ムーの棚から

〜こけしと時々読書・音楽・山と日々の出来事で綴るブログです〜

�眦通�雄さんは人気のこけし工人。こけし女子たちを魅了する小さなこけしを日々制作する傍らで、伝統こけしへのまなざしも欠かさない。師匠佐藤慶明や今三郎、春二といった先人たちの伝統的な型を守って作り続け、伝統型への愛を語る。
第三次こけしブームと言われているうちに、このブームは終わることなく定着した感がある。たしかにこけし工人達の数は減り続けていて、廃絶する系統や型もある。一方で新たにこけし作りを志す人も絶えることがなく、こけしも間もなく廃絶する、ということはなさそうである。実際にこけしの楽しみ方は変化しており、一緒に出かけるので持ち運びがしやすい、とか、リクエストに応じて何でも描いてみせるとか、そうした楽しみ方に合わせて作る必要が現実のニーズとしてある。最も決定的な要素は縦横比で、長さと幅のバランスが均等に近づいている。こけしの「かたち」が変わってきているのである。
こけしの伝統って何だろうというのは、なかなか難しいし、答えは人それぞれに違う問いだけれども、こけしの伝統を探りつつ新たな伝統とは何かを探索する試みと言うのは古くからおこなわれている。工人それぞれの取組はもちろんのこと、折に触れ様々な試みが行われてきた。その辺りのことはKokeshi Wikiのこけしのアルケオロジーに詳しい。
�眦通�雄さんも伝統と今、伝統と自分、のように伝統と向き合っている工人で、ロクロ線を使うようになる以前の古い弥治郎こけしの復元や、雀菊の模様の考案など、挑戦を続けている。そんな彼の最近の作品に、とても気になる一品があった。ようやく手元に来たので、ちょっと見てみよう。
佐藤今三郎は彼の師匠の佐藤慶明の師匠の佐藤辰雄の師匠にあたる。高田工人が作る今三郎型は特別で、最も彼の本領が発揮される型だと思っている(もちろん他のもいいです。個人の好みですね)。今三郎が残したこけしにはロクロ線模様のものと手書き模様のものがあるが、高田工人が今三郎アレンジと称して世に出したのがこのこけしである。頭頂部のロクロ線は紫、緑、赤で鮮やか、胴はと言えば着物を前で合わせて帯を締めたような手描き模様。紫、緑、赤で描かれ、黄色で覆っている。工人の説明はこうだ「今三郎が第2次こけしブームの時も作っていたとしたら、こう進化したんじゃないかと想像してみたもの。手描きだった頭と帯の部分をロクロ線にして、白胴を黄胴に変えてみました。(2025年10月28日のInstagram投稿)」。行われた作業は、既にある素材の新たな組み合わせ、というだけだったのかもしれない。違和感なく自然な組み合わせになっているのは確かだ。さらにそこには、新しい雰囲気が起ちあがってきたのではないだろうか。その雰囲気を感じ取る愛好家がいて、このこけしは彼の定番になりつつある。雰囲気の正体は何なのか、それは「時間でつながっている感覚」のような気がする。こけし作りが始まった時代からの時間の積み重ねに、ちゃんとつながっている、その意味で伝統こけしであり、それは思い出としてのつながりではなく、今という時代に接続している感じがある。だからこれはもう�眦通�雄本人型と言っていいのではないか。そして肩のところに少しだけ角度をつけてアクセントにしてある、その工夫に気が付いたとき、このこけしを手元に迎えられて良かった、と思ったのである。
