真野御陵の記事の中に出てきた案内板で崩御されたのが「島の御在所」という記述が有りました。
その「島の御在所」が今回紹介する堂所御所址(どうどころごしょ)です。(諸説あるそうです。)

堂所御所は、佐渡の観光マップにも記されています('16年5月現在の配布されている観光マップには書かれていません。消された?)が、実際はそのガイドマップで行く事は不可能に近いです。
しかも道案内をする看板も一切なく、国土地理院の発行する現在の1/25000の地形図にさえ記されていないと言う本当に隠れた史跡です。

地理院地図のサイトの地形図で本史跡を見たら石碑の記号が追加されていました(2014/7/13追記)
7カ月前に書かれていたら苦労して調べなくても良かったのに・・・

興味が湧いてきたのでgoogleで検索して見ると数件ヒットするだけでした。近くまで行った方のブログは出てきたのですが跡までは辿りつけておらず、ますます興味が出てきた。
その方のブログを参考にして、yahooマップの航空写真(田舎なもんでgoogleマップの航空写真では詳細な写真が出てこなかった。今は出ます2015/11追記)でそのあたりをよくよく見て見ると山肌に怪しい地形が有ることを確認できました。
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(yahooマップより)丸をした所が人工的に斜面を削られているような気がします。(クリックで拡大)

位置的には、真野御陵から南東1.5km程(直線距離)の真野川の奥まった沢沿いの山肌に有ります。

マピオン地図

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広域農道佐渡線に掛かる真野御陵橋より、この谷の奥に目指す堂所御所址がある。

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ちなみに反対側はこんな感じ、真野湾の先に二見や佐和田が見える。下に見える建物は真野検診センター

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堂所御所址へは真野御陵へ行く道の途中に真野検診センターと書かれた看板を右に入っていく

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検診センターの先から谷の奥に通じる林道を行く、先ほど居た佐渡線の橋が見える。

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真野御陵橋の下に行き止まりになった橋、一瞬この林道はここまで荒廃していたかと思ったが左に橋を迂回する形で道が設けられていた。

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真野川に沿って林道を行く。奥の砂防ダム工事の際に大型車も通行したのだろう。道幅も広い

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気をつけないと、この様な洗堀の箇所がいくつも有る。

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2キロ程度進むと道が2手にわかれる。大きい右の道はダムの下に通じる道だが、この先で藪になっていた。ここは左の上に上がる道を行く

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右の道を上がると、砂防ダムに到着する。車はここまで堰堤から延びるセンサー?のような機器のフェンスが道まで張り出していて上の平場まで行けなかった。

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参考にしたブログにあった建設会社の作業小屋が建っていた平場

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水をたたえる砂防ダム、航空写真で跡の様な所が見つけるまでは、もしかしたら御所跡はダムに沈んだ?とも思っていた。

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作業小屋跡から奥に通じる道が有るのだが・・・

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藪・・・夏じゃなくて良かった。

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いばらやタラの木と格闘しつつ、左の斜面に注意してきたが上がれそうな道は無く、結局小道の奥までやってきた。沢には林業用なのか、沢を渡る為のコンクリートが打設されていた。

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改めて左の斜面を見る。地図上だとこの上のはずなんだが・・・何やら平場の様になってるよような。

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上がる所も無いので切り倒されて放置された杉の木を頼りに無理やり斜面を登る。最低限の手入れはされているようだ。

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斜面を上るとやはり平場に出た。
おっ!奥になんかある。

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発見!平場の一番奥が一段高くなっており、そこに石碑が建っていた。

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「順徳天皇行宮遺跡」と書かれた石碑
仁治3年(1242年)10月7日この地で、都に帰る望みを断たれ存命益無しと、断食をし崩御なされたそうだ。(クリックで拡大)

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石碑からの眺め、沢の水の音と風の音しか聞こえない人里から離れた静かな所だ。

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今も訪れるのは、最低限の手入れをする作業の人か私の様な物好き位しか来ないのだろう。

もう少し整備してもらいたい気もするが、上皇はわざわざこの様な人里離れた所で過ごしていたのだから、このまま静かにして置く方がいいのかな?
(2014/1/5訪問)