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李 忠成選手 横浜F・マリノスへ完全移籍のお知らせ

李忠成選手 移籍加入のお知らせ

  浦和レッズは2007年のACL制覇以来、8年もの間タイトルを獲得出来ない冬の時代を迎えました。そんな浦和にとって久々のタイトルとなったのが、まだ記憶にも新しい2016YBCルヴァンカップでした。そして恐らくこの試合で起死回生の同点弾を奪い、大会MVPに選ばれた選手は誰かを聞かれて答えられない浦和サポーターはいないでしょう。
  そう、その男こそが浦和の背番号20李忠成です。気持ちをプレーに乗せ全力で戦い、チームが苦しい時にゴールを決めるまさにストライカー。しかし去る2018年冬、そのストライカー・李との別れの時が訪れてしまいました。
  という事で2019年最初の記事では、浦和と李が歩んだ道のりを振り返りながら、マリノスでの挑戦に一歩踏み出す李への想いを綴ってみました。では早速。

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  在日朝鮮人4世イ・チュンソンとして生を受けた李は、F東京U-18から04年にトップチームへ昇格。ルーキーイヤーで出場機会に恵まれずにシーズンを終えると、出場機会を求めてF東京を僅か1年で退団し、柏レイソルへ完全移籍。
  移籍初年度に柏は初のJ2降格。するとJ2でのプレーとなった06年にスタメンに定着。31試合に出場し8得点を奪うなど、1年でのJ1復帰に大きく貢献。翌年にはJ1初ゴールを含む二桁10得点を挙げ、この年に北京五輪出場を目指すため日本国籍を取得。名前を現在の李忠成(りただなり)としました。
  08年には念願の北京五輪出場を果たしたものの、過密日程が災いしコンディションを悪化させ柏での出場機会を減らすと、09年にはシーズン途中から就任したネルシーニョ監督のお眼鏡にかなわず、スタメンはおろかベンチ外の試合も珍しくありませんでした。

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  09年途中から出場機会を求め、ミハイロ・ペトロビッチ監督が率いるサンフレッチェ広島へ完全移籍。移籍初年度こそ得点は奪えませんでしたが、翌10年には負傷した広島の絶対的エース・佐藤寿人に代わり1トップで起用されると、12試合で11得点とゴールを荒稼ぎ。
  するとこの活躍が認められ、11年1月に開催されたアジアカップの日本代表メンバーに初招集。そしてオーストラリアとの決勝戦で延長前半から投入されると、後半9分に今でも語り草となっている伝説の左足ボレーを叩き込み、日本のアジアカップ優勝に貢献。
  その後のJリーグでも15得点を挙げ好調を維持すると、翌年にはイングランド2部のサウサンプトンへ加入し初の欧州移籍を果たします。しかし加入当初こそゴールやアシストで結果を残すも、その後負傷や監督解任の影響で出場機会が減少。古巣F東京への期限付き移籍やサウサンプトンへの復帰など2年で3度の移籍を経験するなど、李にとってこの時期は不完全燃焼に終わってしまいました。

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  2014年から浦和に完全移籍。一時は李1トップのシャドー興梠慎三という並びで起用されたものの、僅か3得点しか奪えず中盤以降はベンチスタートが多くなります。優勝争いを展開する終盤に興梠が負傷した為再びスタメンに返り咲きましたが、30節を最後に得点は奪えず浦和も歴史的な大逆転を喫し優勝を逃してしまいます。
  2015年は武藤雄樹やズラタンの加入で、ますます出場機会が減少。試合出場のなかったルーキーイヤーを除けば、自己ワーストのリーグ2得点に終わり、最初の2年間は悔しさの残る時間となってしまいました。
  そんな李の立場に変化の兆しが見えたのが同年終盤。興梠とズラタンが負傷の為最終節で先発すると、1ゴール2アシストの活躍で勝利に貢献。リーグ戦後に開催された天皇杯では、準々決勝神戸戦で1得点と相手を退場させる活躍を見せると、ターンオーバーの為延長から出場となった準決勝柏戦では、試合終了間際にヘディングで値千金のゴールを挙げ、チームを2006年以来の決勝に進める殊勲の活躍を見せ、強烈なインパクトを与える結果となりました。