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我妻昇のこけしが届いた。
彼の最近2回の頒布には参加しなかったから久しぶりだ。届いたのは薄いダンボールの箱。徐に開封すると、中から小さなこけしがあらわれた。
スマートフォンの画面で見ていて、直観で、あっ、これがいい、と決めたものだったが、いざ手元に来てみると発見に満ちている。ちょっと観察してみよう。
まずは大きさ。小さい、というより細い。頭と胴の大きさ、太さのバランスが普通じゃない。頭は小さく、胴よりもほんの少しだけ細いことは、このこけしのこけしらしからぬ印象に関係している。驚くのはこの大きさの頭が作り付けではないことだ。頭は別に作られて差し込みで胴と繋ぎ合わされている。工人いわく、小さい子も丁寧に顔を描きたくて、差し込みのほうが思うように描けるのだという。ここでは書かないけれど、いわく言い難い描き方をしている。
印象的なのは木肌の色。この木は紅梅。木材の世界では銘木とされている。梅は生活に密着した木だが、梅干しに使うのは白梅。名前の違いは花の色の違いと思いきや木材の色の違いで、木地が白ければ白梅、赤みがかったほうを紅梅と呼び、この美しい木肌が珍重されるのだ。こけしが届いたのは平日で、開封したのはその日の夜。蛍光灯の灯りの下で見ていたわけだけど、撮影のために自然光の下で見るとまた印象が変わる。陽の光に照らされると、より明るさが増して、力が漲ったようだ。その銘木でこけしが作られた。
描彩は二種類の赤あるいは紫と黒の三色。目を引くのは木目とそのデフォルメと思しき模様、なにやら神秘的な雰囲気を纏っているように感じるのはこの模様のせいか。花模様、あるいは花だったと言っていいほど崩された模様は二色の赤あるいは紫がそれぞれにまたは組み合わされて描かれる。普通なら緑で描かれそうな箇所は黒の線で表されていて、これもこのこけしの印象を決定づけている。
ディテールの観察はこれくらいにして、全体の印象を見る。何か特別な感じ、がする。艶やかな木肌に美しさと力強さと神秘的な意匠が施されていて、この細さと相まって感じるのは例えば仏像、あるいはロザリオ、護符であり、時には桐の箱に入った大切なものであり、たぶん我が身を護ってもらうために肌身離さずもっているもの、である。
「こけし」がこんな存在になるなら、こけしの可能性はまだまだあるのだ、と思わせてくれる。この工人はそんなこけしを創った。そしてユリノキの時には親しい木がこけしに会わせてくれたのが、今度は彼のこけしが紅梅に引き合わせてくれたということに、縁を感じるのだ。
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高円寺のだれかのミュージアムで樋口達也さんが参加されているグループ展があり、この週末にでも行ってみようと思っていて、ふと自分の過去のブログを辿りつつ眺めていたら、下書きのままの原稿を見つけた。もう6年も前の文章。ちょうど樋口達也さんが中心となって作られた美術同人誌「トージ」に寄稿させていただくという奇跡的な出来事があって、その少し後に書いたようだ。古いけれどもこのまましまっておくのももったいないような気がするので、公開してみます。

