2017年08月18日

ある日の朝刊の一面に、最後の一人が山を下り、集落が消滅したことが記事になっていた。場所は高知県の北川村竹屋敷集落。去年知人に案内されて訪れた場所がここだった。




クルマは山に入っても全く速度を落とさず、どんどん山の奥へと向かって走っていく。案内役が自らドライバーを買って出てくれたわけだから道行きに不安はないけれど、そろそろ着く頃かと思うような山奥で、クルマはさらに加速して、もっと山奥を目指して走りつづけた。

この辺りはかつて林業で大いに栄えた山だ。伐採した木材を運ぶ鉄道も通っていた。崖と崖を結んでいた橋が今でも辛うじてかかっている。というより崖ごと崩れかかっている。その崖を一生懸命修復する工事が行われていた。道路の保守のための工事が、あたかも廃墟の保存工事のように見えてしまう。
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集落を過ぎてもまだまだ道は続いている。もう随分前から舗装はされていないが、いよいよ悪路になり、木々からぶら下がった枝々が、容赦なく車のボディーを叩きつける。そしてもうそれ以上進めないところまで来た。道はまだまだ先まで続いているが、山の上から流れ落ちた土や岩や流木が山の壁面から崖下へ向けて落ち込み、完全に道路を塞いでいた。案内人はこの崖を下りて崖下まで歩いて行って渓流釣りを楽しむというから驚かされる。そんな人だからこんなところに我々を案内してくれたのだろうけれど。

集落には女の人が一人で住んでいた。正確に言えば大勢の犬たちと、何羽かの鶏たちとともに生活していた。鶏たちが生む卵と、小さな畑で自分が食べるだけの野菜を自給していて、その他の必要なものを誰かが届けているようだった。犬たちはそれだけで体力を消耗しきってしまうほど盛んに吠え、鶏は時折鳴き声を発していた。いくつかある建物はすでに崩壊しているものも多く、鶏を見に行くには柱の落ちた家の屋根伝いに歩いていかなければならなかった。修理する者も、撤去する者もいない。

家の横の小径を上がっていく。ちょっとした山道になっているが、かつては頻繁に人が通った生活のための道であった。草ぼうぼうとなった土地にいくつかの廃屋を見て、学校の跡地に辿り着く。もはや草ではなく木々がしっかりと根を下ろした林になっている。卒業生による記念の碑は木製で辛うじて形を残していた。傾いたまま。

新聞記事は集落の消滅を告げるものだったが、こうして見て来たものは、すでに集落は消滅していたことを伝えていた。人がいるのといないのとの間に違いがあるように、人が一人いるのと二人いるのとの間にもやはりおおきな違いがある。

この日は、人がまさにいなくなっていく場面を目の当たりにした日だった。いまこの国で進みつつあることの、最後の姿と言えるかもしれない。

高知の山奥で、初めて見たものがある。
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これは蜂蜜を取るための道具だ。山の道沿いでもあちこちで見かけた。丸く組まれた木の下の方にはいくつかのスリットが切ってあり、ここからミツバチが出入りしている。写真が見づらいかもしれないが、勇気のない私はここまでしか近寄れなかった。





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人がいなくなれば、人の作るものもそれにつれて無くなっていくのは、世のならわしである。これも今は作られていない型だ。
72年前、戦争が終わった月に。

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西山徳二の尺

(渡辺鉄男工人がいっとき素晴らしい写しを作っていたのは知っているけれど)



mu1300 at 13:33コメント(0)こけし 

2017年08月06日

8月になった。
梅雨明けしてからずいぶん経つが、お日様はずいぶんと気まぐれにしか顔を見せてくれない。

毎年7月の美轆展には顔を出しているけれど、開場前に並んだりはしないので、人気の工人のものはあらかたなくなっている。だからいつものように、サッとみて、常設展示をみて、記念館の売り場を見て、ときてこれに出逢った。

太田孝淳さんのこけしに会うのは久しぶりだ。最初に反応したのは家人だったけれど、結局のところ一つ選ぶ、ということが、またしてもできなかったわけである。

赤を主役にロクロ線だけでまとめたものと、
緑と赤のロクロ線になんだか分からぬほど抽象的な模様を配した一体。
最初に手に取られたのはロクロ線のほう。
模様付きの方はその表情に惹かれた。

