ムーの棚から

〜こけしと時々読書・音楽・山と日々の出来事で綴るブログです〜

8月27日(日)東京こけし友の会創立70周年記念例会・懇親会
9月2日(土)3日(日)全国こけし祭り(鳴子温泉)
という具合にこけしイベントが続き、愛好家としては大いに楽しんだのだが、ひとつ問題があった。
こけしが増えるのである。
こけしに魅せられて10年余り。こけしはモノでもあって、買えば増えるのが道理である。道理に従って我が家のこけしも置き場に困る状況が続いている。例会と鳴子でもう十分楽しんだし、このように置き場もないのだから、と自分に言い聞かせ、中ノ沢には行かないつもりだった。インスタグラムにも「中ノ沢こけし祭りは皆様の投稿で楽しむ予定」などと書いている。どこかにある行きたい気持ちを抑え込んでいる。
こけしを初めて知ったころ、私は新潟県の長岡に赴任していて、それ以来の行きつけの料理屋にどうしても挨拶に行かないといけない事情があって、9月9日土曜日に行くことにした。そういえば長岡にいるころ日帰りで仙台に行ったっけ(しまぬきでの鎌田孝志さんの個展だった)、などと思い出し、すると中ノ沢にも行けるかも、と思い出す。ちょっとのぞくだけでも行ってみようかな、まだ行ったことのない産地だし、以前から近くの沼尻温泉に興味津々だし。これがこけし(&温泉)愛好家の心理なのである。ここまで思いが至れば中ノ沢に行かないという選択肢はもうなくなっている。
今年の中ノ沢の祭りは各旅館で工人ごとにこけしを販売するというユニークなスタイルである。前泊組には色々と優遇があるようだが、こちらはさすらいの当日組ゆえ、あたりをつけて並ぶしかない。中ノ沢到着時点では「まあこけし一つくらい買うかも」くらいの心持ちである。買うとすれば関根由美子工人がいいなと思っていた。今年の白石のコンクールの審査品にとても良い感じのこけしを出していた(予約済であった)のを覚えている。関根工人が宿の前に立っていて、机の上にはまばらなこけし。それでもなんとか買えそうな長さの列なのでとりあえず並ぶ。そのあとしばし並ぶのを同行の相方にお願いして他の工人の列を偵察する。
野矢里志工人のところは実に長い列である。人気の工人であり無理もないこと。かく言う自分だって好きだけれども、これだけの長蛇の列ならあきらめもつくというもの。
それにしても今回の宿泊客限定サービスは当日組にとっては脅威としか言いようがない。列に並びながら何番目かな、などと少し緊張しながら待っていると(当日組は午前10時販売開始である)、列を横目にぐいぐい工人の前に来る人がいる。宿泊組だ。列には一瞥もくれずにさっとこけしを買っていく。目の前でこけしが減っていく!もうあまり残っていないのに!そんなに欲しいなら前泊すればいいだけのことだけれども。
関根工人のところで無事購入して、相方のリクエストにより瀬谷工人のところへ。次いで柿崎工人のところにも行く。この時点で早くもこけしが五つになっている。おいおいもうこけしは買わないんじゃないのかい、と自問自答し、よし今日は終わりだ、と体育館を覗いてから温泉街を後にする。
少し車を走らせて蕎麦屋で昼食。次いで前から行きたかった沼尻温泉田村屋旅館へ。もう本格的な宿泊はやっておらず、もっぱら日帰り温泉として営業しているようだが、この湯が良かった。緑に囲まれた露天で長風呂。内湯は少々熱くて長くは入っていられない。利用料無料の休憩所で横になる。汗が引かないほどに温まったのがわかる。
さっぱりしたところで帰途に就くのだが、どうやら中ノ沢が私を呼んでいる。もう一度だけ、と温泉街へ。野矢工人の売り場にはもう待ち人はいない。ずいぶん沢山のこけしを用意してきたようだと教わっていたのだが、ダメ元で聞いてみると、「まだありますよ。もう少ししかないですけど」とのことなので慌てて旅館の入り口を跨いで入る。果たして残っていたこけしは5体。7寸が四つ、6寸が一つ。紫色の花をあしらったこけしだけであった。4つ残った7寸を手に取る。細長さが目立っていて、バランスが良くないような気がする。次いで6寸。よく見ると7寸には花二つ、5寸は花一つがあしらわれている。二つの異なるサイズのこけしを並べて立たせてみると、これが実にいいのだ。さっき感じたバランスはこうして並べて見るためなのではないかと思うくらいに二つのこけしがぴったりと合う。こういうときほど二人で来る強みを感じることはない(一人一つに限定されていたのだ)。サイズ違いで2体を迎えることができた。さて、目の前でこけし販売をしているのは、ひょっとするとと思い話しかけてみると、果たして里志工人のご両親であった。ということはこの男性が幻の工人、野矢俊文さんである。母上はこけしに描かれた花、バンダイクワガタのことを熱心に教えてくださる。そこへ里志工人も帰ってきて初対面の挨拶。
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野矢里志工人のこけし、こうして眺めていると、中ノ沢系の中でも異彩ぶりが際立つ。これは父親譲りのところも多分にあって(特に表情の描き方)、師弟関係によって受け継がれるものに気づかせてくれる。里志工人はその上に自身の魅力を無理なく加えているのだな、と思う。
結局のところ中ノ沢でも楽しみまくってしまったというお話。

