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プロフィール

そらお


創立10周年に寄せて

2011年04月16日

無涯塾創立10周年に寄せて 12

〜居合道〜

無涯塾創立十周年おめでとうございます。
 私が居合を始めようと思ったのが、「何か、心を鍛える武道をしたい」という思いがありました。
 そのような中で、居合という武道を、この無涯塾ブログにより知りました。
 実際に無涯塾での稽古では、最初に神座の礼により始まり、始めの刀礼を行います。礼を行うことにより、身が引き締まる気持ちになります。
 また、静かな中で、同じ型を一つ一つ正確に繰り返す動作は、他の武道にない緊張感があります。断続的に行うことによる洗練された動作は、とても魅力があります。
 最後に、廣瀬師範より無涯塾の精神として、「自力弁道」「大悟」の言葉を教えていただきました。今後は、この言葉を目標とし、居合を通じて、精神鍛練に励みたいと思います。
                        無涯塾 T.K


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2011年04月09日

無涯塾創立10周年に寄せて 11

〜居合道との出会い〜

 夢想神傳流居合道「無涯塾」創立十周年おめでとうございます。
 私が居合道と出会うきっかけとなったのは、子供が剣道を始めたことです。共に剣道を始めようと考えましたが、周囲より剣道と深い繋がりのある居合道を紹介され、次第に興味を持つようになりました。その後見学に伺い、廣瀬師範、長澤先生をはじめ塾生の迫力ある演武を目の当たりにし、即入塾することを決意いたしました。
 現在、入塾してから約半年が経過いたしました。その間、日頃の稽古や廣瀬師範のお言葉を通じ、型(技)をはじめ、礼節を重んじる「武道」の精神や、社会人としての模範となるべき姿を教えて頂きました。
ご指導頂いた先生や先輩方に改めて心より感謝申し上げます。
先輩方に少しでも近づき、迫力のある演武が出来るよう日々精進してゆきたいと考えております。
今後とも「無涯塾」の一層の発展を心より祈念申し上げます。
                        無涯塾 K.Y



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2011年04月02日

無涯塾創立10周年に寄せて 10

 私が初めて居合道と出会ったのは、大学に入学した春でした。初めて富山を離れ、知らない土地で知らない人たちに囲まれたとき、不安を感じながらも、私の心は目の前に広がる新生活への期待でいっぱいでした。そして縁があって、居合道部に入部。それまで中学、高校と6年間卓球一筋だった私が居合道をはじめるに至ったのも、今思えば新しいことへの好奇心から始まったように思います。

 

 こうして居合道をはじめたのですが、いざ足を踏み入れてみると、はじめは戸惑いの連続でした。初めての礼儀作法や、点数で決まらない不安定な勝敗、練習していてもこれで良いのかどうか自分ひとりではさっぱりわからない。はじめたころは、むしろ居合道をはじめたことを後悔していたように思います。

 

 しかしながら、週に3日、いつも同じ時間に同じ部員たちと練習をし、夏には4泊5日の合宿を経験するにつれて、ともに稽古に励む仲間たちを家族のように思えるようになり、稽古に行くことが楽しみになってきました。道場にいけば、ともに稽古に励む同回生がいて、惜しみのない指導をくれる先輩たちがたくさんいます。そうこうしているうちに稽古の頻度が増え、稽古量が増えるにつれて居合の技も上達し、どんどん居合が好きになっていきました。

 

 それから数年、今思い返せば楽しいこともつらいことも含め、私の頭の中には常に居合と居合道部のことがあったように思います。ときには自分の居合の方向性がわからなくなったり、稽古に対する自分の姿勢に疑問をもったり、思い悩むことも多々ありましたが、全ては自分自身の成長の糧となってくれたと思います。

 

 このようにして居合をつづけてきたなかで、私が居合道をつづけるうえで最も大切にしたいと思うようになったことがひとつあります。それは「人と人とのつながり」です。一緒に稽古に励む仲間や先生がいるからこそ成長でき、居合は楽しくなります。人の居合を見ることで自分の居合をさらに磨くことができます。人と会話をすることで自分の居合を深めることができます。ともに稽古に励む先生や仲間がいなければ、必ずどこかで行き詰ってしまうと思います。

 

 私は昨年の春から、縁があって無涯塾の一員として稽古させていただいています。

無涯塾の稽古では、熱心に稽古に励む塾生の方々や親身になって指導してくださる先生方がいらっしゃるため、私も緊張感をもちつつ、楽しく稽古に励むことができています。

社会人になってからは稽古量がめっきり減ってしまいましたが、無涯塾のみなさんと一緒に稽古できる時間を大切にし、これからも稽古に励んでいきたいと思います。

 そして、お互いの成長を本気で思い、高めあっていけるような良い関係をこれからもっと築いていけたらいいなと思います。
N.S



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2011年03月26日

無涯塾創立10周年に寄せて 9

 創立十周年おめでとうございます。

 私は、平成2011月頃に仲間に入れていただき、早いもので2年余りが過ぎました。この間、「自分のような者がついていくのは、なかなか大変だな」と感じることもそれなりにありましたが、(そして現在もないわけではないですが、)廣瀬先生のご指導はもちろんのこと、塾生の皆様の励ましのおかげで、何とか今日まで続いております。本当にありがとうございます。

 さて、昨年の新年会で、廣瀬先生から「五徳で立つ」というお話がありました。(このブログ(2010116日付け)にも掲載されております。)

 (以下引用)娑婆世界を見渡せば、暗いニュースが蔓延し、不景気で、不安定なことばかりの昨今であります。こんな時代で有ればこそ、私が長年信条としてきた「五徳で立つ」と言う事が参考になればと思いお話をします。