いま、こけしを作っている人たちの中でも、
太田孝淳工人の立ち位置はユニークで興味深い。
古品を寸分違わず写し取るわけでなく、
奇を衒うわけでもなく、
かと言って、地味なわけではない。
ヴィヴィッドな色使いが、木地に滲む。
とぼけてはいるけれど、表情は若々しい。
眼点を白く抜くことで、精気が宿る。
適当だけど、心が込もっている。
なんと言ったらいいのか、全く古くない、
現在進行形の伝統こけしだと思う。

それは工人が変化し続けていることの証しでもある。
こけしが好きな人なら孝淳工人のことは知っていると思う。もししばらく前のこけししか知らないのであれば、いまの孝淳こけしを是非手にとって見てほしい。

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木地は抜けるように白い。
工人に確かめたところ、アオハダとのこと。
弥治郎ではビヤベラということも教えてくれた。
(「辞典」を見ると地方によって実に様々な呼ばれ方をしていることがわかる)
煤孫家のキナキナによく使われる材だ。以前取り上げた武蔵の頭部は、やはりアオハダだったのだなと、今になって思い返す。

ビヤベラ、という語感が好きだ。外からやって来た言葉のような、はたまた土地に根ざした表現のような。


mu1300 at 17:56コメント(0)こけし雑記 

2017年07月27日

山形県、鶴岡の街なら一度だけ行ったことがある。あの日は天気があまり良くなく、どんよりとした雲がかかり、ときおり冷たい雨が降り、そしてとても寒かったことを覚えている。翌日は猛吹雪になったから、忘れることはできない。それに、あの人たちが居たはずの場所を訪ねておけばよかった、という心残りも少しある。

この街にかつてこけし工人がいた。秋山慶一郎は鳴子の出。流れ流れて鶴岡に腰を落ち着けたのが昭和6年とされているのだが、大正7年から10年のあいだのいっとき、竹野銀次郎(明治13年鶴岡生まれ。この人がこけしを作ったかどうかは諸説あるらしい)のところで働いたのが鶴岡で過ごした最初のようだ。
秋山一雄はその慶一郎の次男。兄清一もこけしを作ったが、作り続けたのは一雄であった。

父、慶一郎は古作と呼ばれる時代のこけしの作り手であり、その作品や評価、人となりについての伝聞は比較的多く残されている。一方第二次こけしブームの真っただ中にあって、最高の腕を振るってこけしを作り続けた一雄の伝聞は私の知る限り少ない。
目録を頼りにこけし手帖(東京こけし友の会の会報・月刊)のバックナンバーをあたると、平成3年7月の364に柴田長吉郎氏による「秋山一雄追想」の記事をみつけた。
〜体質的に太り気味でどこか精彩に欠ける一雄であったが、気持ちがやさしく、奥さんと一緒に一生懸命に歓待してくれた。そして小寸こけしを厭がらずに数多く作っておいてくれた。〜
「山形のこけし」の同じ著者による秋山一雄の紹介は基本的に同種のものであり、
「こけし辞典」ではこう評されている。
〜好人物だが気分にむらがある〜
(余談だがこのころのこけしに関する文献は概して舌鋒鋭く、批評精神にあふれ、愛情の裏返しだと思いたいが、それ故にあまりにも直截的な物言いに触れることも多く、どきどきしてしまう)

今の私に秋山一雄の人となりを知る術は、先に引用したこの二つの短い文章しかない。こけしを楽しむのに、作り手の人となりを知る必要はないのかもしれない。けれど私は知りたい。秋山一雄がどんな風に生きたのかを。なぜかと問われれば、彼の残したこけし達が、私をそのように誘うからだ。
例えばこのこけし。
秋山一雄の挽く木地はいつもとても滑らかな線を持っていて、それでいて少し緊張感をはらんでいる。その模様は華やかさと謙虚さが両立することを証明している。そしてこの作り手の繊細な感受性を想像してしまう。こうして残されたこけしを通して想像して楽しむも良し。けれどもっと秋山一雄のことを知りたいのである。

