最近子育てに大切なのは、優しさと、厳しさのバランスと聞かれる事が多くなりました。
当たり前の事ですが、受容が大事という人、甘やかしては、いけないという人、発達支援の専門家も、この間いろいろと論議されてきました。
子どもの発達段階や、心の発達のあり方育ちの環境を無視しては、語れないし、子どもによって1人1人違うということを前提に、考える必要があるのは、当然と言えば当然ですね。
しかしこの事を間違うと、子ども自身が、生きにくさを持ってしまったり、大人を問題でコントロールしてしまったりと、親子共々困難を抱えてしまう。
ふと自分のこんな経験を思い出しました。
私の母は、どちらかと言えば家にいて、洋裁や編み物をやったり、今でも料理が得意で、ママは、ダメだけどおばあちゃんのお節やエビフライ、煮物が食べたいと、孫達に言われています。(普通の家庭料理を毎日作っているだけですが、それが今になってすごい事とわかる。)
父は、学校の校長先生だった。教え方が上手く父の算数の教え方は、とてもわかりやすく論理的考え方を学んだと思います。いろんなことを考え出す一緒にいるとワクワクする人。
しかしある時、私が弟とつるんで新しい上靴が欲しくて、ナイフで切って
「もう履けないから、新しいの買って」と言ったことがありました。(直ぐバレるのは、当たり前なのに子どもだったんです。)
その時 父に、弟と2人正座させられました。そしてしこたま叱られました。
子ども心では、あまり悪気がなかったとおもいますが、父は、許しませんでした。
そして切った上靴を自分で、塗って新しい学年になるまではかされました。
この日は、お布団に入って大泣きをしていました。何もこんなに怒らなくてもと。
そこに母が父を否定するわけでもなく
「お姉ちゃんお父さんは、大事なことを教えたかっただけなんだよ。」と、りんごの皮をむいて、持って来てくれました。
あまり語らない母ですが、りんごに思いが込められ、何かが理解できました。
その時 父と母の両方の思いが伝わり、心が静まって眠りにつきました。
次の日から、少し恥ずかしかったけと、笑って縫った靴を履いて学校生活をおくれました。
これは、母に、受け止めてもらい、父には、しっかりとダメなことは、ダメだ!と道を教えられたエピソードでした。
大人になってから意味付けが出来て、この事とは、とても感謝しています。
子どもが育つには、この両方が必要なんだと思います。昭和の初期生まれでそんなに学習したわけでもないのに、昔の人は、凄いなーと思います。
今は、家庭だけでこんなふうには、
いきません。優しさも、厳しさも、時々、家庭以外の人たちに担ってもらう事もあると思います。 みんなの子どもとして!