2010年07月01日
旅の終わりに最後の日記。
7月1日 曇後晴 Tokyo→Kagawa(Japan)
やっと帰省。
帰国してからずっと続いているどんよりとした東京の空は今日も相変わらず。
(朝の羽田空港。)

そんな中、羽田空港から香川まで。
2年ぶりの故郷、香川県。
先週、成田に降り立った時と同じく、真っ先に嗅覚に故郷を意識させられる。
東京の無機質な匂いとは変わって、潮の香りと山の香りが混ざったような複雑な匂い。
実際、何とも言いがたいのだが、直感的にそう感じる。
(昔から瀬戸内式気候で雨量が少ないため、ため池の町でもある。)

到着した高松空港からはバス、電車を乗り継いで実家の最寄り駅まで。
今度は駅に降りたとたんに水田の匂い。
懐かしい匂いに四季を感じざるを得ない。

荷物が大きかったのでタクシーを使おうかとも思ったが、歩いて家まで帰る。
若干距離はあるが、急ぐことも無い。
田んぼのあぜ道を通ってとことこ歩く。
初夏の青々とした田植え後の苗。
田んぼに張られた水とその中に生きる小動物たち。
用水路の流れと水の音。
湿気と日差しで汗は流れるが、周りの自然が気持ちに心地良さを与えてくれる。
『家に帰るまでが協力隊だから』と言われた日々も終わり。
2年間のマラウイへの旅の終わり。
振り返れば長かったようで短かったような。
ここではもう毎日チェワ語でしゃべることも無ければ、生活の全てにおいて交渉をすることも無い。
苦労してマーケットで野菜を値切って買うことも無ければ、買おうと思えば季節問わず何でも手に入る。
晩御飯を作ろうとする時間帯に限って停電することも無ければ、水道がしばらく止まってお風呂にも入れないということはまず無い。
ありえない額の電気代、水道代の不当請求に電気局、水道局でぶち切れることもない。
道も車もきれい。使おうと思えば飛行機での移動でさえ簡単にできる。
駅から家まで歩きながら、ずっとマラウイから履いてきた靴を見て気がついた。
『靴がきれいになっている。』
マラウイで毎日歩けば歩くほど、砂埃で茶色くなっていた靴。
よく、マラウイのみんなに「洗え」と言われた靴。
仕事の都合もあったのだが、本当によくマラウイ中を旅した。
当然、マラウイからそのまま帰ってきたので靴も汚れたままだった。
しかし、今日見ると靴はきれいになり、靴底に近いほうは砂、泥の汚れが落ちて白さを取り戻している。
日本はアスファルトの道ばかりなので、歩けば歩くほど知らず知らずのうちに砂や埃が落ちていったらしい。
同じように、まだまだマラウイにある気持ちが、日本での暮らしの中で日本に染まっていくのだろう。
そうやって時とともにマラウイ生活に対する実感は思い出へと変わっていくのだろう。
とにかく、マラウイでの貴重な2年間。
嬉しいこと、楽しいこと、ムカつくこと、苛立つこと、辛いこと、本当にいろいろあった。
しかし、それは夢のような、幸せな時間だった。
そんなに感情を表に出して生きていい環境があることを知った。
確かに言葉で伝えられない感情を伝えるためには本能的にそうするより仕方がなかったのだが、本来、感情に素直に、シンプルに生きる人たちに混ざればそうなってしまう。
まだまだ、日本社会復帰に抵抗を感じることも多く、マラウイに帰りたいと思うことも多々あるが、この経験から自分が日本、日本社会、日本人を客観的に見ることができるようになった。
マラウイと日本、比較すればキリが無いし、当然、どっちが良いという議論は不毛だ。
とにかく自分は日本人だ。
これからの人生において、この経験をどう生かせるか、今後、日本社会で生きる中でしっかりと考えていくしかない。
そして、またいつか、皆との約束を果たすために必ずマラウイの地に。
それまでは皆に恥じないように生きていこう。
マラウイの人たちも、何があってもあっけらかんとたくましく、いつもと同じように生きているに違いない。

Ine, Ndina sangalala ku kala ku Malawi ndi ku ona nonse ku Malawi.
Zikomo kwanbili. Tawonga chomene.
Ndiku funa zabwino zonse ndi kusangalala yanu. Tizaonana.
Basi!
やっと帰省。
帰国してからずっと続いているどんよりとした東京の空は今日も相変わらず。
(朝の羽田空港。)

そんな中、羽田空港から香川まで。
2年ぶりの故郷、香川県。
先週、成田に降り立った時と同じく、真っ先に嗅覚に故郷を意識させられる。
東京の無機質な匂いとは変わって、潮の香りと山の香りが混ざったような複雑な匂い。
実際、何とも言いがたいのだが、直感的にそう感じる。
(昔から瀬戸内式気候で雨量が少ないため、ため池の町でもある。)

