2018年12月24日

その人の家の隣の空き地には木材が積み上げられていて、お邪魔するのはたいてい夏で、高く伸びた野草が花を咲かせている。いつもその前の空いたところに車を停めさせてもらって、玄関で呼び鈴を押して、その人のいる部屋へ入って行くのだが、今日は奥様が外との出入りができる窓のところに立っていて、私たちを招き入れてくれた。

入るとすぐに、わらで編んだ鳥のオブジェが目に入る。今さんは変わったものが好きだ。
奥様がお茶を淹れようと茶托を並べる。この茶托は?
「ん、なんか出来ないかなと思って」
道の駅で買った薄い杉材で作った小さいうつわ。
「ドライフルーツ載せるとかわいいの」
と、奥様が優しい手つきで盛り付ける。ストロベリー、ブルーベリー、ラズベリー。色とりどりのドライフルーツで、うつわはたちまち華やいだ小皿に変わった。
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今年は今さんと何を喋っただろう?こけしの話はほとんどしない。

竿燈祭りに行ってきたんです。
ー竿燈祭りの練習を見たことがあるな。お囃子の音は騒音になるから難しい。
竿燈は競技になっていて、昼間はそれも見ました。
ーなんでも競争するようになるなあ、津軽三味線だってさ。
ただの会話だけれど、一言一言から私たちは今晃を感じる。感じようとする。

声の大きな人が得をするこの世の中の話。
散骨の話。
夜はスナックになる秋田の紅茶店の話。
梅干しの塩の話。むかしの塩は腐らなかった。
若い作り手の話。作りたいものを作ればいい。
こけし作りの場所の話。大館でこけしを作っていた方がいい。

居心地がいい、というのはこういう心持ちのことを言うのかもしれない。今年もまた、窓の外から風力発電用の小さな風車が回る、高い周波数の音が聞こえてくる。

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今さんのこけしのこんな佇まいが好きだ。



mu1300 at 15:57コメント(0)こけし 

2018年09月30日

朝5時に起きれば、赤く輝く山が見えるかもしれない、と昨夜聞いて早起きをする。
9月下旬ともなれば山の空気は冷たい。ここは山の頂上でもなんでもないが、標高は2,000mを超える。フリースやらレインコートやらを防寒のために着込んで外へ出る。
空は漆黒の暗闇から徐々に変化し始めて、陽の光からまずは青い色を受け取ったところだった。光の量はまだ絶対的に不足していて、聳り立つ岸壁の岩肌は茫漠としている。我々が目にしているさまざまなものの色たちは、そのものの色ではなく、光の反射の副産物でしかないと気づかされる。
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風はなく、池の水面は鏡となって天狗岳を上下対称に映し出している。もう一つの山、稲子岳を見ようと小屋から左手に少しだけ移動した。光の量はさほど変わっていない。山と池の景観に背を向けて山の森を見やる。物も言わずに木々が並び立っている。右側から全く夜明け前にふさわしい鳥の鳴き声がする。鳥の名前はわからない。すぐに正面の森から鳴き交わす同じ種類の鳥の声がして、間髪入れずに左手からまた同じ鳥が呼びかけに答える。ステレオ録音が出だした頃、こんな聞こえ方の録音が流行っていたことを思い出す。
暗い空に並ぶシラビソかあるいはコメツガか、高い木の先端は十字の形をしていて、静かに、しかし厳かに、魂を鎮めるようにそこにある。
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しらびそ小屋の煙突からは既に薪ストーブの煙が上がっている。小屋の灯りは最小限にしか点灯しておらず、中のベンチに佇む人はヘッドランプの灯りを頼りにしている。時折外を見やるヘッドランプの鋭い光が闇に不似合いなほど大樹の木肌を浮き立たせる。
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そのうち一人、また一人と起き出してきて、夜明け前のお喋りが始まる。やがて体が冷えてきて、冷え切ってしまうまで外にいる。朝食まではまだだいぶ時間がある。体が熱を取り戻すまで、毛布をかぶって寝てしまう。
今なら山が赤いよ、という言葉で起きたのか、あるいは起きてからこの言葉を聞いたのか、まだ温まりきらない体で外へ出る。果たして山は赤く、空は水色だった。もうあたりの風景は物の輪郭を際立たせつつあった。もうすぐマーマレードとブルーベリージャムがたっぷりかかった分厚いトーストの朝食にありつけるはずだ。
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朝のしらびそ小屋。ここにいる人たちが、それぞれの朝をそれぞれに過ごしていたことだろう。そして皆、心地の良い朝を過ごしていたことだろう。


