二〇一四年睦月四日

 初夏、土曜日の午後、大学の図書館での自習を終えて公園に立ち寄った水無瀬紅葉は、売店でアイスコーヒーとアイスキャンデーを購入し、少し歩いて人気のない休憩小屋へと赴くと、コーヒーをひとくち飲んでから氷菓子の袋を開けた。
 すると、現れたのは真紅のキャンデー。不自然なまでに紅いその色合いも面妖なら、その形もまた面妖だった。紅葉が良く見知った吸血姫・アオイを象っていたのである。

 紅葉は別段驚いたような素振りはなく、むしろ冷静に、氷菓子を眼の位置まで挙げてじっくりと確認している。胸は形の良い双球を誇るかのように反らされ、くねらせた脚の合間から覗く花園には素っ気ない木の棒が突き刺さっている。成形の都合なのか四肢はなく、顔は驚いたような諦めたような面持ちの、アオイそのものであった。
 紅葉は溜め息交じりに鑑札を終えると、キャンデーに息を吹きかけてみた。霜がわずかに溶けて紅色の氷菓が顔を出し、甘い香りと鉄の風味が鼻腔をくすぐる。並の人間であれば口に運んでみるところであるが、彼女はまず、周囲に意識の網を張り巡らした。というのも、目の前の氷菓から立ち上った冷気は、いつぞや貪った魂と全く同じ色と香りがしたからである。
 如何なる外法かはわからぬが、姫君は魂を、否、肉体を含め存在そのものをまるごと凝縮されて、今の姿に貶められたのだろう。そんな想像を巡らせながら、やがて背後に何かを感じた紅葉は、誰にも悟られぬようこっそりと四方に結界を張った。
 その後、紅葉はよく知る人相と裸身を模した紅い氷菓子を口唇に近づけると、何度か、態とらしく熱を籠めた吐息をかけて霜を溶かし、形の良い乳房を甘噛みし、さらに息を吹きかけ、その後口腔に含み、音をたてながら血色の良いべろの上で転がして、その冷気と甘味、鼻に抜ける純な金臭さを堪能した。

『舐めなられてる? やだ、溶けちゃう。いや……』
 一方、熱を感じてそう鳴いたアオイであったが、身を小さな氷菓子へと変ぜられ、精も魂もぎゅっと濃縮されてしまった吸血姫に為す術は無い。菓子の魂が鳴いたところで、音が出るはずもない。購入者の舌が身体を這いずり回り、その熱で身も心もだんだんと溶けてゆく。
『あ、あぁ、とけ……くずれちゃう……』
 優しく食(は)まれていた右の乳房が付け根からトロリと崩れ落ち、紅葉の舌でやさしく受け止められる。舌は巻かれて小刻みに揺り動かされ、それがまた快感となってアオイに溶解を促す。
『うあぁ、いい……とけたい。それがあたしのやくめ……あぁん』
 液体となった乳房が口の奥へと送り込まれた瞬間、アオイは極上の愉悦に撃ち抜かれ、ついに食品としての役割と定めを受容した。

 ものの数分の後、アオイを象った氷菓子は胸部の膨らみや臀部の出っ張りはおろか相貌までをも溶かされ、甘露として紅葉の消化器官へと収められてしまい、唾液で湿らされた出来損ないの御幣餅の如き有様となっていた。
『あっ、あっ、あぁ……あっ、あっ、あぁん』
 アオイはといえば、一定のリズムで短い喘ぎを己に聞かせているのみ。もはや人としての矜持などズタボロに擦りきれ蕩けきってしまったようで、ただただ、舌と唾液に絡まれて溶かされていくのを嬉々として受容し、己の存在がこの世から溶けてなくなってしまうことを望んでいる。まさに、ただの氷菓の塊に成り下がっていた。
 さて、紅葉はというと、残りわずかとなった氷の塊を、棒を用立て角度を変え、舌の動きを変え、水音を立ててしゃぶり続けている。
『んふ、切なげによがってはったのに、すっかり蕩けたんか、絡繰り人形みたいにおんなじ調子で喘いでるだけなんやねえ。可愛らしいわあ』
 そう心中で独語すると、氷菓子をいったんおもむろに口内より外界へと戻した。

