久しぶりの更新となってしまいました。
というか、また更新することがあるとは思っていませんでした。まさか、あんなに考察しまくって、ブログまで開設しといて、1ヶ月半も経ってるのにまだ一本の映画のことを考えているだなんて……自分にびっくりです。

私が俊樹と二葉押しなのはこちらこちらをご覧いただくとして、今回も俊樹と二葉押しの話です。

RADWIMPSの『スパークル』の歌詞ですが、
俊樹と二葉のことに気づく前は、普通に瀧と三葉をイメージして聴いていたのですが、俊樹と二葉の運命に気づいてからはもう俊樹と二葉の為の歌詞にしか聴こえなくなってしまいましたので、以下にまとめたいと思います。

『まだこの世界は 僕を飼いならしてたいみたいだ
望み通りいいだろう 美しくもがくよ』


世界に飼いならされる、という表現は、わざわざ言い換える必要もないんですが、もっと普遍的な言葉に言い換えれば「運命に翻弄される」とか、「世界の思うままに動かされる」ようなイメージでしょう。

瀧くんも三葉との入れ替わりで運命さんにかなり翻弄されているので、うんうん、とうなづいていたものですが、運命に翻弄され度合いで言ったら、ほんの1ヶ月程度三葉と入れ替わって、運命の感動的再会まで5年の瀧くんよりも、断然俊樹の方が凄まじい翻弄され方な訳ですよ。

入れ替わりの期間はどの程度入れ替われるのかは想像しかできないですが、
(できるだけ長いといいな。しかし、俊樹と二葉が結婚後に過ごす日常の中で、二葉が別人ぽくなるような記述が皆無であり、二葉が最初に俊樹と出会った瞬間のリアクションも確信ではなく『結婚するような気がした』程度ですから、入れ替わり期間は出会った時点ですでに終了している可能性大。長々と話逸れました)
そもそも37歳頃に二葉と出会ってから、民俗学者の職も失い、旧家であった親族もすべて失い、二葉も亡くなってしまって、更には義母と娘たちと別居までして、ようやく57歳になってやっと自分の役割(町長として町民を避難させること)に気づき、そしてまた本当の真実(二葉との入れ替わりがこれから待っていること)には気づかないまま、町民避難完了後の58歳以上(何歳で入れ替わるかは不明。早めだといいな)年取ってる時に女子高生二葉と入れ替わるんですから、それまでの間、少なく見積もっても21年以上の間、運命に振り回されてて、更にそこからまた二葉との入れ替わりで本格的に振り回され始めるんだから、もう俺の人生は俺のものじゃないじゃん状態ですよ。

歌詞の「まだ」がポイントですよ。
いつしか、二葉と入れ替わっていることに気づいた俊樹が、自分の役割はあの、彗星被害の際に町民を避難訓練させた時に終わったと思っていた俊樹が、「本当の俺のお役目はここからだったか」と気づいたんですよ。
それを想像すると、この「まだ」「この世界は僕を飼いならしてたいみたいだ
望み通りいいだろう 美しくもがくよ」がなんとも重みのある言葉になってくるのです。。

まだ、終わりじゃなかった。
あれがお別れではなかった。
俺の本当の役割は……これからだったんだ。
よし、『望み通りいいだろう 美しくもがくよ』

本当の役割とは言わずもがな、女子高生二葉に、
2013年に起こる彗星被害から町民を救う為の筋書き、運命を伝えることです。


『互いの砂時計 眺めながらキスしようよ
「さよなら」から一番 遠い 場所で待ち合わせしよう』


「互いの砂時計」からイメージされるのは、二人の余命です。
砂時計は砂が落ちきったら終了。人生の残り時間だと考えると、
22歳と25歳で運命の再会ができてこれから一緒に人生を歩み続けるであろう瀧と三葉よりも、余命がわかっている二葉と、老い先短い俊樹の二人が砂時計を眺める方がもっと切実で切ないと思いませんか?

