October 03, 2010

あれからもう十二年、、、。

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曇り空で迎えた日曜日の朝。21℃。昼下がりから雨が降り始め本降りとなった静かな夕暮れ、湿度は90%だ。

秋を迎えて恒例の無垢根亭周年記念、謝恩のキャンペーンをスタッフと考えた。本当にあっという間の満十二年。ご愛顧いただくお客様に心から感謝の気持ちを添えて、「謝恩のもう一品プレゼント」を今週から始めた。今までの単品メニューの中でも一番人気の黒豚のスペアリブをお召し上がりいただこう。

「日本酒離れ」という言葉が言われて久しい。残念ながら日本酒消費のトレンドはここ三十年間見事なまでに右肩下がりで推移し、一向に持ち直す気配が無い。元来「何々離れ」とは、もともとはくっついていたものが離れる意味のはずであるが、日本酒に関しては離れる前にもはや、「日本酒を知らない」、「接したことが無い」世代が台頭してきた。その上、昨今は日本酒のみならず、「アルコール離れ」という現象さえ指摘されている。酒造業界、アルコール飲料業界にとっては由々しき事態である。しかしながら現実は直視して対処しなければならない。

その兆候は十年以上前からすでに出ていて、業界内外で将来どのように対応してゆけばいいのかが大きな課題となっていた。弊社も蔵開きやコンサート、また、飲み手の皆さんをお誘いしての地米栽培から酒造りへの体験のお誘いなど、できるだけ酒蔵にお越しいただく機会を作って酒に親しんでいただくよう努力していた。そんなときにふと思いついたのが、「酒蔵の中でお酒や料理をたのしんでいただき、同時に大切な人との安らぎのひと時をお過ごしいただく場所」の創設であった。

交野には里山と豊かな自然がある。幸い、我が社には伝統的な木造建築の酒蔵が残されている。改装できる未使用の空間も十分ある。京阪神の大消費地を控えて大阪市内から電車で30分でお越しいただける利便性がある。日本酒ファンの皆様に加えて日本酒に接する機会が無い皆様が振り向いていただければ、すばらしいお酒の世界に必ずや気がついていただけるはずだ。何とか実現できないものか。その思い付きが具体化するまでは優に数年間のアイデアの発酵期間が要った。その間、折に触れて飲食事業についての勉強やノウハウの情報収集も心がけた。

いろいろな状況が整った平成十年の初秋、ようやく改装に取り掛ることができた。まず、開設の場所はここしかないと考えていた「中蔵」に詰め込んであった昔からの道具や荷物を整理し、タンクを移動して空間を確保した。それからはデザインをお願いした建築家やお任せした工務店さん、またいつもお世話になっていた大工さんの奮闘で一気呵成に工事は進み、夢に描いた念願の空間、「無垢根亭」が誕生した。

その頃を思い出すと、「蔵元がなぜ飲食業を手がけるのか、、」。「素人に客商売が勤まるのか」、「満足のいく料理は果たしてできるのか」、「集客のすべはあるのか」、。などなど、親しくしていただいていた方々からも忠告やいろいろな助言をいただいた。おっしゃることは無理も無い、玄人でも飲食店を続けるのは至難の業だ。本当に自分たちにできるのか、、。大きな不安に包まれながらも何とか立ち上げることができたのは、日本酒のすばらしさとその世界を一人でも多くの方にお伝えしたい、という一心だった。

初冬のひっそりとしたテストオープンから立ち上げ、お知り合いやそれまでのお客様にご案内し始めて迎えた初めての冬。酒蔵の酒亭として名物メニューにしたいと練りに練った看板料理、「酒粕仕立てのむくね鍋」を始めた頃から反応が出始めた。お酒好きの壮年男性から始まったお客様層がご婦人方に広まり、だんだんと年齢が下のお客様や若い女性の方々が増えていった。「酒」のキーワードで反応していただいた方々から、「食」や「蔵の環境」のキーワードでお越しいただく方々への広まりであった。それはまた、「酒や食」という「もの」を買っていただくことから、「しあわせなひと時」という「こと」を買っていただく方向への変化でもあった。

「お酒ってこんなにおいしいものなのですね、、知らなかった、、」、「普段は日本酒はあまり飲まないんですが、今日は周りの方がおいしそうに飲んでいるのを見て一口試してみたらおいしくて、、。」。「はじめてきたのに何でこんなに懐かしい気がするのでしょう、、」。「今日は会社の友人が連れてきてくれましたが、今度は近いうちにぜひまた家内と一緒に来ますよ、、」。「こんなにゆっくりした気持ちになれたのは本当に久しぶりです、、」。「空気がいいにおいでおいしいですね、、」。「庭先の喫煙スペースで風景を見ながら一人で吸う一服は、まさに至福のひと時ですね、、。」お客様からいただく日々の一言ひと言が私たちの励みでありまた勲章で、明日に向けた力をお客様からいただいていのだ。

未知の飲食サービス事業に一生懸命取り組む日々が続くうち、はじめはどう読むのですかと言われた「無垢根亭」の名前も独り歩きを始め、思いもかけないことが起こった。2002年の正月、ライフスタイルマガジンとして独自の境地で多くのファンを持つ雑誌、「サライ」の新春特別号で無垢根亭の取材をいただき、その上何と表紙に私ども正門の写真が取り上げられたのだ。ありがたいことにこれで知名度は全国区となり、首都圏や地方からも旅行や出張の折を見てご来訪いただく方々が目に見えて増えていった。上の写真がそのときの表紙である。

「完全ご予約制」、「定時のご参集」、「月変わりの単一のコースメニュー」、「全館禁煙」、「金、土、日のみの週末限定営業」など、そんなことでお客が来るのかと言われた営業スタイルも、言い換えれば素人の酒蔵ではそれでなければとうてい続けられないという現実認識の中で必死の思いでたどり着いた苦肉の策なのある。そんなわがままをお受け入れいただき、十二周年を迎える今日まで温かく育てていただいた多くのお客様に心から感謝を申し上げたい気持ちで一杯だ。皆様、本当にありがとうございました。これからもなにとぞ変わらぬお引き立てをいただきますよう、心からお願い申し上げます。

週末になるとむくねの里にお運びいただく方々が狭い村の道を迷いながら歩いて蔵にたどり着いていただく。夕暮れ、ライトアップされた母屋の庭がほんのりと浮かび上がり、二階の窓からお客様の笑い声やさんざめきがもれ聞こえてくる。そして、裏山から流れてくる木々の香りでいっぱいの空気が酒蔵を包み込む。

「酒に酔い、人に酔い、夢に酔う」酔とぴあ、酒半。この言葉にこめた想いが実現するよう、これからもまた心新たにお客様をお迎えして日本酒のすばらしさをお伝えしてゆきたい。



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September 28, 2010

ノルウエイ生まれのお酒。

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旧知の友人、ノルウエイのシュテルさんからメールが来た。10月に日本に行くのでぜひまたむくね村の酒半に行きたい、会えるだろいうか、、?とのメッセージ。二つ返事で、楽しみにしている、ぜひ来てくれ、と返信した。

熊さんのような大男であるのに優しく繊細で、根っからの科学者。シンガポールエアのパイロットを務める傍ら、自身が創業した地ビール醸造所をノルウエイ最大で欧州でも指折りの規模に育て上げたという。大変なエネルギーだ。それだけ起業家としても有能な人が初めて我が蔵を訪れたのはもう五年以上も前になるだろうか。

確かそのころから、いずれビールの醸造が軌道に乗ったら、その次に日本酒の醸造に挑戦したい、と言っていたのを覚えている。それは熱心なことだと思いながら、まさか本当にしようと考えていたとは思いもよらなかった。

2008年の秋、酒を通しての友人たちとの話から思わぬプロジェクトが立ち上った。海外の日本酒に関心をもつあらゆる人を対象として、我が蔵で丸一週間滞在しながら一本のモロミの仕込みを体験してもらい、併せて、蔵人が生活をした酒蔵の空間で暮らすことにより、日本の伝統と私たちの日々の営みに触れていただく、という趣旨であった。名づけて、Mukune International Sake Brewing Program.