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記名は珍しく胴底に「鶴岡 秋山一雄作」とある。8寸と少し。昭和39年ごろか。

Kokeshi Wiki 秋山一雄の項が更新されて、拙文をリンクしていただいた。恐縮至極である。

mu1300 at 01:21コメント(0)こけし雑記 

2017年06月28日

ある日の即売会で、真っ先に目に入ったのは棚の一番上にあるこけしだった。
ずいぶんと胴長で、バランスがどうもね、といっていいフォルムである。
だから気になる。
そして何よりもその面描。入札では偶に見かける顔だけれど、
いつかは、という手の届かないところにある表情が目の前にあった。
手にとって、こけし愛好家の悪しき習慣に則り、胴底を見る。

そこにあったのは想像していた名前ではなかった。
高橋精志、とある。
横に
関、と一文字。
反対側には鉛筆書きで
精助
と書かれている。
いつも教えを乞うている大先輩曰く、
「果たして精助が描いたかどうか、ってことなんですけどね」
そのときはどちらでもよかった。このこけしが気に入った、という気持ちだった。

一週間後、高幡不動にいた私は、こけし手帖の目録を片手に、こけし手帖のバックナンバーを片っ端から当たっていた。
普段はしない、そんなことをどうしてしようと思ったのか。するとあのこけしの作り手の名前を発見した。
「高橋精志のこけし」中屋惣舜 こけし手帖110 昭和45年5月。
私の乏しい知識と経験では、高橋精志という工人が取り上げられることは少ないと思う。
記事は3ページ分。興味がある方は目を通していただくしかないのだけれど、ここでは精志のこけしを大きく5つの時代に分けている。 
〔鐚O沙代(昭和2,3年)
横川時代(昭和4年〜10年)
J浸代前期(昭和10年〜14年)
ご愡代(昭和14年〜16年)
ナ浸代後期
この中で最も字数を費やしているのがい隆愡代である。ここで謎が解けた。
「・・・今回筆者が精志に聞いたところでは、関時代のこけしは木地は精志(頭と胴のろくろ模様も精志)、面描は精助が描いたものと解った。」

ちょっとマニア気取りで、この文章を発見したときは、興奮気味だったのだけれど、、、
家に帰ってこけし辞典を繰ってみると、なんのことはない、同じことがしっかり書いてある。
手元の辞典は初版、昭和46年10月。そのオリジナル原稿に触れられたというわけで、
こういうこともまた愛好家の楽しみかたのひとつなんだけれど、
やっぱり、お気に入りに出会うこと、そして大事に愛でるってことが何より楽しい。

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高橋精志(1911−1977)
高橋精助(1888−1950)

mu1300 at 00:18コメント(0)トラックバック(0)こけし雑記 

2017年04月26日

新幹線で北へ向かう。
車両は途中の駅で切り離されて、
在来線区間を行く。
列車は速度を落として山へ入っていく。

遠くの山並みはまだたくさんの雪を抱いている。
ずっと手前の低い山には、葉をすっかり落とした広葉樹が生えていて、地面にまだらに雪が残っている。落ち込んだ谷間に渓流が見える。こんなに遠くからでも川底の石がはっきり見えるほどの清らかな流れがときに激しく、ときにたおやかに流れている。山には人の手が入っている。切り倒された木々が横たわり、たくさんの切り株が白い肌を露出している。長閑な山みちがうねうねと連なって、その先に大きな青いトタン屋根の家が建っている。家は広く平らに開けた土地の端に建っていて、その他に小さな小屋がある以外はただ平らな土地があるだけだ。ここまで来ると道は真っ直ぐ平らな土地に沿うように続いている。その道の途中にカーブミラーが立っている。誰もいない直線の端から端まで映るミラーを誰が見るのだろう。線路脇にお墓がひとつ。道路はいつしか線路にぶつかって踏切がひとつ。あの家のためだけの踏切。
目の前の木々にもう一度目をやると、枝にはしっかりと芽がついているが、まだぐっと身を固くしてエネルギーを溜め込んでいる。これから春がやって来るなんて、素敵じゃないか。

