2009年08月13日

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2006年09月29日

旅の最終段階

【2006/09/28】

 アレクサンドリアでの観光は、プトレマイオス朝時代に作られた古代図書館の威厳を現代によみがえらせたような、近代的なアレクサンドリア図書館やカーイトゥベーイの要塞などを見て回った。カーイトゥベーイの要塞はファロスの灯台の跡に建てられたもの。ファロスの灯台というのはアレクサンドロス大王の案に基づくと言われ、なんと高さ120m(約40階建てのビルに相当)で56km先の沖合いからも灯台の光が見えたという。紀元前3世紀に建てられたといわれる灯台。だが、残念ながら14世紀の大地震で崩壊してしまった。その巨大さから、ギザの三大ピラミッドと同じく世界七不思議のひとつに数えられている。いまでも海底には崩れた灯台の遺跡が沈んでいるらしい。なんともロマンチックな話であろうか。
 実際にカーイトゥベーイの要塞に行ってみると、結構土台が大きい。あの地中海に突き出した位置に、土台のシッカリした高さ120mの石で出来た灯台があったら、そうとうなインパクトだ。初めてアレクサンドリアに入港してきた船は肝を潰したに違いない。現代まで残っていれば、ピラミッドに匹敵する観光名所になっていただろう。
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 というわけで、アレクサンドリアでは古代のロマンに思いをはせて観光したり、無意味に浜辺を歩いたり、地中海に沈む夕日を見つめたり、ラマダーン(断食月)の日暮れを合図する大砲の音と振動にビックリしたり、お腹が空けばイカや蟹・海老・白身の魚など食べて、今までの旅を思い出してひとり笑ったりしていた。

 そして再びカイロに戻った。ここは相変わらず暑い。考えたら、今日はもう帰国二日前だ。何もお土産を買っていないことに気が付いた。おみやげバザールの“ハーン・ハリーリ”に行ってみる。こういう旅行者相手のところはボッてくるのが定番だが、ここも例外ではなかった。というか、頭の悪いボリ方がすごい。エジプトティーの茶葉100gで600円とか日本で買った方が安いやろ?という値段を平気で提示してくるので何件かの店で喧嘩した。そして怒りながら店を出て行くと、たぶん旅行者値の最安らしい値段(最初に提示した値段の30分の1以下)を提示してくる。でも気分悪いので買わない。そんなことを繰り返している内になんとなくお土産の物価を把握してきた。そんなこんなで、今まで培ってきた交渉術を駆使して主に食料品のお土産を購入した。それでも、現地の人と同じ値段では売ってくれないみたいで、基本的にはボラれてることには変わりない。

 中心街に向かって帰って道を歩いていると、面白い光景が見れた。まだラマダーンの日暮れの合図が無い状態でレストランに人が沢山いた。各テーブルの上には料理がすでに出されており、みんな日暮れの合図を待っている。こう言っては失礼だが、まるで犬が食事を目の前にして『待て』をされてるみたいだ。集団で待ての状態なので異様な雰囲気がある。そして、道行く車は早く家に帰りたい為に、ものすごいスピードで走っていて危ない。今日は3ヶ所で事故を見た。家に帰るためのタクシーの奪い合いで喧嘩しているのも見た。ラマダーンはまったく理解不能な行事だ。
 しばらく歩くと、軍人さん達に声かけられた。もう日暮れになっていたので、軍人さんは弁当のコシャリなどを食べていた。僕の持っていた水を飲ませてくれというので、残り少なくなったペットボトルごとあげる。その代わりにビニール袋に直接入ったジュース?をくれた。見た目はコーヒーそっくりで真っ黒だが、飲んでみると何かの果汁だ。飲みやすさといい、後味すっきりといい、今まで味わったことがない美味しさ。これも食え、あれも食えと色々と分けてもらった。
 これで一つ解った事がある。以前日記でエジプト人が性悪だと書いたけど、ごめんなさい厳密には違った。解った結論としてエジプト人ほどフレンドリーな人種はなかなかいない。しかし、旅行者と関わり金が絡む仕事をしている人は、悪知恵がついて汚くなったようだ。旅行者に関わりがない一般の仕事をもった人、たとえば工事現場のおっちゃんとか、今の軍人さんなどは皆良い人だった。お茶奢ってもらった事もあった。早々に物価を把握して、交渉の仕方やアラビア語を少しでも覚えて、彼らとの接し方が判ってきたら、エジプトがもっと楽しい国になる。僕はやっと今頃わかってきた。遅すぎ。

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2006年09月26日

アレキサンドリア

【2006/09/25】

 カイロに戻っても帰国便の30日まで、まだ5日間もある。昨日ルクソールからカイロにもどる列車の中で考えた結果、アレキサンドリアに行くことにした。地中海に面した港町アレキサンドリアは、紀元前4世紀にアレクサンドロス大王によって建設され、女王クレオパトラがいた街としても有名だ。

 今日、目覚めたのは昼の11時だった。昨日は一日中列車に乗っていただけだけど、体は疲れていたらしい。でも、アレキサンドリアはカイロから北へ約200kmほど、列車で2時間程度の距離だし、まだまだ間に合う。
 ラムセス駅にてアレキサンドリア行きの切符を購入。14時発の便だった。出発時刻まで暇なので、食事を取ることにした。カイロでは、敬虔なムスリムの割合が他の都市と比べて少なく、またコプト教信者などもいる。なので、ラマダーン中は休業している飲食店も多いが、だからといって食事場所が全くないわけではなかった。

 列車に乗り、アレキサンドリアに向かう。アレキサンドリアに近づくにつれて、緑が多い景色に変わってくる。そういえば、アレキサンドリアは地中海性気候らしい。列車から降りると、より一層気候の違いがわかった。砂漠気候のような強烈な日差しではなく、体感温度もそれほど暑くない。それに空には久しぶりにみた雲が浮かんでいる。たった200kmほどで、こんなに気候がガラっと変わってしまうのが面白い。

 宿は海沿いにあるホテルで、海の見える部屋にしてもらった。アレキサンドリアといえば、シーフードが美味しいらしい。3泊する予定なので、海を見ながら少し贅沢に過ごそう。alex

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ラマダーン

【2006/09/24】

 今日は、イスラム圏に来てから恐れていた事が始まる日。年に一回あるラマダーン(断食月)がついに始まった。ラマダーンとは、ムスリム五行のひとつで断食が行われる月だ。約1ヶ月の間、日の出から日没まで一切の食事、水分補給さえも断つ。もちろん僕のようなムスリムじゃない旅行者には関係ない事だ。しかし、だからといって皆が断食している目の前で、堂々と飲食をするのは気が引ける。人が見てないところで、こっそりと水分補給したり、食事も旅行者のために日中も開いている店を探すのに一苦労など、とにかく面倒だ。さらに、ムスリム達は日中食べてない分、夜に沢山食べて、深夜遅くまでお祭りのように喋り、日の出前にもう一度食べて、仮眠をとってから仕事に行く。このような生活パターンに変わるため、昼間の仕事能率がラマダーン中は極端に下がってしまう。普段から、真面目に仕事しないエジプト人が、さらに昼間の仕事中は寝てしまうのだ。完全に昼夜が逆転している。現にこの月は一ヶ月丸まる休みにする店も多い。とにかく大変なのだ。旅行者にとっては迷惑このうえない。

 そういう日だが、帰国まであまり日が無いので朝一の列車でカイロへ戻る。しかしルクソール駅のホームで、列車を待てども待てどもやって来ない。ラマダーンでやる気がないのだろうか。予定の時刻よりも30分以上過ぎても来ない。少し不安になってきたので、そこらへんにいたオッサンに聞いてみると、なんと今日でサマータイムが終わって、通常の時間に切り替わったらしい。ラマダーン開始と同時に切り替えたみたいだ。そうなると、1時間も早く駅のホームに来て、列車を待っていた僕がアホでした。
 時計を1時間戻した。意外にも定刻どおり列車は到着した。また前回のように、列車で冷房が効きすぎてる状態だろうと予測して、あらかじめ上着と体にかけるタオルを持って乗り込んだ。そしたら今度はどうだ。エアコンが壊れていてムチャクチャ暑いではないか。寒いのもイヤだけど、暑いのはもっとイヤだ。列車はガラ空き状態だったので、車掌にことわってエアコンが作動している車両の座席にかえてもらった。こちらは前回と同じく極寒地獄。しかし、上着を着てタオルを体にかけると丁度よい感じになったので、なにも問題ない。

 カイロ到着前に日没となった。車両内にいた人達が一斉に、持ってきていた果物を食べたり水を飲みだした。僕も今まで食べたことがない味の、謎の果物を分けてもらった。
 もし、ラマダーン中にムスリムの人が我慢できなくなって、食事してしまったらどうなるんだろうか。また一つ、宗教というものが解らなくなった。

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2006年09月23日

ルクソール西岸

【2006/09/21】

 ルクソール西岸には王家の谷やハトシェプスト葬祭殿など見所が集中している。初めは自転車で回ろうかと思っていたが、思った以上の日差しの強さと砂塵が舞っているので正直厳しい。なので、ツアーで回ることにした。

