無門日記

ことばで/一羽の鴎を/撃ち落すことができるか    寺山修司

金曜日 快晴

昨日、版元コールサック社から出来立てホヤホヤの『証言・昭和の俳句 増補新装版』が送られてきた。

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(増補新装版)

この本は、平成14年に角川書店から『証言・昭和の俳句』(上下巻2冊)で刊行されたもの。

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(平成14年角川版)


当時、現役だった大物俳人たちに黒田杏子が1対1で取材し、聞き取りにもとづき編集した。

大物俳人とは
桂信子
鈴木六林男
草間時彦
金子兜太
成田千空
古館曹人
津田清子
古沢太穂
沢木欣一
佐藤鬼房
中村苑子
深見けん二
三橋敏雄

13名だった。

黒田杏子はあくまで聞き手の役割に徹し俳人の発言を引き出し、それを自然なひとり語りのように編集している。
そして自選50句。さらに年譜も付いている。(今回、その年譜は前回刊行時のものがさらに補記されていた。)
それぞれの俳人は自分の生い立ちから俳句との出会い、昭和当時のさまざまなエピソードを自由に語っている。その中で、もちろん自分のことだけではなく、俳人生活の中で出会った多くの作家たちのことも語られており、この一冊を読めば戦前戦中戦後の激動の俳句史が手に取るようにわかるという実に得難い内容。
しかし平成14年の角川の版は古書市場でしか探せなくなり入手も簡単ではなくなっていた。

それが今年、当初上下巻の2冊組だったものを全1冊として復活したのは意義ある出版と思う。
この時代の資料が実はとても少ない。
つまり、戦前の新興俳句から戦時中の弾圧、戦後の解放と前衛俳句の勃興から、一転して保守化に向かった昭和の俳句史のことである。

この時代があって、そのあとの「平成無風」と呼ばれる30年の停滞期があり、また最近の若手を中心とした変革の時代を迎えつつあることを思えば、絶妙なタイミングの再販だろう。

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(金子兜太のページから)


さらに今回は、増補ということで、あらたに20名の執筆者がこの本についての論稿を寄せており、それが第2部として収載されている。

実はぼくもその中の一人として書かせてもらった。
この本のもうひとりの登場人物が西東三鬼であると書き内心ヒヤヒヤしていたけれど、関悦史さんもそのことを書いていて少しホッとしている。

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(20名の執筆者)

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(ぼくの稿のページから)

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(関悦史さんのページから)

最初の出版時に税抜きで1冊1700円で2冊だったことを思えば、今回の3300円(税込)というのは高くない。
昭和俳句史の資料として常備しておきたい1冊だ。

アマゾンのページ。

木曜日 曇り

今日、久しぶりに曇りがちの一日で、ときどきミストのような雨が降った。
まだまだ暑いが、これも8月になると一転して秋風が吹き始めるのが北海道。
夏は短い。
ぼくは暑い夏が好きなので、今年はいい夏だと思っている。

今日、「藍生」8月号が届く。

「小熊座」の武良竜彦さんの「句集『木の椅子』増補新装版〜巡礼・魂の道行きへのオリジンの輝き」が掲載されていた。
30頁に及ぶ力作。
ぼくのことや、ぼくが前に「藍生」に書いた黒田杏子論「灰燼に帰したる安堵」に言及してくれていて、恥ずかしいがうれしかった。



    「藍生」2021年8月号 主宰詠より
 ある年の母庭中に罌粟咲かせ     黒田杏子
 ほほづきの初花樺美智子さん
 昇る日に大山蓮華雲厳寺

    「藍生」2021年8月号「藍生集」拙句より
 灯を消して蝶の気配の仏生会     秀彦
 送る日のおぼろの鍵を受け取りぬ
 荷風忌のキネマに急ぐ帽子かな
 約束は桜の下の車椅子


