2016年03月14日

中学生のころか、あるいは高校生だったか、父から子供時代の話をまとまった形で聞いた記憶がある。
それはもちろん戦争中の話であり、終戦直前のソ連による侵攻から帰還(父の家族は当時満州にいた)までの経緯がハイライトであり、
その話を聞いた私は衝撃を受けた。そして戦争を知らない私の戦争の記憶の大きなスペースを今に至るまで占め続けることとなった。
父はだいぶ後になって、その話をまとめ直して文章にした。

とある法事の日。
「〇〇(父の名前)が満州のこと書いてるでしょう。だいぶ控えめに書いてるけど」
80才をとうに越えた叔母がいう。
「本当はあんなもんじゃなかったのよ。もっと色々あったんだから」
同じ空気を吸っていたはずのきょうだいだって、子供のころの年齢差は、大人とは比べものにならないほどの大きな違いで、
叔母が語る歴史はまた叔母の歴史として語られたがっているようだ。
私はそのとき部屋の反対側の端にいて、叔母の話を十分に聞き取ることができなかった。
間もなく法事の時間になって、そのはなしはそのまま宙に浮いて、そして霧消したように感じられた。

小熊英二の「生きて帰って来た男」を読む。
兵隊としてシベリアに抑留された戦争を挟んだ父親の人生の記憶を、息子である筆者が記録していくかたちでまとめられている。
この本が貴重なのは、昭和を一市民として過ごした父親の世の中を見る眼の公平さが、語りの中に率直に現れていることだと思う。もちろんそれは優れた聴き手と優れた書き手に恵まれたからには違いないのだけれど。
幸運にもここに書かれたことは聞かれなければ語られなかったかもしれず、あるいは語られるべくして語られたのかもしれない。
ただ、語られたことで、記憶は歴史になった。

近年、かつてこけしの世界を牽引してきた工人達の訃報が相次いでいる。
昭和を生きた工人達の語りを聞ける時間はそう多くは残されていない。
そして、あの宙に浮いて霧のように消えてしまった叔母の話のことを思う。

佐藤哲郎工人のこけし。いまや遠刈田の古老と言ってよい年齢だが、父、吉弥の記憶はこの初期作から今に至るまで繋がっていて、幸いにも現れた後継者に受け継がれているはずだ。

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mu1300 at 00:49コメント(0)トラックバック(0)こけし雑記 

2015年12月31日

大沼秀顯工人は神出鬼没である。

こけしあるところ、至るところに顔を出され、いまやこけし界のスポークスマン、宣伝部長のごとき多忙ぶり。こけし祭りでも準備から始まり、懇親会の司会進行まで、八面六臂の活躍ぶりで、いったいいつ休んでいるのかと思うほどだ。
そんな秀顯工人がテレビに出ていた。手際の良さに舌を巻きながらみる。木取り、木地挽、描彩とたどる画面の様子にはいっさいの迷いがないようにみえる。そして仕上がりには雑なところが微塵もない。

そして、工人のこけしは進化しているように思う。
それは自然な変化のせいだけでなく、工人が毎年のように新たな挑戦を続けているからだ。
今年の工人最大の挑戦は、岩太郎型の製作だろう。
大沼岩太郎は秀顯工人の父秀雄、その父竹雄の祖父にあたる。
鳴子のこけし祭りに出品されたそのこけしは、見事なものだった。その後こけし千夜一夜でその製作に至る経緯が明らかになり、さらに進化していることを知る。

産地も東京も数多くのこけしイベントが開催された11月、そのほとんどを横目に見ながら過ごしたひと月だったけれど、毎年訪れている横浜人形の家には、顔を出すことができた。
秀顯工人とひとしきり話す。写真でしか見ていない岩太郎の原を見てみたい、そんな気持ちを話してくれた。会場に岩太郎型はなかったのだが、見慣れたこけし達の中に少し違った雰囲気を持つこけしがあって、手にとった。
瞳は大きく、眉の湾曲はやや大きい。髪飾りや鬢も見慣れない描き方のこけしがすっかり気に入ってしまった。

「これは竹雄の型」
「ほんとは瞳がもっとクリッとしてるんだけどね」
原のこけしを知らないのは不勉強のせいに他ならないが、無責任に楽しむだけの私にとってはこのこけしが目の前にあるだけで十分だ。
この一年を締めくくるのに相応しい、現在一番のお気に入り。

hideaki
hideaki

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2015年12月29日

 11月、筑波山を登った。以前(だいぶまえのことだ)二度ほど訪れた時の筑波山の記憶と言えば、ずいぶん殺風景な場所だな、と思ったように、賑やかな場所ではなかったはずだった。
そんな我々を大渋滞が待ち受けていた。しばらくならんでみたものの、耐えられなくなって離脱する。でも諦められない。違うルートで攻めてみる。だいぶ進んだが、また同じ道に出てしまう。列はまだまだ続いている。また離脱する。でもあきらめきれない。ただこんなことを繰り返すわけにもいかない。