去年の暮れのこと、実に久しぶりに楽語舎を訪れた。一昨年から団地の一室で再開されていたのだが、なかなか足を運べないでいた。これまた実に久しぶりの即売会があるとの案内をもらって、ようやくお邪魔することができた。
見知った顔が集まって、こけし談義。いいこけしも入手できた。ふと見ると隣の部屋に押し入れ用の収納ボックスがいくつか置かれ、その中には無造作にこけしが放り込まれていた。聞けば好きなものを持っていっていいと言う。なるほど保存はあまり良くなく、大寸のものが多い。お言葉に甘えて箱を漁ると、あるこけしで手が止まった。そしてそのこけしは今我が家にある。

新山久治のこけしは初めてである。この有名工人とはこれまで全く縁が無かった。ブログの更新をサボり続けている間もInstagramにはこけしをまめに投稿していて、それらを見るにつけ、私はこけし蒐集家ではないのだな、と思う。好きなものしか関心が向かないので、いままで久治のようなよく知られた工人でも縁が無かった。
さて久治とはどんな工人だったかと、確認するのはKokeshi Wiki、次いで“木の花”である。昭和の時代、空前のこけしブームの中で、こけし論を戦わせた先人たちによって、当時のこけし鑑賞の空気のようなものが醸成されたと思う。それらを見て今思うのは、初作やいわゆるピーク期にはずいぶん熱心な一方、それ以降、晩年にかけての、むしろいま目にすることの多いこけしにはずいぶんと塩対応なことである。それはそれで仕方のないこと、必然だったことは理解する、けれど最も目にする機会の多いものにはもっと言及してもらいたいな、と思ってしまうのである。我が家にやって来た久治は写真で見る限り昭和36年ころの作。このころのこけしは《後期のこけし》に分類されて三段組のおよそ一段を使って紹介されていて、昭和31年以降の作が順に紹介されている。昭和36年にいたってはわずか一行半、サイズと所有者だけが書かれているといった扱いである。これがピーク期となるとこうだ。
「この時期のこけしは、戦後の特徴である面描の細さ、鼻の小ささにもかかわらず、眉・目がつり上がって力強く、集中度の高い表情をしており、胴模様も筆太に力強く描かれている。赤の前髪も勢いよく描かれており、表情、力強さともに初期の作品に匹敵する出来の良い作品が多い。戦前作でも昭和一四、五年頃のものと比べるとむしろ出来が良い。従って、この時期は新山久治のピーク期といえる」
すこぶる好意的で写真で見る限りその通りだと思う。でも後期のこけしだってそれにふさわしい魅力を備えていると思うのである。私なら今日のこけしをこんな風に紹介してあげたい。
「頭部と胴のバランスは自家薬籠中のもの。わずかにくびれた胴のカーブは実に穏やかな曲線になっている。眉も眼も優しさが勝り、力強さとは対極にある。顔のパーツはしっかりと中心に寄せられて配置されているが、無用な緊張感を与えず、その余白に思いを馳せる余地を残している。緑の帯の意外なほどの煌めきはもはやラメ色、伝統的な赤とわずかに使われた紫色に強めの差し色となって少しばかりの驚きを与える。全体として完成された安定感が、このこけしがただ置かれているだけでいいのだと言っているように思えてくる」
昭和50年代にかけてのこけしブームで大量のこけしが出回って、それらは今でもよく目にするものだ。そうしたこけし達にもきちんと言葉で向き合ってみたい、そんな気持ちがどこかにある。あの時代、ロウ引きがあまりにもしっかりしているものが多いのだけが惜しいけれども。
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参考文献
木の花 第弐拾五号 〈連載覚書〉㉔久治のこけし

