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雑記

川崎重工創立120周年記念展 −世界最速にかけた誇り高き情熱−

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創立120周年という節目にあたり、このたび記念行事として「川崎重工創立120周年記念展 −世界最速にかけた誇り高き情熱−」を開催することといたしました。

 本記念展では、当社岐阜工場(岐阜県各務原市)で修復、復元作業を終えたばかりの、三式戦闘機「飛燕」の実機展示を中心に、その修復プロジェクトとエンジンの過給機の技術の歴史と進化を紹介します。


 第二次世界大戦中に当社が開発・製造した「飛燕」は、国内に現存する唯一の機体が、昨年夏まで 29年間、知覧特攻平和会館(鹿児島県南九州市)に展示されていました。この「飛燕」は、経済産業省が認定する「近代化産業遺産群」の一つとして認定され た航空遺産でもあります。当社は、「飛燕」を所有する一般財団法人日本航空協会の依頼を受け、その正しい姿が永く後世に伝わるよう、同機の生まれ故郷であ る、当社岐阜工場において、同協会の監修の下、破損部位の修復、欠損部品の復元などを行ってまいりました。

https://www.khi.co.jp/120th-Hien/index.html


数年前に知覧特攻平和会館を訪問した際に実機を拝見している。
どのように修復されているか楽しみだ。

DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #17

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DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第17弾は 「日本海軍艦上戦闘機 三菱 烈風」である。

「烈風」は1942年(昭和17年)に試作を内示されたものだ。
海軍は1800馬力級エンジン 中島飛行機の「誉」の採用を主張した。 それに対して三菱は2200馬力と余裕のある自社「ハ43」の採用を願ったが、既に開発が進んでいたこと、またコンパクトでありながら高出力のカタログ・スペックを誇る「誉」が押しつけられた形となった。
これで零戦の「栄」といい、機体は自社ながらエンジンはライバル社という構造になった。
これは中島と軍部との官民談合の悪しき例と称されるものだ。

主任設計技術者は「零戦」の堀越技師であったが、「零戦」に対する前線からの改良要求や先行していた「雷電」の開発もあって遅延しがちであった。

高速の時代を迎えても、「零戦」並の格闘性能に拘った海軍側の要求によって、翼面荷重は150Kg/m2以下となり、艦上攻撃機なみのデカさになってしまった。
それでも自重は3tほどに押さえられたのは零戦以来の軽量設計によるものだ。
できあがった機体の操縦性は素晴らしかったとされているが、大きすぎる機体とカタログスペックを満たさない「誉」エンジンにより上昇速度も水平速度も全く期待はずれになってしまった。

開発中止に追い込まれた「烈風」であるが、高高度戦闘機「烈風改」の先行試作機として生き残った。
三菱は自主開発として当初予定の「ハ43」にエンジンに置換したところ、ほぼ予定通りの性能を発揮した。
それでも最高速度は620Km/h と当時の欧米機に比べて傑出しているものではなかったが、操縦性能は相変わらず素晴らしいものであったという。

当初、昭和19年に就航した最新鋭航空母艦「大鳳」への搭載を予定していたが叶わぬ夢に終わってしまった。 もっとも「大鳳」もマリアナ沖海戦で撃沈されてしまった。

さて筆者がこの機を知ったのは 貝塚ひろし作「烈風」である。





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1973年の作品である。 完全に空想戦記を通り越しているが、氏の零戦マンガの集大成といって良いだろう。

氏の作品では「ゼロ戦行進曲」が胸を打つ名作品であった。




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最後は主人公も特攻出撃。
母や幼馴染みが訪問するも間に合わないのは「雲流るるはてに」「紫電改のタカ」など
太平洋戦争末期を描いた物語の悲しいお約束だ。


さて組み立ててみる。

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「零戦52型」と並べてみる。
「え〜」というくらい大きさが違う。
まるで1/72スケールと1/48モデルを並べたみたいだ。

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艦上攻撃機」並ということで「流星」と並べてみる。
なんと本当に殆ど変わらない大きさだ。

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ライバルたる、「F4U コルセア」との比較。
デカいイメージのある「F4U コルセア」よりも更に大きい。

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ちなみに同時期のアメリカ海軍機としては「F8F ベアキャット」となる。

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こちらは「烈風」とは逆に「零戦」より小さな機体に強力な2300馬力クラスのエンジンを搭載して、馬力で運動性能を確保した機体だ。

小さな機体の「零戦」と大きな「F4F ワイルドキャット」に対して「烈風」と「F8F ベアキャット」では立場が変わってしまったのは面白いところだ。

DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #16

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DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第16弾は 「アメリカ海軍・海兵隊 戦闘機 
チャンス・ヴォート F4Uコルセア」である。

「コルセア」は1938年(昭和13年)に試作内示されたもので、世代的には零戦と雷電の間となる。
2000馬力級エンジン P&W R2800を最大限生かすべく企画されたものだ。
直径4m の大プロペラを使用するため、主脚が長くなるのを嫌って逆ガルウイングを採用した。
これは日本海軍の万能攻撃機「流星」が中翼で主脚を短くする為に採用したのと同じだ。

ただ、理想を追いかけた設計が故に開発が長引き、結果として「保険」の「F6F ヘルキャット」より実戦配備が遅れたのは以前記した通りだ。

日本海軍では「コルセア」ではなく主に「シコルスキー」の名称で呼んでいた。
さて筆者がこの事を知ったのは 「東宝8.15シリーズ」「太平洋の翼」である。

 

1時間7分40秒くらいからを再生して見て欲しい。

四、
ソロモン群島ガダルカナルへ
今日も空襲大編隊
翼の二十ミリ雄叫(おたけ)びあげりゃ
落ちるグラマンシコルスキー
シコルスキー

五、
にっこり笑ってダイブに入る
友の艦爆勇ましや
上がる黒煙消え去るあたり
見たか敵艦真っ二つ
真っ二つ




 
搭乗員節」というかなりマイナーな軍歌を歌っている。
この中で「シコルスキー」なる名称が出てくる。


さて組み立ててみる。
このアングルから見る「F4U コルセア」が最も特徴が判り、機能美を出しているのでは
ないだろうか?
直線基調の「F6F グラマン」や「P51 マスタング」に比べて、どことなく優雅な感じがする。
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F6Fと並べてみる

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かなりデカいイメージのある「F4U」であるが、実は「F6F」の方がボリュームがある。

ライバルたる、「紫電改」と

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日本機の中では大きめの「紫電改」が子供のようだ。

国産名車コレクション No.1 トヨタ 2000GT

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書店発売のミニカーシリーズで魅力的な企画が始まっている。
TV CM でもお馴染みである。 9/6 に職場の近所の書店で見かけたのだが、この日は他に買う本があったのと、思ったより大きなパッケージ。
「まあ明日にしよう」と思っていて、翌日はコンサートで本屋に寄れず。
木曜日に行ったらすっかり消え失せていた。

初回が激安であったこともあり売れてしまったのか?
と暢気に思ってたら、オークションではプレミア価格になっていた。

これはすっかり出遅れてしまった。
やっぱり有った時には買わないといけないということを改めて実感した次第だ。

映画「君の名は。」を観てきた



公開2週目の土曜日の夕方に観てきた。
意外にも小中学生が目立って、ほぼ100%の大盛況であった。

ストーリーに関しては事前に知っていたので、映像を確認しにいくようなものであった。
それにしても完成度が高い。

ハリウッドのアニメーション映画は作画技術は非常に高いが、いわゆるジャパニメーションのキャラや心情描写に比べると単純だ。
良くあるハリウッド・パターンは、
主人公が挫折しながらも周囲の励ましや助力によって成長して最後はハッピーエンド。

日本のアニメの様に
#主人公が「中2病」で、ネクラ、性格が歪んでいたり、父親に突き放されたりしない;-)

さて、「君の名は。」に話を戻す。
新海監督の作品は登場人物に自分を投影して感情移入できるのが今回のヒットに繋がっているのだろう。
宮崎作品に比べると登場人物の精神年齢は高い。
例えるなら「高2病」に掛かっているかのようだ。

映像のディテールに拘りがあるのでひとりニヤニヤする。

まずは往年の TRIO(Kenwood) TS-520
アマチュア無線機 HF機のベストセラーだ。

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外付け VFO-520とともに何カットか登場していた。
最も本機で防災無線の60MHz帯の電波は出せない。
周波数レンジは 1.9MHz帯 から 28MHz帯までである。

そして防災無線の受信機。 なんと大阪の田舎の我が家には配布されたものがある。

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松下製だ。
AC/DCどちらでも動作可能だ。

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防災無線の仕組みは簡単で、単に電波を受信するだけでは受信されるのではなく、トーンスケルチによる制御が行われている。

ところがストーリーに関してであるが、残念ながら完全に感情移入できなかった。
何かが違う??

DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #15

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DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第15弾は 「ドイツ空軍 戦闘機 
フォッケウルフFw190D-9」である。

「Fw190」は1937年(昭和12年)に試作内示されたもので、世代的には零戦と同じである。
元々「Bf109」をサポートする立場として開発がスタートしたのは、アメリカ海軍 「F4U コルセア」に対する 「F6F ヘルキャット」と同じようなものであるが、フォッケウルフ社の天才技術者クルト・タンク博士は速度と運動性能で「Bf109」を凌駕する機体を生み出した。

「Bf109」が液冷式 ダイムラー・ベンツ DB601 を搭載したのに対して空冷式 BMW  801 を搭載した。
本機 D-9型では 液冷式 Jumo 213A-1(1750hp)に変更されている。
液冷式で問題となるラジエターは機首前方に環状で配置するという方法で解決している。
それが故に初期型に対して「長鼻」独特の形状となった。

さて筆者が当機を知ったのは 松本零士氏 戦場マンガシリーズ「ベルリンの黒騎士」である。

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また、後継機たる「Ta-152H」も同氏「成層圏気流」に登場している。
主人公の最初の愛機たる、「Fw-190A-4」も観れる。



さて組み立ててみる

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Bf-109Gと並べてみる

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ライバルたる、スピットファイアと

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最大のライバルたる、「P-51D ムスタング」とは分が悪いか?

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食器棚が開かなくなった?!

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我が家のキッチンの食器棚は普段使いのものを下の棚の真ん中の引き出しにいれている。
これが何かが引っかかってしまったのか開かなくなってしまった。

まるで先週の「探偵ナイトスクープ!」の開けられない部屋と同じ状況w
『自分の部屋のドアが開かない!』探偵/真栄田 賢 大阪府の男性(38)から。1週間ほど前、夜遅く帰宅すると、玄関の鍵をかけ忘れたまま妻子が寝ていた。不用心だと思いながら自分の部屋に入ろうとしたら、ドアが開かなかった。向こうから押し返されるような反動があったため、もしかして強盗かと思い、妻を起こして中の様子を伺ってみると、人の気配はないようだった。とりあえず安心し、翌朝もう一度ドアを押してみたが、やはりビクともしない。その日以来、部屋に入れないので困っている。私の服がすべてその部屋にあるため、半パン2枚、上着3枚をやりくりしている状態。仕事にも半パンで行っているため、何とかドアを壊すことなく開けてもらえないか、というもの。
http://www.asahi.co.jp/php/knight-scoop/search/search.php?mode=result&oa_date=20160819

解決策のように風船を入れて塞ぐものを排除する訳にもいかないので。
1センチくらいは開くので、なんども開いたり閉じたり、揺すったり!

すると

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開いた!

赤いお椀が倒れて引っかかっていた模様。
そもそも積んで入れ過ぎだった。

とりあえずやれやれ。

DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #14

 
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DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第14弾は 「日本海軍 艦上爆撃機 
愛知 九九式艦上爆撃機一一型」である。

「九九艦爆」は昭和11年に試作内示され、愛知の他、三菱、中島が競ったものだ。
前作の 「九六艦爆」に比べると、大幅な近代化を果たしたもので、太平洋戦争序盤の主力機として活躍した。
元々急降下爆撃機の被害は大きいものであったが、アメリカ海軍がレーダー誘導による「F6F」艦上戦闘機 や対空砲火にVT信管を挿入しだしてから、被害は更に増大し「九九棺桶」と揶揄されるようになった。
最も発動機を三菱「金星」五四型に変更した二二型は最高速が50Km/hも向上したが、それでも427Km/hに過ぎなかった。

後継機たる「彗星」は水冷エンジン「熱田」に問題を抱えており稼働率が低いものであった。

さて筆者が当機を知ったのは 東宝8.15シリーズ映画「連合艦隊司令長官 山本五十六」である。

 
今や、機動戦士ガンダムのシャア・アズナブルで有名な池田秀一氏も本田三飛曹役で出演されている。
「九七艦攻」隊長機の通信士で、真珠湾攻撃の際、「トラトラトラ」「ワレキシユウニセイコウセリ」を打電する。

さて組み立ててみる

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重量物の爆弾を搭載するために非常に大きな翼を持つ。

真珠湾攻撃をイメージして零戦21型と並べてみる。

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流石にデカい。

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最新鋭の「流星」との比較ではさすがに古さが目立ってしまう。

DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #13

 
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DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第13弾は アメリカ海軍 艦上戦闘機 グラマン F6F  ヘルキャット である。

グラマン F6Fは同社の前作F4Fの後継機として開発されたが、そもそもチャンス・ボート社 F4U コルセアの保険的な意味合いで進められたものだ。 コルセアは初めての2000hpクラスのエンジンを搭載し、逆ガル翼といった革新的な構造を持って計画停電されたが、それが故に開発が難航した。
そこで、アメリカ海軍は主力機であった F4F の発展型としてコンサバな設計で企画されていたF6Fの開発にGOを出したものだ。

F4F は被弾に強く、その鈍重そうな外観とは逆に意外に小回りは利いた。
但し、同時代の零戦やヨーロッパ戦線におけるBf-109に比べて速度や上昇性能が低く、総合的には劣っていたといえる。
それに対してF6Fは大型エンジンの搭載と更なる防御強化で欠点を補った。

量産機の性能は最高速度が612Km/h と当時のアメリカ軍機としては低速である。
カタログデータ上は F4Uの方が上であったが、F4Uは空母搭載に問題があり、機動部隊への実戦配備はF6Fが先行した。

F6F が配備されだした頃も日本海軍は依然として零戦。 52型であった。
性能上では平凡なF6Fが活躍できたのは、日本機の主力が零戦であったこと。
そしてロッテ戦法や後のサッチ・ウイーブの編隊空戦を支える無線電話やレーダー管制といったサポート面での充実が埋めて十分なものであった。

シンプルな設計による整備性、操作性の良さ、そしてファストバックながらも視界が広く、何よりも頑丈な構造によって新米パイロットでも空母運用が可能であったことだ。

よく、捕獲した零戦を研究した結果の設計と言われるが、それは間違いであり、原型機は1942年に飛行している。
本当の意味での「零戦キラー」は次世代のF8Fである。

筆者が太平洋戦争時にパイロットであれば乗機として選びたい最右翼の機体だ。
間違っても日本陸軍の飛燕や海軍の雷電には乗りたくないものだ。

さて筆者が当機を知ったのは ちばてつや氏の「紫電改のタカ」である。
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その昔、テレビ漫画(アニメなるハイカラな言葉はなかった!)になった作品以外にもソノシートでラジオドラマ的な音声だけのドラマと主題歌(オープニング&エンディング)がセットとなり、絵本仕立てになっていたものが発刊されていた。

本作も朝日ソノラマからの発売で
ナレーター    野沢那智
滝兵曹長     小宮清(「少年忍者 風のフジ丸」)
スカイキング大尉 近石真介(初代 マスオさん)

どういうわけか絵本とドラマで全く異なる話で、ドラマでの滝兵曹長のセリフ。

「南西の方向にヘルキャットが7機・・・高度は約3000です。」

これが原作では以下のようになっていた。
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ヘルキャットという機種名を知った原体験であった。

さて組み立ててみる

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相変わらずのスングリムックリでプロペラの大きさが目立つ。

ライバルたる紫電改と並べてみる。

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圧倒的に大きいのにビックリする。

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デカいと思っていたアメリカ陸軍 P-38 と比べても 翼は大きいくらいだ。
空母から離着陸が必要な F6F は低速時の揚力を得るために翼のアスペクト比も高いものとなっている。

先に紹介した日本海軍 艦上攻撃機 流星 とも比較してみる。

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実際の戦闘でも流星の美しさに魅せられた、F6Fのパイロットはいたのだろうか?

