文化

2010年06月27日

現代人の休日。

6月27日 曇時々雨 Yokohama→Shinjyuku(Japan)

AM7:00過ぎ。昨晩はAM3:00に寝たのでまだまだ眠い。
しかし、重い体を引きずるようにして向かった先は、当然温泉。
AM8:00に清掃に入ってしまうとのことなので、朝はそれまでに温泉に入るしかない。
ということで、朝の温泉へ。

朝の温泉に体が目覚め、体中がぽかぽか。
そして、肌がすべすべ。
砂っぽかった肌が明らかにきれいになって艶が良くなった。

男ながらにうれしい。

そして、朝食。
釜で炊き立てのご飯の粘りと匂いに感動。
味噌、焼き魚、卵豆腐など2年間食べることができなかった日本の定番とも言える朝食の味。
もう何を食べても美味しい。

マラウイで欲は無くなってきたかと思いきや、あるものは食べてしまうし、美味しくて仕方がない。
もしかすると環境が欲を作り出すのか。

無いものは無いで仕方がないんだから。

そして、朝のうちに横浜を後にして、再度新宿に向かう。
しばらくは新宿を拠点に、残りの帰国後研修を受講する予定。
電車が時間通りに来るし、満員にならなくてもすぐに発車するし、スムーズだし、社内からガソリンの匂いがしないし、人間が押さなくてもちゃんとエンジンスタートはするし、マラウイでもっともメジャーな交通機関、ミニバスとは大違い。

日本って本当にすごい。変に感動。

そして、朝から向かった新宿で予定していたことは・・・漫画喫茶で引きこもり。
良い悪いはともかくとして、何とも現代人的な過ごし方だと思う。
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さすがにまだ朝のうちからはお客さんも少なく、席も自由に選べる。
足が伸ばせるボックス席を確保し、漫画を読み漁る。
マラウイ時代の娯楽の1つ、PCデータで出回っていた漫画たち。
それらは結局途中までしかないので、誰もが帰国後にその続きを読みたいというのは当然。
自分がオタク気質だからとかそういうわけでは決して無い(はず)。

漫画喫茶に入ったのが11時前、日の当たらない地下室で時間を忘れて漫画を読み耽ること5.5時間。
夕方16:30にやっと漫画喫茶を出る。
時間の経過を全く意識しなかった・・・。
地下にあるのはもしかしたら時間の経過を感じさせること無く、ずっと居させるために計画的に場所が選ばれているのではないかと思ってしまった。

そして、もう一点驚いたのはトイレ。
トイレに入った瞬間に流れ出したベートーベン。
あまりに驚いて、驚きの声を上げながらスピーカーがあるであろう方向を振り返ってしまうほど。

恐るべし・・・新宿歌舞伎町にある今どきの漫画喫茶。

その後、同期の協力隊訓練所(研修所)で同じ班、つまり、あの閉鎖的な訓練所の空間で最も生活の時間をともにした人たちと飲み会。
もちろん、帰国日がばらばらだったので、今日新宿に居る人、会える人だけだったが、懐かしい。
変わってるような変わってないような。
変わっているのは見た目と話題。
現地の話と2年ぶりの日本についてのいろいろな話を聞いて楽しかった。

そして、ひさびさに少し飲みすぎて気分よくホテルに戻る。
実は明日の朝から帰国後健康診断で、今日の飲酒は控え、22時以降は飲食しないように言われていた。
まあ帰国直後のこの時期に、どの隊員にもそれは難しい約束だと思う。
カウンターカルチャーショックのせいか天気のせいか、あまり気分も晴れず、乗り気じゃないとは思いながらも、なんだかんだ言ってこのところ毎晩の飲み会。


