不定期掲載小説2

2014年09月16日

異変の兆候は、あとから思い出してみれば一週間ほど前にあったのかもしれない。
その日、私が野菜の苗に水をやっている時、
縁側につないでいる愛犬アルクが、玄関の方を睨みながら盛んに吠えたのだ。
といっても、これは別に珍しいことではない。
アルクは番犬として役に立つ程度に警戒心が強く、
郵便配達とか回覧板を持ってきた近所の人とか、
とにかく見慣れぬ人が近づけば一応吠える。
餌をねだりに来るノラ猫や、
生ごみをあさりに来るキツネに吠えかかることもたまにある。
だから私は深く考えずに、「お客さんかな」と思いながら玄関の方を見た。
人の姿はなかったが、玄関の戸が、人一人が滑り込める程度に開いていた。
しかし、これも珍しいことではない。
私はそういうところはずぼらで、
室内外問わず、いろんな戸を閉め忘れる。
それで家の中にノラ猫が入り込んだことがあるので、
それなりに気をつけてはいるのだが、
やはり忘れる時は忘れる。
戸を閉めに戻ると、侵入歴のあるノラ猫は木陰で餌をねだってニャーと鳴き、
私は安心して作業に戻った。

ここ数日、アルクは人の姿も動物の姿も見えないのに、
急に吠えだすことが増えた。
そして私は、ふと視線を感じてあたりを見回すことが何度かあった。
視線の方は「気のせいだろう」とおもっていたが、
今日はあまりにアルクが吠え止まないので、
アルクが見ている方向を確かめてみたのだ。
アルクは、我が家の二階の方を見ながら吠えていた。
そして私は、二階の窓から私の方を見つめる人の姿に気がついた。
というよりも、ばったりと眼があった。
それは、私がひと頃、「せめて夢にくらい出て来たらいいのに」と思うほどまた逢いたいと思っていた人、
そして去年、この世では永遠にあえなくなってしまったはずの人の姿だった。
それは三年前に別れた、そして去年事故で亡くなったと人伝に聞いた元の彼女の姿だった。

だが、それに気づいた私の感想は、いささか滑稽だった。
「免許も車ももってないくせに、どうやってここまで来たんだろう?」
真昼間に幽霊を見たというのに…


2014年09月17日

私は2階に上がってみた。誰もいなかった。
物置代わりに使っている2階の部屋はかなり乱雑に散らかっていて、
猫ぐらいなら隠れる場所はあるが、生身の人間は無理だ。
ふと気がつくと、アルクが鳴きやんでいる。
2階の窓から見下ろすと、アルクは誰かにじゃれついて尻尾を振っていた。
相手が誰なのかは、ちょうど軒下で死角になっていて分からない。
アルクは見慣れぬ人にはとりあえず吠えるが、
それが顔なじみだと思いだせば、あんなふうに人懐っこくなる。
アルクはしばらくそうしてから、
体の向きを変え、だれかを見送るように後ろ足で立ち上がった。
人の姿は最後まで見えなかったけど、私はもう確信しいていた。
「彼女が来たのかあ…」
霊感もないし、心霊現象の類も全く信じていない私だが、
妙に納得していたし、驚きも少なかったのは、
とっくにふっきれていたつもりでも、まだ未練がたっぷり残っていたからだろうか?


2014年09月18日

その夜8時ころ、電話が鳴った。
受話器を取ると、地声を無理してトーンを変えたような、
そしてどうやら笑いをかみ殺していると解る女性の声で、
「もしもし〜 来々軒ですかあ? ラーメンと炒飯出前お願いしますう」
と言った。
つきあっていた頃、電話でケンカになった時、
電話を切った直後に、こんな電話をかけてきたことがあったっけ。
ちょっと考えてから、私は応えた。
「毎度あり〜。お届け先は大田区大森…○○ハイツ202号室 奈津子様ででよろしいですか?」
これは彼女の実家の住所だ。
「野菜を送って」と言われて聞いておいた住所だが、
ほとんど毎週末毎にうちに来ていた彼女に野菜を送る機会はなく、
別れた後、うちに置いてあった彼女の私物を送り返すためだけになってしまったが。