 ツアーは、アメリカ人のおじいちゃん,スイス人親子,イギリス人の学生と僕を含めて5人グループだった。それに英語を喋るガイドがついている。妙な発音のせいなのか僕には彼が何をいっているのか、ほとんど解らない。しかしスイス人曰く、ガイドの話は面白くわかりやすいらしい。スイスではドイツ語、フランス語、英語、イタリア語の4ヶ国語くらい喋られるのも珍しくないらしい。そう当たり前のように言われると、英語すら満足に出来ない僕がアホみたいやんけ。
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 初めにいきなりメインである王家の谷に行った。王家の谷は新王国時代のファラオの墓が60以上も確認されている所。盗掘を防ぐためにルクソール西岸の奥深い谷に死後の安住の地をもとめたのが王家の谷だが、ほとんどの墓は略奪の憂き目にあっている。その中で一つだけ、盗掘をまぬがれていたのがツタンカーメンの墓。黄金のマスクもここから発掘された。エジプト考古学博物館の2階の半分を占めるだけの副葬品には驚くばかりだが、実はツタンカーメンは18歳で早世したため権力は弱く、墓が質素だったために盗掘をまぬがれたらしい。こうなると、トトメス3世やラムセス3世など強大な王の墓には、想像もできないほどの財宝が埋もれていたに違いない。
 墓の内部には色彩のついたレリーフが壁一面にあり、ラメセス6世などの墓の天井部には当時のエジプトの宇宙観のレリーフがあったり興味深い。

 次はハトシェプスト葬祭殿に行った。ちょうど葬祭殿の裏側には王家の谷があり、第3テラスからはルクソール東岸が見渡せる。内部にあるレリーフは一見の価値があり、プント(ソマリア)と交易していたと思われるレリーフもみることが出来る。その後、王妃の谷やメムノンの巨像などをみてツアーは終了した。hato

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ルクソールへ

【2006/09/20】

 カイロ方面へ戻るように、アスワンから北へ約200kmに位置する“ルクソール Luxor”へ移動する。ルクソールはかつてテーベと呼ばれ、中王国、新王国時代の首都として栄えたところ。それゆえ、王家の谷にはじまりハトシェプスト女王葬祭殿、カルナック神殿やルクソール神殿など、とても一日だけでは見て回れないほど、当時の巨大建築遺跡がたくさん残っている。ここが僕のエジプト観光最後の大きな見所、この長期旅行を締めくくるに相応しい場所だ。なので、じっくりと見て回るため、ルクソールに4泊しようと思う。

 朝8時発のルクソール行きの列車に乗る。この前カイロからアスワンまでの1等列車が快適だったので、今回も1等列車にした。しかし、今回はコンパートメントではなく3列シートだった。一車両に4人くらいしか乗っていない。それに加えて、狂ったように冷房を効かせている。体が冷え切ってきたので、バックパックを開いて、長袖を出して着た。それでも寒い。10℃下回ってるような気がする。今は冬か?と勘違いしそうだ。検札にきた車掌を見ると、なんと長袖を二枚も羽織ってるではないか。アホみたいに冷やせばいいってもんちゃうやろー!これならエアコンが付いていない2等の方が快適だわ。本当に風邪引きそうになった。

 ルクソールに到着して、列車から降りると猛烈に暑い。当然すぐに着ていた長袖を脱ぐ。あまりの温度差に気持ち悪くなった。ルクソールは心なしか、アスワンよりも暑いような気がする。エアコンが無いと寝られなさそうだ。迷うことなくエアコン付きの宿で泊まることにした。

 しばらく宿で休んだあと、歩いていけるカルナック神殿に向かう。町の中心街から片道3km、たいしたことない。と思っていたら、日差しがキツイ。まあそれはいいとして、ルクソールの町は砂が常に巻き上がり、ハードコンタクトの目を容赦なく攻撃してくる。ほとんど、目を閉じているかのような薄目で涙を流しながら、カルナック神殿まで歩いていった。

 カルナック神殿は、ものすごく規模が大きく、まさに圧巻。今でさえ、ここまで崩れてしまってもその存在感の大きさに驚くのに、当時は本当に壮観な眺めだったことだろう。kalnakkalnak2

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2006年09月21日

アブシンベル神殿

【2006/09/18】

 昨日、一緒にアブシンベル神殿のツアーに行くことになったスロヴェニア人から、頼んでもいないのにわざわざモーニングコールをかけてきてくれた。ツアーの出発時間は早朝3時半。まだ朝とは言えない3時に起きた。
 ホテルでは朝食をビニールに包んで持たせてくれた。アスワンからアブシンベル神殿までは、3時間以上かかる。無理やり起きたし、バスの中では寝るしかない。
 寝ていると、アメリカ人のケヴィンが僕を起こした。『あまりにも景色が綺麗だから起こした』というので、指差す方を見ると砂漠にちょうど朝日が昇ってきていた。ケヴィンの言うとおり、すごく綺麗だった。思えば、夕日はよくみているけど、朝日を拝むということはなかなかない。そもそもそんな時間に僕が起きられるわけがない。
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 アブシンベル神殿に着いた。ツアーと行っても、バスで各所を回るだけなので、入場料などは自分で払い、見学して、集合時間までにバスに戻ってくるというスタイルだ。
 アブシンベル神殿はアスワンハイダムを建設する時に、一躍有名になった遺跡だ。アスワンハイダムを建設すると、その周囲の遺跡が水没の危機にさらされてしまう。そこでユネスコが遺跡救済のために国際的なキャンペーンを行った。これにより募金だけでなく、どのような方法で救済するかなどの意見も広く集められ、結果的に1964年から1968年にかけて神殿は1036個ものブロックに切断する方法で、もとの位置よりも60m上にそっくりそのまま移動することに成功した。この遺跡の大移転計画により、貴重な文化遺産や自然遺産を保護しようという機運が高まり、それが1972年の世界遺産条約採択として実を結ぶことになる。まさに現在のユネスコ世界遺産のきっかけとなった遺跡だ。

 アブシンベル神殿をよくみると、たしかに切断面があるのがわかる。20mもの巨像が4体という外観に圧倒されるが、神殿内部はもっとすごい。あらゆる壁や柱にヒエログリフやレリーフが彫りこまれている。砂に埋もれていた神殿を探検家が発見したのが1813年、そのため歴史上の人為的な破壊を免れたため保存状態はよい。酷いのは、その発見された1800年代の落書きが沢山あること。遺跡に落書きする奴の精神構造が理解できない。
 そのあと、アスワンハイダムを見学したのち、ダムに浮かぶアギルキア島にて同じく水没の危機から移転して免れたイシス(フィラエ)神殿を見て、アスワンの町に戻った。
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 ツアーが終わった後、スロヴェニア人のカップルはホテルで休憩するからといって別れた。しかし、ツアーの出発が早かっただけあって、まだまだ日は高く時間に余裕がある。ケヴィンと話あった結果、ナイル川でフルーカに乗ろうということになった。アスワンの川沿いの道を歩いていると、何人ものフルーカの客引きから声を掛けられる。僕らはそのなかで一番安い値段を提示してきた客引きから、さらに値下げさせ二人で1時間25ポンド(500円)で交渉成立した。乗客は僕らだけ。フルーカは三角帆のヨットで、完全に風まかせ。風は吹いているかわからないほどなので、ゆっくりと進んでいく。ほかに客がいないし、面白そうなので操縦させてもらった。向かい風の場合は切り上げるために、ナイル川をジグザグに進むのだ。

 フルーカに降りたあと、ケヴィンは明日朝一の列車に乗ってルクソールに向かうので、ここでお別れだ。最後までいい人だった。僕のヘタクソな英語を一生懸命聞いてくれたし、向こうから話すときは、判りやすく説明するように喋ってくれた。ネイティブの人と2日間話しただけで、自分でも英語が聞き取りやすくなった気がする。少し英語力が上達したのかもしれない。ありがとうケヴィン、アメリカ人が好きになった。最後は『Nice to meet you! See you Luxor』とお互いに言って別れた。僕は一日後れでルクソールに行くので、もしかしたらまた会えるかもしれない。しかし“Nice to meet you”を日本語にすると『あなたに会えてよかった』これって凄い恥ずかしくてなかなか言えない言葉だと思う。実際使うとすごい破壊力がありそう。abu5abu6

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帰国に向けて

【2006/09/16-17】

 諸事情で、10月1日までに日本に帰ることになった。そうなるとノンビリもしていられない。すぐに航空会社オフィスに行き、航空券の手配をしなければならない。
 カイロ市内にあるカタール航空オフィスに行く。カタール航空は創業まだ10年にも満たない。それゆえ他の航空会社よりも販売価格を落とし、現在も急成長をしている会社だ。おそらく何処の航空会社よりも安く、カイロ発→関空まで8万前後くらいだろうと予想していた。もし8万以下なら即決で買ってしまおうと思っていた。しかし実際にオフィスで聞いてみると、諸税込みで2941ポンド(58,820円)と予想を大幅に下回る値段でビックリ。9月29日まで、すでに満席状態で予約できなくて、ギリギリ席が空いていた30日をとってもらった。これならなんとか10月1日に日本に帰国できる。いったんカタールのドーハで乗り継ぐので、直行便ではないがこの安さには代えられない。これはリーがイスタンブールから帰国したウズベキスタン航空よりも安い。しかもカタールのドーハでの乗り換え時間も3時間と結構スムーズだ。あとは、帰国に向けてしっかりと予定を組み、エジプトを満喫しよう。