「特攻の島」が久々に週間漫画TIMESに掲載



特攻の島は海猿やブラックジャックによろしくの著者である、佐藤秀峰氏が週間漫画TIMESに不定期掲載している作品だ。
連載開始から10年以上、昨年の夏に集中連載があり、ようやく第8巻まで漕ぎ着けた。

太平洋戦争末期、回天特別攻撃隊の史実を下敷きとしたフィクションである。
非常に重いテーマである。

筆者は回天の実物を見たのは、幼少の頃、枚方パークで開催された「戦争と平和展」だ。
と、言っても詳細は全く記憶にない。
当時撮影されたアルバルの写真。(回天をバックに写したもの)
それと母が 書いた「戦争と平和展」のキャッチで分かるのみだ。
 
大正の時代に生まれてきた方は、一番悲惨な青年時代を過ごされてきただろう。
昔、「明治100年」があったが、現代は「大正100年」も通り越してしまった。
戦争の記憶は遠くなるばかりである。 

DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #12

 
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 DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第12弾は アメリカ陸軍航空隊 戦闘機 ノースアメリカン P-51D マスタング である。

P-51 は第二次世界大戦で活躍した戦闘機で「最優秀」と称される。
元々はイギリス空軍への供与としてスタートする。 カーチス P-40 のライセンス生産をノースアメリカン社に打診したのが始まりで、120日以内でP-40以上の機体を試作するという契約でスタートしたものだ。

P-51と言えば、700Km/h 以上の高速性と3700Km以上の零戦を凌駕する航続距離が目に付くが、必ずしもハイエンドの機体という訳ではない。
価格は P-47 サンダーボルトの半分! P-38 の4割と安かった。
大戦終了後、民間に払い下げられた機体も多く、現在でも飛行可能な機体が多い。

エンジンは1500馬力クラス。 総重量は液冷エンジンを搭載することもあり自重で3.5tにも及んだ。
航続距離の為に燃料満載時のバランスも悪かった。
日本機の速度レンジでの運動性能もイマイチで隼に撃墜されたこともあるようだ。
最も計量化されたH型の登場で789Km/hの最高速と共に一段と完成度を上げた。
但し、海軍の F-8F 同様に大戦には殆ど寄与していない。

筆者が当機を知ったのは辻なおき氏の「0戦はやと」である。
主人公の東隼人の父、東大佐の親友であったキングサタン中佐の乗機として登場した。
東大佐はキングサタン中佐との空中戦で命を落とす。
幼心に親友でありながらも、お互いの国の為に戦う矛盾にこころを痛めたものだ。


さて組み立ててみる

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写真で見るより落下増が小さい。

日本陸軍三式戦 飛燕と並べてみる。
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直線的なP-51 に比べて、曲線に包まれた飛燕はやっぱり日本の戦闘機である。

そして同時代のライバルたる、日本陸軍 四式戦闘機 疾風 と並べる。
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高高度の性能を重視した P-51 と中高度以下での機動性を重視した疾風とでは明らかに設計思想の違いを感じる。 一撃離脱に徹するのなら P-51 であるが、格闘戦はもちろん同位戦では馬力のある疾風にも勝機があった。

この2機を描いたCG動画がある。 すっぽん こと栃林秀 氏がアマチュアの頃発表されたものだ。
これは本当に素晴らしい。

DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #11

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 DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第11弾は 日本海軍 艦上戦闘機 三菱  零式艦上戦闘機二一型である。
初期型である、一一型に空母発着陸のための装備をしたもので、3,500Kmにおよぶ航続距離を誇ったのも、この型だ。 いわゆる「ラバウル航空隊」の歴戦の勇士たちの乗機でもあった。

1,000馬力クラスの「栄」エンジンは当初、三菱は自社の「瑞星」を選んでいたが、海軍の横やりで、ライバル社、中島飛行機の「栄」になった。 中島は現在のスバルの前身たる会社であるが後の「誉」とともに官官談合による悪しき例とされる。

零戦はのちに五四型で「金星」を搭載しているが、そもそも1,000馬力クラスでバランスをとるように設計されたもので、本来であれば後継機である「烈風」が背負う任務であった。
開戦当初、優れたパイロットと共に「攻撃は最大の武器」しかしながら1発の被弾が致命傷になる可能性のあった零戦は老いるのも早かった。

筆者が当機を知ったのは辻なおき氏の「0戦はやと」である。


さて組み立ててみる

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同時期のアメリカ F4F の大雑多さに比べてなんと優雅なスタイルであろうか。
但し、その分工程が増えて大量生産に向いていなかったのは確かだ。

後期、五二型と並べてみる。
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速度向上のために翼幅をカットした三二型に合わせて翼端を整形した五二型は明らかに狭い。
機関砲が九九式一号から二号に変更になった。
銃身が長くなり直線性が改善。 なにより携行弾数が増えたのが一番であった。

1985年 鈴鹿8時間耐久オートバイレース


今年のル・マンは残り3分でトヨタのスロー走行でまさかの失格でポルシェの優勝となった。

これで思い起こすのは1985年の SHISEIDO YAMAHA TECH 21 TEAM の悲劇だ。
この年、YAHAMA は1983年にGPを引退した"King" ケニー・ロバーツ と日本のエース 平忠彦の
ゴールデン・ペアで臨んだ。

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YAMAHA FZR750 Endurance Racer は、市販FZR750をTT-F1参戦用のベースモデルであった。
TECH 21 のマシンカラーは資生堂の研究でサーキットで使われていない色で目立つ色として、薄紫の
独特のカラーリングを導きだしたとのことだ。

当初、ケニー・ロバーツは「女々しい色」として嫌ったという。
確かに、今までサーキットで見かける色は原色が多く、寒色系の色は逆に引き立った。

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4輪の世界でも、今は亡き、LEYTON HOUSE のミント・ブルーは美しかった。
LEYTON HOUSEカラーのブルゾンをお持ちの方も多いだろう。

さて、予選でケニー・ロバーツはブランクを感じさせず、あっさりポールポジションを獲得する。
しかし、スタートでエンジンが掛からず大きく出遅れ、最後尾にまで順位を下げた。
まるで「バリバリ伝説」のように驚愕の追い上げを見せて、38周 目にはワイン・ガードナー/徳野政樹を追い抜いてトップにたつ。

だが、19:30のチェッカーまで残り約30分となったところで、平が突然のスロー走行。
惰性で最終コーナーを 下ってきたマシンは、グランドスタンド前でついには止まってしまったのだ。
ワイン・ガードナーはイマイチスピードの乗らない徳野に変わって2ステント連続、昼間のスモーク・バイザーで走り抜けた。

平は、90年に優勝するまでの悲運が続いた。

実はミーハーにもTECH 21 「色」のChamp 50 に乗ってた。
駅までの「足」として活躍してくれた。
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こちらは1987年に発売された、「TECH 21」仕様の限定車。
色だけでなく「TECH 21」のデカールが追加されている。

ところで HONDA のTT-F1 というと VFR750R (RC30)を思い出す。
1987年に148万円という当時としては破格の値段で1000台限定で販売された。
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このバイクと YAMAHA RZV500R (2スト 500cc)は本当に欲しかったバイクだ。
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DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #10

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 DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第10弾は 日本海軍 艦上攻撃機 愛知  流星 である。
流星は昭和16年に「十六試艦上攻撃機」の名で愛知航空機に試作指示された機体である。
雷撃および水平爆撃をするための「攻撃機」。 急降下爆撃のための「爆撃機」を統合し、更に戦闘機並みの最高速度を求めた革新的な機体であった。
太平洋戦争開戦時の主力機は「九七艦攻」および「九九艦爆」であり、次世代として「天山」と「彗星」。 「流星」は更に新しい世代のものであった。

但し、例に寄って開発は難航し実戦は終戦の3週間前という結果に終わった。
実際、総生産機数は100機ほどで、大成を覆すものではなかった。

筆者が当機を知ったのは松本零士氏の「The Cockpit」シリーズ「流星北へ飛ぶ」である。


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さて組み立ててみる
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アメリカ海軍戦闘機 F4U コルセア でお馴染みの逆ガルウイングが特徴的だ。
爆弾を機体内に収容するために中翼になるので、どうしても主脚が長くなるのを嫌って、この様な形状を採用している。

同じようにデカいアメリカ陸軍 「P-38」 と並べてみる。
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「P-38」の方が更にデカい!
「流星」は空母のエレベーターのサイズ制限で、特に全長に関しては12m以内に収める必要があった。
高揚力を得るため、翼のアスペクト比が高い「流星」に対して、速度重視の「P-38」は今日的な形状だ。

