主に、彼女のままならない生活について(完結)

決して一生懸命になんて生きられない、僕と彼女の共通点。全9話。

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 後になって考えると、僕らはどちらも決定的な事を言っていなかった気がする。気恥ずかしいという気持ちもあるんだろうが、僕としては二人の目標が関係していると考えている。

 『頑張らないまま幸せになる』
 怠惰なだけじゃないかと、無気力なだけじゃないかと言われればそれまでだが、頑張った人にだけ与えられる名誉、栄誉、それに伴う幸福という物が僕らはどうしても好きになれなかった。
 ならば偶然知り合いになったから、僕は瑠璃にとりあえず惹かれてみただけなのか。それも違う。僕と瑠璃は目標達成のための相互補完関係なんだ。一人では何者でもない僕らの、欠けた部分を和集合で埋めるような。無駄がありすぎて、絵に描いたような幸福に向けてなんてちっとも埋まらないかもしれないけど、それでも足掻きたかった。怠惰に、無気力に、それでも幸せになりたいと思うことは、いけないことなんだろうか。

 取り留めもない話だ。結局僕は瑠璃が好きなんだろうし、瑠璃が僕を好きであり続けて欲しいと願っている。
「どうしました?変な味しますか?」
 瑠璃が僕を見て不安そうな顔をしている。
「ああ、いや、美味しいよ。ちょっと考え事してて」
 答えたとたんに険しい顔をして目を細める瑠璃。
「集中してください」
「集中って」
「私と食物に感謝しながら食べてください」

 瑠璃は今、管理栄養士になるために首都圏から少し離れた女子大に通っている。大学の近くに部屋を借りているが、週末にはこうして帰ってきて、僕にご飯を作ってくれている。何故管理栄養士になろうとしているのかは聞かなかった。薄情かもしれないが、それは瑠璃の問題だからだ。僕らは一心同体でも運命共同体でもない。和集合な僕らは各々に輪を広げる。

 僕は生まれて初めて部下というものを持ったし、瑠璃は大学で新しい友人が出来、部屋に住み着いて大変だと言っている。なんでも、大学の飲み会で瑠璃が(ビールのグラス半分で)潰れたのを介抱してくれたところから交友が始まったらしい。その子は僕らとは正反対のやる気に満ち溢れた行動派で、宗教の勧誘のために作られたようなサークルを四日で潰した話など、逸話には事欠かないらしい。今度連れてくると言っていたが、かなり恐怖している。

「瑠璃」
「はい?なんですか」
「最近はどう?」

 瑠璃は薄く笑ってから首を振って答えた。
「どうにも、ままならないことばかりです」

「あれからどう?」
「どう……と言ってもまだ一日しか経っていませんから。少なくとも世界を救うなんてことにはなっていないようです」
「あはは……そりゃそうだよね」

 我ながら間抜けな質問をした。瑠璃は黒いダッフルコートにグレーのチェックが入ったチノパンを穿いていた。こうして向かい合わせて座っていると大学生と言っても通じるな、と思った。
 ――思ったところであることに気がついた。
「そういえば瑠璃ちゃんって高校生で良かったんだよね?」
「今更ですね。次の四月で三年になります」
「なるほど。この前はなんとなく聞きそびれちゃったからね」

 そう言って僕は紅茶を一口飲む。
「進路とか、聞かないんですね。さっきの言い方をするとほとんどの方はそういった話をしてきますが。まぁ、遠城さんが私に興味無いだけかもしれませんが」

 最後の方はほとんど聞こえないくらいの声だった。目線を逸らしながらそんな事を言う瑠璃を可愛いと感じてしまった。
「聞いて欲しかった?」
「そんなことは、ありませんけど」
「僕は嫌だったんだよ、テンプレートみたいにやれ進学はどうするとか、就職はどうするとか聞かれるのが。レールを少しでも外れたら一斉に指差されそうな空気というか」
「ふふっ、遠城さんも苦労してきたんですね」
「苦労、そうなのかな」
「ええ、恐らくはそうです。少なくとも私は今苦労してますから」
「うーん、進路ねぇ。僕はいっそのこと、これをやれ!って言って欲しかったな」
「私もそう思います、期限付きの自由なんて学校の課題と大差ありません」
「そう言われればそうだなぁ」