桜井尚道工人の岩蔵型五寸。7月の終わりに私の元に来た。
桜井こけし店は大沼岩蔵(岩蔵は万之丞の叔父で師匠)から桜井万之丞、昭二、昭寛、尚道と続く鳴子のこけし工人の家系。こけし屋はどこも後継者問題を抱えているが、桜井家では幸いなことに息子がこけし作りを始めた。
これまで桜井家のこけしを良いものだと思いながらも一歩引いて眺めるばかりで、いくつか持ってはいるけれど、私としてはずいぶん抑制の効いた接し方をしてきたと思う。それでも作り手の問題は気にかかるから、息子が後を継ぐと聞いて嬉しかった。だからなんとなく彼の作るものを横目に追いかけてきたのだ。
彼が修行に入ってから、実際にこけしを世に出すまでは、ずいぶん時間がかかっていたように思う。Kokeshi Wikiによれば修行に入ったのは平成27年4月ごろ、ほぼ初作とされる小寸は平成29年8月とあって、2年4カ月が経過しているけれども、はめ込みの作品は平成31年まで待たねばならず、4年の月日を要している。その後令和2年に深沢コレクションに挑戦した古鳴子も小さなもので、はめ込みのこけしへの本格的な取り組みはさらにあとになる。その足取りは意欲的ではあるが慎重で、階段を焦らず一歩一歩上がっている、そんな風に見える。これは推測に過ぎないけれど、師匠としての父、昭寛はなかなか厳しく指導したのではないか。
その尚道工人のこけし、確かな腕に支えられた出来栄えに文句のつけようもない。先に触れた古鳴子の復元も良い出来で、これは手元に持っていて、でも小寸の良さになにかもう一つ纏わせたい雰囲気がある、そんな印象を持っていた。単に好みの問題ではあるけれど。
この夏、イラストレーターの佐々木一澄さんが自身の原画展に合わせて、所有の岩蔵を託して尚道工人が製作した五寸とたちこ、それと本人型のえじこをSNSの画像で見た。スマホの小さな画面からでもそのこけし達から伝わってくるものがある。これは良いものに違いない。それで浦和駅近くの楽風にいそいそと出かけ現物を確認する。小さな画像から伝わったものに間違いはなかった。すでにえじこは無くなっていて、五寸とたちこを求める。几帳面で繊細な木地挽き、ビリカンナで仕上げた複雑な肩のラインは見どころだが、今までとの違いを最も感じるのは「顔」、表情である。間違いなく岩蔵の系譜にある表情は昭二とも昭寛とも違う。これまでの生硬さが取れていて、少しまわりくどい言い方をすれば、下書きなしの彼の顔になっている(むろん実際に下書きなどしない。心の下書きと言うべきか)。
それにしてもこの胴模様、アヤメの配し方ときたら、これは岩蔵の創作だと思うが余白の作り方が絶妙に感じられる。この美点は忠実に受け継がれている。
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このこけし、これまで一段一段階段を上がってきた工人が一段飛ばしで駆け上がったような印象がある。いよいよ目が離せない。
桜井こけし店ではこの週末から10月9日まで、西田峯吉のコレクションに挑戦した展示をするそうだ。個人的には5年ぶりの祭りにひとつ楽しみが増えた。