 今日はカイロの南約900km、北回帰線ちかくにあるアスワンに夜行列車で行く。もう帰国便が決まってしまったからには、今までのようにダラダラは出来ない。計画的に動いて、見ておきたい所に行かないと後で必ず後悔するだろう。夜行列車は学割が効いて64ポンド(1,280円)だった。一等列車なのに安い。

 列車の出発時刻の夜10時まで、カイロでまだ見てないイスラム地区を適当に見て回った。本当に地図も見ないで適当にウロウロしていたら、最大の名所であるシタデル(サラディンが建設した城塞)に着いた時にはもう閉門していて、外観だけみて終わった。また、適当にぶらつきながらカイロ中心街まで戻っていった。しかし、イスラム地区はカイロ中心街とは全くの別世界だ。住居は古くモスクが無数にあり、細い路地はまるで迷路のようだった。

 夜行列車の出発時刻ちかくになったので、ラムセス駅に向かう。駅のプラットフォームにある行き先掲示板は全く機能しておらず、どのプラットフォーム、どの列車に乗ればいいのか全然わからない。例の如く何人もの人に聞きまくって、なんとか見つけることが出来た。
 1等列車はコンパートメント式で、エアコンもついていて快適。またコンパートメントは広く、向かい合わせの両者が足を伸ばしても届かないくらいだ。コンパートメントで一緒になったのは、38歳のアメリカ・ミシガン州の“ケヴィン Kevin”と、スーダン人の女性ナガーツ、ヌビア人2人、エジプト人1人だった。皆お喋りで、結局午前4時頃まで、僕の日本語とアメリカ人の英語、他はアラビア語を教えあうという、ちょっとした外国語講座の教室みたいになっていた。列車はカイロからアスワンまで、長い長いナイル川に沿って走っている。窓の横に目をやると、常にナイル川が見える。ナイル川はさすがに世界一の長さと驚く。しかし、川幅が予想外に狭くてビックリした。川幅10mくらいのドブ川みたいなところもあったりする。目が覚めると、もうアスワンに着こうとしていた。

 ヌビア人女性ナガーツの荷物が手一杯だったので、アメリカ人のケヴィンと共に荷物を持つのを手伝ってあげていると、同じ列車に乗っていて、違うコンパートメントだったスロヴェニア人カップルから『アブシンベル神殿にはどうやって行くの?』と聞かれた。アスワンへはアブシンベル神殿に行くための中継地点みたいな場所だ。当然僕もアブシンベル神殿に行きたい。しかしアブシンベル神殿までどのようにして行くか、詳しい情報はみんなよく判っていなかったので、4人で一緒にツーリストインフォメーションで聞くことにした。
 インフォメーションによれば、各ホテルにて申し込めるアブシンベル神殿までいくツアーバスが毎日出ているらしい。だいたいの相場も聞いておいた。驚くべきことに、出発時間が鬼のように早く午前3時30分になる。早い理由を聞くと、砂漠が暑くなる昼間を避けるためらしい。

 そのあと4人で、カフェや食事に行く。スロヴェニア人たちはすごく英語が達者だ。僕は彼らの会話の半分も理解できない。判らない単語が会話に出てきたら、それはどういう意味?と聞いたりして会話についていけない。それでも彼らは親切で、いちいち判るまで説明してくれる。それにしても、こうやってアメリカ人とヨーロッパ系と並べて比べてみると全然違う。アメリカ人は凄いオーバーアクションだ。僕の名前は“ダイスケ”なのに、何度修正させても発音が難しいのだろうか、彼らが僕の名前をいうと“だいすき”になってしまう。『“だいすき”は日本語で I love youという意味だから、すごくおかしい』というと、椅子からズッコケてた。それから、僕が8ヶ月も旅していること、普段聞きなれない国々を回ったこと、残念ながらスロヴェニアはバスで通過しただけだということなど、今までの旅の出来事を言うとものすごく驚いていた。反応を見ているだけで楽しい。それにしても、もっと英語を勉強しておけばよかった。そしたらもっともっと楽しい会話が出来ただろうに。
 カフェ代はケヴィンがおごってくれた。何度も払うって言っても、『僕は働いているけど、ダイスキは学生でお金無いでしょ?』と受け取ってくれなかった。本当は学生じゃないんだけど、ここで本当の事いってもややこしくなるので、その厚意に甘えることにした。それから、早朝出発のアブシンベル神殿のツアーは、この四人で行くことになった。aswan

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2006年09月16日

人類の叡智ピラミッド

【2006/09/14】

 世界七不思議のひとつであり、その中で唯一現存しているピラミッド。この旅でピラミッドだけは絶対に行こうと決めていた。それがもう目の前にある。カイロからバスでたったの1時間の距離にあるギザの三大ピラミッドだ。

 ギザに近づくと、忽然と姿を見せた四角錐の巨大建造物。思っていたよりも遥かに大きい。
 およそ4500年前の日本というと、稲作すらなかった縄文時代だ。竪穴住居に住み狩猟採集生活を営んでいた。それと同じ頃、エジプトでは文明が起こり、高度な数学、天文学、物理学をもち、ヒエログリフという文字まで発明した。国家事業として巨大なピラミッドが建造された。同じ地球上にあって、これほどまでに文明の差があったのが俄かに信じられない。しかし、抗えない事実としてそれが目の前にある。
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 現在では頂上部が10mほど失われて、となりのカフラー王のピラミッドよりも低くなってしまったが、建造当時は最も大きかったクフ王のピラミッド。本来は底辺が一辺230m、高さは146m、そして平均2.5トンの石を約230万個積み上げて造られた。
 ピラミッドの横で持ってきた方位磁石を使い方位を調べてみると、それぞれの一辺がキッチリと東西南北をピッタリと示していた。この驚嘆すべき正確な方位の測量技術に加え、ピラミッドの基底部を水平に設定する方法、また現代の技術をもってしても困難である巨大な石材の切り出しと運搬方法、そしてその切り出した膨大な量の石材を積み上げるのはどうやったのか、いまだ謎に包まれている。しかも驚くべきことに、ギザに現存する最も巨大なクフ王、カフラー王、メンカウラー王の三大ピラミッドは、わずか40年ほどの間に三基とも作られたという。もし現代の技術をもってして、同じピラミッドを三基、内部も再現して作るとしたら、はたして40年で完成するか疑問だ。莫大な資金が必要になるだろう。何台の重機が必要だろうか。

 夏は暑すぎるので、エジプトは今の時期シーズンオフらしい。でも、そんなに暑すぎるというほど暑くない。これならヒートアイランド現象に加え、湿度の高い日本の都市部の夏の方が1.5倍くらい体感的に暑いと思う。なにより、シーズン中ほどウジャウジャと人がいないのが嬉しい。夏の方がエジプトに行くならねらい目かもしれない。
 一日に定員300人までしか入ることの出来ないクフ王のピラミッド内部。冬のシーズン中には早朝7時から並んで入場チケットを買わなければならないらしいけど、今日は午後2時半でも余裕で入ることが出来た。というか、中に入る人は少ないのか、ひと気がない。ひとりで薄暗いピラミッドの中心部に向かって延びている大回廊を上がっていく。大回廊の先にある“石落とし装置”の下を腰を屈めてくぐると、真っ暗な“王の玄室”にたどり着く。中には誰もいなくて一人ぼっちだったので、雰囲気出すぎで本当に怖い。それにしても、ピラミッドの外壁に使われている石とは比べ物にならないほど、玄室には頑丈な石が使われている。こんな硬度の高い石なのに、剃刀の刃も通らないほど、綺麗に切り出す技術が信じられない。玄室の上には“重力軽減の間”があるなど、まさに古代エジプト人の叡智がつまっている。
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 三大ピラミッドをあらゆる角度から見た。発見されたクフ王の“太陽の船”も見た。残るはスフィンクスだ。
 スフィンクスを後ろから見ると、すごくカッコ悪い。トリビアの泉で「スフィンクスの見つめる先はケンタッキー」で有名になったケンタッキーとピザハットありました。看板が赤いので遠くからでもよく目立つ。スフィンクスの目線情報は正しいのか?確認してみました。スフィンクスの正面から真っ直ぐに歩いて目線をたどっていくと、、、ちょっと違った。正確には隣にある“SPHINX GUEST HOUSE”を見ている。一応、ケンタッキーの3階からスフィンクスの方をみると、奴はこっちを見てない。まあどうでもいい話だけど、確認を頼まれたので、写真とともに報告しておきます。

 それにしてもエジプト人はフレンドリーだけど金に汚いというか平気で嘘を付く。世界でもトップレベルの性悪さだと思う。向こうから話しかけてくるのは9割以上が悪人、というのは他の国でも珍しくない。しかし、びっくりしたのはこちらから話かけた場合でも嘘をつかれた事。
 今日はバス停でピラミッド行きのバスを探している時、暇そうにしているおっさんに聞いたら『ピラミッド行きのバスはもう無い』とタクシーを勧められた。そんなはずは絶対無いだろう。エジプト第一の観光地であるピラミッド行きのバスが無くなるわけがない。絶対にあると確信をもって自分で探すと、5分で見つけた。諸事こんな感じで、まったく人を信じられなくなっている。というか信じたら負けみたいな。ヨルダンあたりから自分の心が荒んできているような気がする。シリアは目が覚めるぐらいの親切な人ばかりだったのに、何故同じアラブでこうも違うのか。