 即ち「智」「仁」「勇」の類のものではなく、火鉢に入れて鉄瓶などを載せる三本足の輪のことを指します。

 謂わば「人生を三本足で歩む」ということで、

 

一本目の足は、「健全な家庭」という足。・・・和

二本目の足は、「安定した職」という足。・・・収入の基盤

三本目の足は、「人間形成の居合道」。・・・心身の鍛練

 

 この三本の足でバランスを取れば、多少の波風位では揺らぐ事はありません。

今年も「風吹ケド動ゼズ天辺の月」の心境で頑張りましょう。(引用ここまで)

 

 このお話、皆さんはどのようにお感じになられるでしょうか。

私の場合、恥ずかしいことに、20代、30代を通じて、そもそも「心身の鍛練が必要」という意識がほとんどなく、今さらながらとても反省させられました。(その点、若い塾生の皆さんは立派だと思います。今後の人生で「私と仕事のどっちが大切なの?」と聞かれたら、迷うことなく「居合!」と答えましょう。)

話を戻しますが、私は、「不器用な自分が何とかここまでやってこられたのは、家族や仲間の支えがあったらばこそ。心身の鍛練の方も、せっかく良い先生や仲間にめぐり逢えたのだし、少しずつでもいいから、せめて稽古できる機会を大切にしよう。」と考えました。そこで、「稽古をできるだけ休まないこと」を第一に心がけております。業の方は相変わらず課題山積ですが、最初の余裕のなかった頃に比べると、稽古を続けるための工夫をするようになったり、行き帰りの道中の景色や人の流れなど、いろいろな物事にも目を向けるようになったりして、本当に得難い経験をさせていただいております。今後ともどうぞよろしくお願いします。

最後に、昨年、居合のおかげで思わぬ副賞(英検準1級合格(でも喋れません。悪しからず。))をいただきましたので、この場を借りてご報告します。2次面接試験(凌雲館大会の日でした)の時は、これまで受けた昇段審査並みにとても緊張しましたが、自分も頑張らねばと思い、何とか最後まで食い下がることができました。この1年間、NHKのビジネス英語を録音して通勤時に聞き、分からないなりに口パクで稽古したことが奏功したようです。そこで出会ったTheodore Roosevelt(26th U.S.president)の(居合の雰囲気が漂う)言葉で締めくくりたいと思います。ありがとうございました。

Do what you can, with what you have, where you are.

(自分にできることを、自分が持てるものを用いて、今いる場所でやりなさい。)


                            鷲本洋一


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2011年03月19日

無涯塾創立10周年に寄せて 8

〜居合を学び始めて〜

 十周年おめでとうございます。
 私は、中学校時代に剣道をしていました。大学に入学してもう一度剣道を続けたいと考えていたとき、この居合のホームページに出会いました。武士道の本質を捉えている居合について書かれている記事に心動かされて、見学させていただき、廣瀬先生からもいろいろとお話を伺い、入塾致しました。H先輩はきれいな名刺を作って下さるなど、先輩の方々にもいろいろと教えていただいております。

 私は居合の本当の初心者ですが、同じ技を何回も繰り返して練習し、その奥深さのほんの入り口を垣間見たような気がします。先生や先輩方の教えて下さることを忠実に守り、精進していきたいと思っております。

 未熟者ですがこれからもご指導を宜しくお願い致します。


               無涯塾 E.

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2011年03月12日

無涯塾創立10周年に寄せて 7

 無涯塾創立10周年おめでとうございます。

 習い初めの頃は納刀が難しく、自分にはセンスがないと大変悩みましたが今はなんとか人並みにできるようになり、努力をすることの大切さを感じました。このような私でも頑張れたのは、無涯塾の塾生の方々は大変熱心に稽古に励まれる方ばかりで、さらにその人に会った丁寧な教え方をされるので大変雰囲気の良い環境であり、そのおかげだと思います。そしてこれも廣瀬師範の情熱と人柄が塾生に伝わっている結果だと思います。

 私にとって居合とは技術だけ磨いていけばいいというものではなく、人格、教養を同時に身につけていかなければならないものだと思っています。現在、私の目指す居合人は人格、教養、技術を兼ね備えており、常に次の目標を持っていることです。そして居合を学ぶことによって今までの歴史を振り返る、つまり、昔の居合人や武士の生き様を体験してそれを自分のこれからの生き方の参考にしていくことが大事だと思います。

 居合と出会ったことが自分をより成長させてくれることは間違いありませんので、これからも稽古に励んでいきたいと思います。
                                 I



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2011年03月05日

無涯塾創立10周年に寄せて 6

〜私が居合から学んだこと〜 


 無涯塾創立10周年、誠におめでとうございます。心よりお慶び申し上げます。この良き日を迎えるにあたりに、無涯塾が居合の振興・普及に貢献され今日の御隆盛を成し遂げられたのは、ひとえに廣瀬師範ならびに長澤先生の優れたご指導によるものと拝察いたします。今後もより一層のご発展を陰ながらお祈り申し上げ、お祝いの言葉に代えさせて頂きます。


 さて、ここで、私と無涯塾との出会いについて少しばかりお話しておきたいと思います。

私が、無涯塾の門を叩いたのは2年前のことでした。戸外には粉雪が舞い、路傍にできた車の轍が、あっという間に白く塗り替えられるほど凍てついた寒い冬の日、私は婦中道場で初めて居合を見学しました。