『く、くれ……あっ? あぁ……や、なめれぇ。ん、あっ……』
 氷菓はすっかり平らな延べ棒となり、僅かに棒に付いているのみとなっていた。魂魄の留まる氷塊は、あとひと息で自分の存在が消え失せるというのに、そして、誰が己を食べているのか勘づいたというのに、食事を中断されたことに対する不満の声のようなものを出した。束の間ではあるが思考する暇を得たのに、アオイは既に精髄まで菓子だった。そして、空気の熱により熱を得て、再び断続的な喘ぎを漏らす菓子の残りへと戻る。
 紅葉はそんな嬌声の狭間に混じった雑音を耳にしたのか、「いひひひひ」と笑いながら残りわずかとなったアオイの身体だったものをじろじろと視線で舐め回す。すると、氷塊は視線に熱せられたのかにわかに溶けだし、付着していた唾が混じるせいか少しだけ粘り気のある紅い滴を、ぽつり、ぽつりと涙のように落としてゆく。
 視線の主はそれらを一滴も逃さぬようべろで器用に受け止めて転がしながら、味蕾で露の甘さを、鼻腔でひときわ濃厚な血の味を、心で漏れ聞こえくる賛歌を味わい、こくんと飲み干した。
『あぁ、とぅ、す、こ……しぃ。んあっ……あぁ』
 いよいよ残りわずかとなった氷塊。それに宿っている魂魄の欠片からは、恐怖や絶望といったものは感じられない。むしろ声にならないか細い声を自身に反響させることで、完全に溶けきることへの渇望を増幅させ、食品としての義務を果たすその瞬間に到達するであろう官能の極致をより華々しいものにしようとしていた。

「ほな、仕舞いや」
 右の口角をにい、と上げながらそう口にした紅葉は氷の塊に烈しく口づけると、紅い氷はみるみるうちに溶け出し、情の熱を直に送り込む桜色の花弁を紅い水で彩ってゆく。彼女はそれを余すことなく舌の表裏で舐めとると、ほんのわずか、木目が透けるくらいの厚さを残して棒にしがみついている菓子の残滓を名残惜しそうに眺め、口唇で挟み、一拍挿んでから勢いよく啜りきる。
 すると、とうとう氷は仮住まい先より引っ剥がされて鬼の口に収まり、すぼめられ待ち構えていた舌と口蓋とでさも愛おしそうに温められる。迸らんばかりに情熱的な抱擁に、氷は一分と持たずに溶けきり液体へと姿を変えた。金臭さはもうそれほどでもなく、口腔より伝わるのは甘味のみ。甘露はやがて、ごっくん、というやけにゆったりとした音と共に、食物が通る隧道へと送り込まれた。
『あ……ひゃぁ……もぅ……あ、り、が……』
 目を閉じて意識を食道に集中させて液体の通過を確認した紅葉は、そう言ったきり聞こえなくなった声を受けて大きく頷いてから、誰に向かって言うわけでもなく、にんまりとしながら呟いた。
「ほんにおいしおすなあ、おおきにありがとう」