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エジプト考古学博物館

【2006/09/12-13】

 なんだかんだで5日間、紅海のリゾートである“ダハブ”でバカンスしていた。ダイビングは値段が高いので、結局手が出せなかったけど、シュノーケリングでもかなり楽しめたのでよかった。十分に骨休めが出来たので、本格的に遺跡巡りに動こうと思う。今日は夜行バスで首都カイロに向かう。

 夜11時発のカイロ行きのミニバス。車内は狭いので荷物を車の屋根にくくり付けて走る。バックパックに入れてあるパソコンが砂でやられないか心配だ。
 ミニバスは周囲に町明かり一つない砂漠の道を直走る。砂漠の砂によりアスファルトがガタガタになっている道を100kmほどのスピードで飛ばすので、お尻が宙に浮くほど揺れる。それに、夜の砂漠で何故か濃霧が発生している。視界が3mくらいしかないのに100kmのスピードだ。ちょっと死を覚悟した。加えて、シナイ半島はやっぱりキナ臭い感じが漂っている。夜だから余計にそう感じてしまうのだろうが、テロリストにロケットランチャーなどでバスごと吹っ飛ばされたら一撃だろうな。そんなことよりもムチャクチャ寒い。半袖では我慢できないくらいなので、たぶん気温15℃前後くらいだと思う。夜の砂漠がこんなに温度が低くなるとは思いもよらなかったので、上着などもってない。風邪引きそうになった。それにテロへの警戒か、何度も検問でパスポートチェックが行われて、気を休める暇もなかった。おかげさまで一睡も出来ないまま明け方になり、スエズ運河の下をくぐる道を通ると、ついに初めてのアフリカ大陸に入った。カイロには早朝7時に到着。もうヘロヘロで吐きそうにだったので、適当に宿を見つけて昼まで寝ることにした。

 起きてから、すぐ近くにあるエジプト考古学博物館に行く。ここはツタンカーメンの黄金のマスクがある有名な博物館。入ってビックリ。博物館の許容量以上の展示品が置いてあるので、スゴイ文化財なのにまるで物置状態。その中でも一番奥にある黄金のマスクは本当に金だった。もっとペラペラに薄く延ばした金なのかと思ったら、しっかりと分厚く重そうだ。
 それにしても、これらの展示品を見ていると、エジプト文明に対して様々な疑問点が生じてくる。やっぱり、紀元前3000年という遥かな古代に、このような高度な文明があったことがものすごい不思議だ。面白いのは、中王国時代よりも、古王国時代の方が、像とか精巧に造られているように思う。というよりも、技術力自体が古王国時代から、紀元後まであまり変わっていない気がする。ピラミッドも現代の技術をもってしても説明がつかない部分がいくつもあるらしい。ギザの三大ピラミッドのひとつ、最も大きいクフ王のピラミッドも古王国時代のものだ。後の時代のピラミッドの方が小さく、建築方法も雑になる。しかも、古王国時代のピラミッドから石材を取ってきて再利用した痕跡もあるらしい。こうなると、なにやらまるで技術力だけ初っ端からマックス状態で始まったような感じを受けてしまう。だから宇宙人と関係が?、などという説がでてくるのも無理からぬことかもしれない。というか僕も展示品をみていると真面目にそう思ってしまった。発掘された展示品の中に、どう見ても宇宙人の顔や姿にしかみえない土偶も沢山みられたので、うーんと真剣に考えてしまった。それにしても、古代エジプト人の建築物や装飾品のおもしろいデザイン力には感心する。驚くほどに生き生きとした造りで、今にも動き出しそうだ。

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2006年09月10日

ダハブの海

【2006/09/07】

 今日はダハブに行く。バカンスだ!リゾート地なら各国の料理がそろってるだろう。正直、アラブ料理に体が拒絶反応を示すくらい疲れ果てていたので、1週間くらいダハブで骨休めしようかと思う。
 昨日、不測の事態で泊まることになったヌエバの港町からは、バスで1時間。エジプトは観光立国だからだろうか、他のアラブ諸国よりもテロに対する警戒が厳しい。たった1時間、ひとつの町に移動するだけの距離なのに、町の出口と入り口に検問所があって、計2回もパスポートチェックがバス車内でおこなわれた。(後に調べたら、2006年4月24日にダハブで連続爆破テロがあり100人以上の死傷者がありました。いまだ瓦礫の山になってる場所があったりする。)
 ダハブでは、ちょっと贅沢にエアコン付きの部屋にした。実は昨夜、汚い宿に泊まったところ、すさまじく暑くて、とてもじゃないが寝られなかったからだ。でも物価が安いので、エアコン付きでも一泊50ポンド(1,000円)程度。せっかくバカンスにきているのに、数百円をケチって暑い部屋で寝るのはアホらしい。

 さっそくビーチに行ってみる。驚いた!浅いところはエメラルドグリーンで、深くなっているところはサファイアのような綺麗な青色をしている。これは潜って水中を見ないと勿体無い。スーパーに行き、シュノーケリングセットを買ってきて泳いでみた。
 これが、海の世界か!水中で何度も何度も驚いて感動して、感嘆の声を何度も何度もあげていた。30m以上の深さまで鮮明に見えてしまう透明度。マシュラバリーフという海の中の断崖のようなところには、生きた珊瑚がビッシリとあり、そこにはいままで見たこともない、色鮮やかな熱帯魚の群れ!魚はあまり逃げようとしない。むしろ餌をもらえると思っているのか近寄ってくるので、熱帯魚を間近で見れて、群れとともに泳ぐことも出来る。50cm以上もある魚も沢山泳いでいる。すっごい感動した。言葉ではとても言い表せない。もうすっごい感動。
 こうなると本格的にダイビングがやってみたくなってきた。ダハブにはブルーホールという69mのドロップオフを誇る有名なダイビングスポットがあるらしい。でもダイビング高いしなぁ。ちょっと悩み中。dahab

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海路エジプトへ

【2006/09/06】

 国際フェリーでエジプトへ行く。このフェリーが曲者だった。ヨルダンのアカバから、エジプトのヌエバに行くフェリーは2つある。スピードボードとスローボードの2種類だ。所要時間はおおよそスピードボードが1時間、スローボードは3時間かかり、値段はそれぞれ45$と35$。どちらも高い上に、料金にそれほど差がない。
 実は昨日の時点で、国際フェリーのチケットを買いに港まで行っていたのだが、窓口に聞くとスピードボードはずっと先まで売り切れという。ならスローボードでということでチケットを買ったはいいが、出発時刻を聞いてみると夜の10時発だというではないか。本当にそんなに遅い時間に出るのか?かなり疑問に思ったので、別の人に聞いてみると今度は午後3時だという。もうわからなくなってきた。また別のスタッフに聞くと午後5時だと言い、また別の人に聞くと午後1時、また別の....。全然わからねーよっ!どうやら、毎日出発時間が変動するらしく。その日ごとの出発時刻なんて誰も把握してないらしい。しかも、発券してもらったチケットをよくみると、9月6日に出発したいのに、9月5日の今日出発になってる。なんだこれは!?『再発券してよ』と言うと、この券は6ヶ月有効だから問題ないと言うではないか。もう何がなんだか、わからなくなってきた。適当な仕事振りをみていると、簡単に信用も出来ない。おまけにフェリー会社の人員で、満足に英語を喋られる人がいなかった。なので『どういうことだ?紙に書いてでも説明しろ』とごねてると、社長室みたいなところに連れて行かれた。そこには恰幅のいい、金持ちそうなオジサンがいた。フェリー会社の社長だろうか。その人は英語が喋れて、さすがにしっかりと説明してくれた。出発は午前11時だという。有効期限が6ヶ月というのも本当だった。ゴタゴタしたけど、ちゃんと情報が得られたのでよかった。っていうかスタッフの連中、誰もかれも出発時刻間違えてるじゃねえか。わからないのに、自信満々で適当に答えるのはやめてくれないか。

 ということで、今日は出発の1時間前、午前10時に港にきた。出国と乗船手続きがさっぱりわからない上に面倒くさい。例のごとく人に聞きまくり、まずはTAXの窓口に行き出国税を払う。次にイミグレーションに行き、出国スタンプを押してもらう。そして今度は外にでて、バスでフェリーまで移動。フェリーの中でエジプト入国カードに記入し、エジプトのビザをもらう為、パスポートを預けてようやく終了。すごく大変だった。なにしろ窓口がいっぱいあって、アラビア語表記なので何がなんだかわからない。かなりウロウロしていて、すべての手続きが終わった時にはもう11時になっていた。
 これで出発するのかなと思いきや。全然動く気配が無い。乗客は全員乗船しているはずなのに、動かない。なんと動かないまま3時間が過ぎてしまった。午後2時過ぎにようやくフェリーはエジプトに向けて出航した。本当にスローボードだ。そうかスタートがスローなのか!と思ったら速度もしっかりとスローだった。でも、紅海は本当に綺麗だ。紅海という名前とは真逆の、なんというか群青色というか、本当に綺麗な青色をしている。フェリーの上からでも熱帯魚が泳いでいるのが見えるくらいだ。