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  2016年は前年終盤の好調をキープし開幕戦からスタメン出場すると、興梠・武藤の3人で織り成すKLMの連携で得点を量産。途中高木俊幸にスタメンの座を明け渡してしまいましたが、浦和加入後初となる二桁10得点をマーク。しかも夏場は興梠がリオ五輪で不在だった穴を埋める役割を完璧に担い、浦和の年間勝ち点1位獲得に大きく貢献。
  そして浦和の李として最も記憶に残るのが、10年ぶりの国内タイトル獲得を狙ったルヴァンカップファイナル。サブからのスタートとなった李は、0-1とリードされた76分に最後のカードとして投入されると、その直後のCKでゴールを決め同点に追い付く活躍。その後PK戦を制した浦和はルヴァンカップ優勝を果たし、李自身も大会MVPに選出。
  CSに敗れリーグ優勝こそ逃したものの、李にとって2016年は浦和で最も存在価値を高めた1年となりました。

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  2017年はリーグで途中出場、ACLで先発出場という形が多かったとは言え引き続き出場を重ねましたが、ミシャ監督が解任され堀孝史監督が指揮を執ると、そこから出場機会が激減。
  2018年にオリヴェイラ監督にバトンが渡されてもその状況は変わらず、最終節で2得点を挙げ存在価値を示したものの、シーズンオフに契約満了を告げられ、その後オファーのあった横浜FMへ完全移籍となりました。

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  J1で二桁得点を3度記録し、A代表選出や欧州クラブ在籍など実績豊富な上に、09〜11年にはミシャ監督の下でプレーしていた事もあり、本来なら加入時の期待は高くなるはずだったのですが、当時の浦和は所謂ミシャの息子と言われる選手を複数人獲得する傍ら、生え抜き選手達の放出が目立ち一部ファンから批判的な目を向けられていた時期であり、李自身も複数回移籍していた事から懐疑的な意見も少なくない入団となってしまいました。
  そんな中で14年第2節に、あの忌まわしき横断幕事件が発生。首謀者達がどんな意図を持ってあの横断幕を掲示したのかはわかりませんが、在日朝鮮人である李にとって、あの横断幕によって負った心の傷が決して浅くなかった事は想像に難くありません。そんな事件の影響もあったか、個人的には李があまり浦和に馴染めていない(飽くまでピッチ上でのプレー面のみの印象)ように見受けられ、途中から出場してもイマイチ気持ちも入っておらず印象に残らない選手という感すらありました。
  しかし李自身が述懐するように、2015年中頃から意識を変えたのが好転してか、この年の終盤から見違えるように動きも良くなり、結果を出すようになりました。プロサッカーの世界は、結果を出さなければ評価されにくい世界であり、悪評をプレーでひっくり返すという事は言葉で表現する程簡単ではありません。
  それでも李はそんな低い評価を自身のプレーで見事ひっくり返し、2016年以降は逆に多くのサポーターから信頼される存在になりました。

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  そんな李が何度も口にしてきたセリフに「自分がヒーローになるんだという想いで戦いました」というものがあります。FWはゴールを決めるのが仕事であり、そのゴールでチームを勝利に導ければ自分はヒーローになる事が出来ます。そしてそれを何度も実現したのが李忠成という男でした。
  先述の15年天皇杯では「自分の大会にしたい」と宣言。チームは決勝で敗れ準優勝に終わったものの、李は決勝以外の全試合でゴールを挙げましたし、翌年のルヴァンカップ決勝では起死回生の同点弾で優勝を手繰り寄せ、文字通りヒーローになりました。口にする事で自らにプレッシャーを掛けると共に、想いを言語化する事で目標をより明確にし、その目標の為にプレーする。強靭な精神力と強い意志がなければ出来ない荒技ではありますが、これが出来る李だからこそ彼は浦和サポーターにとってのヒーローとなり得たのでしょう。

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  李のコメントを信じれば、クラブは李に対し契約延長の意思を示さなかったと考えられます。この決断に一部から批判もありますが、33歳と決して若くない年齢に加え、今季は後半以降の途中出場から1得点も奪えておらず、能力自体はあれど本人の事も考慮すれば、この決断自体は決しておかしい事ではないと思いますし、それを理解しているからこそ、李は最後のコメントでも浦和への愛を綴ったのでしょう。
  マリノスは今オフにウーゴ・ヴィエイラと伊藤翔という主力FW2人が退団し、実績あるFWの獲得が急務の状況でした。そんな中で白羽の矢が立ったのが李でした。今季最終戦では、長い時間の出場であれば得点を奪える事は証明されており、マリノスの新エースとして名乗りを上げる可能性は十分にあるでしょう。
  浦和を愛し浦和の為に骨身を削る想いで戦ってくれた李との別れは、正直申し上げて寂しいの一言です。それでも李は新たな挑戦に進むべく歩み始めました。我々も李との思い出を胸に、前に踏み出さなくてはなりません。そうすればきっと我々も李もさらに強くなれる気がするのです。