誌上で、『証言・昭和の俳句 増補新装版』(コールサック社)が8月15日刊行されること。そしてその広告が掲載された。
これは平成14年に角川出版から上下巻で発売されていたものを、今回一冊にまとめ更に20人の俳人のこの書に関する論稿を増補したもの。
出版当時まだ存命だった13人の俳人たちに黒田杏子先生が聞き取り、それをあたかもひとり語りのように編集したもので、まるで目の前で語っているかのような臨場感がある。
13人の俳人というのは、桂信子、鈴木六林男、草間時彦、金子兜太、成田千空、古館曹人、津田清子、古沢太穂、沢木欣一、佐藤鬼房、中村苑子、深見けん二、三橋敏雄。
語りのほかに、それぞれ自選50句と略年譜がついているのも資料的に大変貴重だ。
最初の出版時に比べて今これが出ることの意義はさらに重い。
この13人が経験した激動の戦後俳句の熱気が、平成30年の長い眠りにあった俳句界を目覚めさせることにもなるだろう。
 
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ところで、最近「札幌演劇シーズン2021・夏」の劇評に参加することになった。
このイベントは2012年から始まった取り組みで、一年に夏と冬の2回、複数の劇団の演目を集中的に上演するという内容。
今回の「夏」では、7月17日から8月21日までシアターZOOやコンカリーニョ、Block、かでる27を会場として開催されている。
劇評は公式ホームページ「ゲキカン!」で読むことができるので、ぜひ読んで興味があれば劇場に足を運んでください!



日曜日 曇り、ときどき雨 寒い

コロナ禍とやらで不自由な日々が一年以上続き、そしてまだ出口が見えていない。
大人数のイベントが実にやりにくく、俳句集団【itak】にとっては大いに打撃となっているが、それでも工夫を重ねてなんとか忘れられない程度には継続している。
ただ北海道も再び感染者が急増していることもあって5月のイベントは中止することにした。
みんなが楽しみにしていた橋本喜夫さんの「ブソニスト」の講演は7月に延期。

もし7月にitakが開催できないようなことになっていれば、オリンピックも中止にしてほしいものだ。


「藍生」と「雪華」の5月号が届いている。
句会などが思うにまかせない状況のなかでは、こうして定期的に刊行される結社誌が俳人活動の基盤として重要になっているようだ。

「藍生」5月号、なんだかいつもより厚い。
井口時男『金子兜太 俳句を生きた表現者』の特集号になっている。
主宰の黒田杏子先生がなにか思い付くと、原稿がいっぱい集まるところに藍生らしさがある。

     「藍生」5月号 主宰詠より
 余花一片あかときの天蒼ければ   黒田杏子
 遠くに行きたい永さんと余花の佐渡

     「藍生」5月号「藍生集」掲載拙句より
 雪の上に一歩カンタービレで二歩    五十嵐秀彦
 持て余す言葉の嵩や六つの花
 雪後の天永き書翰の終るとき
 丈高き白樺となる雪野かな

「雪華」5月号の現代俳句時評連載では「私と書けば書くほど非私となる」というタイトルで鴇田智哉さんの句集『エレメンツ』(素粒社)を取り上げさせてもらった。

     「雪華」5月号 主宰詠より
 斑雪山仮葬のごとく聳えたり    橋本喜夫
 空へ空へ無数の階段へ雲雀

     「雪華」5月号「雪月花」掲載拙句より
 叫(おら)びては此の世出てゆく雪朧   五十嵐秀彦
 端座して冬の鴎が弁明す
 厨房のをんなに告げる春一番
 鼓草人をあやめし夢ののち
 かりたてることばの春や職を辞す

      同誌「雪華集」掲載拙句より
 水温むイエスの髭を誰(た)が剃りし   五十嵐秀彦
 楡立てり述語のごとき春の雪
 前世紀今世紀すみれ踏みゆく
 鳥曇鳩尾深きぬかるみへ
 人麻呂忌左耳から始まる夜
 倦みて帰る雪解朧の夜になりけり

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土曜日 快晴

すこし肌寒いが、春の青空がきれいな一日だった。


前にも古い「ユリイカ」のことを書いたけれど、ぼくは60年代70年代の「ユリイカ」や「現代詩手帖」が好きで、若い頃に買ったものを後生大事に持っているだけでは飽きたらず、古本で買い集めたりもしている。
俳句総合誌よりこの2誌の方が多いぐらいかもしれない。