声の主は、げらげら笑い出した。そして
「なんで覚えてんだよ。ストーカーみたい」と言った。
「化けて出てきたやつに言われたくねーよ」 私は言い返した。
「…やっぱ知ってた?」
「まあね…」
「あたし子ども出来たのも知ってた?」
「知ってた。mixiの奈津子の入ってるコミュが、
不妊治療のがなくなって、ママ友とか託児所探しのコミュになってたから」
私と付き合っていた頃、彼女は自分が不妊症ではないかと悩んでいたのだ。
「なんとかなるって」と安易に慰める私を彼女が詰って、何度かケンカにもなった。
「そんなの見てたんだ。やっぱストーカーじゃん」
「ちょっとね。でもいいだろ。それを見て、本当にすっぱりあきらめたんだから」
「諦めんのが早いんだよ。住所知ってんなら会いに来てくれればさ。より戻せたかもしれないのに。」
「よく言うよ。別れ際、二股かけてただろ?」
「そこまで行ってなかったよ。mixiのメッセージで何度かやりとりしただけ。」
「俺に独身の女のマイミクがいるってだけで激怒してたじゃん。」
彼女はクスクス笑って言った。
「あたしってけっこうメンドクサイ女だったね」
「そうだよ。まあ俺、メンドクサイ女、嫌いじゃないけど。退屈しなくて楽しかったよ。
これが世に言う『メンドクサイ女』『重たい女』か、って感じでさ」

彼女はちょっと黙った。
私は彼女に訊いてみた。
「子ども、どうなってんだよ? 
俺んとこに来る暇があったら、子どものところに行った方がいいんじゃないの?」
「まあね。でも、旦那はあんたと違って、公務員だから経済力あるしさ。
姑さんもいるから、まあ大丈夫。
あたし、メンドクサイ女だったのに、自分があっさり二股かけて結婚しちゃったからさ。
ちょっと悪いかなって思って」
「いいよ、今さら。母親らしくとっとと子ども見に行けよ。
それからもう来るなよ。さすがにおっかないぞ」
これはたぶんウソだ。
我ながら未練がましいが、この程度の怖さの幽霊なら、
たぶん私はまた逢いに来てほしいと思っている。
だが、彼女は答えた。
「もう来ないよ。ていうか来れない。
そんなに何箇所も行けないし、長くいられるわけでもないの。
じゃあね、バイバイ。」
それだけ言って、電話は切れた。
彼女らしい、気まぐれでマイペースな電話の切り方だった。
それっきりだった。




 えー、元カノ、死んでません。多少つきあっていた頃の実話を交えたりはしてますが。さすがにもう未練はないし、感謝しこそすれ、恨んでるわけでもないんだけど、物語の展開上こうなっちゃいました。あの人は絶対読まないだろうと考えて公開してしまいましたが、万々が一にも読んだら怒るだろうなあ… 読まなくたって不謹慎に違いはありませんが。
 一応謝っておきます。「御無礼の段、平にご容赦を。幸せをお祈り申し上げます。」

 別れて間もない、まだ未練があって、J−POP失恋系の楽曲が胸に染みていた頃。そんな中の1曲、山崎まさよしの「One more time,One more chance」の歌詞にこんな一節があります。

いつでも 探しているよ どっかに君の姿を
向かいのホーム 路地裏の窓
こんなとこにいるはずもないのに

 これを鼻歌で歌いながら作業をしていて、「しかしこの場合、うちの二階の窓に彼女の顔が見えたら、嬉しいよりは不気味でギョッとするだろうな」なんてくだらないことをふと考えて、ちょっと笑ってしまったのが、この短編ができたきっかけです。