*

樋口達也さん、正一さん、平岡瞳さんの三人の同人が発行する美術同人誌『トージ』3号に寄稿させていただいた。手元の一冊のページを繰る。版画、イラストや写真、そして読み物でいっとき湯浴み気分を味わわせてもらう。寄稿者の顔ぶれは様々だけれど、どれも心にすっと寄り添ってくる。そんななかにちょっと違うかたちで引っ掛かってくる文章があった。
澤村潤一郎さんの「白鳥古丹」がそれだ。

積丹の海岸線を著者といっしょにバスに揺られて、古平(フルビラ)に着く。この文章でわたしは吉田一穂という詩人とはじめて出会った。古平は吉田一穂が少年時代を過ごした漁師町だ。季節は六月だが、折しも雨が降り出して、雨の温度は冷たい。打ち寄せる荒波、降り続く雨。垂直線で構成された風景の中を行く。浸み込んでくる雨に文字を追いながら、こちらの体まで冷えてくるようだ。

思い出すのはもう10年以上前、北海道をバイクで旅したときのこと。真夏の雨に降られた。カッパ(レインウェアと言いたくない)を着込んで峠を行く。自転車で北海道を巡っている若者たちが峠道を上がっていくのを左手の親指を立てて励ましながら、こちらはどんどん体温が下がって耐えがたくなってくる。ナビもスマホもグーグルマップもなく、雨の中地図も出しづらいなかで行先を決めて、立ち寄ったのが阿寒湖でそこには温泉があった。ひとけのない湖の脇に古びたコンクリート造の建物があって、その温泉に浸かって生気を取り戻した。記憶はもうそれだけで、あれはどの温泉だったのか。今調べてみると阿寒湖バスセンターの宿泊部のように思うが、はっきりしない。

吉田一穂は古平をカムイコタンと呼び白鳥古丹と当て字した。神の住む理想郷に舞い降りるのは白鳥だった。人はこの鳥になにかを見ている。白鳥といえば私はこの詩を想う。

海への慰め 岩田宏

いつも荒れ狂い
絶え間なく吠え続け
四六時中虐げられて
一体だれが
だれが生きられるだろう
くらやみの塊をつらぬいて
細く鋭く短い声が
「あなたには意味がある」と
それだけ発言すればいい
すぐさま現れる白鳥
疲れた漣の皮膚を撫でる風の指頭

雨の記憶と白鳥の優美な姿そして岩田宏へと、とりとめのない思索へ誘ってくれるのが、澤村さんの文章である。

吉田一穂は極北の詩人と言われる。松岡正剛の言葉を借りれば「ポーラリゼーション」であり、さらにこう言う「どこにも属さない意味を発見するために、いまはここにいる」と。これを極北というならこのひとは間違いなく極北の人。今晃工人のこけしたち。
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〈参考〉
松岡正剛の千夜一冊 1053夜『吉田一穂大系』



我妻昇というこけし工人は、こけしと言うにはユニークな作品を作るかと思えば、伝統に忠実な、それでいて彼独特の感性で繊細かつ筋の通った作品をも創り出す、実に様々な貌を持つ人である。特筆すべきは様々な材料を使い、通常こけしには用いないような材料も使うことだ。こけしの材料となる木はミズキが多く、次いでイタヤカエデ、サクラ、ナシなどが使われる。こけしは形作ったらそこに顔や胴模様を描くので、木の色がきれいな、木目が邪魔をしない材料が好まれるが、我妻工人はそこに止まらない。殊更に木目に特徴のある材料をその木目を生かしながら大胆に使うのだ。ツバキ、エンジュ、セン、黒檀、棗、極めつけはシデ・スポルテッド(菌が繁殖することでできる黒い筋模様のあるシデ)などを使い、時には樹種混合と称して複数の材料を組み合わせたりする。彼の伝統的な(とは言え模様や表情の扱いは伝統的とは言い難いこともある)こけしが好きで、シデ・スポルテッドにも縁があって、その独特な姿を楽しんでいる。

我妻工人は自身のサイトで作品を頒布していて、Instagramで予告が出て、それを楽しく見ながら頒布を待つ。ある日次の頒布の作品が投稿され、記事を読むとユリノキのこけしがあった。
ユリノキは身近な木で、公園にはよく植栽されているのを見かける。独特な葉、美しい花、なにより個性的な実。緑の固く締まった実が運良く落ちているのを拾って帰るといつのまにかほうきのような形に開いているし、花は普段下から垣間見るのが精々だが、カラスのイタズラのおかげで枝ごと落ちた花に出会えることもある。花も実も出会うタイミングに楽しみがあるし、秋に色づく葉もなかなかの風情だ。
そんなユリノキがこけしになった。木の断面をみると周りが白く、芯は緑がかった淡褐色であり、本来こけしには好まれないであろう材料だ。その色の違いを利用して彼はこけしを仕立てた。