 やろうと思えばなんでも出来るんだから、好きなことを見つけて勉強しなさい。なんて言われた記憶があるが、結局入試までには決めなきゃいけないし、その後も大学卒業までに本当にやりたいことってのを見つけなくちゃいけない。
「僕はよくここまで生きてこれたな」
「羨ましいですよ、『先輩』」

 僕は今の仕事が、大変だけど嫌いじゃない。漠然とした不安はあるけれど、このままやっていけるんじゃないかという打算もある。こうした止まり木を見つけられたことは率直に運がよかったと思う。もう一度飛ぼうとしない事は問題かもしれないけれど。
「精進し給え、『後輩』」
「なんか今、その余裕にムッとしました。女子高生をまた家に連れ込もうとしてるくせに」
「ど、どういうことだろう」

 危うい台詞につい周りを確認してしまう。僕らの他にはカウンターにしか客が居ないのを見て安堵する。
「そのビニール袋、駅の百均の袋ですよね。あそこに売ってる物の中で、新聞紙に包む必要がある物なんて陶器くらいです。そんな数、一気に割れたんですか?必要最低限で十分な遠城さん?」

 口を開きかけたが、それを再び閉じた。反論の余地は無い。そもそも僕も何故買ったかわからないんだ。僕は精一杯の抵抗として紅茶をもう一口飲んで視線を窓にやった。
「冗談です、少しふざけ過ぎました。この仮定は遠城さんが私を気にかけてくれている前提の話ですからね」

 瑠璃はしゅんとした様子でソーサーを両手で覆う。僕は咄嗟に考えた。僕の知る限りの瑠璃の性格と、遠まわしに相手に好意があるか確認しようとしている行為について。僕の気持ちについて。一昨日会ったばかりの相手にこんな感情を抱くのはおかしいんだろうか。けれど、望めるのならば一般的で無い、少しだけ特殊なことならいいなぁと、僕は心の中で少し笑って、恥をかくことにした。
「僕も一つ確認したいことがあるんだけど」
 瑠璃が顔だけを僕に向ける。
「僕がこの店に入ったとき、まだ瑠璃ちゃんは居なかった。となると、僕が奥に座っている状態で瑠璃ちゃんが入店したわけだ。奥に人が座ってるのを見てあの席を選んだと思うけどその時に顔くらいは見ているだろう。そして座ったのが僕に背中を向ける形。つまり、自分から話しかけることはしないが気付かれる事は期待していたんじゃないかな」

 相手が自分に好意を持っている前提で話すというのは、思ったよりも更に恥ずかしい。顔が赤くなっているのを感じながら、最後まで話し終えた。
 瑠璃は暫く唖然とした表情を浮かべていたが、急に笑い出した。
「な、なんですかそれ。ふふふっ、遠城さんがそんな自信家だったなんて。でも、ありがとうございます」
「お礼を言われるような内容じゃない気がするけど」
「じゃあ、なんでもありません。それよりも、今度また遊びに行っていいですか?」

 笑顔の瑠璃を見て、僕は仕方なくという風を装って答える。
「ああ、僕が家にいるときはいつでも。『偶然』今日食器を買ったし」
「では、『仮に』暇が出来たら遊びに行かせてもらいますね」

 そう言って、机の上に置いていた文庫を手にとって立ち上がる瑠璃。
「あれ、その本僕がさっき買ったのと同じ」
 自分の本があるのを確認して呟く。
「遠城さんが買ったのを見て、私も読み返そうかと思いまして」
 後で聞いた話だが、R・Cは「千葉 良子」ではなくて、「瑠璃 ちゃん」らしい。そんなのわかるはずないと、僕は抗議をしたが、あれがイニシャルだと誰も言ってないと一刀両断された。

