2017年09月28日

今年の夏、仙台のカメイ美術館では阿部木の実工人の展示が行われていた。比較的長期間にわたって開催されていたので、見に行かれた方も多いと思う。

良い展示だったな、と思う。父、阿部平四郎と母、陽子のこけしも併せて展示されていて、阿部木の実という人がどのようにつくられてきたのか、も感じ取れるものになっていたと思うのだ。木の実さんや陽子さんとお話しする機会に、父平四郎の話が出なかったことはない。

肉親を失うという経験は多くの人にいずれ訪れること。この喪失を経て初めて沸き起こる感情があると思う。それはもちろん単純な一つの感情というわけではない。ひとりひとり違うものだ。けれどその感情の奥底には微かに流れる何かがある。誰も普段は気にも留めない暗渠の流れがやがては一つの海に注ぎ込むように。

木の実工人は父平四郎が亡くなった年、こけしにフェニックスを描いた。フェニックスは空を行き、花の中を行き、海までも行く。天国の父が何処にでも行けるようにとの願いを込めて。そんな気持がわかるから、このこけしは私にとって特別である。

母、陽子工人はこのこけしの顔を見てこう言った。
「人間離れしているな」
そうしてしばらくしてまた同じ言葉を呟いた。
人間離れしているな、と。

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mu1300 at 21:31コメント(0)こけし 

2017年09月16日

断末魔のような蝉の鳴き声を覆い隠すように澄んだ虫の声が聴こえてくる。大型の台風が近づいている。また当たり前のように季節が巡って行く。
5月の思い出を少し。


この時期にみちのくを旅するのは、もちろんこけしを求めてのことでもあるけれど、本当の歓びは、春をもう一度味わえるということにほかならない。

3日間の旅の中日はバイクでとことん走ることに決めていた。目指すは蔵王、エコーラインに向かった我々を待っていたのは大渋滞だった。しばらく我慢してヨロヨロと進むが、事態は一向に改善されないし、むしろ悪化しているように思われた。こういうときは思い切りが大事、と、遠刈田温泉の入り口で行き先を変えることにした。バイク乗りのバイブル、ツーリングマップルのページを開いて、もう一つ南の道を行くことにする。

若葉の織りなす新緑の中を行く。クルマの通行量は程よく少ない。ゆるやかなカーブが続く。アクセルの開閉、シフトチェンジ、ブレーキング、程よい回数だけの操作で済む。スピードは上がるから緊張感はあるが、迫り来て、過ぎ行く風景を見やる余裕は残されている。あたり一面、山と緑に囲まれて、この道がどこまでも続いてほしいと思う。

集落が近づくと、標識や看板の類いが、その地の名前を知らせてくれる。見識った地名がヘルメットシールドを通した視界の外に飛んで行く。
小原、七ヶ宿、滑津。じっくりと訪れてみたいという気持ちがいっとき支配するけれど、今日はバイクで走り倒すと決めているから、風を浴びることに集中する。そのまま山形に入ったところで広域農道(ぶどうまつたけラインという素晴らしい名前がついている)を南下して、福島まで走り続けた。

今日走った道は国道113号線。七ヶ宿街道と呼ばれるかつて要衝を結んだ街道の名前で呼ばれる道。古くは多くのこけし工人がこの辺りで盛んにこけしを挽いていた。鈴木庸吉、大葉亀之進、高橋精助、小島長次郎(この人は現役)、日下源三郎、佐藤伝喜、、、様々な系統の様々な作り手がこの周辺で暮らしていた。でもあのとき気分でこけしを選ぶとこれになる。

星定良工人の八寸。若葉の季節の生命力が伝わってくる。

星定良20170504




mu1300 at 21:06コメント(2)こけし 

2017年09月13日

鳴子温泉に行くようになって、もう8年ほどになる。それが略こけし歴と重なっていて、9月最初の週末はこけし祭りに行くと決まっている。伝統こけしは伝統というだけあって、劇的に変化したりはしないのだけれど、それでも毎年新たな発見がある。

今年は到着が昼過ぎという体たらくで、会場に入ると最初に招待工人のブースがあるのだが、そそくさとその前を通り過ぎ、コンクールの入賞作品を見る。そうか、早坂利成工人がついに最高賞を受賞したのか、彼が古い鳴子の写しを作ったときうけた感触を思い出し、あのときの早坂工人の言葉が一つの結実となったな、と感慨にふけりつつ、右手に移していった目線が止まった。

