July 03, 2012

リアリティを求めて〜シリアのホント〜

物事の善悪、正誤を判断するのは思った以上に難しい。
シリアで今何が起きているのか、誰が言っていることが正しいのか、どう判断したらいいのか、自問自答する日々が続く。少なくとも、一般的な事実としてマスメディアの多くは非日常である。そして視聴者も非日常=ニュースを求める傾向にある。
僕はシリア人の日常に迫りたい。シリア人の友人を持つ数少ない日本人として彼等の非日常の中の日常を知りたくて徐(おもむろ)に電話をかけた。電話の相手はシリア赴任時代から付き合いのある最も親しいシリア人の友人の一人ジャミール(仮名)だった。彼はこんな話をしてくれた。
去年の夏、日本在住のムスリムがBBQ大会を開催した。多くのシリア人が集まった。こんなにシリア人が日本にいたのかと驚く中、なかなかお互いの素性を明かしあわず牽制と駆け引きが続いた。遠まわしに話をしながらお互いのことを探りあいながら、自分の味方なのか敵なのかを見分けていく。味方と分かるとようやく名前と出身地を言い合うという。
もともとシリアはムハーバラート(アラビア語で秘密警察)がどこにでもいる。特に外国人は必ずどこからか見られていると思ったほうが良いと5年前の赴任時も言われていた。秘密警察というと特殊任務を政府から与えられた特殊な人というイメージがあるかもしれないが、むしろ相互監視システムと言った方がいい。例えばあるシリア人が日本で行われたアサド政権反対デモに参加したとする。これを知った体制派のシリア人が大使館へ通報する。誰もが秘密警察になり得るし、現政権によって作られた監視社会システムはこんなところまで根を伸ばしていた。
そうした日常のストレスの中でシリア人は自分の思いを誰に語ることができるだろうか。
ジャミールとは1ヶ月ほど前に5時間くらい話をしたがその時もほとんど彼の一方的な話で終った。彼がシリアにいる家族と電話しても盗聴を気にしてかほとんど無反応で、「まぁまぁ元気だよ〜」の連続。何の為に電話をしているのかわからなくという。家族と話をしてもフラストレーションがたまり、日本国内でもシリア人は愚か人を心から信頼できない日々が続く。
彼は批判的にこう言う。日本人はいったいどういう意見を持っているのか分からない。信頼できる情報が少ないからといって全ての情報を把握することなどできないのだから、ある程度で自分の意見をちゃんと持つべきだ、と。僕はシリアの情勢に対して反体制も親体制も掲げない。むしろ、国際社会が庶民の生活とはまったく異なるところで無意味なゲームを続けていることへの空しさでいっぱいだ。だから僕は彼の批判に対して明確な回答を持たない。自分の意見を持つより先にまずは庶民の視点で行動をする、僕らが相手にしているのは政治ではなく「人」なのだ、と返す。当事者である彼が電話越しで苦虫を噛み潰したような顔でいるだろうと想像する。僕自身釈然としない気持ちを紛らわす為に必死に行動しているのかもしれない。自由ってなんだろう。2000年に初めてイラクへ行ったときに感じたあの気持ちが改めて思い出される。

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December 23, 2011

男性の育児休暇

妻が図書館で借りてきてこんな本を読んでいた。

『経産省の山田課長補佐、ただいま育児中』山田正人著 日本経済新聞社

面白そうだと、彼女が読み終わるや否や読んでみた。妻にとって読書といっても子育てをしながらで随分時間がかかる。一日の家事と子どもの世話を終えてようやく寝かしつけたと思ったら自分も一緒に寝てしまっていたり、さぁ、読もうかと本を開けると数分も経たずに「ふんがぁぁ〜」と子どもがぐずりだす。