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radikoという便利なものが出来たので、週末の移動の車中でよく聴いている。ある日もそんな風にクリス松村の9の音粋(bayfmの番組)を聴いていたら、佐野元春の新譜がかかった。そのときの感想が「いいなぁ、佐野元春」。

佐野元春なら知っている。僕が中学生のころ「アンジェリーナ」「SOMEDAY」はとてもヒットしていた。どこかで必ず耳にするサウンドだったからか、それともすこしばかり特徴的な歌い方だからか(話し方も)、どちらかと言えば好きだったはずだけれども自分でレコードを買ったり、誰かに借りたりということはなかった。でも同じ時代を生きてきたから、彼がずっと活動していて、僕らに向けて音楽を送り出しているのは、僕の視界のかなり外れのほうにおぼろげに認識されていて、けれどはっきりとした像を結ぶことは、あの放送までなかった。

最新盤(そして僕にとっては初めて買った佐野元春)は佐野元春&THE COYOTE BANDとして彼のデビュー43年目に出された「今、何処」。配信のみで発表された「ENTERTAINMENT!」とのパッケージになっている。その「今、何処(WHERE ARE YOU NOW)」を聴いて思ったのだ。これは今の時代を生きる人が聴くべき音楽だ、と。

懸命に生きている人たちに見えているのは、自分の身の回りで起きること、自分に降りかかってくること、自分に関係すること。そんな気持ちに寄り添う詩、そんな心を励ます歌、そんな音楽が溢れているように感じていた。ありえないと思っていたことが次々に起きて、過去はあてにならない、では何をよすがに生きればいいのかと感じる人々にそうした歌たちは優しく響く。けれども佐野が歌うのはあなたと私の向こう側にいる人たち、そして否応なく絡みついてくる体制や世間への抵抗であり、だからこそ目の前のあなたをそれでも守りたいと歌う。このろくでもない世の中への危機感である。それがとてつもなく親しみやすいサウンドに乗せて届けられる。無駄な曲などひとつもない。

この危機に何をもって向き合えばいいのか。佐野はこのアルバム中3曲で魂という言葉を使った。どう生きるかを考えるのが哲学なら、佐野の音楽は哲学である。それもとびきり親しみやすいやつだ。一人でも多くの人に聴いてもらえたらと思う。
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大沼秀顯のこけしを添えたのは、彼が佐野元春と同い年だから、である。

旅の思い出を少しだけ。
久しぶりの5月のコンクールに合わせた東北の旅では、会場で会った人を除いて延べ9人の工人に会いに行き、最後の9人目が岡崎斉一工人だった。
開放的な店構えは滝の湯のほうからから下ってくるとよく見える。絵付体験をしている親子がいて、工人も奥さんも姿が見える。
オーソドックスな菊模様のこけしが棚に並んでいる。いつもきちんと商品を並べていることが素晴らしい。6寸のこけしはとてもバランスが良くて、素直に手が伸びる。けれど表情が一番気に入ったのは5寸のこけし。バランスの良さは6寸に劣るけれども、私の好きな顔なのである。私が気になる表情をしていたせいか、奥さんはそのこけしをすっ、と私の前に並べる。結局その二つが我が家にやって来た。

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この5寸のこけしの背中側、普段ではちょっと考えられない位置に模様が描かれている。

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なんでこんなところに模様があるんですかと聞くと、木に節があるんだけど、もったいないからその上に模様を描いたのだと話してくれる。

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素敵な目隠しだ。なんとも斉一さんらしいなあ、と改めて感じ入った。

