2019年07月06日

帯のアオリ文は両刃の剣…?

紙の書籍を買う時、かつては、帯に書かれたキャッチ・コピー…いわゆるアオリ文に惹かれて衝動買いするということがちょくちょくありました。
 
「〇〇文学賞・受賞」だとか、「〇〇先生大絶賛」だとか、「〇〇ランキング1位」だとか、「かつてない〇〇」だとか…アオリ文には「この本、面白いんじゃないか?」と思わせるような謳い文句がバンバン載っているものです。
 
でも、今現在はそれほどアオリ文に左右されなくなりました。
 
なぜなら、これまでそうやって“アオリ文により衝動買いさせられた本”が、「期待したほどには面白くなかった」ことが多かったからです。
 
人生経験も少ない学生の頃なら派手なアオリ文に素直に騙されていましたが、何度も期待を裏切られた現在では、もはや、どんなアオリ文を見ても「キャッチ・コピーばかり派手でも、実際中身はどうなんだ?」と懐疑的な目で見てしまいます
 
中には客観的な数字を示しているアオリ文もありますし「数字は裏切らない」という言葉もありますが、それでさえ、社会人となり経験を積んだ今なら「その数字、何の数字なんだ?」と思ってしまいます。
 
数字は確かに客観的なデータですので、主観的な感想よりはアテになるかも知れません
 
でも、受け取り手がそのデータの読み取り方を誤っている場合も多々あります。
 
たとえば、同じ1位という数字でも、その分母はどうなっているのか?
 
100人が参加するランキングの1位と、1万人が参加するランキングの1位とでは、その重みが全く違います。
 
また、そのランキングに投票した人間の年代・性別・生活スタイルなどもどうなっているのか――たとえば、ソレが10代の学生ばかりのランキングか、社会人などの大人も含んだランキングなのかで、選ばれる本は変わってくるはずです。
 
ネット小説の閲覧数やPV数も、必ずしも“小説の面白さ”とは繋がりません(もちろん「繋がっている」場合もありますが)
 
なぜなら、単に“そのページを見た人数”という数字のデータで言うなら、「その小説ページをじっくり最後まで読んで、面白いと思った人の数」も「噂を聞いてページを訪問してみたけど、つまらなくて途中で読むのをやめた人の数」も同じようにカウントされてしまうからです。
 
(なので、小説の“満足度”を調べたいのであれば、訪問者の数ではなくリピーターの“”を調べるべきだと思うのです。リピーター“数”でなく“率”なのは、知名度の低いうちは、そもそも訪問者自体の数が少ないので、リピーターの“数”も当然のことながら少なくなるからです。もっとも、そのリピーター率でさえ、小説の更新頻度や訪問者の閲覧スタイル、訪問者データの取得方法等により数値を左右されてしまうものですが…。)
 
本を出す側は、1人でも多くの読者にその本を手に取ってもらいたいでしょうから、人目を惹きそうな数字データがあれば、それがどんな規模・性質のものであれ前面に打ち出してくるでしょう。
 
ですが、必ずしもソレが本の面白さの根拠となるとは限らないです。
 
(そもそも読者一人一人、ストーリーや雰囲気の好みも違う中で、赤の他人の評価がアテになる保証も無いわけですが。)
 
そんなことを考えているうちに、ふと思ったのが「アオリ文って、ひょっとして、本を出す側にマイナスに影響することもあるんじゃ…?」ということでした。
 
出版業界のみならず、他の業界の広報戦略でも言えることですが、最初は派手なCMや宣伝文句に惹かれて商品を買っていた消費者も、実際に使ってみた商品が期待はずれなモノだった場合、「所詮こんなものか」と、次からはその手の宣伝に騙されなくなるのではないでしょうか。
 
