ムーの棚から

〜こけしと時々読書・音楽・山と日々の出来事で綴るブログです〜

久しぶりに佐藤康広工人のこけしを迎えた。人気の工人にもかかわらず、インディゴこけしも持っていない私が言うのも気がひけるが、良いこけしを迎えることができたと思っている。

フォルムは工人の系譜の祖にあたる佐藤松之進のものに他ならない。上部を少し抉るように細くした変化のある輪郭。描かれたのは重ね菊、王道の胴模様である。胴の上下にロクロ線を配してバランスをとる。色は紫。この色は独特の雰囲気を持っていて、全体を引き締める。物を包んで紐でキュッと締め上げるような。
面描はこの工人独特の表情、一目で作者を言い当てることができる目、鼻、口。
手にとってみるとザラついた質感は無研磨。染料は地肌に染み、あるいは弾かれて掠れ、多彩な表情を作っている。何より驚かされるのは、その筆使い。その技法にはあるいは名前がついているのかもしれないが、とにかく単純に筆を置くようなことだけはしないぞ、と決めているかのような描き方。筆の運びは早く、遅く、揺らいだと思えば、停滞し、リズミカルに跳ね、意図的にズラされる。こけしに筆で模様を描く、というときに筆でできるあらゆることを表現したいかのようだ。
そうしたディテールをひとしきり見回した後に、もう一度引いて見ると、これだけ細部までこだわり抜かれていても、全体として破綻を来していないことに感心する。佇まいは遠刈田のこけし、そのものになっている。

このこけしは西荻窪イトチのイベント開催時に出品されたもので、テーマは「過去、現在とこれから」。ここには同時代の伝統こけしのひとつのあり方が示されている。工人のセンスと探究心がそうさせたのではないか、と思う。しかし同時に行われたトークイベントで工人は無研磨のこけしを過去に位置付けていて、その眼はすでにこれから、に向けられているようだった。

ED0ECBE2-10D1-416B-BACF-59E1405AB06B

こけしに劣らず、鳥も好きなのである。もっぱら野鳥を見るのが好きで、たまに鳥を見に出かける程度ではあるけれど。
普通こけしは草花を身にまとっていることが多くて、そのほかに描かれるものはあまりないようだ。花鳥風月というのに鳥もあまり見かけない。梅の枝に鶯をとまらせたり、風雅な鳥を見事に意匠化した例がなくはないが、鳥好きとしてはちょっと寂しい。だから懇意にしていただいている工人のほんの数人に鳥を描いてくれないかなあ、などと呟いてみることはあった。
確かに眦通雄工人にこの話はしたと記憶している。いつか鳥を描いてくれませんかね?それも鳥そのものを描くというより、鳥をうまくデザインしたものにしてもらえないでしょうかね?とこんな感じだったと思う。わがまま極まりないお願いで、可愛いこけしの量産体制だった工人がいつ着手してくれるかもわからず(ずいぶんバックオーダーを抱えている様子だった)、まあそのうちに、という感じで頭の片隅に置いていた。
ある日何の前触れもなく工人からこけしの画像が送られてきた。よく見るとちょっと見慣れぬ模様が描かれていて、おお、やってくれた。鳥だ。それも雀である。4つのこけしが並んでいて全部違う。試行錯誤のあとがこの4体ということなのだろう。それにしても皆面白い。迷わず4つとも送ってもらう。
筆だけで表現する雀、横を向いたもの、正面を向いたもの、赤だけで、赤と茶で、と様々なパターンにトライしてくれている。日頃描きなれている菊を描くときの筆遣いで、雀を表現してくれている。工人はこれをスズメ菊と名付けた。
この4つのこけしは既に工人のインスタグラムに登場していて、スズメ菊はその後もどんどん改良されて進化している。こけしの新しい模様ができていく過程を見られるなんてなかなか無い貴重な体験をさせてもらっていて、これもこけし趣味の面白いところなのかな。でもあまりわがままを言ってはいけないと、これはこれで戒めないといけない。そう、作ってもらう、作る気になってくれるまで気長に待つ、というスタンスで臨まないと。
68803F36-3894-4565-AFF5-25B2CB7F95E1


津軽こけし館で今晃工人と石川美祈子工人の展示“なるかならぬか”が開かれていて、飛んでいきたいところだったが、今は事情が許さず行くことは出来なかった。それが東京に巡回してきた。そんなわけで初めて西荻の「もりのこと」に行った。
入場が4人に制限された店内には幸い他の人はおらず、じっくりと見る。石川さんがいて話し相手をしてくれる。

石川さんに会うのは2回目で、初めて会ったのは修行を始めた頃の今さんの家だった。いつものように座敷に上がらせてもらうと、奥の小屋に見慣れぬ人がいて木取りをしている。それが石川さんだった。あれから6年近くが経ったのだ。

