無門日記

ことばで/一羽の鴎を/撃ち落すことができるか    寺山修司

日曜日 快晴

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ようやく札幌にも春らしい青空が広がった。
夕方、天神山緑地に桜と梅を見に行ってきた。遅咲きの桜がまだかなり楽しめた。



先月の北海道新聞の道内文学時評で、3月に亡くなった木村敏男さんのことを書かせてもらったので、以下に転載しておく。

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「『肉体が選んだことば』紡ぐ〜道内句会の重鎮・木村敏男さん死去〜

3月9日、木村敏男さんが亡くなった。
北海道の俳句界にとって重鎮とも呼ぶべき作家の突然の訃報であった。
結社「にれ」主宰、「にれ」終刊後は「蒼花」名誉主宰、北海道俳句協会会長など俳句団体の要職を歴任、北海道新聞文学賞、鮫島賞などの受賞歴、木村さんの功績を挙げれば切りがない。ここではそうしたことは別として、俳人としての木村敏男その人の作句姿勢について振り返りたい。

氏は「にれ」創刊の際、「風土への挨拶」ということを提唱した。
俳句と風土をつなげて語ることは特に珍しくはない。
しかし木村さんの言う「風土への挨拶」には、より根源的な意味があるように思える。
昭和53年、北海道新聞社から出版された『北海道俳句史』という労作があり、その序文に氏は次のようなことを書いている。
北海道の俳句という文芸は「厳しい風土に晒され、また純化され、更に、新しさを加えつつ織りなされてきた現象でもある」とし、その反面、「素材そのものを風土性と誤って受けとり易いという、素朴な庶民性がもたらす認識のひずみ」について指摘した上で、俳句と風土との関係は「長い時間をかけて、そこに棲む人間のすみずみにまで生きつづける、肉体が選んだことばとしてはじめて現前する」のだと言う。
「風土への挨拶」という言葉の背景にはこうした思索があることを忘れてはならない。
木村敏男俳句には単純な風土賛歌や産土郷愁、表面的な自然詠などを乗り越えた世界がある。
その作品における「風土」はまさに「肉体が選んだことば」そのものなのである。

 転身のわが鯖雲の急ぐなり

昭和42年、44歳のときの句だ。道庁職員であった氏は、この年に帯広から札幌へ異動となり、翌年には北海道新聞文学賞を受賞し文芸活動を大きく飛躍させていくことになるのだが、そんな人生の節目に立つ若々しい気負いと不安がこの句から伝わってくる。

木村さんが作句を始めたのは昭和25年、27歳のときであった。
その後66年という歳月を俳句への熱い姿勢で走り続けた。

私の手もとには最後の句集となった第7句集『今生』がある。

 満天星の炎尽してわかれけり
 生れし日も逝くときもまた雪しんしん
 春はやて生涯の帆は全開で

「遠い遠い彼方へ向かって孕んだまま去って行く白い帆。たぶん私は、その最後の白い影を見届けることは出来ないだろう。しかし私はそれを見続けるのだ。」(『今生』著者帯文より)

俳人・木村敏男。93歳の大往生であった。

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さて、5月。
今月は大相撲・・・じゃなかった俳句集団【itak】の第25回イベントがあるぞ!

俳句集団【itak】第25回イベント

◆日時:平成28年5月14日(土)13時00分〜16時50分

◆場所:「北海道立文学館」 講堂
札幌市中央区中島公園1番4号
TEL:011−511−7655

■プログラム■
 第一部 講演会 『めくるめくアオサギの世界』
       講 演  北海道アオサギ研究会代表 松長克利

 第二部 句会(当季雑詠2句出句)

 <参加料>
 一   般  500円
高校生以下  無  料
(但し引率の大人の方は500円を頂きます)



詳しくは公式ブログを参照ください。


講演の概要もブログを参照のこと。


アオサギの専門家の講演。俳人必聴ですぞ!!



今夜の音楽は、スペインのガールズ・ジャズなどを。
ヴォーカルとトロンボーンが Rita Payes 、トランペットは Andrea Motis 。
イロモノ以上に聴きごたえがある。

SO DANCO SAMBA... RITA PAYES JOAN CHAMORRO SCOTT ROBINSON ANDREA MOTIS I. TERRAZA J. TRAVER

月曜日 曇り、ときどき雪

木村敏男さんが先月9日に亡くなった。
そのことをぼくも含めてみんなが知ったのは22日のことだった。

かつての「にれ」の主宰で、亡くなるまで「蒼花」の名誉主宰。
元北海道俳句協会会長で、中北海道現代俳句協会顧問。
北海道新聞文学賞、鮫島賞、北海道文化奨励賞、北海道文化賞など、数々の賞を受賞されている北海道屈指の大物俳人だっただけに、2週間近くその死を誰も気づいていなかったことに驚きを感じた。
敏男さんは寺田京子さんとも親交があり、若い頃には細谷源二の薫陶も受けた俳人だった。
享年93歳。

