2013年08月21日

3年ぶりの里帰り。

2013/8/11〜21 全て晴

【往】8/11 関空発⇒(経由)台北⇒香港 8/12⇒アジスアベバ(エチオピア)⇒(経由)リロングウェ(マラウイ)⇒ブランタイア着
8/12〜13 ブランタイア(マラウイ)
8/14〜15 ケープマクレア(マラウイ)
8/16 リロングウェ(マラウイ)
8/17〜19 ルサカ(ザンビア)
【復】8/19 ルサカ発⇒アジスアベバ(エチオピア)8/20⇒ 香港 8/21⇒関空着

(今回はエチオピア航空でエチオピア経由。)
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トラブル多く、アフリカを思い出す。
交通機関、ブッキングはなんだかんだできちんと機能し、旅程が守れただけ良しとしよう。

【各種トラブル】
・ブランタイア到着時、荷物がロスト。
⇒翌日夜に無事に受け取れた。

・携帯の充電ができない。(チャージマークが表示されず、充電できていないと思っていた)
⇒空港職員、警察、BLM(元職場)の人たちにヘルプを求めたが、結局自己解決。普通にしばらく充電しておけばチャージマークは表示され、電源も入った。

・ブランタイア−ケープマクレア間の移動に13時間。(待ち時間含む)
⇒バスが遅い。モンキーベイからの最終マトーラに乗る人が多すぎ&力不足。ひさびさに乗客皆で車を押す経験などもし、なんとか20時には到着。

・リロングウェ−ルサカ間のバスが想定外。
大型バスの直行便を想像していたが、身売り方式の乗り継ぎ。以下のように乗り継ぎ、お金も流れていく。
リロングウェからムチンジボーダーのイミグレまでの中型バス、イミグレからザンビアのチパタまでタクシー、チパタからルサカまで大型バス。
よくよく考えたら確かに大型バスを出すほどマラウイからザンビアに行く人がいるとも思えない。最初は戸惑ったが、当然か。

・原因不明の発熱。
⇒体温計を持っていなかったが、過去の経験より寝とけば治るレベルだと判断できたため(関節痛、寒気も全くなし、食欲有)、ひたすら眠って翌日には回復。

・関空の税関で個別検査される。
「アフリカへ観光」というだけで別室に連行され荷物検査される。何回も「観光ですか?」と聞かれたことから、個人の観光旅行でアフリカに行くこと自体が少ない上に荷物が多かったこと、さらにアフリカからだと知らず知らずのうちに変なものを持ち込むリスクが高いためか。もちろん無事に開放される。

総じて、相変わらず交通機関のトラブルが多いが、それも含めての里帰りみたいなもの。

帰国から3年ほど経つが、昔住んでいたブランタイアの街ではまだ自分のことを覚えてくれており、名前で呼んでくれる人たちが大勢いる。
職場の人はともかく、その辺の街中で暇そうにしている人やら、ミニバス乗り場、土産物街、マーケットの人たちがよく覚えていてくれる。
相変わらずこちらからすれば友達かどうかもわからない人が大勢いたが、これはうれしかった。
が、相手をしすぎて疲れた。(チェワ語だし。)

そして、到着したブランタイアの空港からバスデポ、ケープマクレア、リロングウェ、いたるところでわからないことはその辺の人に尋ねるが、常に親切に教えてくれる。
しかも、正直。
他の途上国では騙されたり危険を感じることも多々あるが、何とも平和なマラウイは相変わらず。

ブランタイアやリロングウェの街は多少変われど、人は全く変わらず。
マラウイの良さは初めてマラウイを訪れた嫁の一言に集約される。
「マラウイの人たちはこのまま変わらんといて欲しいなあ」

「The warm heart of Africa」という言葉で形容されるようにマラウイの良さは人。
途上国開発が進む一方で、いつまでもマラウイの良さは変わらないで欲しいと願うばかり。

また、再訪前には「3年」という結構な時間経過を自分自身では感じていた。
が、マラウイの人たちは会う人会う人結構あっさりと「最近いなかったな?どこに行ってたんだ?」くらいの感覚で接してくれる。
話していて気付いたが、日本ほど目まぐるしく日々の生活を送っていない彼らにとっては同じ「3年」という時間経過も自分とは違った感覚らしい。

それが良いのか悪いのかで言うと難しいが、再訪により発見した明らかな社会の違いによる感覚の違い。
日本は忙しすぎるし、マラウイはのんびりしすぎている。ほどほどが一番か。