今さんと石川さんは二人挽きのろくろで交互に自分のこけしを挽く。石川さんがろくろを回し今さんが挽いて、今さんがろくろを回し石川さんが挽いて、という風に木を挽いていく。こけしの形は今さんがお題を出す。今日はこんな形のこけしを挽いてみよう、と。それで二人でこけしを挽く。形ができたら描彩をする。机には今さんが選んだ染料やら絵具やらインクが適当に並んでいてそれで描く。なにを描くかの指示はない。それで出来上がったこけしを交換する。石川さんの修行はそんな風に進んだ。
そうして作られ続けたこけしが二つづつ、2015年から2018年までの70組が並んでいる。二人のこけしは決して同じではない。それなのに何の違和感もない。その時々の二人の気持ちが響きあっていたからに違いない、そんな佇まいのこけしにすっかり幸せな気持ちになって会場を後にした。

家に帰って初めて会った日にわけてもらった石川さんと今さんのこけしを並べてみる。このこけしたちもそんな風に作られたのかもしれないな。
A5960DEF-A0E8-4B6A-80B9-9CAA0401EAF1

鳴子の日本こけし館がインスタグラムを始めたのでフォローしている。
いつものように投稿をながめていると、こけしが5体並んで写っている。岡崎斉一工人のこけしだ。

岡崎家は鳴子のこけしの中心であった。岡崎斉、斉司、斉一と続く岡崎家のこけしの図柄は鳴子一般型と呼ばれるほどに広く描かれている。滝の湯に向かって上がっていく坂の左手に店があって、こけし祭りの夜、店の中には大勢の人がいて、とても祭りらしい賑わいを感じさせてくれる。

初めて行った年からずっと続いていたこけし祭り行きも、仕事で2年連続、そして昨年は延期と、3年続けて行くことができていない。祭りの夜は蛍光灯の灯りがひときわ明るいお店に足を運んだことはもちろんあるのだが、現在の当主である斉一工人のこけしに実はそれほど馴染みがなかった。それでも我が家には六寸のこけしとねまりこがあって、ややぽってりとした筆遣いの表情、きちんと描かれた胴模様はとても丁寧な仕事だ。でも私には少しばかり可愛らしさが勝っているように思えたのだった。
6E34BEDD-FDCA-4E10-ABEE-CCE88B96EA5D
これは2016年9月のこけし祭りの思い出を語る夕べで当たった斉一工人のこけし。

インスタグラムの画像に写るこけしにはっとさせられた。私の知っている斉一工人のこけしとは一目見て違う。その違いは表情、面描にあった。これまでに比べてやや細い線で描かれる目と眉、俯きがちだった表情はやや目線を上げて、しっかりと正面を見据えている。けれどその表情は決して厳しいとか、毅然とした、という風ではなく、感じるのは、穏やかさと揺るぎの無さである。そうしてこれが初めて購入した岡崎斉一工人のこけしということになった。
BF2F76E7-1A4E-41CC-8917-2050C8AFCF9B
六寸と四寸。特にこの六寸の表情は鳴子こけしの白眉と言っていいとさえ感じる。斉一工人の人柄を知っているから、工人がこのこけしを作ったことがうれしい。
工人の人柄を知るのに、この文章を引用しておこう。日本こけし館のインスタグラムから。
「岡崎斉一工人は真心を込めて一本一本丁寧にこけしを作っております。まず一本買ってみてください。とおっしゃっていました 😊
人柄も良くみんなから親しまれています。
特に夫婦なかが良くいつも一緒💕
そういう人柄がこけしに出ているみたいです😃 」
この文章の感じが、斉一工人を表すのにぴったりなのである。

こけしを求めるために日本こけし館の担当の方とやりとりをしていたら、実は明日から5月31日まで閉館なんです、と言う。東京は緊急事態宣言がみたび出され、ゴールデンウィークの人出は見込めない。鳴子を想い、東北のこけし産地を想う。今の私にできることと言えば、こけしを買うことぐらいしか無い。


手の倫理」伊藤亜紗著 講談社選書メチエ
を読む。
手の倫理。何かに触れることがこれほど困難な時代はないと思うが、そんなときに手についてなにごとかを述べようとするこの本に興味を持った。

全体を通して、穏やかで(静かな、というほうがよりふさわしい)丁寧な語り口で進められるが、その内容はそれとはうらはらにとても刺激的だ。
ー触覚を担うのは手だけではありませんが、人間関係という意味で主要な役割を果たすのはやはり手です。さまざまな場面における手の働きに注目しながら、そこにある触覚ならではの関わりのかたちを明らかにすること。これが本書のテーマです。ー
と書かれたこの本にはずいぶん付箋がつくことになった。読み進めるにつれ、「思い当たる節」が次々と出てくるからだ。