山の形を思い出してみる。山なんだから一方からしか登れないということはないはず。
細い山道をクルマを泥で汚しながら登ったところに裏筑波の登山口があった。
あきらめないといいことがある、たまには、だけれど。

ややぬかった道を歩いて軽登山を楽しむ。もう午後、北側斜面は色とりどりというわけにはいかないが、却って点在する色彩の鮮やかさが際立つ。一人立つ楓の木の黄色などは特に。そしてとにかく人がいないのがいい。
登山口にはキャンプ場があって、この周りには色づいた植物が多い。名前は知らないけれど、紫色の実をつけた木がある。高いところになっている。細く長い枝を手繰り寄せて顔を近づけた。やや控えめな色味だけれど、暮れなずむ空気の中では十分に魅力的だ。

筑波の紫


紫はこけしに使われる色。とりわけ飛びやすい色だ。真っ先に思い浮かんだのは、弥治郎系のこけし。頭のろくろ線に鮮やかに引かれた紫。

伝喜

これは紫がとくべつ鮮やかというわけではなく、かなり控えめにしか使われていないけれど、色はしっかり残っているようだ。初めて手元にやって来た、佐藤伝喜の小寸。可愛らしいので名札を外さないでおいた。


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2015年10月28日

あまりテレビは見ないのだが、たまたまチャンネルを合わせたときに、やっていると見てしまう番組に“song to soul”がある。60年代から80年代の洋楽ヒットソングから一曲だけ取り上げて、その曲に関わった人達にインタビューしながら掘り下げていくややコアな番組だけれど、終わることなく続いている。

その夜はラヴィン・スプーンフルの“魔法を信じるかい?(Do You Believe In Magic)”が取り上げられていた。初めて聴いたのは中1の夏、NHK-FMの特集番組の中の1曲として流れてきたときのこと。エアチェック(ラジオ番組を録音すること。為念。)したカセットテープはその後「すりきれるほど」聴き、その後の音楽趣味を決めてしまった。

バンドのメンバーはこう言う。
「ラヴィン・スプーンフルはグッドタイムミュージックを演ってたんだ。グッドタイムミュージックていうのは、仕事を終えて帰宅して、靴を脱いでソファに座って、リラックスして楽しむような音楽だよ」と。

仕事を終えて家に帰り、靴を脱いで靴下も脱いで、ソファに座って音楽を聴きながら、ついでにこけしも楽しみたい。今の気分はこれかな?

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子持ちこけしの子無しとして出ていたもの。でも、こけしの造形ではない。容器として形作られたように思える。ひょっこり子が見つかったら楽しいけれど。
佐藤吉雄。奇跡的に鮮やかな色彩。

mu1300 at 12:02コメント(0)トラックバック(0)音楽こけし 

2015年10月20日

10月。空気は乾いて冷たくなり、陽の光が当たるところだけが、心地よい気温となる。日陰まで温めた力はもう失われつつある。

私が初めて手にしたこけしは鎌田家のこけしであった。興味も知識もないまま相方に連れて来られた鎌田こけしやで、せっかくだからとずらり並んだこけしたちの中から、選び出したのはうめ子さんのこけしだった。
そして、こけしに本格的にのめり込むきっかけとなったのは、鎌倉で出会った鎌田文市の髷こけしだった。
こんな経緯を辿ったこけし遍歴ゆえに、いまの鎌田こけしやを背負って立つ孝志工人をそ
の後たびたび訪れるようになったのだ。

その孝志工人が今年の鳴子こけし祭りに招待工人としてやって来た。初めてのことだそうだ。私は祭り数日前から体調を崩し、参加が危ぶまれたが、鎌田さんが来るのに行かない訳にはいかない。気合で鳴子入りである。

数々持ち込まれたこけしの中から選ぶ。
大きな頭に鮮やかな緑。若葉のころから夏に向かって生命力を撒き散らすころの色だ。この型は、初めて鎌田こけしやを訪れたときから相方が欲しかったもの。二つ手にとってこれを選んだ。
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こけし選びの要素、最後は結局表情で選ぶことになる。このこけしの表情もとても好みである。でも、よく見ると顔を横切るように木目が走り、これを境に木肌の色がずいぶん違うのが、気にならないでもない。でももっと大事なことがある。それが「一期一会」だろう、やはり。

mu1300 at 14:27コメント(0)トラックバック(0)こけし雑記 

2015年09月29日

産地だけでなく、東京を中心に様々な街でこけしのイベントが行われるようになっている。
工人達が産地からはるばるやって来ることも珍しくない。
気前良く絵付けを披露して見せてくれるし、絵付け体験などが開かれることも多い。
時にはロクロが持ち込まれて、目の前で挽いて見せてくれることもある。

