2016年11月17日

あのときから鳴子に行くと必ず立ち寄っていたのだ。
高亀に。
いや、これは正確ではないな。
高亀の店頭を外からのぞき込んでいた、
のだ。
こけしのことでそれほどに思いが高まったことは、そんなには無かった。

鳴子のこけし祭り、第60回の記念の年、高橋武俊工人はそれまで描くことのなかった、遊佐雄四郎の胴模様を描いて受賞した。
祭りの2日目、高亀の店頭にはその模様が並んでいた。
でももうこけしを買い過ぎていた私は購入を見送った。
これがあのとき。

今年の祭りでもひょっとしたら、という気持ちでコンクール出品作のほうへ向かう。
あった。この模様がついに来てくれた。

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黄胴、肩にビリカンナ。ロクロ線はややピンクがかった色が使われている。
攻めている。

10月はじめ、カメイ美術館を訪れた足で、鳴子を訪れた。
思いがけず、鳴子は音楽の街と化していた。温泉と音楽祭。
声を枯らしてアース・ウィンド・アンド・ファイアの素晴らしいカバーを楽しんだ。
ライブ会場は高亀の目の前で、店頭に並んでいるこけしの様子が否が応でも目に入る。
翌日私は高亀の店内にいた。
そしてこの素晴らしいこけしがいま手元にある。

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雄四郎の描く胴模様は独特な菊の模様だが、わたしには猛禽類が大きく翼を広げた時の姿がみえる。そしてフクロウの姿を思う。
そうして、このこけしから力をもらうのだ。

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mu1300 at 15:22コメント(0)トラックバック(0)こけし 

2016年11月05日

今年の鳴子の招待工人はちょっと気になる人ばかりだった。
どんな人が人選しているのだろうか。

その中の一人、西山敏彦工人のことは愛好家なら皆知っている。
次々と繰り出されるアイデア溢れるえじこ、果てはオブジェまで
作ってしまう人気の工人である。
今年の祭り、私は真っ先にコンクール出品作のほうへ向かい、
招待工人達に群がる人の波が一巡したころ敏彦工人のブースに顔を出した。
案の定というべきか、もうほとんど品物がない。
どこか申し訳なさそうに座っている工人。
そんな中に奇跡的に残っていた一本のこけし。

頭部はカヤ材。敏彦工人が最近好んで使う材であり、
他の工人達の作るものにも多く見かけるように感じる。
素晴らしく芳しく香るこの材に工人達を惹きつける何かがあるのだろうか。
滑らかに仕上げられた頭部の感触はすべすべとしていて、触りたくなる。
触った手に香りが移る。
家に帰って包みを開けたとき、カヤの匂いがいっとき辺りを支配した記憶がかならず蘇る。
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ざっくりとした胴に赤い線がじっとりと染みている。粗い仕上げは一様ではなく、返しロクロの紫はすうっ、と引かれている。作為なのか偶然なのか。
そして勝次型の渋い面描がこのこけしのキャラクターを決定的にしている。
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天候不順の今年は野菜も果物も不作である。幸い鳴子は例外であった。
こうして豊かな実りを味わっている間にも、秋は足早に冬へと歩を早めているようだ。






mu1300 at 08:24コメント(0)トラックバック(0)こけし 

2016年10月23日

最近若い愛好家の一部で「伝統性」や「写しと原」、「愛好家の集いの在り方」など
が話題や議論になっているのをネット上で目にした。
とても好ましく思うのは、声高に主張するというよりも、
オープンに議論しようという姿勢が伝わってくること。
議論は深まり、話題は拡がっているのかしら、ということが気になる。

愛読しているブログに阿呆こけし洞がある。
若き酒田こけし研究の第一人者が最近、新山実を取り上げていた。
ここで紹介されているのは東京こけし友の会で頒布された新山栄五郎の写し。
その胴模様は原の持ち主でこの写しを依頼したS氏の意向により、当初のものから変更されたことが伝えられている。
この経緯はS氏から聞いており、変更前のものがたまたま手元にある。

鳴子の祭りは気合を入れていくくせに、白石のコンクールはいつものんびり昼頃に行く。
人気の工人の前にはもうほとんど品物がなく、販売のテントにいる鎌田さんとひとしきりお話しして、味噌を買ったりして帰るのがいつもの過ごし方。
それでもだいぶ長居してそろそろ帰ろうかというときに家人が声を上げて駆け寄った、
その先にあったのが新山実工人の手になる栄五郎写し。
このこけしについて話す実工人はどこか自信に満ちていたように感じたのだった。
その口調から自身の仕事への手応えが伝わってくる。
その後、模様は変えられた。

