May 08, 2005

川さらえ

白い花蔵元はいろいろな顔を持っている。昨日は兼業農家でもあると申し上げたが、そのためには作物に供給する水が不可欠なのは言うまでもない。昔は水騒動という言葉で言い伝えられるように、農家にとっての水の確保の重要性は今も昔も変ることはない。天候が順調で季節の雨量が安定していていれば、冬の間に村のいくつかの農業用水の溜池に満面の水がたまり、夏の水田で作付けが始まるとそれを順次放流して田んぼに供給してゆく。それらの水管理のすべての調整をするのが水利組合で私はその組合員なのだ。米つくりの季節の開始とともに、今日は水利組合の春の重要な作業である「川さらえ」の日だ。

川さらえ風景いつものように四つの組に分かれた組合員が朝8時に集合して、順次水路の周りの草刈と堆積物の取り除きの作業をしてゆく。実際には隣接した田んぼの所有者がすでに日常の手入れの中で済ましていただいているところが多い。作業と並んで重要なのは実は現状の確認なのだ。みんなで一緒に見回るうちにいろいろな意見が出て、それに対する対策が話し合われる。村の共同体を円滑に運営して、お互いが気持ちよく長年にわたり住み続けるためにはこういうことの積み重ねがとても重要なのだ。ここでは長幼の序が何よりも大切だ。若い者は先輩や長老方のいろいろな話を聞くことによって、村の仕組みや歴史を理解してゆく。こうして、村の営みが代々受け継がれてゆく。

川さらえ 山の川筋下手の田んぼが終わったら、今度は須弥寺の脇から堂の池を通り、水源にさかのぼって山に入ってゆく。てっせんが鮮やかな花を付けている。さわやかな空気、輝く緑、森林浴の恩恵を浴びながら水路を辿ってゆく。お互いの持ち山を提供しあってはるか昔に作られた水路は、数キロに渡って山を横切り、滝となり、絶妙の傾斜で水田まで伸びている。測量の道具や土木機械がない時代によくぞ村人の力で築き上げたものだといつも感心する。酒半が命の水とする仕込み水も、実はこの水路の脇をお借りしてパイプを埋め込ませていただき、清水が谷から引き込んでいる。家業を続けるためにここでも村の皆さんのご支援とご協力をいただいているのだ。

堂の池里山と呼ばれるように、一昔前までは日々の暮らしの中で常に山に入り、その豊かな実りをいただいてきた。竹はいろいろ加工して道具にし、間引きした木は薪となり、植えた松で家屋を立て、旬の山菜が食卓を飾った。残念ながら、そのように恵みを恵みとしていただくことがなくなった生活様式になってからは村の人々も裏山に入ることがめっきり少なくなった。その結果、間引かれない木々や竹が繁殖し、水路は変り、山は荒れてしまう。このように人間と自然の共生のバランスが崩れると、再び整った里山に戻すことはもはや不可能で、人間の力では手に負えず、どうしようもないのだ。

てっせんの花筍ももう背丈より高くなったものがあっちこっちに育っている。お水路にたまった落ち葉も周囲に取り除かれ、すっかりときれいになった。この水路を水が流れて行くのももうすぐ。季節は確実に成長の時を迎え、森も少しずつ姿を変えてゆくのだ。





muku26ne at 15:37│Comments(0)TrackBack(0)clip!

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