去年の暮れのこと、実に久しぶりに楽語舎を訪れた。一昨年から団地の一室で再開されていたのだが、なかなか足を運べないでいた。これまた実に久しぶりの即売会があるとの案内をもらって、ようやくお邪魔することができた。
見知った顔が集まって、こけし談義。いいこけしも入手できた。ふと見ると隣の部屋に押し入れ用の収納ボックスがいくつか置かれ、その中には無造作にこけしが放り込まれていた。聞けば好きなものを持っていっていいと言う。なるほど保存はあまり良くなく、大寸のものが多い。お言葉に甘えて箱を漁ると、あるこけしで手が止まった。そしてそのこけしは今我が家にある。
新山久治のこけしは初めてである。この有名工人とはこれまで全く縁が無かった。ブログの更新をサボり続けている間もInstagramにはこけしをまめに投稿していて、それらを見るにつけ、私はこけし蒐集家ではないのだな、と思う。好きなものしか関心が向かないので、いままで久治のようなよく知られた工人でも縁が無かった。
さて久治とはどんな工人だったかと、確認するのはKokeshi Wiki、次いで“木の花”である。昭和の時代、空前のこけしブームの中で、こけし論を戦わせた先人たちによって、当時のこけし鑑賞の空気のようなものが醸成されたと思う。それらを見て今思うのは、初作やいわゆるピーク期にはずいぶん熱心な一方、それ以降、晩年にかけての、むしろいま目にすることの多いこけしにはずいぶんと塩対応なことである。それはそれで仕方のないこと、必然だったことは理解する、けれど最も目にする機会の多いものにはもっと言及してもらいたいな、と思ってしまうのである。我が家にやって来た久治は写真で見る限り昭和36年ころの作。このころのこけしは《後期のこけし》に分類されて三段組のおよそ一段を使って紹介されていて、昭和31年以降の作が順に紹介されている。昭和36年にいたってはわずか一行半、サイズと所有者だけが書かれているといった扱いである。これがピーク期となるとこうだ。
「この時期のこけしは、戦後の特徴である面描の細さ、鼻の小ささにもかかわらず、眉・目がつり上がって力強く、集中度の高い表情をしており、胴模様も筆太に力強く描かれている。赤の前髪も勢いよく描かれており、表情、力強さともに初期の作品に匹敵する出来の良い作品が多い。戦前作でも昭和一四、五年頃のものと比べるとむしろ出来が良い。従って、この時期は新山久治のピーク期といえる」
すこぶる好意的で写真で見る限りその通りだと思う。でも後期のこけしだってそれにふさわしい魅力を備えていると思うのである。私なら今日のこけしをこんな風に紹介してあげたい。
「頭部と胴のバランスは自家薬籠中のもの。わずかにくびれた胴のカーブは実に穏やかな曲線になっている。眉も眼も優しさが勝り、力強さとは対極にある。顔のパーツはしっかりと中心に寄せられて配置されているが、無用な緊張感を与えず、その余白に思いを馳せる余地を残している。緑の帯の意外なほどの煌めきはもはやラメ色、伝統的な赤とわずかに使われた紫色に強めの差し色となって少しばかりの驚きを与える。全体として完成された安定感が、このこけしがただ置かれているだけでいいのだと言っているように思えてくる」
昭和50年代にかけてのこけしブームで大量のこけしが出回って、それらは今でもよく目にするものだ。そうしたこけし達にもきちんと言葉で向き合ってみたい、そんな気持ちがどこかにある。あの時代、ロウ引きがあまりにもしっかりしているものが多いのだけが惜しいけれども。

参考文献
木の花 第弐拾五号 〈連載覚書〉㉔久治のこけし
見知った顔が集まって、こけし談義。いいこけしも入手できた。ふと見ると隣の部屋に押し入れ用の収納ボックスがいくつか置かれ、その中には無造作にこけしが放り込まれていた。聞けば好きなものを持っていっていいと言う。なるほど保存はあまり良くなく、大寸のものが多い。お言葉に甘えて箱を漁ると、あるこけしで手が止まった。そしてそのこけしは今我が家にある。
新山久治のこけしは初めてである。この有名工人とはこれまで全く縁が無かった。ブログの更新をサボり続けている間もInstagramにはこけしをまめに投稿していて、それらを見るにつけ、私はこけし蒐集家ではないのだな、と思う。好きなものしか関心が向かないので、いままで久治のようなよく知られた工人でも縁が無かった。
さて久治とはどんな工人だったかと、確認するのはKokeshi Wiki、次いで“木の花”である。昭和の時代、空前のこけしブームの中で、こけし論を戦わせた先人たちによって、当時のこけし鑑賞の空気のようなものが醸成されたと思う。それらを見て今思うのは、初作やいわゆるピーク期にはずいぶん熱心な一方、それ以降、晩年にかけての、むしろいま目にすることの多いこけしにはずいぶんと塩対応なことである。それはそれで仕方のないこと、必然だったことは理解する、けれど最も目にする機会の多いものにはもっと言及してもらいたいな、と思ってしまうのである。我が家にやって来た久治は写真で見る限り昭和36年ころの作。このころのこけしは《後期のこけし》に分類されて三段組のおよそ一段を使って紹介されていて、昭和31年以降の作が順に紹介されている。昭和36年にいたってはわずか一行半、サイズと所有者だけが書かれているといった扱いである。これがピーク期となるとこうだ。
「この時期のこけしは、戦後の特徴である面描の細さ、鼻の小ささにもかかわらず、眉・目がつり上がって力強く、集中度の高い表情をしており、胴模様も筆太に力強く描かれている。赤の前髪も勢いよく描かれており、表情、力強さともに初期の作品に匹敵する出来の良い作品が多い。戦前作でも昭和一四、五年頃のものと比べるとむしろ出来が良い。従って、この時期は新山久治のピーク期といえる」
すこぶる好意的で写真で見る限りその通りだと思う。でも後期のこけしだってそれにふさわしい魅力を備えていると思うのである。私なら今日のこけしをこんな風に紹介してあげたい。
「頭部と胴のバランスは自家薬籠中のもの。わずかにくびれた胴のカーブは実に穏やかな曲線になっている。眉も眼も優しさが勝り、力強さとは対極にある。顔のパーツはしっかりと中心に寄せられて配置されているが、無用な緊張感を与えず、その余白に思いを馳せる余地を残している。緑の帯の意外なほどの煌めきはもはやラメ色、伝統的な赤とわずかに使われた紫色に強めの差し色となって少しばかりの驚きを与える。全体として完成された安定感が、このこけしがただ置かれているだけでいいのだと言っているように思えてくる」
昭和50年代にかけてのこけしブームで大量のこけしが出回って、それらは今でもよく目にするものだ。そうしたこけし達にもきちんと言葉で向き合ってみたい、そんな気持ちがどこかにある。あの時代、ロウ引きがあまりにもしっかりしているものが多いのだけが惜しいけれども。

参考文献
木の花 第弐拾五号 〈連載覚書〉㉔久治のこけし