今日は1997年の「現代詩手帖」4月号をペラペラと拾い読んだ。
これは当時、つまり41歳のぼくが買った一冊。
おぼえのある記述が何カ所かある。
「現代詩の新視点」という特集で、インタビュー記事が中村真一郎「定型詩と自由詩の将来」と辻征夫「詩とは何処にあるか」の2本。鼎談が宗左近、粟津則雄、三浦雅士の「ことばと身体」。

ぼくはと言えば、この年に「雪華」に入り、前年には「藍生」に入会していた。
過去に夢中になっていた現代詩に見切りをつけて(自分の現代詩の才能に見切りをつけて)俳句に移ったばかりの時期で、この特集を当時むさぼるように読んだものだった。

俳句に移った理由は、この時期の現代詩が決定的に低調だったことがあった。
それはぼくだけの印象ではなく、現代詩全体を覆っていた時代の空気だったと思う。
「もう現代詩はダメだ」そう思っていた人も多かったのではないか。

その時期の「現代詩手帖」の、この特集だったわけだ。
特に宗、粟津、三浦の鼎談を読むと当時の詩人の焦燥感がはっきりと見えて来る。
ところどころを抜粋してみよう。

宗:新体詩というのは模倣であって、現代詩だって全部模倣ですね、洋画と同じ。絵画も音楽も、ほとんど日本の現実とか歴史をかえりみない、かえりみなくて通用するという錯覚を持っているんじゃないかと思う

宗:現代詩より、最近僕は現代俳句のほうが面白いんです。たとえば、金子兜太の「冬眠のマムシのほかは寝息なし」、始原を歌っているのかあるいは人類滅亡の戦争が終わったあとのことを歌っているのかどっちかわかりませんが、大変大きな、静かな世界があるのではないでしょうか

粟津:いわゆる形がなくなった。形がなくなったってことは外部の思想に関して抵抗力がなくなったわけですよ。その点俳句はいまも非定型の俳句はあるけれど、とにかく形があり、それからその形とピッタリ寄り添った、いろんな対象との関わりが強くある。(略)だからせっかちな人は定型、定型って言い出す。いまさら、定型定型って言ったって、駄目なんだ

宗:現代詩の現状のことです。自分をナマコのようにして、世界を受け取るというところに、唯一の活路を見つけ出しているのではないかと思う

三浦:ナマコみたいになっちゃったていうのは確かだと思うんです。粟津さんがずいぶん昔、二十年くらい前に、現代詩のことばに浮力がついてきちゃって、ふわふわして捕らえどころがない、つまり定点っていうものがなくなったと言った。それとすごく対応している。けれど、それでもなお現代詩の可能性に賭けたい

三浦:現代詩はなぜ滅んだか。

三浦:つまり現代詩が課題としてきたもの、その課題に答えようとする情熱っていうか、そういう枠組み全体がその根拠を失ったということだと思います

三浦:現代詩から俳句に行くっていうのは逃げに見える

粟津:傑作を取り上げれば、非常に極限された、ある意味では不自由な形式のなかで、非常に個的なものと宇宙的なものが合体するという奇蹟がおきます。宗さんの挙げたいくつかの俳句は、聞いてていいなと思うからね。でもそれだからと言って現代の詩というものが、単なるナマコであるというんじゃ、現代の詩は少々可哀相じゃないかと思う


以上、俳句と関係のありそうな部分のみ一部抜粋した。
もちろんこの鼎談を全文読まねば三氏の言わんとするところは理解できないのだが、この抜粋を見ただけでも示唆するものの多さに驚かされないだろうか。

そしてこの特集の中でキーマンとして登場するのが、1996年に『俳諧辻詩集』を出版し萩原朔太郎賞を受賞した辻征夫である。
そのインタビュー記事の中で辻はこんなことを言っている。

辻:毎月発表される詩がたくさんあるでしょう? そういう詩にぼくは、みんな退屈しちゃうんですよ。読み始めるけれど、おしまいまで読める詩ってほとんどなくなっちゃった。そうすると、こんな面白くないものを、なぜやってるんだろうって気持ちもあるし、ぼくたちみんなが、たとえば少年時代に夢想していた詩のことを考えると、もっと生き生きした、生きている詩を考えていたんじゃないか。それがこんなにつまらなくなっちゃってる。もうなりふりかまっちゃいられない、何でもやっちゃうよぼくはって気持ちなんです。俳句は現代詩が、出発点のところで置いてきちゃったジャンルだけど、もうそんなことを言っている時代でもないし、場合でもないだろうということなんです

