2013年10月

2013年10月29日

10月29日(火) 曇りのち雨
 季節が半月以上ずれている感じで、麦星農園の周辺ではもうちょっとで紅葉が見ごろ。農作業では、いくつかあった懸案のうち、いくつかはようやく片付け、いくつかはすっぱりあきらめ、まだいくつか残ってます。もう一踏ん張り。

 さる26日(土)、長野有機農研東信地区主催で、農婚イベントを開催しました。東信地区の長は私なので、少なくとも名目上は私が主催責任者なのですが、「募集中」の身としては参加者の一人でもあり、ちょっと微妙な立場。
 今まで長野有機農研のイベントというと、講演会やワークショップがほとんどで、合コンをちゃんとしたイベントとしてやるのは初めての試みで、勝手がわからずいろいろ苦労がありました。特に当初は参加申し込みの出足が低調でどうなることかと思いましたが、何とか男女合わせて24名の受け付け。これで一安心と思ったら、今度は台風27号がドンピシャのタイミングで日本列島に接近。幸いかなり南寄りのコースをとってくれたので、交通機関の乱れなどもなく、全員来場していただけました。
 一参加者としては成果なしでしたが、イベントとしてはかなり盛り上がりました。

 こういう内容で以下のような話を付け加えるのもなんですが、わが故郷伊豆大島が大変なことになってます。島で有機農業を営む弟も、連日消防団員として復旧作業に駆り出されてます。弟の住んでいる地域は幸い今のところ被害は出ていないようですが、なにぶん島丸ごとが火山灰が積もってできています。また記録的な大雨となれば、連鎖的にどこまで崩れるのか予想がつかないようで、心配です。

2013年10月13日

10月13日(日) 
 12日土曜日は日比谷野外音楽堂でゴダイゴのライブ! まだまだ畑仕事が忙しい時期ですが無理やり時間を作って行ってきました。例によって男3人兄弟揃って。全員40過ぎのおっさんです。しかし周囲もだいたい同年かもっと上の世代がほとんどで、60〜70代とおぼしきご婦人が立ちっぱなし振り付きで声援していたりもします。まあゴダイゴのメンバーからして全員還暦過ぎたそうなので、当たり前と言えば当たり前。

 ところで、東京に出発する前に、早朝から直売所に出荷する野菜を収穫していたのですが、この日の朝は高冷地の10月半ばとは思えないほどの暖かさ。東京や大阪では真夏日を記録したとのことで、実際東京の道を歩いていると、そこらじゅうでキンモクセイの香りが漂う季節なのに、半袖でもウンザリするような暑さでした。
 ところが今日信州に帰ってきてラジオのニュースを聞いていると、今朝の長野県はこの秋一番の冷え込みだったとかで、我が家の温度計も3.5度まで下がっていました。野辺山高原では氷点下だったとか、どこかの山では初冠雪を観測したとか。1カ月逆戻りしていた天気が、一気に遅れを取り戻したかのよう。明日の朝も寒くなりそうです。

2013年10月02日

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10月2日(水) 晴れ
 9月はあっという間に過ぎて行ってしまったような。麦星農園の周りの木々はそろそろ色づき始め、秋が深まっていきます。

 先日のニュースで、東日本大震災の津波と直後の火災で幼稚園の送迎バスが被災した件の裁判で、損害賠償の判決を受けた幼稚園側が控訴した、との報道がありました。事故や判決の詳細は把握していませんので、裁判そのものについては触れませんが、幼稚園側の主張の一部、「おびえている園児たちを一刻も早く親元に帰したかった」という点について、想うところがあります。

 私の両親は小学校の教師でした。私の地域の小学校では、9月1日の防災の日に合わせて、始業式終了後、「災害の時、保護者に学校まで児童を迎えに来てもらう」訓練というのをやっていました。しかし、同じ地域で教師をしている私の両親は、当然実の子よりも教え子の方を優先するわけでして、私のところには祖母が迎えに来たこともあったと思いますが、ほとんどは友達のお母さんに連れられて、という形をとりつつ、何となく勝手に帰っていたように思います。
 子どもの頃の私は、それを当然のことと思っていて、別にさびしいとか不安に感じたことはなかったのですが、両親にとってはやはりいくらか後ろめたい思いもあったようで… ある時、父がこんな話をしてくれました。父が法事で寝台列車に乗った時に見た夢の話で、揺れる車内でようやく寝ついて見た夢の中で、父は大地震にあったのだそうです。そこらじゅう揺れっぱなしの中慌てて家に戻ると、出迎えた夢の中の私が、父に向って「教え子をほっぽらかして帰って来ちゃだめじゃないか。学校に戻るべきだ」と叱ったのだとか。そのころ私は確か高校を卒業したくらいで、やたらと理屈ばかり捏ねていたころでした。

 ちょっと寄り道が過ぎましたが、私は以前から疑問だったのです。小学校は鉄筋コンクリート造りが多く、敷地も広く、災害時にはしばしば避難所として利用もされます。無理をして親元に帰すよりは、しばらく学校で預かった方がより安全なケースもあるはず。少なくとも、親が迎えに来れない子どもは学校に停め置くべきではないかと。しかし昔も今も、なるべく早く親元に帰す原則は揺らいでいないようです。今回の裁判のケースは幼稚園ですが、親元に帰すよりも、まずはより安全な方法を選べれば良かったのに…

 そこで父が見た夢に戻るわけです。学校や幼稚園の先生や職員も、大災害の現場では被災者です。家庭を持っていれば、一刻も早く家族の下に戻りたいと思うのは当然です。学校での待機時に万一のことがあれば…という責任問題も気にしなくてはいけないのかもしれません。
 結局のところ、私には「こうすべきだ」なんて断言できるような知見があるわけではないんですが、ニュースを見て感じた想いを、だらだらと書いてみました。