こけしは佐藤康広工人の大頭。華やかな春の到来。
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mu1300 at 00:09コメント(0)トラックバック(0)こけし 

2017年03月18日

昼まで本を読む週末。
適当なBGMを探しあぐねて無音で読み始めるとジョージ・セルがピアノを弾くモーツァルトのヴァイオリンソナタ(ヴァイオリンはラファエル・ドルイアン クリーブランド管弦楽団のコンサートマスターだった)のレコードを聴くシーンが出てきて、家にあるそのCDをかけて(そう、CDがあるんだ)読み続ける。その演奏が終わると同じボックスセットに入っているピアノコンチェルトを選んでかける。録音は1959年。ピアノはレオン・フライシャー、セルは指揮棒を手にしている。第25番ハ長調K.503をセルとクリーブランドの揺るぎないサポートを得て、フライシャーは端正だけれど柔らかく、独特な弱音で奏でる。第一楽章のフーガ、やや速めのテンポで弾かれる最終楽章、今読んでいる文章の行間に浮かんでは消え、消えては浮かぶ、すっ、と思索の合間に滑り込んでくる、こんな感触はそうはない、というか初めてのことだ。

そんなときふと本の頁から目を離し、見上げた先に置かれていたこけし達。
良輔2+八重子1

斎藤良輔、八重子夫婦のこけしと良輔の達磨。
達磨の底には、「38.1.7」の書き込みがある。

こけし達は、すっ、と心の襞に寄り添ってくる。
本と音楽とこけし。

騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編を426ページまで読み進む。

mu1300 at 07:59コメント(0)トラックバック(0)雑記こけし 

2017年03月09日

三月になった。
風はまだ冷たい。けれどついこのあいだまで吹いていた風とは違う。その感触はいくぶんではあるけれど柔らかくなって、優しく撫でるようにまとわりつく。まだ冬が去ったわけではないから油断はできないけれど、刺すような厳しい空気は段々と懐かしさを帯びた存在になりつつある。
帰宅してそんな風の柔らかさについて話すと、家人からは留保なしの同意。不思議な気分だ。留保なしの同意。感覚がシンクロするというのはこういうことか。

冬の光の話。
インスタグラムで、とある女優と、とある古本屋をフォローしている。ある日の画像はとても似ていた。木目模様の上(それはおそらくテーブルだと思われる)に置かれたものたちを、真上から撮影した画像。ひとつは今日の献立であり、ひとつは一冊の本。私はこの構成が好きである。

冬の日差しは弱いけれど、深い。ふだんは暗い部屋の奥まで、差し込んでくる。二つの画像は、映されたものを光が邪魔している。どちらの写真もそんな光がありのままに捉えられている。修正なし。この二人の間にはなんの繋がりもないけれど、遠く離れた二人の感覚は確実に同期している。その共鳴がただの傍観者であるはずの私にも届いている。

このこけしが何故気になるのか、ながめてみようと思うのか、ということが気になる。
今日のこのこけしはどうして手元に来たのだろうか。偶然なのか必然なのか。こけしとシンクロしたのか、あるいは工人への共感か。
出来栄えは言うまでもなく素晴らしい。

高橋武俊工人の八寸。花はエゾキスゲ。
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mu1300 at 19:35コメント(0)トラックバック(0)こけし雑記 

2017年01月01日

一年を振り返っておかなければな、と思っているうちに、あれよあれよという間に新しい年になってしまった。
色々なところに旅に出かけ、限界集落を訪れたり、釣った鰻の蒲焼をご馳走になったり、猿やカモシカやヤマガラやコゲラに出会ったり、澄んだ空気を胸いっぱい吸い込んだり、たなびく雲を従えた霊峰を拝んだり、朝のひんやりとした空気の中で念仏を聴いたり、今年もそんな風に過ごせるだろうか。
こけしに関わる出来事も数々あったけれど、印象に残っているものの一つが、仙台カメイ美術館で開催された「珠玉のコレクションを蒐めて」だった。立ち並ぶこけし達は言うまでもなく名品揃いであり、さらに出品者の個性まで楽しめる興味深い展示だったと思う。そういえば、その日偶然トークショーに来られていたとある工人に出会っていなければ、音楽の街と化した鳴子を訪れることもなかったし、工人の仕事場を見せてもらったり、あんなに長く話し込むこともなかった。これもまたプライベートな旅の大切な記憶となる。
一年の最後のイベントはいつも横浜人形の家だ。ここ数年、この工人がまた新しい挑戦をしてくれているのでは、という密かな期待を抱いて行くのが楽しみになっている。それはずらりと並んだこけしに紛れて、ただ佇んでいた。聞けばやはりあのカメイの展示にあった大沼竹雄の型だった。写しと原については様々な見方があるけれど、そんなことを軽々と超えてみせてくれたと思う。