そんなユリノキを木材として考えたことがなかった。私にとっては会いに行く木であり、使う木ではなかったのだ。でもこけしとして目の前に現れたことだし、少しだけユリノキのことを見てみよう。
「ユリノキ」で検索すると数多情報が上がっているが、ユリノキ研究には大家がいて、岩手大学の毛藤謹治がその人である。この人は全国を回ってユリノキの植栽状況を調べた人で大部の研究論文を著したのだが、私が参照したのは「ユリノキという木」(岩手緑化研究会発行:研究論文)(1982年)である。これを中心にユリノキを簡単に紹介する。
ユリノキはとても早く伸びる木で、紹介されている例では樹齢57年で高さは30メートルを超え、「生長極速」の部類と書かれている。アメリカから導入されて当時で100年経っていないが、現地では樹齢350年というものもあるそうだ。葉っぱは先が尖らず分かれている特徴的な形で植物界でも珍しいもの。花はチューリップのような形ではるか樹上に咲く。花蜜は溢れんばかりにこぼれ、アメリカにはこれを使った蜂蜜があるらしいが、市場には出回らない。予約ですべてはけてしまうからだ。東京都内でもビル屋上の養蜂に一役買っているという(Wikipedia)。幹はまっすぐに伸び、樹皮再生の力を持っているのも珍しい。古くはカヌーの材料となり、腐れ難く、加工や細工が容易、塗料や接着剤の着きと仕上げが良好、曲がりが少なく、釘持ちが良い、と、ここまで見ると用材としては完璧なのではないか。じっさい様々なものに使われピアノやオルガンにも使われるようになった。ただそれゆえに高価な材料とされている。

我妻昇のユリノキのこけしは、辺材と心材の色の違いを利用して、左右に異なる模様が描かれている。桜崩しと大胆にデフォルメされた一輪の菊。彼の描くこけしの表情は線が細く、かと言ってその線は決して弱いものではなく、私の期待を外さない。ただ、彼にとって初めてのユリノキのこけしは、これで完成形ではなく今後も変化していくだろう。ユリノキについて少しばかり学んでみた身としては、ユリノキのこけしはもうただのこけしではない。木を想いながら愛でるものになったから、今後の出会いもこのこけしと共に楽しみに待とう。
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「ユリノキという木」(岩手緑化研究会発行:研究論文)(1982年)はアボック社のサイトで全文を読むことができる。ご興味のある方は是非読んでみてください。

稲田瑛乃工人のこけしは持っていない。けれど彼女がSNSで発信している様子をフォローしていたのは、その生き方、考え方に心惹かれるところがあったからだ。すると稲田工人が東京こけし友の会2024年7月例会のオンライン招待工人というので、私は会場に足を運んだ。
画面に映る工人は家の外にいる。背景に映る青空と風に吹かれた髪のせいでそれとわかる。画像がその場の空気を運んでくる。Zoomの画面でもそれを感じることができる。
色々興味深い話を聞けた中で、この答えが印象に残ったのだ。
「描彩が少ないので木地が印象を左右する」
このことを大切に考えている人なのだ、それをこけしから感じたい、と思う。

友の会の頒布は入場時に引いた番号のくじ引きで順番が決まる。くじ運に恵まれないことが常である私が、この日呼ばれたのは最後(このあと4回連続でビリという厳しい道のりが待っていたのだが)。彼女のこけしはもうなかった。直後に直接連絡をとり、こけしを作ってもらえるか尋ねると、取り組みますとの返事。子育て中の工人が多忙の中時間を割いてくれるという。私は待つことにした。

話は変わるが、最近勤めを終えて帰った自宅では家人がロックミュージックをかけているのだった。The Birthday。昨年亡くなったチバユウスケが率いたバンド。そのトリビュートともいえるプログラムがこの夏の音楽フェス「RISING SUN」で行われる。そのフェスに行くことになって、会場は北海道の石狩で、小樽からそれほど遠い距離ではない、ということは稲田工人を訪ねることができるかもしれないと、フェスに向かう道すがら彼女を訪ねた。

夫の実家のガレージを借りてこけしを作っているという工人は悪天候の中、二人の子供と一緒に初対面の私達を外で待っていてくれた。実を言うと私はクルマに積んできた自転車のタイヤに空気を入れるのに忙しく、あまり話をしていない(稲田さん空気入れ貸してくれて本当に助かりました)。夫がギタリストで本人も音楽活動をしているから、家人は音楽の話をしていた。二人の子供を育てながら、自然体で生きる工人のスタンスは、私には憧れの生き方だから、やっぱりこの人のこけしが気になるのである。こんな風に並べて、選ぶのも楽しいじゃないか。