 一歩道場に足を踏み入れると、冷え切った板の間の感触と静寂な空気に圧倒され、物見遊山でやって来た自分を悔やんでいました。しかし、しばらくすると、初めて見る胴着や刀に目を奪われてゆきます。

神前の礼の後、袴を払う衣擦れの音、床を踏む音、息遣いだけがこだまし、刃風が宙を切り裂くと、辺りは再び元の沈黙に包まれる。これまで柔和に対応してくれていた塾生たちの表情も、剣気を漲らせ精悍な顔に変わってゆきます。そこにあるのは、静と動、陰と陽、永劫と刹那の狭間にある極限の世界。私は、目の前に繰り広げられる異様な世界に息を飲み、足の冷たさなどとっくに忘れ、演武に心を奪われてゆくのを感じました。

私は、それまで様々なスポーツを楽しみ、中でも山に関するものは愛着が深く、四季を通じてその恩恵に授かろうと、山へ日参していて時期もありました。
 しかし、当時は学生という身分のため、山を楽しむ時間もなく、かと言って家に閉じこもるのは嫌だと考えていたので、手軽に楽しめる何かを始めたいという単純な動機から居合を選んだのでした。
 ただ、武道という分野は全く経験がなく、また環境においても遠い存在でした。

自分と居合を結び付けたきっかけは、暇をもて余していた時、本で読んだ時代小説にあります。藤沢周平が描いた武士には、無骨で朴訥、自分に分がなくとも正義を貫こうとするストイックなまでの生き様があり、そんな武士の義勇に憧れを持ったのです。勿論、見学の後、翌週には無涯塾の稽古に参加することになりました。


今日まで居合を続けることができたのは、居合の魅力と無涯塾の素晴らしさにあると思います。

心の時代が叫ばれる現代において、人々が勤労に励みその対価として得ようとする物は、殆ど物質的な欲求を満たすものばかりです。しかも、長い歳月をかけて鍛練し獲得する価値よりも、ノウハウの活用が効率的であるとして、早く簡便に表面的な技術を習得することの方が尊ばれるようになっています。だがそこには価値ではなく、自己表現の巧みさだけが評価され、コツコツとひとつのことを積み重ねやり遂げることの素晴らしさは失われているのではないでしょうか。
 私は、終わりなき底なしの豊かさを追求するこの時代において、最も重視しなければならないのは、想像力であると考えます。まず、師の教えの下に、外から知を構築する基礎を積み上げてゆく。そして、そこに自分の内面から湧き上がる自分らしさを自身の力で育てる。これが、自分らしさの再発見であり、想像力であると考えています。

私たちは日々生活している中で、仕事や家庭等における様々な場面で、自分らしさを失いそうになることがあります。それは、他者の期待に沿おうとするプレッシャーであったり、自己を固辞しなければならない社会通念であったり、あらゆるストレッサーによります。そんな時、自分を見つめる片時の時間があれば、自暴自棄にならずに済み、より充足された心の安定が得られると思います。
 居合は、私に、自己の内なる声に耳を傾ける時間を与えてくれました。また、他人に対する礼儀の大切さを教えてくれました。稽古後の爽やかな疲労感が、本来の自分を取り戻すよい契機になり得たのです。

また、年齢も職業も居合のキャリアもまったく異なる無涯塾の面々は、初心者の私にも丁寧に指導して下さるだけでなく、困った時には親身になって接していただき、とても感謝しています。こんなエピソードがあります。

昨年秋の昇段審査の際、突然の腰痛に襲われ、立つことも歩くことも儘ならない私を、塾生の皆さんは大変親切に面倒を見てくれました。自分の審査が迫っているのにも関わらず様子を案じて下さったことに、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、皆さんのお陰でようやく最後まで会場に留まることができました。この場をお借りしてお礼申し上げます。本当に有難うございました。

無涯塾は、皆さんが幅広く社会的役割を担う人々の集まりで、多種多様な価値観によって形成された組織です。しかし、居合においては指導者と指導される者という所謂キャリアによって、その位置づけや求められることも違ってきます。上段者の方は言うまでもなく自己研鑽と指導力が必要になり、一方、入塾して日の浅い方はそれを受け止めることが必要になります。
 このように自分の立ち位置は、相互に一致した目標があるから容認されるものであり、たゆまぬ稽古で培われるものだと思います。私は、この年代になって初めて初心に帰るということの素晴らしさを知りました。これからも多くのことを吸収し、時間をかけて自分らしさを磨いてゆきたいと考えています。


最後に、無涯塾創設者である廣瀬師範におかれては、今後ともご健康に留意され、ご指導ご鞭撻を賜りますよう重ねてお願い申し上げます。また、長澤先生には、出来の悪い塾生ですが、今後ともご指導を宜しくお願いたします。更に、無涯塾塾生の方々には、これからも居合を頑張ってゆきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。

                   羽柴倫子



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2011年02月26日

無涯塾創立10周年に寄せて 5

〜居合との出会い〜

創立十周年おめでとうございます。無涯塾がますます発展されることを、心よりお祈り申し上げます。

 渋川流剣詩舞道、天黎会会長 野島天黎先生指導のもと、剣舞を始めた私。「刀の使い方の基本を学ぶことが大切」と、居合を進めて下さいました。剣舞では、気迫・剣技・美・表現力などが求められ、刀の使い方の基礎も分からずに舞っている姿には、あまり感心しません。その剣舞が縁で、廣瀬師範に初めてお逢いしたのが、八人町公民館でした。