到着した高松空港からはバス、電車を乗り継いで実家の最寄り駅まで。
今度は駅に降りたとたんに水田の匂い。
懐かしい匂いに四季を感じざるを得ない。

荷物が大きかったのでタクシーを使おうかとも思ったが、歩いて家まで帰る。
若干距離はあるが、急ぐことも無い。
田んぼのあぜ道を通ってとことこ歩く。
初夏の青々とした田植え後の苗。
田んぼに張られた水とその中に生きる小動物たち。
用水路の流れと水の音。
湿気と日差しで汗は流れるが、周りの自然が気持ちに心地良さを与えてくれる。
『家に帰るまでが協力隊だから』と言われた日々も終わり。
2年間のマラウイへの旅の終わり。
振り返れば長かったようで短かったような。
ここではもう毎日チェワ語でしゃべることも無ければ、生活の全てにおいて交渉をすることも無い。
苦労してマーケットで野菜を値切って買うことも無ければ、買おうと思えば季節問わず何でも手に入る。
晩御飯を作ろうとする時間帯に限って停電することも無ければ、水道がしばらく止まってお風呂にも入れないということはまず無い。
ありえない額の電気代、水道代の不当請求に電気局、水道局でぶち切れることもない。
道も車もきれい。使おうと思えば飛行機での移動でさえ簡単にできる。
駅から家まで歩きながら、ずっとマラウイから履いてきた靴を見て気がついた。
『靴がきれいになっている。』
マラウイで毎日歩けば歩くほど、砂埃で茶色くなっていた靴。
よく、マラウイのみんなに「洗え」と言われた靴。
仕事の都合もあったのだが、本当によくマラウイ中を旅した。
当然、マラウイからそのまま帰ってきたので靴も汚れたままだった。
しかし、今日見ると靴はきれいになり、靴底に近いほうは砂、泥の汚れが落ちて白さを取り戻している。
日本はアスファルトの道ばかりなので、歩けば歩くほど知らず知らずのうちに砂や埃が落ちていったらしい。
同じように、まだまだマラウイにある気持ちが、日本での暮らしの中で日本に染まっていくのだろう。
そうやって時とともにマラウイ生活に対する実感は思い出へと変わっていくのだろう。
とにかく、マラウイでの貴重な2年間。
嬉しいこと、楽しいこと、ムカつくこと、苛立つこと、辛いこと、本当にいろいろあった。
しかし、それは夢のような、幸せな時間だった。
そんなに感情を表に出して生きていい環境があることを知った。
確かに言葉で伝えられない感情を伝えるためには本能的にそうするより仕方がなかったのだが、本来、感情に素直に、シンプルに生きる人たちに混ざればそうなってしまう。
まだまだ、日本社会復帰に抵抗を感じることも多く、マラウイに帰りたいと思うことも多々あるが、この経験から自分が日本、日本社会、日本人を客観的に見ることができるようになった。
マラウイと日本、比較すればキリが無いし、当然、どっちが良いという議論は不毛だ。
とにかく自分は日本人だ。
これからの人生において、この経験をどう生かせるか、今後、日本社会で生きる中でしっかりと考えていくしかない。
そして、またいつか、皆との約束を果たすために必ずマラウイの地に。
それまでは皆に恥じないように生きていこう。
マラウイの人たちも、何があってもあっけらかんとたくましく、いつもと同じように生きているに違いない。