それでもよっぽど面白かったのか読み終えた妻は是非僕にもと渡された。僕は通勤ラッシュにもまれる20分を2往復する程度で読みきった。それほど面白く時に電車の中でにんまりと笑みがこぼれ、また時に電車に揺れながらじっくり考えさせられた。妻が本を読むのにかかった時間を見るだけで、子育てが如何に大変かが分かる。子どもが出来ると子ども中心になる、というがそれは言い方を替えると、夫婦の思った通りにはいかないということ。僕は家を一歩出れば、本は読めるし書きものも出来る、仕事は忙しいが一服したいときには外の風に当たれるし、自分の時間やペースを崩すものはない。もちろん仕事上の締め切りや周りとの関係等自分の思い通りに行かないことは沢山あるが、それでも結局は自分である程度ペースを決め、目標を決め、取り組むことが出来る。

目標を決めることは、会社や組織、あるいは何某プロジェクトなどになれば当然設定されるものだ。一方子育てはどうだろう。もし子育てに高い理想と目標を掲げてしまうと、恐らくノイローゼへまっしぐらとなる。特に始めての子育ては手探りの連続で、目標など立ててもまずうまくは行かない。目標や計画を立てたがる、あるいはその習慣のある人は大抵それが達成されないとストレスが貯まるものである。その上に、地域に関わったことのない親たちは孤独にさいなまれ、さらに自暴自棄、自己批判に陥ることになる。

と、こんなことを思いながら、結局自分は育児を体験せずここまできた。朝眠る息子を見て、帰宅して元気な息子の相手をして、数回オムツを替えて、お風呂へ入れる程度である。とても育児について語る資格などない。ただ、会社員を続ける自分にとっては、会社員とはなんとも楽なものだと思う。子育てをする中で必要な忍耐強さ、のんびり育児をするというのは、今の自分には無理としか思えない。

世のサラリーマンはストレスを抱え大変というが、一度子育てを体験した方がいいのではないか。そうすると如何に子育てが大変でサラリーマン生活が楽であるかがよく分かる。こんなことを言うと世の男性達に怒られそうだが、にわか子育てに関わっているだけの僕でさえそう思うのだからそれほど外れてはいないはずだ。もっと言ってしまえば、子育てに関わらず、大変さをしらない男性陣が少子化を国会や霞ヶ関で議論しても、いい政策は生まれない。また、企業でのワークライフバランスを論じ、制度化する人たちも育児休暇などとったことのない総務担当者がほとんどで、まったく男性の子育て参加などは実現化するとは思えない。

山田課長補佐はまったくたいした方である。さて、自分はどうするか。今は出来うる限り早く家路を急ごうとそう思う。

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November 19, 2011

誕生日のプレゼント

32歳になる。去年は妻と共に過ごし、今年は息子が加わった。

いつ頃からか、誕生日は祝ってもらうよりこの世に産んでくれ、育て上げてくれた両親に感謝をする日ではないかという気持ちが芽生え始めた。結婚そして子どもの誕生を経てその気持ちは明らかに強くなった。

ただ、今はそこにもう一つ加えるべき気持ちがある。それはやはりこの子をこの世に送り出してくれ、そして激しい妊娠から出産を共に乗り越え、可愛いながらも大変な子育てを嫌な顔せずやりのける妻への感謝である。

今日は、誕生日に際して妻から最高のプレゼントをもらった。そのプレゼントはこんなものだった。

妻の大変さはよく知っているつもりだ。ただ、実際の大変さはなかなか体験できない。
今日は妻が出産後初めて美容院へ行くという。縮毛矯正をかけるので朝9時半から約4時間強。僕にとっては初めてとなる息子との留守番だった。もともと飽きっぽい性格もあり普段息子が泣けば妻に任せ、おっぱいをあげてもらっている。おっぱいが無いというのは大変に違いない。覚悟はしつつも、なかなかゆっくりでき妻にそういう時間をあげたいと思っていたので丁度良かったと思う。最初の1時間半〜2時間はおんぶ作戦。おんぶをして数十分で寝てしまった。よっしゃーと思いつつブログに手をつける。ずっしりと腰と肩に10キロの重みが乗っかる。何かするときはおんぶをすればと普段は簡単に言うが長時間続けるとなると大変だ。
2時間ほどたったとき実家から荷物が届く。チャイムの音が目覚ましとなり息子はしっかり目を開けた。ほんのりくさーいうんちのニオイ。起きたてなのに動きまくる息子を抑え、おむつを替える・・・・といってもそう簡単には替えられない。身体をねじりはいはいの体制に持っていこうとする。実況中継だとこんな感じか。