広報の世界では、少しでも多くの人間の心をキャッチしようと、日々、次々に斬新なキャッチ・コピーや新しい宣伝手法が生み出されています。
 
でも、たとえば「全米が泣いた」というキャッチ・コピーが、最早ありきたりになり過ぎて映画の宣伝に使われないように(パロディとして別の業界・商品で使われたりはしていますが…)、どんな派手な宣伝も、世に溢れ過ぎて見飽きてしまえば、もはや人の興味を惹かなくなってしまいます。
 
興味を惹かない――だけならまだ良いですが、人によっては、そんな派手なキャッチ・コピーを目にしただけで、過去手に取った「期待はずれの商品」を思い出し、「どうせコレも同じように期待はずれなんだろう」と、新商品を手に取りもせずにスルーするようになるのではないでしょうか。
 
(実際、自分もそんな風に感じてしまうことがよくあります。)
 
それに本のキャッチ・コピーで言えば、アオリ文の派手さが“小説自体の満足度”に影響することもあります。
 
かつて、ある本でアオリ文に騙されて後悔した時、ふと「いや、コレ、帯のコピーで期待値のハードルが上がり過ぎてたせいで面白く感じなかっただけで、そういう先入観ナシで読んでいたら、それなりには面白いと思えていたんじゃ…?」ということを考えました。
 
自分の場合、「何の期待もしていなかった小説が意外に面白かった」時には、何となくその小説に対する満足度が上がります
 
でも、「面白いと言われて読んだ小説がそれほどでもなかった」時には(たとえ面白さ度で言えば上記の「何の期待もしていなかったのに意外と面白かった」と同じレベルであったとしても)満足度は下がってしまいます
 
その小説に「満足」できたか否かは、「次に同じ作者の小説を買いたいと思うかどうか」に関わってくる重要なファクターです。
 
もし、アオリ文により過剰に期待値が上がってしまったせいで、反比例的に読後の満足度が下がってしまうとしたら、それはその作者にとって結局マイナスなのではないだろうか――そんなことを、ふと思ったのです。
 
(だから自分の場合も、オリジナル・ネット小説のPRに自分の国語偏差値をあまり全面に押し出したりはしていないのです(時々ネタとして使ったりはしていますが)。最高偏差値80という事実は、多少の宣伝効果は持っているかも知れませんが、それによりどれだけ期待値が上がってしまうか予想できないですから…。…まぁ「国語偏差値の高い人間の書く小説を読んでみたい」というニーズがあるのか自体、そもそも誰も調べたことがないでしょうし、よく分かりませんが。)
 
もっとも、プロであれば、その本に満足してもらう以前に、1冊でも多く売らなければいけないでしょうし、そのためには派手なキャッチ・コピーが必要なのかも知れません。
 
でも、中身に見合わないほどの宣伝文句は結局、長期的に見て、作者にとっても、出版業界全体にとっても、期待を裏切られる読者にとっても、マイナスな気がしてならないのです。
 
(短期的に見れば、たとえその作者の次の本を買ってもらえなかったとしても、現在売っている本が100万部売れれば、当然その分、利益は出るので、一見プラスに見えるかも知れませんが…。)
 
もちろん、どれだけ派手なアオリ文を出されようと、それにより上がった期待値のハードルを軽々飛び越せるだけの実力があれば良いことですし、むしろそれが作家として理想の在り方だとは思います。
 
でも、どんな好みを持つ人間がどんな風に期待してくるか分からない以上、それは難しいことでしょうし、やはり「アオリ文のあり方」を見直した方が良いのかな、と…。
 
個人的に思うのは、「誰でも良いから、とにかく1人でも多く手に取らせよう」というタイプの万人向けのキャッチ・コピーではなく、「この本を心から好きになってくれそうな人に、確実に届けられるように」という、ターゲットを絞ったキャッチ・コピー&広報戦略にシフトして行けたら良いのかな…と。
 
もっとも、経済を見ていると「それまでターゲットとして意識していなかった層に、何故かウケた」という商品が時々現れたりするものですから、「下手にターゲットを絞らない方が良いのかも?」とも思ったりするのですが…。
 
その辺りは様子見しながらトライ&エラーしていくしかないのかも知れません…。


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