Ine, Ndina sangalala ku kala ku Malawi ndi ku ona nonse ku Malawi.
Zikomo kwanbili. Tawonga chomene.
Ndiku funa zabwino zonse ndi kusangalala yanu. Tizaonana.
Basi!
2010年06月30日
復職に向けて。
6月30日 曇時々晴 @Shinjuku(Japan)
朝9時過ぎ。起きたらもうこんな時間。
AM10時から復職についての面談をするために品川に向かわないといけない。
「新宿−品川間は30分くらいかかったか?」と思いながらとにかく急いで準備をする。
ひさびさにスーツを着る。
マラウイに持っていったが、結局一度も着ることがなく持ち帰ったスーツとシャツ。
やはり、スーツにネクタイを締めると気持ちが締まる。
自分が社会人だったことを意識させられる。
AM9時半過ぎ。
ホテルを出て新宿駅から品川まで向かう。
予定は遅れてしまったが、10時ちょうどくらいには品川まで着きそう。
寝坊で遅刻とは社会人として失格だ・・・と思いながらも、実際まだ残っている時差ぼけとカルチャーショック。
夜は明るいし、テレビ番組も夜通し、インターネットも無料で接続し放題。
お店も深夜も閉店しないし、実際、いつが寝る時間なのかわからなくもなってくる。
そうやって日本人の不規則な生活は自分たちの良くも悪くも現代のカルチャーによって作られている、と実感する。
予定通りAM10時に品川駅まで到着。
会社は品川駅からすぐなので数分で到着する。
到着後、すぐに所属部署のフロアまで行きたいところだが、とりあえず向かった先は自社の受付。
なぜならセキュリティカードもなく、自力でオフィスに入れない。
それ以前に所属部署がどのフロアのどの位置にあるかすらわからない・・・。
受付ではぎこちない会話。
自社の受付で、「ここの社員なんですが、所属部署の部長を呼び出してください。」とは確かに不自然過ぎる。
下手をすれば怪しまれかねないので、一応、事情説明はしておいた。
そして、ひさびさに向かったオフィス。
第一印象は、「変わったような、変わってないような。」
実際、オフィスを離れて2年と4ヶ月ほどになる。
座席表をチラッと見ただけで確認できたが、人の出入りはいくらかあったようだ。
その後の部長との会話の中でもあったが、契約社員の方々の席は明らかに無くなっている。
そこに不況の影は明らかに感じられた。
そして、部長との面談。
マラウイの話をしながら。生活の話、仕事の話など。
ちょっと真剣にマラウイでの仕事の話をした後、本題の復職について。
実際、元と同じように働くことに対しての迷いもあった。
出来ることなら2年間のボランティア経験を直接的にキャリアに生かすために、転職、異動ということも思慮に入れたいと。
しかし、実際、土壇場になると、少し昔と同じように働いてみても良いかと思う自分がいた。
とにかくどうなるかわからないけど、今までと同じような仕事にもこれまでとは違ったテイストが今なら出せるかもしれないと。
とりあえず、やってみてそれでもまだ違った方向に進みたければそれはまたその時だと。
元々楽観的な性格ではあるが、それで後悔したことはない。
もう少しだけ自然に身を任せてみようと思った直感を信じてみたい。
そして、復職の日にちを決め、最低限の事務手続きでお昼。
お昼に人に会う約束があったので新宿に戻る。
13時に約束していて、12:50に到着。
しかし、問題は自分が携帯を持っていない。
さらに、相手の携帯電話番号を聞いていたが、そのメモを忘れた・・・。
「もしもの場合は連絡のとりようが無いなあ」とは思っていたが、まさかその「もしも」が起ころうとは。
13時過ぎても相手が現れず、うろうろしつつ、缶コーヒーなど飲みつつ13時半。
・・・まだ現れず。
しかし、待ち合わせ場所は向こうが指定してきたので間違えないだろうし、さてどうしたものかと思っていたらお相手が到着。
「まだ待ってた!」って。
「おいおい、こらこら・・・。」そりゃ、突っ込みも入れたくなる。
お相手は日本での研修中に語学のクラスが同じだった妹みたいな彼女。
何がどうなのかわからないが、気がついたら一番の仲良しさん(らしい)。
というか、おそらく考えていることや性格が似ている。
なので、現地に行ってからも事あるごとに肝心なことは相談するようになっていたし、自分も妹みたいな彼女のことを気にかけていた。
そんな彼女と帰国後ゆっくり話をする機会を持ちたいと思いつつ約束したのだった。
実際、40分ほど待たされたわけだが、とにかく待ってでも会えてよかったと思う。
いろんな話を聞けたし、今後の楽しみもできた。
帰国してすぐのころは明らかなカウンターカルチャーショックで精神的に凹んでいたこともあったが、今日、職場に行って職場の人たちに会ったり、妹みたいな彼女に会ったり、今後のことを考えると明らかに元気が出てきた。
確かに不安も少しはあるが、今の気持ちは4月の新生活を向かえる期待と不安が入り混じったような新鮮な気分。
これからまた新たなステージをできるだけ楽しみたいと思う。
無理なら無理で、また新しいこと考えれば良いわけだし。
(品川駅も変わっていた。こんなモニターがたくさんついてなかった。)