多様性という言葉への違和感(第1章 倫理)
ー言葉に寄りかからず、具体的な状況の中で考える。私が強くそう念じる背景にあるのは、実際に、気になって警戒している言葉があるからです。
それは「多様性」という言葉です。ー
確かに多様性の時代、ダイバーシティの時代と言われ、実際にその言葉を何度も発したことがある。けれど、それはいつも無条件というわけではなく、どこかになにかを留保しているような、そんな感覚があった。それが何なのか、伊藤は現実の日本で進む分断に触れてからこう書いている。
ーもしかすると、「多様性」という言葉は、こうして分断を肯定する言葉になっているのかもしれない。そのときそう思いました。多様性を象徴する言葉としてよく引き合いに出される「みんなちがって、みんないい」という金子みすゞの詩は、一歩間違えば、「みんなやり方が違うのだから、それぞれ領分を守って、お互いに干渉しないようにしよう」というメッセージになりかねません。ー
と言い、多様性は不干渉と表裏一体になっていることを看破する。そしてこう言う。
ーつまり、多様性という言葉に安住することは、それ自体はまったく倫理的なふるまいではない。そうではなく、いかにして異なる考え方をつなぎ、違うものを同じ社会の構成員として組織していくか、そこに倫理があると思うのです。ー
この本はいわゆるビジネス本ではない。もっと広汎な、触覚を通じた人間関係を考察するものであることは承知の上で、容易に思い浮かぶのは職場における様々な状況であった。

安心と信頼は違う(第3章 信頼)
伊藤は「安心」と「信頼」の違いを、社会心理学が専門である山岸俊男の「針千本マシン」という架空の機械を引き合いに出して説明する。針千本マシンとは、喉に埋め込むタイプの機械で、その人が嘘ついたり、約束を破ったりすると、自動的に千本の針が喉に送り込まれる、という仕組みの機械である。
ー重要なのは、このマシンがあることによって、まわりの人が、この人間は嘘をつかないはずだという確信を持つことです。ー
より厳しいルールを導入して、統制を強化する。ルールを破ることの代償が大きいがゆえに、ルールは守られるはずだ。企業活動の中で当たり前に見る風景である。伊藤はこう続ける。
ー果たしてこれは「信頼」でしょうか。それとも「安心」でしょうか。山岸は、ここには「安心」はあるが、「信頼」はないと言います。ー
嘘をつくと不利益をこうむる、だから嘘をつかないという想定ができるから「安心」であり、他方で、「信頼」が生まれるのは「社会的不確実性」があるからだ、という山岸の整理を続けて紹介して、簡潔にこう述べる。
ー要するに、「安心」とは。「相手のせいで自分がひどい目にあう」可能性を意識しないこと、信頼は「相手のせいで自分がひどい目にあう」可能性を自覚したうえでひどい目にあわない方に賭ける、ということですー
安心できずにハラハラさせられる、そんな風にはなりたくないから、ルールを守れ、それは規定通りなのか、などという言葉が飛び交う職場。そうか、肝心なのは安心と信頼のバランスなのか、と思う私は、伊藤がこう続けるのでまた考えさせられた。
ーポイントは、信頼に含まれる「にもかかわらず」という逆説でしょう。社会的不確実性がある「にもかかわらず」信じる。この逆説を埋めるのが信頼なのです。(中略)信頼はものごとを合理化するのです。信頼は複雑なプロセスを短縮し、コストを削減する効果を持っています。ー
ー(前略)現実には社会的不確実性をゼロにするのは不可能です。つまり100パーセントの安心はありえない。どこまでもシステムを複雑化してしまう無限後退に終止符を打ってくれるのが「信頼」なのです。ー

「さわる」は伝達、「ふれる」は生成(第4章 コミュニケーション)
ー自分は正解を知っていると思っている人ほど、つまりトレイナーとしての自信がある人ほど、もしかすると伝達モードに落ち入りやすいのかもしれません。倫理には、道徳と違って、いつでもどこでも通用する「一般」はありません。この意味で、倫理は常に生成的です。「こうあるべきだ」という一般則としての道徳の価値を知りつつも、具体的な状況というライブ感のなかで行動指針を生み出し続けること。(後略)ー
これは戒めの言葉なのではないかと思い、引用する。
でも、これは「手の倫理」の話なのではないか、よもや職場で相手に触れることなどできはしないなどと愚考を巡らせるが、伊藤はここでこんな引用をする。
ー哲学者の鷲田清一は、人の声を聞くことが持つ触覚的な側面について論じながら、「ふれる」のなかに、実は「さわる」が含まれることを指摘しています。(中略)
 その変調、そのきめの微かな変化に、「ふれる」こととしての「さわる」もあるのである。そして、自ー他の溶解としての「ふれあい」よりもむしろ、このような異質さそのものに「ふれる」こととしての「さわる」こと、つまり距離を置いたままの接触のなかにこそ、より深い自ー他の交感が訪れることがあるのである。ー
人の声を聞くことが持つ触覚的な側面、という言葉は刺激的だ。人が集まることが難しい現状では、人の声の代わりに文字情報が使われることが、一段と増えているように思う。人の声の力を文字に代替させることの危うさを思う。