 刀の持ち方、抜き方、納刀の仕方などを教えていただきましたが、なかなか思うようにはいかず、師範の所作、礼法、刀に対する尊敬の念等が、私自身の心を揺さぶったのです。

 実際、稽古に参加してみると、凛とした静けさの中、常に、緊張感を漂わせている教場。厳しさの中にも、優しい眼差し、包容力、気迫を感じさせる師範の姿があり、塾生みんなの細部にまで適確に指導をして下さる師範の熱意に答えようと真剣に取り組んでいます。

 私もその仲間に入れて頂いたときは、緊張と不安でいっぱいでした。今では、とても楽しくお稽古させていただいております。

 心身の若々しさがもたらすものの一つに、日々の充実感がある気がします。好奇心が縁を呼び、さらに楽しみが増えてゆく。私にとっては、とても大切なことであり、「居合」が生活に巾を持たせ、充実した生活の基盤になっているといっても過言ではありません。「居合」の技や楽しさも少し分かってきたようですし、「剣舞」の動きにも余裕が出てきたような気がします。

 まだまだ未熟ではありますが、今後も一層努力してゆきたいと思っています。


               無涯塾 池田瑞代



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2011年02月19日

無涯塾創立10周年に寄せて 4

〜日本刀と居合〜

 私が居合を始めるきっかけは、何年か前に水墨美術館で日本刀を鑑賞する機会があり、それから日本刀に魅了され、「いつか機会があれば、自分でも一振り求めたいな」との思いを強くしていました。

ある日、古美術商に行って日本刀を見せてもらい、手にとってみると、ずっしり重い手ごたえ。鞘から抜くと真剣が青白く光り、背中がぞくっとして「日本刀のなにも知らない者が、軽々に所持するもんじゃないぞ。まして、床の間なんかに飾って鑑賞する、掛け軸と一緒にしないでくれ」と言っているように思い、買うのを躊躇してしまいました。

 若い時はスキューバや野球、スキーを楽しんでいたけど、今はせいぜいゴルフぐらい。多少物足らなさを感じていました。

 なぜ自分が、今頃そういう心境になったのか、これも還暦になり心境の変化なのか、日本刀を通じて自分を見つめ直す、いい機会かなとの思いがありました。

 ある日、書店に行き、剣道の本を見ていると、そこに居合道が書いてあり、「あ! これだ」 居合であれば日本刀を身近に使っているなと思い、それから色々調べ「富山de居合」を見つけ、平成22年4月に無涯塾に入塾して、廣瀬師範や長澤先生を知り、良き諸先輩方に出会い、楽しく居合の練習をしています。

 今の自分から、居合のない生活は考えられません。週に一回は日本刀を手にしています。でも、まだ私のやつは模擬刀ですが、一日も早く日本刀の心を知り、真剣を使って練習したり、演武が出来るように精進して、夢想神伝流の居合の精神を学んで、その先、自分になにが見えてくるのか楽しみです。
              無涯塾  山本 護



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2011年02月12日

無涯塾創立10周年に寄せて 3

 居合いと他の武道との決定的な違いは、他の武道が相手を「制する」(倒す)のであるのに対し、居合いは「殺」(斬る)であることだろう。
 それはこちらも「斬られる」ことをも意味する。そこには曖昧さやためらいはない。まさにそこに一瞬の、しかし、最高度の緊張があり、覚悟が必要であり(これは日常から死生観をもつということでもあろう)、また普段からの技の修業・鍛錬が前提となる。
 こうした人生観や世界観につながる意識こそが居合いの真骨頂であると思える。
 これらを廣瀬師範は日頃から何気なく教えてこられたし、私も気づく限りは先生のお人柄やまた一言一言から学ばせていただいた。もっともそのうちのどれだけをわが身のものとして学べたかははなはだ心もとない限りであるが・・・。
 演武を見て、その美しさに感嘆するときがあるが、この「殺」がしかし、もっとも完璧なときに「美」であるというのは居合いの驚異であると同時にまたしかし、当然の理合いでもあろう。
 居合いの奥深さは、それが究極にまで研ぎ澄まされた「武」と「美」と「精神」を合わせ持つことにあろう。それを無涯塾で知り、学んだ。
 居合いは何も刀を持っているときだけが居合いではあるまい。一つ一つの挙措振る舞い、歩みの一歩一歩、礼法に代表される人や物や神前に対する「恭しさ」の感情、つまり、日常の行住坐臥、そこでの立ち居振る舞いにも「居合い」は息づいている。それもまた廣瀬師範から学んだものであった。
 十年はあっという間であるが、「継続は力なり」で、いつかまた少しづつ上達したいと願っている。無涯塾が今後も発展されることを祈願しております。

                      N.S



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2011年02月05日

無涯塾創立10周年に寄せて 2 

 無涯塾創立十周年、おめでとうございます。

 記念すべき時期に無涯塾の一人として参加できた事を嬉しく思います。

 私の、無涯塾との出会いは、三年前、情報紙に掲載されているのを見つけ、武道館に見学に行ったのが始まりで、実際に、日本刀に触れ、刀の重さを感じ日本刀の魅力に取り付かれたのだと思います。

 人生初めての習い事で、今思えば、凄い行動力が伴ったと自分なりに思うところです。

 過去に、他人から指導して貰う機会も少なく、それまでは、我流で器用に振る舞って来た私ですから先生、諸先輩がたからの細かな指導には、抵抗を感じる事も有り、稽古で、「自分の好き勝手に遣らしてくれ」と思った事も幾度も有りましたが、しだいに快感にも似た楽しみにと変わっていきました。