こんな発言を読み直していると、『俳諧辻詩集』のあとがきの一文がとても重要な「宣言」として浮かび上がってくる。

「ある年齢のとき、詩もまた万葉以来の詩歌の流れの中に立っていることを感じた。それはよろこびであり安らぎだったが、ほっとひと息ついたとき、こんな声が、がらんどうの私の内部できこえたのである。《ほんとうかい? 歌人や俳人は、短歌という詩型、俳句という詩型をそれぞれ持って立っているのだが、きみは何を持っているんだい? かたちの制約もなく、長さの制限もなく、内容は勝手放題、それに批評あるいは物語の断片と見分けがたい『散文詩』とやらもあるというのではないか。そんな曖昧な文芸ってあるのかい?》 初めて、何もないと感じたときの驚き、裸一貫の寒さ、そしていまごろこういう地点に立たざるをえない無惨さ、何よりもこの無惨さがいま詩がはじまる場所のように思える」(辻征夫『俳諧辻詩集』思潮社 より)

詩人側からこうした発言が強い問題意識とともに発せられたのが、24年前のこと。

そしてこの時期にぼくは俳句を始めた。この詩人たちの発言を身に迫る思いで読んだし、当時は自由詩より俳句のほうが未来が開けているようにも思ったものだ。

けれど今、再び読み直して疑問を感じている。
俳人たちは詩人たちのこの悩みを共有してきただろうか、と。
辻征夫の「この無惨さがいま詩がはじまる場所」という詩型への対峙を、俳人たちはしてきたか。

現代詩は定型を持たなかったから失速したのだ、俳句や短歌のような定型詩は安泰だ、というような安易な思考停止を続けてきたようにぼくには思える。
詩人たちが定型詩とは何か、という課題に意見をぶつけ合ってきたのに比して、俳人たちはあまりに定型詩を過信してきた。

俳句の世界に詩の根本を問う評論がさっぱり現れないのは、その思考停止によるものだとも思うのだった。

初心に帰る思いがした。変な話だけれど、「がんばろう」、そう思ったのである。



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木曜日 曇り、ときどき雪

妙に温かい日が続いた後に、こんどは寒の戻り。
ときどき小雪が舞う寒い一日となった。

NHK文化センター札幌教室で俳句講座を持っていて、そこでは句会のほかに俳人・名句紹介も毎回続けている。
先日は杉田久女を取り上げた。
毎回思うことだが、どんなに有名な俳人であっても、その生涯と作品について網羅的に知ろうとすると案外資料が少なかったりするものだ。
特に信頼できる年譜というのが無い場合もあり、複数の資料を付け合わせてできるだけ正確な年譜を用意するのに思いのほか苦労させられたりする。

杉田久女については、筑摩書房の古い『日本文学全集69 現代俳句』に、彼女の死後刊行された唯一の句集「杉田久女句集」が幸いまるごと収載されている。かねてよりこれを愛読してきたが、今回久女の人生を俳句で追おうとすると作成年がこの句集からはほとんど分からず、並びも必ずしも作成順になっていないので難儀した。

伊藤敬子の『杉田久女の百句』(ふらんす堂)が、作成年を知るのにありがたい資料となったものの記載の作成年に疑問の箇所もあり、困惑。

古い本だが昭和42年刊行の志摩芳次郎『現代の俳句』(林書店)に久女の人生をまとめた文章があったので、これも参照した。引用誤り、固有名詞誤りなど多かったものの、生き生きとした記述は久女への偏った悪評に異を唱えて説得力があった。

偏った悪評を固定させてしまったのには松本清張の短編小説『菊枕』(角川文庫)がかなり原因となっているので、あらためてそれを読み直した。
いくらこれは小説だといってみても、天下の松本清張である。その記述は生々しく、事実と違うところがあると知りながら読んでいてもつい引き込まれ、「久女」の「狂気」に慄然とさせられてしまう。