それから珍しい本間留五郎型。斉一さんにそっくりだと思いませんか。

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仙台秋保工芸の里の鈴木敬工人は、高橋吉の再来かと思わせる描彩と石川の研修所仕込みの木地を扱う確かな技術で素晴らしいこけしを作っている。デビュー当時から注目していて縁があればその都度こけしも求めてきたし、「鈴木敬工人の木地教室」と題した記事の出来事も大切な思い出になっている。その敬工人が2022年の全日本こけしコンクールの実演工人として白石に来ていた。展示品の整理券71番を握りしめつつ、展示品の列ではなく実演工人の列に並んで待ち工人のもとへ。今回敬工人は小さな可愛らしいこけしを中心に持ってきていて、実を言うと今の私の気分には合わず、その場でこけしを選ぶことはなかったのだった。他の工人のところでいくつか選んで、レジに並んでいるところで71番が呼ばれて慌てて受付へ。
実はこのコンクールで整理券をもらって展示品を見るのは初めてなのである。受付で住所、氏名、電話番号など記入すると入場証のようなものを首から下げて、なんと係員が会場をそぞろ歩く私の後をついて歩いてくるのである。ついてくるのは大変じゃないかと声をかけるが、それが仕事ですからと言う。おそらく市の職員だったりするのだろうと推察した。仕事とはいえご苦労なことである。この遅い番号からして、見て回ってこれは、と思うこけしには既に予約済の札がついている。鈴木敬工人もコンクールに出品していて、今回全日本こけしコンクール会長賞を仙台こけし10号で受賞している。当然ながら入賞作品は買えないわけで、展示品を見る。台座のついた六寸ほどのこけしが目に留まった。これいいなあ、しかし予約済であった。他の工人の展示品から2つ選んで購入手続きを済ませ、おもむろに敬工人のところへ向かう。あの展示品、作ってもらえませんか?を言うために。
それから2週間あまり。工人から写真と共にメッセージが届いた。写真には二体のこけし。悩みに悩んで一つ選び送られてくるのを待つ(届いたのは出張で不在中であった。遠くから帰った時に楽しみが待っているというのもまた良いものだ)。頼んでよかった、というのが偽らざる感想である。吉のこけしは色数が少ないこともあるが、全体の印象はふくよかさ、よりはストイックな感じが勝っているような気がしている。もちろん細胴ばかりではなく下がくびれた胴のふくらみを強調した型もあるけれど、それはデフォルメという言葉の方が合っているように思う。
今回の敬工人のこけしは吉の忠実な写しではない。あえていえば吉以来の伝統に忠実に則った「敬の」こけしだろう。材はコサンバラ(アオハダ)。きめの細かい透き通るような手触りの木地に、矛盾を承知で言うと、細いが十分に太い胴と柔らかかつ複雑な曲線で形作られた頭部に軽く心動かされた後、その表情を見る。見れば見るほど吉ではなく敬を感じる。ただし、吉を消し去ったわけではない。吉に続く未来に敬のこけしがいるような、そんな感覚にとらわれる今回の表情ではないか、と思うのだ。そして吉よりずっとふくよかだ。
工人とのメッセージのやりとりにそんな感想を送ると、工人は古い新聞の切り抜きを送ってよこした。そこにはこんなことが書かれていた。そうか、そういうことなのか、と思う。話しているのは敬工人の曾祖父、鈴木清工人である。
「吉と、昔、あったとき『オレ、すばらしいこけし作った』といっていたけど、そのこけしの顔、みると、笑ってるんだけど、さびしいような、渋い表情してるの。私は絵かきだったからよくわかるんだけど、こけしの顔ってのは、自画像、描いてるようなもんなのネ、だんだん自分に似てきちゃう。吉こけしの顔も、貧乏な生活の中での彼の顔なんだね。まねしようとして出来るもんじゃない。気持ちまでうつしとれるもんじゃない」
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「ご無沙汰、さきに謝ります。お預かりしているべっけ出来ていません。」
という書き出しで始まるメッセージが届いた。今年は3年ぶりの全日本こけしコンクールが白石で開催される。鎌田さんはホワイトキューブ(コンクール会場)でブースを持っていて、行くといつもブースでお会いして、たいてい奥様の美奈枝さんもいて、そこでひとしきりおしゃべりして帰る、というのが毎年の過ごし方なのだった。さきのメッセージには書き出しに続いて、もう会場にはおらず会期中は自宅にいらっしゃることが書かれていた。もちろん伺います、と返信した。
ただただ渋滞を避けたいだけのために夜中に家を出て、白石には朝7時到着。朝着いたのは初めてである。せっかくだからと初めて行列に並んで、おかげで展示品や実演工人のこけしを迎えることができたりしたが、知り合いの工人とおしゃべりしたりしているうちに昼になってしまい、慌てて会場を後にして、駅前の「なかじま」でうーめんを食べ、「なかじま」で偶然会った知り合いの愛好家と連れ立って鎌田さんの家へ向かった。
メッセージには「お預かりしているべっけ」とあったけど、何を預けていたのか、実ははっきり思い出せなかったのである。ほうぼうの工人に何かと預けているものだから、もうこちらが呆けてわからなくなってしまっている。そんな状態で鎌田こけしやの入り口に立つと、おなじみの暖簾が新しくなっている。扉は開け放たれていて、春というには少し冷たい風に暖簾が揺れている。二人の描くこけしの顔が配されたデザインがいい。
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いつもの通り二人が迎えてくれる。家人は美奈枝さんと外で盆栽談義(美奈枝さんは趣味で盆栽をやっている)、私は中へ入って孝志さんとこけし談義である。すると箱から出してくれたのは預けていたぺっけであった。せっかく来るのだからと急遽作って下さったのだ。そうだこれだった。預けていた文市のぺっけの写しが今回紹介するこけし。ずいぶん前に入手したもので色は飛び、汚れも著しいのだが、持っている雰囲気が何とも気に入って、いつも見えるところに置いてあったものである。このぺっけでひとつ気になっていたのはロクロ線で、果たして元は何色だったのだろうか、あまり見たことない色が微かに見える。鎌田さんは普通の紫色で仕上げてくれていた。こうしてみると出来てきたぺっけは忠実な写しというよりは、お二人によるリデザインで新しく生まれ変わったと言った方がいい。そして二人の持ち味がこの小さなぺっけにとてもよく出ていて、また鎌田家のこけしが好きになってしまう。色鮮やかなのに、決して華美でなく、でも明るくて、何より楽しい、そんなこけしだと思う。
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向かって左から、美奈枝、孝志、文市
最近の孝志さんが描くこの表情が好きだ
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3つづつ6つ作ってくれたうちの4つまでしかまたしても絞り切れず