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大沼秀顕工人の竹雄型。
こんな素敵な巡り会いが、またありますように。
今年もよろしくお願いします。

mu1300 at 11:18コメント(0)トラックバック(0)こけし雑記 

2016年11月17日

あのときから鳴子に行くと必ず立ち寄っていたのだ。
高亀に。
いや、これは正確ではないな。
高亀の店頭を外からのぞき込んでいた、
のだ。
こけしのことでそれほどに思いが高まったことは、そんなには無かった。

鳴子のこけし祭り、第60回の記念の年、高橋武俊工人はそれまで描くことのなかった、遊佐雄四郎の胴模様を描いて受賞した。
祭りの2日目、高亀の店頭にはその模様が並んでいた。
でももうこけしを買い過ぎていた私は購入を見送った。
これがあのとき。

今年の祭りでもひょっとしたら、という気持ちでコンクール出品作のほうへ向かう。
あった。この模様がついに来てくれた。

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黄胴、肩にビリカンナ。ロクロ線はややピンクがかった色が使われている。
攻めている。

10月はじめ、カメイ美術館を訪れた足で、鳴子を訪れた。
思いがけず、鳴子は音楽の街と化していた。温泉と音楽祭。
声を枯らしてアース・ウィンド・アンド・ファイアの素晴らしいカバーを楽しんだ。
ライブ会場は高亀の目の前で、店頭に並んでいるこけしの様子が否が応でも目に入る。
翌日私は高亀の店内にいた。
そしてこの素晴らしいこけしがいま手元にある。

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雄四郎の描く胴模様は独特な菊の模様だが、わたしには猛禽類が大きく翼を広げた時の姿がみえる。そしてフクロウの姿を思う。
そうして、このこけしから力をもらうのだ。

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mu1300 at 15:22コメント(0)トラックバック(0)こけし 

2016年11月05日

今年の鳴子の招待工人はちょっと気になる人ばかりだった。
どんな人が人選しているのだろうか。

その中の一人、西山敏彦工人のことは愛好家なら皆知っている。
次々と繰り出されるアイデア溢れるえじこ、果てはオブジェまで
作ってしまう人気の工人である。
今年の祭り、私は真っ先にコンクール出品作のほうへ向かい、
招待工人達に群がる人の波が一巡したころ敏彦工人のブースに顔を出した。
案の定というべきか、もうほとんど品物がない。
どこか申し訳なさそうに座っている工人。
そんな中に奇跡的に残っていた一本のこけし。

頭部はカヤ材。敏彦工人が最近好んで使う材であり、
他の工人達の作るものにも多く見かけるように感じる。
素晴らしく芳しく香るこの材に工人達を惹きつける何かがあるのだろうか。
滑らかに仕上げられた頭部の感触はすべすべとしていて、触りたくなる。
触った手に香りが移る。
家に帰って包みを開けたとき、カヤの匂いがいっとき辺りを支配した記憶がかならず蘇る。
P9112908

ざっくりとした胴に赤い線がじっとりと染みている。粗い仕上げは一様ではなく、返しロクロの紫はすうっ、と引かれている。作為なのか偶然なのか。
そして勝次型の渋い面描がこのこけしのキャラクターを決定的にしている。
P9112905

天候不順の今年は野菜も果物も不作である。幸い鳴子は例外であった。
こうして豊かな実りを味わっている間にも、秋は足早に冬へと歩を早めているようだ。






mu1300 at 08:24コメント(0)トラックバック(0)こけし 
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