そんな中、足踏みロクロをじっさいに使ってみせてくれる人はこの人しかいない。
早坂利成工人である。
鳴子のこけし祭りを訪れたことがあるなら、いつも会場の中ほどで、
こけしちゃんTシャツを着て実演する早坂工人を見たことがあるだろう。

何度か書いているが、昨年のこけし祭りでは、
新たに発見された古鳴子を、鳴子の工人達が様々なやり方で現代に蘇らせる企画があった。
早坂工人のものは素晴らしかったが、既に売約済みとなっていた。
足踏みロクロで作られたものに出会えたらなと思っていた。

今年のこけし祭りでも足踏みロクロに上がっていた利成工人。
目の前でこけしを挽いていく。
傍らに既に出来上がっているこけしが置かれている。
八寸ばかりの古鳴子。
胴底をみると二十七年四月、土湯祭り、とある。

小寸の胴と頭をひととおり挽いたら描彩が始まった。描かれていくのは古鳴子の模様。
心昂らせて待つと素敵なこけしが姿を現した。

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利成工人は岡崎才吉の弟子である父、早坂隆の後を継ぐ形で
もう35年以上もこけしを作り続けてきた。
あくまで私見であるけれど、この古い鳴子は利成工人がついに出会った
“自分の”こけし、ではあるまいかと思うのだ。

古鳴子への取り組みは利成工人にとっては一過性のイベントではない。
足踏みロクロにしてもそうだ。
「続けていかないとね」
と話す工人は言葉は少ない、けれど熱い人だ。
作り続けていってほしい。

mu1300 at 07:33コメント(0)トラックバック(0)こけし雑記 

2015年09月26日

旅の最後に、今回初めて入った湯、早稲田桟敷湯に入る。
何度も鳴子を訪れていたのに、入りそびれていた湯だ。

戦後、早稲田大学理工学部の学生が
ボーリング調査の実習で掘り当てたという出自を持つ。
モダンな建屋はその早大石山修研究室の手により平成10年に改築されたもの。
これを見るだけでも楽しめるが、やはり、風呂は入ってナンボ、である。
成分は含食塩・芒硝泉。と書いてはみたものの、よくはわかっていない。
それでもこの湯質が好きだ、ということだけは、はっきりしている。
もっと入っていたいが、そろそろ鳴子を発たねばならない。

そうそう、岡崎斉一さんの店にも立ち寄った。
斉一さんとは面識が無かったのだが、
こけし祭りの話から、知り合うことができた。
実は最近岡崎家のこけしが気になっている。
それはそのうちに、と思っているのだけれど。

鳴子を離れ、帰途についたが、まだ帰らない。
最後は西山敏彦工人を訪ねて、土湯温泉へ。
我々が訪ねて行くとき、敏彦さんはいつも作業の真っ最中である。
いつも手を止めさせてしまうことになる。
まるで欲などないようにサービス精神を発揮、いや発揮ではないな、
それが自然な振る舞いになっている敏彦工人。
調子に乗って数々こけしを注文。
届いたこけしを最後に夏の旅を終わることにする。

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入った温泉(入った順に)   
羽根沢温泉・古遠部温泉・蔦温泉・
谷地温泉・鳴子温泉(姥の湯)・鳴子温泉(早稲田桟敷湯)
出会った工人(会った順に:敬称略)
阿部陽子・阿部木の実・長谷川優志・
今晃・岡崎斉一・西山敏彦
6つの温泉と6人の工人。

もう、金木犀が香る季節になってしまった。
また、こけしと温泉の旅が待っている。

mu1300 at 11:37コメント(0)トラックバック(0)こけし 

2015年09月16日

東北へ旅するときはいつもそうするように、
最後の宿泊地に、鳴子温泉を訪れた。

宿は姥の湯。温泉街の下、川のほど近くにある宿には
四種類の異なる源泉からなる湯があって、
とりわけ露天風呂(炭酸水素塩・硫酸塩泉)とこけし湯(硫黄泉)が好きなのだ。

風呂を楽しんだら、温泉街を散策する。
そして、これもいつものように高亀を覗くことにする。

高亀は高橋武蔵−武雄−武俊と続く、由緒正しい木地屋の家系。
去年のこけし祭りではひとつ心残りがあった。
60回記念に様々な工人が古鳴子の復元に挑戦し、
幸運にも武俊工人のものを入手することが出来たのだった。
その夜、高亀の店頭に見慣れない胴模様のこけしが並んでいた。
胴に舞うように描かれた花模様に心惹かれたのだが、
既にたくさんのこけしを買い込んだ後で、入手を躊躇してしまったのだ。
その後もあのこけしが忘れられず、鳴子を訪れるときはいつも、
ひょっとしたら、との思いで、高亀の店頭を確認するのが常だった。

