181系
2020年12月04日
181系「はまかぜ」
国鉄色統一8両編成な181系「はまかぜ」の記録から。
・1992.12 魚住〜大久保

智頭急行線が開業する前、阪神地域から山陰へ唯一の特急列車であった「はまかぜ」。定期でも5・6両編成で多客期になれば最大8両編成まで増結。221系「新快速」に追われながら、本線を爆走しておりました。
その後は色も変わり、編成も短くなり。もっと撮っとけばよかったのにと……。
・2006.8.20 豊岡駅

・1992.12 魚住〜大久保

智頭急行線が開業する前、阪神地域から山陰へ唯一の特急列車であった「はまかぜ」。定期でも5・6両編成で多客期になれば最大8両編成まで増結。221系「新快速」に追われながら、本線を爆走しておりました。
その後は色も変わり、編成も短くなり。もっと撮っとけばよかったのにと……。
・2006.8.20 豊岡駅

msyk0914 at 22:56|Permalink│Comments(0)│
2020年12月03日
181系「あさしお」と485系「加越」
1988年正月の京都駅にて。
・1988.1 京都駅

発車を待つ181系「あさしお」を横を485系ボンネット「加越」が入線してきました。
この当時でも定期「加越」は米原始発でありましたが、多客期には「雷鳥」救済のため?に京都まで延長運転されることがあったようで。ともあれ、今思うと涎ものな並びであります。
8両編成の長い181系。走る姿も記録したかったもので……。
・1988.1 京都駅

・1988.1 京都駅

発車を待つ181系「あさしお」を横を485系ボンネット「加越」が入線してきました。
この当時でも定期「加越」は米原始発でありましたが、多客期には「雷鳥」救済のため?に京都まで延長運転されることがあったようで。ともあれ、今思うと涎ものな並びであります。
8両編成の長い181系。走る姿も記録したかったもので……。
・1988.1 京都駅

msyk0914 at 22:27|Permalink│Comments(0)│
2020年12月02日
181系「かにカニエクスプレス」
暦も12月。師走となりました。
・2005.2 大阪駅

半ばこじ付けな感もありますが、冬と言えば蟹(カニ?)の季節でもあります。例年、JR西では「かにカニエクスプレス」と銘打った旅行プランの販売やそれに合わせた臨時列車の運行もありました。ただ、流石の今年はそんな臨時列車の運行はないようで……。
掲げた画は、2005年2月に記録した181系「かにカニエクスプレス」。大阪駅に響いたDML30HSエンジンのアイドリング音が懐かしく。
こんな列車に乗って蟹(酒)旅行へ行きたいものであります。
・2005.2 大阪駅

半ばこじ付けな感もありますが、冬と言えば蟹(カニ?)の季節でもあります。例年、JR西では「かにカニエクスプレス」と銘打った旅行プランの販売やそれに合わせた臨時列車の運行もありました。ただ、流石の今年はそんな臨時列車の運行はないようで……。
掲げた画は、2005年2月に記録した181系「かにカニエクスプレス」。大阪駅に響いたDML30HSエンジンのアイドリング音が懐かしく。
こんな列車に乗って蟹(酒)旅行へ行きたいものであります。
msyk0914 at 22:32|Permalink│Comments(0)│
2020年05月04日
四国の181系〜1988年夏
1988年夏の記録から、四国の181系気動車を。
・1988.7 高松駅 : 白黒なのが残念……

その年の春に開通した瀬戸大橋。橋を渡ることがブームとなり、多くの利用者でJR四国も賑わっておりました。
しかしながら、2000系気動車は登場前、電化されていたのは高松周辺のみの状況。本州・岡山乗入列車を含め、特急は国鉄車181・185系での運行でありました。そして181系には、この多客期を乗り切るためにJR西・向日町所からの借入車も運用入りし、混色編成も走っておりました。
JR化から1年余り。そんな融通も利く時代でありました。
・1988.8 岡山駅

・1988.7 高松駅 : 白黒なのが残念……

その年の春に開通した瀬戸大橋。橋を渡ることがブームとなり、多くの利用者でJR四国も賑わっておりました。
しかしながら、2000系気動車は登場前、電化されていたのは高松周辺のみの状況。本州・岡山乗入列車を含め、特急は国鉄車181・185系での運行でありました。そして181系には、この多客期を乗り切るためにJR西・向日町所からの借入車も運用入りし、混色編成も走っておりました。
JR化から1年余り。そんな融通も利く時代でありました。
・1988.8 岡山駅

msyk0914 at 21:02|Permalink│Comments(0)│
2018年11月21日
電化直前.181系「あさしお」を
保津峡で記録してから7 年後。山陰線の電化が福知山まで延伸し、181系「あさしお」など気動車列車の運行が廃止となりました。その直前1週間程前であったか?山家近辺で記録しておりました。
・1996.3 綾部〜山家

