求めてしまう彼女には明らかな悲痛さが見て取れます。だからこそこの作中で桃により何度も述べられることになる『病気だから』という彼への引け目に対して、『病気は関係ない』としっかりとした表明をしてくれることで、彼女の胸のつかえは取れてきっと救われるだろうな…とぽろぽろ滴る桃の涙を見ながら実感しました。
【関連リンク】
シナリオ ■■■■■□□ 5
主人公 ■■■■■■□ 6
ヒロイン ■■■■■□□ 5
CG ■■■■■■■ 7
音楽 ■■■□□□□ 3
声優 ■■■■■□□ 5
演出 ■■■□□□□ 3
名作シリーズがまた一つ終わりを迎えてしまったことに例え難い悲しさを感じてしまいましたが、最後の作品に相応しい有終の美を本作品で飾ってくれたことに安堵する気持ちもいっぱいです。やや前作の『1000万人性行為生配信』と比較して良くも悪くも大きな事件が起こらなかったので、『これで終わり?』という肩透かし感はありましたが、それを覆すほどにエピローグの出来とエッチシーンの実用性が素晴らしかったように思います。
まずエッチシーンから述べると『ランチタイムの秘め事』『いとしくて、いとしくて』『ところかまわずどこまでも』の三本構成が凄すぎます。エロゲで味わった事がないような斬新過ぎる構図の前にひたすら驚かされました。『ランチタイムの秘め事』ではよくある屋上昼食イベントをこなした後で、彼女が胸にバイブを仕込んでいたことがわかって、そこから普通の日常が途端に淫靡なものになるそのギャップが堪らなかったです。『いとしくて、いとしくて』は森山しじみ先生は自慰行為の天才だなと相変わらず感じてしまう構図の上手さがありまして、鉄柱に激しく股をこすりつけるどスケベオナニーに目を奪われましたね。『ところかまわずどこまでも』は一つの一枚絵に『PIZR』『後背位バック(前から)』『後背位バック(後ろから)』の三人の桃を張り付ける大盤振る舞いなエッチシーンで、うおおおおおおおおおおっ!と思わず叫んじゃいました。こんな豪華なことされて抜けないわけないだろが!
そしてエピローグの方ですが、Little Sick Girlsシリーズの集大成という意味で本作品の結末はなんとも余韻の残る意義深いものであり満足でした。本作品のエピローグがどのようなものだったかについて述べる前に今までの作品達を振り返ります。
一作目では学園の優等生である恵莉がADSにかかったことで人生が狂わされしまい、罪悪感を心に抱いた主人公は彼女をところかまわず連れまわし、性行為に及ぶことで何とかして治そうします。ADSを治療することに尽力し過ぎた結果彼は倒れてしまうのですが、最後の最後で主人公が寝込んだことがトリガーとなり、彼女のADSは治癒し幸せなエンドを迎えました。
次の二作目ではアイドル活動をしている流林檎編では、流林檎が両親に愛されたことがないことで抱えてしまった苦悩を主人公は知ります。そして心の奥に抱いている承認欲求を満たすために1000万人に性行為の生配信を見てもらうという荒業をもってADSを治療しようと試みました。最終的にその努力は実ります。だけれどもADSに対しては『だってこんなの普通じゃない。病気でセックスする関係なんて、健全じゃないだろ?』と諸悪の根源で憎むべき存在のような見解を依然とっていました。
そして三作目である本作品では今までの作品群とは少し変わった傾向が垣間見えます。エピローグにて主人公が心の中でつぶやいた下記の台詞が、この作品と今までの作品を明確に別ける象徴的な発言だと言える。
『しあわせだ。今の俺たちは本当に幸せだ。この幸せを二人で育んでいけば、きっと、近い将来桃のADSは緩解することだろう。正直、そんなことはどうでもいい。だって、どういうことになろうと、俺たちは変わらないからだ。』
注視しなければいけない大きな相違点としては『桃のADSが治療されきっていないこと』、そして『ADSという存在を肯定も否定もせずに受け入れていること』の二点が挙げられます。今までの作品群でADSの完全治療が作中での一つの到達点として何度も意識させられてきたから、最後の最後でADSは関係ないというオチを持ってきたのは構成として素直に美しいと感嘆しましたし、ADSという疾患に囚われず最後まで自分らしさを貫いた生き方を見せる主人公にはカッコよさがありましたね。
桃ちゃんはLSG『かまって型』が発症してしまったこともあり、ちょっとだけめんどくさい女の子の部分を感じさせてしまいます。『病気だから、お兄ちゃんは恥ずかしいのを我慢して、付き合ってくれてるんでしょう?可哀想だって思っているんでしょう?』と自分を卑下しながらも、病気のせいで我慢できずにセックスを求めてしまう彼女には明らかな悲痛さが見て取れます。だからこそこの作中で桃により何度も述べられることになる『病気だから』という彼への引け目に対して、『病気は関係ない』としっかりとした表明をしてくれることで、彼女の胸のつかえは取れてきっと救われるだろうな…とぽろぽろ滴る桃の涙を見ながら実感しました。
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