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8月27日(日)東京こけし友の会創立70周年記念例会・懇親会
9月2日(土)3日(日)全国こけし祭り(鳴子温泉)
という具合にこけしイベントが続き、愛好家としては大いに楽しんだのだが、ひとつ問題があった。
こけしが増えるのである。
こけしに魅せられて10年余り。こけしはモノでもあって、買えば増えるのが道理である。道理に従って我が家のこけしも置き場に困る状況が続いている。例会と鳴子でもう十分楽しんだし、このように置き場もないのだから、と自分に言い聞かせ、中ノ沢には行かないつもりだった。インスタグラムにも「中ノ沢こけし祭りは皆様の投稿で楽しむ予定」などと書いている。どこかにある行きたい気持ちを抑え込んでいる。
こけしを初めて知ったころ、私は新潟県の長岡に赴任していて、それ以来の行きつけの料理屋にどうしても挨拶に行かないといけない事情があって、9月9日土曜日に行くことにした。そういえば長岡にいるころ日帰りで仙台に行ったっけ(しまぬきでの鎌田孝志さんの個展だった)、などと思い出し、すると中ノ沢にも行けるかも、と思い出す。ちょっとのぞくだけでも行ってみようかな、まだ行ったことのない産地だし、以前から近くの沼尻温泉に興味津々だし。これがこけし(&温泉)愛好家の心理なのである。ここまで思いが至れば中ノ沢に行かないという選択肢はもうなくなっている。
今年の中ノ沢の祭りは各旅館で工人ごとにこけしを販売するというユニークなスタイルである。前泊組には色々と優遇があるようだが、こちらはさすらいの当日組ゆえ、あたりをつけて並ぶしかない。中ノ沢到着時点では「まあこけし一つくらい買うかも」くらいの心持ちである。買うとすれば関根由美子工人がいいなと思っていた。今年の白石のコンクールの審査品にとても良い感じのこけしを出していた(予約済であった)のを覚えている。関根工人が宿の前に立っていて、机の上にはまばらなこけし。それでもなんとか買えそうな長さの列なのでとりあえず並ぶ。そのあとしばし並ぶのを同行の相方にお願いして他の工人の列を偵察する。
野矢里志工人のところは実に長い列である。人気の工人であり無理もないこと。かく言う自分だって好きだけれども、これだけの長蛇の列ならあきらめもつくというもの。
それにしても今回の宿泊客限定サービスは当日組にとっては脅威としか言いようがない。列に並びながら何番目かな、などと少し緊張しながら待っていると(当日組は午前10時販売開始である)、列を横目にぐいぐい工人の前に来る人がいる。宿泊組だ。列には一瞥もくれずにさっとこけしを買っていく。目の前でこけしが減っていく!もうあまり残っていないのに!そんなに欲しいなら前泊すればいいだけのことだけれども。
関根工人のところで無事購入して、相方のリクエストにより瀬谷工人のところへ。次いで柿崎工人のところにも行く。この時点で早くもこけしが五つになっている。おいおいもうこけしは買わないんじゃないのかい、と自問自答し、よし今日は終わりだ、と体育館を覗いてから温泉街を後にする。
少し車を走らせて蕎麦屋で昼食。次いで前から行きたかった沼尻温泉田村屋旅館へ。もう本格的な宿泊はやっておらず、もっぱら日帰り温泉として営業しているようだが、この湯が良かった。緑に囲まれた露天で長風呂。内湯は少々熱くて長くは入っていられない。利用料無料の休憩所で横になる。汗が引かないほどに温まったのがわかる。
さっぱりしたところで帰途に就くのだが、どうやら中ノ沢が私を呼んでいる。もう一度だけ、と温泉街へ。野矢工人の売り場にはもう待ち人はいない。ずいぶん沢山のこけしを用意してきたようだと教わっていたのだが、ダメ元で聞いてみると、「まだありますよ。もう少ししかないですけど」とのことなので慌てて旅館の入り口を跨いで入る。果たして残っていたこけしは5体。7寸が四つ、6寸が一つ。紫色の花をあしらったこけしだけであった。4つ残った7寸を手に取る。細長さが目立っていて、バランスが良くないような気がする。次いで6寸。よく見ると7寸には花二つ、5寸は花一つがあしらわれている。二つの異なるサイズのこけしを並べて立たせてみると、これが実にいいのだ。さっき感じたバランスはこうして並べて見るためなのではないかと思うくらいに二つのこけしがぴったりと合う。こういうときほど二人で来る強みを感じることはない(一人一つに限定されていたのだ)。サイズ違いで2体を迎えることができた。さて、目の前でこけし販売をしているのは、ひょっとするとと思い話しかけてみると、果たして里志工人のご両親であった。ということはこの男性が幻の工人、野矢俊文さんである。母上はこけしに描かれた花、バンダイクワガタのことを熱心に教えてくださる。そこへ里志工人も帰ってきて初対面の挨拶。
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野矢里志工人のこけし、こうして眺めていると、中ノ沢系の中でも異彩ぶりが際立つ。これは父親譲りのところも多分にあって(特に表情の描き方)、師弟関係によって受け継がれるものに気づかせてくれる。里志工人はその上に自身の魅力を無理なく加えているのだな、と思う。
結局のところ中ノ沢でも楽しみまくってしまったというお話。