そんな朝の気持ちをこのこけしに託してみた。
高橋忠蔵の五寸。
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mu1300 at 19:10コメント(0)こけし 

2018年08月20日

智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
(高村光太郎 智恵子抄より)

智恵子が見たい、ほんとの空は安達太良山の空である。
7月のよく晴れた朝に、私たちはほんとの空の下にいた。


ここ数年、相方に連れられる形で時折山に登るようになった。初心者で体力も限られている我々は、せいぜい近隣の低山への日帰り登山が限界で、それはそれで素晴らしく、十分満足していたのだった。冬枯れの木立ちは普段は隠されている風景をその枝枝の間に見せてくれるし、芽吹きから若葉に移り変わる季節はその瑞々しさに、深緑の季節はその生命力に魅せられ続けてきた。私は森が好きなのであった。
でも相方は違った。高いところが苦手なのに、もっと遠くへ、もっと高く、もっと長く山にいたいようなのだ。だから今日は山に登ったきり下りてこない。初めて山小屋に泊まるのだ。

今回先導役を務めてくれる友人の妻が、もうずいぶん前に山に登りたいと言い、やがて山岳会に入って本格的な登山をするようになり、その頃私はこんな愚問を発していた。
「なぜ、そんな大変な思いをして山に登るのか?」
彼女の答えはいたってシンプルだった。
「だって歩いていかないと見られない景色が見られるんだよ」
当時の私はその意味を正しく理解していなかったと思う。

冬はスキーで賑わうはずの駐車場の先が登山道の入り口で、鬱蒼とした森に一歩足を踏み入れると、スッと気温が下がる。湿気を帯びた山道をいく。
可憐な花が咲き、澄み切った水が流れている。分かれ道の立て札があり、倒木が道を阻む。滝が注ぎ落ち、渡された一本の木道をロープを手繰りながら進む。再び滝が現れ、何度も沢を渡る。まだ緑色の松ぼっくりが身を固くしている。滑りやすい石に注意しながら足を運ぶ。滝を見るために急斜面を下り、登山道に戻るためにまた登る。先導役は後続を気遣いながら進むが、こちらは遅れまいと懸命について行く。
高低差573m、距離5キロ歩いてくろがね小屋に着く。濃い温泉とビールとカレーライスと他愛のないおしゃべり。灯りは9時に消える。

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東の空に昇る陽の光が稜線を際立たせていく。眩い光の中を頂きに向けて進む。真っ白なガスと強い風。気温が下がり、半袖の肌を刺す。長袖をリュックから出して着る。視界ゼロの頂上、すると突然霧も雲も消え去って青空と遥か遠くの眺望が現れる。雲はどんどん来ては流れ去る。この辺りはもう森ではない。乾いた赤い土と岩が剥き出しになって、火星の地表を思わせる。この山は活火山である。地中から噴出した様々な鉱物が独特の景観を作り出す。今日はここからひたすら下る。シャクナゲが咲き誇る山腹が広がる正面の山を横眼に、そのシャクナゲの枝をかき分けるようにして山道を進む。この間写真をあまり撮っていない。我々六人組の前と後ろはだいぶ間が広がってきた。自分のペースで歩かないと、歩き続けられないような心持ちで、だからますます後続との距離が開いていく。
沢を渡るために渡された木の橋のたもとで追いついてくるのを待って、登山靴を脱いで、靴下を脱いで、流れる水に足を浸す。冷たくて気持ち良いけれど、それほど長くは水につけていられない。それほどまでに山の水は冷たい。そうして山を下りてきた。登り406m、下り1034m、高低差920m、距離にして10.4辧

確かに歩いていかないと見られない素晴らしい風景と瞬間があった。でもそれだけではなかった。そのプロセスのなかで感じる様々なこと、忍耐や焦りや緊張や、疲れや痛みや辛さ、滴る汗や筋肉の収縮や心臓の鼓動や荒い息遣い、木の匂いや水の匂いや場面場面で変わる地表の足裏の感触の変化、疲れ切った足を水に浸して靴を履き直した時のあの生まれ変わった感じ、まだまだ書き切れないことの総合体験が山に登るということで、だから山を下りた途端に、次はどの山に登るのだろうかなどと考えるようになる。