あそびから生まれる共鳴(第5章 共鳴)
この章はこの本のある種のクライマックスと言っていい。「物理的ー生成的なコミュニケーション」の例として、視覚障害者の伴走をとりあげる。ランナーと伴走者はロープを手につながって長い時間、同じ動作を共有する。筆者はアイマスクをつけて伴走者と走る体験をする。とてつもない恐怖と不安で最初は足がすくむ。伴走者は大ベテランにもかかわらず。見えないはずの足元の段差、目の前の木の枝が見える。しかし走り出して数分のうちにその恐怖から離れる。それを「信頼」が生まれた瞬間だという。この第5章は示唆に富んだエピソードに満ちているが、ひとつだけ触れておきたい。
あるベテランランナー(ブラインドの)の言葉が紹介されている。
ー「ロープを持って二人で走っていると、『共鳴』するような感じがあるのですが、お互いの調子があがってくると、はずむようなリズム感が伝わってきて、楽しいこころが躍る感じがします」。ー
なんという幸せな瞬間かと思う。伊藤はふたつの体を揺れる二つの振り子に例え、伴走におけるロープがふたつの体の振動を結びつけると書き、こう続ける。
ー振り子にしろ、体にしろ、共鳴のポイントは「自ずと動く」ところでしょう。押していないのに、あるいは自分が走ろうとする以上に、相手の振動を得て動きが増幅していく、自ずと動くのだから、体は軽く感じるはずです。ー
そしてあらためてロープの力を実感するのである。二人のランナーがじかに手をつないで走るとしたら、目の見える伴走者がぐいぐい引っ張ってしまうのではないか、それは一方的な「伝達」のコミュニケーションであって、そこに「共鳴」はないと言う。
ーでもロープなら、「あそび」ができる。がちがちに固定されていないつながり方だからこそ、多少動きがずれたとしても、ロープがそのずれを吸収してくれます。走っている側も、ずれたことを感じ取って調整する余裕ができます。柔らかいロープだからこそ、バッファとしての機能を持つことができるのです。ー
あそび、バッファがあるからこそ、「生成的」なコミュニケーションができる。組織で働くということは他者との関係の生成の連続に他ならない。「伝達」から「生成」そして「共鳴」へとコミュニケーションの質を変えていけるのか?人間関係について考えるのに多くの気づきをもたらしてくれる。本書「手の倫理」にはそんな効用がある。

もうすぐ今年度が終わって、新しい年度に変わる。年度初めが春というのは良いことだと思う。上へ上へと伸びていく草花の生命力を感じながら、そして「手の倫理」での気づきを大切にしながら、新たな年度を迎えたい。そんな気持ちに寄り添ってくれそうな、木の実さんのこけし。
A3D7DD18-FDD5-4F15-8B38-5A7F00779C80







ケヤキはとても身近な樹だ。遠く里山に足を延ばすまでもなく、公園や街路樹で目にすることができる。私が育った郊外の町にも大きなケヤキ並木が長く続く国道があった。

ケヤキの樹の姿が好きだ。街路樹として生きるケヤキはどうしても大きくなってしまうから、見るも無残に切り刻まれてしまうが、公園の広場のケヤキはのびのびとその枝を伸ばし、大きな大きな球形の樹冠をかたち作る。太い幹から分かれて伸びる枝は解き放たれたように伸びていき、やはり大きく育つクスノキがほとんどたどたどしい様子で成長していくのとはまるで違う。その素直な様子が好きなのである。
8B5AD1A1-33D4-4C4D-A2A4-4FCFBAA471BA

「ケヤキの果実が散布されているのを最初に見たのはきれいに刈られた牧草地である。広い草地で子供たちとキャッチボールをしていた。ボールの脇に七〜八センチの細い小枝が落ちていた。ケヤキの葉がついているのでケヤキの当年生(筆者注:発生後1年以内)の小枝だ。拾ってよく見ると驚いたことに、三〜四個の小さな丸い果実がついていた。果実は当年生枝とともに運ばれていたのだ。」
この文章を引用するのは2回目である。今年私のバイブルになった本「樹に聴く」(清和研二著)に書かれたこの文章を読んで、ケヤキの果実の季節を待っていた。いつもの公園に大きなケヤキがいくつか立っていて、じっと地面を眺める日々が続いた。と、ある日ようやく出会った。ケヤキの実だ。拾った実をおもむろにスーツの上着のポケットにねじ込んだ。すでにケヤキの葉は枯れて多くが落ちてしまっているが、この実をつけた枝の葉はそれよりだいぶ小さい。軽い小さな葉とともに落ちることで、風に乗って遠くに行くことができようになる。重ければその場に落ちてしまう。かように生きて子孫を残すための戦略は緻密で、考え抜かれているのだ。
3D852A5F-3F76-4128-B483-8E21B429DB2F