 アオイを完食した紅葉は、仄かに赤らんでいる湿った棒に呪禁のような言葉を呟く。そこから紫煙が立ち上るとにやりと笑い、背後にある藪の方へと振り向いた。
「さて、おいたが過ぎたうぬにはお仕置きや。出てきなはれ」
 紅葉がそう口にし、まなじりを吊り上げた瞬間、突如彼女の周囲が酷寒の凍土と化し、間髪入れず冷気、否、凍気が地より噴出し、有無を言わさぬとばかりに紅葉を包む。さしもの鬼女も身をよじり、天に向かって驚きの表情を浮かべることしか出来ず、あっという間に全身を霜に包まれて、薄手のいささか露出の多いブラウスやタイトなロングスカートといった普段着ともども凍り付いてしまった。
 すると、藪より何の前触れもなく氷菓子の把手と同じ形の大きな棒が飛来し、建物部分を器用に避けて、あわれな鬼女の股座にずぶりと突き刺さる。その衝撃で「きゃん」と幽かに鳴く紅葉。それを合図とばかりに、衣類は粉々に砕け散って陽光を反射させながら溶けてなくなり、四肢は煙のように消え失せ、全身が朱色に染まる。まるで先刻己が食べたアオイと同じような姿と成り果てた紅葉。そして、お頭付きのトルソは空中に浮かんだまま、棒共々小さく、食べやすい大きさへと変わっていく。
 そんな、時間にすればほんの数秒の出来事で……紅葉は氷菓子に身を窶した。
 朱色の、むしゃぶりつきたくなるような凹凸に、整った見目の女性が目を剥き驚いている様を活写した頭部が乗った氷菓子。それはまるで導かれたかのように、机上の空き袋に滑り込み、誰の力にもよらずにしっかりと包装され、塗装のはげた木の机にことりと落ちた。

 やがて全てが終わると、藪の陰からひとりの少女がひょっこりと出て小屋へと歩いてきた。アイスキャンデーの着ぐるみなのか、どこぞのメーカーのサンドイッチマンなのか、なんとも滑稽な格好をし、新橋色の髪をポニーテールにまとめたその少女は袋を乱暴に掴み、投げ上げたり振り回したりして遊びながら小屋の外に出ると、一転してそれをまじまじと見つめる。
「へっへー、いっちょ上がり。ちょろいもんだね。さっきの女の子と違ってこのおばさん、アイスに変化させてもちっともエネルギーくれなかったから、こいつはあたしが食べちゃおうっと!」
 見た目よりも幼稚な言辞を弄した少女は、紅葉だったものを袋より取り出す。すぐさま氷菓子をぺろりとひと舐めし、乱暴に齧り付こうとした刹那、彼女は首筋に手持ちの菓子よりも冷たいものが音もなくあてがわれたのを感じとり、視線をその方向へと向けた。
 そこにあるは、一振りの白刃。彼女はヒッと息を呑み、反射的に氷菓子を置き、振り返ろうとした。しかし、それよりも早く胸元を器用に刃先で引っかけられると、もんどりを打たされる形となり、背中をどさりと地に打ちつけて寝転がされる。
「痛、いった……あ、ひ、ひぃ」
 少女に体勢を立て直す暇を与えず、流れるように喉元に向けられた大ぶりの刃。身を竦めてその先を見上げた少女の眼に映るは、ぱりっとした巫女装束に身を包み、斧琴菊をあしらった千早でくるまれた「さっきの女の子」を優しく左腕で抱きかかえ、女人の手で扱うには長すぎるはずの得物を軽々と片手で御している女。
 その面相は先ほど氷菓子にした人間と酷似しているが、黄金に輝く獣のような瞳と尖った耳先、何より眉間より前へと突き出た一本の角が、蔑むような目線と相まって少女の恐怖を倍々に重積させてゆく。
「やすけない振る舞いしながら人を『出がらしばばあ』呼ばわりするのは感心せえへんよ。まあもっとも、遠からず地獄に行くうぬには、現世の礼儀なんて関係ないことやけどねえ」
 表情を全く変えることなく遠回しに死刑宣告をする鬼女を見上げながら、少女はただただ打ち震え、指をせわしなく動かしておののくばかり。
「堅気を巻き込まへんようちゃんと結界張って、棒をつこて仕掛けをしたんよ。そう、木偶に精も活力もありゃしませんえ。それに気づかへんかった、何より、この娘に手を出したうぬが痴(おこ)やっただけや」
 眉間に皺を寄せて厳しさを増す顔つき、まとわりつく妖気だけで人肌を切り裂きそうな刃。少女は先ほどまでの勢いはどこへやら、涙をこぼしながら、一縷の望みを託して口を開く。
「ま、待って、助けて。私、騙されてただけなの。お願いだから……」
「は? 闇討ちしといて後生もへったくれもありますかいな。ほな、さいなら」
 紅葉はいたって無下にそう言い放つと、刃先に妖気をことさら集中させ、目にも留まらぬ速さで薙刀を振るう。
 ずしゃ、と肉が斬れる音に続くのは、何かが噴き出す音と地の底より発せられたような低い響きの断末魔との合奏。それが止んだ時、鬼女の足もとには、安らかな顔で寝息を立てているセーラー服姿の黒髪の少女と、真っ二つにされ群青色の血だまりに骸を横たえる五寸ほどの奇怪な蟲が転がっていた。