最後にこけしの話。
安達太良山辺りでこけしと言えば土湯温泉だが、他にもかつてこけし作りの伝統があった。安達太良山からほど近くの岳温泉、大内今朝吉からその伝統を辿ることができる。ここにあるのは最晩年、七十七才と書かれているこけし。「父今朝吉は、この頃気が向けば私の木地に顔を描く程度だが、左右の眉、目が片ちんばになってもう駄目だ。」(大内一次の話 こけし手帖36号 昭和36年7月)
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これはちょうどその頃のものだ。ふっくらとした一次の木地に、もう駄目だという面描。しかしこの味わいを私は採りたい。その点で一次とは意見が合わないのである。

mu1300 at 23:19コメント(0)こけし 

2018年06月25日

ポール・サイモンの長い長いキャリア(ちなみにそのキャリアはまだ続いている)のごく初期、つまりサイモン&ガーファンクルの活動の頃までの彼の作品が好きだ。たとえば雨に負けぬ花という曲がある。原題はFlowers Never Bend with the Rainfall。
ギターのアルペジオで始まる、軽快なリズムのこの曲の歌詞の一節に、このタイトルは確かに使われている。
My life will never end.
私のいのちは決して終わることはなく、
and Flowers never bend with the rainfall.
花は雨で折れ曲がることなどないのだと。
これをこの曲調で歌われたら、何やら生きることへの励ましのように聞こえるかもしれない。でもこの歌詞の前にはこう歌われる。
So I'll continue to continue to pretend.
だから私はそんなふりを続けるのだ。
これは人生の生きづらさを歌った歌なのだ。命には終わりなどなく、花は雨に負けたりはしないのだとでも思っていなければ、人生などたちまち虚しいものとなってしまう、そんな歌だ。
この曲が(少なくとも日本人にとって)このような印象を与えるのを日本語タイトルのせいにする意見もある。だけどこのままではpretendの意味を表すことは難しいし、そもそもポール・サイモンはあの部分だけを取り出してタイトルにした。作者は明らかに意図的だ。

四月になれば彼女は、という曲がある。原題はApril Come She Will。詳しい説明は省くけれど、四月に現れた彼女は八月にはいなくなってしまう。いっとき新しかったはずのあの愛は、もう古びてしまったのだと九月になって振り返る。愛が新しかったあの四月をこの曲のタイトルにした作者は、やはり意図的である。歌の名前は歌の中身の説明である必要などないのだと、この曲たちの素晴らしさが教えてくれる、というようなことを、もう40年近く聴き続けて来た筆者に考えさせるのだから、この作者はやはり一筋縄ではいかない人なのだ。

このこけし工人もまた、一筋縄ではいかないと思うのだ。だってこんなこけしを作るのだから。
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鎌田孝志工人の六寸七分。原だの写しだのとそんなものはどこかへ吹き飛ばしてしまうほど良いこけし。

mu1300 at 19:15コメント(0)こけし音楽 

2018年06月20日

高橋通工人が原町に戻ってきたのは去年のこと。そのことはインスタグラムで偶然目にして頭の片隅にあった。白石の全日本こけしコンクールにその通工人と夫人の順子工人のこけしが出品されていた。久しぶりに目にする二人のこけしは変わらず見事なものだった。
今年の連休は福島に宿をとっていて、通工人を訪ねたくなって電話する。今回が初めてとなる訪問日は旅の最終日に決まった。
こけしを好きになってたびたび東北を訪れるようになり、いまや福島に行きつけのコーヒー屋がある。いつものようにコーヒーをいただきマスターとおしゃべりする。これからどこへいくのと聞かれ、南相馬へ行くのだと答えると、果たしてマスターは南相馬の出身であった。詳しい住所を聞かれ、道順も教えてもらう。カーナビが教えてくれない道順を。
約束は午後3時。天気は晴れ、気温は高く、汗ばむほどだ。教わった道順に沿って下道でいく。ひと山越えた向こうの浜通りは空気が違う。海は見えないけれど、土地は平らで、高い山々は遥か遠い。やや傾いてきて夕暮れに向かう日射しの中に浮かぶ風景は、少なくとも車窓から見る限りどこか散漫な印象で、初めて訪れる緊張と心細さがない交ぜになる。