アメリカを始めとして海外市場で吟醸酒の認知が深まり、多くの多様な人々がセミナーやテイスティングに嬉々として参加されていることを見ると、時を得た企画であると考えられたし、少しでも応募があれば気長に続けて日本酒ファンの中心になってくれる人が育ってくれれば願ったりだ、と考えた。

忘れもしないその年の12月8日。この企画についてのすべてのメッセージと具体的なプログラムが形となり、我社の英語サイト、www.mukune.com でオンライン発信を開始した。数時間も立たないうちにぼつぼつと応募書類に熱心な志望動機を縷々書き込んだ
返信が届き始めた。意外に反応が良いのに驚くうちに一日たち二日目を迎えたところでこれは何とかしなければとんでもないことになる、と満員御礼のお礼と今季参加者募集の終了を告げたのが開始から48時間後。その時すでに応募者は北米、ヨーロッパ、アジア各国から36名に達していた。

企画の立ち上がりから協力いただいていたサンフランシスコの日本酒専門店のオーナー、ボウさんも興奮覚めやらぬ様子で、まさかここまでの反応があるとは、とみんなで喜びながら、2月から4月まで四回のセッションで合計24名の日本酒ファンが我が蔵で研修し、その経験と思いを胸にそれぞれの国に帰っていった。彼らが我が蔵に滞在中に書き綴ったブログは私の最大の歓びであり勲章である。そう、新しい日本酒伝道師たちの誕生の物語であった。

そのなかにもちろんシュテルがいた。際立つ熱心さと科学者の目で工程を観察して蔵人や他の研修生とともに作業をこなし、書ききれぬくらいの記録と現場映像を持って帰っていった。その時からもう彼の日本酒醸造の事業化は進んでいたのだ。米の手配、酵母菌や麹菌の確保。麹造りや仕込みのための機材や道具の確保。異国の何も無いところから立ち上げる苦労は察するに余りある。しかし、その苦労はやがて報われる、価値のある苦労であった。そして、この7月に何の前触れもなく彼から航空便で荷物が来たとき、その中身が何であるか一瞬にしてわかった。急いで開けた箱の中から現れたのが冒頭の写真の姿をした酒であった。

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「裸島」なんと発音するのだろう。ラベルには「山廃にごり生酒純米酒」。85%吟風 精米歩合70%。15%山田錦 精米歩合70%。酵母701号 日本酒度-3 仕込み一号
ビン詰日付 29.04-2010 誇らしくも高らかに謳いあげるこの規格書の裏で、満面に笑をたたえた彼のうれしそうな顔が見えてくる。やったね、シュテルさん、おめでとう、心からの祝福を送るよ。

酒の縁は人の縁。日本で生まれ育った素晴らしい日本酒は今や海を超えて愛でていただく方々がどんどん増えている。そればかりでなく、酒を生業として生きる人達も増えてきた。輸出入の貿易関係の方々、それぞれの国で卸や小売の流通を担っていただく方々。料飲店でお客様に接して日本酒を勧めていただく方々。その上これからは、シュテルさんのようにそれぞれの国で日本酒の醸造に取り組み、新しい根を張らせて将来に花を咲かせていただく人々など、多くの皆さんの力でもっともっと日本酒が多くの国や地域で飲んでいただけるようになるのが私たち蔵元共通の願いだ。

シュテルさんが送ってくれた酒ももうこの一本となった。勿体無くでいつか特別の日に、と思っていた日が彼の来訪によって10月に来るようだ。彼との再会のひと時は彼のその後の歩みとノルウエイ産清酒、仕込み第一号の誕生のドラマに聞き入り、裸島、山廃にごり生酒純米を酌み交わして語り明かそうではないか。日本酒の素晴らしさに乾杯!





  









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September 26, 2010

道つくり

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快晴。雲ひとつない、という言葉のとおりの青く澄み切った秋の朝を迎えました。今日はむくね村北組、秋の道作りの日。水田の間を縫って続くあぜ道や里道の草刈です。ひとしきりの作業のあとは米作りの情報交換。田んぼを見下ろす貯水池の堤防から眺めるとそれぞれの田んぼの稲穂の色の違いがはっきりと分かります。

まだ青々とした田んぼや黄金色になりかけの田んぼ、また、部分的に変色している田んぼなど、品種の違いや生育状況の進み具合がよくわかります。今年の夏に続いた高温で、うんかの発生も見られるようです。農協の営農指導員の方から、例年より四五日早く刈り入れる用意をすること、また、日々の登熟状態のチェックを怠らないこと、というアドバイスが出ています。

例年の交野郷の刈り取り時期は秋の祭りの頃の10月中旬。収穫までもう一息、注意して見守ってゆきましょう。

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午後四時。種切りから約47時間。今季の初出麹です。麹蓋から取り出すと、栗の花の香りがあたり一面に漂い、口に含みとたっぷりとした甘みが広がります。

これから40℃以上あった温度をゆっくりと下げて乾燥させる「枯らし」の期間に入り、来週水曜日の「酒母」の仕込みに使います。さて、今年も上々の滑り出しとなりました。




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September 25, 2010

初麹

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半年振りの酒造り、すべての作業が今季の初仕事です。昔、わが蔵の酒造りを担っていただいていた老練の但馬杜氏さんが、秋に蔵入りしてその年の酒造りの立ち上がりの頃、「夏の間ゆっくりしすぎて、酒の造り方を忘れてしまいましたがな、、」と冗談をおっしゃっていたのを懐かしく思い出します。冬の最盛期には頭で考える前に自然に体が動いて複雑な工程が流れるように進んでゆきました。さて、少しづつあの勘をとりもどしましょう。

昨日の金曜日の朝に蒸した米は麹ムロに運ばれ、手入れの後、「種きり」、「揉み上げ」と進み、今日の昼前に「切り替えし」、続いて、「盛り」の作業を行いました。米は五百万石、精米歩合は55%。31℃で種きりした麹は33℃まで上がっていました。

蒸し米の表面に付着した麹菌は、麹ムロの高温多湿という麹菌にとって最も好ましい環境で順調に繁殖し、表面から米粒の中心に向かって菌糸を伸ばして行きます。この増殖には酸素を必要とするので、数時間ごとに混ぜたりかき回したりという手入れを行います。

こうして、約二昼夜に及ぶ麹造りの工程で、米のでんぷんが糖に転化され同時に発酵に必要な数々の酵素も生成されてゆきます。写真は切り返した後の麹で、これからすぐに盛り作業。出麹(麹の完成)は明日、日曜日の午後四時の予定です。





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September 24, 2010

満月の夜

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昨日は秋の満月の夜。むくね村の裏山、東の空から輝く月がゆっくりと昇って村を柔らかい光で包み込みました。空気はすでに晩秋かと思う冷たさで、しんと静まり返った村里に秋の虫たちの鳴き声が響いています。

母屋の前で空を眺めたひと時。その風景をお伝えしたいと一枚写真を撮りました。無垢根の秋の風情を感じていただければ幸いです。




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September 23, 2010

準備完了。

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夜明け前の雷鳴と土砂降りの雨の音に目を覚ました今朝。むくね村は裏山から降りてくる清涼感に溢れた空気に包まれていました。

いよいよ明日は初蒸し。酒造りの第一段階、酒母(モト)を仕込むための麹造りのスタートです。醸造酒の製造には発酵を司る酵母菌の健全な成長に必要な栄養となる糖分が不可欠ですが、果実酒と違い穀物酒である日本酒の場合、原料である米そのものには十分な糖分がありません。そこで、米の澱粉を糖分に変える働きをするのが麹菌です。

洗ったあと高圧で約一時間蒸された米はゆっくりと冷やされ、40℃を切ったあたりでこの麹室(こうじむろ)に運び込まれます。この部屋の室温は常に35℃に保たれていて、小さくほぐして手入れされながら四五時間かけて30℃近くまで下がったところで、「モヤシ」と呼ばれる乾燥麹菌を振りかけます。これが「種付け」です。

それから約二昼夜、麹菌の繁殖と共に米の品温はだんだん上昇して、最高温度は43℃まで上がってゆきます。その間、切り返し、仲仕事、仕舞仕事と呼ばれる固まった麹米をほぐして品温をコントロールする作業が行われ、種切りから50時間前後で麹が出来上がります。

清掃作業を終えて磨きあげられた麹室は部屋の空気を加熱するヒーターを入れられ、ただいまの室温は35℃。蒸米の搬入を待つばかりになりました。





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September 22, 2010

もうすぐ初蒸し

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一旦落ち着いた暑さも少し揺り戻したように、今日のむくねの里は暑い一日となりました。

酒蔵では今年の酒造りの開始に向けて、着々と準備が進んでいます。夏の間静かに眠っていた酒蔵がにわかに活気を取り、酒造りチームのみなさんが動きまわっています。

仕込みの工程に使う機械類の点検と試運転、ホースや布類、またタンクや麹造りの道具などの洗浄など、いろいろな仕事をこなして24日の麹米の初蒸しに間に合うように備えています。いよいよ22酒造年度の始動です。

どうぞ今年もいい酒ができますように、、、。




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September 21, 2010

秋の草焼き

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むくね村の環境を整えるいろいろな作業や行事が、季節ごとに定例で実施されてゆきます。19日の日曜日は朝から草焼きの作業がありました。夏の間、伸びに伸びた貯水池の堤防の草を一週間前に刈り取り、乾燥したところで焼却する作業です。

伝統ある里村には、村を維持するためのいろいろな組織があります。お寺の檀家同行、観音様を護持する観音講、村の水管理を担当する水利組合、墓地や山地を管理する財産区。また、氏神様をお守りする氏子総代や農協、消防団など、小さな村にたくさんの組織があるのはそれだけせねばならない仕事があるということで、千年に及ぶ村の歴史を支えてこられた先人の知恵に頭が下がります。

それらの仕事の担当が、40軒あまりのむくね村の住民に順番に割り当てられてゆきます。担当の仕事を先輩方から引き継ぎ、こなしてゆくうちに若い時はわからなかった色々な仕組みやその意味がわかり、そしてまた作業を通じて村人の連帯感が醸成されてゆくのです。当家は今年から三年間、水利組合の世話人として仕事をさせていただいています。

暑い夏ではありましたが田んぼの水が不足することもなく、稲穂は順調に育っているようでありがたい事です。むくね村の米の収穫の時期は10月中旬、もう一息のところまで来ています。