去年の暮れのこと、実に久しぶりに楽語舎を訪れた。一昨年から団地の一室で再開されていたのだが、なかなか足を運べないでいた。これまた実に久しぶりの即売会があるとの案内をもらって、ようやくお邪魔することができた。
見知った顔が集まって、こけし談義。いいこけしも入手できた。ふと見ると隣の部屋に押し入れ用の収納ボックスがいくつか置かれ、その中には無造作にこけしが放り込まれていた。聞けば好きなものを持っていっていいと言う。なるほど保存はあまり良くなく、大寸のものが多い。お言葉に甘えて箱を漁ると、あるこけしで手が止まった。そしてそのこけしは今我が家にある。

新山久治のこけしは初めてである。この有名工人とはこれまで全く縁が無かった。ブログの更新をサボり続けている間もInstagramにはこけしをまめに投稿していて、それらを見るにつけ、私はこけし蒐集家ではないのだな、と思う。好きなものしか関心が向かないので、いままで久治のようなよく知られた工人でも縁が無かった。
さて久治とはどんな工人だったかと、確認するのはKokeshi Wiki、次いで“木の花”である。昭和の時代、空前のこけしブームの中で、こけし論を戦わせた先人たちによって、当時のこけし鑑賞の空気のようなものが醸成されたと思う。それらを見て今思うのは、初作やいわゆるピーク期にはずいぶん熱心な一方、それ以降、晩年にかけての、むしろいま目にすることの多いこけしにはずいぶんと塩対応なことである。それはそれで仕方のないこと、必然だったことは理解する、けれど最も目にする機会の多いものにはもっと言及してもらいたいな、と思ってしまうのである。我が家にやって来た久治は写真で見る限り昭和36年ころの作。このころのこけしは《後期のこけし》に分類されて三段組のおよそ一段を使って紹介されていて、昭和31年以降の作が順に紹介されている。昭和36年にいたってはわずか一行半、サイズと所有者だけが書かれているといった扱いである。これがピーク期となるとこうだ。
「この時期のこけしは、戦後の特徴である面描の細さ、鼻の小ささにもかかわらず、眉・目がつり上がって力強く、集中度の高い表情をしており、胴模様も筆太に力強く描かれている。赤の前髪も勢いよく描かれており、表情、力強さともに初期の作品に匹敵する出来の良い作品が多い。戦前作でも昭和一四、五年頃のものと比べるとむしろ出来が良い。従って、この時期は新山久治のピーク期といえる」
すこぶる好意的で写真で見る限りその通りだと思う。でも後期のこけしだってそれにふさわしい魅力を備えていると思うのである。私なら今日のこけしをこんな風に紹介してあげたい。
「頭部と胴のバランスは自家薬籠中のもの。わずかにくびれた胴のカーブは実に穏やかな曲線になっている。眉も眼も優しさが勝り、力強さとは対極にある。顔のパーツはしっかりと中心に寄せられて配置されているが、無用な緊張感を与えず、その余白に思いを馳せる余地を残している。緑の帯の意外なほどの煌めきはもはやラメ色、伝統的な赤とわずかに使われた紫色に強めの差し色となって少しばかりの驚きを与える。全体として完成された安定感が、このこけしがただ置かれているだけでいいのだと言っているように思えてくる」
昭和50年代にかけてのこけしブームで大量のこけしが出回って、それらは今でもよく目にするものだ。そうしたこけし達にもきちんと言葉で向き合ってみたい、そんな気持ちがどこかにある。あの時代、ロウ引きがあまりにもしっかりしているものが多いのだけが惜しいけれども。
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参考文献
木の花 第弐拾五号 〈連載覚書〉㉔久治のこけし