 3時間のクルーズで、エジプトのヌエバに到着したのは5時半。これでようやく入国できると思っていたら、なかなか下船させてくれない。もう無茶苦茶だ!仕事が遅すぎる。なんと2時間後の午後7時半にようやく下船。それから出国審査なのだが、僕はパスポートを預けてしまっているので、どこでパスポートを受け取るのかさっぱりわからない状態だった。同じ境遇のスペイン人がいたので、一緒に行動することにした。まずはバスでイミグレーションまで行く。イミグレーションオフィスに入ると、オジサンが僕のパスポートを持っていた。先にイミグレーションに送られていたらしい。そのために2時間も下船を待たされたのだろうか。よくわからない非効率さだ。ビザはもう発行してくれてるんだろうと思いきや、オジサン『銀行に行ってビザ買って来い』と言う。なんか訳がわからなくなってきた。銀行でビザを買うとはどういう意味だろう。そりゃどういうこっちゃ?とスペイン人と顔を見合わせていたら『ついてこい』という。言われたとおりついて行き、銀行でビザ代15$払うと、切手みたいなものを渡された。それをパスポートに貼ると、なんとビザになってしまった。どんなビザだよ。誰でも買えるやん。もはやビザの意味がないし。ただビザという名目で金を回収したいだけなのかもしれない。オジサンがその切手ようなビザの上にサインをすると入国審査は終了した。

 無事に入国が終了した時には、もうすでに8時半になっていた。本来なら今日中に紅海のリゾート地でも安い“ダハブ Dahab”という町に移動している予定だったのに、もうこんなに遅くなってはバスもないし無理だ。ミニバスの運転手がダハブまで貸切で100ポンド(2,000円)とか言ってるけど、たった1時間の距離だ。エジプトの物価にしては高すぎて話しにならない。なので、今日はここヌエバに一泊することにした。宿の食堂にあるテレビで放送していた“バックトゥー・ザ・フューチャー”を見ていたら、『俺はヨルダン人のトラック運転手なんだ』という人にエジプトティー?をご馳走になった。緑茶のようなものにタップリと砂糖を入れたやつ。味は微妙だったけど、心意気がうれしかった。ぺトラでヨルダン人に辟易していたけど、ちょっと見直した。

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アカバ

【2006/09/05】

 ぺトラ3日間有効の入場券を買っておいて大正解だった。とてもじゃないが、一日二日では見て回れなかった。僕は3日間とも6時間以上遺跡内を歩き回ったのに、まだ行ってない所もチラホラある。なによりも、岩山の頂上から眺める景色が素晴らしかった。毎日、色んな岩山に登っては目に焼き付けていた。まあ、足踏み外したら死ねる。よく考えたら、危ないことをしていた。

 そういうわけで、遺跡は予想以上に凄かった。でも、人間は最悪だったぺトラを出て、ヨルダンからエジプトへ抜けるため、ヨルダンの最南端であり、ヨルダンが唯一海に接する所“アカバ Aqaba”へ移動する。その港町アカバからフェリーでエジプトに向かうわけだ。
 ぺトラからアカバへ直通で行くバスがあるにはあるが、それが早朝6時発とかすごく早い。お寝坊さんの僕がそんなに早く起きられるわけがないだろう。なので、ゆっくりと昼頃起きて、近郊のちょっと大きいマアーンという町にバスでいったん行き、そこでアカバ行きのバスに乗り換えた。もちろん、嘘つきだらけのぺトラの住人から、そんなバスは無いとか、バスは3時間後しかないとか、無茶苦茶な理由でタクシーで行くように誘われたけど、もはや貴様らは全く信用ならないと判ってる僕には効果ないよ。そんな事言ってる間にバス来たし。

 海が見えた。アカバ湾だ。アカバはエジプト・イスラエル・ヨルダンの3ヶ国が、この狭いアカバ湾に港を所有している。なのでアカバのビーチに行き対岸を見渡すと、すぐ目の前がイスラエルの領土でありエジプトの領土である。それでも、アカバはヨルダンが唯一海に接する所ということで、ヨルダン人もリゾート地として利用している。なので、アカバはヨーロピアンリゾートのような雰囲気が漂っている。ここでゆっくりとリゾート気分に浸ってもよいかもしれない。しかし、エジプトはヨルダンよりも物価が安いらしい。ならば、海で遊ぶのはエジプト側の方がいいではないか。ということで、明日はフェリーでエジプトに向かう予定。紅海は世界で最も美しい海とも言われている。ダイバー憧れの地。すごく楽しみだ。機会があればダイビンクやろうかな。

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2006年09月06日

ぺトラの一日

【2006/09/02】

 親切なサーメルとお別れして、ヨルダン第一の観光地、大岩盤をくり抜いて造った多くの建物群がある“ぺトラ Petra”に向かう。朝8時に起きて、タクシーで郊外にあるバス停へ。さっそくぺトラ行きのバスを探す。『ぺトラ行きのバスはどれ?』と近くに居た兄ちゃんに聞くと『あっちだ』と言う。その指差す方に行ってみるとオジサンが手招きしながら『ぺトラのバスはこっちだ』と言っている。しかしバス車内を見てみると誰も乗っていない。値段を聞くと5JD/ヨルダン・ディナール(850円)と高いじゃないか。誰も乗っていない事を指摘すると『すぐ出発するから問題ない』という。なんだか怪しいので乗らない事にした。
 違うバスを探し始めると、こんどは沢山人が乗ってるミクロバスの運転手がコッチコッチと手招きするので聞いてみた。値段は荷物代含めて3JD(510円)だった。満員でもう出発しそうなので、これで行くことに決めた。
 しかし、僕が一番最後の乗客だったので、一番誰もが座りたがらない座席しか残っていなかった。そこは運転席と助手席の間に挟まれた狭い空間。もはや椅子とは呼べないような所だ。なんか損した気分。でも、バスのど真ん中の真ん前なので眺めは抜群。砂漠の真ん中を突っ切るデザート・ハイウェイを十分に堪能できる。おまけに運転手のおっちゃんが日本人好きらしく、色々話してくる。狭い席を不憫に思ったのか『俺にもたれてかかって寝てもいいぞ』なども言う気のいいおっちゃんだ。アンマンからぺトラまでの3時間、微妙な英語でよくわからない会話をしていた。

 ぺトラに近づくと、巨大な岩山が忽然と現れた。もう岩山自体が神秘的な様相をしている。期待は高まる。
 しかし、残念ながらぺトラは噂どおりにボッてくる町だった。もう町中の住人が一致団結してボッてるという感じ。まるで挨拶であるかのように高い値段をまずは提示してくる。宿でもそうだった。ガイドブックに書いてある値段の倍額をまず提示する。『ふざけんな、その半額だろ?』といえば、『それでいいよ』という。実際ふざけてる。そういえば、この町はすべての物において定価の倍額を提示してくる。コーラを買うのに、マーケットを3軒まわってリサーチした結果、3軒とも全く同じ値段の定価の倍額を言ってきた。なんか組合協定みたいなので決めたんかいな。“外国人には倍額で徴収すること”とか。『アンマンではその半額で買えたぞ!嘘付け!』と一喝すれば、『それでいいよ』と値を下げてくる。信用とかどうでもいいらしい。実にめんどくさい町だ。
 首都のアンマンでは、すべて定額にて買い物が出来ていたので、すでに物価を把握出来ていたのだが、もしエジプトから北上してヨルダンに入って、最初にこのぺトラの町に来ていたら、ボラれてるなんて気づかないだろう。皆一様に、同じ倍額でボッてくるからだ。
petrapetra2
 そんなことはどうでもいい。肝心のぺトラ遺跡に行こう。3泊する予定なので、3日間有効チケットを購入。ムチャクチャ高い。学割が効いても16JD(2,700円)だ。だが、遺跡内に入って切り立った岩の隙間を歩いていると、値段の高さなんてどうでもよくなってきた。凄すぎる、なんだこのリアルで探検家になったような気分は!
 ナバタイ人の都市であったぺトラは長い間、外部の人間に知られぬように隠され守られてきた。最初の遺跡“エル・ハズネ(インディージョーンズ/最後の聖戦の撮影舞台に使われた)”に到達するまでに、高さ100m以上はある大きな岩盤の裂け目のような隙間を1kmも通り抜けて行かねばならない。ここがかつて隠された秘密の都市であったのも頷ける。また岩肌に特徴があり、とくに有名なエル・ハズネはまさにバラ色。紀元前1世紀〜後2世紀に岩をくり抜き造られた多くの建物は、その巨大な岩盤群に縦横無尽に広範囲にあり、一日で見てまわるのはまず不可能だ。
 この感動は、カンボジアで見たアンコールワット遺跡群に匹敵する。今まで旅してきた中で、身震いするほど感動した、僕の中での遺跡ランキング。これにより、ぺトラとアンコールワットが同率首位になった。
 今日は6時間もかけて、岩盤を登ったり降りたりを繰り返し遺跡内をなめる様に歩き回ったが、信じられないことに地図で見てみると半分も見てない。でもあと二日ある。残すところをゆっくりと見て行こうと思う。
petra3petra4
 日が暮れようとしているので、ぺトラ遺跡を出ようとゲートに向かって戻っていると、『馬で戻らないか?』とオジサンから声を掛けられた。実際、遺跡内ではラクダやロバ、馬車で人を乗せて移動している。遺跡がとてつもなく広いので、そういう商売があるのは当然のことだ。しかし、値段を聞くとアホみたいに高く7JD(1,200円)という。乗馬はしたことないので、本当は乗りたくて堪らないのだけど、ここは全然興味ないフリをして、『高いからいいや』と断ると、『5JD(850円)でいいよ』と値を下げてきた。ここはボリの多いぺトラ、まだ下がるはずだ。『そんなにお金持ってないし』と去っていこうとすると、『じゃあ、いくらなら乗る?』と聞いてきたので、『1JD(170円)!』ズバっと言ってやった。オジサン目を丸くして『1JD!?...2JDならどうだ?』と食いついてきた。これはいけると思い、『いま、1JDしか持ってないから、無理だね』と、本当は乗りたくて堪らないのに、手を振り、ゲートに向かい歩き出した。そうすると、しぶしぶ『OK..』やった作戦成功!内心はすごく嬉しいのに、しょーがないなという顔で馬に乗った。馬はラクダと違ってすごく乗りやすい。しかし、馬が走り出すと、上下に無茶苦茶振られる。残念ながら暴れん坊将軍のように格好いい乗り方は出来なかった。馬に乗っている間も、馬の口をひいてるオジサンから、『お金持って無いんだったら、1JDとなんか付けてくれ、タバコとか飴でもいいからさ〜』などといってくるけど、タバコ嫌いの僕がそんなもの持ってるわけない。旅に出てから交渉術が上手くなって来たと自分でも思う。以前の僕なら5JDでも乗ってたかもしれない。お陰で、楽に町まで戻ることができた。