木村敏男さんについて書く機会があれば、何をそこに書こうか。
そんなことを考えている。

 満天星の炎尽してわかれけり     木村敏男



4月もあっという間に中旬に入ってしまった。
来月も俳句集団【itak】のイベントをやる。
第25回イベント。
第1部講演は北海道アオサギ研究会代表 松長克利さんの『めくるめくアオサギの世界』

◆日時:平成28年5月14日(土)13時00分〜16時50分
◆場所:「北海道立文学館」 講堂
札幌市中央区中島公園1番4号
TEL:011−511−7655

■プログラム■
 第一部 講演会 『めくるめくアオサギの世界』
       講 演  北海道アオサギ研究会代表 松長克利

 第二部 句会(当季雑詠2句出句)

 <参加料>
 一   般  500円
高校生以下  無  料
(但し引率の大人の方は500円を頂きます)



スマホにマッコイ・タイナーの「ソング・フォー・マイ・レディ」が入っていて、それをひさしぶりに今日仕事帰りの地下鉄の中で聴いた。
特に「夜は千の眼を持っている」は、大好きな演奏だ。
若々しい生気に満ちたピアノがいきなり勢いよく始まり終始前のめりに続く。
力強いピアノ・トリオだなぁと聴いていると後半になっていきなりソニー・フォーチュンのアルト・サックスが切り込むように登場するところは、最初に聴いた時からもう40年も経っているというのに今も感動してしまう。
あのころ、この演奏を聴いて、「底辺から世界は変えられる」とか、「真の前衛とは何か」とか、ひどく青臭いことを考えていたものだ。

ぼくの青春の一曲。

McCoy Tyner - The Night Has A Thousand Eyes

土曜日 曇り

明日は中北海道現代俳句大会です!

第25回 中北海道現代俳句大会
平成28年4月3日(日) 午後1時から
会場 札幌サンプラザ (北区北24条西5丁目)
講演 久才秀樹氏 (北海道新聞文化部記者、俳句集団【itak】幹事)
演題 「横山大観展と足立美術館」


大会目玉となる講演はわがitak幹事のQちゃんの登場です。
本日4月2日から5月15日まで、道立近代美術館にて道新等の主催で「足立美術館所蔵 横山大観展」が開催されます。
道新文化部の担当記者である久才秀樹さんの講演というのは実にベスト・タイミング。
今回の講演を聴いてから観に行けば二度美味しいという企画であります。

現代俳句協会の会員でなくとも参加できますし、講演だけなら無料、予約も必要ありません。
この機会にぜひ中北海道現代俳句大会にいらしてください!!


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佐藤文香さんの『俳句を遊べ!』(小学館)が今話題になっている。
実に驚いたことに、この本の中に俳句集団【itak】のことが書かれていた。
文香さんにそのことを教えてもらったので今日あわててジュンク堂に走り、購入。

え〜と、どこに載っているかというと、P250の「今から俳句を始める人のために」の中。

《東京では現代俳句協会青年部の勉強会、北海道なら俳句集団itak(イタック)の勉強会に顔を出してみるとよいですよ。このあたりで気さくな人に近づいて、その人が参加している句会にまぜてもらいましょう》

いや〜、ありがたい、と同時に俳句の種まきをするというitakの趣旨もきっちり理解して紹介してくれていることがうれしい。
この本は、俳句に興味のある若い人向けの内容なので、北海道の若者たちがこれを読んでくれることに期待したい。
佐藤文香さん、ありがとうございました!



3月29日の北海道新聞夕刊に「道内文学時評(俳句)」を書いたので、その内容を転載する。

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「むずかしい日常詠〜平易でも凡庸許されず」

俳句とひとことで言ってもそれはさまざまな顔を持つ。
日常をモチーフとした生活詩という面も俳句では重要だ。日常のささいな事物も俳人の目をとおして描かれることで秀句となりうることは、過去の多くの名句が証明している。

ところがこの日常詠というものほどむずかしいものもない。
モチーフが日常の平凡な事物であることは何の問題もないが、文芸である限り言葉や文字の力を発揮させ、作者その人でなければ作れない一句にしなければならない。
見えたままのことを、ただ説明するだけでは俳句にならないのである。
俳句は平易であってもいいが、凡庸であってはならないということだ。

その日常性をテーマとして最近の俳誌からいくつか鑑賞してみよう。

 鏡餅供ふ箪笥の古りにけり    佐藤嫉辧福崟捗わかくさ」3月号)

正月を迎えるために真っ白な鏡餅を箪笥の上に供える。
輝くほどの白さ。そのときふと気づく。
見慣れた箪笥も鏡餅の白さとの対比で急に黒く古びて見えることを。
年越しのそのときに、鏡餅に箪笥の古さを気づかされ、自分の生きてきた年月を気づかされているのである。

 前頭葉ひとゆすりして夜食かな   吉田恭子(「艀」1月号)