 廣瀬先生、長澤先生、塾生の方々にいろいろと教えられながら三年の月日が経ちました。

まだまだ、始めたばかりですが、私自身大きく変わる事が出来たと思います。居合を通じ、多くの事を学び、私自身、日々精進切磋琢磨して行きたいと考えています。

 これからもご指導の程よろしくお願いします。
            
            無涯塾塾生 浦元孝張



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2011年01月29日

無涯塾創立10周年に寄せて 1 廣瀬師範 第4章 完

8.好きな格言
*ここで、「無涯塾の武士」の皆さんに私の好きな格言を紹介する。なにか得るものがあれば幸甚です。


格 言1

 歩くときは歩く事に徹せよ

 食事するときは食事になりきれ

 お茶を飲む時はお茶になりきれ

 災難に遭うは災難に遭うがよく候

 死ぬときは死ぬがよく候

居合をするときは居合になりきれ

 

*次も私が理想としているもののひとつである。


格 言2

 金を失うことは 小さく失う事だ

 名誉を失うことは 大きく失う事だ

 しかし

 やる気を失う事は 全てを失う事である

ウイストン・チャーチル(故・英国首相)

 

 *最後にお金の話をもう一つ紹介する。


格 言3

 昔、私の知っている剣道・居合道の大家、某先生は、ある会社の社長をされていた。

私は、先生のお言葉で忘れられず、今でもそのことを実践していることがある。

それは、先生曰ク、

「商人にとってお金は武士の刀のようなものである。真の武士は己に刃<やいば>を向けられたときはじめて身を守るため刀を抜く。無闇に刀を抜いて人を脅したり、斬付けたりはしない。商人もまた、お金はふりかかる災難から我身を守るために使うのであって、非道に使ってはならない。それが正しい活きたお金の使い方で、活きたお金は決して汚いものではない。お金も剣も正しく使うことだ」

であった。

 正しく居合道の真髄、『袈裟の一太刀』の精神である。


9.むすび
 塾生の皆さんは、私の先生だと思っております。皆の業を見るとき自分の通ってきた道を思い出し学ぶことが多いのです。業ばかりでなく人間性に於いても教わることが沢山あります。今後とも皆さんのご高配をお願いするものであります。

何度も申しておりますが、仕事(収入)と家庭(和)そして居合(心身練磨)の三本足を大地にしっかりと着けて、娑婆世界の荒波を乗り越えて行きたいと思う。3点支持は強い。滅多には倒れない。この3本足に文化を加えると一層味ある人生になろう

 神仏を崇め、礼儀を尊び、家庭を愛し、職場に惚れ、居合に惚れ、塾に道場に惚れ、刀には畏敬の念、そして師を敬い、仲間を思いやり、自分に惚れようではないか。

 長々と述べてきたが、文底を覗き見て、「無涯塾」の考えや目指すところはお解かり戴けたことと思います。

 但し、このことは決して塾生の皆さんに無理強いするつもりは毛頭ありません

どうのように理解されても構いませんが、夫々が己を知り、立派な「無涯塾の武士」でありますよう願っております。

 これを以って、「無涯塾」設立10周年に当り私の所信と致します。 了

(来週からは、塾生による寄稿文となります)



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2011年01月22日

無涯塾創立10周年に寄せて 1 廣瀬師範 第3章

 もうひとつ、刀の凄さを述べておこう。
 東京駅前にある東京中央郵便局近くに、三菱グループが所有する「養和会・三菱道場」があった。道場中央に三菱四代目・岩崎小弥太翁の、「寂然不動」の揮毫額が掲げられ、威厳に満ちた雰囲気に私は緊張した。【寂然不動=ひっそりとして、そして何物にも動じない本来の姿】

 昭和6111121986から三日間開催された、武講同窓会主催「居合道練成会」の稽古中事である。〈全剣連居合を制定居合と言い、制定居合のときは下緒を外した時代の話〉

 総指揮は紙本範士九段、主席講師は富ヶ原範士八段、以下長澤正夫・石堂定太郎

・小島高昌・草間昭盛・上野貞則・鈴木一といった錚錚<そうそう>たる先生方である。

当時五段だった私は、範士、教士の先生65名の中に入らせてもらい錬成に加わった。

受講者も大物ばかりで、大阪の山口礼一範士八段や、大称一郎・岩田憲一・稲村栄一・佐藤彦四郎・佐藤徳四郎・奥田富蔵先生ら、雲の上の大先生達である。

 そんな緊張のなか、2日目の午後、十本目四方切りのとき、私の右斜め前にいた北海道の某先生が四人目の敵に切り付けようと刀を受流しに振り被ろうとした所へ私の物打ちが<バシッ>と落ちた。当時の解説書には、十本目の「脇構え」や「一重身」の   文言はなかった。原因は、相手との間<時間の間・距離の間>が取れなかったのである。

 刀と刀がぶつかり合うと時代劇の様に<ちゃりん>とは鳴らないもので<バシッ>と鈍い音がする。この<バシッ>で稽古は一時中断したが、紙本先生の号令で即座に稽古は再開された。