 町に戻ると、日本語が少し出来る男に声かけられた。実際に日本に行った事があるらしく、日本人と話したいみたいなことを言ってくる。こういうパターンの奴はかなり怪しい部類に入る。いつもなら、適当にあしらうんだけど、さっき交渉に成功した事があってか、今日の僕は違った。よせばいいのに、コイツの話に乗ってやろうと思ってしまった。『夕日の綺麗なところに連れて行ってあげる。日本人は友達だから、もちろんタダで』という。結局、コイツの友達と三人で、車でサンセットポイントまで移動した。移動中、『日本に彼女が10人いる』だとか『日本には半年いた。日本人の女、Fuck Good!』とか、すげえ頭の悪いことを言う。本当か嘘かわからんけど、頭にくる。本気で殴ってやろうかと思った。
 夕日の写真を撮っていると、コイツはついに本性を現した。『タクシー代としてお金ちょうだい』と、先ほど言った言葉と矛盾することを平気で言ってのけた。そこでついにブチ切れですよ。『おまえ...さっき、タダで行くいうたよな?嘘か?嘘いうたんか?あ?』と大阪弁丸出しで言ってたような気がする。僕が本気で怒ってるのがわかったのか、急に態度が変わって『冗談..冗談だよ!』と一端引いた。とりあえず、車で町まで戻ってもらう。帰りの車の中で、コイツはまた日本の女の話をしている。たしかに、日本人は外人に弱いみたいなところあるし、馬鹿な女もいるが。なんかすげえ日本人なめてるなコイツ。それで、町につくとまた『お金ちょうだい』というではないか。しかも、車のドアをロックして。正直、こんなになめられたのは怒りを通り越して情けなくなった。ぶん殴ってやろうかと思ったけど、そこは抑えて『おまえ、嘘付いてないと言えるんか?たしかに日本人は友達だからタダって言ったよな?日本人なめとんか?』とこちらの正当性をアピール。それでもわけ判らんことをぐだぐだ言うので、ヨルダンで最近使うようになった切り札のアラビア語『ワッラー?(神に誓って、本当か?)』というと、簡単に開放してくれた。イスラムの教えは絶対だ。あまり使いたくないけど、それを逆に利用させてもらった。結果として、タダでサンセットを見に行けたけど、精神的に疲れて後味悪い。もうおまえ日本くんな。

 宿に戻ると、レセプションの兄ちゃんが面白い人で、部屋の鍵をもらうだけの用事なのに、1時間くらい喋りこんでしまった。『日本語は難しくて、僕の少ない脳のメモリでは覚えられないよ』という話から始まって、何故か最後はお絵かき大会みたいになった。僕は基本的に絵はドラえもんの顔しか描けない。ドラえもんを描くと、『それは何?』という、まあ知らないだろうなあ。『猫だよ』というと『猫?耳が無いね』。確かに、ドラえもんってどう見ても猫に見えないな。彼はドラえもんに耳と胴体を付け加えだした。しばらくすると紙の上に、ドラえもんの顔をしたスフィンクスのような物体が。二人で大爆笑した。さっきの嫌な出来事を吹き飛ばすくらいの。petra5petra6

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死海でぷかぷか

【2006/09/01】

 ついに今日、早朝に目覚めることが出来た!一週間ぶりだ!何故早起きをしたのか?、理由がある。気分転換の宿替えと、ヨルダンで絶対に行きたいところ“死海”に行くためだ。
 予想外に一週間もダラダラと居た宿を離れ、少し歩いたところにあるクリフホテルというところに向かう。ここは知る人ぞ知るホテル。イラクでの日本人人質事件で有名になった宿だ。そこにいるサーメルという使用人がもはやアンマンの名物になっている。彼は誰もが認める超絶親切な人。そう誰からも言われるんだ、とても気になるじゃないか。今日の宿替えは、彼を一度は見てみたいという目的でもある。
 宿はツインルーム式のドミトリーで3.5JD/ヨルダン・ディナール(600円)、宿の質は悪くない。問題のサーメル、ひと目でわかりました。さっそく彼と話してみると、ものすごく腰が低い。コーヒーまでご馳走になりました。『ありがとー』と言ったら『どういたしまして』と日本語で返してきた。ちょっと嬉しい。それにしても、ここまで欲の無い人も珍しい。彼は旅行者のために、少ない給金から自腹を切ってまで、色々とお世話をする。まさにサービス業の鏡。32歳で解脱している感じの彼は、まったくもって噂どおりの人だった。気を使いすぎのせいか、ちょっと頭が薄くなってる。

 イスラエルとヨルダンの境にある塩湖“死海”。その名が示す通り、塩分濃度が高すぎて生物が生息できない死の海だ。小学校の授業時、社会の教科書で見た写真。オジサンが海に浮かびながら本を読んでいる写真。それをぜひ体験してみたい。
 アンマンから死海までの道のりは近いけど遠い。50kmほどの近郊なのに、交通の便が極めて悪い。死海はアラビア語で“バハル(海)・メイエット(死んだ)”というので、『バハル・メイエット!バハル・メイエット!』と連呼しながら人に行き方を聞きまくり、タクシーとバス2台を乗り継ぎ、たった50kmの道のりを2時間もかけて向かうことになった。
 アンマンからずんずんとバスは渓谷を下っていく。不思議な気分だ。死海は海抜マイナス394mなので、まるで地球にめり込んでいくように下っていく。

 死海は冗談抜きで暑い!体感温度が3度ほど上がった。面積は琵琶湖の約1.5倍,最も深い所で400m,死海の水面は地球上で最も低い地点,海抜マイナス394mだ。考えると、僕らが普通の海で泳いでいる所、そこは死海よりはるか上空にあることになる。
 まずは死海の水を味見してみる。ぐはっ!舌をつけた瞬間に刺激が。味は辛いを通り越して何故か苦い。舌をつけただけでこんなんやったら、もしゴックンと飲んでしまったら、死んでしまうかも。
 さっそく水着に着替えて、死海の水面で体を横たえてみる。本当に自然に浮かぶ。ものすごい浮力で体が持ち上げられる。なんと肘をついて横になって寝転ぶことも出来る。ヒザから下を空中に持ち上げることも出来る。すごく楽しい。自分が発砲スチロールになったみたいにクルクル体を回して浮力を楽しんだ。
 今度は泳いでみた。新発見!浮力が強すぎると泳げない。足が強制的に水面上に出てしまうので、バタバタができない。死海ではクロールができない。平泳ぎも出来ない。使えるのは手だけだ。でも、体がほとんど浮いてることにより水の抵抗が少ないので、手だけでも結構進む。このまま対岸のイスラエルまで泳いで行けるかもしれない。疲れたら浮いて休めばいい。しかし、死海に行くまでにパスポートチェックがあったくらいなので、警戒は厳重そうだ。見つかったら射殺されるだろう。
 数分ほど死海に浮いていると、引っかき傷や唇など皮膚の弱いところがすぐに痛くなる。まさに傷口に塩を擦り込まれている状態だ。すぐに我慢できない激痛となり、10分ほどで死海遊泳は強制終了した。

 高濃度の塩分が作り出す不思議な水。塩分濃度は27%で通常の海水の約5倍。水はぬめりを帯びており、温泉に入った時のように肌がすべすべになる。実際、死海の水は美容に良いという話があり、そういう目的で死海に来ている人もいた。死海の底にたまっている泥を体に塗りたくっているオバちゃんがいた。僕にも塗ってみろと泥をドンドンよこしてくるので、折角だし塗ってみた。泥まみれになった体は気持ち悪い。若干肌がスベスベになったような気がしないでもないが。元々、死海の水につかっただけで、肌がヌルヌルするので、効果のほどはよくわからない。
 死海はこれだけ面白いところなのに、やっぱり交通の便が悪い。帰りも死海のビーチからアンマンへ行くバスが無いので、半ばヒッチハイク気味にアンマンに戻っていった。
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2006年08月27日