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2010年06月16日

来週には日本か。

6月16日 晴 Embangweni→Lilongwe

起床後、ごろごろした後、エンバングウェニの村を後にする。
お友達のバイクマトーラ(バイクタクシー)のおじちゃん。
前回もお世話になった。

砂地のオフロードを器用にスピード&バランスコントロールしながら進む。
周りを流れる赤土のアフリカらしい大地と目の前に開けたサバンナの草原。
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沿道では子どもたちが手を振ってくれ、大人も軽く手を上げて挨拶してくれる。
マラウイに赴任当初、現地語訓練の際に、「挨拶はマラウイの文化だ」と教えらたが今でもそう思う。
行き交う人たちは知り合いがいる度に立ち止まり、握手をしてお互いの家、家族のことまで様子をうかがい合う。
バイクで通り過ぎるだけでも挨拶は欠かさない。

そんなマラウイの愛すべき田舎の人たちを気にしながらバイクで走ること1時間強。
幹線道路まで出る。
ここからは通り過ぎるバスを止めて、首都リロングウェに向かう。

リロングウェに向かう途中でSMS(携帯のメッセージサービス)にメッセージを受信。
今週末に開かれる予定のフェアウェルパーティーには出れない隊員から、「2年間お疲れさまでした&気をつけて帰国してください」という内容のメッセージ。

まだ省庁関連の表敬訪問やらJICAの最終報告会のイベントが残っているし、荷物もまだ送ってないのでいろいろやらないといけないことも多いと思っていたが、確かに気付いたらもう来週には日本に帰国している。

少しずつ周りから意識させられる日本への帰国。
気付いたらいろいろお世話になった人に挨拶するときも、いつ出発するのか聞かれて「来週」と答えるたびにもう来週なのかと。
マラウイの日常ではまだまだ帰国の実感は湧かないのだが、確かに近づいている帰国。

夕方、無事にリロングウェに到着。
日本食が無いマラウイで、何度もお世話になった中華料理店、通称、バンブーで会食。
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2010年06月15日

村の日常。

6月15日 晴 @Embangweni

今日も一日何も予定がない。
とにかく何もない時のマラウイでの娯楽の1つ。

・・・日本のドラマをPCデータで見る。
(しかし、新しいものはなく、数年前のものがほとんど。)
実は昨日の夜2話だけ見たドラマの続きを一気に8話。
昨日同様、帰国前の忙しさを考えるとこういう時間ももう最後。

のんびりした時間を過ごしながら、一方でマラウイの村の日常を感じる。

日中響くマラウイの人たちの挨拶の声。
挨拶から日常の何気ない会話。
時間関係なく聞こえてくる子どもたちの騒ぐ声。
そして、夕方にはお隣に住むハウスキーパーさんが来て犬と猫のご飯にシマを作ってくれる。

(布団で寝る猫。名前は「ひじき」。黒いから。)
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のんびりとしたマラウイの村での日常はもう味わえない。
首都リロングウェに戻ったら戻ったで慌しい。
今週はJICAマラウイの最終報告会、大統領府、外務省の表敬訪問、大使館関係の挨拶など、マラウイで最後の公務。

夜には家主さんが、かぼちゃコロッケに餃子とうれしいご馳走を準備してくれた。
日本に帰ったら食べれるご馳走ではあるが、マラウイだからの美味しさをかみ締めながら夜は更けていく。
明日はもうリロングウェ。


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2010年06月08日

最後のクリニック訪問、Mwanza。

6月8日 晴 Blantyre→Mwanza→Blantyre

自宅敷地内に住むウォッチマンの娘たち。
朝から元気に走り回ったり、喧嘩してたり、妹が泣かされたり。

今朝、出勤のために外に出ると、お姉ちゃんのパレスが制服らしき服を着て走っている。
「学校?」と聞くと「そう。」と嬉しそう。

そう言えば、先週は学校がホリデイ中で子どもたちはずっと家にいたような気がする。
「いつから学校か?」と尋ねたら今週の頭からだと教えてくれた。

家の外に出ると、パレスと同じく制服を着たたくさんの子どもたちがこっちに歩いてくる。
みんなおしゃべりしながら楽しそう。
少し進むと自分の通勤路に住むいつもの子どもたちに出会う。
いつもと同じように声をかけてくるが、今日はちゃんと制服に靴を履いて見違えるよう。
こちらも楽しそうに通学している。
(近所のこの子。)
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昔、自分は休み明けの学校が大嫌いだったもんだが、マラウイでは休み明けも楽しそうな子どもしか見ない。
彼らにとって学校とは楽しくてしょうがない場所のようだ。