さぁ、父息子の両足を上に挙げ緑のウンチ臭にやられながらも懸命に押さえつける。一方息子はやられてなるものかと身体をねじり腰を挙げたぁ。父はやられてなるものかと息子の身体を押さえつけこびりついたウンチたちをおしりふきでふき取るがなかなか取れない〜。緊張が二人の間に走り、父の表情は一気にこわばり、おいー協力しろ〜っと叫ぶ。叫べば叫ぶほど相手も叫びお互いが雄たけびをあげた。父はふと我に帰り、これではいけないとお腹の辺りに口をつけ息を吹きかけ「ぶ〜〜〜」。息子は笑いその瞬間力が抜けた。笑い作戦に出た父は見事息子のおむつを替える事に成功した。

これは大変だ・・。その後ははいつくばり周り色んなところでつかまり立ちをする息子から目が離せず、とてもこのブログの更新も出来ず、ただただ近くに座って見守るのみ。爪でも切るかと爪切りを出すと音に反応して飛びついてきた。爪も切れないのかい・・・。

あと1時間くらいとの連絡。再度おんぶ作戦で寝かしつけブログを一気に完成だと意気込むが、残念ながら息子はまったく寝る様子が無い。むしろ泣き始める・・。おっぱいはない。こうなったら水でも飲ませよう、と離乳食用のスプーンで水を与え始める。飲むは飲むは、こぼすはこぼすは。服はびたびたになり服を替える事に・・。ほぼオムツと同じような実況中継になるので割愛する。

お腹のすいた息子は、最終手段として父親から与えられた携帯電話で遊ぶ。本当は携帯電話など子どもに触らせたくは無いが最終手段を使ってしまった。懺悔・・・。

妻が帰ってきた。ほ〜〜〜〜〜〜。

妻のこの最高のプレゼントで僕は大変な育児の一端を体験し、妻への敬意と感謝、そして愛情を一層強く感ることになった。本当にいつもありがとう、これからもよろしくお願いします。

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November 18, 2011

命の大切さを伝える方法

お世話になっている助産院の助産婦さんたちが中学校で命について話をするという。男代表、パパ代表で来てくれないかという誘いを受け今日地元の中学校を訪ねた(妻と息子も当然ということで家族3人で出席)。僕にとって「性教育」で思い出すのは中学の保健の時間。ごっつい体育の先生がコンドームを持ってきて運動用のバトンにつけたことだけはよく覚えている。今思い出すと田舎なのに随分大胆なことをする先生だった。コンドームがどう大切なのかという話はあまり覚えていないがバトンにつけた記憶は忘れられない。それはそれでユニークで貴重な性教育だったのだろう。

この中学での強烈な印象があったためか、4月に息子が誕生するまで性教育とはコンドームの使い方、セックスのことを知る、性病を理解するというイメージがほとんどだった。しかし子どもを授かってみると、性教育はそんな狭い概念ではなく、もっと広いものではないかと感じるようになった。命の大切さ、そして一人一人の存在の尊さを考えるものだと30歳にして思うに到った。