ケヤキは木材としてもよくつかわれる。
「褐色の木目が力強く美しい木です。(中略)この木は木目が力強いので大きく使うと映えます。お寺の柱や板戸、床板によく見られます。和風住宅では大黒柱などに使います。昔に比べるとこの頃はあまり使われなくなりました。」(樹と暮らす 家具と森林生態 清和研二・有賀恵一著)

566391E1-81C8-407B-9858-E3C920D51B38

この写真はとある家の柱に使われていたケヤキ。タバコの箱が見えるから、柱の太さがわかる。築100年以上の農家の家の大黒柱だったという。
そのケヤキは農家の親戚である、こけし工人の元に来た。工人はこれでこけしを作った。

2FE2F75A-46D3-47A6-86AF-264027B5524B

眦通雄工人の八寸。師匠である慶明の型で、その意匠はケヤキの木肌によく似合っている。木材として切り出されるまで、すでに相当の時間を過ごしてきていたはずのケヤキが、大黒柱として百年以上の年月を人と共に暮らし、柱としての務めを全うした後に、こうして私のところへ来た。まったく樹には恐れ入る。切られても削られても、樹の命は決して絶えることがない。それどころか、樹というのは我々に与え続ける、無私の存在なのだ。そうして樹を想いながら、こけしを眺める。するとまた違った感慨が浮かんでくる。

ケヤキ材の画像は眦通雄工人の撮影。

大阪を南北に貫く道を筋と言い、東西に交わる道を通りと呼んでいる。東京に比べると大阪は緑の少ない街のように感じられるが、広い通りとゆったり取られた歩道には、大きな街路樹がふんだんに植えられている。いま、歩いているのは御堂筋で、一方通行の車線には引き込み線のような側道があって、側道と車道の間に植えられているのはイチョウである。心斎橋辺りを北に向かって歩くと長堀通りと交差して、通りへと曲がると街路樹はナンキンハゼに変わる。

ナンキンハゼは我が家の面した道の街路樹である。成長が早く、冬には大胆に伐採されて禿げ坊主になっていても、秋の今時分には唸るほどの数の葉をつけて、鬱蒼と茂っている。未だほとんどの葉は青々としているが、ところどころに色が変わり、その色は黄色や赤で、目に鮮やかな紅葉となる。

最近まで私は樹々に何の関心も持っていなかったし、ナンキンハゼという名前も何度か聞いていたが覚えられなかったくらいだが、ふと家の中に白く柔らかな印象の、実のようなものがついた枝が飾ってあることに気がついた。聞けばこれがナンキンハゼの実だという。一本の枝先に小さな実がついているさまは、とても良いものである。すると通りのナンキンハゼには実が唸るほどなっているというではないか。それを聞いてからというもの、家を出て通りを歩く私は、ナンキンハゼの実を探して上を見ながら歩くようになってしまった。

朝早く駅までの道で、頭上を見ながら早足に歩く。緑の実が確かについているのが見える。すずなりになっている、というのが実にぴったりな様子である。毎日毎日落ちてこないものかと、頭上を眺め続けているが、いっこうに落ちてくる気配はない。しなやかな軸が枝にしっかりつながって、鳥に食べられるのを待っているようだ。

勤め先に向かって、ひと駅手前で降りて歩く。ここは古い埋め立て地で、水路の跡が遊歩道になっている。道が二手に分かれるところにもナンキンハゼが立っている。ここでもまたとりあえず頭上を眺めるのだった。すると何かが落ちる音がした。何が落ちたか、どこに落ちたか分からない。するともう一度落ちる音がした。今度は落ちた場所がわかる。2、3歩近づくと、そこには緑の葉をつけた枝が見える。持ち上げるとそこにはナンキンハゼの実がついていた。すると頭上でカラスの鳴き声がした。カラスの仕業だ。カラスには礼を言わねばなるまい。拾った枝を上着のポケットに捻じ込む。しかし木から離れた枝葉はみるみるうちにその張りと潤いとをなくしてしまった(なにか人肌の話をしているようだな)。

さて、長堀通りのナンキンハゼのたもとには低木の茂みがあって、鳩がその実を啄みに殺到していた。それで目を引いたのかその茂みに目をやると、落ちていた。ナンキンハゼの実。皮がはじけてすっかり白くなっているもの、黒く硬い皮に包まれたままのもの。やっと会えた。大阪で。

