1957(S32)年、「昼下がりの情事」に続いて秋に公開されたのが「パリの恋人」、原題をFunny Faceといいます。ファニーフェイス、ファニーフェース…「特別美人ではないけど個性的で魅力ある顔立ち」といった意味ですが、日本でこの言葉が広く一般に使われるようになったのはこの映画が契機ではないかと思います。若干弱気ですが…手持ちの雑誌から察するとそう思われるんですけれど?
一番下の画像に、1957(S32)年冬の「ファニー・フェイス時代」の記事があります。ケッタイな顔、アンバランスな顔、おかしな顔、コミカルな顔…こそ魅力のある顔、新しい美の発見、と真剣に座談会です。「パリの恋人Funny Face」のオードリー・ヘップバーンを代表に、ペコちゃんとかベティ・ブーフ、キャサリン・ヘップバーン、ジュディ・ガーランド、日本では雪村いずみ、松田和子、久我美子などが上げられています。
そして、オードリー・へップバーンの映画の衣装デザイナーとしてジバンシィも話題になりました。ジバンシィが衣装を担当するようになったのは「麗しのサブリナ」からですが、その頃はイーディス・ヘッドのほうが有名でした?これは1957年秋の記事ですが、この頃からジバンシィも広く知られるようになったみたいです、説明文も味わい深い、というか…どちらの文も同じデザイナーの方です。
「ローマの休日」でヘップバーンカット、「麗しのサブリナ」でサブリナパンツなど、「昼下がりの情事」でアリアーヌ、「パリの恋人」でファニーフェイス、当時の日本の流行は、(ちょっと作られた感じも強いのですが)オードリー・へップバーンの影響力がすごかったみたいです。
上記「ファニー・フェイス時代」という記事と、1956(S31)年春のジバンシィの記事です。洋裁誌では前1956(S31)年からジバンシィを取り上げつつはありましたが(オードリー・へップバーン抜きで、たぶんまだ衣装担当デザイナーの情報が入ってない)、1956~57年頃のコレクション関係の記事だと「斬新過ぎる」って評価も多く、まだまだディオールが話題の中心。同1957(S32)年のディオールの死後以降、ピエール・カルダン、サン・ローラン、とともにジバンシィの話題も多くなっていきます。