桜井尚道工人の岩蔵型五寸。7月の終わりに私の元に来た。
桜井こけし店は大沼岩蔵(岩蔵は万之丞の叔父で師匠)から桜井万之丞、昭二、昭寛、尚道と続く鳴子のこけし工人の家系。こけし屋はどこも後継者問題を抱えているが、桜井家では幸いなことに息子がこけし作りを始めた。
これまで桜井家のこけしを良いものだと思いながらも一歩引いて眺めるばかりで、いくつか持ってはいるけれど、私としてはずいぶん抑制の効いた接し方をしてきたと思う。それでも作り手の問題は気にかかるから、息子が後を継ぐと聞いて嬉しかった。だからなんとなく彼の作るものを横目に追いかけてきたのだ。
彼が修行に入ってから、実際にこけしを世に出すまでは、ずいぶん時間がかかっていたように思う。Kokeshi Wikiによれば修行に入ったのは平成27年4月ごろ、ほぼ初作とされる小寸は平成29年8月とあって、2年4カ月が経過しているけれども、はめ込みの作品は平成31年まで待たねばならず、4年の月日を要している。その後令和2年に深沢コレクションに挑戦した古鳴子も小さなもので、はめ込みのこけしへの本格的な取り組みはさらにあとになる。その足取りは意欲的ではあるが慎重で、階段を焦らず一歩一歩上がっている、そんな風に見える。これは推測に過ぎないけれど、師匠としての父、昭寛はなかなか厳しく指導したのではないか。
その尚道工人のこけし、確かな腕に支えられた出来栄えに文句のつけようもない。先に触れた古鳴子の復元も良い出来で、これは手元に持っていて、でも小寸の良さになにかもう一つ纏わせたい雰囲気がある、そんな印象を持っていた。単に好みの問題ではあるけれど。
この夏、イラストレーターの佐々木一澄さんが自身の原画展に合わせて、所有の岩蔵を託して尚道工人が製作した五寸とたちこ、それと本人型のえじこをSNSの画像で見た。スマホの小さな画面からでもそのこけし達から伝わってくるものがある。これは良いものに違いない。それで浦和駅近くの楽風にいそいそと出かけ現物を確認する。小さな画像から伝わったものに間違いはなかった。すでにえじこは無くなっていて、五寸とたちこを求める。几帳面で繊細な木地挽き、ビリカンナで仕上げた複雑な肩のラインは見どころだが、今までとの違いを最も感じるのは「顔」、表情である。間違いなく岩蔵の系譜にある表情は昭二とも昭寛とも違う。これまでの生硬さが取れていて、少しまわりくどい言い方をすれば、下書きなしの彼の顔になっている(むろん実際に下書きなどしない。心の下書きと言うべきか)。
それにしてもこの胴模様、アヤメの配し方ときたら、これは岩蔵の創作だと思うが余白の作り方が絶妙に感じられる。この美点は忠実に受け継がれている。
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このこけし、これまで一段一段階段を上がってきた工人が一段飛ばしで駆け上がったような印象がある。いよいよ目が離せない。
桜井こけし店ではこの週末から10月9日まで、西田峯吉のコレクションに挑戦した展示をするそうだ。個人的には5年ぶりの祭りにひとつ楽しみが増えた。