秋の乾燥した空気の中で、ナンキンハゼの実はあっという間にすっかりはぜて、皆潔い白に姿を変えた。そんなナンキンハゼにどんなこけしを合わせようか。ちょうど阿部木の実さんの個展が始まって、初日の夜に行く。いつものことだが創案ものはすっかりなくなって、伝統型のものが少し残るばかりだけれど、この時間には来客も少なくなって、ひとしきり工人と話すことができた。求めたこけしから泰一郎型を合わせた。秋田と大阪からの来客である。

28C52B04-CEC2-4789-B0C3-811A339EEBA0

いつも行く緑地のあずまやのテーブルの上に栃の実が沢山置かれていて、そうか、ここにはトチノキがあるのか、今度探さなければと思っていた。次に来た時には家人が落ちているのを見つけた。見つけた場所には立派なヤマモモとハクモクレンの大木と梅林があるばかりで、トチノキは見当たらない。誰かが拾って、落としていったものに違いない。人は栃の実を見つけたら拾わずにはいられないからだ。
ヤマモモのあるちょっとした広場からだらだらとした坂を下りていく。この坂の左側ではヤマガラが至近距離で姿を見せてくれたっけ、と視界に入ってきたのは栃の実だった。あるある、落ちている。多くは中の実がすでにとられた外の皮の部分だが、少し道を離れたところには中身の入った大きな実がごろごろ落ちている。上を見上げるとこれがトチノキであった。大変恥ずかしい話だが、この木は前から知っていた木で、この場所でこの木を見上げるのが好きなのだ。私はこの木をホオノキだと思い込んでいたのである。この二つの木は大きく長く伸びる葉っぱが放射状に開いて、陽の光をいっぱいに受けようとしている姿がとても似ている。けれどもこの季節になると大きく違ってくるからすぐわかる。トチノキの葉は既にすっかり色が変わってきているが、ホオノキはまだ青々としている。さてたくさん落ちているから拾って帰っても罰は当たらないだろう。分厚い皮が割れかけて中の実が少し姿を見せている。なんとも魅力的な姿をした木の実だとつくづく思う。

74FA6592-0424-42C7-8F43-26BDDEA0BA2F

栃の実は食用で、太古の昔から山の栄養源であった。いまなら栃餅として口にすることがあるだろう。よく知られているように栃の実を食べられるようにするには、途方もなく手間がかかる。どれだけかかるかと言えば、
1.ボウルや大きな鍋などに入れ、栃の実を水に浸しておく。2〜3日ほど、定期的に水を替える。
※栃の実ひろいからはじめた場合は、ざるに広げて天日干しする。
2.熱湯に浸けて一晩置く。
3.栃の実の皮を剥く。
4.剥いた実を1週間から2週間程度水にさらす。
※流水が望ましいが、難しい場合は、まめに水を替える。
5.一度ざるにあげた栃の実に、熱湯をかけて1時間以上置く。
6.5をざるにあげる。容器の中に栃の実を入れて、栃の実の同量〜2倍程度の木灰をまぶす。
7.熱湯を入れて全体をまんべんなく混ぜ、蓋をして1〜3日浸けておく。
8.灰を洗い落として、再度水に一晩さらす。
(参考にしたのはORGANIC RECIPE
これでようやく食べられる状態になる。あく抜きの仕方は地方によっても様々なようだが、手間のかけ方は大同小異といったところであって、こうしてまでも、何としてでも栃の実を食べようとした先人の苦労が偲ばれる。
何が食べられて、何が食べられないのか。人間は命がけで食べ物を見つけてきたのだと思う。それこそ片っ端から食べたのではないかと思っていたが、そうでもないのかもしれないと思うようになった。

採集 ブナ林の恵み(赤羽正春著 法政大学出版局)は「山に生かされた人々の伝承」を追った丹念なフィールドワークの報告でとても興味深い本だ。著者は現在食べられている膨大な種類の山菜はいったいどのようにして人間が食べることを学習したのかということを、共生する動物と人間の交渉として書く。「アイヌの人たちはヒメザゼンソウ(湿地に生える多年草。人間も食べる:筆者注)のことをシケレペキナとよぶ。(中略)シケレペキナは特別な食料であったという。特に静内地方のアイヌの人々にとって。織田ステノは茹でてて干し、保存したものをいつも持っていたという。イオマンテ(熊の霊送り)に欠かせないものであり「シケレペキナカムイラタシケプ」(ひめざぜんそうの熊の神料理)と呼んでいたという。」「北海道浦河地方では春先に最も多く取れる植物という。「ひめざぜんそうを食べることを教えたのは羆(ひぐま)の神だとされている。春先に羆が食べることに由来するのだろうが、羆の子を飼育する村の人々は飼料としてもたくさんとっている」。ここでも熊が主体として現れる。」
狩猟と採集の生活では、熊は貴重な食物でありエネルギー源であり、共生する相手であった。人は熊の一挙手一投足を注意深く観察し続けていたはずである。熊たちが何を食べているのかも、つぶさに知っていたはずだ。ここで著者は栃の実を採り上げてはいない。でも稲作を行わない山中に暮らす人々にとってクリとならんで栃の実は貴重な澱粉の採取源であって、これをどうにかして食べてやろうと思った動機は熊ではないか、と思う。公式には熊は栃の実を食べないとされているようだが、いや食べるのだという説を唱える人も多くいる。熊が食べるのなら食べられる、きっと役に立つ、そんな風に思ったのではないか。