草焼きの炎が立ち上がり、煙が森にたなびいてゆくのをみて、秋の訪れを感じたひと時でした。



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September 20, 2010

お彼岸の入り

RIMG1131今日は秋のお彼岸の入り。むくね村の森にある当家のお墓にお参りし、先祖への祈りと感謝の心を捧げました。

墓地から菩提寺の須弥寺へ連なる丘の釣鐘堂から見下ろすむくねの村里はもう秋の気配に満ちています。

今年の酒造りの開始ももう間近。心も新たにとりくんでゆきたいと思います。



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January 18, 2007

新しい一歩。

午後の日差しに輝く太平洋
冬景色のサンフランシスコ。太平洋を見下ろす丘に立つと遥かかなたに水平線が広がり、雲の間から午後の太陽が波間を照らしている。この海の果てに日本があるのだ。この海を超えて、我が蔵で醸した酒がコンテナーに満載されて次々と渡ってくる。陸揚げされた酒は流通網を通じて全米41州まで届けられ、多くの人に愛でられ、人々の喜びと安らぎのひと時の真ん中にいる。いつか見た夢がいま、目の前にある。

人の人生も時の移ろいの中で、いろいろな顔を見せる。振り返ると、次の転生に向けてしばらくトンネルを潜っていた。じっと耐えるときが続いていた。夜明けの前が暗闇ももっとも深い、という歌があったが、ようやくそのときが来たことを体の奥深くから沸きあがる力が教えてくれる。そして、彼方の高みを目指した新しい一歩を踏み出す時が来た。

サウサリートへのフェリーはエンバルカデロの埠頭から出る。ワインコネクション社との提携を模索していた7年前、彼らの事務所はこの埠頭の中の倉庫の一角にあった。彼らも年を追うごとに成長し、今はサウサリートの小奇麗なオフィスにいる。新しいプロジェクトを抱えての久しぶりの訪問は、初めてのフェリーで行くことにした。穏やかなサンフランシスコベイを行くこと30分。ジョナスが港まで出迎えてくれる。車で10分で事務所に着いた。エドとスタッフが歓待してくれた。

打ち合わせを終えてベイブリッジを通りマリナ地区のイタリア料理店で食事をともにした。彼らのビジネスの30%を超えるほど売上を伸ばし続けている酒のビジネスに関われたことは、本当に幸運だった、とエドが言った。彼らと出会えること無くして、今あるすべてがあり得なかった私たちにとって、めぐり合いは天恵そのものだった、と私が応じた。話は尽きず、幼い頃からのそれぞれが通って来た道を語り合うほど、出会いの不思議に酔った。人生は素晴らしい。

ただ生きるな、よく生きよ、と友が年頭に掲げた言葉はソクラテスの言という。お前は良く生きているか。日々を生き切っているか。心に燃える火はあるか。内なる問いに自ら答えながら、新しい一歩を歩み出していこう。














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May 20, 2005

アメリカ酒販売紀行 サンフランシスコへ

夜明けのアトランタ空港このたびのこの地へのプロモーショントリップも、昨日のアトランタで公式日程を終えた。いろいろな人、いろいろな場所、いろいろなシチュエイションで私たちの酒が楽しまれていることを目の当たりに見た。そして、それを応援していただいている今まで知らなかった多くの皆様との出会いを得ることができた。なんという幸せなことか。このいただいたえにしを大切に育ててゆきたい。

日曜以来ともに行動した我々四人も今日でひとまずお別れだ。田中さんとジョンはそれぞれの便で日本へ、リチャードは南カリフォルニアの自宅に帰り私はもういくつかの旅の目的を持ってサンフランシスコに向かう。空港まではリムジンデ行くしかないため二時間ほど早いが田中さんたちと一緒に五時にホテルを出た。夜が明ける前の闇の中を車は空港へと走る。社中、秋のイベントの調整でひと時意見を交わした。これから忙しくなる。

彼らと別れてノースウエストでチェックインすると、ひとつ前の便でいけるがどうする、という。待っているよりもサンフランシスコで時間ができるほうがよい。迷わずに頼んだ。次第に空が明るくなってゆく空の下で飛行機が翼を休めている。美しい風景だ。

アトランタのNWAラウンジターミナルを歩くうちにノースウエストのクラブラウンジがあった。入ってみるとLANケーブルもワイヤレスもどちらも装備されていた。これはありがたい。しばらくメールのチェックとたまっていた日記の書き込みを済ませた。サンフランシスコ行きの目的は、普段電話とメールでやり取りしているVineconnections社の本社スタッフと顔合わせをするためだ。エドとニックは何度もあっているが、オフィスの皆さんとはかなり以前にあったきりでその後入社した人もいて、日ごろのお礼の印に夕食にお誘いしている。もうひとつは全米で唯一、日本酒だけを販売している小売店、True Sakeのオーナー、ボウティムケンと旧交を温めたい。そしてもうひとつ、ソノマに住み付いてワイン造りの夢を追い続ける古くからの友人をたずねることだ。楽しみにしてきた最後の二日間だ。

(内容は追って追記いたします。まず写真をご覧ください。お読みいただき真にありがとうございます。 大門康剛 拝)



広場 サンフランシスコ


花のポット


星条旗







ポスター


果物かご


NARI






初めての酒店 窓の表示


店内の飾り



ボウさん





ゴールデンゲイト


VCオフィス アメリカ地図


オフィスのシャノン





オフィスのナリ


オフィスのハッピ



シャノンとナリ






牡蠣の皿


クラブクオーターズホテルの部屋






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May 19, 2005

アメリカ酒販売紀行 アトランタ、其の弐

ジョンとリチャード 昨夜は遅くまでセールスパーソンの皆さんが熱心に話を聞いていただいた。こちらが大丈夫かとハラハラするぐらいであったのに、みんなの意欲は強く、質問は留まるところを知らない。こんなに関心を持っていただいているとは何とありがたいことだろうか。今日は昨日の続きでまたお客様がお越しなるが、準備の時間が要らないので少しゆっくりとブランチを食べることにした。ホテルの前においしいパンを焼く店があるという。行ってみよう。そこに向かう途中に巨大な建物がある。あの有名な家庭用品のチェーン、ホームデポの全米の本社だそうだ。五兆円近くを販売する巨大組織の中枢だ。

パン屋の中こちらへ来て、わかっているはずだのににいつもあとでしまった、と思うのが食べ物の量とだ。見当がつかない。ついおいしそうで頼んでしまうと必ず二人前位の量が出てくる。今日もおいしそうなサンドイッチとクラムチャウダーのスープを頼むとこんな立派なものが出てきた。がんばって食べてみよう。


サンドイッチ


スティーブと


はっぴの背中





ここまで来るとみんなのプレゼンテーションもだんだんと磨きがかかってきた。ジョンに田中社長、私とリチャードの役回りがうまくかみ合い、それぞれの内容に磨きがかかってきた。こうして、聞いていただく皆さんに、酒のすばらしさと私たちの想いが伝わることを心から願うものだ。ジョンのセミナー風景


田中蔵元のはっぴ背中



テーブルの酒たち






黄色い花


ピンクの花


川のほとりの鳥






白いテント


婦人たち


カウンターの三人






マティーニ



バーとテレビ




アトランタ最終日の夕食

(記述は追って追記いたします。どうお写真をご覧ください。お読みいただき、真にありがとうございます。大門康剛拝)





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May 18, 2005

アメリカ酒販売紀行 アトランタにて

朝のリチャード 運転席アトランタの二日目だ。リチャードはいつも朝から元気だが、今日はまた一段と気合が入っている。ここではお客様を訪問するオーランドでのスタイルと違って、ジョージア州のディストリビューターであるQulity Wine & Spirits 社の会社にお客をお招きして、ジョンのセミナーと利き酒会、そしてセールスパーソンへの教育を行うのだ。宿のマリオットを出て美しい新緑の中を走ること30分、会社に着いたようだがどこにも看板や社名の記載がない。あとで聞くと、こっちでは酒の問屋はみんなそうだという。何と、リカー関係の社名を掲げると商品を狙って倉庫を荒らされるというのだ。これもお国柄だろう。

クオリティー きれいなオフィス倉庫風の建物の扉を空けると、そこはとても洗練されたオフィスだった。私の大好きないろいろのポスターが壁に飾られ、スタッフの仕事のスペースがパーティションで仕切られ、みんなが静かにコンピューター端末に向かい黙々と仕事をしている。そばには管理職用の個室が続いていた。すっきりした環境でこそいい仕事ができるのだ。私も見習わねば、と思う。



ポスターの前の女性





倉庫の風景担当部長のスティーブさんのお誘いで、倉庫を見せていただいた。年中15度くらいに保たれている庫内には膨大な品種の整然と商品が詰まれ、スタッフが静かに商品のピッキングをしている。あった。我々の商品もあちこちに収められていた。間違いを避けるため一緒に置かないという。これもいい考えだ。




酒の在庫





スティーブとジョン今日のセミナーは倉庫の片隅に設えた即席の会場で、いつもこのスタイルでやるらしい。かえって雰囲気が出ていてピッタリだ。部長自ら会場の準備や資料の整備、試飲用の酒の準備までしていただいたようで感激する。先におつきになったお客様の利き酒に対応しているうちに開始時刻となった。



倉庫のセミナー


米のサンプルを見る女性


セールスとスティーブ






ジョンとスタッフ


(続きは追って記載いたします。どうぞ写真をご覧ください。お読みいただき、まことにありがとうございます。大門康剛拝)