最近、鳴子にも若い作り手が僅かではあるが、現れて来た。
松田大弘工人はそうしたうちの一人である。自身のウェブサイトを持って発信しているこの工人のことを最近になって知った。伝統について考え、自分なりの答えを見つけようとしながら、こけし作りに向き合っている様子が伝わってくる。

鳴子小学校の体育館で目に止まったのは、その父親、松田忠雄工人の鈴木庸吉型だった。一目で気に入る、とはこのときのようなことを言うのだろう。大げさでなく、心を射抜かれたのだった。慌てて出品作を見に行く。三体のうち二つは予約済、運良く残った一つが庸吉型で、すかさずカゴに入れたのである。

松田忠雄という工人の名前は知っていた。けれど迂闊にもそのこけしを眺めるということがなかった。
忠雄工人はその名が示す通り、松田初見工人の孫にあたる人。自身の型の他、初見型、鈴木庸吉型、高野幸八型、遊佐民之助型などを作る。それも随分前から作っているのだが、今までほとんど関心を寄せていなかった。ただ、最近はあまり作っていなかったということでもあるらしい。

もう工房に行くしかない、となってすぐに向かう。工房は踏切を渡って坂を下りた国道沿いにある。夕暮れにはまだ早いけれど、オレンジ色の日差しの中を歩いて行く。途中にはそれほど広くはない田んぼがあって、実りつつある稲穂の上を赤とんぼが盛んに飛んでいる。農薬を使わずに作られている証なのだそうだ。ガラス戸の中にいる犬に吠えられる。その家の表札には大沼健伍、と書かれている。人だけが渡れる細い橋を渡ると、そのさきに松田工房がある。

店を兼ねた工房には大量のこけしが並んでいて、片隅に古い鳴子の型がいくつか置かれていた。忠雄工人はちょうど店にいて、少し話すことができた。これらのこけしがまた作られることになったのは、息子がこけしを作り始めたからに他ならない、と思う。自分の仕事が受け継がれることへの感情を安易に推測するのはどうかと思いつつ、その話ぶりからは安堵と喜び、これからは同じこけしの作り手として語り合えることへの感情が伝わってくるようだった。
鳴子に来て良かった。

川沿いに建つ松田工房のわき道の奥には鉄道の橋がかかっていて、向かって行くと道が広くなっている。さらに進むと川を渡るいささか立派な橋がある。この広い道は神社の参道になっていて、奥に上がると成澤不動尊の社が建っている。山を背に来た道を振り返ってみる。この風土からこのこけしが生まれたのだな、と思った。

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mu1300 at 01:24コメント(0)こけし 

2017年08月30日

近郊の県道を車で走っていた。地形は平らで、畑と資材置き場と開発されていない土地があって、取り敢えず真っ直ぐ引いた県道がひたすら伸びている、そんな場所だった。
退屈になりそうな風景のそこここに森が点在していて、深まる緑を楽しみながら運転していた。

通りは大きな片側二車線で、少し走ったころ右側の車線の路上に鳥がうずくまっているのが見えた。スピードを落として近づくとそれは見たことのない鳥で、でも間違いなく猛禽類だと思われた。

まだ子供かもしれないと思ったのは、それほど大きくなかったからで、あるいはツミだったかもしれないが、顔がまだ子供のように見えた。

通り過ぎたあとミラーで見ていたら、そのままうずくまっている。そこへクルマがどんどん近づいてくる。クルマは避ける様子がない。

そのままクルマが通り過ぎた。タイヤとタイヤの間で無事だった。そのあとトラックが来た。トラックは避けてくれた。

鳥は慌てた様子でバタバタと中央分離帯に飛び上がった。

あの森にこんな鳥たちがすんでいるのだな、と思った。




出来れば傍に木があったらいいな、と思う。家の前がたまたま公園になっていて、その周りは桜の木が植えられている。室内にもこけしという名の沢山の木がある。

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今年、今晃工人はこんな素敵なこけしをわけてくれた。

達磨絵が見えないので、
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幸兵衛型と、P8130969
文蔵型。



mu1300 at 02:19コメント(0)こけし雑記 

2017年08月18日

ある日の朝刊の一面に、最後の一人が山を下り、集落が消滅したことが記事になっていた。場所は高知県の北川村竹屋敷集落。去年知人に案内されて訪れた場所がここだった。




クルマは山に入っても全く速度を落とさず、どんどん山の奥へと向かって走っていく。案内役が自らドライバーを買って出てくれたわけだから道行きに不安はないけれど、そろそろ着く頃かと思うような山奥で、クルマはさらに加速して、もっと山奥を目指して走りつづけた。