朝9時過ぎ。起きたらもうこんな時間。
AM10時から復職についての面談をするために品川に向かわないといけない。
「新宿−品川間は30分くらいかかったか?」と思いながらとにかく急いで準備をする。
ひさびさにスーツを着る。
マラウイに持っていったが、結局一度も着ることがなく持ち帰ったスーツとシャツ。
やはり、スーツにネクタイを締めると気持ちが締まる。
自分が社会人だったことを意識させられる。
AM9時半過ぎ。
ホテルを出て新宿駅から品川まで向かう。
予定は遅れてしまったが、10時ちょうどくらいには品川まで着きそう。
寝坊で遅刻とは社会人として失格だ・・・と思いながらも、実際まだ残っている時差ぼけとカルチャーショック。
夜は明るいし、テレビ番組も夜通し、インターネットも無料で接続し放題。
お店も深夜も閉店しないし、実際、いつが寝る時間なのかわからなくもなってくる。
そうやって日本人の不規則な生活は自分たちの良くも悪くも現代のカルチャーによって作られている、と実感する。
予定通りAM10時に品川駅まで到着。
会社は品川駅からすぐなので数分で到着する。
到着後、すぐに所属部署のフロアまで行きたいところだが、とりあえず向かった先は自社の受付。
なぜならセキュリティカードもなく、自力でオフィスに入れない。
それ以前に所属部署がどのフロアのどの位置にあるかすらわからない・・・。
受付ではぎこちない会話。
自社の受付で、「ここの社員なんですが、所属部署の部長を呼び出してください。」とは確かに不自然過ぎる。
下手をすれば怪しまれかねないので、一応、事情説明はしておいた。
そして、ひさびさに向かったオフィス。
第一印象は、「変わったような、変わってないような。」
実際、オフィスを離れて2年と4ヶ月ほどになる。
座席表をチラッと見ただけで確認できたが、人の出入りはいくらかあったようだ。
その後の部長との会話の中でもあったが、契約社員の方々の席は明らかに無くなっている。
そこに不況の影は明らかに感じられた。
そして、部長との面談。
マラウイの話をしながら。生活の話、仕事の話など。
ちょっと真剣にマラウイでの仕事の話をした後、本題の復職について。
実際、元と同じように働くことに対しての迷いもあった。
出来ることなら2年間のボランティア経験を直接的にキャリアに生かすために、転職、異動ということも思慮に入れたいと。
しかし、実際、土壇場になると、少し昔と同じように働いてみても良いかと思う自分がいた。
とにかくどうなるかわからないけど、今までと同じような仕事にもこれまでとは違ったテイストが今なら出せるかもしれないと。
とりあえず、やってみてそれでもまだ違った方向に進みたければそれはまたその時だと。
元々楽観的な性格ではあるが、それで後悔したことはない。
もう少しだけ自然に身を任せてみようと思った直感を信じてみたい。
そして、復職の日にちを決め、最低限の事務手続きでお昼。
お昼に人に会う約束があったので新宿に戻る。
13時に約束していて、12:50に到着。
しかし、問題は自分が携帯を持っていない。
さらに、相手の携帯電話番号を聞いていたが、そのメモを忘れた・・・。
「もしもの場合は連絡のとりようが無いなあ」とは思っていたが、まさかその「もしも」が起ころうとは。
13時過ぎても相手が現れず、うろうろしつつ、缶コーヒーなど飲みつつ13時半。
・・・まだ現れず。
しかし、待ち合わせ場所は向こうが指定してきたので間違えないだろうし、さてどうしたものかと思っていたらお相手が到着。
「まだ待ってた!」って。
「おいおい、こらこら・・・。」そりゃ、突っ込みも入れたくなる。
お相手は日本での研修中に語学のクラスが同じだった妹みたいな彼女。
何がどうなのかわからないが、気がついたら一番の仲良しさん(らしい)。
というか、おそらく考えていることや性格が似ている。
なので、現地に行ってからも事あるごとに肝心なことは相談するようになっていたし、自分も妹みたいな彼女のことを気にかけていた。
そんな彼女と帰国後ゆっくり話をする機会を持ちたいと思いつつ約束したのだった。
実際、40分ほど待たされたわけだが、とにかく待ってでも会えてよかったと思う。
いろんな話を聞けたし、今後の楽しみもできた。
帰国してすぐのころは明らかなカウンターカルチャーショックで精神的に凹んでいたこともあったが、今日、職場に行って職場の人たちに会ったり、妹みたいな彼女に会ったり、今後のことを考えると明らかに元気が出てきた。
確かに不安も少しはあるが、今の気持ちは4月の新生活を向かえる期待と不安が入り混じったような新鮮な気分。
これからまた新たなステージをできるだけ楽しみたいと思う。
無理なら無理で、また新しいこと考えれば良いわけだし。
(品川駅も変わっていた。こんなモニターがたくさんついてなかった。)

2010年06月29日
日本で働くための準備。
6月29日 曇 @Shinjuku(Japan)
本日は帰国時プログラムの3日目、キャリアパスセミナー。
いわゆる、2年間のボランティア経験をどう次のステップに繋げていくかという具体的な話。
「具体的な」=「就職」につながっていく。
実際、退職後に協力隊に参加している人も多く、これらの人たちの再就職と、そこに国際協力をどう絡めていくかについてのヒントについての講座。
結局、JICA関連の職を目指すとしても、企業で働くにしても経験から何かしらの専門性を見出して強みにしていく必要がある。
その専門性も現実的に考えていくことが第一条件。
また、長期スパンで考えることも重要。
とりあえず、自社に復職しようと思いながら、客観的に話を聞いていた。
また、細かいところでは、過去の就職活動時に行った自己分析を再度行ってみるのも面白そうかと思った。
過去と今では多少なりとも自分に変化があるだろうと思うし。
ちょっとした転機を迎えたときだからこそ、そういう必要もあるかと思う。
また、教員を目指す人用の講座にも参加。
教員になるなんて考えたこともなかったので、普段聞くことのない話も聞いて興味深かった。
ただ、やはりただの知識としてのみの興味・・・。
そして、お昼過ぎに全ての講座が終了。
これで帰国時プログラムの全てが終了。
最後はあっけないもんだが、協力隊としてのプログラムは全て終了したことになる。
午後から自社に出向く予定。
復職についての話を進めるため。
しかし、その前に少しゆっくりとした昼食。
帰国後プログラムの終了とともに帰省してしまえば、これまでマラウイに行くときから一緒、帰国時に一緒に帰ってきたマラウイ同期隊員とも一旦これでお別れ。
その前に少しマラウイ時代の話も思い出しながら一緒に昼食をとる。
もともと男だらけ6人の隊次、一緒に帰国した3人ももちろん男同士。
少し感慨深いものもあるが、どうせまた会おうと思えば会えるだろうからと「じゃ、また」といつものようにあっさりお別れ。
そして、いよいよ復職の話をすべくひさびさに自社に向かおうと電話。
すると、どうも上司との時間が合わず、結局明日に持ち越しになった。。。
さて、とうとうJICAボランティアの立場から普通の社会人に戻ろうとしている。
実家に着くまでが協力隊とも言われるのでもう少し気は抜けないのかもしれないが、それもあと少し。
少しずつ気持ちを切り替えて準備する必要があるのかな。
(帰国後、2年ぶりの日本で最初に買ったものは・・・これ。)