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May 17, 2005

アメリカ酒販売紀行 アトランタへ

ホテルのプール一日中走り回ったお陰で、昨夜は久しぶりにぐっすりと眠れた。やっと前半の疲れが落ち着いたようだ。朝のひと時、ホテルの浦口を出ると小さなプールがあった。水面に漣が立ち、朝の光に輝いている。今日はオーランドでの販促活動の二日目。朝からの一番重要だというお客の訪問と、すし店でのレストランとスーパーマーケット担当者向けの利き酒会とセミナー。この二つをこなしてから夕方の便でジョージア州のアトランタに移動だ。南部の中心、オリンピックが開催されてから久しい町だ。荷物をまとめb、ホテルをチェックアウトして最初の店に向かった。

(続きは追って記述いたします。どうぞ写真をご覧ください。お読みいただき、まことにありがとうございます。 大門康剛 拝)

VINYARDへ入る二人


店主に説明する二人


店主と記念撮影






SHARIでのジョンの説明


SHARIでのお客と田中社長



SHARIの料理






SHARIでの三人組


MUKUNEとカーター



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May 16, 2005

アメリカ酒販売紀行 オーランドにて

夜明けのオーランド案の定、ノースウエストから積み忘れのスーツケースがホテルに届いたのは深夜の二時過ぎだった。フロントからの電話に呼び出されて受け取ったあと、うとうととするが結局は寝付けないうちに朝を迎えることになった。南国の夜の闇が次第に白み、瞬くうちの明るくなり、太陽が昇ってくる。ホテルの前の芝生の緑が輝いている。ベランダに出ると空気は冷たい。さわやかな朝だ。




四人組 オーランド昨夜遅くニューヨークから到着された李白の蔵元、田中社長と待ち合わせた八時にロビーに下り、レストランで軽い朝食をとった。田中さんも飛行機の便が遅れて、やはり寝られなかったようだ。やがて、今日の同行者であり案内人である二人が現れた。フロリダ全域をカバーしていただいているディストリビューターのStacole Fine Wines 社の担当者、マネージャーのシルベインさんとセールスマンのカーターさんだ。若い。元気だ。「日本からはるばる遠いこの地までお越しいただいてまことに光栄です。今日と明日は我々の得意先の中から、ぜひ蔵元とゴントナーさんとお会いいただきたい最上の顧客を選びました。皆さんがお手も楽しみにしていただいています。どうぞよろしくお願いします」と礼儀正しくご挨拶をいただく。これはやる気だ。さっそくジョンと田中さん、そしてシルベインさんの組と、私とリチャード、それにカーターさんの組に分かれて出発した。

棚の300隻咫.ーランドどのお店も地域の有力店ばかりで、いろんな売込みが毎日のようにある。なかなかアポイントメントを取るのも難しい店ばかりだが、蔵元とジョンがわざわざ日本から来るというと、喜んで時間を取っていただいた、カーターはうれしそうに言ってくれた。何とかこの人の成績が上がるように、がんばらねば。同行販売形式は日本でもあるので雰囲気や段取りはわかるし、プレゼンテーションの組み立てもあらかじめイメージしてはある。しかしやはりやってみないとわからないことばかりで、少々緊張する。初めは、すでに300隻咾撚深鑪爐納めているが、一段と取り扱いを増やしていただくのが目的の店だ。入る前に、「オ−ナーはナイスガイだけれど、人の好みが少しきつくてシャイなところもある人だから、そのつもりで」といわれながら店に入った。

濁りを手にするオーナー軽やかなトランペットが響いている。マイルスデイビスだ。「いい音楽ですね。私も大好きです。」Oh, Yeah!と応えていただき、面談が始まった。ひとしきり日本のことやニューヨークでの酒の話でつなぎながら店内を見ると、MUKUNEがあるではないか。ありがたい。「この酒の蔵元です。今日は新しい商品と私たちのグループの酒をぜ利いていただきたいと、はるばる日本からきました」とさっそく切り出す。カーターが手際よく冷蔵ケースに入れて冷やしてきたボトルをカウンターに並べ、グラスを用意して酒を注いでゆく。これからが勝負だ。

(続きは追って記述いたします。どうぞ写真をご覧ください。
お読みいただきまことにありがとうございます。 大門康剛拝)


リチャード、カーター、店主


裏庭の水盤


庭のジャスミン






二番目の店 奥にワイバーを造る


マリオット 料理長



MUKUNEを注ぐシルベイン






MUKUNEを利く料理長


MUKUNEを注ぐカーター


マリオット バーカウンターの酒






エプコットセンター 三越の皆さん



お城の入り口


セミナー客 ジョンの話に聞き入る






談笑するお客



300隻咾諒造鵑逝


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May 15, 2005

アメリカ酒販売紀行 フロリダへ

セントラルパークの緑結局はやはり寝付けなかった。何しろ日本とはサマータイムで13時間の差だから完全に昼と夜が逆なのだ。朝に寝ようとしているのだから無理も無い。持参した本を読んでいるうちに空が白んできた。11時ちょうどのノースウエスト539便でラガーデイア空港から発つので、10時には空港に着かなければならない。30分前にキャブを拾えば大丈夫だ。オーランドまで直行便で行くと三時間程度だが、ノースウエストでマイレージを貯めている私はデトロイト経由で行くので着くのは午後の4時19分だ。田中さんは直行便で夕方に発たれるので、現地のホテルでジョンやVC社の南部地区担当エージェント、パラスキさんたちと落ち合う予定だ。もう半日でも時間があったら、新しく改装されて評価の高いMOMA、近代美術館でひとときを過ごしたかったがそれも次回にお預けとなった。

セントラルパークの緑を見上げながら、マンハッタンを西から東へと横切って車は走る。アッパーイーストのなんともいえない佇まいに見とれながら、イーストリバーを渡り振り返るとマンハッタン島を一望する良く知られた光景が広がっている。この秋9月の最終週には、昨年我が蔵のMUKUNEが最優秀賞をいただいた、アメリカで販売されている酒を集めての全米日本酒歓評会や、ジャパンソサエティーでのSEA日本酒輸出協会のセミナーと利き酒会、総代理店のVC社主催のセミナーと利き酒会、続いてボストンの日本協会とシカゴのJETRO主催の会、VC社の利き酒会とイベントが目白押しだ。

オーランドデトロイトで乗り継ぎながらオーランドまで、シートに座るや否や眠りこける。寝かせたシートを戻すよう促されてやっと気がつくともう飛行機は着陸態勢に入っていた。まぶしい。フロリダの光は確かに違う。空には雲があるのに日差しはきつい。ゲートからターミナルへ向かうトラムの両側にはいつか写真で見たようなフロリダの風景が広がっていた。広がる芝生にやしの木、池の水面に映る青い空。ここは、リタイアしたあとの余生をゆっくりと楽しみたいと考える多くのアメリカの人たちが夢見る地なのだ。

人々の格好はもうリゾート風だ。今日は日曜日。週明けの仕事に向けて各地へ帰ってゆく人が多いのか、かなりの人だ。その間を縫って荷物引取りの場所に行く。ターンテーブルがずらっと並ぶ中、フライト番号を確認して待つ。しばらくして出てきた荷物を同じ便の人が取り始めた。もうすぐだろう、としばし目を凝らすがなかなか出てこない。悪い予感がした。ほとんど最後の荷物が引き取られるのを見届けるとやはり積まれてなかったのだ。長旅の後のシャワーと着替えを楽しみにしていたのにやれやれと思いながらクレーム受付のブースに行くと日本人らしい若い男性が不安そうに立っている。日本の方ですか、と声をかけられ、はいと答えると、デトロイトから来たんですが荷物がないんです、とのこと。ご同輩だ。

不慣れなもので、とおっしゃる声を聞きながら待つのだが、受付の女性の電話の長話がなかなか終わらない。やっと切り上げたと思ったら、荷物がない、という私の言葉を差遮るように、どこから来たの、じゃあ、どんなスーツケース?サムソナイトでもいろいろあるわ、とまくし立てる。ちょっとした言葉尻を取って、やってられない、という顔だ。こっちではいつものことだが、私にはその責任は無い、めんどくさいことをしてやっているという態度で対応されるとだんだんそれはないだろう、と言いたくなってくる。横で聞いている彼も、なんだか馬鹿にしたような態度ですね、とおっしゃるほどのおばちゃんにはぴしっといわねばなるまい。これは相手が悪いと悟ったのかあっという間に顔色が変る。後の便で今日中には着くが、ホテルにお届けするが深夜になるかもしれません、との言葉にとりあえずの礼を言って手続きは終わった。休暇でのご旅行ですか、と聞くと、癌の学会に来ました、とのこと。なかなか気持ちのいい香川県のお医者さんなのだ。よろしければ、ホテルのシャトルバスの乗り場までご一緒いたしましょうか、とお誘いした。