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原の胴模様はほとんど見えない。
工人は観察眼とイマジネーションに従って返し轆轤の模様を描いた。
私はこのこけしが好きだ。
伝統性ってなんだろう。
原と写しってなんだろう。


mu1300 at 18:52コメント(2)トラックバック(0)こけし雑記 

2016年09月30日

いつもの年と同じように、木の実さんに会いに行く。
いつもの年と違うのは、木の実さんがひとりでいたこと。
今年もまた、以前お願いしていたものを受け取るのを楽しみにして行く。
そしてまた、お願いしていたものが幾つかあって、選ぶ楽しみが待っている。

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今年は2年に一度の個展の年。
いつも変わらず、素敵なこけしやえじこを届けてくれる木の実さんにも、変化はやってくる。
環境が変わる。くらしが変わる。気持ちが変わる。考えが変わる。
川連のギャラリー木もれ陽の暖簾のかかった入口の脇にガラス扉の木製のキャビネットがあって、
ここには木の実さんの現在(いま)がはいっている。

木の実さんの関心は、小椋泰一郎に向けられているようだった。
その中身はこの秋の個展で明らかになったのだが、訪れたのは8月初め。
私が目に止めたのはこのこけしだった。

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このこけしはしばらく前に作ったものだという。
見事な出来栄えのこの泰一郎型がひとつの到達点となり、
そして新たな出発点となって、この秋の東京での個展に繋がって行ったのだ、
と今になって思う。
変わらぬ伝統に拠って立ちながら、新しい仕事への変化を求めてやまない、
一工人の変化の過程で生まれた、これもひとつの成果、である。


mu1300 at 00:05コメント(0)トラックバック(0)こけし 

2016年09月28日

昨日の夜、金木犀の香りがどこからともなく仄かに香ったように感じたのだった。
そして今朝、辺り一面が金木犀の香りに満たされていた。
季節は移ろうもの。けれど変化は唐突にやってくる。

秋は深まりつつあるけれど、今年の秋に限っては、あの日から秋が始まったのだった。
それは遠刈田のろくろ祭りに行った翌日のこと。日曜日の朝、肌に触れた風のせいか、
「今日から秋だ」と確かに感じたのだ。

秋が深まりつつあるいまのうちに夏の記憶を辿っておく。思い出すままに。

龍平の店を訪れたのは初めてのことだった。いつも気にはかけていたのだが、通りかかるときに開いていることがなかった。
先客が一人いる。店の中はこけしであふれている。店主が座る畳敷きの小上がりの奥に棚がある。店内をひと回りして、棚を見ると、もう目が離せなくなった。
惹きつけるものは何だろう。最初に目を引いたのが描彩でないことは確かだ。恐らく最初に認識したのはその輪郭で、佇まいとしか言いようのないものだ。
保存が良いとは言えない、汚れたこのこけしの良さは、古品だから感じるのだろうか?このこけしが作られた当時には感じ取れなかった類の感触なのだろうか?
伏し目がちで、控えめで、しっとりとしていて、どこか高潔なこの感じはたぶん当時と変わらない、と思う。

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高橋武蔵 六寸ほど

この夏の一枚から


mu1300 at 00:20コメント(4)トラックバック(0)こけし 

2016年08月22日

八月、夏真っ盛りだが、時計の針を初春に戻してみる。

八海山の麓にあるトミオカホワイト美術館はお気に入りの場所だ。行くならとりわけ冬がいい。雪の静謐に佇む美術館の中はとりわけ密やかな雰囲気だが、高い天井を持つ広い空間は、適度な明るさと開放感を持ち、観る者は緊張を強いられることはない。静かに、けれども集中力を持ってトミオカホワイトの世界を辿る。今年訪れたのは四月。山に雪は殆ど残っていない。ここ数年新潟は雪が少ないと聞いていた。あの白づくめの景色を思った。
富岡惣一郎は上越高田の人。雪の白に魅せられた画家は“トミオカホワイト”と呼ばれる独自の白絵具を編み出し、独特の手法で白の世界を現出させる。山の姿は雪に覆われていたほうがいい、というのは阿部木の実さんと家人の会話だが、富岡の表現は、単に自然をカンバスに置き換えただけではない凄みを持つ。