本日は帰国時プログラムの3日目、キャリアパスセミナー。
いわゆる、2年間のボランティア経験をどう次のステップに繋げていくかという具体的な話。
「具体的な」=「就職」につながっていく。
実際、退職後に協力隊に参加している人も多く、これらの人たちの再就職と、そこに国際協力をどう絡めていくかについてのヒントについての講座。
結局、JICA関連の職を目指すとしても、企業で働くにしても経験から何かしらの専門性を見出して強みにしていく必要がある。
その専門性も現実的に考えていくことが第一条件。
また、長期スパンで考えることも重要。
とりあえず、自社に復職しようと思いながら、客観的に話を聞いていた。
また、細かいところでは、過去の就職活動時に行った自己分析を再度行ってみるのも面白そうかと思った。
過去と今では多少なりとも自分に変化があるだろうと思うし。
ちょっとした転機を迎えたときだからこそ、そういう必要もあるかと思う。
また、教員を目指す人用の講座にも参加。
教員になるなんて考えたこともなかったので、普段聞くことのない話も聞いて興味深かった。
ただ、やはりただの知識としてのみの興味・・・。
そして、お昼過ぎに全ての講座が終了。
これで帰国時プログラムの全てが終了。
最後はあっけないもんだが、協力隊としてのプログラムは全て終了したことになる。
午後から自社に出向く予定。
復職についての話を進めるため。
しかし、その前に少しゆっくりとした昼食。
帰国後プログラムの終了とともに帰省してしまえば、これまでマラウイに行くときから一緒、帰国時に一緒に帰ってきたマラウイ同期隊員とも一旦これでお別れ。
その前に少しマラウイ時代の話も思い出しながら一緒に昼食をとる。
もともと男だらけ6人の隊次、一緒に帰国した3人ももちろん男同士。
少し感慨深いものもあるが、どうせまた会おうと思えば会えるだろうからと「じゃ、また」といつものようにあっさりお別れ。
そして、いよいよ復職の話をすべくひさびさに自社に向かおうと電話。
すると、どうも上司との時間が合わず、結局明日に持ち越しになった。。。
さて、とうとうJICAボランティアの立場から普通の社会人に戻ろうとしている。
実家に着くまでが協力隊とも言われるのでもう少し気は抜けないのかもしれないが、それもあと少し。
少しずつ気持ちを切り替えて準備する必要があるのかな。
(帰国後、2年ぶりの日本で最初に買ったものは・・・これ。)