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この角度から見る「流星」は最も美しい。

DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #09

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 DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第9弾は イギリス空軍 戦闘機 スーパーマリン スピット ファイア である。
スピットファイアは英国を代表する戦闘機であり、第二次世界大戦を通じて使用され続けた。
その点では日本海軍零式艦上戦闘機も同様であったが、ギリギリで設計されていた零戦に対して、基本設計の良さもあり、時代遅れになることなく進化続けた。
何よりロールスロイス製液冷エンジンの進化が一番だった。

日独英米、それぞれの国で武装に関する考え方の差がある。
日独は破壊力に優れる20mm機関砲と直進性、携行弾数が多い小機関銃を併用したのに対して、米国は全ての機銃を12.7mmに統一し、これを6丁装備して、量で勝負、また装備の統一を計ったのに対して、英国は当初 7.7mm 機銃を8丁といったものであった。

本機を知らしめたのは、大英防空戦「Battle of Britain」だろう。
空軍大戦略 [Blu-ray]
サー・ローレンス・オリビエ
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
2010-07-23

邦名「空軍大戦略」で公開された、同映画は「宇宙戦艦ヤマト」の 第22話「決戦!!七色星団の攻防戦!!」のガミラス機の飛行シーンのモチーフに使われた。

さて組み立ててみる
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永遠のライバル ドイツ空軍 メッサーシュミット Bf-109G と並べてみる。
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Bf-109Gの方がスリムだ。

特徴ある楕円翼。
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CADの無い時代によく、このような複雑な翼のデザインをしたものだと思う。

しかし、個人的にはスピットファイアは好きでない。
なんだか「蛾」に見えてしまうのだ。

ポーの一族 40年ぶりの新作







なんと重版決定だそうだ。 雑誌が売れないなか、いかにコンテンツが重要かを感じさせられたものだ。
残念ながら当時の絵柄は望むべくもないが、それは時の流れというものであろう。

物語は前後編で各40ページ。 1944年のウエールズが舞台だ。
もちろんアランが「消える前」の話だ。

後半が楽しみだ。

Xperia X Performance タッチ&トライ」アンバサダーミーティングに参加

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去る6月1日に大阪・梅田スカイビルで開催された、Xperia X Performance タッチ&トライ」アンバサダーミーティングに参加させていただいた。

過去参加した Xperia アンバサダーミーティングの記事は以下の通り
2014年3月 「Xperia Z Ultra タッチ&トライ」アンバサダー・ミーティング Vol.2
2015年7月 「Xperia Z4 Xperia A4 タッチ&トライ」アンバサダーミーティング 神戸
2015年11月 【11月12日(木)大阪開催】「Xperia Z5 タッチ&トライ」アンバサダーミーティング

そして今回が4度目の参加となる。
何よりも発売前のXperia X Performance に触れて試用させていただけるのが最大の魅力のイベントであった。

平日19:15からのスタートながら18:50に会場入りしたときは既にほとんどの方が席についていた。

さて1部は機能面でのプレゼンがメインとなる。
そもそも「Zシリーズ」とは何が」違うのか?
ハイエンドではないというイメージであったが、全ての機能がZ5より上でありながらも、一番気になるバッテリーの消費電力が大幅に改善されているとのこと。

これらに関してはじっくりチェックしてみたい。

小田和正 2016年仕様 iPhone 6 / 6s Plus 用ケースデザイン

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昨年、2014年ツアー仕様のiPhone 6 / 6s Plus 用ケースを友人の写真を元に作成した。

そこで、今年も新アルバムのイメージを尊重して、今年のツアーパンプレットから作成してみた。
あの日あの時
小田和正
アリオラジャパン
2016-04-20




#あくまで個人利用の範囲であり、売り物ではない;-)

ANA 97便 (羽田→関空)は鬼門

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東京から大阪に帰る際、伊丹空港行き最終(ANA 41便)は19:20発なので、東京出張の帰りには使いづらい。
これ以降は関空便となるのだが、20:35発21:50着のANA 97便は自宅までを考えるとリミットに近い。 次の ANA 99便とは25分しか違わないのだが、天王寺まで22:25発の関空快速が自宅までの最終電車となるのでリスキーなのだ。

実は5月に2回、この便を利用したが、どちらも大幅延着でひやひやさせられた。
関空はLCC便が増えたことで22時前後がラッシュになっているようで、上空待機させられる。
この季節北からの進入コースを取る。 明石海峡大橋を左手に睨んで、ぐるっと大阪湾を遊覧飛行するようなものだ。

しかも第2滑走路を利用するので着陸してからもタキシングに時間が掛かる。
また羽田の出発も60番台の中央の搭乗口でなく、53番と端のターミナルとなるのでギリギリにセキュリティゲートを通るとキツい。

改善をお願いしたい。

横柄なLEXUSオーナーにうんざりする

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連休期間中、非常に不愉快な思いを2度した。 しかも両方とも 「赤のLEXUS」だった。

その1
4/30 に新東名を岐阜から静岡方面に向かっていた際、走行車線が詰まっていたので追い越し車線に余裕があるのを確認して方向指示器を出して追い越し車線に移ったところ、急にスピードを上げて追突される勢いで来たのが LEXUS RC200t であった。
後ろにぴたりとつけるとクラクションを鳴らす暴挙!

走行車線のトラックを追い抜くと、走行車線に戻ったが、助手席の「ケバいおばはん」がこっちを睨みつけていった?! 一体何様なんだ??

その後も意味のない車線変更を繰り返して、前に行くが結局は渋滞に捕まってしまって50mも離れず。

その2
5/7、四日市ドームの帰り、駐車場からみんな交互に譲りながら出庫していっているのに、ぴたっと意地でも入れないような運転をしている「セコいクルマ」 古いLEXUS IS250(ナンバープレートから見て中古と思われる)

こちらが娘の「ピンクのコンパクトカー」であったので侮られたもかもしれないが。

よく「トヨタ車はマナーが悪い」と揶揄されるが、それは台数が多いから、中には変なのがいるというという事だろうが、決してメジャーではないLEXUS車は言い訳できない。
トヨタに乗ってた、ろくでもないのがLEXUSに移ったのか?

家人はカンカンに怒って、「我が家は絶対LEXUS車を買わない」と言っている次第だ。
連休中は普段クルマに乗り馴れない方が増えて、マナーの悪いクルマも目立つが、今回はこれとは別のものだ。

DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #08

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 DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第8弾は 日本陸軍 戦闘機 川崎 三式戦闘機 飛燕 である。
飛燕は同じエンジンを搭載することから、「和製メッサーシュミット Bf109」と呼ばれるが、随分性格の異なった機体であった。
日本陸軍の単座戦闘機として唯一の水冷エンジンを搭載する。
オリジナルはダイムラーベンツ DB601 で、これをライセンス生産した、ハ40および、発展型であるハ140である。 冷却水を用いることで自動車同様にラジエターを有する。
単純な空冷エンジンに比べて前面面積を減らせる事で空気抵抗や温度コントロールの点で有利であったが、反面重量面では不利だ。
またアメリカでも陸軍は液冷エンジン機は多かったが、冷却系のちょっとしたダメージで帰還が困難になるため、海上を主戦場とする海軍機は空冷であった。

正式採用されたのは昭和18年。ニューギニア戦線に投入されたが前線の不慣れな整備体制もあり、稼働率は残念ながら高く無かった。

本機が国民に広く知られるようになったのは、本土防空戦、「震天制空隊」によってだろう。
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組み立ててみた。IMG_1357

Bf109と並べてみる。
飛燕の方が遥かに大きな機体だ。IMG_1358

次に四式戦 疾風と並べてみる。
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祝女子バレー リオオリンピック出場権獲得


 イタリア戦をはらはら観ていた。 1セット先取して、これで行けると思ったら2、3セットをデュースの末落としたが、悪い流れを断ち切るように4セットを取り、なんとか出場権を得た。

最近、監督の名前を入れて、◯◯ジャパンとかいうが、バレーボールはやっぱり「全日本」だろう。

バレーボールといえば、女子は東京五輪。 男子だとミュンヘン五輪の金メダルが有名だ。
だが個人的には 1974年 世界選手権 1976年 モントリオール五輪 1977年 ワールドカップ の三冠を達成した、山田重雄監督率いるチームが好きだ。