命の大切さを考える会は中学校の体育館で行われた。体育館の底冷えのする冬の寒さが懐かしかった。昼一番もっとも一日で眠くなるこの時間にあまり寝る子が見当たらないのは会の進行をする助産婦Hさんの面白さだけではなく・・この寒さじゃさすがに子どもたちも寝れんだろう、というくらい懐かしい底冷えだった^^;
13時25分から始まった会は約60分強。「生まれる」という映画の1シーンが流され、助産婦Hさんが100人以上の子どもたちの間を所狭しと動き回り生徒達との問答形式で進められた。どうやって子どもができ、成長するのか、またどれほど命が奇跡的な確立で生まれてくるのか(3億分の1)、生まれてくる子どもの神秘が語られた。よく準備されたパワーポイントだったし、なにより子どもたちとの距離感とテンポ感は見事だと思った。

その後、老若男女の心音の違いを実際に聞いてみる。これは僕にとっても初めての経験で、妻の妊娠中、息子誕生後も何度か聞いていたが、こうして色々な人の心音を比べてみるとここまで違うものかと感動した。今こうして息子の心音を落ち着いて聞くことができるのは、当時の興奮状態から少し冷静な父親になれている証かもしれない。子どもの心音の速さは大人とは比べ物にならず、この小さな身体でなんと一生懸命生きているのかと思うと、息子への愛おしさが自然とわいてくる。とってもいい体験をさせてもらった。子どもたちの感想がとても楽しみだ。

助産婦Sさんから振られ僕ら夫婦も少し話しをした。もともとシリアでシリアった(知り合った)こと、途上国で働くと言うことの意味、世界は決して平等でも公平ではなく、都合よく作られた世界があること、みんな違うのが当然で正しい、間違いの判断はメディアや世間や政治が決めるのではなく色々な情報を冷静に集め自分で決めたらよいこと、みんなはどれだけ尊いか、そんな話を息子誕生の話と交えて準備していたのだが、話の流れから方向性を変えてみた。上記のような一般的な話をしたり、過去の経験から感じた世界の不均衡の話をするよりも、この子が生まれた時の感動と感謝の気持ちを素直に伝えたほうがいいような気がした。人前で話すのも久々で、彼女の出会いや(ガーナと日本の)遠距離恋愛についても触れても良かったのだろうが、結局伝えられたのは「生まれた瞬間の妻の見たことのない美しさ」「頑張って出てきた息子と頑張って産んだ妻への感謝」そして「男にもできることが沢山ある」ということ。次の機会があればそれぞれについてもう少し膨らませながら話が出来るといいなと思う。

仕事の関係でその後すぐに退席したが、極めて貴重な経験をさせてもらったと思う。このような会を受けられる子どもたちはとてもラッキーだと思うし、逆にすべての子どもたちがこのような授業を受けたらいい、いや受けなければならないと感じた。また、その他の学年の反応を知らないので即決は控えるべきだろうが、中学校1、2年生というのは性について悩み始める時期にあり、またまだ知識を過剰に持っていないような気がしてベストなのかなぁと思った。

助産婦さんたちとも話していたが、これは是非親を呼ぶべき会である。できることなら運動会のような両親、祖父母まで集まるような機会に無理やり突っ込んでもいいくらいのものである。子どもの誕生はもっともっともっともっと大切に語られるべきである。この奇跡を女性の苦しみや痛みに集約することなど絶対にあってはいけない。

長くなったがもう一つエピソード。
助産婦さんの一人が妻にこう言ったという。私の家では私が生理になるとそれとなく小学校1年生の娘に伝える。娘はそれを聞いて、「そっかぁ、赤ちゃんはできなかったんだね。」と残念がるそうだ。それぞれの家でそれぞれの考え方はあるだろう。ただ、何も知らずに身体の変化を目の当たりにするのではなく、子どもが生まれることがどういう意味を持ち、どれだけ崇高で尊く美しいものかを伝えていくことが親の役目ではないかと思う。子どもは感受性が豊かだ。親が美しいと思うものを美しいと思い、醜く汚いと思うものをそのまま醜く汚いと思うだろう。僕らは命の大切さを教えるとき、無理にコンドームをバトンにつけてみなくてもいい。むしろ、普段の生活の中にある営みや助産院での感動的な経験を伝えることで十分ではないかと思う。もちろんそのためには古典的な医療中心のお産ではダメだと思う。助産院でなくとも、女性がキモチよく男性も共に産めるようなお産でなくてはいけない。