(ブランタイアのマーケット付近。)
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(モンキーベイのバオバブ群)
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(マラウイ湖での日常。)
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ルサカに移動して驚いたのは目まぐるしい発展。
自分が以前に訪れたのは3年数ヶ月前。
ショッピングモールの多さに道路の広告ディスプレイにさらに新しいビルの建設ラッシュ。
マラウイのブランタイアやリロングウェよりも明らかに発展の度合いが大きい。
このところの経済成長率は6%程度。安定した経済成長の証か。
やはり地下資源がある国の発展は違う。
それとともに目立つ中国資本。
前々からあったのだろうが、地下資源を狙う中国の貪欲な部分もひさびさに肌で感じた。

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(中国資本でルサカに大きなスタジアム建設中。)
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3年前の帰国時にマラウイの人たちと何気なく約束した「結婚したときに嫁と戻ってくる」との言葉。
いろんなタイミングが合って今回実現できた。
約束を守ることができて本当によかった。

しかし、そうは言えどもひさびさのアフリカ。
10日間という期間では本当に最低限の日程。さすがに疲れた。
行くならやはりもっと余裕を持った時間がないと移動だけで疲れる。

そして、最後に。
アフリカへの新婚旅行はよほどの気持ちが無い限りおススメできないと思った。。。

Zikomo kwanbili. Tinasangarara ku bveraso ku malawi.



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2010年07月01日

旅の終わりに最後の日記。

7月1日 曇後晴 Tokyo→Kagawa(Japan)

やっと帰省。
帰国してからずっと続いているどんよりとした東京の空は今日も相変わらず。
(朝の羽田空港。)
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そんな中、羽田空港から香川まで。

2年ぶりの故郷、香川県。

先週、成田に降り立った時と同じく、真っ先に嗅覚に故郷を意識させられる。
東京の無機質な匂いとは変わって、潮の香りと山の香りが混ざったような複雑な匂い。
実際、何とも言いがたいのだが、直感的にそう感じる。

(昔から瀬戸内式気候で雨量が少ないため、ため池の町でもある。)
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到着した高松空港からはバス、電車を乗り継いで実家の最寄り駅まで。
今度は駅に降りたとたんに水田の匂い。
懐かしい匂いに四季を感じざるを得ない。

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荷物が大きかったのでタクシーを使おうかとも思ったが、歩いて家まで帰る。
若干距離はあるが、急ぐことも無い。

田んぼのあぜ道を通ってとことこ歩く。
初夏の青々とした田植え後の苗。
田んぼに張られた水とその中に生きる小動物たち。
用水路の流れと水の音。

湿気と日差しで汗は流れるが、周りの自然が気持ちに心地良さを与えてくれる。

『家に帰るまでが協力隊だから』と言われた日々も終わり。
2年間のマラウイへの旅の終わり。

振り返れば長かったようで短かったような。
ここではもう毎日チェワ語でしゃべることも無ければ、生活の全てにおいて交渉をすることも無い。
苦労してマーケットで野菜を値切って買うことも無ければ、買おうと思えば季節問わず何でも手に入る。
晩御飯を作ろうとする時間帯に限って停電することも無ければ、水道がしばらく止まってお風呂にも入れないということはまず無い。
ありえない額の電気代、水道代の不当請求に電気局、水道局でぶち切れることもない。
道も車もきれい。使おうと思えば飛行機での移動でさえ簡単にできる。

駅から家まで歩きながら、ずっとマラウイから履いてきた靴を見て気がついた。

『靴がきれいになっている。』

マラウイで毎日歩けば歩くほど、砂埃で茶色くなっていた靴。
よく、マラウイのみんなに「洗え」と言われた靴。
仕事の都合もあったのだが、本当によくマラウイ中を旅した。
当然、マラウイからそのまま帰ってきたので靴も汚れたままだった。

しかし、今日見ると靴はきれいになり、靴底に近いほうは砂、泥の汚れが落ちて白さを取り戻している。
日本はアスファルトの道ばかりなので、歩けば歩くほど知らず知らずのうちに砂や埃が落ちていったらしい。

同じように、まだまだマラウイにある気持ちが、日本での暮らしの中で日本に染まっていくのだろう。
そうやって時とともにマラウイ生活に対する実感は思い出へと変わっていくのだろう。

とにかく、マラウイでの貴重な2年間。
嬉しいこと、楽しいこと、ムカつくこと、苛立つこと、辛いこと、本当にいろいろあった。
しかし、それは夢のような、幸せな時間だった。
そんなに感情を表に出して生きていい環境があることを知った。
確かに言葉で伝えられない感情を伝えるためには本能的にそうするより仕方がなかったのだが、本来、感情に素直に、シンプルに生きる人たちに混ざればそうなってしまう。