新たに建てられたと思われる建物に招き入れられる。こけしや、の看板は順子工人の手になるものだそうだ。奥にロクロ部屋、描彩をするテーブルに向かい合う椅子が二つ。
五年半に及んだ避難生活はいかほどのものであったのか、ということに思いは及ぶけれど、お二人の口にする言葉や、この部屋の佇まいから、きっと二人は固く心に決めたことがあるのだな、と想像した。
こけしを選ぶ。初対面の私たちに一つ一つ通工人は解説してくれる。工人との語らいはいつも楽しい。かなりの時間をかけて選んだこけしのうちのひとつがこのこけし。
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時の経つのは早い。そろそろ別れの時間だ。一つ一つ丁寧に包まれたこけしをクルマに積み込んで帰途につく。自宅を目的地にしてカーナビをセットする。そのときまだ私は全く意識していなかった。福島のコーヒーショップでマスターに聞かれたのだ、帰りは常磐道ですか、と。
ナビの指示通り道を進む。道路表示には見覚えのある地名が次々と現れる。
富岡、双葉、そして浪江。緩やかなカーブと直線、適度なアップダウン。素敵なドライブコースのはずだ。ここはまだ山奥の道ではない。それにしては道行く車が少ない。そのうちに前にも後ろにも道行く車が無くなった。牧場らしき場所を通り過ぎる。角にブルドーザーのようなものとスローガンのようなものが見える。カーナビの画面に行き止まり表示がちらちら現れるようになる。道端に警備員が立つ姿を見るようになる。畳まれてはいるけれどゲートのようなものが見える。T字路に突き当たり、ここまで来てナビの示す道を離れ東北道へ向かうことにした。
国道114号を走る。行き合うクルマは稀である。鬱蒼と茂った木々と山々。見ると、この道から別れる側道はすべて通行止めとなっている。道路脇には看板が置かれるようになってきた。
「帰還困難区域内につき長時間の停車はご遠慮ください」
アクセルペダルは少し踏み込み気味だ。道路脇に家々が散在し始める。全て空き家でその出入口もまたしっかり封鎖されている。なおも走り続ける。行く手に示される「川俣」の表示が頼りだ。そこには人々の営みがある。川俣に入ると今度は道路脇に大きな線量計表示が置かれるようになった。

二本松インターから東北道に乗る。あのとき通り過ぎた牧場は吉沢牧場という。私は福島のことをなにも知らないのだった。


mu1300 at 10:00コメント(0)こけし 

2018年02月11日

とある平日の夜、帰宅途中の地下鉄の車内でスマートフォンの呼び出し音が鳴った。見れば知らない番号で、普段ならそんなときは電話に出ないことも多いのだけれど、そのときは出てみる気になった。
「あのぅ、遠刈田の日下と申しますけれど、こけしの、、」
こんな感じだったと思う。この愛すべき宮城弁のイントネーションを文字で表現できないのはもどかしい。
乗換駅で下車して折り返し電話した。
日下秀行工人から、頼んでおいた佐藤吉弥のこげすの復元が出来た、との連絡だった。あれはいつのことだったか、たぶん一昨年の鳴子だったと思うけれど、以前このブログでも取り上げた吉弥の七寸の復元、あのときのその素晴らしさに触発されて、手持ちの吉弥の復元を頼んだのだった。
この吉弥の作り付けには、以前からとても気になっていることがある。首から肩にかけてのラインのことだ。うねうねとうねるような段がある。なぜこんな仕上げになったのか、あるいは仕上げたのか。復元を頼んだからといって、その謎が解けるわけでもないのだろうが、一度彼に託してみようと思ったのだ。

鳴子ではじめてお会いして以降、日下工人の周囲の環境はずいぶん変わったようだ。遠刈田に構えた店を閉めたと聞いてこの優れた腕を持った工人のことを案じていたのだ。その後いくつかのイベントで彼の作品やその姿を見かけ、こけし作りを続けていることは確認できていたのだけれど。

「ひとつ出来たから送ります」と日下工人は言う。少数の注文で申し訳ないとは思うが、いくつか作ってみたのではないかと思い確認してみる。すると五つ作ったと言う。けれど完成したのはひとつだけなのだとも言う。難しい、うまくいかない、という理由だった。そのあと色々なことをひとしきり話した最後に完成した一体を送ってもらうよう改めて確認すると、もうひとつ作ってみますと言い、私は楽しみに待つことにした。

家に包みが届き開けてみて驚いた。その出来に、である。
彼は「写し」と「復元」を明確に分けている。彼が復元に求めるものとは、完璧な精度での忠実さなのだ。私がもっとも気になっている、肩のラインは忠実に再現されている。胴模様も然り。「生まれ変わり」という表現がふさわしいと思う。