 それから蟲の死骸を跡形もなく焼いて始末し、少女の無事を確認してようやく人相を戻した紅葉の腕の中で、アオイはようやく目を覚ました。
「……ん、ああ」
「おはようさん、アオイちゃん。とんだドジ踏んだもんやねえ」
 自分を抱いてにこにこと話しかけてくる紅葉に対し、アオイは先ほど自分を食べていたのが誰なのか気がついたのか、語気を荒げて―しかし叱責するでもなく―言葉をぶつける。
「鬼! 人でなし! 全部食べちゃうことないじゃん!」
「せやかてうち、鬼やし。あんたときたら、心とろとろにして、身体をおつゆにしてほしいって懇願して、食まれるのを愉しんではったやないの?」
「んぐぐぐぐ」
「うちがあんたを殺すわけあらへんやないの。そない怖い顔しはったら、綺麗なつくりが台無しや。ほい、むしやしない。食べ終わったら結界解いてあんたのおうちに飛んで帰りますえ」
 そう言いながら差し出したのは先ほど出来た氷菓子。
 それを目にしたアオイは、姿形が自分を抱いている女の裸身そのまんまであることに気がつき、「悪趣味なものつくっちゃってまあ」と苦虫を噛み潰したような顔で眺めていたものの、溶け気味の表面から匂い立つこの世のものとは思えない甘い香りに鼻と脳髄をくすぐられると、あっさり根負けして氷菓子を口許へと運んだ。
 そして、食べると決めてからの振る舞いはすっかり普段の彼女そのもの。紅葉をじろっと睨んで歯を剥いてから思いっきり口を開けてそれを丸かぶりにし、奥歯で摩ったり前歯で囓ったりしながらこれ見よがしにちゅぱちゅぱとしゃぶりだす。
 そのまま一気に食べてしまいそうなアオイを横目で見ていた紅葉は、寸刻視線を天空に遣ってから、吸血姫の立てる音に合いの手を入れだした。
「はぁ、ん、あ、いやぁ、うん、ふぁぁ……」
 不意を衝かれたアオイは思わず噴き出して再び相手を睨みつけたものの、装束が汚れたことなど気にも留めずに悪戯っぽく笑い小首をかしげた紅葉の顔を見るや否や、あはは、と笑い出す。紅葉はといえば、そんな姫君を見て合いの手をけたけたとした笑い声に変える。ふたりはしばらくの間、互いの顔を向けあい笑声を響かせていた。

(22:35)