切り込みの為刀が、頭上から離れるともう途中で止めることは難しいものだ。

 休憩時間に北海道の某先生の刀を拝見した所、刀身の中程鎬部分にくっきりと私の打込んだ刀傷が線状に走っていた。力いっぱい振り下ろした私の刀には刃毀れはなかつた。

剃刀のように髭さえ剃れる鋭利な日本刀を手に、私は日本刀の物凄さを体験している。

 この時私は、尿管結石を患い排尿不能。油汗を掻き、痛さをこらえての参加だった。

稽古が終りホテルで、結石が出た時の喜びは今も忘れられない。

 ここで本論。模擬刀で居合をしている諸君に申し上げる

模擬刀といえども決して粗末にしてはならない。真剣ではないけれど模擬刀を使って居合を習う以上、模擬刀に対する礼儀と感謝、畏敬の念がなくてはならないと思う。

無涯塾の武士は、模擬刀にたいしても真摯な気持ちで向き合ってもらいたい


7.八正道と礼儀

 「無涯塾の武士」は、忘れがちな「八正道」を時折思い出して欲しいと思う。

 野球でお馴染みの元楽天の監督・野村克也氏は、『勝者の資格』という著書の中で次のように述べている。

「礼儀と恥を知らない男は人間の屑」と、喝破<かっぱ>している。

礼儀は挨拶と共に社会生活を円滑に営む上で大事な基本である。その基本が出来なくて居合道などもっての他である。

 礼儀を形で表したものにお辞儀がある。お辞儀をする場合、神前や刀に対しては恭 <うやうや>しく、丹田に精を込め、息を静かに吐いて肩の力を抜き、腹の底に畏敬の念を抱いて伏すのである。すると、畏敬の念は形となって表に顕れ、見る人の心を打つのである。軽々しくお辞儀をするは失礼千万この上ない。

 先生や先輩、同僚、後輩に対しても然り、心の籠った愛あるお辞儀をしたいもである。

要するに孔子の目指す道、即ち「忠恕」<ちゅうじょ>である。忠恕は真心と思いやりの真の愛である。

 礼儀について考えればまだまだ身の回りには沢山ある。

貰ったら返す、人の面子をつぶさない、人を傷つけない等であるが、釈迦の実践徳目の八正道<はっしょうどう>注目すれば私達の生き方の基本がそこにあることに気がつく。
1. 正 見(しょうけん)=正しくものを観る
2. 正思惟(しょうしい)=正しく理<ことわり>を考える
3.正 語(しょうご)=正しい言葉を口にする
4.正 業(しょうごう)=正しい行いをする
5.正 命(しょうみょう)=正しく心を集中し安定させる
6.正精進(しょうしょうじん)=正しい目的に向かって努力する
7.正 念(しようねん)=正しい念<おもい>で無我無心になる
8.正 定(しょうじょう)=正しい生活をする

 

武蔵の八正道

 宮本武蔵は、播磨の国で生を受け、十手の名人だった新免家の養子となる。十三歳の折、新当流の有馬某と勝負して勝ち、二十一歳のとき京の吉岡一門を破り、二十九歳の砌、佐々木小次郎を破るまで六十数度の真剣勝負行ったが一度も負けなかった。

晩年、武蔵は兵法の道を外に求めたが、求める心が兵法の理であり、道であると悟る。

 寺山旦中氏によれば、剣聖宮本武蔵も、『兵法を行う法』として次の九っを挙げている。(  )内は私たちの居合に対する心がけ。
1.正しく思うこと(心正しい居合をする)
2.道を鍛錬すること(身も心も業も練磨する)
3.諸芸を行うこと(神伝流だけでなく他流も研鑽する)
4.諸職を知ること(伝書を読み、解説書を理解し、他武道も学ぶ)
5.判断力をつけること(進んで難事に数多く直面し力を養う)
6.目利きになること(居合を通し本質を観る眼、人を観る眼、心を観る眼を養う)
7.見えぬところを観ること(何も無い所を見る。間を見る。裏を見る。陰を見る)
8.小さなことにも気をつけること(小事は大事に繋がる)
9.役に立たぬことはせぬこと(無駄を省け。車のハンドルのあそびは無駄に非ず)
経済的な無駄は、文化芸術面では無駄とは言わない。

 
(紙面の都合上、来週に続きます)



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2011年01月15日

無涯塾創立10周年に寄せて 1 廣瀬師範 第2章

6.日本刀

 冒頭に述べたが、私は日本刀に見る威厳や威信ある「無涯塾」にしたいと願っている。

私の後、「無涯塾」を継いだ人達の努力よって何十年掛かろうともである。

 日本刀は、剃刀のように鋭利で、柳の木の様に柔らかさを兼ね備え持つ神器である。

世界に剣といわれる物は沢山あるが、鋭利で柔と軟を併せ持つ剣はない。

そして誰が見ても<ぞくっ>とした美しさを感じるのである。

 米国の剣友・Michaelなど、イリノイ州KOBUDOUKANの弟子達も日本刀には特別な想いがあるようで、我々日本人以上に刀に対し、神秘的な美を感じている。神秘的な刀は美しい。美しい刀はよく切れるのである。

彼等は感覚として、「美しい・即よく切れる」ということを、直感しているようだ。

誰もがその美しさに神性を感じるようだ。

 謂うならば、「無涯塾」を皆の力でキラリと光る集団にして欲しいと思っている。

 

 日本刀は、古い鉄である昔の錠前や釘等と砂鉄を合わせ玉鋼にする。それに松炭で火を熾<おこ>し、ふいご(タタラ)を使って熱を加え、折り返し鍛錬を繰り返し、古い鉄と新しい鉄(砂鉄)をバランスよく結合させる。何度も行われる折り返し鍛錬で玉鋼の中の不純物を弾き出すのである。

 折れるのを防ぐ為、中心の芯鉄には柔軟な純鉄、外側を折れない為に硬い鋼で包む。焼をいれ、波紋が入り、砥師によって研がれ、ハバキ、縁金、柄、鍔、鞘と、拵が設えられる。沢山の行程に沢山の職人が携わり、やっと一振りの刀が出来上るのである。