栃の実は日本の落葉広葉樹の実の中で一番重い。30グラムほどになるものもある。そういえば栃の実拾いの最中にもずいぶん大きな音を立てて一つ落ちてきた。頭上に落ちてこなかったのは幸いである。トチノキは花も大きく、その蜜を求めて蜂たちがやってくる。この蜜でトチ蜜が作られているらしい。「馥郁(ふくいく)とした奥山の味がする」そうだ。機会があれば求めてみたい。

栃の実に合わせるのは、これしかないな、と思わせる今晃工人のこけし。今さんの鳴子の師匠、岡崎斉司工人はこう言っていたそうだ「こけしの胴はふっくらとしていなければダメだ」。こけしもトチの実も見事にふっくらとしているではないか。
359FD037-271C-40B3-AD1A-E0DE65DEF410

参考文献
採集 ブナ林の恵み(赤羽正春著 法政大学出版局)
樹は語る 芽生え・熊棚・空飛ぶ果実(清和研二著 築地書館)

テレワークだの自宅待機だのということで、巷ではコロナ太りに見舞われた人が多いようだ。私はと言えば幸いなことにコロナ痩せ(少し)に成功したのだった。というのも通勤時間をウォーキングの時間に充てたからで、目的地は行って帰ると約10キロの距離にある森である。森といってもビジターセンターもあれば、かなり行き届いた管理が行われていて、緑地と名乗っている場所だ。
家人は少し前からこの場所にハマっていた。私は運動不足解消を目的に行くようになったけれど、そのうちもっぱら野鳥に会うのが目的になっていった。家人はというと、ムシが第一の関心事なのであった。昆虫である。つきあって見ていると、なるほど色は綺麗で、その形は実に精妙にできていて見飽きることがない。ムシを見つけようとすると自然に視線が下の方に行くから、地面に落ちている木の実たちに出会うのは必然だったのかもしれない。そうして集めた木の実を手持ちのこけしと合わせてみるのがマイブームで、インスタグラムにアップしたりしている。
ある日、まだ青々としたドングリが葉をつけた枝ごとたくさん落ちているのを見つけた。コナラの実である。とても綺麗なこのドングリを拾って写真に収めた。だが、なぜこの時期に落ちてきてしまったのだろうと、調べてみて驚いた。これはハイイロチョッキリという虫の仕業なのだ。
この虫はコナラのドングリに穴を開けて、卵を産みつける。それからおもむろにコナラの枝を器用に切って地面に落としてしまうのである。中で孵った幼虫は栄養豊かな実を食べて、その後ドングリから這い出し、土に潜って成虫になるときを待つのであった。ということはこのドングリにも卵が産み付けられているはずだ。まずは枝の切り口を検分する。スパッと真っ直ぐに切れている。これが特徴なのだ。カサの部分を改めて見てみる。すると、確かに穴が開けられて、さらにこれを塞いだ跡が見つかった。拾ったドングリ全てがそうなっていたのである。ここで家人から情報がもたらされた。小学生の観察記録である。むむ、この小学生は凄い。それならと自分もドングリの中身を見てやろうという気になった。カッターナイフの刃を入れると外側の皮はスパッと割れて中が見えた。
39406F39-A18F-447B-A03A-C77505221546
いるいる。幼虫がいる。すでに実を相当食べていて粉状になっている。確かに生きている。

知らなかったとは言え、ハイイロチョッキリに悪いことをした。私は拾ったドングリを森に返しに行ったのだった。

コナラといえば、この森ではナラ枯れと呼ばれる伝染病がかなり進んでいて、コナラが片っ端から枯れてしまっている。つい数週間前にはカブトムシたちが集まっていた木々も、もう完全に枯れている。木が枯れたあとには光が差し込むようになり、木々の様相が変わり、生き物たちの様相もまた変わる。来年カブトムシたちはやってきてくれるだろうか。これがいまの気がかりである。