二〇一三年師走廿八日

 アオイ・D・ヘイローと水無瀬紅葉。ひょんなことから知り合ったふたりは一緒に遊んだり食事をしたりしているうちにすっかり意気投合すると、この日、紅葉の誘いで夕食を共にしていた。イタリア料理に舌鼓を打ち、その後は紅葉が行きつけだという洒落たバーで、紅葉は洋酒、アオイはノンアルコール飲料を嗜みながら、丸眼鏡と胡麻塩の顎髭が特徴的な好々爺然としたマスターともども、止め処のないお喋りに興じていた。
 そんな折、楽しすぎて昂ぶった気持ちを抑えつつ、渇きを潤そうと思って水を頼んだアオイであったが、昂奮のせいか紅葉の妙な目配せには気がつかなかった。やがて手際よくグラスに注がれた透明な液体をグビグビと飲み干すと、途端に目が回り前後不覚となるアオイ。
「ぶぁあにするにゃ、この程度の痛みなんぞ首を跳ねられた時に比べれば……てか酒じゃんこれぇ!!」
 隣のカップルのひそひそ笑いを借景しながら、紅葉は苦笑いを作って言葉を返す。
「この間は赤ワイン飲んでいたじゃないの。未成年者を装っても無駄ですよ、アオイさん。そう、あなたも経験者なのね。首を刎ねられるのは金輪際ご勘弁願いたいわあ……あ、そうそう、これは遠くポーランドのお酒ですよ。何やら95パーセントと書いてあるけど、あかんやないのマスター」
「いやいや、かなりの酒豪と伺っていたのに飲まれないので、つい」
「すぴりたすらないか……現地のひとでもストレートじゃのまら……ウップ、ゑえぇ」
 その様子を見て取ると、紅葉はちろりと舌尖を覗かせた。
「おやまあ、然様な足取りでは駅にもたどり着けまいて。暗夜におなごの一人歩きなどとんでもない。うふ、折角だから泊まっていってね、アオイさん」
「わぁい、おねがいしますうぇっぷ」
 いよいよ酒気が回ったか、相手の口調の変化など気にも留めずに軽々と諾したアオイ。紅葉はそんな彼女の肩をやさしく抱き、もう片方の手でお勘定を済ませると、「さすが紅葉さん、お達者なことで。今晩もお幸せに」という昵懇なマスターの口上に愛想よく応えながら店を出た。

「んぅ……」
 ひとり暮らしをするにはやけに広い風雅な庭のある戸建ての一室で、平服のまま蒲団に横たえられているアオイ。すっかり泥酔しており、薄く開いた眼より覗いた瞳から察するに、視線は最早定まっていない。あどけない顔も、細い腕も、腿丈の靴下とスカートの間をつなぐような素肌の色も、開いた襟から覗く胸元も、余すところなく真っ赤に紅潮していた。
 そこに身支度を調え白絹の襦袢のみを纏った紅葉が部屋に姿を現すと、夢現で横たわっているアオイを流し目で吟味し、それから音もなく側に近づく。そして、眠り姫の上半身を抱き起こして手をかざすと、服は紫煙に包まれた途端に消えてなくなり、なだらかでそれでいてしっかりとした美しい双峰と、筋肉が程よい柔らかさを醸す臀が露わとなった。
「痛いことはしないから安心なさい。お姉さんに任せて、夢を見ていればそれでいいの……それにしても、ええおいど」
 だんだんと訛りを隠さなくなっていた紅葉は臀部に手を伸ばして肉の感触を味わいながら温い吐息を漏らすと、アオイをやさしく寝かせて組み伏せた。