原色な181系「あさしお」・黄緑なキハ47とキハ58の普通列車に183系の試運転列車もやってきました。キハ58「丹後」も記録したはずでしたが……。
20年以上経過し、ここを走る車両は様変わりしました。周りの景色も変わったようであります。
・1996.3 綾部〜山家


・1996.3 綾部〜山家

原色な181系「あさしお」・黄緑なキハ47とキハ58の普通列車に183系の試運転列車もやってきました。キハ58「丹後」も記録したはずでしたが……。
20年以上経過し、ここを走る車両は様変わりしました。周りの景色も変わったようであります。
・1996.3 綾部〜山家


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2018年11月20日
切替直前.旧線の保津峡にて
掘り出し画像より。確か昭和64年のお正月。山陰本線・保津峡界隈の旧線記録に行っておりました。
・1989.1 保津峡駅

2018年現在、この旧線は ” 嵯峨嵐山トロッコ ” として観光列車が運行されております。とは言え当時は立派な本線区間であり、181系「あさしお」をはじめとした各種気動車が行きかっておりました。
中でもキハ58の長大編成が盛大に排ガス巻上げて発車する光景にも興奮を覚えたもので。
・1989.1 保津峡駅


この記録の2ヶ月後。”上” の画にも写りこんでいるトンネル主体の新線へ切替えられ、今では221系や287系が取って代わりました。
昭和の最期に記録した昭和の鉄道風景であるかと。
・1989.1 馬堀〜保津峡

また気動車に乗ってみたくなりました。
・1989.1 保津峡駅

2018年現在、この旧線は ” 嵯峨嵐山トロッコ ” として観光列車が運行されております。とは言え当時は立派な本線区間であり、181系「あさしお」をはじめとした各種気動車が行きかっておりました。
中でもキハ58の長大編成が盛大に排ガス巻上げて発車する光景にも興奮を覚えたもので。
・1989.1 保津峡駅


この記録の2ヶ月後。”上” の画にも写りこんでいるトンネル主体の新線へ切替えられ、今では221系や287系が取って代わりました。
昭和の最期に記録した昭和の鉄道風景であるかと。
・1989.1 馬堀〜保津峡

また気動車に乗ってみたくなりました。
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2018年02月09日
シュプール白馬・栂池〜65系リゾート&181系
489系「白山」を記録した際、倶利伽羅トンネル付近でも記録しておりました。
トンネルめがけて勾配を登ってきたのは、キハ65「エーデル」「リゾート」の6両編成。当時盛んに運行されていた「シュプール号」の返却回送でありました。今、この場所で撮影しようものなら……。
・1990.12 石動〜倶利伽羅

キハ65が充当されていたのは、大糸線に乗入れる「シュプール白馬・栂池」。この系統には赤い14系客車が主として充当されておりましたが、週末や連休ともなればキハ65や181系をも借り出しての増発がなされておりました。
しかしながら、お客でもあるスキー客の動き(旅程)に合わせる形で往路・復路の運行日は不規則なものであり、白昼の北陸本線を回送で走ることもあったかと。
その数少なかった機会、新疋田でも181系と合わせて記録。今思えば、凄い光景であります。
・1990.3 敦賀〜新疋田


トンネルめがけて勾配を登ってきたのは、キハ65「エーデル」「リゾート」の6両編成。当時盛んに運行されていた「シュプール号」の返却回送でありました。今、この場所で撮影しようものなら……。
・1990.12 石動〜倶利伽羅

キハ65が充当されていたのは、大糸線に乗入れる「シュプール白馬・栂池」。この系統には赤い14系客車が主として充当されておりましたが、週末や連休ともなればキハ65や181系をも借り出しての増発がなされておりました。
しかしながら、お客でもあるスキー客の動き(旅程)に合わせる形で往路・復路の運行日は不規則なものであり、白昼の北陸本線を回送で走ることもあったかと。
その数少なかった機会、新疋田でも181系と合わせて記録。今思えば、凄い光景であります。
・1990.3 敦賀〜新疋田


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