2010年06月28日
これも一種の帰国後ショックか。
6月28日 曇時々晴 @Shinjyuku(Japan)
今日は健康診断、朝、ホテルの近くにあるクリニックに向かい各自健康診断を受診する。
AM9:00頃、着替えて、「さて出かけるか」と思ったときに大問題に気づく。
財布が無い・・・。
ホテルの部屋、かばんの中、くまなく探すが無い。
時間もないし、財布もないしで焦る。
金銭にかかわるものは財布に全て入っている。
銀行のキャッシュカード、クレジットカード、Suicaなどなど。
これが無いと、交通費もないため、新宿から身動きもとれない。
午後には広尾で帰国後報告があるのに・・・。
手元に無いとなると、昨日、飲み屋で忘れてきたのか?
確かに昨日は気分よく飲んで良い加減に酔っていたので可能性はある。
さらに、第一、財布を持ち始めて5日目。
マラウイ時代は財布を使用しておらず、現金を常にそのままポケットに入れて持ち歩いていたので財布を持ち歩く習慣が抜けてしまっている。
ということで、どうしようもなく、すがる思いで部屋から外線で昨日の飲み屋に電話。
しかし、電話はつながらず。。。
店に向かってみるが当然閉まっている。
とりえずどうしようも無く、時間も無いので歩いて健康診断に向かう。
健康診断を受診するための病院は幸い新宿なので徒歩圏内。
そこで同じ日に帰国した他の隊員を探せばいくらかは借金できるだろうから、午後の広尾での帰国後報告にはとりあえず行ける。
そして、向かった健康診断。
クリニックの入り口で健康診断が終了したばかりのマラウイ隊員、一緒にマラウイから帰ってきた人を見つけた!
間髪いれずに第一声。
『金貸して!』
事情をさらっと説明。
そこでとりあえず一万円を手に入れた。
これで広尾にはいけるので、帰国後プログラムはこなせる。
問題はとりあえず午後に持ち越した。
この時点ではまだ結構楽観的。
広尾で帰国報告。
報告会とは言いつつもただの面談。
ただ報告会後、時間も忘れてJICAコンピュータ職種の技術顧問の先生と話し込む。
気がついたら15時半。
そろそろ新宿の飲み屋さんもお店が開いてる時間帯だと思い、新宿に急ぐ。
そして、たどり着いたお店で確認。
歩いてて落とせばさすがに気づくだろう。ましてや昨晩は他にも6名ほど一緒だったので、後ろを歩いていた誰かが気づく可能性が高い。
もう、あるとしたらこのお店に忘れた可能性が極めて高い。
開店準備中のお店には、店員さんが2名。
用件を伝えると昨日から特に預かっているものは無いと言う。
しかし、貴重品の忘れ物はただの忘れ物とは違い、昨晩働いていた誰かが個人的に保管している可能性もあるとのことで、昨晩働いていた人に電話で確認する。
・・・しかし・・・。
どうやら心当たるものはなかったとのこと。
さてどうしたものか。
これで自分としても心当たりがまったく無くなってしまった。
財布が無くなった場所と時間はかなり限定されている。
昨晩、お店で支払いをしたときには財布はあった。
それ以降、財布を使うことなくホテルのベッドで目覚めた時には財布が無くなっていた。
ということは、財布があるとしたらお店を出るときからホテルに辿り着いて寝るまで。
もう一度部屋の中も探してみるが見当たらない。
これは完全に紛失した・・・腹を括る。
さてどうしたもんかと思っていると、インターネットでこんなサイトを発見。
【財布を紛失したときの対処法】
http://sum1.info/saihuhunsitu/
なんだか読んでると安心してくる。
本文曰く「財布を紛失してもクールでいられる」。
で、まずすべきこと。
クレジットカード、キャッシュカードの停止手続き。
インターネットで連絡先を調べて一枚一枚停止していく。
計5枚。
全部のカードの停止手続きのために電話をかけ、同じように説明し、本人確認し、停止確認を行う。
その時点では不正利用も無いようで、誰かが財布を見つけているかどうかもわからない。
そして、免許の再発行手続きもしたいがこれは実家に帰ってするとして、届けを出すために警察に向かう。
一応、新宿警察署に出向いて「紛失届け」なるものを提出。
夜にも関わらず警察の案内は丁寧だし、係の人の対応も親切。
やはりここは日本。
おそらくマラウイなら外でどこに行けばいいか訪ねた時点で、ジュースの一本でもおごれと言われてそうなものだ。
【失ったもの】
・お気に入り革財布
・銀行のキャッシュカード2枚
・クレジットカード3枚(1枚は社員証付)
・免許証
・Suica
・現金3万2千円くらい
・中国紙幣10元
・USドル60ドルくらい
・その他(マイレージカード、診察券など、2年前のポイントカードなど)
こういうのを全部書かされる。
改めて、意外に持っていた現金の額が大きかったのが痛手。
しかし、カード類は再発行すれば何とかなるし、諦めも肝心だ。
もう今回は良い反省として、帰国後気分も一新、良い転機だったと前向きに考えるくらいで。
しかし、本当に習慣って怖い。
今回はそもそもマラウイで財布を持つ習慣が無かったからこそのミスだと思われる。
これもまだ続くカウンターカルチャーショックの一環と言えるのだろうか・・・。
しかし、財布、どこにいったのか。
(マラウイで帰国直前のオフィスでもらったメッセージ。)

