お久しぶりです。前の更新から半年が過ぎようとしてますが、やっと仕事が閑散期になったのでちょこちょこと更新して行こうと思う次第です。今回は大倉トンネルとその旧隧道群を紹介します。
大倉トンネルは、相川地区大倉集落と矢柄集落を隔てる岬にあります。
しばらく使わないうちにLivedoorブログが進化していたようで。google mapが埋め込める様になっていました。
現道と旧道の関係はこんな感じ
海府線を走っていると、大倉の集落から見える旧道のロックシェットは印象的でそのままそこに向かって走っていくのではないかという錯覚になりますが、ぶち抜かれた大倉トンネルが迎えてくれます。
近代的なトンネルで91年竣工らしいが、古さも感じさせない今のトンネル
銘板には1991年竣工 422mだそうです。
大倉トンネルと書かれた扁額
続いて旧道です。
大倉トンネルの大倉側の坑口から海沿いに向かって伸びる道が有ります。これが旧道で外海府の大倉走りと呼ばれる難所を2つのトンネルで越えていました。
現道の脇から小さな船が置いてある道が旧道へのアプローチになる。
道の終端は小さな舟置き場になっている。その一段上を旧道の路盤が第一大倉隧道に向かって伸びているのが分かるが、この藪を進んでいく勇気は無い。
漁具置き場から現道を望む。
手前が第一大倉隧道でロックシェッドに続き第二大倉隧道がみえる。この写真は自分のお気に入り。
蓋がされているが素掘り坑口が分かる第一大倉隧道
旧道の擁壁は長年の波浪で崩壊しつつある。
崩れゆく旧道
第一大倉隧道の下の磯場には道のような跡が残っている。これが旧旧道の大倉走りだそうだ。
残念ながら第一隧道の旧旧道は途中で崩壊していて進めなくなる。無理すれば進めなくもないがここはおとなしく下の磯場を行く事にする。特に満潮や波浪の時でなければ下の磯場と通れる。
第一隧道から出てきた旧道はそのままロックシェッドに繋がっている。こちら側の坑口が陰になってしまって確認できないのが残念
少し高い岩から第二隧道をみる。第一第二ともに蓋はされていない。左に見える岩場の欠けた部分がかつての旧旧道の大倉走りらしい。
足がかりにできそうな岩の上から、第二大倉隧道を頑張って撮ってみる。内部はカーブしているようだ、現役時代はさぞかし見通しが悪かっただろう。しかしこの岩、私の身長では旧道に上れそうで上れない・・・
潮が満ちてきた様なので急ぎ撤退・・・
続きまして矢柄側です
現在の大倉トンネル。こちらは文弥人形の里のレリーフ付き。佐渡のトンネルはこの様なレリーフが多いのだが、どこも色あせてて寂しいです。当時からの流行りなのでしょが、もう少し塗り直すなり出来ないものかと・・・
これなら無い方がましな気がします。
大倉トンネルの扁額
さて旧道の矢柄側です
こちらも現大倉トンネルの脇からのアプローチ出来ますが、Aバリケードが置いてあるのでこっそり行きましょう。
いかにも旧道と言う感じの荒れ方ですが、真新しい轍の跡と磯靴の跡が有ったので釣り人が入っているのだろうか?
カーブを回ると旧道敷きと第二大倉隧道が見えてくる。
閉鎖された旧道、この土砂は自然にではなく立ち入り防止のために置かれた物だろう。フェンスが外れており薄らと踏み跡が有るので行けるかと思いきや、5メートルも進まないうちに藪に押し返されてしまった。藪こぎしてまで行く元気は無い。
デジカメのズーム一杯で、立派なアーチのポータルが残る第二大倉隧道、扁額も有るようだ。
右の断崖に続く筋がかつての大倉走りだそうだが・・・
筋を追っていくと岬に続いている。あんな所通っていたのか!?