女子バレーに速攻コンビネーションを取り入れたチーム。
東京五輪は守る事によって金メダルを獲得したのに対して、多彩な攻撃を繰り広げた。

世界中にバレーボールが広がるにつれて、日本の優位性が薄れ群雄割拠の時代にオリンピックに出場するだけでも困難になった。 この中での出場を本当に喜びたい。

アイ・オー・データ I ♡DESK プロジェクトのキャンペーン

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すっかり忘れていたが、当選したとのことで景品をいただいた。

DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #07

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 DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第7弾は 日本陸軍 戦闘機 中島 四式戦闘機 疾風 である。
海軍は三菱、陸軍は中島が開発した単座戦闘機を採用する場合が多かった。 今にしてみれば官民談合であった。
陸軍は試作機に対して「キ」(機体のこと)で始まる開発番号を付与する。
四式戦闘機は「キ84」の開発番号で正式採用となったのが皇紀2604年(昭和19年)であった。
また、疾風の名称は一般公募されて決められたもので、零式艦上戦闘機が戦時中、「新鋭戦闘機」と報道されたのとは大きな違いだ。

本機を語る上で「ハ45」発動機(海軍名「誉」)が欠かせない。
零戦や隼で採用された「ハ115」(「栄21」)の空冷星形14気筒に4気筒プラスしたことで1100馬力から2000馬力に引き上げられた「夢のエンジン」であった。
ところが工作精度の劣化や高オクタン価のガソリンが手に入らないといった状況で、搭乗員の質の低下もあり初期の性能を発揮できなかった。
同じエンジンを搭載した海軍の「試製 烈風」が出力不足に悩まされたのは、このためだ。 しかしながら「疾風」が「大東亜決戦機」の期待をもって僅か1年で3,500機も生産されたのは、中島の工場生産技術と設計者の小山悌技師の優れた大量生産を意識した設計によるものだろう。

組み立ててみた。
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同時期の 海軍機 紫電改と並べてみる。
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かなり太いイメージの紫電改とスマートな印象の疾風だが、実際はそれほど変わらないように見える。
疾風は垂直尾翼が小さいことでことさら紫電改の方が「太く」見えている。

紫電改の20mm 機関砲 4門と疾風の20mm × 2門 と 12.7mm × 2丁 では前車の方が重武装に感じるかもしれないが、実際は弾道の直進性、有効射程距離、携行弾数に優れた 12.7mm を有する本機の方が実践的ではないだろうか?
零戦の20mm が神話のように言われるが「大空のサムライ」で有名な坂井三郎氏は7.7mmによる撃墜が殆どであったと記述されている。 当たれば1発で大穴があく20mm も携行弾数が少なく、直進性に劣るとなると使い勝手も良くない。
同じ20mm でも陸軍 三式戦闘機 飛燕 の一部に搭載されたドイツ マウザー社のものは遥かに直進性が高かったという。

次に1式戦 隼と並べてみる。
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流石に隼の華奢さが目に付く。

陸軍特攻基地として有名となった 鹿児島・知覧。 ここの知覧特攻平和記念館には実物の疾風と飛燕、そして「俺は君のためにこそ死ににいく」で作成された隼のレプリカを見る事ができる。
http://www.chiran-tokkou.jp/floor/hayate/index.html

昭和48年に日本に返還された疾風であったが、その際のデモフライト以来、日本の空を飛ぶ事はなくなった。 その後嵐山美術館に展示が移ったが、保存状態が良くなく飛行できなくなってしまった。 点々として今では平和記念館で翼を休めている。

この機に搭乗し散華した英霊 たちの冥福を祈りたい。

バイクが 5555.5 Km

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先日信号で停止した際、たままたメーターが「5554.9Km」になっていたので500m走った ところで停止してスマホのカメラで収めた。 会社の同僚から譲ってもらって丸7年。 車歴としては8年。 駅までの通勤の往復以外には殆ど使っていないこともあり、年間700Km程度に留まっている。 水冷エンジンの冷却水がリークしているようで、長距離走行は危険だろう。 後2年は走って欲しい。

DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #06

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 DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第6弾は アメリカ陸軍航空隊 ロッキード P38 ライトニングである。
奇しくも零式艦上戦闘機と同時期の昭和12年に開発が始まった。
当時、爆撃機の性能向上により戦闘機不要論が出てきた時代であるが、高高度を飛来する敵爆撃機を迎撃するため、双胴双発ターボチャージャー付きエンジンを有し、667Km/hと3,670Kmの航続距離を標榜した。
対する我がゼロ戦は1,000馬力の非力なエンジンを最大限生かすために軽量、空力設計で応じた。
P-38は高高度性能でゼロを圧倒したが反面中高度以下での格闘戦では運動性能の良いゼロにカモとされた。「ペロハチ」なるあだ名を付けられたものだ。
もちろん一撃離脱に徹すればゼロに勝機は薄かった。

本機を日本で有名としたのは山本長官機撃墜作戦ではないだろうか?



ゼロ戦と2機並べてみる。
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もちろんP38がでかいが、もっと差があるものだと思っていたが意外にコンパクトだ。

平成28年(2016年)熊本地震 お見舞い申し上げます

 筆者の友人が熊本在住だが、無事なのが確認できたのでホッとしたいた。
ところが4/16 深夜に発生した地震以降連絡が取れなくなっている。

今回、崩落の起こっている南阿蘇村方面は熊本に行った際に温泉に入りにいった事もある。
阿蘇大橋も通ったことがあるので言葉にならない。
改めて内陸部の活断層が動いた地震の怖さを思い知らされた。

九州新幹線、高速道路が分断された為、航空会社による福岡⇄鹿児島の臨時便が運行されているようだ。

こういった状況を鑑み、当分、当Blogの更新を控えさせていただきます。

DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #05

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 DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第5弾は 日本海軍 局地戦闘機 三菱 雷電である。
零式艦上戦闘機に次ぐ戦闘機として昭和14年に開発が始まった。
当初一一型は20mm機関砲 ×2 + 7.7mm機関銃×2であったが二一型で20mm機関砲 ×4 の重武装は後の紫電/紫電改と同様だ。
日本海軍は昭和17年以降、局地戦闘機には「電」(紫電、震電など)。制空戦闘機には「風」(強風、烈風など)。攻撃機には「山」(天山、連山など)。爆撃機に「星」(彗星、流星など)に因んだ名称を付けるようになった。

 当時コンパクトな大馬力エンジンが無かったことから爆撃機用の三菱製「火星」エンジンが選定された。 そのために零戦に比べるとずんぐりむっくりな胴体形状であるが、前面空気抵抗を減らすためにエンジン搭載位置を後方にずらし、エンジンカウルで整流するため、延長軸を伸ばしてプロペラを回す独特のスタイルとなった。
但し、これが仇となってエンジンの振動問題がつきまとった。 エンジン冷却のため、冷却ファンが設置され、これの発する音で雷電だと判ったと言う。お決まりの冷却不足の問題も有った。
また前線からの零戦改善要求により開発が遅延したのも不幸であった。

 難産の末、実践部隊配備は昭和19年になってからで、そもそもあれだけ苦労したエンジンも時代遅れになってきていた。 当初予定よりも2年間の遅れは戦時では致命傷となってしまった。
従って生産機数も500機ほどに留まっている。 同世代の日本陸軍二式戦闘機 中島 鍾馗が昭和17年には実戦投入されていたことを思うとあまりにも遅い。
批判されることの多い日本陸軍だが、戦闘機の開発においては、毎年なんらかの新しい機種を導入してきたことは評価されるべきであろう。 もちろん用兵上の問題に関しては全く別であるが。

 さて、雷電の開発主任技術者は零戦でお馴染みの堀越二郎技師である。
氏は零戦よりも雷電が好きであったという。
零戦では蔑ろにされた、防弾装備も二一型以降は装備されている。

組み立ててみた。
 
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紫電改と2機並べてみる。
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雷電の胴体の太さが際立っているのが判る。



DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #04

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 DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第4弾は 中島一式戦闘機 隼 2型である。1型から3型のバリエーションがあり、終戦まで製造された。
昭和16年の初期型である1型は当初7.7mm機銃が2丁という、先代の97式戦闘機の流れをくむものであったが、早々、12.7mm ×2に変更されている。
同時代の海軍零式戦闘機が20mm機関砲を備えたのに比べて武装では劣った。
しかしながら実際問題として1発でも当たれば大穴が空いた20mmであったが、初速が遅く弾薬の携行数が少なく、更に直進性が良く無かったので実際には7.7mmを何百発と命中させて撃墜していたという。
機体としては零戦に負けた隼であるが、意外に頑丈であったという。
何より零戦にはなかった防弾装備が燃料タンクにされていた。