今日は健康診断、朝、ホテルの近くにあるクリニックに向かい各自健康診断を受診する。
AM9:00頃、着替えて、「さて出かけるか」と思ったときに大問題に気づく。
財布が無い・・・。
ホテルの部屋、かばんの中、くまなく探すが無い。
時間もないし、財布もないしで焦る。
金銭にかかわるものは財布に全て入っている。
銀行のキャッシュカード、クレジットカード、Suicaなどなど。
これが無いと、交通費もないため、新宿から身動きもとれない。
午後には広尾で帰国後報告があるのに・・・。
手元に無いとなると、昨日、飲み屋で忘れてきたのか?
確かに昨日は気分よく飲んで良い加減に酔っていたので可能性はある。
さらに、第一、財布を持ち始めて5日目。
マラウイ時代は財布を使用しておらず、現金を常にそのままポケットに入れて持ち歩いていたので財布を持ち歩く習慣が抜けてしまっている。
ということで、どうしようもなく、すがる思いで部屋から外線で昨日の飲み屋に電話。
しかし、電話はつながらず。。。
店に向かってみるが当然閉まっている。
とりえずどうしようも無く、時間も無いので歩いて健康診断に向かう。
健康診断を受診するための病院は幸い新宿なので徒歩圏内。
そこで同じ日に帰国した他の隊員を探せばいくらかは借金できるだろうから、午後の広尾での帰国後報告にはとりあえず行ける。
そして、向かった健康診断。
クリニックの入り口で健康診断が終了したばかりのマラウイ隊員、一緒にマラウイから帰ってきた人を見つけた!
間髪いれずに第一声。
『金貸して!』
事情をさらっと説明。
そこでとりあえず一万円を手に入れた。
これで広尾にはいけるので、帰国後プログラムはこなせる。
問題はとりあえず午後に持ち越した。
この時点ではまだ結構楽観的。
広尾で帰国報告。
報告会とは言いつつもただの面談。
ただ報告会後、時間も忘れてJICAコンピュータ職種の技術顧問の先生と話し込む。
気がついたら15時半。
そろそろ新宿の飲み屋さんもお店が開いてる時間帯だと思い、新宿に急ぐ。
そして、たどり着いたお店で確認。
歩いてて落とせばさすがに気づくだろう。ましてや昨晩は他にも6名ほど一緒だったので、後ろを歩いていた誰かが気づく可能性が高い。
もう、あるとしたらこのお店に忘れた可能性が極めて高い。
開店準備中のお店には、店員さんが2名。
用件を伝えると昨日から特に預かっているものは無いと言う。
しかし、貴重品の忘れ物はただの忘れ物とは違い、昨晩働いていた誰かが個人的に保管している可能性もあるとのことで、昨晩働いていた人に電話で確認する。
・・・しかし・・・。
どうやら心当たるものはなかったとのこと。
さてどうしたものか。
これで自分としても心当たりがまったく無くなってしまった。
財布が無くなった場所と時間はかなり限定されている。
昨晩、お店で支払いをしたときには財布はあった。
それ以降、財布を使うことなくホテルのベッドで目覚めた時には財布が無くなっていた。
ということは、財布があるとしたらお店を出るときからホテルに辿り着いて寝るまで。
もう一度部屋の中も探してみるが見当たらない。
これは完全に紛失した・・・腹を括る。
さてどうしたもんかと思っていると、インターネットでこんなサイトを発見。
【財布を紛失したときの対処法】
http://sum1.info/saihuhunsitu/
なんだか読んでると安心してくる。
本文曰く「財布を紛失してもクールでいられる」。
で、まずすべきこと。
クレジットカード、キャッシュカードの停止手続き。
インターネットで連絡先を調べて一枚一枚停止していく。
計5枚。
全部のカードの停止手続きのために電話をかけ、同じように説明し、本人確認し、停止確認を行う。
その時点では不正利用も無いようで、誰かが財布を見つけているかどうかもわからない。
そして、免許の再発行手続きもしたいがこれは実家に帰ってするとして、届けを出すために警察に向かう。
一応、新宿警察署に出向いて「紛失届け」なるものを提出。
夜にも関わらず警察の案内は丁寧だし、係の人の対応も親切。
やはりここは日本。
おそらくマラウイなら外でどこに行けばいいか訪ねた時点で、ジュースの一本でもおごれと言われてそうなものだ。
【失ったもの】
・お気に入り革財布
・銀行のキャッシュカード2枚
・クレジットカード3枚(1枚は社員証付)
・免許証
・Suica
・現金3万2千円くらい
・中国紙幣10元
・USドル60ドルくらい
・その他(マイレージカード、診察券など、2年前のポイントカードなど)
こういうのを全部書かされる。
改めて、意外に持っていた現金の額が大きかったのが痛手。
しかし、カード類は再発行すれば何とかなるし、諦めも肝心だ。
もう今回は良い反省として、帰国後気分も一新、良い転機だったと前向きに考えるくらいで。
しかし、本当に習慣って怖い。
今回はそもそもマラウイで財布を持つ習慣が無かったからこそのミスだと思われる。
これもまだ続くカウンターカルチャーショックの一環と言えるのだろうか・・・。
しかし、財布、どこにいったのか。
(マラウイで帰国直前のオフィスでもらったメッセージ。)

2010年06月27日
現代人の休日。
6月27日 曇時々雨 Yokohama→Shinjyuku(Japan)
AM7:00過ぎ。昨晩はAM3:00に寝たのでまだまだ眠い。
しかし、重い体を引きずるようにして向かった先は、当然温泉。
AM8:00に清掃に入ってしまうとのことなので、朝はそれまでに温泉に入るしかない。
ということで、朝の温泉へ。
朝の温泉に体が目覚め、体中がぽかぽか。
そして、肌がすべすべ。
砂っぽかった肌が明らかにきれいになって艶が良くなった。
男ながらにうれしい。
そして、朝食。
釜で炊き立てのご飯の粘りと匂いに感動。
味噌、焼き魚、卵豆腐など2年間食べることができなかった日本の定番とも言える朝食の味。
もう何を食べても美味しい。
マラウイで欲は無くなってきたかと思いきや、あるものは食べてしまうし、美味しくて仕方がない。
もしかすると環境が欲を作り出すのか。
無いものは無いで仕方がないんだから。
そして、朝のうちに横浜を後にして、再度新宿に向かう。
しばらくは新宿を拠点に、残りの帰国後研修を受講する予定。
電車が時間通りに来るし、満員にならなくてもすぐに発車するし、スムーズだし、社内からガソリンの匂いがしないし、人間が押さなくてもちゃんとエンジンスタートはするし、マラウイでもっともメジャーな交通機関、ミニバスとは大違い。
日本って本当にすごい。変に感動。
そして、朝から向かった新宿で予定していたことは・・・漫画喫茶で引きこもり。
良い悪いはともかくとして、何とも現代人的な過ごし方だと思う。