結局、私の泊まるマリオットコートヤードは遠い上にビジネスホテルなのでシャトルは無く、ミニバンのタクシーで行くことになった。空港から約30分の社中で運転手のおじさんが問わず語りにいろいろこのあたりの話をしてくれた。オーランドというところは50年ほど前は何ひとつない原野であったらしい。そこにディズニーが目を付けてどんどん土地を買い増していった。どうするつもりかと地元の人が思っていたらディズニーワールドができたらしい。それに連れて観光客が集まり、その消費者を求めてあらゆる産業が投資を始めた。地価はどんどん上がり先に土地を押さえていたディズニーは莫大な利益を上げた。どこかで聞いた話ではないか。いつも先回りをした者が大儲けする。「道の周りに池がたくさんあるだろう。貯水池なんだよ。もともと雨が多いところなのに開発でその雨を浸透させない舗装した土地が増えすぎた。その雨水を受ける池を作っておかないとすぐ洪水になるんだ」。話を聞いているうちに車はホテルに着いたようだ。

このホテルはVC社が私たちにために予約を入れてくれていた。今日は日曜日なので80ドル。明日からは120ドルだという。チェックインを済まし、あとから積み忘れのスーツケースが来るので連絡してほしい、というと、おそらく深夜になりますよ、とのこと。やれやれ、しょうがない。このホテルはマリオットのコートヤードという中クラスのいわゆるビジネスアンドリゾートとでもいうクラスだが、ツインの部屋に入ってみると結構広い。そのうえ、LANのジャックが机の上に来ている。1メートルほどのコードが、押入れのハンガーに掛けてある。さっそく繋いでみた。早い。ブロードバンドだ。メールをチェックし、いくつかの返信を書いた。これはありがたい。快適に仕事の処理ができそうだ。

宿のIT環境 デスクの写真三月に今回の出張が決まったときから、モバイル環境を整備して出かけようと考えていた。今まできっかけがなかったラップトップのパソコンを手に入れ、東京への出張の折に少しずつ慣れるようにしてきた。何とか使えるかと思ってはいたが、こんなに快適とは感激だ。携帯電話は関空でレンタルした。ジーコールだ。この会社は日本の携帯電話会社の系列ではなく、アメリカの子機を使うのでかなり安い。KDDIなどの国内系だと一分150円ぐらいするアメリカ国内への通話だと50円、日本にかけてもかなり安い。一昔前は、ニューヨークなどでは朝になったら大きなホテルの売店にって日本の新聞を買い、壊れていない街角の電話を探し回ったり、プリペイドカードを買い置きしたりと大変だった日本との連絡がまったくストレスがなくなった。夢のようだ。

7時にロビーでジョンとリチャードと待ち合わせをして夕食に向かった。ジョンは今回の「いい酒蔵元会グループ」のアメリカへの二週間のプロモーションの全行程に参加している。前半の先週は五つの蔵元の皆さんと一緒にデンバー、ラスベガスをこなして今週は私と李白の田中社長、それに地区担当エージェントのリチャードと一緒に販促活動を行う。さっそくレストランのバーカウンターで喉を潤して今までの情報交換と状況の分析、そして明日からの戦略を話し合った。

アメリカの酒類の流通は日本とはかなり様子が違う。何しろ、広さが違う。この物理的距離を如何にして埋めてゆくかが課題なのだ。日本では、日本酒の蔵元やビールその他酒類のメーカーなどの生産者である一次層、つぎの段階への流通を担う問屋(酒類卸)さんが二次層、そして小売業者である町の酒屋さんやコンビ、スーパーやDS店の三次層へと流れてゆく。料飲店は個人の消費者と同じで四次層になる。アメリカの場合はメーカーと輸入業者が一次層、各州の地区代理店であるディストリビューター、ホールセラーが二次層、小売店とレストランが同じで三次層、そして消費者が四次層となる。どの販売層も総じて粗利益率は日本に比べてかなり高い。それは、この国の禁酒法時代からの免許事業というアルコールビジネスの特性と、サービスに対する対価の考え方の違いから来ると思う。

課題はこのいわゆるThree Tire、三層構造の中でどういう動きをしてゆくかだ。大手の全国規模のメーカーはともかく、輸入業者やカリフォルニアのワイナリーなどは正社員としての営業販売員を抱えて全米で販促活動をすることはとても負担がかかる。そこで独特の仕組みがある。それは、いろいろなカテゴリーの商品に精通しているプロの個人が、エージェントとして生産や輸入の一次業者と契約し、自分の得意とする、あるいはそれまで築いた人脈を持っているディストリビューターの二次業者の居る地域を受け持ってあらゆる販売促進、利き酒会などのイベントの企画運営、卸の営業員の支援活動、一次業者が提供する情報の周知徹底などを行う。その活動に対し対して、その地区で一次業者から二次業者への販売が実現した金額に応じ、契約したパーセンテージで報酬が支払われる。固定報酬なしの完全歩合制で、まさに、働いて結果を出せば報酬は天井なしのプロの世界だ。また、二次業者からの注文は直接一次業者へ行き、販売代金も直接支払われる。エージェントはモノとカネにはタッチしない。これがここのやり方だ。我々の酒の輸入総代理店であるVineconnections社は、立ち上がりの二年間は販売担当共同経営者であるニックが年間200日の各州への出張販売促進活動を続けてきたが、ここのところの吟醸酒への追い風を背景にした販売量の急増を見て、その勢いをいっそう本物にするため、顧客への支援活動をより充実させたいと、このリテャードパラキ氏を南東部各州のエージェントとして契約したのだ。

ジョン リチャード「俺は夕方のこの一杯のドライマティーニを心から楽しむために、一生懸命働いてきた」と語り出したポーランド系であるリチャードの話は本当のプロの仕事師のそれであった。シーズンによって異なるが、今の季節であると一週間の出張を月に二回位のサイクルでこなす。家に居るときは自分のオフィスで契約した商品の状況を代理店と確認し、次の手を考え、代理店のセールスとの打ち合わせも欠かせない。VCが輸入する我々の酒は、ニックとNYに居る正社員のテャド、そしてこのリテャードと彼のパートナー、それにもう一人のエージェントの五人で全米47の州にある約50のディストリビューターを地域別に10から15ずつ受け持って販売してくれているのだ。「ヤスタカ」、とファーストネームで呼ぶ彼は言った。「あなた方の酒はここで立派に通用するすばらしい商品だ。われわれが尊敬する歴史と、疑うことのない本物の商品の持つ力を誰もが感じている。俺たちに任してくれ。VCはどれもすばらしいディストリビューターを持っている。あなた方が誇りを持って造った酒は、俺たちがもっともっと売れるようにしてやるよ。」

オーランド 第一夜 レストランキッチン湖に面したレストランは週末最後の夜を楽しむ人々で溢れていた。窓から眺めていた景色がだんだんと夜の帳に消え、テーブルのキャンドルの灯が三人の顔を照らす。ジョンとリチャードと私。それぞれが今まで生きてきたものがたりをゆっくりと話していった。「タンカレーテンをベースにした、オリーブを入れないやつが最高だ」というリチャードに薦められたマティーニと地のビール、それに続いて、彼が考えに考えて選んでくれたカルフォルニアの白ワインのボトルが空いた頃には、もう何年も付き合い、一緒に仕事をなし遂げてきた戦友のような友情が芽生ていた。彼は、我々がこれからもっともっとアメリカのことをいろいろな面で理解するための絶好の師であり、水先案内人だ。彼とならきっとうまくやってゆける。明日からまた、どんな人たちに出会うことができるのだろう。期待に高まる気持ちとゆったりとした酔いに身を任せながら、オーランドの初めての夜は更けていった。





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May 14, 2005

アメリカ酒販売紀行 ニューヨークにて

ニューヨークのオブジェ ミシンを縫う人ニューヨーク二日目、体内時計はまだ完全に日本標準時だ。朝四時くらいに目が覚める。日本時間の夕方五時だ。窓を開けるとまだ外は暗い。TVを眺めながら今日の予定を頭の中で考える。出発前、留守の間の段取りでバタバタするうち、今回の宿の予約はどうしようかと考えている間に日が過ぎてい、先週末にいつも使うインターネットの予約サイト、hoteldiscount.comで検索したが、ウエストサイドの定宿を含めて適当なところはすべていっぱいになっていた。急遽田中さんにお願いして押さえていただいたが、こちらのホテルの価格は完全に需給によって決められるシステムで、泊まっているペンシルバニアは昨日の金曜日は130ドルだが、二日目の今日は土曜日で需要が多いので240ドルに跳ね上がる。仕事のための出張でほとんど部屋に居ることなく寝るだけになる宿代は100ドル強が上限と考える旅の達人、田中蔵元と元祖放浪派の私は迷うことなく、二泊目は宿を変えることにした。

移動先はアッパーイースト、100丁目辺りのスチューディオと呼ばれるタイプでシェアードバス、つまりは部屋にトイレや洗面台、もちろんシャワーや風呂もない。大体どんなところか予想のつく状況に私は何の躊躇もないが、旅慣れない人はほとんど恐れをなす。この局面で、「面白いじゃないですか。話の種にいってみましょうよ」とおっしゃれるのが田中蔵元の真骨頂だ。すばらしい。

夜が明け始めた。さわやかな五月の朝の光に誘われて散歩をしようと部屋を出る。土曜日の六時。さすがに人通りは少ない。目指すは7番街、50丁目あたりのシェラトンホテルのタワー棟だ。ここは私のモバイル術の指南役、南部美人の久慈さんが教えていただいたロビーで無線LANが使えるかもしれないというところだ。メールチェックが出来るかもしれない。ホテルを出てまっすぐ7番街を上がってゆく。マンハッタンを南北に走る大筋のひとつを北に向かっている。