まだまだ、日本社会復帰に抵抗を感じることも多く、マラウイに帰りたいと思うことも多々あるが、この経験から自分が日本、日本社会、日本人を客観的に見ることができるようになった。
マラウイと日本、比較すればキリが無いし、当然、どっちが良いという議論は不毛だ。

とにかく自分は日本人だ。
これからの人生において、この経験をどう生かせるか、今後、日本社会で生きる中でしっかりと考えていくしかない。

そして、またいつか、皆との約束を果たすために必ずマラウイの地に。
それまでは皆に恥じないように生きていこう。
マラウイの人たちも、何があってもあっけらかんとたくましく、いつもと同じように生きているに違いない。

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Ine, Ndina sangalala ku kala ku Malawi ndi ku ona nonse ku Malawi.
Zikomo kwanbili. Tawonga chomene.
Ndiku funa zabwino zonse ndi kusangalala yanu. Tizaonana.
Basi!


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2010年06月30日

復職に向けて。

6月30日 曇時々晴 @Shinjuku(Japan)

朝9時過ぎ。起きたらもうこんな時間。
AM10時から復職についての面談をするために品川に向かわないといけない。

「新宿−品川間は30分くらいかかったか?」と思いながらとにかく急いで準備をする。
ひさびさにスーツを着る。
マラウイに持っていったが、結局一度も着ることがなく持ち帰ったスーツとシャツ。

やはり、スーツにネクタイを締めると気持ちが締まる。
自分が社会人だったことを意識させられる。

AM9時半過ぎ。
ホテルを出て新宿駅から品川まで向かう。
予定は遅れてしまったが、10時ちょうどくらいには品川まで着きそう。

寝坊で遅刻とは社会人として失格だ・・・と思いながらも、実際まだ残っている時差ぼけとカルチャーショック。
夜は明るいし、テレビ番組も夜通し、インターネットも無料で接続し放題。
お店も深夜も閉店しないし、実際、いつが寝る時間なのかわからなくもなってくる。

そうやって日本人の不規則な生活は自分たちの良くも悪くも現代のカルチャーによって作られている、と実感する。

予定通りAM10時に品川駅まで到着。
会社は品川駅からすぐなので数分で到着する。

到着後、すぐに所属部署のフロアまで行きたいところだが、とりあえず向かった先は自社の受付。
なぜならセキュリティカードもなく、自力でオフィスに入れない。
それ以前に所属部署がどのフロアのどの位置にあるかすらわからない・・・。

受付ではぎこちない会話。
自社の受付で、「ここの社員なんですが、所属部署の部長を呼び出してください。」とは確かに不自然過ぎる。
下手をすれば怪しまれかねないので、一応、事情説明はしておいた。

そして、ひさびさに向かったオフィス。

第一印象は、「変わったような、変わってないような。」

実際、オフィスを離れて2年と4ヶ月ほどになる。
座席表をチラッと見ただけで確認できたが、人の出入りはいくらかあったようだ。
その後の部長との会話の中でもあったが、契約社員の方々の席は明らかに無くなっている。
そこに不況の影は明らかに感じられた。

そして、部長との面談。
マラウイの話をしながら。生活の話、仕事の話など。
ちょっと真剣にマラウイでの仕事の話をした後、本題の復職について。

実際、元と同じように働くことに対しての迷いもあった。
出来ることなら2年間のボランティア経験を直接的にキャリアに生かすために、転職、異動ということも思慮に入れたいと。
しかし、実際、土壇場になると、少し昔と同じように働いてみても良いかと思う自分がいた。
とにかくどうなるかわからないけど、今までと同じような仕事にもこれまでとは違ったテイストが今なら出せるかもしれないと。

とりあえず、やってみてそれでもまだ違った方向に進みたければそれはまたその時だと。
元々楽観的な性格ではあるが、それで後悔したことはない。
もう少しだけ自然に身を任せてみようと思った直感を信じてみたい。

そして、復職の日にちを決め、最低限の事務手続きでお昼。

お昼に人に会う約束があったので新宿に戻る。
13時に約束していて、12:50に到着。
しかし、問題は自分が携帯を持っていない。
さらに、相手の携帯電話番号を聞いていたが、そのメモを忘れた・・・。

「もしもの場合は連絡のとりようが無いなあ」とは思っていたが、まさかその「もしも」が起ころうとは。
13時過ぎても相手が現れず、うろうろしつつ、缶コーヒーなど飲みつつ13時半。