さすがにまだ朝のうちからはお客さんも少なく、席も自由に選べる。
足が伸ばせるボックス席を確保し、漫画を読み漁る。
マラウイ時代の娯楽の1つ、PCデータで出回っていた漫画たち。
それらは結局途中までしかないので、誰もが帰国後にその続きを読みたいというのは当然。
自分がオタク気質だからとかそういうわけでは決して無い(はず)。
漫画喫茶に入ったのが11時前、日の当たらない地下室で時間を忘れて漫画を読み耽ること5.5時間。
夕方16:30にやっと漫画喫茶を出る。
時間の経過を全く意識しなかった・・・。
地下にあるのはもしかしたら時間の経過を感じさせること無く、ずっと居させるために計画的に場所が選ばれているのではないかと思ってしまった。
そして、もう一点驚いたのはトイレ。
トイレに入った瞬間に流れ出したベートーベン。
あまりに驚いて、驚きの声を上げながらスピーカーがあるであろう方向を振り返ってしまうほど。
恐るべし・・・新宿歌舞伎町にある今どきの漫画喫茶。
その後、同期の協力隊訓練所(研修所)で同じ班、つまり、あの閉鎖的な訓練所の空間で最も生活の時間をともにした人たちと飲み会。
もちろん、帰国日がばらばらだったので、今日新宿に居る人、会える人だけだったが、懐かしい。
変わってるような変わってないような。
変わっているのは見た目と話題。
現地の話と2年ぶりの日本についてのいろいろな話を聞いて楽しかった。
そして、ひさびさに少し飲みすぎて気分よくホテルに戻る。
実は明日の朝から帰国後健康診断で、今日の飲酒は控え、22時以降は飲食しないように言われていた。
まあ帰国直後のこの時期に、どの隊員にもそれは難しい約束だと思う。
カウンターカルチャーショックのせいか天気のせいか、あまり気分も晴れず、乗り気じゃないとは思いながらも、なんだかんだ言ってこのところ毎晩の飲み会。
AM7:00過ぎ。昨晩はAM3:00に寝たのでまだまだ眠い。
しかし、重い体を引きずるようにして向かった先は、当然温泉。
AM8:00に清掃に入ってしまうとのことなので、朝はそれまでに温泉に入るしかない。
ということで、朝の温泉へ。
朝の温泉に体が目覚め、体中がぽかぽか。
そして、肌がすべすべ。
砂っぽかった肌が明らかにきれいになって艶が良くなった。
男ながらにうれしい。
そして、朝食。
釜で炊き立てのご飯の粘りと匂いに感動。
味噌、焼き魚、卵豆腐など2年間食べることができなかった日本の定番とも言える朝食の味。
もう何を食べても美味しい。
マラウイで欲は無くなってきたかと思いきや、あるものは食べてしまうし、美味しくて仕方がない。
もしかすると環境が欲を作り出すのか。
無いものは無いで仕方がないんだから。
そして、朝のうちに横浜を後にして、再度新宿に向かう。
しばらくは新宿を拠点に、残りの帰国後研修を受講する予定。
電車が時間通りに来るし、満員にならなくてもすぐに発車するし、スムーズだし、社内からガソリンの匂いがしないし、人間が押さなくてもちゃんとエンジンスタートはするし、マラウイでもっともメジャーな交通機関、ミニバスとは大違い。
日本って本当にすごい。変に感動。
そして、朝から向かった新宿で予定していたことは・・・漫画喫茶で引きこもり。
良い悪いはともかくとして、何とも現代人的な過ごし方だと思う。

さすがにまだ朝のうちからはお客さんも少なく、席も自由に選べる。
足が伸ばせるボックス席を確保し、漫画を読み漁る。
マラウイ時代の娯楽の1つ、PCデータで出回っていた漫画たち。
それらは結局途中までしかないので、誰もが帰国後にその続きを読みたいというのは当然。
自分がオタク気質だからとかそういうわけでは決して無い(はず)。
漫画喫茶に入ったのが11時前、日の当たらない地下室で時間を忘れて漫画を読み耽ること5.5時間。
夕方16:30にやっと漫画喫茶を出る。
時間の経過を全く意識しなかった・・・。
地下にあるのはもしかしたら時間の経過を感じさせること無く、ずっと居させるために計画的に場所が選ばれているのではないかと思ってしまった。
そして、もう一点驚いたのはトイレ。
トイレに入った瞬間に流れ出したベートーベン。
あまりに驚いて、驚きの声を上げながらスピーカーがあるであろう方向を振り返ってしまうほど。
恐るべし・・・新宿歌舞伎町にある今どきの漫画喫茶。
その後、同期の協力隊訓練所(研修所)で同じ班、つまり、あの閉鎖的な訓練所の空間で最も生活の時間をともにした人たちと飲み会。
もちろん、帰国日がばらばらだったので、今日新宿に居る人、会える人だけだったが、懐かしい。
変わってるような変わってないような。
変わっているのは見た目と話題。
現地の話と2年ぶりの日本についてのいろいろな話を聞いて楽しかった。
そして、ひさびさに少し飲みすぎて気分よくホテルに戻る。
実は明日の朝から帰国後健康診断で、今日の飲酒は控え、22時以降は飲食しないように言われていた。
まあ帰国直後のこの時期に、どの隊員にもそれは難しい約束だと思う。
カウンターカルチャーショックのせいか天気のせいか、あまり気分も晴れず、乗り気じゃないとは思いながらも、なんだかんだ言ってこのところ毎晩の飲み会。