 

「無涯塾」も十年間、「折り返し鍛錬」を繰り返してきた。そこで不純物を弾き出して来た十年の節目を迎え、漸く玉鋼の体をなして来たかのように思われる。あとは更に鍛錬を怠ってはならない。みんなが自からを鍛えるため、折り返し鍛錬をすることで個々も強くなり無涯塾は更に進化し発展することであろう。
 横道に逸れるが、刀がいかに鋭利で且つ柔軟なものか私の体験談を話そう。

 

 私が真剣を使いだしたのは昭和529(1977、居合道三段になった頃である。

真剣を持った嬉しさから何か物を切って見たくてしょうがない気持が高まった翌年春の午後、氷見と石川県羽咋の境、三尾という地をを通りかかったときのことである。

 道端の農家から田んぼに続く細い脇道に、直径三寸余りの孟宗竹<もうそうちく>が行く手を阻むように立っていた。どの竹の先端にも竹の子のとき覆っていた斑模様の皮を頂いたままだった。

 車から降り、見事な竹を見上げていると、茅葺の家から出て来たお婆さんが屈んで、邪魔だとばかりに、道の真中の孟宗竹をゴシゴシと切りはじめた。お婆さんに近づき竹を切らせて欲しいと頼み込んだ所、二つ返事で承知してくれた。

 お婆さん曰ク、道に生えた竹は一輪車が通るのに邪魔だとか。偶々居合の稽古日だったので車のトランクに稽古着と真剣一振りを入れていた。

 私は、二尺五寸の真剣の鞘を払い件<くだん>の竹に正対した。

 両足をしっかり地面に固定して、上段から右斜め袈裟に刀を振り下ろした。竹は、「ぽん」と軽やかな音を発し、倒れずそのまま立っていた。

民芸玩具の達磨落しもどきである。手で押して竹は、<バサッ>と音を立てて倒れた。

 瞬時、刀が竹の胴を袈裟に抜け、そのときの手の内の感覚は、ゴルフでナイスショットを放ったときのような心地よいものであった。今でもこの手の掌がそれを覚えている。

斬った竹が倒れずにいるのを見てお婆さん、何事が起こったのかとびっくり顔。<むし>ろ、びっくりしたのは刀を振り下ろした私の方だった。

まるで時代劇映画、『眠狂四郎』の竹薮でのワン・シーンを再現したようなものだった。 

「これは面白い」

気分は高揚し、全身に力が漲り、二、三歩前へ進み、次の竹を袈裟に切り付けた。

ところが物打ちは、竹の中心から左へ一寸程喰い込んで止まり、刀は抜けなくなってしまった。

右手で刀の柄を持ち、左手で切り損なった竹を左に押し開くと、<バシバシ>と鳴り、孟宗竹はささくれ、竹薮の方にバサバサッと放物線を描いて倒れた。

打ち込んだとき手首に<ビーン>と痺れるようなショックを受け、手首の芯が痛かった。

 以後何本切ってもジャスト・ミートの感触は得られず、刃筋が通っていただろうか、無駄な力が作用して物打に力とスピードが乗らなかったのだと思い直し、何度も挑戦したが駄目で、ササクレだった半殺しの孟宗竹が腰の高さで幾本も残った。

 写真の切口を見て今考えると、気持が昂<たかぶ>り冷静さを欠いて左手と右手の力の入れ方、即ち、手の内の握り加減に問題があったようである。

 しかし、七本の太い孟宗竹を切ったのだが刀の刃毀<はこぼ>れは全くなくなかった。

余談だが刃毀れ話をひとつ。重信流は、敵が打込できた刀を刃で受け止め、なやす。この場合刃と刃が噛合うので刃毀れはま逃れない。鎬で受けるのは受流すときだけだ。

 さて、斬り終って私の頭の中は、切れなかった原因究明でいっぱい。切込みの角度か、力の乗せ方か、と思い巡し乍、刀を鞘に納めようとしたが入らない。

刀身をかざして見ると、「防」と「制」の境目〈鍔元から24cm〉辺りから右へ僅かに曲がり、「制」から「殺」にかけて〈切っ先から24cm〉左に大きく曲がっていた。

差し当たり、タオルと膝を使って応急処置をした。でも反りが大きく大変困ったものだ。

そして一晩経つと曲がりはやや戻り、一週間も過ぎた頃には手入れの所為もあって元に戻った。これこそ、刀が柔軟であることの証なのだと思った次第ある。

(紙面の都合上、来週に続きます)




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2011年01月08日

無涯塾創立10周年に寄せて 1 廣瀬師範 第1章

「無涯塾の武士(もののふ)」

1.序

 私が「無涯塾」の設立準備を始めたのは20002月であった。3~4人の会員で、県営富山武道館と岩瀬地区センターで試行しながら準備を進め、それから1年経って、20012月、「無涯塾」が正式に発足した。

 2月に拘ったのは日本刀の裏名に、「如月=旧暦二月」が多いことからきている。刀匠が寒中に身を清め、白装束を纏い神仏に祈り、邪気をはらって打ち上げる日本刀は、日本古来の文化の象徴であり、武士の魂である。

 因って、「無涯塾」を鍛え、将来、日本刀にみる威厳や威信あるものにしたいとの願望から寒さの最も厳しい2月を選んだのである。

 発足当時から会員諸氏には、「社会人としての心構え」について幾度も話をしてきたことであるが、今、「無涯塾」に籍を置いて居合道を習う人達に充分通用すると思い、創立十周年を機に改めて筆を執った次第である。