久女再評価の作品中の名著である坂本宮尾の『杉田久女』(富士見書房)も読み直したかったが、どこを探しても見つからず、蔵書の整理をしていないとこういうときに困ると痛感…。



代表句に有名な次の三句がある。

  花衣ぬぐやまつはる紐いろいろ   久女
  足袋つぐやノラともならず教師妻
  谺して山ほととぎすほしいまゝ


この他にも、悪妻という評判とは異なり夫杉田宇内への愛情の感じられる句
  栗むくや夜行にて発つ夫淋し

人にすすめられキリスト教の洗礼を受けた年の句
  われにつきゐしサタン離れぬ曼殊沙華

一時は久女の弟子だったがその後仲違いをした橋本多佳子の思い出としての句
  忘れめや実葛の丘の榻(とう)二つ

記録上、最後の句と言われる
  鳥雲にわれは明日たつ筑紫かな

などの句に人間・久女の孤独や迷いがにじみ出るようである。


さて、もう一度書庫にもぐりこんで坂本宮尾の『杉田久女』(富士見書房)を探すとするか。



NHK文化センター札幌教室でのぼくの俳句講座は3つあります。
興味のある方は、都合のよい曜日、時間帯を選んで見学してみてください。

「楽しい俳句 実作指導と秀句鑑賞」
第1、第3火曜日 10:00〜12:00

「ゼロから始める俳句入門」
第1、第3火曜日(夜間) 18:30〜20:30

「俳句入門 現代の俳句の鑑賞と実作」
第3土曜日 13:30〜15:30  (現在満席のためキャンセル待ち)


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水曜日 晴れ

3月もバタバタと終わる。
所属結社の「藍生」と「雪華」の4月号が出揃った。

「藍生」4月号では、いつも20句の主宰詠が40句となっていた。
「花を待つ」20句+「春の闇また花篝」20句。

  夜半に覚め花待つと書きまた睡り    黒田杏子
  滝櫻千年のこの花の闇         杏子


    同号「藍生集」から拙句4句
  湯ざめして人を洗ひし日のごとく    秀彦
  あしたには孤島となりぬ鏡餅      
  年立つやさまざまの靴磨かれて     
  丸椅子のそこだけ雪があたたかい    


「雪華」4月号。
毎月書かせてもらっている現代俳句時評のコーナーは
「ハレとケを彷徨う詩魂〜杉浦圭祐句集『異地』を読む〜」。

    同号「雪月花」から拙句5句
  銀の雪オプタテシケの山頂に      秀彦
  金文字の漁協食堂冬鴎
  春雷を盗みし子らの赤い靴
  唇赫く二月の雪のそこひより
  落下者の無数の眼牡丹雪

    同号「雪華集」から拙句5句
  吹雪夜の楡一木のありにけり      秀彦
  次の間にとほく膨らむ冬の潮
  雪だるま崩れて異(あだ)し時のまま
  多産系銀河に生まれ春の雪
  球体の母行方不明の雛


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月曜日 曇り

先日ネットで見つけて、面白そうだったから注文した「ユリイカ」1972年3月号が今日届いた。
読みたかったのは、金子兜太、馬場あき子、大岡信の「共同討議 詩の成立を考える〜日本語の可能性をめぐって」だった。

この時、金子兜太 53歳、馬場あき子 44歳、大岡信 41歳。
若い! 実に若い。
読むととてもその年齢とは思えない自信に満ちた語り口に驚き、同時に切口の鋭さに若さを感じもする。
70年代の作家たちは違うなぁ。こりゃあ現在の文芸全般が無風だと呼ばれるのも仕方がないかも。

3人とも話し出すとそれぞれの発言が長いので、うまい引用はできないけれど、分かりにくいのを覚悟の上で以下に引用してみよう。


非常に時間的な詩を書く人と空間的な詩を書く人とは違いがありますね(金子)

定型詩との関わりという問題を考えるときに、とりわけある種の絶望感を感じることがありますね。それはやはり、ことばとそれが持つ形式との関係について、のっぴきならない形で、「現代詩のカタチとは何なのだ」という問いがせまって来、ぼくがそれに対して「これだ」という答えをいまだにもちえないでいるからです(大岡)