この日も、同じ心持ちで店の外から覗き込む。
重ね菊のこけし達が並んでいるのがわかる。
あの胴模様は無さそうに見えるが、店に入ってみる。
八寸のこけしが4つ、並んでいる。
いつもの武俊工人のこけしが2つ。
そしていくぶん下向きに描かれた顔を持つこけしが2つ。
原のこけしには心当たりがあるけれど、
このこけし自体、写しかどうかということを超えて、素晴らしいと思う。
老舗の風格と瑞々しさが同時に存在しうることの証明。

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今年のこけし祭り、武俊工人は最高賞を受賞した。遊佐雄四郎の型だった。
いつかあの舞うような胴模様のこけしに出会うことを願って。

mu1300 at 23:13コメント(0)トラックバック(0)こけし 

2015年09月15日

ほぼ1年振りに訪れた、今晃さんのお宅。
いつものように、白いシャツを着て、壁に背を凭れて座っている。
事前に電話で話した声の印象と同じように、お元気そうに見えた。

「慣性の法則なんだよな」
回転するロクロに固定された木材に、鉋を当てて形を作る。
こうと思う形を作り出そうとして、刃物をあてる。必然的に生じる力の作用。
作り手は否応なく、このことを感じるはずだ。
筆者の想像に過ぎないけれど、今晃はさらに突き詰める。
感覚を言葉に置き換えて考える。そして冒頭の言葉が出てくる。

色の話、回転速度の話、仕上げの話と今さんの言葉は尽きない。

夏の午後。
窓の外から高周波の音が聞こえる。発電用に学校に設置された小さな風車が回っている。
まる(今さんの飼い猫である)が帰ってきて寛いだ様子で伸びをする。

今さんの現在(いま)。

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今さんとの約束はその日の午後だった。朝、宿を発って、谷地温泉に寄る。
この辺りには酸ヶ湯をはじめとして名湯が多い。
そして入るなら、こぢんまりとした湯にゆったり浸かりたい。
日本三大秘湯とも言われる温泉でさっぱりとして、今さんに会いに行ったのだった。

mu1300 at 00:13コメント(0)トラックバック(0)こけし 

2015年09月13日

蔦温泉へ向かう朝、天気予報はあまり良くなく、ヤマセミを見たときあれだけ青かった空は、いつのまにか暗くなり、宿を出る頃には雨が落ちはじめていた。

ここから、蔦温泉までは車で1時間半ほど。予定変更を余儀無くされた我々は、これから行く道が黒石を通ることに気がついた。
津軽のこけしにさほど関心がなく、こんな日程変更がなければ、ここには来なかっただろう、津軽こけし館を訪れた。

入館してすぐ、工人が実演しているほうへ吸い寄せられるように向かう。
今日の工人は長谷川優志。津軽のこけしはあぐらをかいて挽くが、優志工人は立って挽く。
ー立って挽くんですね。
「うちは立って挽くんだよね。親父が始めたみたいだ」
「体を使って挽くから」
腰でリズムを作りながら挽く工人。こけし作りは肉体労働でもある。(kokeshi wiki によれば、父健三が修行中、職人をしていた本田功工人から鳴子流のこのやり方を修得し、継いでいるとの説明がある。)

鉋(かんな)の柄は他の系統のものに比べて太めに感じられる。材はイタヤカエデ。
「ズグリ(津軽特有の独楽)を挽くからさぁ。硬くないと」

こけしはどこで見られるのだと尋ねる我々に自ら案内してくれる工人。途中で絵付け体験の客が来て呼ばれて戻って行った。

折しも「うれし!たのし!!こけし!!!ポケットこけしパークへようこそ5th」(しかし長いな)と銘打ったイベントの最中で、優志工人も若い世代の人気の工人らしく、小さな可愛らしいこけしを多数出している。
その中に、ほっそりとして、すっくと立つこのこけしが目に入った。
肩と胴の下を少し張り出させただけで人を魅きつけるフォルムの非凡さ。木肌そのものの色と木目、少しの染料だけで控えめにロクロ線が入れられた胴は、すっきりとして、きっぱり潔い。
しかしずいぶんと上を向いているな。

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津軽こけし館、こけしで何が出来るのかを一生懸命考えて、一生懸命取り組んでいるのが伝わってくる。応援したくなる場所だ。

mu1300 at 00:10コメント(0)トラックバック(0)こけし 
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