この辺りはかつて林業で大いに栄えた山だ。伐採した木材を運ぶ鉄道も通っていた。崖と崖を結んでいた橋が今でも辛うじてかかっている。というより崖ごと崩れかかっている。その崖を一生懸命修復する工事が行われていた。道路の保守のための工事が、あたかも廃墟の保存工事のように見えてしまう。
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集落を過ぎてもまだまだ道は続いている。もう随分前から舗装はされていないが、いよいよ悪路になり、木々からぶら下がった枝々が、容赦なく車のボディーを叩きつける。そしてもうそれ以上進めないところまで来た。道はまだまだ先まで続いているが、山の上から流れ落ちた土や岩や流木が山の壁面から崖下へ向けて落ち込み、完全に道路を塞いでいた。案内人はこの崖を下りて崖下まで歩いて行って渓流釣りを楽しむというから驚かされる。そんな人だからこんなところに我々を案内してくれたのだろうけれど。

集落には女の人が一人で住んでいた。正確に言えば大勢の犬たちと、何羽かの鶏たちとともに生活していた。鶏たちが生む卵と、小さな畑で自分が食べるだけの野菜を自給していて、その他の必要なものを誰かが届けているようだった。犬たちはそれだけで体力を消耗しきってしまうほど盛んに吠え、鶏は時折鳴き声を発していた。いくつかある建物はすでに崩壊しているものも多く、鶏を見に行くには柱の落ちた家の屋根伝いに歩いていかなければならなかった。修理する者も、撤去する者もいない。

家の横の小径を上がっていく。ちょっとした山道になっているが、かつては頻繁に人が通った生活のための道であった。草ぼうぼうとなった土地にいくつかの廃屋を見て、学校の跡地に辿り着く。もはや草ではなく木々がしっかりと根を下ろした林になっている。卒業生による記念の碑は木製で辛うじて形を残していた。傾いたまま。

新聞記事は集落の消滅を告げるものだったが、こうして見て来たものは、すでに集落は消滅していたことを伝えていた。人がいるのといないのとの間に違いがあるように、人が一人いるのと二人いるのとの間にもやはりおおきな違いがある。

この日は、人がまさにいなくなっていく場面を目の当たりにした日だった。いまこの国で進みつつあることの、最後の姿と言えるかもしれない。

高知の山奥で、初めて見たものがある。
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これは蜂蜜を取るための道具だ。山の道沿いでもあちこちで見かけた。丸く組まれた木の下の方にはいくつかのスリットが切ってあり、ここからミツバチが出入りしている。写真が見づらいかもしれないが、勇気のない私はここまでしか近寄れなかった。





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人がいなくなれば、人の作るものもそれにつれて無くなっていくのは、世のならわしである。これも今は作られていない型だ。
72年前、戦争が終わった月に。

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西山徳二の尺

(渡辺鉄男工人がいっとき素晴らしい写しを作っていたのは知っているけれど)



mu1300 at 13:33コメント(0)こけし 

2017年08月06日

8月になった。
梅雨明けしてからずいぶん経つが、お日様はずいぶんと気まぐれにしか顔を見せてくれない。

毎年7月の美轆展には顔を出しているけれど、開場前に並んだりはしないので、人気の工人のものはあらかたなくなっている。だからいつものように、サッとみて、常設展示をみて、記念館の売り場を見て、ときてこれに出逢った。

太田孝淳さんのこけしに会うのは久しぶりだ。最初に反応したのは家人だったけれど、結局のところ一つ選ぶ、ということが、またしてもできなかったわけである。

赤を主役にロクロ線だけでまとめたものと、
緑と赤のロクロ線になんだか分からぬほど抽象的な模様を配した一体。
最初に手に取られたのはロクロ線のほう。
模様付きの方はその表情に惹かれた。

いま、こけしを作っている人たちの中でも、
太田孝淳工人の立ち位置はユニークで興味深い。
古品を寸分違わず写し取るわけでなく、
奇を衒うわけでもなく、
かと言って、地味なわけではない。
ヴィヴィッドな色使いが、木地に滲む。
とぼけてはいるけれど、表情は若々しい。
眼点を白く抜くことで、精気が宿る。
適当だけど、心が込もっている。
なんと言ったらいいのか、全く古くない、
現在進行形の伝統こけしだと思う。

それは工人が変化し続けていることの証しでもある。
こけしが好きな人なら孝淳工人のことは知っていると思う。もししばらく前のこけししか知らないのであれば、いまの孝淳こけしを是非手にとって見てほしい。