『「さよなら」から一番遠い場所で待ち合わせ』

それは一緒に生きる時間よりも、別れている時間の方が長い俊樹と二葉にとって、切なる願いであり、
「さよなら」だけど「さよなら」じゃない、二葉が死んでもお別れじゃないという不思議な運命の二人に相応しい言葉のような気がします。

 二葉との死別で「さよなら」だと思った俊樹に二葉は「これがお別れではないから」と言いますね。その言葉通り、俊樹はもう一度17歳の二葉に夢の中で入れ替わることで再会します。
 そして入れ替わりが終わる時……俊樹にとっては今度こそ「さよなら」ですが、17歳の二葉にはその後に再び俊樹と出逢う運命が待っている。もしかしたら最後の入れ替わりの時、俊樹は二葉に言ったかもしれません。「これがお別れではないから」と……。
 二人は切り取られた空間の中でいつまでも「本当の別れ」から一番遠い場所にいるのです。


『辞書にある言葉で 出来上がった世界を憎んだ
万華鏡の中で 八月のある朝』


これは二葉の死後、二葉の死を宗教思想で当然のように受け入れた一葉や町民たち、はては糸守町全体に広がる宮水神社の思想支配を憎んだ俊樹の想いそのものでしょう。

二葉が亡くなった季節については記載がありませんでしたが、8月だったのかもしれません。

瀧と三葉の入れ替わり時期は2013年と2016年の9月~10月頃ですから、
瀧と三葉の二人には8月の思い出はありません。
やはり、俊樹なのです!

『君は僕の前で ハニかんでは澄ましてみせた
この世界の教科書のような笑顔で』


これは、俊樹が二葉に初めて出会った時に、強情な一葉にあっけにとられる俊樹を前にして、こっそり含み笑いをしてからばれないように澄ましてそっぽを向く二葉を見て俊樹が「きゅん」としちゃたあの瞬間でしょう。

そして二葉のことを「まるで、《この世のすべての疑問に対する正しい答えが書かれた本》を持っていて、それをいつでも参照できるかのようだ」と思っている俊樹にとって、二葉の笑顔は「この世界の教科書」なのだと思います。

それに比べ、瀧にとっての三葉の笑顔はどちらかというと「そのぶきっちょな笑い方」なのです。瀧はAnothersideの中で三葉のことを不器用だと感じていましたから。

だから『前前前世』=瀧と三葉のテーマソング
『スパークル』=俊樹と二葉のテーマソング
だとここに強く宣言します!


『ついに時はきた 昨日までは序章の序章で
飛ばし読みでいいから ここからが僕だよ
経験と知識と カビの生えかかった勇気をもって
いまだかつてないスピードで 君のもとへダイブを』


これですよ。「ついに(俊樹が二葉と入れ替わる)時はきた」んです。
「昨日までは序章の序章」今までの、二葉との出会いも、別れも、彗星被害から町民を救ったことでさえも「序章の序章」なんです。
俊樹の人生にとって、本当の本番、二葉との入れ替わりの時がやってきたんですよ~!

『経験と知識と カビの生えかかった勇気をもって』

どうですか?
断然この言葉は、瀧より俊樹に相応しいと思いませんか。

経験も、知識も、勇気にカビ生えかかってるところも、
17歳の瀧が三葉の中へダイブする時より、
58歳~?の俊樹が二葉の中にダイブする時だと思う方が断然しっくりきます!!

『まどろみの中で 生温いコーラに
ここでないどこかを 夢見たよ
教室の窓の外に
電車に揺られ 運ばれる朝に』


俊樹&二葉の歌だとした時に一番しっくりこない場所がここでした。
なんせ、コーラという飲み物がおっさん俊樹に似合わない似合わない。
やっぱり、瀧と三葉なのか……?
と弱気になることはありませんでした。

だって、俊樹と二葉。片方はぴちぴちの17歳だも~ん。
俊樹が17歳の二葉の中に入って、二葉の体で眠りから覚めた時……、
ぬるくなったコーラが置いてあったかもしれません。

教室の窓の外に→二葉の中に入っている時

電車に揺られ 運ばれる朝に→俊樹が自分の体に戻った時、もしくは二葉が俊樹に入っている時

で辻褄が合います。

★ここで長い長い長~~~い間奏が入ります。
 この長い間奏は、二人を分かつ時の流れや、
 長い時を経て再び巡り会えた二人の再会を表しているのでは……
 と妄想しております。