大倉トンネル
竣工1991年(平成3年)、幅員8.5m、高さ4.5m
第一大倉隧道(廃止)
竣工1928年(昭和3年)、延長21m、幅員3.5m、高さ3.8m
日本の廃道 隧道データベースより
第二大倉隧道(廃止)
竣工1932年(昭和7年)、延長62m、幅員3.5m、高さ3.8m
日本の廃道 隧道データベースより
(いずれも2015年11月1日訪問)
<2016年9月写真追加>
秘密兵器投入!Pentax K10D+Sigma 150~500mm 500ミリ望遠!(重い)
矢柄側坑口
ズーム一杯で、右書きの大倉隧道と書かれた扁額が見える。
いずれも2016年2月撮影
大倉トンネルは、相川地区大倉集落と矢柄集落を隔てる岬にあります。
しばらく使わないうちにLivedoorブログが進化していたようで。google mapが埋め込める様になっていました。
現道と旧道の関係はこんな感じ
海府線を走っていると、大倉の集落から見える旧道のロックシェットは印象的でそのままそこに向かって走っていくのではないかという錯覚になりますが、ぶち抜かれた大倉トンネルが迎えてくれます。
近代的なトンネルで91年竣工らしいが、古さも感じさせない今のトンネル
銘板には1991年竣工 422mだそうです。
大倉トンネルと書かれた扁額
続いて旧道です。
大倉トンネルの大倉側の坑口から海沿いに向かって伸びる道が有ります。これが旧道で外海府の大倉走りと呼ばれる難所を2つのトンネルで越えていました。
現道の脇から小さな船が置いてある道が旧道へのアプローチになる。
道の終端は小さな舟置き場になっている。その一段上を旧道の路盤が第一大倉隧道に向かって伸びているのが分かるが、この藪を進んでいく勇気は無い。
漁具置き場から現道を望む。
手前が第一大倉隧道でロックシェッドに続き第二大倉隧道がみえる。この写真は自分のお気に入り。
蓋がされているが素掘り坑口が分かる第一大倉隧道
旧道の擁壁は長年の波浪で崩壊しつつある。
崩れゆく旧道
第一大倉隧道の下の磯場には道のような跡が残っている。これが旧旧道の大倉走りだそうだ。
残念ながら第一隧道の旧旧道は途中で崩壊していて進めなくなる。無理すれば進めなくもないがここはおとなしく下の磯場を行く事にする。特に満潮や波浪の時でなければ下の磯場と通れる。
第一隧道から出てきた旧道はそのままロックシェッドに繋がっている。こちら側の坑口が陰になってしまって確認できないのが残念
少し高い岩から第二隧道をみる。第一第二ともに蓋はされていない。左に見える岩場の欠けた部分がかつての旧旧道の大倉走りらしい。
足がかりにできそうな岩の上から、第二大倉隧道を頑張って撮ってみる。内部はカーブしているようだ、現役時代はさぞかし見通しが悪かっただろう。しかしこの岩、私の身長では旧道に上れそうで上れない・・・
潮が満ちてきた様なので急ぎ撤退・・・
続きまして矢柄側です
現在の大倉トンネル。こちらは文弥人形の里のレリーフ付き。佐渡のトンネルはこの様なレリーフが多いのだが、どこも色あせてて寂しいです。当時からの流行りなのでしょが、もう少し塗り直すなり出来ないものかと・・・
これなら無い方がましな気がします。
大倉トンネルの扁額
さて旧道の矢柄側です
こちらも現大倉トンネルの脇からのアプローチ出来ますが、Aバリケードが置いてあるのでこっそり行きましょう。
いかにも旧道と言う感じの荒れ方ですが、真新しい轍の跡と磯靴の跡が有ったので釣り人が入っているのだろうか?
カーブを回ると旧道敷きと第二大倉隧道が見えてくる。
閉鎖された旧道、この土砂は自然にではなく立ち入り防止のために置かれた物だろう。フェンスが外れており薄らと踏み跡が有るので行けるかと思いきや、5メートルも進まないうちに藪に押し返されてしまった。藪こぎしてまで行く元気は無い。
デジカメのズーム一杯で、立派なアーチのポータルが残る第二大倉隧道、扁額も有るようだ。
右の断崖に続く筋がかつての大倉走りだそうだが・・・
筋を追っていくと岬に続いている。あんな所通っていたのか!?
大倉トンネル
竣工1991年(平成3年)、幅員8.5m、高さ4.5m
第一大倉隧道(廃止)
竣工1928年(昭和3年)、延長21m、幅員3.5m、高さ3.8m
日本の廃道 隧道データベースより
第二大倉隧道(廃止)
竣工1932年(昭和7年)、延長62m、幅員3.5m、高さ3.8m
日本の廃道 隧道データベースより
(いずれも2015年11月1日訪問)
<2016年9月写真追加>
秘密兵器投入!Pentax K10D+Sigma 150~500mm 500ミリ望遠!(重い)
矢柄側坑口
ズーム一杯で、右書きの大倉隧道と書かれた扁額が見える。
いずれも2016年2月撮影
コメント
コメント一覧 (2)
久々のブログ拝見させて頂きました。
私も最近、船や滝の写真だけでなく、今は使われなくなって、今もなおその姿を残している「遺産」の様なものに興味を持ち始めていたところでした。
旧大倉隧道は、その存在こそ知っていて興味があったものの、なかなか行って見る機会がありませんでした。
いそじ丸のブログを見て、いてもたっても居られずに、私も昨日旧大倉隧道に行ってみました。
中に入って写真を撮りたいと思うのですが、行きは何とか乗り越えて上がることができたとしても、帰りが恐ろしいことになると思い、いそじ丸さん同様岩の上からの撮影にとどめておきました。
役目を終えて24年。この場所は何か魅力を感じます。
もう二度と使われることはないであろうこの道は、それでも何かを私たちに伝えようとしているように感じました。
おぉ!大倉隧道に行かれましたか!やはり、あの岩は曲者ですよね(笑)
あのロックシェッドの存在感は圧倒的で、少し整備すればまだまだ使えそうな雰囲気です。
昔の風会が失われるのは悲しいもので、佐渡の観光は自然や風景を売りにしているはずなのに、やってる事はバイパス化、トンネル化ばかりで、なんだかなぁ〜と思います。