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木地は抜けるように白い。
工人に確かめたところ、アオハダとのこと。
弥治郎ではビヤベラということも教えてくれた。
(「辞典」を見ると地方によって実に様々な呼ばれ方をしていることがわかる)
煤孫家のキナキナによく使われる材だ。以前取り上げた武蔵の頭部は、やはりアオハダだったのだなと、今になって思い返す。

ビヤベラ、という語感が好きだ。外からやって来た言葉のような、はたまた土地に根ざした表現のような。


mu1300 at 17:56コメント(0)こけし雑記 

2017年07月27日

山形県、鶴岡の街なら一度だけ行ったことがある。あの日は天気があまり良くなく、どんよりとした雲がかかり、ときおり冷たい雨が降り、そしてとても寒かったことを覚えている。翌日は猛吹雪になったから、忘れることはできない。それに、あの人たちが居たはずの場所を訪ねておけばよかった、という心残りも少しある。

この街にかつてこけし工人がいた。秋山慶一郎は鳴子の出。流れ流れて鶴岡に腰を落ち着けたのが昭和6年とされているのだが、大正7年から10年のあいだのいっとき、竹野銀次郎(明治13年鶴岡生まれ。この人がこけしを作ったかどうかは諸説あるらしい)のところで働いたのが鶴岡で過ごした最初のようだ。
秋山一雄はその慶一郎の次男。兄清一もこけしを作ったが、作り続けたのは一雄であった。

父、慶一郎は古作と呼ばれる時代のこけしの作り手であり、その作品や評価、人となりについての伝聞は比較的多く残されている。一方第二次こけしブームの真っただ中にあって、最高の腕を振るってこけしを作り続けた一雄の伝聞は私の知る限り少ない。
目録を頼りにこけし手帖(東京こけし友の会の会報・月刊)のバックナンバーをあたると、平成3年7月の364に柴田長吉郎氏による「秋山一雄追想」の記事をみつけた。
〜体質的に太り気味でどこか精彩に欠ける一雄であったが、気持ちがやさしく、奥さんと一緒に一生懸命に歓待してくれた。そして小寸こけしを厭がらずに数多く作っておいてくれた。〜
「山形のこけし」の同じ著者による秋山一雄の紹介は基本的に同種のものであり、
「こけし辞典」ではこう評されている。
〜好人物だが気分にむらがある〜
(余談だがこのころのこけしに関する文献は概して舌鋒鋭く、批評精神にあふれ、愛情の裏返しだと思いたいが、それ故にあまりにも直截的な物言いに触れることも多く、どきどきしてしまう)

今の私に秋山一雄の人となりを知る術は、先に引用したこの二つの短い文章しかない。こけしを楽しむのに、作り手の人となりを知る必要はないのかもしれない。けれど私は知りたい。秋山一雄がどんな風に生きたのかを。なぜかと問われれば、彼の残したこけし達が、私をそのように誘うからだ。
例えばこのこけし。
秋山一雄の挽く木地はいつもとても滑らかな線を持っていて、それでいて少し緊張感をはらんでいる。その模様は華やかさと謙虚さが両立することを証明している。そしてこの作り手の繊細な感受性を想像してしまう。こうして残されたこけしを通して想像して楽しむも良し。けれどもっと秋山一雄のことを知りたいのである。

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記名は珍しく胴底に「鶴岡 秋山一雄作」とある。8寸と少し。昭和39年ごろか。

Kokeshi Wiki 秋山一雄の項が更新されて、拙文をリンクしていただいた。恐縮至極である。

mu1300 at 01:21コメント(0)こけし雑記 

2017年06月28日

ある日の即売会で、真っ先に目に入ったのは棚の一番上にあるこけしだった。
ずいぶんと胴長で、バランスがどうもね、といっていいフォルムである。
だから気になる。
そして何よりもその面描。入札では偶に見かける顔だけれど、
いつかは、という手の届かないところにある表情が目の前にあった。
手にとって、こけし愛好家の悪しき習慣に則り、胴底を見る。

そこにあったのは想像していた名前ではなかった。
高橋精志、とある。
横に
関、と一文字。
反対側には鉛筆書きで
精助
と書かれている。
いつも教えを乞うている大先輩曰く、
「果たして精助が描いたかどうか、ってことなんですけどね」
そのときはどちらでもよかった。このこけしが気に入った、という気持ちだった。