 千葉さんお勧めの本を買って、本屋を出た僕は少しだけ本を読んでいこうと、駅前施設から出た。表通りから一本外れた所にある喫茶店に入る。昔からの喫茶店という雰囲気でカウンター六席、テーブルが五卓ある。満席のところは見たことが無いが誰も居ないことも無いので、それなりに客は入っているんだろう。

 僕はカウンターの中にいるマスターに頭を下げて、奥の席を指差す。マスターが微笑んで頷くのを見て一番奥の窓際席に座る。程なくしてマスターが水を持ってやってきた。

「紅茶だけでいいかい?」
「はい、とりあえずは」

 マスターは四、五年前までどこかの会社で働いていて、定年になって喫茶店を始めたということだった。そう考えると六十歳はとうに越えているはずだが、僕の目には五十代手前に見える。自分の祖父と比べているからそう思うのだろうか。

 この店は僕がこの町に越してきて、三ヶ月ほどで見つけた店だった。駅前に有名なチェーン店のコーヒーショップがあるが、いつもそこは混んでいる上にコーヒーがメインのため、紅茶を注文するとお湯の入った紙コップとティーパックが付いてくるのが常だった。そんな時、いつもと違う道から家に帰ろうと裏道を探していると、この店に出会った。

 ここではきちんとカップとポットで紅茶が出てきた。僕が通い始めた理由はそれだけだが、三年も通うと、一番奥の窓際は僕の定位置となった。コーヒーを目当てに来ている常連さん達にも定位置があるらしく、僕の目にはカウンターはいつも予約席状態に見えた。
 マスターの運んできた紅茶を一口飲んで、先ほど買った文庫本を取り出す。もう一度あらすじを読んでから本文に手を付ける。


 二十ページ読んだあたりで一息つく。まだまだ本題には入っていないが、場面が変わるちょうどいい部分だった。窓の外を見ると暖かそうな陽射しがアスファルトに降り注ぎ、ベビーカーを押すお母さんの姿が目に入った。そのお母さんと子供の手に暖かそうな手袋があるのを見て、まだ寒いのだと結論付ける。

 その親子の姿を追っていくと、窓ガラスに反射した店の光景に見覚えのある人物を見つけた。僕は入り口側に背を向けて座っているが、その人物は席を一つ挟んで、入り口側を向いて座っていた。顔は見えなかったが、あの濃紺色の髪には明らかに見覚えがあった。僕は確認のためにトイレにいく振りをして彼女の隣を通り過ぎる。そこに居たのはやはり瑠璃であった。

「あ、やっぱり瑠璃ちゃん……だよね?」
「え、ああ。遠城さん、その節は」
「奇遇だね、こんなところで」
「ええ、駅前のコーヒーショップは少し賑やか過ぎますので」
「僕もそんなところ」

 そこで迷ってしまった。話し掛けたはいいが、この後どうすればいいのだろうか。一緒に座ろうと提案するか?いやでもそれは図々しいんじゃないだろうか。そもそも誰かとの待ち合わせかもしれない。

「遠城さんはどなたかと待ち合わせですか?」
「いいや、違う違う。本読んでただけだよ。瑠璃ちゃんは誰かを待ってるの?」

 僕の葛藤を見透かしたような瑠璃の質問に、僕は慌てて答える。

「私も本当は昼食の買出しに来たんですが、今は本を読んでいただけです。それなら遠城さん、一緒に座らせてもらってもいいですか」
「うん、もちろん」

 自分の席を指差して、瑠璃のカップとソーサーを持つ。それらを僕が座っていたテーブルに置きながら、なんて格好悪いんだろうと若干の自己嫌悪に陥っていた。

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