彼らは学校に行けることの喜びを知っている。
実際、自分が日本で学校に行ってたときはそんなこと考えもしなかったし、そんな感情もなかったが(気付いていなかっただけか)、やはり、本来、学校とは楽しい場所であるべきなのかもしれない。

マラウイの休み明けで本当に待ちかねたかのように通学する楽しそうなマラウイの子どもたち。
日本とは違った環境で些細なことにいまだに気づかされる。


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2010年06月06日

ブランタイアでの最後の週末も家の片付けは捗らず。

6月6日 快晴

眠いと思いながらも起床。
9時にブランタイアマーケットで待ち合わせがあるので、それに合わせて準備。
とにかく眠いと思いながらも仕方なく。

何の待ち合わせかと言うと、自宅ウォッチマンを今度ブランタイアに住み始めた新隊員に紹介して、ウォッチマンに次の職場として彼の自宅の場所を教えるため。

9時の待ち合わせだったが、9時より早く到着。
ひとまず新隊員に連絡してみると、彼ももう到着したところだと言う。
すぐに合流して彼のお宅に向かう。
ウォッチマンに「来週、自分がブラタイアを出た後の次の職場だから覚えておいてね」と伝えて次のウォッチマンの職場の確保も完了した。

自宅に戻って、来週末には家を引き払うことを考えながら荷物の整理と送るもののパッキング。

そして、このところ毎日のように誰かしらに言われるマラウイアンの言葉を思い出す。
「自分には何をくれるんだ?」

会う人会う人に日本に帰国する旨を伝える。
そのたびに質問されること。
うんうん言いながら笑ってごまかすか、「何も無い」と笑顔で返すが、向こうも真剣なときは本当に厄介だったりもする。

とにかく、彼らは自分の帰国に対して「寂しい」とか「すぐに帰って来い」とか悲しんでもくれるが、その一方でもらえる物は何でももらおうとする姿勢は見て取れる。

そういえばウォッチマンのサイワラさんも、自分が自宅を離れる前に次に何か職を見つけるために有利になるから紹介状を書いてくれと頼んできた。
2年間、真面目に働いた証明をしてほしいらしい。
残念ながら自分はもうマラウイにいない身なので保証なんてできたもんじゃないし、ただのボランティアだから書けないと丁重にお断りしておいたが、ここに来て感じる彼らの貪欲さ。

今更ながら、生活に対してはすごくシビアな人たちだと感じる。

そんなことを考えながらも一向に捗らない部屋のの片付け。
結局、今日一日ひさびさの休みでのんびり過ごしてしてしまった。
平日の夜にでもぼちぼちやっていくしかないか・・・。

(マーケットの友達のおばちゃんは息子の服とズボンが欲しいと言っている。)
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2010年06月04日

最後のクリニック訪問、Bangwe, Bvumbwe。

6月4日 曇後晴(上着なしでは外に出れないくらい寒い) Bangwe, Bvumbwe

ひさびさにオフィスに出勤。
ひさびさのオフィスで待ち構えていた同僚、マギーとエヴィリン。

いや、正確には別に自分を待っていたわけではない。

先日(4月終わり)行ってきたザンビア土産のチテンジ(アフリカ女性が重宝する汎用布)。

5月中旬に1日だけオフィスに出勤した際にはリロングウェに忘れてきてしまったので渡すことができなかった。
よほど楽しみにしていたらしく、「本当は買ってきていないのではないか?」と心配していたくらいだ。

今回はちゃんと持参。
すぐに出すと面白くないので、少し出し渋ってから取り出す。

すると大喜び。

2枚ある柄違いのチテンジを広げ、どちらがどちらを取るかでまるで子どものよう。
話はまとまったようでお互いが広げてファッションショー。
隣のジョンは「写真を撮れ!」とはやし立てる。