 私の信条が、「素晴らしい剣士であるまえに常識ある一般社会人たれ」であるので、そのことを基に、「無涯塾の武士」と題して、所信を述べてみたいと思う。


2.無涯塾命名の由来

 今更命名の由来を述べることは先のブログと重複するので心苦しいが容赦願いたい。

 設立準備当初には、「剣友会」とか、「剣親会」などの名が上がったが、私は平成411月、七段合格の砌から、会を発足させたら名称を、「無涯塾」にすると決めていた。それは、居合に対する私の想いを会の名称に込めようと熟慮した末のことである無涯の意味するところは、無限とか果てが無いといったことである。

 居合は、四百五十年あまり前、出羽国の林崎甚助重信公によって編み出され、今日に至るまで幾多の人が関わり工夫を凝らし、伝承されてきた。

 恐れ多くも私は、居合道の真髄に少しでも近づきたいとの想いから、一生懸命稽古を重ね、武道に関する本を読み漁り、進んで先生方の教えを請うてきた。

 だが、凡夫の自分には、例え生命を賭けても、居合の真髄に迫ることなど到底出来るものでないことは解っている。

 しかし、出来ないと分かっていても、果てのない所にあるそれを追い求め、努力する姿勢が貴い。所謂、貪欲な求道精神こそ最も大切と考え命名したのである。

 即ち、「自力弁道・大悟」の精神から来たものである。「石ころは磨いても石ころ、それを悟るところに大悟がある。しかし、大悟〈だいご〉に居座ってはならない」、である。

俗な言い方をすれば、『浜までは 海女が蓑着る 時雨かな』を、生涯貫くために。

  最初、夢想神傳流居合道同好会「無涯塾」として発足させたが、今は同好会を外し、正式には、夢想神傳流居合道「無涯塾」である。


3.挨拶

 このことは、『陣中に戯言<ざれごと>なし』のブログ中段でも少し述べたが、挨拶は、「無涯塾の武士」にとって大切なことのひとつである。

 挨拶の「挨」という漢字は叩いて迫ると意味であり、「拶」は近づくということである。即ち、心を開いて相手に近づくことである。自分が心を開かないで相手が心を開いてくれる筈がない。集団維持の為に欠かせないのが「挨拶」である。

 たとえば、自動車のエンジンは、ピストン・リングとシリンダーとの接触部分を滑らかにするためにエンジン・オイルを必要とし、オイルを切らすとエンジンは、忽ち焼き付き、停止してしまう。それと同じように「挨拶」というのは社会にとっての潤滑油である。

 社会の一番小さな単位である二人以上の仲間との関係を円滑にする潤滑油(オイル)が「挨拶」なのです。こんな簡単なことが疎かになってはいないだろうか。

猿社会にも毛繕<けずくろい>という猿仲間の挨拶がある。まして人間社会は挨拶抜きでは成立たないのである。こんな簡単な事が疎かになってはいないだろうか。 

 挨拶は互いに心を通わす智恵である。真心を込めた挨拶をしようではないか。

 挨拶は自らの心を言語や態度で表現する気配りである。躾<しつけ>も亦、無言の気配りであることを知っておこう。常識ある一般社会人たるために。


4.話を聴く

 もうひとつ、「無涯塾の武士」にとって「真剣に話しを聴く」という大事がある。話を真剣に聴くということは、話手と聞手の間<>を詰めることである。

 真剣に話を聴くと聴かないでは、その人の人生を左右するそれには、(1) 適度に頷<うなずく>、(2)話手を正視する、(3)相槌を打つ、(4)顔を耀かせ話を聞く、(5)疑問点を質する、(6)話手がのりに乗って話す雰囲気を作る、(7)目を耀かせて聞くがある。 

 居合の講習会や日頃の稽古会において講師や先生、先輩の話にこのような態度で臨みたいものである。これが相手にたいする気遣いであり愛である。道場だけでなく一般の社会生活においても然りである。

 話を真剣に聴けば話手の心の中や心情、訴えたい事もよく理解出来、話手と聞手の間隔が狭まり、そこに「和」の雰囲気が醸し出され、互いの信頼関係が深まる。   

 居合も仮想相手との「距離の間<ま>」と、「時間の間<ま>」を考えて刀を抜かねばならない。そして「心の間<ま>」もであると、自分は考えている。


5.武士の気構

 次に、「無涯塾の武士」の心構え・気構えについて述べよう。

 剣に四っの戒<いましめ>がある。
(1)  驚=おどろき、(2)懼<ぐ>=おそれ、(3)疑=うたがう、(4)惑=とまどう、である。

 武士は、剣の技や体力の練磨を通して精神も練り上げていた。我々も、難局に直面したとき、冷静沈着な対応をするため、「驚・懼・疑・惑」に動じないようにしたいものである。要は、自分の弱い心との戦なのである。

 ストレスの多い現代社会に住む私達は、取越し苦労という見えないものに驚き、懼れ、疑い、途惑って彷徨<さまよ>う。

「平常心」と簡単に口にはするが、体調や環境、一寸した人間関係により左右され揺れ動く弱いものである。昔の武士<もののふ>のようには行かないだろうけれど、常日頃の気構えとして自分の中に大黒柱をしっかりと立てておきたいと願っている。その為に私達は、居合道を通して、心身を鍛え練り上げ、この「四戒」を超越、克服しようと精進している訳である。

「風吹ケドモ動ゼズ 天辺ノ月」・・・を目指して。

(紙面の都合上、来週に続きます。師範のお話は、今回を含めて4回シリーズになります)



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