・・・まだ現れず。

しかし、待ち合わせ場所は向こうが指定してきたので間違えないだろうし、さてどうしたものかと思っていたらお相手が到着。

「まだ待ってた!」って。
「おいおい、こらこら・・・。」そりゃ、突っ込みも入れたくなる。

お相手は日本での研修中に語学のクラスが同じだった妹みたいな彼女。
何がどうなのかわからないが、気がついたら一番の仲良しさん(らしい)。
というか、おそらく考えていることや性格が似ている。
なので、現地に行ってからも事あるごとに肝心なことは相談するようになっていたし、自分も妹みたいな彼女のことを気にかけていた。

そんな彼女と帰国後ゆっくり話をする機会を持ちたいと思いつつ約束したのだった。
実際、40分ほど待たされたわけだが、とにかく待ってでも会えてよかったと思う。
いろんな話を聞けたし、今後の楽しみもできた。

帰国してすぐのころは明らかなカウンターカルチャーショックで精神的に凹んでいたこともあったが、今日、職場に行って職場の人たちに会ったり、妹みたいな彼女に会ったり、今後のことを考えると明らかに元気が出てきた。
確かに不安も少しはあるが、今の気持ちは4月の新生活を向かえる期待と不安が入り混じったような新鮮な気分。

これからまた新たなステージをできるだけ楽しみたいと思う。
無理なら無理で、また新しいこと考えれば良いわけだし。
(品川駅も変わっていた。こんなモニターがたくさんついてなかった。)
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2010年06月29日

日本で働くための準備。

6月29日 曇 @Shinjuku(Japan)

本日は帰国時プログラムの3日目、キャリアパスセミナー。
いわゆる、2年間のボランティア経験をどう次のステップに繋げていくかという具体的な話。
「具体的な」=「就職」につながっていく。

実際、退職後に協力隊に参加している人も多く、これらの人たちの再就職と、そこに国際協力をどう絡めていくかについてのヒントについての講座。
結局、JICA関連の職を目指すとしても、企業で働くにしても経験から何かしらの専門性を見出して強みにしていく必要がある。
その専門性も現実的に考えていくことが第一条件。
また、長期スパンで考えることも重要。

とりあえず、自社に復職しようと思いながら、客観的に話を聞いていた。
また、細かいところでは、過去の就職活動時に行った自己分析を再度行ってみるのも面白そうかと思った。
過去と今では多少なりとも自分に変化があるだろうと思うし。

ちょっとした転機を迎えたときだからこそ、そういう必要もあるかと思う。

また、教員を目指す人用の講座にも参加。
教員になるなんて考えたこともなかったので、普段聞くことのない話も聞いて興味深かった。
ただ、やはりただの知識としてのみの興味・・・。

そして、お昼過ぎに全ての講座が終了。
これで帰国時プログラムの全てが終了。
最後はあっけないもんだが、協力隊としてのプログラムは全て終了したことになる。

午後から自社に出向く予定。
復職についての話を進めるため。

しかし、その前に少しゆっくりとした昼食。
帰国後プログラムの終了とともに帰省してしまえば、これまでマラウイに行くときから一緒、帰国時に一緒に帰ってきたマラウイ同期隊員とも一旦これでお別れ。

その前に少しマラウイ時代の話も思い出しながら一緒に昼食をとる。
もともと男だらけ6人の隊次、一緒に帰国した3人ももちろん男同士。
少し感慨深いものもあるが、どうせまた会おうと思えば会えるだろうからと「じゃ、また」といつものようにあっさりお別れ。

そして、いよいよ復職の話をすべくひさびさに自社に向かおうと電話。
すると、どうも上司との時間が合わず、結局明日に持ち越しになった。。。

さて、とうとうJICAボランティアの立場から普通の社会人に戻ろうとしている。
実家に着くまでが協力隊とも言われるのでもう少し気は抜けないのかもしれないが、それもあと少し。
少しずつ気持ちを切り替えて準備する必要があるのかな。

(帰国後、2年ぶりの日本で最初に買ったものは・・・これ。)
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2010年06月28日

これも一種の帰国後ショックか。

6月28日 曇時々晴 @Shinjyuku(Japan)

今日は健康診断、朝、ホテルの近くにあるクリニックに向かい各自健康診断を受診する。
AM9:00頃、着替えて、「さて出かけるか」と思ったときに大問題に気づく。

財布が無い・・・。
ホテルの部屋、かばんの中、くまなく探すが無い。
時間もないし、財布もないしで焦る。

金銭にかかわるものは財布に全て入っている。
銀行のキャッシュカード、クレジットカード、Suicaなどなど。
これが無いと、交通費もないため、新宿から身動きもとれない。
午後には広尾で帰国後報告があるのに・・・。