本当にマラウイ女性にはチテンジが良く似合う。
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その後、大事な仕事。
予定では6/13(日)に任地を離れ、首都リロングウェに引き揚げ。

そのための車の手配をする。
総務部の配車担当、ファイソンと話さないと、と思いきや、ファイソンは4月終わりで配属先を退職。
先日から、もう1人の総務部のジョゼフが車のアレンジをしているらしい。
ファイソンにもお世話になったのだが、お別れも言えなかったのは非常に残念だ。

そのため、ジョゼフのところで話をする。
とにかく、13日にブランタイアを離れたいのでリロングウェまでの車が必要だということと、後は配属先から借りている家具類を返却するのでそのための車と日程調整。

実はマラウイにおいて、この車を動かすと言うのはどこの職場でも本当に苦労する。
比較的車もあるし、燃料代を捻出する経済力もあるであろう自分の配属先でも、昔(自分の赴任当初)に比べてシビアになった。

そのため、交渉はどれほどスムーズにいくかと思われたが、意外にすんなり。
全ては予定通り。(本当にそれらが予定通り実行されるかどうかは別として)

後は、それまでに自分のすべきことを全て終わらせないと。
・クリニック巡回
・配属先提出レポート
・業務引継
・JICA最終報告書
・会社月報
・自宅引き払い
・日本への荷物発送
・日用品処分
・ウォッチマンの引継(新隊員への)
・ラップトップの初期化&引渡し
などなど。

よく考えたら、本当にあと1週間。
短すぎる・・・レポート関連は後日メール送信になるか・・・。

本当はもっといろいろやりたいこともあるが、とても慌しく、名残惜しさを感じる間もなく引き揚げとなりそう。
別れは辛いかもしれないし、まあそれもいいか。

(本日訪問したクリニック。ブランタイア郊外のBangwe, Bvumbwe。)
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2010年05月28日

最後の最後でトランスポートに泣かされる。

5月28日 晴 Chitipa→Karonga→Mzuzu

昨日で北部出張の予定は終了。
本日は最北にして最遠の出張先、チティパから北部の拠点ムズズに戻るだけの予定。

しかし、結果から言えば、まさか移動だけの日にこれだけ苦労するとは・・・。
そろそろ油断していたのかもしれない。

早く寝たからか安宿だからか、このところの眠りの浅さもあり、AM4時には目が覚めてしまう。
本を読んだり、音楽を聴いたりして過ごすこと1時間ほど。
外ではエンジンをかける車の音がしたりと、田舎の朝は早い。
(早朝の月も沈みきっていないチティパ。)
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自分も出発の準備をしてAM5:40頃。
宿を後にしてカロンガ行きのバス乗り場らしき辺り(ただの道幅が少し広くなっているだけのところにバスが止まっている)に向かう。
前回訪問時の記憶では、6時くらいには大型バスが止まっていて、7時くらいには出発した。
それを期待して、帰りは大型バスでそれ程苦労せずに帰れるもんだと高をくくっていた。

そしたら何と、止まっているのはマトーラ(荷台に乗り込むタイプのトラック)のみ。
行きに続いて帰りもマトーラでは体がもつだろうか・・・。
心配をよそに徐々に人が集まり、マトーラの運転手は出発する気満々。

AM6:45、出発したマトーラに揺られていた。

今回は体力を使う前方での立ち乗りはやめ、荷台後部に座っての乗車。
しかし、これが後悔の元だった。

確かに体力的な負担にはならないのだが、車の後方ほど前輪から巻き上げられる砂埃を被ることになる。
さらに座った低い姿勢で、対向車が来た場合の砂埃も被りやすい高さにいる。