我々がうかがっている間にも二人の愛好家が訪れてきて、こけし談義はさらに盛り上がる。皆きっとここに来るのが楽しいのだろうな。私はと言えば、また小さなこけしを持参して、これを託して鎌田さんのところを後にした。次にお邪魔するときには作ってくれているかな、と、楽しみが待っている。また来るね、と猫にも挨拶を忘れずに。
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久しぶりに佐藤康広工人のこけしを迎えた。人気の工人にもかかわらず、インディゴこけしも持っていない私が言うのも気がひけるが、良いこけしを迎えることができたと思っている。

フォルムは工人の系譜の祖にあたる佐藤松之進のものに他ならない。上部を少し抉るように細くした変化のある輪郭。描かれたのは重ね菊、王道の胴模様である。胴の上下にロクロ線を配してバランスをとる。色は紫。この色は独特の雰囲気を持っていて、全体を引き締める。物を包んで紐でキュッと締め上げるような。
面描はこの工人独特の表情、一目で作者を言い当てることができる目、鼻、口。
手にとってみるとザラついた質感は無研磨。染料は地肌に染み、あるいは弾かれて掠れ、多彩な表情を作っている。何より驚かされるのは、その筆使い。その技法にはあるいは名前がついているのかもしれないが、とにかく単純に筆を置くようなことだけはしないぞ、と決めているかのような描き方。筆の運びは早く、遅く、揺らいだと思えば、停滞し、リズミカルに跳ね、意図的にズラされる。こけしに筆で模様を描く、というときに筆でできるあらゆることを表現したいかのようだ。
そうしたディテールをひとしきり見回した後に、もう一度引いて見ると、これだけ細部までこだわり抜かれていても、全体として破綻を来していないことに感心する。佇まいは遠刈田のこけし、そのものになっている。