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November 06, 2011

ママ友を通して考える

先日うちを訪れてくれたママ友から妻に報告があった。
旦那が今までほとんどしたことのないという皿洗いをし、なんと!!一度も替えたことのないオムツを替えたそうだ。うちに来たとき、僕が何も言わず一人でオムツを替えているのを見て感化されたのだろうという。自分の行動が同じ境遇にあるどこかの誰かの行動を変えられたとしたら素直に嬉しいことだ。

僕らは(少なくとも独身の時代は特に)成長するにしたがって人とコミュニケーションをとらずに生きていけるようになる。公的な教育課程を経ているうちはなんだかんだと人と関わる。ただ一度社会に出て会社に入ると、会社の中でのコミュニケーションさえなんとかこなせば地域の中では一人で十分生きられる。それが豊かな社会生活かどうかは別として。

結婚するとそうでもない、と僕は思ってきた。子供をどこで生むか、どう育てるか、泣き声で周りの人に迷惑をかけていないか、電車にも乗りにくいし、バリアフリー度がよく分かるようになる。しかしだ。このママ友のご主人のように子どもが生まれても独身時代と同じように生きることも出来るらしいということに気づいた。奇しくも妻が言っていた。会社に独身の同僚が多ければ結婚しても子供が出来ても男は独身ののりで過ごしてしまう。確かにそうかもしれない。彼の同僚や関係者に家族を持つ(だけではなく恐らくある程度大切にし、そこに時間を割く)人がいたらまた違うのではないか。実際うちに来ただけで、彼の行動は変わったのだから。

子育てしやすい地域、社会というのはやはり女性だけではなく、男性も関わりながら一人一人の負担を減らし、幸せを分かち合うことではないだろうか。周りの家族がどんな風に子育てをしているかを知る機会があると自然と「あぁ、これは男がやってもいいんだ。やる人もいるんだ。じゃぁ自分も・・」と思うようになる。そのきっかけが作られるだけでチャレンジの心が生まれ、結果として今まで自分になかった何かを見つけ出すこともできるのではないだろうか。

僕の会社の先輩方々は自慢げにこう言う。俺は子育てなんて参加してない、全部妻がやった。海外出張から帰ると子供があっという間に成長しててなぁ、かわいいもんだ。それでも子供は育つ。

最後の一言が決め台詞。でも僕はそういう人生を歩みたくはない。早急で短絡的な結論と言われるかもしれないが、この戦後の日本の会社社会、男が参加しない子育て社会が今の日本の現状を作り出したとしたら、それは今後改めるべきではないかと思う。日本人のものづくりに代表されるストイックなまでのこだわりは子育てには邪魔かもしれない。おおらかな持続的な関わりが子育てに必要なのだとしたら、どちらかというと短気で飽きっぽい自分にとっても大きなチャレンジには違いない。

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November 05, 2011

甥っ子誕生に親として思うこと

兄夫婦に第二子が誕生した。うちの子と同級生だ。2年前兄に第一子が誕生したときとはまた違う感動があった。

既にうちの息子も誕生から6ヶ月が経過した。一日一日変化する。日中見ないうちに新しいことが出来るようになっている。はいはいの手の使い方を覚えたと思ったら、翌日には足の使い方を覚えている。少しずつ重くなる。一方相変わらずよく笑い、よく動き、そのすべての動作に対する真摯な姿勢さは自分の今の状況に重ねると苦笑が出る。微塵も気を抜かず100%の力を注ぎ込む。だからつかまり立ちをして頭から床に落ちたときの痛さはよほどのものだろうと思う。まだ手で支えると言うことを知らない。