突き当たりはセントラルパーク。90年頃に初めてこの街を訪れてからその独特の雰囲気に魅せられ、もう何度きたことだろう。はじめの頃は地下鉄には絶対乗ってはいけない、といわれたほど危険だったこの街もいろいろな時代を経ながらより洗練され、世界中の人々を引きつけてきた。その魅力は変ることなく常にここにある。どこにもない独特のダイナミズム。大人のための、洗練されたあらゆる楽しみがある街。ビジネスと芸術が究極のレベルで共存する街。大都会でありながらセントラルパークのみならず街角に点在する豊かな緑。アメリカ人でさえも、ここはアメリカではない、と言わしめるNew York State of Mind という独特の生き方とライフスタイルは永遠だ。

NY 路上の鳩タイムズスクエアで斜めに交差するブロードウェイを横切ってまっすぐあがってゆく。そろそろカフェが店を開け始めた。明るい窓際の席が居心地の良さそうな店先の看板にあった朝食セット、6ドル99セントの看板に誘われて一服だ。スクランブルエッグ、ベーコンにソーセージ、ジャガイモの蒸し焼きにトースト、山盛りのフルーツミックスに熱いコーヒーとジュース。道行く人を眺め、ゆっくりと食べながらすごすこの時間。旅の途上感を満喫するひと時だ。食後にはラップトップを開けて昨日の日記も書き始めた。初めて経験するこのモバイル感の快適さを一度経験したら、もうデスクトップの世界には還れない。四月から今回の出張に向けて準備してきたのは大正解であった。

シェラトンに着いてロビーに入ると、レセプションのまん前のテーブルでラップトップを開いている人がある。これだな、とさっそく立ち上げる。やった!無線LANのアクセスポイントを感知しました、というメッセージだ。マニュアルどおりに設定すると、でた、シェラトンホテルへようこそ、という画面で使用規約の承諾をすると繋がった!これはすごいですね。さっそくメールをチェックし、返信をする。無線LANは便利な反面、セキュリティーの限界があるのでパスワードを使う作業は控えたが、これで日々使っている状態と同じ環境を獲られるのが確認できた。横から東洋人の顔をした人が聞いてくる。無線を使っているのか、というので、そうだ、というと、いくらかかるのか、と聞き返してくる。無料で使えるようだ、というと驚いていた。シェラトンさん、使わせていただいてよかったのでしょうか。ありがとうございました。

気がつくと10時半だ。急いでキャブを拾い、ホテルに戻る。田中さんとの待ち合わせは11時。そしてテェックアウトして今日の宿に向かい、お昼の石黒さんとの昼食の待ち合わせに向かわねばならない。急いで荷物をまとめ、部屋を後にした。

田中さんと落ち合いさっそくキャブを拾う。住所を告げてマンハッタンを一路北に向かう。七番街をあがってタイムズスクエアでブロードウェイに合流した車は59丁目のコロンバスサークルにさしかかるとセントラルパークが右に見えてくる。圧倒的な量の緑だ。酒を売っていただけるところがないかとこの街を歩き回っていた頃。90年代前半は貿易会社にも日本レストランにも門前払い同然の対応を受け、なす術もなく途方にくれてセントラルパークで寝そべっていた。太陽の光を浴びながら、いつの日かここで、うちの酒を売って見せると夢と希望を抱いて、行き交う人々を見つめていた。その頃に比べると一分の時間も惜しんでこうして走り回れる幸せに熱い思いがこみ上げてくる。

96丁目に近づくと車はもう一本西のウエストエンドに折れ、目指すスチューディオに着いた。悪くないじゃないか。周辺はアッパーイーストの静かな佇まい。セントラルパークでいうと北の端から全体の四分の一ぐらい下がったとろろだ。12時前なのでまだチェックインはできませんが、という気持ちのいい対応をしてくれた受付のお姉さんは、歩いて五分ぐらいのところにある系列のホテルなら今の時間でもチェックインできるといってくれたが待ち合わせの時間がないわれわれは地下室のロッカーにスーツケースを預け、96丁目の地下鉄の駅に急ぐ。この判断が夜の不思議な体験に繋がってゆくとは思いもしなかった。

Bouley 店の外観Bouley.過日NHKがいま世界中で驚くべき広がりを見せる日本食の事情をレポートした番組をご覧になっただろうか。すしやてんぷら、さしみといった今までの単一メニューとして世界に広まっていった日本食がいまや全面展開の様相を呈し、総体としての味わいの深さ、健康食としての認知の向上が急速に進んでいる。その裏には、日本食の基礎にある「うまみ」の存在に気づき、昆布やかつおのだしのとり方を学んで自分の料理に取り入れている非日本食の分野のシェフたちが居る。番組で紹介された二人のうちの一人が三月に我が酒半を訪ねていただいたパリの:::であり、もう一人がこのブーレイであった。番組を見てぜひ訪ねてみたいと考えていた私は石黒さんにお願いして今日に昼食に席を予約していただいた。

ヨーロッパの雰囲気を保つエレガントな店だ。この格式とシェフの高名さにもかかわらずランチセットは4,000円くらいとお手ごろだ。前菜、スープ、アントレと進みケーキからコーヒーに仕上げはチョコレートまで出た。ライトな味わいのフレンチの趣はやはり出汁のうまみを学んだシェフの考えが反映しているのだろう。ぜひお奨めの店だ。

三時十分前に昨夜の「MEGU」の前で待ち合わせたのは我が社の米国総代理店、Vineconnections社の東部地区担当セールスマンであるチャドさん。この三月の全米代理店の皆さんを招いての第二回酒蔵訪問旅行に参加していただいた方だ。天性の明るさと交渉力を買われて、その前の職のシカゴの問屋からVC社に引き抜かれた。いまは東部の十数州を受け持って連日飛び回っている。日本での酒蔵訪問で言葉では伝えられない貴重な体験に感激した彼は今回のわれわれの出張をとても楽しみにしてくれていた。「ダイモン、ニューヨークでの時間を全部俺にくれ。できるだけアカウント(得意先)にあわせたいから」と打っていた彼は。MEGUのバー担当の::さんとアポイントを取っていてくれた。昨夜のお礼を申し上げてすぐに商談だ。こちらでは毎月いくつかの銘柄を選んで特別な利き酒会を開催し、新しい顧客の開拓と酒の啓蒙に努めておられる。
その枠を使わせていただけないか、というお願いだ。運良く7月後半の週の時間を使わせていただけることになった。銘柄は田中さんの李白と我が蔵のMUKUNE。そこにもう一蔵を加えて企画することを了承いただいた。私自身は来れないが、チャドが「俺がTOZAIのはっぴを着てやるから大丈夫だ!」といってくれる。ありがたい。こうしていろいろな人々のお世話になっていることを改めて感謝したい。

NY ランドマーク酒店 店内MEGUさんを辞して次に伺ったのがニューヨークで一番の酒の品揃えを誇るといわれる小売店のLandmark.韓国系のオーナーご兄弟で数年前に立ち上げた日本酒のセレクシンは圧倒的だ。棚にある銘柄を確認しながら冷蔵庫に目をやると、とあった!TOZAIのにごり、Voices in the Mist 霧のささやき、三月に出荷開始し我が社の戦略商品だ。もうこうして市場で販売していただいているのを見るのは本当にうれしい。一年かけて企画開発してきた苦労がいっぺんに吹っ飛んでゆく。私たちの訪問をとても楽しみにしていただいていたというお兄さんが急な事情で帰ってこれないという。いろいろテクニカルな話をしたかったらしいのは残念だが、またの機会にしよう。お礼を申し上げてまた移動だ。冷蔵庫のTAZAIにごり ランンドマーク

MATSURI ここは昨今のいわゆるメガレストランの御三家のひとつ、蔵元たちが日参する繁盛店だ。料理長の小野さんがわざわざお時間を割いていただき、じっくりと話を聞いていただく。残念ながら、我が社のニューヨークの地区代理店、VOSセレクション社が取引開始を目指して担当者のロンさんが通い詰めているが、もう一息のところだ。
今回はTOZAIとMUKUNEの利き酒をしていただき。取引に結び付けたい。セールスのロンさんは出張中であったので、VOS社長のビクターさん直直の同行販売を兼ねた懇親の夕食会だ。忙しい中、小野さん、飲料の仕入れ担当のイイノさんとアシスタントの方が熱心に利き酒をしていただく。味わいには納得していただいたようであとのビジネスの部分はVOSとチャドに任すことにしよう。

MATSURI ビクターさんたちと昨年の代理店酒蔵訪問ツアーに参加していただいたビクターさんとの再会に話題は尽きることがない。彼の意欲と、現在の高品質酒を取り巻くこの街の状況を見ると、これからの可能性は計り知れない。お互いのWINWINの関係を目指してがんばってゆこうと誓い合い、その場を切り上げた。時計を見ると午後七時をまわったところ。日本では日曜の朝八時過ぎだ。昨日から夜通し起きていることになる。座ると猛烈な眠気に襲われる。それを振り切って店を出た。