このこけしは西荻窪イトチのイベント開催時に出品されたもので、テーマは「過去、現在とこれから」。ここには同時代の伝統こけしのひとつのあり方が示されている。工人のセンスと探究心がそうさせたのではないか、と思う。しかし同時に行われたトークイベントで工人は無研磨のこけしを過去に位置付けていて、その眼はすでにこれから、に向けられているようだった。

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こけしに劣らず、鳥も好きなのである。もっぱら野鳥を見るのが好きで、たまに鳥を見に出かける程度ではあるけれど。
普通こけしは草花を身にまとっていることが多くて、そのほかに描かれるものはあまりないようだ。花鳥風月というのに鳥もあまり見かけない。梅の枝に鶯をとまらせたり、風雅な鳥を見事に意匠化した例がなくはないが、鳥好きとしてはちょっと寂しい。だから懇意にしていただいている工人のほんの数人に鳥を描いてくれないかなあ、などと呟いてみることはあった。
確かに眦通雄工人にこの話はしたと記憶している。いつか鳥を描いてくれませんかね?それも鳥そのものを描くというより、鳥をうまくデザインしたものにしてもらえないでしょうかね?とこんな感じだったと思う。わがまま極まりないお願いで、可愛いこけしの量産体制だった工人がいつ着手してくれるかもわからず(ずいぶんバックオーダーを抱えている様子だった)、まあそのうちに、という感じで頭の片隅に置いていた。
ある日何の前触れもなく工人からこけしの画像が送られてきた。よく見るとちょっと見慣れぬ模様が描かれていて、おお、やってくれた。鳥だ。それも雀である。4つのこけしが並んでいて全部違う。試行錯誤のあとがこの4体ということなのだろう。それにしても皆面白い。迷わず4つとも送ってもらう。
筆だけで表現する雀、横を向いたもの、正面を向いたもの、赤だけで、赤と茶で、と様々なパターンにトライしてくれている。日頃描きなれている菊を描くときの筆遣いで、雀を表現してくれている。工人はこれをスズメ菊と名付けた。
この4つのこけしは既に工人のインスタグラムに登場していて、スズメ菊はその後もどんどん改良されて進化している。こけしの新しい模様ができていく過程を見られるなんてなかなか無い貴重な体験をさせてもらっていて、これもこけし趣味の面白いところなのかな。でもあまりわがままを言ってはいけないと、これはこれで戒めないといけない。そう、作ってもらう、作る気になってくれるまで気長に待つ、というスタンスで臨まないと。
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津軽こけし館で今晃工人と石川美祈子工人の展示“なるかならぬか”が開かれていて、飛んでいきたいところだったが、今は事情が許さず行くことは出来なかった。それが東京に巡回してきた。そんなわけで初めて西荻の「もりのこと」に行った。
入場が4人に制限された店内には幸い他の人はおらず、じっくりと見る。石川さんがいて話し相手をしてくれる。

石川さんに会うのは2回目で、初めて会ったのは修行を始めた頃の今さんの家だった。いつものように座敷に上がらせてもらうと、奥の小屋に見慣れぬ人がいて木取りをしている。それが石川さんだった。あれから6年近くが経ったのだ。

今さんと石川さんは二人挽きのろくろで交互に自分のこけしを挽く。石川さんがろくろを回し今さんが挽いて、今さんがろくろを回し石川さんが挽いて、という風に木を挽いていく。こけしの形は今さんがお題を出す。今日はこんな形のこけしを挽いてみよう、と。それで二人でこけしを挽く。形ができたら描彩をする。机には今さんが選んだ染料やら絵具やらインクが適当に並んでいてそれで描く。なにを描くかの指示はない。それで出来上がったこけしを交換する。石川さんの修行はそんな風に進んだ。
そうして作られ続けたこけしが二つづつ、2015年から2018年までの70組が並んでいる。二人のこけしは決して同じではない。それなのに何の違和感もない。その時々の二人の気持ちが響きあっていたからに違いない、そんな佇まいのこけしにすっかり幸せな気持ちになって会場を後にした。

家に帰って初めて会った日にわけてもらった石川さんと今さんのこけしを並べてみる。このこけしたちもそんな風に作られたのかもしれないな。
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