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radikoという便利なものが出来たので、週末の移動の車中でよく聴いている。ある日もそんな風にクリス松村の9の音粋(bayfmの番組)を聴いていたら、佐野元春の新譜がかかった。そのときの感想が「いいなぁ、佐野元春」。

佐野元春なら知っている。僕が中学生のころ「アンジェリーナ」「SOMEDAY」はとてもヒットしていた。どこかで必ず耳にするサウンドだったからか、それともすこしばかり特徴的な歌い方だからか(話し方も)、どちらかと言えば好きだったはずだけれども自分でレコードを買ったり、誰かに借りたりということはなかった。でも同じ時代を生きてきたから、彼がずっと活動していて、僕らに向けて音楽を送り出しているのは、僕の視界のかなり外れのほうにおぼろげに認識されていて、けれどはっきりとした像を結ぶことは、あの放送までなかった。

最新盤(そして僕にとっては初めて買った佐野元春)は佐野元春&THE COYOTE BANDとして彼のデビュー43年目に出された「今、何処」。配信のみで発表された「ENTERTAINMENT!」とのパッケージになっている。その「今、何処(WHERE ARE YOU NOW)」を聴いて思ったのだ。これは今の時代を生きる人が聴くべき音楽だ、と。

懸命に生きている人たちに見えているのは、自分の身の回りで起きること、自分に降りかかってくること、自分に関係すること。そんな気持ちに寄り添う詩、そんな心を励ます歌、そんな音楽が溢れているように感じていた。ありえないと思っていたことが次々に起きて、過去はあてにならない、では何をよすがに生きればいいのかと感じる人々にそうした歌たちは優しく響く。けれども佐野が歌うのはあなたと私の向こう側にいる人たち、そして否応なく絡みついてくる体制や世間への抵抗であり、だからこそ目の前のあなたをそれでも守りたいと歌う。このろくでもない世の中への危機感である。それがとてつもなく親しみやすいサウンドに乗せて届けられる。無駄な曲などひとつもない。

この危機に何をもって向き合えばいいのか。佐野はこのアルバム中3曲で魂という言葉を使った。どう生きるかを考えるのが哲学なら、佐野の音楽は哲学である。それもとびきり親しみやすいやつだ。一人でも多くの人に聴いてもらえたらと思う。
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大沼秀顯のこけしを添えたのは、彼が佐野元春と同い年だから、である。

旅の思い出を少しだけ。
久しぶりの5月のコンクールに合わせた東北の旅では、会場で会った人を除いて延べ9人の工人に会いに行き、最後の9人目が岡崎斉一工人だった。
開放的な店構えは滝の湯のほうからから下ってくるとよく見える。絵付体験をしている親子がいて、工人も奥さんも姿が見える。
オーソドックスな菊模様のこけしが棚に並んでいる。いつもきちんと商品を並べていることが素晴らしい。6寸のこけしはとてもバランスが良くて、素直に手が伸びる。けれど表情が一番気に入ったのは5寸のこけし。バランスの良さは6寸に劣るけれども、私の好きな顔なのである。私が気になる表情をしていたせいか、奥さんはそのこけしをすっ、と私の前に並べる。結局その二つが我が家にやって来た。

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この5寸のこけしの背中側、普段ではちょっと考えられない位置に模様が描かれている。

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なんでこんなところに模様があるんですかと聞くと、木に節があるんだけど、もったいないからその上に模様を描いたのだと話してくれる。

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素敵な目隠しだ。なんとも斉一さんらしいなあ、と改めて感じ入った。

それから珍しい本間留五郎型。斉一さんにそっくりだと思いませんか。

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