小川薫が語る「親分衆交友録」「日本作家クラブ」へのお誘い

2006年12月25日

小川薫が語る「親分衆交友録」

小川薫が語る「俺と親分衆の交友録」
        
フリーライター伊藤博一

< 博打好きは父親ゆずり

 で、俺には年子で腹違いの兄貴がいたんだが、二代目会長の松尾さんには随分、迷惑をかけたみたいです、おそらく、博打に負けても払わなかったんだと思う。それでも、怒ったりしない親分で、俺たちに話す時もいつもニコニコして、敬語を使うんだ。確かに、体中に刺青はあるけど指もちゃんとある。俺に松尾さんを紹介したのは稲川会幹部の横山基弘さんだったが、例の「山道抗争」(1986年7月〜1987年2月、四代目山口組伊豆組、同稲葉一家との間での抗争)は凄まじかったね。あの時は当時の古賀会長が服役中だったから、あの抗争を仕切ったのは松尾

さんなんだよ。確か、指名手配中の7年間、彼は横浜に逃げていた。わずか半年あまりで77件の抗争事件があって、使者9人、負傷者も16人が出るという過激なものだったよ。手打ちが行われたのは87年2月に、古賀会長が懲役2年の刑期を終えて出所した翌月のことだったはずだ。

 松尾さんという親分は、相手が山口組だろうと一歩も引かないタイプで、もう喧嘩をしないから引退(2006年5月)したんじゃないのかな。彼の引退発表後、組織は後継会長の人事をめぐって分裂抗争に発展しているが、松尾さんの全盛期は資金源も豊富だったし、道仁会をバックに悪徳金融で大儲けした連中もいる。在京の組織に金を貸して、その取り立てに本部事務所に行ったり、無茶もしよった。組のビジネスとしてはゴルフ場の地上げなんかにも乗り出していたが、松尾さん自身は静かにしていたし、性格上、あまり金に執着することもなかったね。

 俺と会う度に「博打はやめなさい」とよく注意されたよ。金切れもいいし、有力なスポンサーもいっぱいおったからね。俺は先代から知っているから、松尾さんも俺を大事にしてくれたんだと思う。>(この項、終わり。続きは『実話特報』次号へ)

 

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mumeikai at 16:04│Comments(0)TrackBack(0)

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