 朦朧としつつ、熱くなった肌を何かが這いまわる感覚にこそばゆさを覚えたアオイは、一瞬、ほんのわずかに醒めた。すると、力の抜けきっていた手足をピクンと動かしてそれ―紅葉のたおやかな愛撫―に反応しつつ、「ん、ふぅ」と、少し艶のかかった息をはき出した。
 襦袢の擦れる音を肴に掌中の玉を頭の先から爪先まで隈無くなぞって戯れの序曲としていた紅葉は、そんな睦み相手の吐息を無防備に鼻に受けると、鬼……魔の者の嗅覚を持つがゆえ、酒気の中に蠱惑的な薫香が混ぜられていることに気がついた。
 が、気がついたところで時既に遅し。香りに鼻の奥をくすぐらされてにわかに全身が火照りだし熱い吐息を発しだした紅葉は、堪らず鼻息を荒らげて馬乗りとなり襦袢を脱ぎ捨てる。放り投げられた襦袢がしがらみの体勢に直った紅葉の背中に舞い降りふたりを包む掛け衾となると、彼女は其れを待っていたかのように、アオイの唇をいささか乱暴に舐りはじめた。
「んぅぅ……!」
「あ、ふぅ」
 互いの桃色の花弁が合わさり、篭った息の音が洩れて静かな部屋に響く。
 その声をかき消すように、続いて水音がしはじめた。舌と舌、唾と唾がせめぎ合う接吻。紅葉は普段の知性溢れる振る舞いを忘れ、さながら畜生の如く、快楽により再び夢の世界に戻ったアオイの弾力ある花唇を味わう。
 舐める、擦る、吸う、貪る。
 アオイの身体から煙のようなものが立ちのぼり、すぐさま紅葉の口へ吸い込まれてゆく。
 それほどまでに激しく食われていても、アオイは抵抗ひとつしない。いや、酒はもちろん、えもいえぬ快楽が意識を絶えず揺らし、真っ当な思考など微塵も出来なかった。どちらかとえば強者の類である筈の彼女も、今はただの獲物、あるいは、供物。吸血鬼が、鬼に魂を吸われるがままにされていた。
 一方でしばらくの間、アオイの吐息に込められた甘い香りに誘われるがまま、しばし忘我の境に入って流涎を意に介さず接吻を愉しんでいた紅葉。彼女はやがて悦に入って唇をゆっくりと離すと、興奮からかじゅんと潤み微かに金色がかった瞳を相手に向けた。
「あ、あぁ、は、んっ」
 向けられた吸血姫はというと、唇から胸のあたりまで糸を引くように細く長く垂れた、どちらのものともわからぬ唾を拭おうともせず、細かく身をよじりながら上気した顔を鬼のいるほうに向けて喘いでいる。
「あの吐息……あんたが誘ったんよ。猫かぶってわらわを犬畜生に見立てて、可愛らしい声出してうち以上に愉しんで、いけずやわあ」
 汗ばんだ額に濃い黒茶の髪を張り付かせ、頬を朱に染め、人差し指で鳴き声を奏でるアオイの唇をなぞりながらそう話しかけた紅葉は、顔を近づけ相手の双眸を睨みつけながら、すっかりもとの冷静さを取り戻して言い放った。
「あんたの魂は根だけ残していただきますさかい、これからのお楽しみが終わったら、それに見合うだけの紅くて甘い飲み物、お礼にあげますえ。それでまた根から茎と葉生やして花を咲かせたら、鬼同士、貸し借りなし。よろしくて、我君」
「は、はぁい……」
 およそ内容を理解したとは思えぬ様子のアオイから発せられた返事を聞くや否や、紅葉は右手で彼女の臍を突っつきその流れで下腹を這わせ、茂みを掻き分け陰をまさぐり始めた。