それからは怒涛の飲食店周りと現状視察が延々と続いた。土曜の夜、ニューヨークの大人の楽しみの時間は朝まで続く。どこに行っても着飾った客が店を埋め尽くしている。いらっしゃいませ、、、という掛け声で迎えられた客が酒のメニューに見入っている。ボトルやグラスを運んで走り回るウエイターやウエイトレスの皆さんの笑顔のなかで、GINJYOやJYUNMAIやNIGORIの言葉が飛び交っている。これが今のニューヨークの一番トレンディーなシーンなのだ。この風景を夢見てこれまでがんばってきた。本当に多くの皆様の力に助けられ、どんどんと新しい人たちがまた、私たちが精魂込めて醸した酒をより多くの皆様に伝えようと日々活動していただいている。まさに奇跡としか言いようのない光景を目の当たりにして、高揚感は深まって行くばかりだ。

EN で商談 TOZAI懐かしい出会いがあった。元気にしているか気にしていた、と、もとデシベルにおられた岡田さんがENで声をかけていただいた。お前がダイモンか、esake.comはいつも見てるぞ、ありがとう、といってくれる人たちが何人もいた。EN、TAO、GEISHA、SAKAGURA、ONO, SAKEHANA,,,次々とあらゆる業態の店で酒の味わいを堪能していただいている人々を見ることができた。このシーンをぜひ全国の日本酒の蔵元をはじめ、杜氏さんや蔵人さんたち、そして販売や事務に携わっておられるすべてのかたがたにお伝えしたい。私たちが守ってきた日本酒のすばらしさ、世界に通用するおいしさ、そして、私たちが伝えようとしている酒蔵の営みの素晴らしさ。誇りを持って、世界中に広めてゆける価値があるのだ。

EN 店内気がつくと時計はもう十一時半を回っている。途中で宿に確認すると必ず十二時までにチェックインしてくれといわれていた。あわててキャブに飛び乗る。まるでシンデレラの世界だ。さてそれからの出来事は、旅の話ねたにしてはできすぎた展開となった。まず、着いたのが二分過ぎていた。受付のお兄さんはチェックインの最終時刻を過ぎたので受付は終わった。今からだと系列のホテルに言ってくれ。どうしてもここがいいのなら、四人部屋のドミトリーなら泊めてやる、という。いくら何でもこの荷物でドミトリーはないだろうとしょうことなく歩いて五分という言葉を信じて歩き出すが、スーツケースを引くごろごろという音が深夜の街にこだまする。やはりキャブを拾ったほうが得策と方針を変えて乗り込むと、五分とはとてもいけそうなはずがないかなりの距離であった。受付に着くと、今度はワンブロック向こうの建物になるという。はいはい、なんでも言われるままにいたします、と案内人のおじさんに導かれてまた歩く。さすがに旅の達人の田中さんは余裕だ。「何とかなりますわな、、」と意に介さず歩くうちに、ようやくたどり着いた。待つこと数分、隣り合わせの番号の二つの鍵を渡されてエレベーターに乗り込む。鍵の番号を確認しながら、部屋の扉のその番号を探す。無い、、、。何度確認してもその番号だけが二つ抜け落ちている。間に、扉の開いたトイレやシャワー、バスがある。何とか使えそうだと確認したが、部屋が無い。そんなばかな、と狐につままれたように田中さんに待っていてもらい下に降りて受付の兄ちゃんに文句を言うと、ちゃんと見たのか、という。自分で見てみろと促すと、快く上に上がってくれた。ここじゃないか、と彼が指差そうとするが、やはり無いのだ、、、。誤ってくれた彼は違う番号の部屋を用意するといって降りていった。ようやく違う階の部屋の鍵を二つ持ってきた彼が開けると、何とそこには別の客の荷物が置いてある。あわててまた持ってきた鍵で開けると、そこには人が居た。慌てまくった兄ちゃんは恐縮しながらまた持ってきた鍵でようやく私の部屋は確保できたが、田中さんの部屋を確認してからと一緒に伝行くが、今度は鍵が合わない。ようやく落ち着くまでに半時間近く懸かっただろうか。

あとでこの話をすると、That`s a typical New York Scene!といわれたまるでカフカの世界のような体験もこの街を象徴する出来事ではある。脱衣スペースを含めて一メートル四方のシャワー室で、身をよじるようにしてようやくリフレッシュしてベッドに入る。トランプタワーやプラザホテルに泊まられるれっきとした蔵元も居られれば、こんな地を這うようなところで走り回っている蔵元も居るのだ。こうして、刺激に満ち溢れた旅の二日目も、ようやく眠りのときを迎えたのであった。








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May 13, 2005

アメリカ酒販売紀行 いざ出発

JFKからの電車から米国への酒の輸出が順調だ。従来からの輸出銘柄である、「MUKUNE」に加えて、今年市場に投入した新商品「TOZAI」は、一月と三月のコンテナー出荷に続いて三本目のコンテナーのオーダーが総代理店のVineconnnections社から入った。720隻啜佑瓩亡校擦靴謄灰鵐謄福爾琉賈椶△燭6,600本。六月はじめの出荷に向けて蔵は瓶詰めや仕上げの作業におおわらわだ。何とありがたいことだろうか。

SEA、日本酒輸出協会の発足に参加したのが97年。そして、99年のeSake.comの設立、2001年からの実質的な輸出開始と、酒の米国輸出事業は驚くほど見事な展開を見せてきた。その間の酒に対する認識の飛躍的な向上や日本食の一層の世界規模での普及など、追い風は日増しに強くなっている。過日のNHKのドキュメンタリーで見た世界が認めた日本食のすばらしさは、これからの更なる可能性を示唆している。いまが攻め時だ。

NYC 街角輸出の仕掛けと米国内流通チャネルの構築が軌道に乗ったのが2002年。それからいままで、アメリカへの出張は控えてきた。というよりも、出かけなくてもすばらしいパートナーであるVC社が全米47州への流通網を完成させてくれ、その傘下に50近くの地域代理店、それに連なる問屋さんや小売店、レストランなど500人近くの人々が日々われわれの酒を販売していただいている。輸出事業立ち上げの頃に思い描いた流通の形が整いつつあるのはまるで夢のようだ。そしてここに来て、次のステップのために市場とのより密接な関係を築くため、各地でのセールスプロモ−ションへの強い要請を受けるようになった。VC社のエドとニックは、「酒を造る蔵元が舞台で脚光を浴びる役者で、自分たちはその仕掛け人。ぜひ、スターの顔を市場に見せてやってくれ」という誘いに異論があるはずがない。三年半ぶりの米国酒販売行脚に出かけることにした。

昔は関空からニューヨークまで直行便があったが、今はなく、デトロイトで乗継だ。帰国は23日の予定だから足掛け11日間。零細蔵元がこれだけ蔵を離れるのはなかなかきつい。積みあがった案件を何とかこなしてようやく出発にこぎつけた。今回の目的地はニューヨーク、フロリダ州のオーランド、テキサスのアトランタ、そして、VC本社のあるサンフランシスコだ。現地事情の確認、地区代理店主催のセミナーや利き酒会、得意先への表敬訪問、それにVC本社での実務的な打ち合わせなどが主な目的だ。ノースウエスト70便は予定通り13:05に関空を飛び立った。デトロイトまで約12時間45分のフライトだ。

9.11事件の直後にニューヨークでのイベントに参加したが、今回はその後のテロ対策も確立したようで以前とは米国入管の様子が違う。まず、ひとつのブースに二人で対応している。質問は結構細かく聞いているようだ。その後、電子システムによる指紋の採取、デジタルでの顔写真撮影と延々と続く。当然、列はなかなか進まない。以前の二倍はかかっているようだがもちろん誰も文句は言えない。ひたすら待つこと約45分くらいはかかっただろうか、ようやく順番が回ってきた。酒蔵の蔵元で、すばらしいサケを米国市民の皆さんに買ってもらいに行くのだ、というと話題は隣のスタッフとのサケ談義になってしまった。こんなところでも話題が続くということがいまの米国におけるサケの状況を如実に物語っている。しっかり売ってこいと励まされて放免と成った。

MEGU 店の前その2乗り継いで約一時間二十分。ニューヨークはJFKに到着した。午後三時半。意外と風が冷たい。どうしてマンハッタンに入ろうかと考えながら歩いていると、電車でいけそうだ。いつもはラガーディア空港からが多いので使ったことがなかったが、行ってみよう。空港のトラムで地下鉄のジャマイカ駅まで行き、電車に乗る。思ったより簡単だ。マンハッタンまで7ドル。久しぶりのニューヨークの雑踏に身を置くのも心地よいものだ。この騒音、行きかう声、独特のにおい。足早に通り過ぎる人の中を掻き分けてペンステーション駅から2ブロック歩いて今夜の宿のペンシルバニアホテルまで歩く。空港から小一時間で着けた。

MEGU 氷の仏陀ニューヨークでは、今回は正式の販促イベントは無いが、訪問しなかった間に次々と開店した200席前後を擁するいわゆる「メガレストラン」へのアプローチと、情報収集が大きな目的だ。ご一緒させていただくのは島根は松江の名醸蔵、李白酒造の田中社長。田中さんとはSEA発足当時から輸出事業を一緒に立ち上げるなかでありがたいご交誼を戴き、その上、eSakeグループの蔵元会の会長を務めていただいている。それよりも何よりも、私とは旅好きという点で一致し、エピソードに事欠かないほどのつわものだ。普通の蔵元さんでは考えられない状況を面白がれるのは、まさに旅人の証である。今回も久しぶりのご一緒で、楽しみだ。