さて、組み立ててみた。
 
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零戦と2機並べてみる。
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小さい零戦よりも更に小さいというか、スリムである。

戦時中は零戦よりも隼の方が国民に知られていたのは意外かもしれない。
飛行第64戦隊、通称、加藤隼戦闘隊の活躍は映画にもなったものだ。
特撮はかの円谷英二監督である。


最近の映画であれば、「俺は、君のためにこそ死ににいく」

DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #03

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 DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第3弾は Luftwaffe(ドイツ空軍) Messerschmitt(メッサーシュミット)  BF109Gである。A-E型までは初期型と呼ばれ、今回のG型(Gustav)が後期の主流となった機体である。
初期飛行が1935年なので同じく終戦まで日本の主力戦闘機たる零式艦上戦闘機よりも2年も前である。
零戦が後期では全く時代遅れとなってしまったのに対して BF109 は最後まで一線級の性能を保ち続けたのは、基本設計もさるものながら生産技術やそもそもの設計思想によるところが大きいだろう。

そもそも格闘戦に重点を置いた零戦に対して、一撃離脱あるいは2機でペアを組むロッテ戦法を主眼とした BF109 では全く性格の異なる機体である。


ちなみに日本陸軍 川崎 キ61 三式戦闘機「飛燕」が搭載した発動機(ハ40)はA-F型までのDB601液冷発動機を国産化したものであった。

組み立ててみた。
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米軍機ほど大量生産を前提とした無骨なデザインではない。

先の日本機2機と並べてみる。
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小さい零戦よりも更に小さい。 数字の上では判っていたが大柄なドイツ人にはかなり窮屈だったのはないだろうか?

では全面的にBF109 が零戦や紫電改より上であったかと言えばそうではない。
先の速度やダイブ性能、そして高高度性能は圧倒的であったが、何よりも航続距離が短かった。
迎撃機としては一流でも爆撃機を護衛して進攻するには向いてなかった。

いわゆる "Battle of Buritain"での失敗の一因とされている。

さて、筆者にとっての BF109Gとの出会いは、松本零士氏の「わが青春のアルカディア」である。


なんとプラモデルも出ているようだ。


訃報 Keith Emerson

Pictures At An Exhibition
Lake & Palmer Emerson
Colum
2011-02-25





EL&Pのメンバーとして知られるKeith Emersonが3月10日米カリフォルニア州サンタモニカの自宅で死去。 71歳だった 合掌。

ここ最近、かつての大物ミュージシャンの死去が続いている。
1/10 David Bowie
1/18 Glenn Lewis Frey
まあひとの事を言っている歳ではなくなりつつあるが、70年代に活躍したミュージシャンがフェードアウトしていく時期に差し掛かっているのだろう。


Emerson Lake and Palmer と言えば、Pictures At An Exhibition 「展覧会の絵」だろう。
原曲はにロシアの作曲家モデスト・ムソルグスキーによって作曲されたピアノ組曲である。
日本人では富田勲版もあるが、やはりEL&P版が一番だ。
Moog Synthesizerを取り入れた音源はプログレとクラシックとの融合で最も成功した曲のひとつだと感じる。


4月に来日が予定されていたので、関係者は大変なことになっているだろう。
大阪は4月14日(木)にBillboard Live OSAKA で公演が予定されており参加すべくチケット手配も終わっていたのに、中止を伝えるメールをもらった次第だ。

故人のご冥福をお祈りします。

DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション #02

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DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション第2弾は誰でも知っている、三菱海軍零式艦上戦闘機五二型である。

組み立ててみた。
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海軍二〇三航空隊 戦闘第三〇三戦闘隊機だ。

昔の戦争映画に良く出てくる機種であり、絶対的な生産数も一番多い。
ただ、最良のゼロ戦であったかと言えば、そうとも言えない。
発動機の馬力向上や集合排気管の採用によって最高速度は向上したが、最大の美点であった運動性能や航続距離が失われてしまった。
相変わらずの脆弱な機体構造により1発でも敵弾が当たったら致命傷に成りかねない危うさがあった。
何より搭乗員を守る仕組みが皆無に等しい。

そもそも同時代に導入されたドイツ空軍 Bf-109 や イギリス空軍 スーパーマリン スピットファイアに比べて、当初からギリギリの設計の為、性能向上の余地が少なかった。

さて、やってみたいこと。
前回の紫電改。
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なんとも逞しい!

並べてみる。
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ひと回りどころがふた回りも小さい。

以前、同社の自衛隊シリーズで手に入れた F-15J と紫電改を並べてみる。
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これまた当たり前ながら別次元だ。

DeAGOSTINI 第二次世界大戦傑作機コレクション

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先週からスタートした、同シリーズの創刊号は「日本海軍局地戦闘機 川西 紫電改」だ。
 通常、この手のシリーズだと、「日本海軍零式艦上戦闘機五二型」からスタートするものだが、敢えて紫電改というのが筆者の琴線に触れる。
 

しかも343航空隊 菅野 直 大尉機と言うのも、あまりにも通好みだ。

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以前、本Blogでも紹介したが、アマチュア時代の栃林 秀 氏のCGは驚異だ。



こちらはプロに成られてからの作品。



NHKの紫電改引き上げのドキュメンタリーも秀逸だ。

YUMING SURF & SNOW in NAEBA Vol.36 で購入したグッズ


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CDやDVD,Blu-rayを2,000円以上購入すればノートをもらえるので、レコードではもっていたがCDをもっていなかった、アルバム「OLIVE」を購入。
今回のコンサートでは「つばめのように」が収録されている。

あとはバッグとTシャツ。
来年も来たいと思ってます。

「なぞの転校生(1975)」日本映画専門チャンネルに登場


2014年にテレビ東京系列で放送されたシリーズに引き続き、元祖たるNHK少年ドラマ 1975版が日本映画専門チャンネルに登場する。


2014年版は「アカギ」で熱演した本郷奏多が転校生を。
それに対して1975年版はNHK少年ドラマのヒーロー星野利晴だ

40年の時代の違いを痛感する。 NHKとテレビ東京の差もあるが、後者が今風を越えて「チャラい」。


NHK少年ドラマシリーズ なぞの転校生 I [DVD]
高野浩幸
アミューズ・ビデオ
2001-04-27



本作品に関しては、小中和哉監督、新山千春が」主役の映画版「なぞの転校生」も存在するが評判がよろしくない。
残念ながら観ていないので、是非日本映画専門チャンネルで放送して欲しい。
なぞの転校生 [DVD]
新山千春
バンダイビジュアル
2003-04-25

2016年に向けて

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新年を迎え、今年もよろしくお願い申し上げます。

昨年は4K対応の下ごしらえの年であった。
本年はBSによる4K放送も開始されるが引き続きCSプレミアムにおけるスカパー!4K総合も放送される。 ただ、残念なことにChannel 4K 試験放送が3月で終了となる。
決して多くはないが、筆者が4K放送開始前に終了となった4Kコンテンツのリピート放送を期待する。

オーディナリー・ライフ
渡辺 美里
ERJ
2015-04-01


ハイレゾ・コンテンツは新作では渡辺美里さんの「オーディナリィ・ライフ」を購入したが、今年はCDとの同時リリースを望みたい。

2015年の活動を振り返る

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今年が昨年までと大きく異なるのは、いよいよ4K映像とハイレゾ音声への取り組みである。
・60inch 4Kテレビが昨年までに比べて大幅に値下がりした
・8Kが一般化するにはコンテンツ不足が4K以上に顕著である
・少ないながらも優れた4Kコンテンツがあること

によって導入したものだ。

ハイレゾ音声に関しては、まずは SONY Walkman ZX-2
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そして据え置き型はDENON PMA-50
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これにより、Pioneer EXCLUSIVE 2402 が蘇った
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スマホは長年Andorid を愛用してきたが、Xperia Z から iPhone 6S PLUS へと機種変更を行った。DSC_2772
またカスタムカバーを杏里バージョン、小田和正バージョンの2種類制作した。
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コンサート
今年は小田和正ツアーの年であったので、追加公演
2月 福井
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3月 鹿児島
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   大阪
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杏里
8月 森之宮ピロティホール
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渡辺美里
12月 フェスティバルホール
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であった。

来年は何が待っているか?

