明治大学体育会自動車部 活動日誌

明治大学体育会自動車部のブログへようこそ!ここでは普段の活動日誌を公開しています。

2005年08月

バイトも3日目になり、テンションも最高潮に達しております…。プール担当の社員の方から「明治はみんないい子だね」と、仕事内容もまずまずの評価を得ているようで一安心です。真っ赤な日焼けと、涙が出そうになるくらい親切な現場の方々がみんなシフトの都合で2、3日でお別れな事をのぞいては、つらいこともそんなに多くはありません。来て良かったと思っています。でも、時々東京の空が懐かしいです。

お盆ということでかなり忙しい一日でした。お客お客でいっぱいでした。終わり

バイト初日、朝8時に出勤して各々の配置につきました。私は山口とファーストフード店兼露店をやりました。仕事は覚えやすく、今ならすぐにでもマックで働けると思います。露店から真幸と真理子の働く姿がよく見えたので氷を投げつけてみました。真幸からは母性本能が湧き出ていました。真理子は子供が苦手らしいです。いいママになれるか心配でたまりません。なんとか仕事は終わり、風呂に行ってみるとプール係は激しく日焼けしていました。進藤は赤いズボン状態でそれはもう…その後皆でジャスコに行きましたが、結局はコンビニ飯を寮で食べて寝ました。

08734f35.jpg>「怖くなったからアクセルを踏みました。」etc...
は語弊があると思われるので訂正がてら報告します。

午前の走行開始からわずか3本目でした。
最終コーナーのS字でゴールのパイロンが見えたので3速にいれようとアクセルを開けたところ、後輪が滑って制御不能となり、次の瞬間目の前の土手に乗り上げ、反対側に飛び越えて横転するところでした。とりあえず
車がずり落ちかけていたので、エンジンを切ってサイドブレーキを強く引いて、車から降りました。先輩方に手伝っていただいて車を平地まで移動させて見てみると、タイロッドがぽっきりいってしまいおまけに車高調も曲がっていて自走不可でした。一時はローダーを借りて帰るしか方法がないように思われましたが、事務所で問い合わせてみるとエビスの廃車から部品を売ってもらえるとのことでした。そこで無残な姿になっている廃車S13からタイロッドをはずそうとしたのですが取れない…。自分の車のタイロッドをはずすのに約1時間、廃車のタイロッドをはずすのに約2時間雨の中で一人で奮闘していました。予備の足(ショックが抜けてて使い物にならない)を持ってきていたので付け替えるのに苦労しましたが、そこは先輩方の知恵で切り抜けてなんとか自走できるようになりました。アライメントはめちゃめちゃで左へ自然と切れていってしまい、その上ショックのアッパーをしっかり締められていなかったためがたがたきていました。ハブボルトも損傷していたためホイールナットが2箇所しっかりしまらないという状態でした。

しかし、磯崎先輩の「壊しても大して痛くない車なんだろ?」という言葉に触発され2日目はブレーキを意識した練習に徹しましたが、満足できるものではありませんでした。

今回は後輪が滑り出したときにすぐにフルブレーキすればまにあっていたかもしれなかったのですが車の挙動が良くわかっていなかったために間に合いませんでした。今後の課題としたいと思っています。

帰りは高速でタイヤが吹っ飛んでしまうと大変なので、何回か足回りのまし締めをしながら下道で帰りました。

初めて個人車でサーキットへ行ったということもあり、工具や予備の部品の準備の悪さやが露呈したので、次の機会には用意周到の状態で走行会に臨みたいと思っています。
最後に手伝ってくださった先輩方、工具を貸してくださった先輩方本当にありがとうございました。