そんなこんなで4時間強のカロンガまでの旅。
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まだ白かったTシャツは明らかな赤茶色になっていた。
髪の毛は昨日から比べてさらにパリパリ。頭を掻くだけで指の爪の間に茶色い砂が溜まる。
肌も砂が浮いているのがわかるほど砂だらけで、指でこすると皮膚から浮き出た脂分と混ざった砂がぼろぼろと取れる。

しかし、これもどうしようもない。
ムズズまで戻ってムズズの同期隊員宅でシャワーを借りるしかない。

カロンガに着いたのが11時過ぎ。
もう一度、カロンガのクリニックに立ち寄り、その後、お昼ご飯もかねて最後の牛串のカニャニャ(道端で肉を調理する屋台のこと)をいただき、バスデポに。
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PM12時頃にバスデポに向かうと、ちょうど12時発のAXA(数少ない一応のタイムテーブルのあるバス)が待っている。
確か、前回訪問時にもこれでムズズまで帰って快適だった記憶がよみがえる。

他にもバスはあったが、当然このバスをチョイス。

・・・この時点では後々、苦労することになるとも知らず。

自分が乗り込んですぐ、12時半前には出発。
順調な加速で、ミニバスのように各乗降所で停車することもないため、このぶんなら4時間ほどでムズズまで帰れるなと油断をしていた。

外に広がるマラウイ湖と、それに面してある地元住人の生活の風景を楽しむこと1時間ほど。
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大地溝帯が押し上げていると思われる(グレートリフトバレーと言うのか?)山岳地帯に突入。
山肌に沿って曲がりくねった道が2時間ほど続く。
普通のバスなら少しペースは少し落ちるかもしれないが、全然問題はない程度の傾斜なはず。
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しかし、ここでバスに違和感。
坂道を上るペースが遅すぎる。
ある時はバスが止まりかけて何とか踏みとどまり、その後、時速数キロペースで何とか動き始めることも。
「おかしい」とは思ったものの、自分がどうこう言う問題でもない。

そして、ついに悲劇の瞬間が・・・。

上り坂でバスは止まり、アクセルを踏んでもブレーキを外すと重力でバックしてしまう。
少し平坦なところまでバックで戻り、助走をつけようと試みるも無駄。
そもそもこれだけ坂道を上らない車も無いと思っていたが、やはり車のトラブルだった。
そして、しばらくアイドリングしていたバスもついにはエンジンストップ。

エンジンがストップする以前にも乗客は降車してその辺で休んでいたのだが、バス会社の問題対処を待っているようだった。
しかし、自分はエンジンが止まった時点でこのバスには見切りをつける。
とにかく、別のバスを捕まえる前にコンダクターに返金を求める。
コンダクター曰く、「それは出来ない」らしい。

その理由に何ともガックリくる。

会社のボスに電話しないといけないが、携帯電話のエアタイム(プリペイド式の残り残高)が無くて電話できない。
そして、ボスに電話して返金の確認ができないと返金はできないと言う。

なんとも、「そんなことが原因か!」と仕方が無いので自分の携帯電話を差し出す。
そして、即座にボスに電話させ、いくらかの返金を手に入れた。

そして、次はヒッチハイク。
通る車に手で合図を送るがなかなか止まってくれない。
さすがにこんな山の中で、そもそも通る車の数も限られているし、ヒッチハイクは難しいか。

(山中でスタック中のバス。)
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他のバスも通るはずだが、ここを通るのは全て同じ区間のバスだけ。
カロンガ発ムズズ行きのバスのみ。
各バスはいっぱいにならないと発車しないわけだし、ということは、1台が通り過ぎるたびに次のバスがいつ頃来るか、間隔は何となく予想できる。
車の乗客がいっぱいになるくらいの間隔、つまり運が良くて1時間に約1本くらいの割合か。
運が悪ければ数時間待つことを覚悟。

このバスが止まって直後に追い抜いていった1台は既に見送っているので、また1時間後くらいには次のミニバスなりバスが通るはず。
一般車両のヒッチハイクがうまくいかないとなると、そのときが勝負。

