2018年08月01日

読書感想文の書き方が、もっと自由だと知っていれば…

夏のこの時季になると思い出すのが、夏休みの宿題で散々苦労させられた「読書感想文」なのですが…
 
大人になってから小学生時代を振り返って思うことがあります。
 
「夏休み前の国語の授業を1時間でも使って『読書感想文の書き方』を教えてくれれば、もっとラクに書けただろうに…」と。
 
自分は学生時代、国語が一番の得意教科で、作文を書くのも物語を書くのも好きでした。
でも、読書感想文だけは大の苦手でした。
 
なぜなら自分は当時「読書感想文とは、その本のあらすじに、それを読んだ時の自分の感想交えて書くものだ」と思い込んでいたからです。
 
本を読むこと自体は大好きでしたが、その本の内容を短文でまとめ、どこそこの場面でこう思った、ここのこういう台詞に感動した、などということをいちいち書いていく作業は、正直苦痛でしかありませんでした。
 
そんな風に苦痛な読書感想文を何年も何年も続けてきた高校生のある年、自分は衝撃を受けました。
 
それは教室の後ろの学級文庫的なところにひっそりと収められていた小冊子を読んだ時のことです。
そこには過去の読書感想文の優秀作品がまとめて載せられていました。
 
「読書感想文は本のダイジェストと感想の羅列」――それまでそう思っていたのに、そこに載せられていた読書感想文はまるで違うものでした。
 
そこには「あらすじ」など無く、決まった型などもなく、自由のびのびと文章が綴られていました。
“読書の感想”というよりも、“その本との出会い”、“その本と出会って自分の人生がどう変わったか”、あるいは“その本の内容と共通する自分の人生のエピソード”を語る自由な作文のように見えました。
 
「読書感想文って、こんなに自由でいいんだ」「決まった型なんて無かったんだ」ということを、自分はその時初めて知りました。
 
そもそも自分が読書感想文を「本のあらすじまとめと感想の羅列」と思い込んでいた理由は、クラスメイトの書く読書感想文の大半(というか全て)が、そういうモノだったためです。
読書感想文とはそういう“型”のようなものがあるのだと思っていましたし、そこを外れて自由に書くのはダメなことだとさえ思っていました。
 
しかもそんな型にはまった「あらすじと感想の羅列」の読書感想文でさえ、時々はクラスの代表として選ばれ、放課後に書き直しをさせられてコンクールか何かに出させられたりしていたので「読書感想文はこれでいいのだ」と、その書き方を疑うことすらしてこなかったのです。
 
ひょっとすると、そんな「読書感想文の書き方」を自分で調べて知ること自体も、読書感想文の一環であり勉強なのかも知れませんが……それだと、家庭で取っている新聞の種類によって差ができてしまって不公平な気がするのです。
 
(自分は大人になってから、新聞によってはその年の優秀作品が紙面に載ることもあるのだ、と知りましたが、自分が学生の頃に家で取っていた新聞は、それが載る種類の新聞では無かったのです。)
 
だから、思うのです。
 
夏休み前の国語の時間にでも、「読書感想文の書き方」という授業があっても良いのに――と。
 
あるいは「書き方」とまでは行かなくても、過去の優秀作品を皆で読む、という機会でもあれば、子どもたちの読書感想文の質が変わってくる気がするのに……と。
 
自分も「学生時代のあの頃に『読書感想文はもっと自由に書いていいんだ』と知ることができていれば、読書感想文が苦痛なだけのものではなく、もっと楽しく書けたのではないか」と思うと悔しくてたまりません。
 
もっとも、当時の自分は「他の人とは違うことをする」「目立ったことをする」「何かに選ばれる」ということ自体に恐怖心を持っていたので、「読書感想文の自由さ」を知っていたとしても、それを表現する勇気がなく、無難にまとめていた可能性もなきにしもあらずではあるのですが……。



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