歴史的かなづかいで書くと、現代かなづかいで書いているときには自分のなかからスラリと出てきた筈のことばが、自分の外側にあって、それそのものが実在してる別のものみたいに見えることがある。物質感みたいなやつがちがう(大岡)

なぜ季語を俳句の中でのように詩のなかで扱えないかというと、季語を重視して扱うと、詩は必ず短くなってしまうからです(大岡)

最初の一行じゃなくて一句は、呪のことばだというような歴史があったじゃないですか(馬場)

季語というのは、それが多分に固定しちゃってパターン化したものかもしれないわね。その呪のことばが(馬場)

談林あたりの句をずうっと読んでいると七五調の恥部を感じるんです。ちょっと読むに耐えない、あのリズムが。これこそまさに恥部だと思う。だから、よくぼくなんかの句のことを談林的だなんていうけども、これはとんでもない話で、ぼくは一番嫌いなんです。なぜ嫌いかってことを考えたんですが、韻がない、七五調の律だけ、音律だけなんですよ(金子)

大岡さんもちょっと書いていらっしゃいますが、日本のことばの習慣のなかでは、いわゆる音の韻だけじゃなくて心の響き合いみたいなものを韻としたでしょ。ほのかな、さっきおっしゃったことばでいえば懐かしい残像みたいな響き合いの韻、そういったようなものを金子さんはいってらっしゃるわけですね(馬場)



まあ、こんな具合につぎつぎと核心に触れる話題を出していく3人には、断固とした自信と若い鋭角の感性がある。
詩誌でも歌誌でも俳誌でも、こんな座談会がいまできるだろうか。
浅薄な「若者」か、ただ馬齢を重ねた「老人」しかいないような気がして、少し絶望…。

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日曜日 曇り

先月末、40年以上勤めた職場を退職しました。
ホッとしている。不思議なほど淋しさなどはない。
この2年ぐらいは、俳句の仕事と両立させるのが限界と思うほどに忙しかったからなぁ。
角川さんの仕事もあったけど、NHK文化センターでの俳句講座を3講座持ったのが両立を難しくしたように思います。
毎日、仕事が多くても少なくても出社しなければならない時間というのがとても重荷に感じていたので、退職はそれを整理するよい機会となりました。
全ての時間が自分のために使えるというのは、まことにありがたいこと。


そんなわけで時間はかなり自由になりましたので、これまで以上に仕事を受けられるようになりました。
仕事(原稿、講演等)の問合せや依頼は、ぼくのアドレス(hide.ig@nifty.com)で受付けておりますので、遠慮なくどうぞ。(誰に言ってるんだ?)




所属結社「雪華」では、毎号「現代俳句時評」を連載してます。
過去半年遡ると、下記のようなバックナンバーとなってます。

2021年
 3月号 「読んで振り向く奴がいる〜國兼よし子句集『枯向日葵』を読む」
 2月号 「俳句という魔法の杖〜森田智子句集『今景』を読む」
 1月号 「永遠のことを話そう〜神野紗希句集『すみれそよぐ』を読む」
2020年
12月号 「琉球弧の詩魂〜豊里友行句集『宇宙の音符』を読む」
11月号 「符であり籙である句群〜橋本直句集『符籙』を読む」
10月号 「不連続の連続性と不自然な自然〜なづはづき句集『ぴったりの箱』を読む」


入手希望の方は「雪華」公式サイト「問合せ」ページからご注文ください。


また、1年以上前の論稿は、「雪華」公式サイト「散文置き場」ページから読めます。

鈴木牛後さんの論稿も同様に読めますので、どうぞアクセスしてください。


近況報告と、プチ宣伝でした。


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土曜日 晴れ

みなさま、いかがお過ごしですか。

なんて書き出しでいいのかな。
前回ブログに書き込みをしたのが昨年の3月。その書き込みも一年ぶりのものだったので、なんだか一年に一回書き込むペース。ほとんど意味がない。