キナキナの原初のかたちは幼子のおしゃぶりであり、描彩なしのきわめて素朴なひとがたである。頭部にその顔の表情なく、華麗な胴模様も一切描かれない。その意味で他のこけしとは一線を画すものであり、これまでそのこけしを楽しむということが出来ないでいた。にもかかわらず、富岡惣一郎の作品から得た印象からの連想は自然に南部こけし、キナキナへと繋がった。キナキナと言えば花巻の煤孫盛造工人であり、その煤孫工人が5月の白石に来られる折にこけしを注文したのだった。まだ会ったことのない工人に、最初からこけしを注文するつもりで会いに行ったのは初めてだ。それだけトミオカホワイトの印象が強かったのか、と今になって思う。

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材はアオハダ。抜けるような白をこの画像はじゅうぶんに写し撮れていない。きっちりと寸法を測って作られる煤孫工人のキナキナはきっぱりと清廉で、その形は鑑賞されることを自ら望んでいるようだ。そのまま凝視していると、ひたすらに白い木肌に薄っすらと美しい木目が浮き出るように見えてきた。
キナキナの見方が少しだけわかったような気がした。

mu1300 at 23:00コメント(0)トラックバック(0)こけし 

2016年08月07日

そう、えじこだった。
太田孝淳工人を訪れたのは、そもそもえじこを逃したからなのだ。
お邪魔した際には売り物になるえじこは無かったのだが、
工人は突然の訪問の我々の注文にも快く応じてくれた。

うかがった時、色々な話をお聞きした。目の描き方、ガラ入りのこと、etc
師匠の篠木利夫工人は佐藤佐志馬工人について修行した人なのだけれど、孝淳工人が作る型を制約しなかったそうである。今日、湊屋の趣溢るる孝淳こけしに触れることができるのはそのお陰なのだ。するとどうだろう、最近更新されたKokeshi Wiki 佐藤佐志馬の項目を見ると、佐志馬もまた、弟子たちに自分の型の継承を強いることがなかった、とある。型は継承されずとも、土湯こけしの伝統は受け継がれた。

さて、それからわずか2日後。工人からの小包が届いた。
「え、もう届いたの!?」
それだけでうれしい気分になって、中から出てきたのがこれ。

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大小二つのえじこ。どちらもそれぞれに、良い。
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私は反省した。こんなふうに手許に来てくれるのだから、例会で逃したぐらいで機嫌を損ねてはいけない。
8月の例会は中古頒布の特別例会、大人(たいじん)の風格で臨みたいものだ。

mu1300 at 23:13コメント(0)トラックバック(0)こけし 

2016年08月04日

ことの発端は6月の東京こけし友の会例会。
新品頒布の中に太田孝淳工人のえじこがあった。
色とりどり、一見無愛想な表情が可愛らしい。
欲しい。

くじ運の悪さはいつもながらだが、欲しいものがあるときは気が気でない。
順番が回ってきたときには、Yさんが最後の二つを手に取って思案中。
Yさんの背後に立つ某ベテラン蒐集家と私。
某ベテラン蒐集家が先にYさんに声をかけ、かくしてえじこは完売した。
そのとき同行していた家人はずいぶん落胆していたように記憶する。

そもそも家人は以前から太田孝淳さんのこけしが気になると言っていた。
美轆展を見に行った西田記念館でその孝淳さんのこけしが売られていたのだった。
それで火が着いた。

土湯温泉に移動して会津山根屋へ。
あ、こけし時代が置いてある。ちょっと拝借して孝淳さんの住所と電話番号をメモ、
そして家人が電話。
「これから行ってもいいですか?」
また、やってしまった。でも工人は快く了解してくれた。

カーナビに住所を入れて工人宅を目指す。
温泉街から市街地へと移動した住宅街の中に太田孝淳工人のお宅がある。
家に上げていただき、色々とうかがった。
太田孝淳工人は、昭和14年生まれの77才。
勤め先の旅行でこけしに出会い、以来長く愛好家であった。
様々な工人を訪れては、こけしの製作を依頼していたが、
さかんに訪れているうちに、作ってみたらと言われるようになって、
最終的には篠木利夫工人にこけし作りを学ぶことになった。
「こけし愛好家で定期的に持ち寄って鑑賞会をやってるの。古民家があって借りられるようになってるのね」(福島こけし談話会のことである)
と楽しげに話す孝淳さんは作り手となった今も、愛好家であり続けている。