兄の第二子は2258gで予定日よりも1ヶ月早かった。第一子も生まれてから1ヶ月保育器に入っていたというから色々と大変だろう。ただ、送られてきた名もないその子の写真を見たとき、自分の息子の6ヶ月前を思い出し、ゴゴーと音を立てて湧き上がってきたあの感動がよみがえる。なんだかよく分からないがありがとう、と言いたくなる。この感動を得る機会はやはり多くの人に持って欲しい。少子化などといっている暇はない。

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October 29, 2011

ママ友を通して考える

妻のママ友Aさんがご主人を連れて自宅を訪ねてきた。
妻から色々話を聞いていたが、ご主人はとてもゲームが好きで、子供に対してもあまり興味がなさそうで(可愛いとはいうけれども)、週末もなかなか外に出てくれず、抱っこ紐も恥ずかしいからしたくなく、毎日帰りも遅くて、夫婦の会話もあまりなく・・云々。

僕としては、これが典型的なのか、例外的なのかよくわからないまま妻の話を聞いてきた。知っていそうで知らない日本の現在の社会を知る上でもとても興味深いことだ。Aさんのご主人の気持ちも分かる。日本の社会でサラリーマンをやるというのは、僕が知る限り(例外を除き)未だに夜中まで働かされることを意味する。よく「社会人になりました」という言葉を口にする会社員がいるが、僕に言わせれば彼等の多くは「会社人」になったのであって、社会人になったわけではない。社会人とは、子育てにも参加し、自分が生きる地域、社会を知り、その社会がどのような仕組みで動いているかを知り、自分の位置を知り、個人で、夫婦で、家族で何ができるのかを考えることである。できれば何かその地域、社会のために実行できることが素晴らしいが、せめて選挙へいくことで実行するのが本当の社会人であると思う。あまり結論を急いではいけないだろうが、会社という組織自体が個人の社会への進出を妨げているのではないかと思う時もある。

妻に寄れば、僕が上記のような例を使ってAさんのご主人をフォローしたことを、Aさんに話したところ、ご主人はこれまでよりも少しは子供への関わりが増えたという。本当か偶然かはわからないが、それをきっかけに今日の訪問になったらしい。

彼は、とても温厚な感じで人当たりもよく、ビデオを持って息子を撮るくらい子どもに興味がありそうだった。人づての話とは誇張があるのかもしれないし、人前で頑張っている?!だけなのかもしれない。が、いずれにしても、こうして外へ出て色々な家族を見ることは大切なことなんだろうと思う。僕も家にいるとついついPCに向かってネットサーフィンをしながら色々と調べ考えることがある。彼にとってはそれがゲームなのだろう。そうであれば、僕が外へ出ればPCへ向かうことができないように、彼もなんとか外に出てしまえばゲームに向かうことができない。そういう時間を作るためにうちを使ってくれるのは嬉しいことだ。自分たちにとってもいい刺激になる。

地域のコミュニケーションが減り、家族との繋がりも少なくなっている。震災を機に見直されたといってもどの程度だろうと思う(根拠はないがいくつかの例から)。子育てを孤育てと表現されるくらい孤独なお母さんや家族が多いことだろうと思う。付き合いやつながりは面倒なこともあるが、社会で豊かに生きていく上でこれからもっと必要になると思う。

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October 28, 2011

妹の協力隊応募を前に思うこと

妹が訪ねてきた。協力隊を受けたいという。
色々と複雑な思いはある。
個人がどんどんと海外に行くことができ、企業などは行かなければ競争に負けてしまうという世になり、協力隊の意義、あるいは自身が働く海外へのコンサル業の意味とはなんだろうと問い続けてきた。

看護師の資格を持ち日本の島で保健師を行う妹にとっては、人とのつながり、異なる価値観という意味では、海外へ行く上でのステップは踏んできているのであろう。たかだか数百人、数千人の島の中で生きることは、アフリカや中東の村で過ごす生活とある意味において似ている気はする。