ま、それはしかたがないとして、この一年どうだったかというと、それはもうコロナ騒動のせいでムチャクチャだったのは言うまでもない。

俳句集団【itak】は文字どおり存亡の危機だった。
だってそりゃそうだ。itakは媒体の形での活動ではなく、ライブ感のあるイベントをその存在の根本に置いているので厳しかった。
でも同時に、楽天的というのもitakの本性なので2回ほどイベントを中止したものの、その後は形こそコロナ対応となりながら、なんとか継続している。

3月13日はぼくの講演「2020年・注目の句集縦覧〜北から南から〜」を実施。

50名ほど参加。
ホームである北海道立文学館の地下講堂がコロナ対策で使えなくなり、現在itakイベントは漂流中。それはそれで「漂流句会」というのも悪くないね。ということで札幌市教育文化会館で開催。
以下の10冊の句集について語っているうちに時間オーバーしたが、まあ言いたいことは言えたか。

池田澄子  『此処』 (朔出版)
神野紗希  『すみれそよぐ』 (朔出版)
北大路翼  『見えない傷』 (春陽堂書店)
松本てふこ 『汗の果実』 (邑書林)
なつはずき 『ぴったりの箱』 (朔出版)
橋本直   『符籙』 (左右社)
豊里友行  『宇宙の音符』 (沖縄書房)
橋本喜夫  『濳伏期』 (書肆アルス)
信藤詔子  『如雨露』 (文學の森)
國兼よし子 『枯向日葵』 (短歌研究社)



そんなわけでitakはなんとか生きてます。


でも昨年はそれなりの年だったのかもしれない。
なにより「藍生」11月号に黒田杏子論「灰燼に帰したる安堵」を発表できたこと。それが大きかった。50枚ほどの論稿になったが、とにかく書ききることができた。
30周年の節目に「藍生大賞」をいただけたのも、ちょっと意外ながら大変にうれしい出来事だった。


ではまた明日。(ホントに明日更新できるかどうかわからんが…)

ブログを1年休んでいる間にいろいろなことが起きた。
角川の「令和俳壇」選者もそのひとつ。

昨年の角川「俳句」6月号から、「平成俳壇」が「令和俳壇」に模様替えした際にぼくが新選者として加わった。
どうしてそうなったのか、理由はよくわからない。なにかのはずみのようなものだろう。
選はこれまでもいろいろやっているので、特に抵抗はなかったが、角川についてはその投句量に腰を抜かした。
約2千枚のハガキ。1枚3句なので毎月6000句に目を通すことになってしまった。
これはもう肉体労働。しかし、これほどの数の新作俳句を読むことは実に勉強になる。
やってみてつくづくそう感じている。

俳句はうまいだけでは光らない。
あるいは、個性的表現と作者が思っている措辞がかえって陳腐にもなりがちだったり、俳句文芸の難しさを今さらのように思い知らされている。
「令和俳壇」の選者は10名。ぼくはその中のひとりなので、誰に言われたわけではないが自分の役割というものを自覚してもいる。
巧みで風格のある句は他の選者が見逃さないだろう。そのかわりぼくは、破綻を恐れず挑戦している句、たとえ多少キズがあっても気にせずに積極的に、冒険の句こそ選んでいきたい。それが自分の役割だ。

思えばぼくが俳句を始めるきっかけとなったのが、この「俳句」誌の「平成俳壇」だった。
初めての投句を草間時彦先生が推薦句として取ってくれた。
あれがなければ俳句を続ける気にはならなかった。
そして当時やはり選者だった黒田杏子先生がしばしば取ってくれたのが、先生との出会いとなり、藍生の門をぼくに叩かせたのである。

当時のぼくの句は前衛現代詩の切れ端のようなものばかりだったので、なぜ黒田先生がそんな句を選ぶのかわからなかったが、俳句という詩の懐の深さ、黒田杏子という俳人の大きさを知らされた。それが角川の「俳壇」欄だった。
いま、ぼくが選者の立場になり、この「令和俳壇」で何ができるか。

それは、自分にしか詠めない俳句を追い求める挑戦者に勇気を与えることだろう。
かつてぼくが勇気をもらったように。

今月も角川「俳句」4月号がすでに書店に並んでいる。

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