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2018年09月27日

9月27日 木 雨
 「喩え話」は本質的には嘘だけど、物事を分かりやすく面白おかしく説明するのにはなかなか便利だ。私も良く使う。しかしやっぱり「嘘」だし、面白おかしいと思ってるのは論者の方で、説かれている側や引き合いに出された側は、場合によっては不愉快に思うだろう。だから、まあほどほどにと自分を律している。

 私は小川榮太郎氏の件の文章を詳しく読んでいないし、面倒くさくて詳しく読む気もないので、寄稿文全体に対する批判は控える。ただ、氏が「詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもない」としたLGBTについて、わざわざ語呂を合わせた造語まで作って「喩え話」を展開した氏は、さぞかし面白おかしかったのだろうな、と想像する。

 ついでと言ってはなんだけど… 杉田水脈氏の件の文章について。こちらも全文を読んでいないので、「子供を作らない、つまり『生産性』がない」を眼にしたときの感想だけ。
 真っ先に浮かんだのは、10年ほど前に付き合っていた女性のことだ。彼女とは結婚を、というより妊娠を前提に付き合っていた。自分を「不妊症ではないか」と思っていた彼女は、身籠らないと、身籠ることができると証明してからでないと、その先に進むのが不安だったのだ。「子供ができなかったらどうしよう」と、彼女は何度か私に自分の不安を訴えた。できないことで私に嫌われやしないかと恐れてもいた。私は努めて明るく気軽に「心配しなくてもいい、二人で努力すればいいし、できなくてもあなたへの気持は変わらない」と伝えたが、彼女の不安を和らげることはできなかった。子供の話になるたびに、ちょっとしたケンカになった。
 彼女とは結局別の理由で別れてしまったが、あとでふと気付いたのは、彼女は私に慰めてほしかったのではなく、不安を共有し、何なら一緒に絶望してほしかったのでは、ということだ。私と付きあっていた時間よりずっと長く、彼女は「なかなか子供ができない」期間を過ごしていて、長引けば長引くほど、不安が募っていたのだろう。私が彼女に示した気軽さは、彼女にとっての深刻さが私に伝わっていないと思わせるもどかしさになったのだろう。
 
 前ふりがいくらなんでも長すぎるけど、要するにあの頃の彼女が杉田氏のこの一文を読んだら、「きっとまたケンカの種になっただろうな、それもかなり深刻なケンカに」と思ったわけです。論者にそんなつもりがなくても、強烈なインパクトがあるんです。文章全体を読めば問題ないようでも、言葉の端々にまで気を使うのが編集者のお仕事です。新潮社の休刊声明によれば「企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていた」。それを短期間に繰り返しちゃね… というよりも、意図的にやったとしか思えない。

 そんな彼女も、風の噂によればその後子宝に恵まれたようで、今回の騒動ではそんなに大きなダメージは受けていないはず。

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