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それだけではない。通常頭部を挽くときなどに用いられるピン挽きの手法も同じ(胴を挽くには面倒な手法)なのだが、胴底を見てあきれ返ってしまった。産地と名前、年令が書かれているが見比べてみてほしい。
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彼に頼んで本当によかった、と思った。

mu1300 at 16:46コメント(0)こけし雑記 

2018年02月08日

鳴子の松田忠雄工人との出会いについては、昨年9月にこのブログで書いたけれど、その息子の大弘工人は昨年デビューしたばかりの新人だ。

大弘工人のことをどこで知ったのか、今となっては思い出せないが、たぶん偶然だっただろう。自然に工人のウェブサイトにたどり着いて、小さなスマホ画面でそのこけし画像に触れたのが最初だ。
工人は去年の鳴子こけし祭りにも参加していて、トークショーでその話を聞き、夜の懇親会でもひとしきりお話ししたのを覚えている。

我が家にとっての去年の鳴子のハイライトは彼の父親である松田忠雄工人のこけしであったわけだが、もちろんそのとき大弘工人のこけしにも接していた。彼の伝統こけし、例えば松田初見型、高野幸八型として紹介されているものは、本人が言っているように、工人独自の解釈が施されたものだった。その行き方はいいな、と思ったが、あまりにも自分自身に引き寄せすぎているな、との感じが拭えなかった。だから手が伸びなかったのである。それでもその後の動向は追ってはいたし、なにより鳴子での愛好家S氏の「彼は若いですけどデザインというものがわかってますからね」との言葉がどこかに引っかかっていた。

1月某日、用事のついでに銀座の木の香を訪ねた。ここでは近年東北こけし展をやっているのは知っていたが、訪れたのはは初めてだった。松田大弘工人も参加していて、地下の展示スペースへ下りたところで、一つだけ残った本人型の六寸をなぜか迷いなく手に取り、これが我が家の新年初こけしとなった。

改めてこのこけしを見てみる。伝統に則った型ではあるが、これもまた工人独自の解釈が加えられている。けれど今回はあの時の感じ、自己主張は控えめに感じる。そしてそのデザイン性。明らかに伝統的な絵柄をこの同時代感で表現しているのは果たして意図したものなのだろうか?もっと適切な言葉でこのこけしを表したいと思うが、うまくいかない。言葉が見つからないままアップしてみる。でもあの時のS氏の言葉の意味が少しわかったような気がしている。

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並べてみるともっとよくわかる、ような気がする。

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mu1300 at 15:40コメント(0)こけし雑記 

2018年01月14日

新しい年になって早くも3週目。
今年はどんなこけしに出会えるのか、実は期待している。
昨年の暮れ、高田稔雄工人との出会いについて書いたけれど、
もう一人、気になる工人がいた。今日はこの人に会いに行ってみたい。

仙台の奥座敷、秋保の温泉街の少し先、小高い山へ登りかけたところに秋保工芸の里はある。ここにはこけし作りをする家が3軒、江戸独楽を作りこけしも作る家が1軒あるという、こけし愛好家には夢のような場所である。にもかかわらず、一度も訪れたことがなかったのだが、今回ようやくその機会を得た。

思えば高橋胞吉(えなきち)のこけしとその後継者たちにあまり関心を払って来なかった。赤と黒だけの描彩が、あまりに質素すぎると感じていたのかもしれない。それはあまりにもったいないことだったと、この人のこけしに出会って思ったのだ。

鈴木敬(たかし)工人は鈴木明工人の次男。平成6年生まれという若さだ。私が気に留めたのは、その若さもあるけれど、もう一つはその経歴だった。
平成25年4月石川県挽物轆轤技術研修所に入所、とある。続いて、椀、盆、茶道具を挽き、漆塗の技術も習得、と来ていよいよ気になった。Kokeshi Wikiにはこのあたりのことが紹介されていて、師事した人たちの名前も書かれている。その中に、川北良造の名前がある。この人は人間国宝である。

こけし好きならもう皆同じことを感じているかもしれないけれど、この人の作るこけしは、デビュー作にして完成されている。そして原の胞吉をよく知りもしない私は、胞吉の良さとはこういう感じなのか!と思わせる出来だと感じたのだった。