みなさま、良いお年を

サイトのキャッチフレーズを変更しました

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本Blog開設は2006年4月。 第2世代Blu-ray機やPlayStation3 の発売は、同年10月でHD DVDプレーヤーが東芝から発売されたのは同じく3月であった。

当時はPCでハイビジョンデータを扱うにも、色々なソフトを組み合わせる必要があり、まだバギーな時代であったので運用にもノウハウが必要であった。
そこで、
「Hivison データを PCベースでデジタル処理してAudio Visual を楽しむ為の実験記録です」

と掲げてスタートしたのであった。

ハイビジョンコンテンツをHD DVD やAVCHD化することで民生用プレーヤーで再生できるように変換する事。
PC用Blu-ray Writer が松下から発売になりこちらへのオーサリングへの取組。
そして PT1,2,3の発売に合わせてシステム構築してきた。

2010年代後半に向けて2Kから4K/8Kのコンテンツ増加が見込まれる。
そこで本Blogもこちらへ向けて研究を進めたいと思う。
「4K/8Kデータを PCベースでデジタル処理してAudio Visual を楽しむ為の実験記録です」

としてチャレンジしていきたい。

クルマの自動ブレーキCMの是非


最近は「被害軽減ブレーキ」と称されるようであるが、TV CM の表現は非常に危険なのではないだろうか?
そもそもエアバッグと同様の装置であり、動作しない事が前提のものであると考える。
自動ブレーキを動作させるような運転をする事自体がNGである旨を啓蒙すべきだろう。

最後に言い訳のように「動作しないことがある」と表示されるが、現状ではその程度のもので、動作しなかった場合でも刑事責任に問われることがないくらいの完成度になるまでは、購入する気はない。

今後技術が進歩してクルマが自動運転の時代になったら、もはや「マイカー」を所有する必要もなく、カーシェアリングで十分だと思う。

20年ぶりにスピーカー台を掃除

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中型モニタースピーカーとは言え、EXCLUSIVE 2402 は1本で93Kgある。
設置に当たって柔なスピーカー台では持たない。

そこで一番下にベニア板を。 その上にブロックを4個引いて天板に分厚いラワン板を設置した上に本体を載せている。
スピーカー本体の幅は660mmに対してラワン板は680mmである。
30年前に本品を導入する際、近所の材木屋さんで切断して購入したものだ。

当地に引っ越してきたのが1995年8月なので20年前だ。
一度設置場所を決めてしまうと早々に動かすものではない。
スピーカーは台の上で動かせるの掃除は可能であるが、問題は台周り。
それこそ20年ぶりに掃除したが、ブロックの穴が綿ゴミでとんでも無い状況であった。
拭いて掃除するレベルではなく、ホースで流して日光で干して綺麗にした。

今年の鈴鹿8耐はBS12で


今年はBS12 で7月26日 11:00-20:30に放送される。
http://www.twellv.co.jp/event/8tai/

最近は地上波で放送されないこともあり、クルマのF1以上にマイナーな存在になっているのではないだろうか。

80年代のバイクブームの頃は「巡礼地」として「鈴鹿」を目指したものだ。 当時、2輪の最高峰であるWGPは鈴鹿では開催されていなかったので「8耐」は国内の2輪で最大のイベントであった。


筆者が最も贔屓にしていたのは1985年の「YAMAHA TECH21 レーシングチーム」、平忠彦、ケニー・ロバーツ(米)選手組だ。 FZR750(OW74)で当時全日本V2の平と、3年連続GP500cc世界チャンピオン
の"King" Kennyのドリーム・チームはスタートミスをもろともせずに独走したが、残り30分、エンジントラブルでリタイヤしてしまう。
結果としてはHONDA ワイン・ガードナー、徳野組の優勝となるのだが、耐久レースの厳しさと面白さで魅了してくれた。

因に、今見ても上品なカラーリングの21号車は、資生堂がサーキットで使われてなくて「映える色」をリサーチしたとのことだ。 流石、化粧品メーカーと感心したものだ。

「Xperia Z4 Xperia A4 タッチ&トライ」アンバサダーミーティング 神戸

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関西初開催となる、Xperiaアンバサダーミーティング 7/4 神戸に参加してきた。
ミーティング会場と一般客もいる、イオンモールのイベント会場の2ヶ所という変則開催であった。
今回は30名の募集に対して3名がドタキャンだったようだ。

■タイムスケジュール
●12:45 集合(ラウンドワン 三宮駅前店前)
     http://www.round1.co.jp/shop/tenpo/hyogo-sannomiya.html
●13:00 ミーティング会場(スペースアルファ神戸 中教室)へバスで移動
     http://www.sa-kobe.jp/data/map01.html
●13:30 開場・受付開始
●14:00 ミーティング:開始
 ・ミーティング中、15時すぎを目処にタッチ&トライ会場(イオンモール神戸北 さざんかコート)へバスで移動いたします。
 ・イオンモール内で実施予定のイベント会場を利用してみなさまにもタッチ&トライを実施いたします。
  http://kobekita-aeonmall.com/static/detail/access
●17:00 ミーティング:終了
●17:15 終了後、三宮駅へバスで移動
●18:00予定 三宮駅にて解散


昨年2月 東京以来の参加となる。
前回は Xperia Z Ultra が主役であったが、今回は3世代新しいZ4である。

またSmartWatch 3 もZ4 と共に1ヶ月間借りることができた。
本Blog的視点から評価していきたい。

Honda MotoGP参戦マシン「RC213V」を一般公道で走行可能な「RC213V‐S」として発売予定とのこと


Hondaは2013年・2014年のFIMロードレース世界選手権(以降 MotoGP)のMotoGPクラスにおいて2連覇を達成した競技専用マシン「RC213V」の一部仕様を変更し、一般公道での走行を可能とした「RC213V‐S」の商談受付を7月13日(月)より開始します。
http://www.honda.co.jp/news/2015/2150611-rc213v-s.html

往年のライダーであれば、1987年に発売された RC30 VFR750R を彷彿するかもしれない。

こちらは当時148万円と量産車としては当時最高のものだったにもかかわらず、内容的には破格なもので1,000台限定の販売枠に購入希望者が殺到し抽選により販売されたものだ。

それに対して、こちらは2190万円!という破格だ。

転倒したらどんだけ掛かるのか? そもそも修理可能なのか?
公道を走るものではないですね。

太陽誘電の光メディア事業撤退に思う

太陽誘電 That's 録画用 BD-R DL 30枚組 4倍速 50GB ブルーレイディスク ブルーレイ 録画
太陽誘電 That's 録画用 BD-R DL 30枚組 4倍速 50GB ブルーレイディスク ブルーレイ 録画
CD-Rの時代から同社への信頼は揺るぎなきものであった。
それはDVD-R, BD-R と変わっても変わらないものであっただけに今回の撤退は残念だ。

ただ企業として存続するためには経営資本の選択と集中は必要なのは痛いほど判る。
同社として事業継続は無理にしても生産設備を引き継いでくれるところはないだろうか?

記録製品事業からの撤退について
太陽誘電株式会社(代表取締役社長:綿貫
英治、本社:東京都台東区)は、このたび記録製品事業から撤退することを決定いたしましたので、下記のとおりお知らせします。


(1)事業撤退の背景と理由
当社は、1988年のCD-R開発以来、CD-R、DVD-R、BD-R等の光記録メディアを事業のひとつとして推進してまいりました。その間、海外メーカーの台頭による競争激化等もありましたが、高品質な製品を市場に供給し、安心して使用できる日本製の光記録メディアとして多くのユーザーから高い評価をいただて
おります。
HDD(ハードディスクドライブ)の大容量化やクラウドコンピューティングの普及に伴い、光記録メディア製品の市場は縮小を続けています。このような状況に対応するため、当社は原価低減の加速、生産性の向上およびアーカイブビジネスの推進などを¥進め、収益性の改善に努めてまいりました。
しかしながら、想定を超える市場の縮小、および原材料価格の高騰等の影響により、さらなる収益改善は困難な状況であると判断し、記録製品事業からの撤退を決定いたしました。
今後は、電子部品、特に当社の成長戦略の要であるスーパーハイエンド商品に経営資源を集中して事業構造を変革し、収益体質の改善に取り組んでまいります。

http://www.yuden.co.jp/jp/cms/wp-content/uploads/2015/06/9f3f199a57087e627a9c46cb74e2dff2.pdf