ただし・・である。

今協力隊の補完研修の一コマで講師をする中で、協力隊の責任、自国ではない海外で活動をする責任について、負のインパクトを与えないためにどのようなことができるのかを話している。こうしたトレーニングは大切だが十分ではない。常に経験豊かなアドバイザーを持ち、小さな試行をどれだけ重ねていけるかが協力隊にとって大切なことだとは思う。しかしながら、いまだに協力隊で行ったからには何かをしなければという思いが先行する(これによって空回りし現地を冷静に見られない)隊員は多いのではないかと思う。この大切な点について何らかの対策を持たないのであればNGOなどの業務調整(所謂下ずみのように)として仕事をする中で、現場に近い位置で様々な経験ができる方がよっぽど途上国や本人のためになるのではないかと思う。

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October 18, 2011

100%の力を使うこと

自分の小さい頃を思い出しても手を抜くということを知らない頃があった。額に汗を浮かべながら必死に前に進もうと手と足をばたばた動かす息子の姿を見ていると100%全力で歯を食いしばる人間の姿がある。

現在の自分を振り返ってもなかなか100%の力を使うということがない気がしてならない。様々なことにある程度の力を分散しながら、強弱はあれ如何に少ない労力で多くのことをこなそうかと考えている自分がいる。負けてなるものかと走った徒競走、ここで辞めてなるものかと続けた小学校での半そで半ズボン。力を抜かないその姿は無駄とか非効率そのもののようで、光るものがある。

成長し、一人暮らしをし、仕事につき、結婚し、子供ができ、同じ24時間を過ごすにも随分と時間の使い方が変わってくる。自分が100%の力を使うことってあるのだろうか、そしてあるとしたらそれは何だろうと考えてみる。どうしても妻と、そして次の世界に生きていく自分の子供と子どもたちにいい社会を残すことに少しでも力を使って生きたい、そう思うに至る。

都内でホットスポットが見つかり始めた。必死に市民団体が放射性濃度を自主的に測定する中で、今後も東日本に住む限りこれらの情報を気にしながら過ごす。安心したい人たちはそれでいい、ただ僕は息子が成長する上で最もいい場所はどこだろう、という選択肢について今も考えている。

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October 16, 2011

赤ちゃん、孫の力

当然のことではあるが父親や母親のことは、子供としてはある程度知っている気がしていたのだが、孫を連れて実家へ戻ると、今まで見たことのない一面を見る。そこには父と母がいる一方でじじとばばがいるわけだ。最初はじーちゃん、ばーちゃんと呼ばれることに若干の抵抗をしめしながらも、そのうち散歩へ行ってくると勝手に連れ出してしまう。その光景を見るとなんとも不思議な気持ちになる。人は産まれて子どもを経て大人になり、親になり孫に会う。そういう繰り返しを何度となく繰り返しながら生命は、人間はこうして歴史を重ねてきた。

そんな気持ちがふと頭をかすめる度に思い浮かぶのは手塚治虫の火の鳥。自分が親となり、孫を見せに両親に会いに行く。この世界観を火の鳥は壮大なスケールで描き出す。小さい頃から実家でぼろぼろになるまで読んだ火の鳥をまた改めて一人の親として思うとき、その作者の偉大さに感動する。

震災以後家族についての考え方が随分と変わったと聞く。日本の行く末を心配する気持ちは募るばかりだが、すべての基本である家族を守り、社会と共に子供を大切に育てていくことを今一度見直すべきときにあるのではないかと思う。高度経済成長が作り上げた日本は今、この間に置き忘れてきた何か大切なものをしっかりと認識し、その土台を固めながら再構築すべき時にある、そんな気がする。ノスタルジーではない、土台を見直すこと、そこに新しいアイディアと価値観を構築する。とても難しいことだろうが、実践したいなぁと強く思う。


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