いま注文を受けて作っているというこけし達を見せていただく。
六寸ほどの帽子をかぶったこけし達。
やや粗く仕上げられた木地にほどよく滲んだ轆轤線。
但し粗雑な印象は受けない。むしろ品の良さを感じる。
素朴さは失われず、程よく調和している。
模様も胴の形も帽子も表情もどれ一つとして同じものはなかった。
工人はその出来栄えに満足はしていないようである。
「この胴はもうちょっと細いほうがよかったんだけど」
正直で謙虚な人柄が窺える。模様にしろ寸法にしろ適当だから、
と話す孝淳さんはこけし作りを楽しんでいるようだ。
こういうことがあるから工人に会いに行きたくなる。
見ているうちに欲しくなって、3つに絞り込んでどれか1つをいただくつもりだったのだが、、、

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孝淳工人のこけしの表情に特徴的なのは、眼点を白く抜くところ。
その話をされている孝淳工人の瞳には光が差し込んで白く輝いていたのだった。







mu1300 at 10:31コメント(0)トラックバック(0)こけし 

2016年07月27日

バイクを乗り換えたのは、もう2年以上も前のことになる。サイズが小さくなったのは大きな変化だが、エンジンのタイプが変わったことがより大きな変化だ。小さなピストンが綺麗に揃ったサウンドを奏でる4気筒から、大きなピストンが力強い鼓動を打つ2気筒へ。小気味よい加速とともに上昇していくエンジンの回転音はドラムの連打のようだ。キース・ムーン?いや、どこか軽やかな心地よさはハル・ブレインかな、などと考えながら、アクセルを軽く吹かして回転数を合わせ、マニュアルミッションを操作してシフトダウン、ブレーキング、体重移動、加速、シフトアップ、そうしてコーナーをひとつひとつクリアしていく。

ん、キース・ムーン?
ずいぶん長いこと音楽に親しんできたつもりだ。とりわけ60’sと70's前半には。でもなぜか未体験だった。
この歳になって、The Whoにハマった。
カッコいい、というこの感じ。素直にこう思えるものに出会うこと自体久しぶりだ。
ハードで、ポップで、キャッチーで、そしてナイーヴ。
なぜ今まで親しめなかったのか。
ひとえにピート・タウンゼントの顔が好きでなかった、という理由しか思いつかない。
先入観恐るべし。
かくして、TOMMY、Who’s next、QUADROPHENIAのヘヴィローテーションと相成った。
未経験者でももう遅すぎるということはない。
これを知らずに人生を過ごすのは、やっぱりもったいないな、と思う。

あ、いいな、と思うこの感じ。最近そう思えるこけしに出会うことができた。
日下秀行工人の吉弥古型写し。平成26年に店を構えたこの若手工人には、そう時間がかからずに出会えたのではないかと思う。歳とともに先入観から自由になりつつあるのだろうか。
シャープで、シンプルで、ラフで、けれどシュア。
一人の若き愛好家(樋口達也)と提供された出会いの場(西荻イトチ)による幸運を分けてもらった。
素敵なこけしだ。と同時に伸びしろも感じさせる。この工人の辿っていく道を見続けてみようと思わせる。
11月には東京に来られると聞いた。だけど、できれば遠刈田に訪ねてみたい。バイクで、神経を研ぎ澄ませて。
未経験者にはまだ早すぎるということはない。
これを知らずにこけし生活を送るのは、これまたもったいないよな、と思う。

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ザ・フー(The Who)は、イギリスのロックバンド。ビートルズ、ローリング・ストーンズと並び、イギリスの3大ロックバンドの一つに数えられる。
デビュー当初はスモール・フェイセス(のちフェイセズに改名)と並びモッズ・カルチャーを代表するバンドと評された。1969年に発表されたアルバム『ロック・オペラ “トミー”』でロック・オペラというジャンルを確立。また1971年発表の『フーズ・ネクスト』では、当時貴重なシンセサイザーを、後のテクノにも影響を与えたミニマル・ミュージック風に導入するなど、先進的な音楽性を持つバンドに成長するに至る。また、ギターを叩き壊しドラムセットを破壊する暴力的なパフォーマンスと文学性豊かな歌詞世界とのギャップが魅力のひとつでもあった。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第29位。
正式メンバー
ロジャー・ダルトリー (Roger Daltrey CBE, 1944年3月1日 - )(ボーカル)
ピート・タウンゼント (Pete Townshend, 1945年5月19日 - )(ギター、ボーカル、キーボード、シンセサイザー)
ジョン・エントウィッスル (John Entwistle, 1944年10月9日 - 2002年6月27日)(ベース、ボーカル、ブラス)
キース・ムーン (Keith Moon, 1946年8月23日 - 1978年9月7日)(ドラムス)
(Wikipedia)