 魂の殆どを吸い取られ、ただ快楽と紅葉の熱だけを感じている今のアオイに抗う術は、ない。抗おうとする意志さえ持ちえない。ただ喰われ、己が干涸らびるのを望んでいる。彼女はそんな、捕食者としては言うに及ばず、生けるものとしてもあり得ぬ想いだけに支配されていた。
そんなアオイを見透かしたのか、紅葉はゆっくりと、二度、ぬらりぬめりと舌舐めずりをした。すると、耳は尖り、瞳は瞳孔が尖り金色の鬼眼へと変ずる。そして右手で陰、左手で双峰の頂に座す突起、口唇と舌で首筋や口の内外ならびに上半身を思うが儘に弄ぶ。 右手は濡らされながら芯を捏ねくり回す。左手は乳房を揉み乳頭を摘まみ転がす。口舌は魂を啜りつつ四方八方に足跡を残してゆく。喰らうことはおろか抗うことすら放擲し年上の鬼に身も心も委ねることを選んだ姫君の肉と魂を、高低多様なよがり声を肴に時間の許す限り存分に味わい尽くした。
 そんな愛の洪水に進んで溺れ、対面で果て、馬乗りで果て、海老反りで果て、それでもなお鬼に喰らわれるアオイ。そのうち夜も更け丑三つ、すっかり瞳が蕩けたころ、紅葉に抱かれながら口に含まされた水をごくりと飲んだ彼女は、その後そろりと仰向けに転がされてから数分の後、だらしなく開いた口でうわごとを言い始めた。
「飛ぶ、飛んでいく……はぁん、飛ぶぅ」
 それを聞いた紅葉は休息を切り上げると、眉間に皺を寄せ傍らにあった襦袢の帯を結んで輪をなし、双方の首にかけてから相手を引っ張り起こし、彼女の耳元で囁く。
「勝手にどこにも行ったらあかん。許さへん。ほうれ、あんたはうちのもんや」
「はい……いっひょに、飛んでぇ」 
「ええ、それならええんよ。ほんなら、一緒に行きますえ」
 紅葉は満足そうな笑みを浮かべながらそう言ってアオイの頭を撫でると、帯を手綱に、腿を鞍に見立て、自らはじゃじゃ馬となって鞍上の騎手を躍らせはじめる。やがて騎手はか細いながらも嬌声を奏ではじめ、それは彼女が達するまで絶えることなく続いた。

 やがて空が白む頃、果てて果ててはたしてそのはてに瞳から光を失い身動きすらできなくなったアオイ。紅葉は、朱い敷き布団が透けて見える褥に力なく、息をする骸といった趣で仰向けに転がる吸血姫を抱え上げると、聖母のような面持ちでしっかりと抱き留め、己の首筋に姫君の口をあてがう。
「アオイ、ほれ、『褒美』じゃ。そのままでは外を歩けまい。業も罪も愛も弁えたこの身ゆえ、俗人であれば忌む血もそなたには至高の馳走となろう。存分に啜り味わい、その干涸らびかかった麗しい魂を回復させるがよいぞ。さあ」
 脈打つ管を引っ切りなしに流れる命の水の匂いに釣られてか、あるいはようやくと目覚めた本能ゆえか、アオイは力を振り絞り柔らかな肌に牙を立てる。
「んぐ……んっ……」
 はじめは吸い付くように。
「んく…んっんっ!」
 徐々に強く啜り。
「んんんっ!」
 しまいには喉をゴクリゴクリと鳴らして、呼吸さえ忘れて、ひたすら飲む。噛み口からほとばしる真っ赤な雫すら逃すまいと、必死に食らいついている。
「そうがっつかんでも逃げやしません。はぁ、あんたの魂、うちの血で創られるんやね」
 少々呆れの入った、しかしどこか嬉しそうな紅葉の声。アオイはそれに耳を貸そうともせず、ひたすら命の源を吸い続けること数分。
「ぷっはぁぁぁ……」
 ようやく満足いったのか、アオイは擬音を口にして感嘆しながら首筋より牙を引き抜く。その口元には真紅の血が滑稽な化粧のように広がっており、さながらトマトソースのスパゲッティを一心不乱に食べた幼子のような有り様。虚ろだった瞳は猫のような鋭さと、ルビーよりも眩い輝きを取り戻していた。
「あらあら、元気になってもそないな化粧やったら表歩いて帰れませんえ」
 吸血されるという体験を楽しんた紅葉は気怠さを覚えながらそう語り、首筋の真新しい傷には構いもせず、快活さを取り戻したアオイの口まわりをどこからか取り出した手ぬぐいで拭うと、机に置かれた漆塗りの衣装箱を指し示した。
「おべべはあん中。新品同様で揃ってるから安心しい」
「……うん。ああぁ、頭痛い……」
 対するアオイも、言いたいことは山ほどあったのだがひと先ずその言葉に甘え、何度か頭を振りながら身嗜みを整える。酒のせいなのか記憶が曖昧だが、身も心も蹂躙しつくされたことは心身双方に刻み込まれていた。
 それでも彼女を責めなかったのは、二日酔いで頭痛に苛まれていたのもあるが、何よりあのご褒美。
「こんなの、しばらくはこりごりだよぅ……。でも……貴方の血、とても美味しかったよ!」
 アオイは口元に残った鮮血の残滓を舐めとり名残惜しそうに口に運ぶと、にやりと口元を緩ませる。
「おおきに。またおこしやす」
「えへ、そう来なくっちゃね。今度は飲まれないよ」
「どうしたって、仕舞いは一緒どすえ」
 東の空からの来光射し込む紅葉の寝室に、二人の笑い声が響きわたった。