ジェラシュ遺跡

【2006/08/26】

 今日はアンマンの北約50km、バスで一時間ほどのジェラシュ遺跡に行く。ジェラシュ遺跡はローマ人がアラブに作ったローマ遺跡のなかでも壮大かつ華麗な遺跡のひとつで、ぺトラに次ぐヨルダンの見所だ。これを見逃すことは出来ない。もうダマスカスのような失敗はしない。と目覚まし時計を9時にセットしたのに、起きたら12時だった。(あー、もう今日は無理かなー。今日は無かった日にしようか)などの駄目思考を、幾度か戸惑いながらも振り払って、バスターミナルに向かった。近郊なのでまだ間に合うはずだ。ジェラシュ行きのバスがどれか人に聞いて乗り込む。料金は0.4JD(66円)だ。やっぱりヨルダンは、シリアに比べて少し物価が高いように思える。それでもヨーロッパから南下してきた僕からすると、断然安いと感じるレベルだ。

 ミニバスで1時間、ジェラシュ遺跡に到着した。遺跡の入場料金はビックリするほど高かった。ガイドブックに書いてる値段よりも上がっていて、しかも学割が効かない8JD(1,300円)だ。前言撤回、ヨルダンは物価が高い。高い金払って入った問題のジェラシュ遺跡は、シリアのパルミラ遺跡群と比べてしまうと、やっぱり落ちる。でも、コレだけの規模で遺跡が残っているのは、素直にすごいと思う。円形劇場やアルテミス神殿,列柱回廊など綺麗な形で残っている。遺跡好きにはたまらないスポットであることは間違いない。
 2時間ほど隅々までみて、満足したのでアンマンに戻ることにした。またバスは何処から出てるのか3人ほどに聞いてまわった。正直、人に聞かないと全然わからない。アラビア文字は何て書かれているのか解読不能だし、どうみてもバス停とは思えないような場所が停留所になっていたりする。でも、ヨルダンもシリアほどではないにしても、人は親切なので本当に助かっている。

 アンマンに戻り、夕食をとる。そういえば、ヨルダンでは食事が美味しくなった。シリアでは吐きそうになりながらも、栄養を取らなければ死んでしまうので頑張って食べていたという状況だったのだが、ヨルダンでは普通に食べることができる。アラブ料理ということで、食事内容はあまり変わっていないはずなのに、味が良くなっている。とくにラム肉(子羊の肉、マトンとは違って臭みが無く柔らかい)がビックリするほど美味しい。これだけでヨルダンに来た甲斐があった。jerash

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ヨルダン・ハシミテ王国

【2006/08/25】

 まあ、何というか。どうしても起きられない時だってあるんです。まあそういう事です。ダマスカスまで来て、近郊にある行きたかった遺跡に行けなかったってのは、それのせいなのだ。というわけで、4日間も居なくてもいいダマスカスで呆けっと過ごしていたわけ。何にしても、今日はヨルダンに行く。いや行かなければならない。何故なら、シリアビザの15日間有効期限がもう明日には切れてしまうからだ。部屋に直径5cmくらいのゴキブリが10匹ほどいる宿から開放されるので、まったく問題ない。むしろもっと早く出てもよかった。

 ヨルダンの首都“アンマン Amman”行きのバス切符を購入。国境越えのバスだからか350SP(800円)もした。でも、サービスはトルコのバス並。コーヒー・紅茶・ジュースのサービスがあって嬉しい。でも、今日はイスラムの休日(金曜日)のせいなのだろうか、バスの乗客は非常に少なく、10人しか乗っていない。その10人の中に6人家族がいて、その家族の一人11歳のアブドゥラ君と友達になった。まあ、案の定、空手・カンフー繋がりなんだけど。おかげで、こんな楽しい国境越えは初めてだった。出入国審査待ちの時間なども、ずっと彼と遊んであげた。空手や柔道とかの技もよく知ってる。一本背負いしてきたのは驚いた。あと、『カタ!・カタ!』とか言いながら、怪しげな空手の型を披露してくれた。お返しに、合気道の技を一つ教えてあげたら、その効果に凄くビックリして、ムチャクチャ喜んでくれた。
 彼は、お母さんと兄弟達5人でヨルダンに帰国しているところだったのだが、そのお母さんが少し英語が話せる。しかし、宗教上の理由からなのか、直接旦那以外の男と話し込んではよくない、また座席も隣同士は駄目というのがあるようで、面白いことにアブドゥラ君経由で質問してくる。彼に英会話を仲介させるのだ。『Where are you go?』に始まり、『シリアはよかった?,アラブ諸国は好きですか?,大学で何専攻してるの?,クリスチャンですか?,日本のお金見せて,中国は行ったことある?,中国は綺麗でした?,兄弟はいますか?.....』など質問が尽きない。アブドゥラ君、中継を大変そうにやってたけど、お母さんの声こっちまで聞こえてるし。あんまり意味ないよー。彼の中継は伝言ゲームのように単語が変わってたりして笑える。しかし『アラブの食事は美味しいですか?』の質問にはちょっと答えが詰まってしまった。「マズイ」と正直に言ってよいものか。兄弟の中ではアブドゥラ君が一番上で、その下に弟と妹3人がいる。みんな可愛い。一番下の子はまだ0歳の赤ちゃんだった。赤ちゃんも抱かせてもらった。髪の毛がモヒカン状にしか生えていないのが、僕の赤ちゃんの頃そっくりだった。自分の赤ちゃんの頃の写真を思い出して笑える。妹たちもモヒカンが面白いらしく、赤ちゃんのモヒカン部分ばっかり触ってる。
 そんなこんなで、あっという間に4時間がたち、いつの間にかヨルダンの首都アンマンに到着していた。到着したら、彼らのお父さんが迎えに来ていた。お父さんもアブドゥラ君に紹介され、そして最後に『マアッサラーマ!(さようなら)』といい握手して別れた。アブドゥラ君に何度も反復練習させて、日本語の「さようなら」を教えたのに、どうも忘れていたようだ。

 それはそうと、ヨルダンにもビザというものが存在するはず?なのだが、国境で無料取得できるという情報は、前もって知っていたけど、まさか本当にスタンプを押されるだけとは、、、、。こんなのビザじゃないやん。有効期限も記載されてないし、他の国の入国スタンプと変わらないんだけど。もしかしてビザ制度無くなったのだろうか?まあ、入国できたんだから問題無しとしよう。

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2006年08月25日

ダマスカス

【2006/08/21】

 また下痢になった。おなか痛いのを我慢して、ダマスカス行きのバスにのる。大型バスなのに、僕を含めて5人しか乗っていない。料金は125SP(280円)なのに採算合うんだろうか。砂漠の中を突っ切り、約3時間でダマスカスのバスターミナルに到着した。
 実はバス代を払った時点で、現地通貨シリアン・パウンドを綺麗サッパリ使い切ってしまった。所持金ゼロじゃあ、バスやタクシーに乗ることもできない。とりあえず、歩いて中心街まで向かうことにする。人に聞きながら、トコトコ、トコトコ歩いていく。まだ着かない、ここは一体何処なんだ。ガイドブックにある地図は英語と日本語しか表記していない上に、アラブ人は地図がほとんどよめないので、地図みせても現在地の場所になる手がかりがつかめない。なので、今自分がどこをどう歩いているのかさっぱり見当つかなかった。言われるがままに、人から聞いて歩いているだけとういう状態。さらに30分くらい歩いても、中心街っぽくならないので、暇そうにしていたちょっと英語が解るオジサンに聞いてみると、ここからあと5kmはあるらしい。バス停から中心街、どんだけ離れてんだよ!でもお金ない。半分ほど歩いてきたみたいだし、残りも頑張って歩くことにした。
 また30分ほど歩くと、人通りが多く中心街っぽいところに着いた。この頃に、下痢による腹痛がかなり厳しくなっていた。さっさとお目当てのホテルに着くことが出来ないと、目も当てられない事態になってしまう。そういう状況により焦っていた。ガイドブックの地図にある似たような地形を見つけ、勝手に現在地として設定して、そこを基点にしてホテルを探し始めた。しかし、探しても探しても見つからない。運悪く勘が外れていたようで、当たり前の如く地図とはかけ離れた場所でさまよっていたらしい。本当に運が悪いことに、現在地として僕が勝手に設定した場所は、後でたどり着いた本当の場所と道路の配置や公園の位置などが、かなり似ていた。
 グルグルとそこら一帯を探すも、見つかるわけも無い。間違いに気づいたのは、30分ほど時間を費やしてからのことだった。また人に聞きまくる。合計20人くらいに聞いただろうか、シリア人は親切からなのだろうが、あまり良くわからなくてもコッチだー!っと自信満々に言うので、これまた、ウロウロと行ったり来たりしながら、少しずつ中心に向かって行った。
 疲労困憊、腹部限界に達しながら、ホテルに着いたのは、ダマスカスに着いてから3時間後のことだった。部屋の値段を聞くと、ドミトリーでも300SP(680円)だと!パルミラでエアコン付きの個室が250SP(560円)だったのに、なんか納得いかねー。しかもパルミラではあんなに旅行者が居なかったのに、ダマスカスにはウヨウヨいる。何件かまわったけど、結構もう満室になっている所が多かった。なので宿側も強気だ。交渉権無しですかそうですか。