「第二級アマチュア無線技士養成課程」は「eラーニング短縮コース」

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2015年04月15日の記事、「2アマ講習会での免許取得は恥ずかしい」で批判したが、JARLのメールマガジンで詳細が判明した。

要するにJARDの金儲けと「老人初級無線屋」救済措置のようだ。
1.養成課程の種別
 第二級アマチュア無線技士養成課程(eラーニング短縮コース)
2.養成課程の形態
(1)随時受講型授業(インターネットを利用したeラーニング)
(2)修了試験(2回受験可)は、コンピューターによる全国主要都市での試験
(CBT)と東京のJARDハム教室での筆記による対面試験の二種類を予定
3.授業科目と受講期間
 授業科目は、法規17時間、無線工学29時間とし、受講開始から修了試験まで
 の受講期間を標準3か月、最大でも6か月以内
4.受講者の条件
 第三級アマチュア無線技士の資格を有する者または第三級アマチュア無線
 技士養成課程を修了した者とし、かつ、パソコンによるインターネット利用
 環境とパソコン操作のスキルを有するもの
5.受講生の募集期と定員
(1)毎年度四半期(4月、7月、10月及び1月期)に分け、受講生を募集する予定
(2)平成27年度の7月期(初回)の定員は50名とし、その後は、各期100名程度
 (応募状況により増員可能)を予定
6.受講料(1名)
 49,750円(無線従事者免許申請手数料1,750円及び消費税を含む)

【問合せ先】
一般財団法人日本アマチュア無線振興協会(JARD)
eラーニング事業センター (担当: 杉崎、山脇)
電話 03-3910-7253   Eメール e-ln@jard.or.jp


なんと49,750円もぼったくるらしい。
しかもeラーニングだ。

終了試験さえも実地ではなくネット上で行うのだろうか?
これでは代理受験は可能だし、カンニングし放題である。

一応、3アマを持っていることが条件のようだが、3アマは遥か昔から講習会で取得可能だ。
「パソコンによるインターネット利用環境とパソコン操作のスキルを有するもの」が最も高いハードルかもしれない。

やっぱり2アマ講習会での免許取得は恥ずかしい

2アマ講習会での免許取得は恥ずかしい

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無線従事者養成課程の対象資格の拡大に関する意見募集(第2級アマチュア無線技士への対象拡大)に係る御意見等に対する考え方のパブコメを経て、いよいよ今年から2アマの講習会がスタートするようだ。

それにしてもかつて"King of Hobby." と言われた影も形もない。
老人電話級ハム救済以外のなにものでもないだろう。

当初、電話級・電信級であっても記述式試験であった。
流石にハードルが高いので、救済の意味もあって講習会制度ができたのだろう。
筆者は講習会なるものに行ったことがないので、「お金持ちがお金で資格を買うもの」といった認識であった。

電話級・電信級が記述式から選択式に変わった段階でかなり間口が広がったと思う。
但し、それでも電信級はモールス信号の実技(送信と受信)の試験があった。
その時代でも1アマ、2アマは記述式試験であった。

筆者はかつて所属していたアマチュア無線クラブは正会員が「最低2アマ」であった。
その為に一生懸命勉強されて2アマを取得された方も居られる。
そういった方々の努力を踏みにじるものだ。

ちなみに現在属している、某クラブは「1アマ」「最低500Wの免許」が会員の必要条件だ。

いわゆる1アマ、2アマの試験が記述式から選択式に移行した段階で知識試験のハードルは下がったものの、依然としてモールス信号の実技があった。
その後、時間の掛かる送信試験はなくなって受信のみとなったと言えど、やはりかなり高いハードルで、特に老人にとっては越えられない壁となっていたのではないだろうか?

何より和文モールスは非常に難易度が高かった。
ところが1アマの和文が廃止される。
これで1アマと2アマの差は、ほぼ無くなったものと思っていたら、今度はモールスの試験そのものが無くなってしまった。
過去問題の丸暗記で通る1アマから4アマまでの試験は知識レベルの差であり、かつての「上級ハム」の威厳はそこにはない。

1アマでさえ小学1年生(7歳)で合格する時代である。
かつての記述式試験であればとても無理であったのではないだろうか?
更に言えば、3アマは3歳が最低年齢だそうだ。
問題を読めるだけでなく、マークシートをきちんと書けるのもびっくりである。

これだけ簡単になったというのに、更に2アマ講習会である。
2アマ講習会取得者は恥ずかしくて講習会で取得したなんて言えないだろう。

ZOA秋葉原本店の3月末に閉店に思う

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昨年7月にWiMaxに「再加入」した際に当店を利用させていただいた。
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加入特典で同店での買物が2万円引きになったので友人の Lenovo G500 を代理購入してあげた。
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「アキバで2番目に安い店」そもそもアンテナショップの役割を持っていたものが役目を終えたと言う事だろうか?
デスクトップPCはおろかノートPCでさえ、法人需要はともかく個人ではスマホで代用できるようになってきたこともあるだろう。
既に「PCを組み立てる」(筆者は「自作」とは言いたくないので、こう称する)は一部の方の趣味の領域になってきている。
ハイエンドのCPUやグラフィックボードを求めるのは動画編集やゲーム用途を除いて不要になってきたのも原因だろう。

それにしても寂しいものだ。

F-14 を作るシリーズ


このBlogの熱心な読者であれば、筆者が最も好きなジェット戦闘機がF-14であることを、ご存知かと思う。

今を遡る事40年前、航空自衛隊のFX(次期主力戦闘機)選定に当たって、 F-14 F-15 F-16 が候補となり、結局当時最強と言われたF-15が選定された。

筆者は当時からF-14 の優雅なデザインが好きであった。 もちろん最新のエアロダイナミクスを備えたF-15の方が日本本土防衛の点では有利で、かつ購入費用も安かったので当然のなりゆきかと思う。


F-14 が脚光を浴びたのは「TOP GUN」の映画によるものが大きいと思う。
かつて、最もハイビジョンで観たい映画であったが4Kでオーサリングされたものが存在するようだ。
CGではなく実写の迫力を大スクリーンで再度みたいものだ。

2015年に向けて

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新年を迎え、今年もよろしくお願い申し上げます。

さて今年はいよいよ4Kネイティブ画面のタブレットの登場が予想される。
もちろん 8inch クラスの画面で必要かどうかは置いておいて、技術的に興味深い。

但し、HD登場黎明期よりも更に4Kコンテンツの不足はいかんともしがたいだろう。
4Kコンテンツの流通に関しても SDのDVD。 HDのBlu-ray に対して放送や配信が中心となるのだろうか?

Audio界ではハイレゾがいよいよブレイクするのか?
但しこれに関しても異議がある。 やはりアナログ部が問題なのだ。
圧縮音声であってもしっかりしたアンプと、そして何よりも重要なのなスピーカーが充実していると非常に高品位な音場を提供してくれる。

今年の4月でBlog開設から10年目を迎えるが、当時とは大分様子が変わってきているが、新たな動きをキャッチアップして続けていきたいと思う。

2014年の活動を振り返る

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恒例の今年の活動を振り返る記事である。

今年は「卒PC」が一段と進んだ年であった。
一昨年に購入した録画用PCが早々に故障したが、それに代わって購入した SONY Blu-ray機 BDZ-EW510がロケフリー対応していた事もあり、無くてもそれほど不便を感じることがなかった。

ちょっとした映像処理であれば、MacBook PRO でも SSD の威力もあり、あえてデスクトップでなくても処理できるようになったのも大きい。

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その中で7月に Xperia Z Ultra を安価で購入できたのが大きい。 これとK-opti MINEO の組み合わせでリーズナブルに運用できるようになった。 MVNOの良さを実感することができた。
Xperia Z3 Compact Tablet は確かに綺麗で、しかもハイレゾ対応は魅力であるが、画面解像度がFull HD のままであるのが残念であり、今回は見送りとなった。

ハイレゾ関係への対応としては中華DAC。
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そして、こちらの機器で評価してみた。
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小田和正さんのツアーのある年だったことで、
6月 和歌山
7月 香川 テアトロン
8月 大阪
9月 仙台
   岐阜
   金沢
10月 静岡

と特に9月以降の後半戦は怒濤の参加であった。

その分、他のアーティストは手薄であったと言える。

さて、来年はスマホ更新時期にあたるが、ドコモの新プラン変更が必須のままであれば、このままXperia Z を保持しても良いかな? と思う。

2015年も新たな課題を持って楽しみたいと思う
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