7時に待ち合わせして、さっそく今日はMEGUさんで食事とご挨拶だ。三月の酒蔵研修会に参加したニューヨーク地区代理店のロンさんが、「MEGUはMUKUNEがお気に入りだ」と言っていた。その場をぜひ見てみたい。店の前に着くと大きな旗がひらめいている。中に入るとそこは現代の異空間。あらゆるデザインの手法を駆使して作り上げたしつらいは高度に洗練され、新しい日本文化の像を描き出している。過日のNHKテレビの日本食ドキュメンタリーで見た氷の仏陀、その下の池に浮かぶ赤い花びら。美しい。そのまん前の席を私たちに確保していただいたマネージャーのお心遣いがありがたい。

メニュー MEGU酒メニューはすばらしい仕上がりで、味わいの傾向別に分けられ、とてもわかりやすいものだ。MUKUNEはクリーンな酒のカテゴリーに入れていただき、その中でも売れ筋上位に居るという。ありがたい。さっそく李白と一緒に注文する。しっかりと冷えたMUKUNEは程よい熟成の顔を持ち、キレもよく、きれいな味わいだ。はるばる日本から運ばれ、流通の経路をたどりながらこの品質を保持できているのにほっとすると同時に、VC社や流通関係者の丁寧な扱いに感謝したい。食事も次々と旬の味わいが出てくる。ソフトシェルクラブという皮の柔らかい蟹や、京都の豆腐など絶品であった。

仏陀の前での記念撮影味わいの楽しみに花を添えていただいたのは、今日のためにわざわざボストンから駆けつけていただいた渡邊さん。そして、SEAのニューヨークでのコーディネーターを務めていただいている石黒さん。お二人とも自分の力でこの国で生き抜いている才媛だ。話題は自然にいままでの思い出話になった。SEAが酒ミッションの形を模索していた頃、ジャパンソサエティーでのイベントに取り入れていただいたのが渡邊さん。今では発売と同時に売り切れる超人気イベントに成長した。あのきっかけなくしては、その後の展開も違ったことになっていたことであろう。今は、ハーバードのケネディースクールという行政学の最高府で学んでおられる彼女が、これからどんな仕事に就き、その能力をどう花開かせてゆかれるか、期待し、陰ながらエールを送りたい。石黒さんもまた、ジャーナリストとしてのお仕事の傍ら、ご縁を戴いた蔵元がアメリカで酒を販売してゆく際の水先案内人として、さまざまなサポートをしていただいている。いい酒を造るだけでは前に行かない。いろいろな方々のこうしたご支援をいただいてようやくここまで来ることができた。JETRO様、在外公館の皆様、流通の皆様、そのほか、多くのご恩ある皆様に心から感謝申し上げたい。

MEGU 寿司カウンター回りの席があっという間に埋まり、ウエイターが次々と酒を運んでゆく。ほとんど多数を占める現地の市民の方々が、酒を楽しんでおられる。ホールに響き渡るさんざめき。笑顔。みんな幸せそうだ。かつて夢見た光景が眼前に実現している。良くぞここまで来れた。しかし、まだまだ始まったところだ。この波に乗って、行けるところまで行ってみたい、という想いを強くする自分であった。

夢と希望と思い出と。その上、いい酒、いい人、いい場所に恵まれて、「酒に酔い、人に酔い、夢に酔う」ニューヨークが一番美しいといわれる五月の夜は、心地よくゆっくりと更けていった。







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May 08, 2005

川さらえ

白い花蔵元はいろいろな顔を持っている。昨日は兼業農家でもあると申し上げたが、そのためには作物に供給する水が不可欠なのは言うまでもない。昔は水騒動という言葉で言い伝えられるように、農家にとっての水の確保の重要性は今も昔も変ることはない。天候が順調で季節の雨量が安定していていれば、冬の間に村のいくつかの農業用水の溜池に満面の水がたまり、夏の水田で作付けが始まるとそれを順次放流して田んぼに供給してゆく。それらの水管理のすべての調整をするのが水利組合で私はその組合員なのだ。米つくりの季節の開始とともに、今日は水利組合の春の重要な作業である「川さらえ」の日だ。

川さらえ風景いつものように四つの組に分かれた組合員が朝8時に集合して、順次水路の周りの草刈と堆積物の取り除きの作業をしてゆく。実際には隣接した田んぼの所有者がすでに日常の手入れの中で済ましていただいているところが多い。作業と並んで重要なのは実は現状の確認なのだ。みんなで一緒に見回るうちにいろいろな意見が出て、それに対する対策が話し合われる。村の共同体を円滑に運営して、お互いが気持ちよく長年にわたり住み続けるためにはこういうことの積み重ねがとても重要なのだ。ここでは長幼の序が何よりも大切だ。若い者は先輩や長老方のいろいろな話を聞くことによって、村の仕組みや歴史を理解してゆく。こうして、村の営みが代々受け継がれてゆく。

川さらえ 山の川筋下手の田んぼが終わったら、今度は須弥寺の脇から堂の池を通り、水源にさかのぼって山に入ってゆく。てっせんが鮮やかな花を付けている。さわやかな空気、輝く緑、森林浴の恩恵を浴びながら水路を辿ってゆく。お互いの持ち山を提供しあってはるか昔に作られた水路は、数キロに渡って山を横切り、滝となり、絶妙の傾斜で水田まで伸びている。測量の道具や土木機械がない時代によくぞ村人の力で築き上げたものだといつも感心する。酒半が命の水とする仕込み水も、実はこの水路の脇をお借りしてパイプを埋め込ませていただき、清水が谷から引き込んでいる。家業を続けるためにここでも村の皆さんのご支援とご協力をいただいているのだ。

堂の池里山と呼ばれるように、一昔前までは日々の暮らしの中で常に山に入り、その豊かな実りをいただいてきた。竹はいろいろ加工して道具にし、間引きした木は薪となり、植えた松で家屋を立て、旬の山菜が食卓を飾った。残念ながら、そのように恵みを恵みとしていただくことがなくなった生活様式になってからは村の人々も裏山に入ることがめっきり少なくなった。その結果、間引かれない木々や竹が繁殖し、水路は変り、山は荒れてしまう。このように人間と自然の共生のバランスが崩れると、再び整った里山に戻すことはもはや不可能で、人間の力では手に負えず、どうしようもないのだ。

てっせんの花筍ももう背丈より高くなったものがあっちこっちに育っている。お水路にたまった落ち葉も周囲に取り除かれ、すっかりときれいになった。この水路を水が流れて行くのももうすぐ。季節は確実に成長の時を迎え、森も少しずつ姿を変えてゆくのだ。





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May 07, 2005

酒米作り2005、始動

酒蔵の側面 新緑酒造りがようやく終了したと思ったら、もう米作りの季節が巡ってきた。本当に早いものだ。二年の休養を経て再開した昨年の酒米作りは9軒の篤農家のご協力を得、また、酒半社田は手伝い隊有志のお力添えで「むくね米・雄町」が豊かに実った。その米で醸した酒も「むくね残月・雄町」としてすでに販売を開始し、ご好評をいただいている。ありがたいことだ。




雄町 播種 二年目そして今年は「雄町」栽培の二年目、いよいよ今日が着手だ。今年の作付けは今までの手植え、手刈りから機械植えで試みてみることにした。すると、籾まきから作業の段取りが変ってくる。いままで苗代に直接撒いていた種籾を機械用のトレーに撒き、それを苗代に並べてゆく。米作り担当の大門実さん、一ヶ月続いた無垢根亭の筍、朝掘りの作業が終わったと思ったら今度は米作りだ。いそがしい。朝から、すでに籾を撒いたトレーを下の田んぼに用意した苗代に運びこんだ。そして次々と並べてゆく。温度調整と鳥が籾を狙ってほじくるのを防ぐため遮光シートをかぶせて完了だ。

雄町 トレーを苗代へ私は地酒蔵の蔵元であると同時に、正式に登録された農業人、いわゆる兼業農家である。地方の大規模栽培をする専業農家は実は全体のごく一部で、酒米の産地でさえ日曜農家が増えてきているらしい。専業で生計を立てるには数町歩の作付けが必要で、それを実現するにはまた、相当規模の機械などの設備投資やマンパワーが必要になってくる。昨今の食生活の変化で食用米の消費は減少し、酒米栽培においても日本酒の総仕込数量が減ると共に、山田錦に代表される好適米も需要を減らしている。そんな逆境のなかで、専業農家は奮闘しているのだ。

苗代 シート掛けいつも、冬の酒蔵見学会の折にお話しする話題のひとつに、「一反歩のたんぼから収穫できる米の農家の出荷価格は、いくらになるでしょうか?」という質問がある。さて、いくらぐらいになると皆さんはお考えだろうか。私の名前で登録された田んぼは約一反歩。300坪だ。地方の農家からするとままごとのような米つくりだが、そこでの米作りから、日本の農業がおかれている現状の縮図が見えてくる。さて、これから秋の収穫まで、雄町の米つくりの様子をご報告しながら、この一反の田んぼで行う米つくりの経済的側面とそれに関連する農業人の米作り事情も折々にお伝えしてゆこうと思う。

さて、今年の田植えの予定は6月5日(日曜日)。それまで、種籾から順調に早苗として育ってくれますように。


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