1945(S20)年8月の終戦頃の『婦人倶楽部』から「どんぐりの栄養と頂き方―どんぐりを盛んに食べませう―」です。国民学校(現小中学校)で集めたなど、戦争中や戦後しばらくの食生活がしのばれます…もともと山国の常食だったとか、優れた食品であると栄養価の表を載せたり、どもりになるという民間伝承を否定したりしています。
20161110b01
食糧事情が窮屈になるにつれいろいろのものが食用化されましたが、最近では「どんぐりを食べませう」との運動が旺んになって、今年の秋は、國民学校のよい児たちの協力を得て、出来るだけ澤山のどんぐりを集める事になりました…どんぐりは渋味が強くて、そのままでは勿論食べられません。この渋味はタンニンといふ人体に有害な成分ですから、これを良く抜かなくてはなりませんが…

どんぐりの種類(あかがし、かいは、くぬぎ、みづら)もあるようですが、渋抜きの方法は
・採取したどんぐりを水洗いし浮いた虫食いを除く、二三日日光に干す(殻がはじけて割れ目ができる)
・干したり粗く搗き砕くと、固い殻が簡単に取れ、薄い渋皮も一緒に取れる
・笊か袋に入れて、川で十日間も晒す、か容器に入れかぶるくらい水を入れ日光の当たる場所で二三日おき発酵させ水を換える、これを三回繰り返し、その後一週間から十日毎日新しい水と取り換え、渋を十分に抜く
・渋を抜いたら、よく乾燥させ、粉にする

どんぐり粉は、水で捏ねるとまとまりがわるいから、必ず熱湯で捏ねること。他の粉類、芋類などとまぜて食べるのも結構…ということで、調理法です。どんぐり団子、どんぐり麺の煮込み、どんぐりの焼きパン、が紹介されています。この頃はふくらし粉(ベーキングパウダー)や重曹もない場合が多く、その代用にパンだねの作り方も載っています。詳細は画像をクリック拡大で

どんぐりの焼きパンは、パンだね(馬鈴薯375gを水360ccで皮ごと茹でて潰し、小麦粉75gと茹で汁でとろろ汁くらいに緩め、布巾をかけ一昼夜、冬はこたつなどで寝かせる)に塩、あれば砂糖、油を入れ、どんぐり粉と小麦粉(できればどんぐりは小麦の半量くらいまで)を入れて捏ね、布巾をかけて発酵させ、油を縫ったフライパンや天火で焼くか蒸す、御飯を炊くときに水が引いた段階で御飯の上に乗せ蒸らすと美味しい蒸しパンに(燃料が少なかったための工夫)この時期、材料が限られるので分量って明記してない場合が多いんです。またこういったレシピは、現実とはかけ離れた空想のレシピだったという意見も多いです。
 
細長い(しい、スダシイなど)のどんぐりは、炒るなどしてそのまま食べることができるようで、味も悪くないみたい。また、アク抜きはいろいろな方法があるみたいです砕いてから晒す灰汁を使うなど、この記事は昭和20年8月のもので…もうすぐ秋なので、どんぐりなんですね。時期が過ぎると、虫食いになっちゃうから早く拾っておきましょうということだと思います?秋に収穫した実は乾燥して保存したようです、クヌギなどは飢饉の時の救済食などとして保存されました。『聞き書き 岩手の食事』。椎以外のどんぐり類の味は丁寧に下準備し、上質の小麦粉に少なめに混ぜれば良くなったかも、でも、肝心の小麦粉も他の種類の麦や質の悪いものだったし、砂糖やバターなどの他の食材もなかったし…下参考↓

戦争後半以降、特に末期から占領期の初め頃は食料が逼迫し(1939/S19年頃から1947/S22年くらい)、芋類と、本来は飼料などで普段食べないような、脱脂大豆や豆、高粱やトウモロコシ、大麦、糠やふすま、野菜や芋の茎、澱粉滓、などが配給されました。米や雑穀は未精製の粒のまま配給されることもあり各自が精製・製粉しました。水団(すいとん)やおやきや代用パンに使われた小麦粉(という名の粉)は実際にはこれらの謎の粉などの黒っぽく不味いものだったようです。雑穀や正体不明の粉類は変質しやすく、交通機関や加工工場が罹災して管理も流通もひどい時期ですから腐ったりカビが生えたり砂の混じったものもあったようです。詳細は、戦前戦後と「暮しの手帖」のホットケーキ、の中間あたり、長い記事ですが…