 それから、少し後のこと。
「にしても吸っても吸いきれなかったのは初めてだ。私が吸い尽くした娘は布みたいになるのに、ちょっと怠そうにしているだけで余裕綽々とは、まいったよ。でも、最高の血、うふふふふ、いいもの捕まえたかも!」
 アオイはそう、誰に話すでもなく口にしながら、るんるんと駅へと歩いていく。
 他方、紅葉はすっかり人間の顔貌に戻ると、褥に染みた諸々の匂いを味わいながら忍び逢いの記憶を反芻してから布で襦袢と手拭いを包んで洗濯機に放り込み、浴室へと歩みを進めた。
「アオイさん、またええことしよな。ええもん捕まえたわ……はて、捕まったんは、どっちなんやろねえ」 


(01:23)

二〇一三年水無月八日

「絶対にご無理はなさらないでください。騎士様が無傷でお戻りになるのが何よりの報酬なのですから」
 マドレーヌは潤みを配した瞳でリーズを見つめながらそう懇願すると、両の手で女騎士の右手を包み込んだ。
 リーズは彼女が先ほどまで見せていた手慣れた感じの笑顔との落差にきょとんとしていたが、やがて優しい言葉とそれにそぐう趣ある面相に心を打たれたのか、淑やかに相手の左の手房をとると、片膝を土埃で汚してから目を閉じてその甲に口づけた。そして立ち上がり手を離して目を開けると、そこにはいよいよ潤みが水滴へと昇華しつつあるマドレーヌの少し紅さした頬。リーズは―後ろ髪を引かれないようにか―敢えて視線を彼女の胸元に移してから力強く一時の別れを告げると、踵を返して足早に歩きだした。
 対して、リーズの意を酌んでか、静かに手を振るマドレーヌ。己の依頼を受けてくれたうら若く気高き女騎士の後ろ姿、それが街の喧騒に紛れ見えなくなってからもしばらくの間、マドレーヌは名残惜しそうに手を振り続けていた。

 しかし、リーズは知る由もなかった。こぼれ落ちそうな水滴を拭きギルドへと戻りゆくマドレーヌが、来た時の若々しい足運びとは明白に異なるつま先から入り腰を振るような歩き方で、時折目を閉じ、年齢不相応な扇情的な吐息を漏らしながら帰っていったことを。 

(00:09)

二〇一二年神無月十四日

 最近他人様のネタ・キャラをお借りすることが多かったのですが、今回は久々に「あなた」シリーズで壁埋めを描こうかと思い悪戦苦闘中。
 とりあえず水張りは終わって今週いっぱいで塗ろうかと考えておりますが、問題は大きさ。

kabeumerough


 当初は上半身だけ見えてればいいやと思っていたのですが、描いているうちにやはり全身を入れたくなって、どうせなら大きくいってしまおうと突き進んだ結果、下絵が上記のような事態になりました。58cmくらいありますねえ、縦寸。
 コンビニ行って縮小コピーしたりとか小細工を弄そうとしてみたりもしましたが、結局豪快に塗りたいので大判の水彩紙を切って下絵をトレスしました次第。
 描き上がってもアップされなかったら、それはスキャンしてうまく繋げられなかったと思ってくださいw

(23:23)