インスタグラムでは木の実さんのこけしに合わせて見たけれど、これもいいんじゃないかな。佐藤文男さんのこけし。
FA233027-6FE8-408E-8EA6-90FCED27A1BE
この人のこけしはいつも朗らかなところが好きだ。

長い梅雨が明けて、遅い夏が来た。

我が家の前の公園に、桜の木がたくさんあって、セミがいつもの年と変わらず鳴き続けている。
鳥たちの様子はいつもの年と少し違う。滅多に姿を見せることなかったコゲラが頻繁にやって来る。オナガもそうだ。ちょっと離れた栗の木林をメインフィールドにしている彼らもいっとき毎朝のように来ていた。若いシジュウカラ、エナガ、メジロたちの群れもずいぶん来たし、野生化したワカケホンセイインコもたびたびやって来るようになった。スズメ、ヒヨドリ、ムクドリはバルコニーに傍若無人に侵入するようになった。一度だけガビチョウの鳴き声を聞いた。
ウグイスだけが変わらず遠く見えないところで美声を聞かせている、と思うと今日は近くで啼いている。
遅いけれども長い夏に北上することができない。温泉に浸かって、工人に会いに行くはずの夏。
本でも読むしかない。

ようやく、というか、今頃というべきか、
福岡伸一の著書を読む。次に読む本を切らしていて、家人の蔵書から手に取った。
D91764C8-1AB0-4522-8710-DA8AB596A323
動的均衡 生命はなぜそこに宿るのか 福岡伸一著 木楽舎
新版 動的均衡2 生命は自由になれるのか 福岡伸一著 小学館新書

最近関心をもって読んできた本は、樹を巡る読書であったり、ヒトの目の脅威的な力についてであったり、鳥と人との関わりであったりと、自然や生命にかかわるものが多くなっていた。理由はわからない。関心の赴くままに本を手に取るばかりだが、あるいは年をとったのかもしれない。
この一連の読書の前にこの本を読んでいたなら、もっと理解が深まったに違いない、と思わされたのが福岡伸一の二冊だった。「生命とは何か」という問いに対して、「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」という福岡の言葉は、とにかく腑に落ちる。しっくりくる。
よく知られた著作だから、内容に深入りするのはやめておく。その代わりに少し長いが次の一文を引いてみる。地球温暖化について論じている箇所だ。
「二酸化炭素濃度の上昇とのあいだに因果関係がないのなら、やがて気温は低下傾向に転じるかもしれない。しかし、もし因果関係があるとすれば?このまま事態を放置すれば、動的均衡の視点から考えて、地球環境は長い時間経過のうちに取り返しのつかないことになるかもしれない。そして、その可能性はかなり高い。その場合に備えて、なんらかのアクションをとるべきではないのか。
 このときの「べき」は、もはや科学だけの問題ではない。強いて言えば、科学の限界の問題である。ここに初めて判断のレベルが、真偽を見極めるレベルから、善悪を見極めるレベルへと移行する。
 現在、科学技術をめぐる諸問題の判断において、この判断のレベルの切り分けが極めて曖昧になっている。それを見分ける力が本当の意味の科学リテラシーであり、教養と呼べるものではないか。」(下線は筆者が追加した)
この本(動的均衡2)ははじめ2011年12月に書かれ、2018年に新版として新書化された。もちろん新型コロナウイルスの感染など始まる以前のことだ。でもどうだろう。「地球温暖化」を「新型コロナウイルス」と言い換えてみるとこの文章、そっくり今の状況を言い表しているように私には思える。私たちはこの時代にどんなリテラシーを身につけなければならないのか、著者にはわかっている。私たちはわかっているだろうか。わかっていたらこんな状況になるだろうか。

ウイルスが世界中で猛威を振るい、オリンピックとパラリンピックは延期された。ちょうどこの本を読み終えた日に、今晃ファンクラブの頒布品が家に届いた。
今回は木地玩具。今頃開催されていたはずのオリンピック・パラリンピック記念頒布の「車いすのマラソン選手」である。私は眼をみはった。精巧で、丁寧な仕事。それでいてあくまでも柔らかい。こんな仕事は今さんにしかできない。
D081241D-FC6D-4179-A622-3778D588BB747CF037F6-F185-4E3A-8379-8A35ADBDC29038C44B21-9662-477D-A27B-288F3CFE45B4CBA14714-425E-4429-9BB6-D9AE98C4C166A295480D-12AE-407B-A210-2FEDDA90E306
私自身は今のオリンピック・パラリンピックの在り方に懐疑的だけれど、アスリートたちがその力を思う存分発揮できる場が早く取り戻せたなら、と思っている。アスリートたちは自分のため、チームのためにベストを尽くしてほしい。私はそんなアスリートを自然と応援するだろう。
 

このページのトップヘ