敬工人は至って清々しい若者で、お盆が売れると嬉しい、と端正な表情で話す。綺麗な盆は我が家にやってきた。

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小柄だけれど、すっとした立ち姿が印象に残る。幼い頃から絵が好きだった青年は今の仕事に巡り合うべくして巡り合い、探究心と想像力でこんなこけしを作っている。

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胞吉がおかっぱに赤のリボンのこけしを作っていた、との話を元に作ったという。そのこけしは残されてはいない。頭は嵌め込み、胴底は鋸の切り落としというこだわり。

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旅から帰って、初めてこけし手帖 6号の胞吉こけし文献號を読んだ。新しきを温ねて故きを知る、ということもある。そんなきっかけをくれた人として見続けていきたい。


mu1300 at 21:54コメント(0)こけし 

2017年12月25日

会いたい人がいるのだが、連絡先がわからないのである。こけし愛好家のバイブルのひとつ、伝統こけし工人録には、載っていない。まだ新人だからだ。
ただし、今はネット社会。Kokeshi Wikiには取り上げられている。師匠の名前はわかるし、師匠は工人録に載っている。けれど、いきなり面識のない師匠に連絡するわけにもいかない。

検索してみると、工房のおおよその場所がわかった。
カーナビに「やくしのゆ」と入れて向かってみる。あとは川のほとり、という記述だけが頼りだ。
近づくと、それらしい建物がすぐ目に入ってきた。
「煙突から煙が出てるよ!」と家人が声を上げ、車を降りて引き戸をノックする。

こうして会いに行ったのは、高田稔雄工人。まだ新人と言っていい、伝統こけしの作り手だ。今年の全日本こけしコンクールでの初めての受賞が最高賞であった。
受賞作は幸太型。それは受賞に値する優れたものだったけれど、より心惹かれていたのは、その頃作り始めていた今三郎型だった。そのとき入手することは叶わなかったけれど、以来、心の片隅にずっと置かれていたのだった。

突然の訪問にもかかわらず、暖かく迎え入れてくれた高田工人とひとしきり話す。いかにして工人になることを志したのか、それを語る工人の言葉の端々には、強い気持ちが滲み出ている。敢えて文字にするならば、誇りとか意地という言葉に近いように感じる。いや、決意と言うべきかもしれない。

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そんな工人は一羽の雀と共に暮らしている。どうしても飼っているとは書けない。それはこの写真が証明してくれると思う。
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強い心と優しい眼差しを持った工人は、こんなこけし達を世に送り出してくれた。
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原に忠実でありたい、という素晴らしい今三郎型と幸太型。
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そして雀愛。
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mu1300 at 22:33コメント(0)こけし 

2017年12月10日

台風が来て、一瞬もやっとした暖かい空気が入り込んだと思ったら、風がぐっと冷たくなった。湿度が下がると、物事の輪郭がはっきりと捉えられるようになる。感覚が鋭敏になる。急速に秋が深まっていく。

ピィーと、あるいはキィーと、乾いた空気を切り裂くようにして、ヒヨドリが厳しく啼く。春の頃は桜の花に嘴を突っ込むのに忙しく、夏はどこかに行っていた彼らが戻って来て、何がしかの警告を発しているように思える。これからやってくる冬への心構えは出来ているのか?と。

と、書いて置いておいたら、冬になってしまった。おまけにもう2回も風邪をひいた。今日の空気は真冬のにおいがする。

内勤に変わって動かなくなったせいで、みるみる肥大化するのを懸念した家人が、最近しつこくウォーキングに誘うのである。どんなに誘っても乗ってこない私に放たれた殺し文句はこうだった。
「カレーを食べに行こうよ(歩いて)」
目指す店は3キロ先にある。歩いて出かけた。見ればラストオーダーまで、あまり時間がない。脇目も振らずにひたすら歩いて辿り着く。本場の味を楽しんだ帰りはゆっくりと寄り道しながら帰る。いつもは車で通り過ぎる道を歩き、またその一本裏の道を歩き、そこからまた脇道にそれ、そぞろ歩く。歩く速度で目に入るものたちは、何の変哲も無いものだらけだが、自転車で通り過ぎても見えないものだし、ランニングのスピードでも見落としてしまうものだ。

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何年か前に縁あって手元に来たこのこけしには、何か見落としはないだろうか。
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角張った頭や、重ね菊の描かれ方、等々。
斎藤良輔の八寸。



mu1300 at 23:53コメント(0)こけし雑記 
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