日下秀行 昭和52年年12月19日 宮城県白石市に生まれる。学校を出て、しばらく土木・建設業の仕事についた。その後、自分の一生の仕事を求めてサービス業や販売業などに就いたが、納得のいく仕事はなかなか見つからなかった。
平成21年6月に求人票を見て応募したのが、宮城県蔵王町の「伝統こけし工人後継者育成事業」であった。これに採用されて伝統こけしの製作を学んだ。この時採用されたのは、日下秀行のほか達曾部早苗(現在佐藤姓)、熊谷祐太の三名であった。最初の3年間は、遠刈田伝統こけし木地玩具業協同組合に所属している数名のこけし工人から指導を受け、平成23年12月からは佐藤哲郎に約一年間師事し研鑽を積んだ。
〈伊勢こけし会だより・138〉(平成24年2月)で新作者として紹介された。平成24年6月の東京こけし友の会例会では新人工人として紹介され頒布された。
平成25年から「みやぎ蔵王こけし館」で木地玩具の製作補助や来館者にこけし製作実演と体験教室の指導などを行った。
平成26年夏に白石より、遠刈田へ居を移し、師匠哲郎の家の近くで工房を開き独立した。
(Kokeshi Wiki)


mu1300 at 21:46コメント(0)トラックバック(0)こけし音楽 

2016年07月01日

先日仕事で広島に行くことになり、往復の飛行機で読む本は肩肘張らずに読めるものをと思い、内田百里遼椶鮖って行こうと思った。私は内田百里遼椶鯑匹鵑世海箸ない。いま、家人が百寮萓犬紡臍愼れあげており、先日も本屋にあるだけの内田百里鯒磴だ蠅瓩燭隼虻買ってきた処だ。そして私にも盛んに読め読めと云う。読め読めと云うから読んでみようと思い、家人がもう読んでしまった百寮萓犬遼椶鰐気い里尋ねたところ、図書館派の家人は殆ど借りて読んでおり、意外にも一冊の「百鬼園随筆」があるだけだという。但しこの本はいささか問題を抱えており、つまりボロボロなのである。なぜボロボロなのかは家人の名誉に関わることなので此処には書けない。自慢じゃないが、私は本を綺麗に読む方である。だからと言って家人がまだ読んでいない本を持ち出すのは気がひけたが、快諾を得たので三冊の中から「阿呆の鳥飼」を選び、カバンに入っていた「族長の秋」と入れ替えて家を出た。
機内で新聞を一通り読み、おもむろに百里鯑匹濟呂瓩道笋話僂犬拭2燭鮹僂犬燭と言って、此の歳に成るまで読んで居なかった事を恥じたのである。もっと早く出会っていたら人生どんなにか変わっていただろうに。読書中の私の顔は明らかにニヤけて、目尻に涙を溜めた(笑いすぎである)怪しい男に映ったに違いない。どれ程面白いのかと云えば、あんまり夢中で読んでいたので飛行機が着陸するのに気付かず、着地の衝撃で飛び上がった程だ。往きも帰りも、である。
着陸しても頭の中は百寮萓犬念貲佞緑屐恰も自身が百寮萓犬砲覆辰真柑でバスに乗る。広島空港は東広島市の山の中にあり、広島市内にはリムジンバスで45分ほどかかる。ぼんやり車窓から外に目をやると、空に向かって水平に突き出した鉄骨の巨大な構造物が目に入った。滑走路の終わる辺りから急激に落ち窪んだ地形になっていて、その窪みは畑だったり人家だったりしている。その頭上に突き出しているのは飛行機を滑走路に誘導するための構造物なのだが、真下に暮らす人々には甚だ迷惑ではないかと思う。ある日突然見慣れぬ大きな日陰ができたら随分と居心地が悪いのではないか、いや案外慣れてしまって影がないと却って不安なのか知ら、などと考えている内に、うとうとしてしまい、其のうちに広島駅に着いた。

今日のこけしは柴田良二工人、正統派の鉄蔵型である。大真面目であるのに何処か惚けた風は百寮萓犬砲眥未犬詭わいがあるかもしれない。堂々の尺は昨年の秋田県こけし展にて。

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