そして、炎天下で待つこと1時間半くらい。
いつの間にか日も傾き始める16時20分ごろ。
2本目のミニバスが通りかかる。
精一杯手で合図を送る。

すると、ウィンカーを出して止まった。
走って駆け寄ると、どうやら乗れそう。
実際は満員で乗るスペースはなかったが、ミニバスらしく強引にスペースを作り出して自分ともう1名の乗客を乗せる。

この際、乗り心地はどうでも良い。
朝のチティパからのマトーラに比べれば、ミニバスなんて多少スペースが十分じゃなくてもどれも快適に感じるほど。

その後は、無事にミニバスがムズズまで到着。
18時頃、結局、今朝チティパの宿を出てから約12時間後。
やっと目的地に到着できた。

出張も、最後の最後にトランスポートで泣かされるとは・・・確かに今日は移動日だが、本当に移動だけで1日が終わった・・・。
このところ、比較的トランスポート運は良かっただけに、常に何が起こるかわからないという初心を思い出させてもらった。

今回は失敗したが、過去にはマラウイで人生初のヒッチハイクにも成功したなぁなどと懐かしく思い出してみたり。

体も服も砂埃まみれで向かうムズズの同期隊員宅。
水シャワーがこれほど気持ち良いもんだと思ったのは何度目か。
北部の拠点として幾度と無くお世話になり、毎回、北部での我が家のように過ごしていた彼の家も今日が最後。
確かに、彼の家でも帰国準備が進んでいたはずだ。

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2010年05月23日

働き者。

5月23日 晴 @Embangweni

休みでもきちんと6時には目が覚めるのはもうこちらでの習慣か。
そして、起床後、ずっとのんびりとした自由な時間を過ごす。

人の家なのに。

特に何をするわけでもなく、家主と2人ともコンピュータいじり。
近所を巡るとかすればいいものを、茣蓙でゴロゴロしながらの日曜日。

それと対照的に「ママ」と呼ばれるハウスキーパーさん。
AM6時過ぎに見たときには昨日の晩ご飯に使った食器がキレイに洗われていた。
そして、庭掃除に、畑の水遣りに、水汲み。
夕方には犬のご飯になるシマ作り。

水道の無いこの家では水汲みは一番の重労働だと思う。
井戸は比較的近所にあるとは言えども調理、お風呂、その他、全てに使用する生活用水を毎日汲みに行くことはやはり大変。
(近所の井戸。)
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通常のスタイルとしては、重たい水を頭に乗せて運ぶ。
マラウイの人たちにとって簡単そうに見えても、これは我々にはかなり難しい。
しかも、この仕事は女性の仕事。
男性が水を運んでいる姿を見るのは稀だ。

この家の「ママ」は隣にある自分の家と、家主のお家の家事の両方を毎日こなす。
さらに田舎の村らしく、子だくさん。
彼らの面倒もママは見ないといけないはず。

しかし、ママは喜んで生き生きと働いているようにも見える。
そして村での安定した現金収入は貴重。
仕事を欲しがるママにとって、労働はエンパワメントの側面もある。

生き生きと働く「ママ」を見ながら、働き者のマラウイ女性を改めて尊敬してしまう。
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2010年05月18日

最後のクリニック訪問、Lunzuと、帰国すると伝えたときの反応。

5月18日 曇時々雨(寒い)Blantyre→Lunzu→Blantyre

28日ぶりにブランタイアのオフィスに出勤。
これだけ長期でオフィスを空けたのも初めてかもしれない。

相変わらずオフィスに到着するまでに一苦労。
ひさびさだからか通勤路の皆がやたら声をかけてくるので立ち話が増える。

携帯のユニット売りのおじさん。
道端でチップス揚げてるお兄ちゃんたち。
そして、その辺のバナナ、みかん、ピーナッツ、ジュースを売ってるベンダーさんたち。

「元気か?」に始まり、お決まりの「どこ行ってたんだ?」「家は大丈夫か?」。
そして、「猫は大丈夫か?」

そういえばストロベリーさんが亡くなったのを皆は知らない。
そして、「死ぬ」というチェワ語の単語を自分は知らない。
ということで、「A pita.(Sha has gone.)」と伝えると必ず「Where?」。
天を指差し「Mulungu.(God)」と言うと「Pepani...(Sorry)」。