一週間後、高幡不動にいた私は、こけし手帖の目録を片手に、こけし手帖のバックナンバーを片っ端から当たっていた。
普段はしない、そんなことをどうしてしようと思ったのか。するとあのこけしの作り手の名前を発見した。
「高橋精志のこけし」中屋惣舜 こけし手帖110 昭和45年5月。
私の乏しい知識と経験では、高橋精志という工人が取り上げられることは少ないと思う。
記事は3ページ分。興味がある方は目を通していただくしかないのだけれど、ここでは精志のこけしを大きく5つの時代に分けている。 
〔鐚O沙代(昭和2,3年)
横川時代(昭和4年〜10年)
J浸代前期(昭和10年〜14年)
ご愡代(昭和14年〜16年)
ナ浸代後期
この中で最も字数を費やしているのがい隆愡代である。ここで謎が解けた。
「・・・今回筆者が精志に聞いたところでは、関時代のこけしは木地は精志(頭と胴のろくろ模様も精志)、面描は精助が描いたものと解った。」

ちょっとマニア気取りで、この文章を発見したときは、興奮気味だったのだけれど、、、
家に帰ってこけし辞典を繰ってみると、なんのことはない、同じことがしっかり書いてある。
手元の辞典は初版、昭和46年10月。そのオリジナル原稿に触れられたというわけで、
こういうこともまた愛好家の楽しみかたのひとつなんだけれど、
やっぱり、お気に入りに出会うこと、そして大事に愛でるってことが何より楽しい。

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高橋精志(1911−1977)
高橋精助(1888−1950)

mu1300 at 00:18コメント(0)トラックバック(0)こけし雑記 

2017年04月26日

新幹線で北へ向かう。
車両は途中の駅で切り離されて、
在来線区間を行く。
列車は速度を落として山へ入っていく。

遠くの山並みはまだたくさんの雪を抱いている。
ずっと手前の低い山には、葉をすっかり落とした広葉樹が生えていて、地面にまだらに雪が残っている。落ち込んだ谷間に渓流が見える。こんなに遠くからでも川底の石がはっきり見えるほどの清らかな流れがときに激しく、ときにたおやかに流れている。山には人の手が入っている。切り倒された木々が横たわり、たくさんの切り株が白い肌を露出している。長閑な山みちがうねうねと連なって、その先に大きな青いトタン屋根の家が建っている。家は広く平らに開けた土地の端に建っていて、その他に小さな小屋がある以外はただ平らな土地があるだけだ。ここまで来ると道は真っ直ぐ平らな土地に沿うように続いている。その道の途中にカーブミラーが立っている。誰もいない直線の端から端まで映るミラーを誰が見るのだろう。線路脇にお墓がひとつ。道路はいつしか線路にぶつかって踏切がひとつ。あの家のためだけの踏切。
目の前の木々にもう一度目をやると、枝にはしっかりと芽がついているが、まだぐっと身を固くしてエネルギーを溜め込んでいる。これから春がやって来るなんて、素敵じゃないか。

こけしは佐藤康広工人の大頭。華やかな春の到来。
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P7182593


mu1300 at 00:09コメント(0)トラックバック(0)こけし 

2017年03月18日

昼まで本を読む週末。
適当なBGMを探しあぐねて無音で読み始めるとジョージ・セルがピアノを弾くモーツァルトのヴァイオリンソナタ(ヴァイオリンはラファエル・ドルイアン クリーブランド管弦楽団のコンサートマスターだった)のレコードを聴くシーンが出てきて、家にあるそのCDをかけて(そう、CDがあるんだ)読み続ける。その演奏が終わると同じボックスセットに入っているピアノコンチェルトを選んでかける。録音は1959年。ピアノはレオン・フライシャー、セルは指揮棒を手にしている。第25番ハ長調K.503をセルとクリーブランドの揺るぎないサポートを得て、フライシャーは端正だけれど柔らかく、独特な弱音で奏でる。第一楽章のフーガ、やや速めのテンポで弾かれる最終楽章、今読んでいる文章の行間に浮かんでは消え、消えては浮かぶ、すっ、と思索の合間に滑り込んでくる、こんな感触はそうはない、というか初めてのことだ。

そんなときふと本の頁から目を離し、見上げた先に置かれていたこけし達。
良輔2+八重子1

斎藤良輔、八重子夫婦のこけしと良輔の達磨。
達磨の底には、「38.1.7」の書き込みがある。

こけし達は、すっ、と心の襞に寄り添ってくる。
本と音楽とこけし。

騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編を426ページまで読み進む。

mu1300 at 07:59コメント(0)トラックバック(0)雑記こけし 
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