手元に無いとなると、昨日、飲み屋で忘れてきたのか?
確かに昨日は気分よく飲んで良い加減に酔っていたので可能性はある。
さらに、第一、財布を持ち始めて5日目。
マラウイ時代は財布を使用しておらず、現金を常にそのままポケットに入れて持ち歩いていたので財布を持ち歩く習慣が抜けてしまっている。

ということで、どうしようもなく、すがる思いで部屋から外線で昨日の飲み屋に電話。
しかし、電話はつながらず。。。
店に向かってみるが当然閉まっている。

とりえずどうしようも無く、時間も無いので歩いて健康診断に向かう。
健康診断を受診するための病院は幸い新宿なので徒歩圏内。
そこで同じ日に帰国した他の隊員を探せばいくらかは借金できるだろうから、午後の広尾での帰国後報告にはとりあえず行ける。

そして、向かった健康診断。
クリニックの入り口で健康診断が終了したばかりのマラウイ隊員、一緒にマラウイから帰ってきた人を見つけた!
間髪いれずに第一声。

『金貸して!』

事情をさらっと説明。
そこでとりあえず一万円を手に入れた。
これで広尾にはいけるので、帰国後プログラムはこなせる。

問題はとりあえず午後に持ち越した。
この時点ではまだ結構楽観的。

広尾で帰国報告。
報告会とは言いつつもただの面談。
ただ報告会後、時間も忘れてJICAコンピュータ職種の技術顧問の先生と話し込む。
気がついたら15時半。

そろそろ新宿の飲み屋さんもお店が開いてる時間帯だと思い、新宿に急ぐ。
そして、たどり着いたお店で確認。
歩いてて落とせばさすがに気づくだろう。ましてや昨晩は他にも6名ほど一緒だったので、後ろを歩いていた誰かが気づく可能性が高い。
もう、あるとしたらこのお店に忘れた可能性が極めて高い。

開店準備中のお店には、店員さんが2名。
用件を伝えると昨日から特に預かっているものは無いと言う。
しかし、貴重品の忘れ物はただの忘れ物とは違い、昨晩働いていた誰かが個人的に保管している可能性もあるとのことで、昨晩働いていた人に電話で確認する。

・・・しかし・・・。
どうやら心当たるものはなかったとのこと。

さてどうしたものか。
これで自分としても心当たりがまったく無くなってしまった。

財布が無くなった場所と時間はかなり限定されている。
昨晩、お店で支払いをしたときには財布はあった。
それ以降、財布を使うことなくホテルのベッドで目覚めた時には財布が無くなっていた。
ということは、財布があるとしたらお店を出るときからホテルに辿り着いて寝るまで。

もう一度部屋の中も探してみるが見当たらない。
これは完全に紛失した・・・腹を括る。

さてどうしたもんかと思っていると、インターネットでこんなサイトを発見。

【財布を紛失したときの対処法】
http://sum1.info/saihuhunsitu/

なんだか読んでると安心してくる。
本文曰く「財布を紛失してもクールでいられる」。

で、まずすべきこと。

クレジットカード、キャッシュカードの停止手続き。
インターネットで連絡先を調べて一枚一枚停止していく。
計5枚。

全部のカードの停止手続きのために電話をかけ、同じように説明し、本人確認し、停止確認を行う。
その時点では不正利用も無いようで、誰かが財布を見つけているかどうかもわからない。
そして、免許の再発行手続きもしたいがこれは実家に帰ってするとして、届けを出すために警察に向かう。

一応、新宿警察署に出向いて「紛失届け」なるものを提出。
夜にも関わらず警察の案内は丁寧だし、係の人の対応も親切。

やはりここは日本。
おそらくマラウイなら外でどこに行けばいいか訪ねた時点で、ジュースの一本でもおごれと言われてそうなものだ。

【失ったもの】
・お気に入り革財布
・銀行のキャッシュカード2枚
・クレジットカード3枚(1枚は社員証付)
・免許証
・Suica
・現金3万2千円くらい
・中国紙幣10元
・USドル60ドルくらい
・その他(マイレージカード、診察券など、2年前のポイントカードなど)

こういうのを全部書かされる。
改めて、意外に持っていた現金の額が大きかったのが痛手。

しかし、カード類は再発行すれば何とかなるし、諦めも肝心だ。
もう今回は良い反省として、帰国後気分も一新、良い転機だったと前向きに考えるくらいで。

しかし、本当に習慣って怖い。
今回はそもそもマラウイで財布を持つ習慣が無かったからこそのミスだと思われる。
これもまだ続くカウンターカルチャーショックの一環と言えるのだろうか・・・。

しかし、財布、どこにいったのか。

(マラウイで帰国直前のオフィスでもらったメッセージ。)
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