わかってもらえるようだ。
通勤途中でオフィスで、そうやってやり取りすること数え切れないほど。

そしてもう1つ、そろそろ伝えないといけない。
来月には日本に帰国すること。

皆に伝えると、必ずと言っていいほど返ってくる答えが「いつマラウイに帰ってくるんだ?」という質問とともに「何をくれるんだ?」。
もちろん、「残念だ」とか「寂しい」とか言ってくれるが、二言目には上記の質問が返ってくる。

帰国するんだからいらなくなった物をくれると思っているらしい。
もちろん置いてける物は置いていこうと思うが、そこまではっきりと「何をくれる?」と尋ねられると・・・。

結局、物基準で彼らの生活は成り立つらしい。
彼らの生活も考えれば気持ちもわからんでもない。
だから仕方が無い。

そして、ブランタイアに帰宅したのも束の間。
明日からまた北部出張。

本来、予定ではストロベリーさんの様子を見るためにもう一泊するはずだったが、今となってはその必要もないので・・・。
キツキツのスケジュールに少しでも余裕をあけるために少し前倒しで。
行く前にはストロベリーさんのお墓に参っておこう。

(本日訪問のブランタイアから30分ほどの郊外、ルンズのクリニック。)
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2010年05月17日

ゆるいマラウイが好き。

5月17日 曇一時雨(寒い) Cape Macklear→Blantyre

早朝、AM5:45。毎回、ケープマクレアから帰宅するときの朝は早い。
リロングウェ、ブランタイア、2大都市いずれに向かうにしろこの早朝のミニバスをつかまえるのが最も確実な方法。

前回は翌日の仕事でリロングウェに向かったが、今回はブランタイアの自宅に帰る。
ケープマクレアでつかまえるミニバスはマンゴチ行き。
とりあえずケープマクレアからモンキーベイ経由でマンゴチまで行き、マンゴチでブランタイア行きに乗り換えることになる。

そのマンゴチ行きのミニバスの中。
(道中の切り倒されたバオバブ。もったいない。)
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これくらいの時間がみんなが活動を開始する時間で、いろんな人がミニバスに乗り合わせる。
近所のマーケットまで行く物売りの人たちや、ちょっと良い服を着て遠出の人などさまざま。

今朝、途中で乗り合わせた一人のおばあちゃん。

歩くのは何とか1人で歩けるのだが、ミニバスに乗るための段差などは1人では難しい。
もちろんミニバスのコンダクター(お金を集めたり乗り降りする人のためにバスをコントロールする添乗員)が抱きかかえてサポート。
何とか乗り込む。

そして、我々の方を見るやら何やら言っている。
悪いことを言ってるようでもなかったのでとりあえず挨拶。
そして、いまいち何を言ってるかわからないなりにも何とか会話。
時には周りのサポートも借りながら。

そして、しばらくしてコンダクターにお金の支払い。
おばあちゃんもいくらか払ったように見えたのだが、そこで何やら問題。
おばあちゃんが持ってるお金が足りないらしい。

しかし、そんなときにもみんな笑顔。
そして、何やら言いながら誰かがいくらか恵んでくれないかを相談するおばあちゃん。
お金を回収できないと困るはずのコンダクターですらおばあちゃんを降ろすわけでもなく、笑顔で見守る。

結局、自分らの隣にいたおじさんが50MK(30円くらい)を出してあげて一件落着。
しかし、あの雰囲気なら誰も出さなくてもコンダクターは目的地までおばあちゃんを連れて行ってたと思う。

こういうマラウイの雰囲気は好き。
社会が寛大というか。
老人、弱者が住みやすい社会ってこういう環境なんだろうと思った。

(帰宅したブランタイアのマーケット。)
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