さて、
『愛し方さえも 君の匂いがした
歩き方さえも その笑い声がした』
ですが、

この歌詞はやや難解です。
一体どういう意味だろう……と色々考えてみました。

「匂い」や「笑い声」の主である「君」は二葉であると考えると、
誰の「愛し方」や「歩き方」に二葉を重ねているのでしょう。

一つは、三葉。

小説の中で時折、三葉の姿に二葉を重ねている場面が、
俊樹の章でも、四葉の章でも見られます。
三葉の姿に、二葉の匂いや笑い声を感じている……
とするのは、やはり、やや強引な感じがします。
先程二葉と三葉の笑い方は違う、と書いたばかりですし。

この歌詞の流れであると、やはり、
俊樹が二葉の中に入っている時に感じていることではないでしょうか。

俊樹と二葉の「再会」とは言っても、二人は物理的に対面で会える訳ではありません。入れ替わりですから、姿かたちは鏡越しに見ることができますが、当の本人とは、直接しゃべることはできないので、瀧と二葉が入れ替わり中にしていたように、手紙等を介してしかコミュニケーションがとれません。

ですから、二葉の体に入り、二葉の生活の痕跡、二葉の家族や友人等への接し方、生き方をなぞる体験をする中で、そこに感じた「二葉らしさ」を「匂い」や「笑い声」等で表現しているのかなぁ、と考えてみました。

直接会うことのできない二葉の「やり方」Howに、二葉「らしさ」を感じている。
そういう意味だと考えると腑に落ちます。


『いつか消えてなくなる 君のすべてを
この眼に焼き付けておくことは
もう権利なんかじゃない 義務だと思うんだ』


 「いつか消えてなくなる 君」とは、
隕石で一度死ぬ三葉のことともとれますが、その三葉を、それを踏まえた上で「この眼に焼き付けておく」と覚悟するような時間が瀧にあったでしょうか。

三葉が死ぬと知ってから、生前の三葉へのダイブが成功した瀧には、「三葉を救う」ただその一点に向かっての懸命の努力。作戦。その為に必死に走りますが、三葉の姿を「この眼に焼き付けておく」ような余裕はなかったと思います。

それよりも、俊樹が、二葉がすでに死んでしまっているのを承知の上で、17歳の二葉の中に入ることになり、その姿を鏡越しに焼き付ける。そのような覚悟で日々入れ替わりを繰り返す。そして、二葉にこれから始まる「運命」を告げる役割を果たさねばならない。
俊樹が運命を二葉に告げなければ、この彗星被害から町民を救う奇跡は起こせないのだから。だから、「もう権利なんかじゃない 義務だと思うんだ」なんです。

もう一度二葉と出会えて嬉しいだけじゃない。
別れも運命も、自分が果たすべき役割もわかっているからこそ、
これは「義務」なんだと自分を戒めているのです……。
俊樹……( ;∀;)!!

『運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を
伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする
時計の針も二人を 横目に見ながら進む
そんな世界を二人で 一生 いや、何章でも

生き抜いていこう』


そう、運命や未来に翻弄されまくり、重要な使命を託されている俊樹だからこそ、
『運命だとか未来とかって 言葉がどれだけ手を
伸ばそうと届かない 場所で僕ら恋をする』って気持ちが生まれるんです。

この気持だけは、「運命」の為でも「未来」の為でもなく、
紛れもなく、僕達の恋であり、愛なんだって……。

そして、時の流れに逆らうように、未来へ行き、過去へ戻る二人を表す歌詞が、『時計の針も二人を 横目に見ながら進む』。

『そんな世界を二人で 一生 いや、何章でも 生き抜いていこう』

……もう、涙しか出てきません。
死んでもお別れじゃない。一生、じゃないんです。
別れてもまた出会える。「何章でも」二人で生き抜いていくんです……。

二人の愛の尊さに感服です……。
俊樹と二葉よ、永遠なれ……!!