 ダマスカスは歴史のある街。旧約聖書が書かれた時代から変わらずに存在する約1.5km続く真っ直ぐな道や、世界最古のモスク“ウマイヤド・モスク Umayyad Mosque”などがある。まさに4000年の歴史がつまっている。でも今日はグッタリするぐらい歩き回ったので、観光はいいや。test

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2006年08月21日

パルミラ遺跡群

【2006/08/19】

 昨日の日記で、「明日は一日かけてパルミラをゆっくり見よう」とか言ってたくせに、目覚めたのは午後3時だった。一応言い訳すると、エアコンが快適すぎなのがいけない。半年振りのエアコンだし、そりゃ駄目にもなる。まあ目覚ましもセットしてなかったんで、気がついたら3時みたいな。
パルミラパルミラ2
 とりあえず、観光に行かなきゃ。1.5Lのペットボトルの水を買って、いざ徒歩で遺跡へ。
 しかし残念、やっぱりここは観光地でした。まるで人が駄目すぎ。遺跡内でまともに素朴でよかったのは1人だけでした。しかも、遺跡を何故かランニングシャツで、元気に走り回っていた男の子だけ。他の奴らは全員商売っ気丸出し、もしくは『キャンデー?,ガム?,ペン?,マニー?』と何かを強請ってくる子供たち。まあ、遺跡自体は凄く良かったんだけど、こいつ等のせいで精神的に疲れた。救いは全然観光客がいなかったので、貸切状態だった事かな。でもそのおかげで、客引き達から集中砲火を浴びたのかもしれない。
 パルミラ遺跡自体は、入場料金というものは無い。それでもバール神殿やアラブ城など、ちょっと区分けされたような所だけ料金が必要になる。でも学割が効くから平気さ、とか思ってバール神殿で国際学生証見せたら、26歳以下じゃないと駄目と言われた。悔しいけど150SP(330円)を払って入ると、見ても外にゴロゴロある遺跡群とあんま変わらない。これは微妙だ。
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 パルミラでは駱駝に乗るのも目的の一つ。遺跡内には駱駝が沢山待機しているので、値段を聞いてみると、300SP(660円)とかいう。高い、ふっかけてやがる。『だって、そんなにお金もってないもん』といった値切り文句による微妙な値段交渉の末、100SP(220円)にしてもらった。30分ほど遺跡内を駱駝に乗って彷徨い歩き、シルクロード気分を満喫した。しかし駱駝は思った以上に怖い。足が長いので、立ち上がると結構な高さになるし、歩くとガクンガクン揺れる。そして思った以上に凶暴だ。手綱引っ張ってるオジサンに何度も噛み付こうとしていた。オジサンも負けずに蹴ったり叩いたりしていた。

 駱駝を楽しんだあとは、パルミラ遺跡の列柱回廊をずーっと歩いて抜けて、北西の丘に位置し遺跡群を見下ろすようにそびえるアラブ城まで歩いていく。普通の人ならタクシーで行くような所だが、僕は前に日記で書いたとおり“マッチョ思考”なので歩いていく。傾きかけているとはいえ、日差しがきびしい。1.5Lの水も飲みきってしまった。ちょっとマッチョ思考も考えものだな、と後悔しながら1時間ほどかけてようやく登頂した。しかし、苦労した甲斐は十分あった。アラブ城では年齢がバレずに学割が通用した。5SP(11円)で入れたので、とても嬉しい。そしてアラブ城から見える、夕日に照らされたパルミラ遺跡群の全貌はもう、素晴らしいとしか言いようがない。昔、写真で見たものが、そのまま此処にある。誰も居ない城で、ずっと見入っていた。ここでは時間がとてもゆっくりと流れていた。
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 日が落ちたので、町に戻って夕食をとる。なんだかんだで、やっぱり一日一食になっている。まあ、飯が不味いので、食欲がおきないのが理由かもしれない。しかし、今日食べたものは違った。注文したカラジという食べ物。ジャガイモとトマトとチキンの鉄板料理でシリア料理にしては珍しく美味しかった。しかし他の店で、こんな名前のものは見たことない。この店だけの創作料理なのだろうか。

 やっぱり砂漠気候なだけあって、ここは非常に乾燥している。適当に絞っただけの洗濯物も、部屋干し1時間ほどで乾いてしまう。1.5Lのペットボトルの水も、外を歩いていると小一時間で飲み干してしまう。飲んでからの尿意も全くない。これだけ暑いと汗がダラダラでて、服がベトベトになるだろうと思いきや、そんなことは無い。おそらく、汗が出ても瞬間的に乾いてしまうのだろう。体の塩分濃度が薄くなっているような気がする。

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パルミラへ

【2006/08/18】

 今日はシリア第一の観光地というか、ここを行かないとシリアに来た意味が無い場所。昔から行きたかったシルクロード隊商都市の“パルミラ Palmyra”に向かう。
 無表情だけど、実は親切だったお爺さんの宿を出て、ホムスのバスターミナルまで行く。朝早いし宿からターミナルまでは3kmほどあるので、ちょっと歩いていくに遠い。なのでタクシーを使った。あまり考えず事前交渉無しで、タクシーに乗り込んだ。これがいけなかった。考えたらどんなに親切な国でもタクシーだけはボッてくる。日本のタクシーですら遠回りとか平気でする。ちょっと不注意すぎた。ターミナルに着くと、タクシーが『100SP(225円)払え』という。高すぎるだろう?たった3kmだぜ?と、タクシーを降りて口喧嘩になった。すぐに周りの人が仲裁に入ってきて、結局60SP(135円)払うことになった。仲裁に入ったオッサン曰く、これが相場らしい。僕が払おうとしていた25SP(56円)だと安すぎると言われた。本当かどうか、よくわからん。タクシーだけはそんなに安くないのかな。シリアで初めて嫌な目にあった。まあ自分の不注意もあるんだからしかたないけど。

 ターミナルの窓口でパルミラ行きのチケットを買う。大型バスで約2時間半の距離が90SP(203円)だ。さっき払ったタクシー代とあんま変わらん。納得できねえー。
 チケット買って『バスは何処から出る?』と窓口で聞くと、ちょうど同じ時にパルミラ行きの切符を買ったオジサンがいたので、『彼について行きなさい』と言われ、連れて行ってもらった。
 彼とはバスの中で3時間くらいお喋りしていた。彼の名前はハッサンという。忘れっぽい僕がまだ覚えているくらい、アラブ人にしては覚えやすい名前だ。彼はまったく英語が出来ないので、ガイドブックにあるたった2ページしかないアラビア語単語を使って、よくわからない会話をしていた。年齢を聞いてみると、オジサンだと思っていたのに、僕よりも6歳も年下で21歳だという。びっくりした。おまけにもう結婚している。どこか普通の人とは毛色が違うと思っていたが、軍人らしい。しっかりしてんなーと思っていたけど、バスの中でカメラを見せると、大喜びで色々変なものを撮ったり、僕の顔を超接写で撮ったりして遊んでいた。ハッサン曰く、パルミラのことをアラブ語では“タドモール Tadmor”というらしい。(のちに調べてみると、紀元前18世紀の楔形文字で書かれた文書で「タドゥミル」とこの町の呼び名が残されている。町の歴史は相当長いらしい。)それからガイドブックに書かれていたアラビア語を全部発声練習させられた。ガイドブックにカタカナで書かれている発音と全然違う。これじゃあ、いままで通じなかった訳だ。そんなこんなしてると、砂漠しかなかった風景に突如、町並みが見えてきた。と同時にハッサンが『こっち見て』というので、指差す方に目をやると、『おおおおおっー!!』パルミラ遺跡の全貌が見える。それは言葉では言い表せない。昔から行きたかった遺跡だった。そして今、その場所にいる。明日は一日かけてゆっくり見て回ろう。

 ここはシリア最大の観光地だというのに、シーズンオフなのか、中東情勢の問題なのか、旅行者がほとんどいない。なのでホテル側も必死だ。微妙なやり取りの末、エアコン付きの部屋を半額以下の1泊250SP(560円)にまけてもらうことに。しかも元々ツインの部屋なので広い。『隣のオランダ人は600SP(1350円)で泊まってるから、秘密にしといてくださいよ』とオーナーに念を押された。折角なので、ここで3泊ほどゆっくりすることにしよう。観光は明日の楽しみに置いといて、市街地を見て回った。感想としてパルミラはやっぱり、悪い意味でも観光地だったというしかない。子供達が『Hello!』の次に物を強請ってくる。『ベンベン』と言ってずっとワラワラついてくる。ガイドブックに今ですら書いてある(日本製のボールペンをあげると喜びます)という文を参考にして、本当にペンをあげた人が沢山いるんだろうか。そういうの止めてほしい。後から来る旅行者に大変迷惑だ。子供からしたら貰えるのが当たり前と思っちゃうじゃないか。幸い、近くにいたオヤジが子供達を一喝してくれたので、助かった。そういえば、昔は日本でも近所の子供を叱るオヤジがいたよなぁ。

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