3f1de913.jpg鈴鹿組とエビス組に別れて合宿が始まりました。
エビス組は私、天野、細谷、尾高先輩、松本先輩、OBの磯崎先輩、おまけの福島でした。
9日夜。福島県二本松市への運行。途中で豪雨に降られ、「走行中止」の4文字が頭にちらつかせられながらめげずに運転。私と松本先輩は茨城経由のため、11時間ほぼ運転し続けました。目の前で妖精が楽しそうに飛び回ってました。ぐるぐる。
10日朝6時。着いたはいいものの、仮眠を取る暇もなくゲートオープン。へろへろになりながら南コースのパドックで積荷を降ろす。
雨は結局降り止まず、私にとって初めてのウェット路面でのスポーツ走行となりました。グリップの限界を探り探り、ビビりながら運転してました。
ビビっていたことが幸いしたのか、結局ぶつけることも無く(1回どアンダーで死にそうになりましたが)午前の走行を終了しました。
午後に入って、とうとう明治から事故車が現れました。
天野のS13は低い速度域だったにも関わらず、何故かエビスの土手とお友達になっていました。原因を聞くと「怖くなったからアクセルを踏みました。」ってオイ、ブレーキ踏め、ブレーキを。
さらに細谷のS15も最後のホームストレート付近でバンパーを落としたようです。インタークーラーが丸見えでセクシーになっていました。
夜、日大様の石川からの酒のお誘いを断り、天野の13の修理に没頭しました。タイロッドがお亡くなりになったようだったので交換。タイヤも使い物にならないので交換。さらにサスも換えました。なんとか自走可に持ち込みました。
11日。昨日、修理に没頭していた分を取り戻そうと午前・午後とひたすら走り回りました。最終コーナーで何回かアンダーを出して危うく土手とお友達か壁走りかの二択を迫られましたがなんとか回避し、特にぶつけることもなく終了しました。ただ、ステアを右ロックした際に異音がするようになりました。原因はわかりませんが、ドラシャでしょうか。ブーツが派手に破けてました。
そして、帰りの運行へ移りました。
私、尾高先輩、松本先輩は白川から宇都宮まで高速に乗ったのですが、天野は「高速だと車が心配なので・・・」との理由で下道を選びました。
じゃあその車でサーキット走るなよとちょっと説教したくなりましたが、こらえました。
その後、松本先輩のお宅にタイヤを返しに行くため茨城→立教様にお借りしたヘルメットを返しに埼玉へ→環八経由で246で小田原まで帰りました。やたら時間がかかりました。死ぬかと思いました。
私自身、生まれて初めてのサーキット走行だったので、まだまだ煮詰めなければいけない部分が山積みですが、とても楽しく、身のある合宿だったと思います。

写真は全く関係ないですが、私のレビンのトランクに入りたいと言って侵入してきた日大の徳丸です。閉じ込めて遊べました。
全く関係ないネタでもう1つ。日大の市川が私のレビンのサスの具合を確かめるべく、トランクに手をついて車体を揺らしたら、
レビンが、宙に、浮いた。
日大の関口先輩が大爆笑していました。酷いです。残酷です。もうお婿に行けません。

603fd80d.jpgEFのミッションを載せ、細かい作業をしてるうちに深夜。人数がすくなかったためへビーでした。短文が物語っております。

2005全日学生ダートラ後日掲載

2005全日学生ダートラ練習選手三人は大会前日はぐっすり寝るため+オフィシャルの進藤石渡山口を送るために今日丸和に出発。オフィシャルの一年が頑張っている中、予備車のないうちは大会に参加できず、昼間は寝てました。練習会終了後カントリークラブホテルにとまりました。

島村、藤村と鈴鹿で車を下ろして松原家によって元愛車カリーナを回収しつつ部室に帰った。もちろん下道。途中すごい雨だった。眠かった。疲れた。部室についてからすぐに丸和へ出発。とにかくハードだった。

ミラージュの仕上げを終え、EFのミッションを載せようとしたがバルクヘッド側マウントのエンジン取り付け部をはずししていたため、マウントが傾いて失敗。その夜鈴鹿に黒EFを運ぶため出発。

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