夜なべ仕事をしていて空腹を感じ、なにか食べようかと思った。
集中していた頭をもみほぐすように振ってみる。何気ない仕草。
それを「前頭葉をひとゆすり」と表現した言葉の選択に、日常に隠された肉体という存在が露呈する。なるほど、思考ややる気、理性を司ると言われる前頭葉でなければならない。

 木枯やポストの色は嘘のいろ  小山田富美子(「アカシヤ」2月号)

木枯の吹く冬の乾いた空気の中に、見慣れた赤いポストがひとつある。
だがこの句はそのポストが「嘘のいろ」だというのだ。
ここに詩的飛躍がある。読者はそこに戸惑い、興味をひかれる。
作者が投函した手紙の内容にまで読者の思いはたどり着こうとするのかもしれない。

 囀の微塵の闇を燦々と    嵩 文彦(「奥の細道 別冊」第2号)

この句はけして平易な句ではない。
一見日常性とは無縁に見えるかもしれない。
だが、「囀」は現実の小鳥たちの求愛の呼び声と受け取りたい。
作者は春の「囀」の下に立ち、それを雨のように浴びている。
いのちあるもののはかない声を「微塵の闇」と捉え、その闇が「燦々」と輝くと感じたとき、光が作者自身の闇に差し込んでくるのだ。
これもまた異色ながら日常詠の句と言えるだろう。
 
(北海道新聞 3月29日夕刊)

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日曜日 曇り、ときどき雪

12日が誕生日で、60歳になった。
ひとつトシをとっただけのことだが、職場では定年となり、世間では還暦なんぞと言われる。

再雇用になるし、さほど風景が変わるわけでもないよ、とうそぶいていたのだが、思いがけないことが起きてしまった。
木曜の夜、職場の宴会の帰り道、地下鉄のホームで気を失って転倒。顔から落ちたらしく、意識が戻ったときには鼻血ボタボタで、ホームに血だまりができていた。
助け起こしてくれる見知らぬ人や、あわてて駆けつけてくる駅員さんたち。
いま降りたばかりの電車が発車できずに止まっている。
なにがおきたのか分からないものの、とんでもないヘマをしてしまったことは分かった。

駅員さんたちに車イスに乗せられ事務所に運ばれ、救急車を呼ぶかどうか聞かれたが、そのときには出血も止まっていたし頭をぶつけた感覚もなく、意識もはっきりしていたから、それは断ってタクシーで帰宅した。
後で冷静に考えてみたら、救急車を呼んでもらった方が良かったと思う。
たいしたことはなくとも一応の治療は受けられたはずだ。
もし人が同じことになったら、そういうときはためらわず救急車、と言っている。
動転してしまうと視野が狭くなるなぁ、と実感した。

翌日、鼻の骨と顎がかなり痛むのと、口の中を切っていたので、近所の病院に行ったのだが、どうも要領を得なかった。
整形や外科では診てもらえず、鼻は耳鼻科で口の中の傷は口腔外科だと言われ、口腔外科では転倒の場合は脳外科がまず優先と言われ、結局四ヶ所目の脳外科で検査を受けて異常なしという結果が出たのはもう夕方近くのこと。
結局、鼻も顎も口の中の切り傷も、治療してもらえなかった。

今日になって鼻は痛いものの特に腫れが大きくなることもないし、口の中の傷はずいぶん良くなったから、結果はオーライだったのだが、四ヶ所も病院に行って、ちょっと傷の具合をみましょうかと言ってくれる病院が無かったという現実に複雑な思いでいる。
専門分化し高度化し、また救急体制が整備されている都会ゆえの矛盾なのだろう。

それはともかく、痛感したことは、やはり60なのだ還暦なのだという思いだ。

一日一日を大切にしなければならないなぁ、と反省しきりであります。



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誕生日だった12日は俳句集団【itak】の第24回イベント。
道外からスペシャルゲストの岡大介さんを迎えて開かれたイベントは77名の参加という大盛況だった。
カンカラ三線・演歌師の岡大介さんの反骨の歌声にみんなが感銘を受けた。

itak の公式ホームページにぼくが書いた今回のイベントの記事は以下の通り。

俳句集団【itak】第24回イベントを終えて『届け「反骨」の風!』

終了後の懇親会では思いがけずぼくの誕生日を祝うケーキや、岡さんのハッピーバースデーの歌のプレゼントをいただき、感激した。

みなさん、ありがとうございました!

その数日後に上記のような事故を起こしてしまいましたが、これを期に毎日を大事に生きていきます。これからもよろしくお願いいたします。


水曜日 曇り

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昨日、一昨日と荒れた天気の札幌だった。
3月だというのに厳冬期のような吹雪で、これまで雪が少なかった分を取り返そうとでもしているようだ。

さて、それでも3月。
奇数月は俳句集団【itak】の月。
今回の第24回イベントは、第1部企画として道外からの特別ゲストをお迎えする。

平成の唖蝉坊こと演歌師・岡大介さんだ。
民衆の歌にこだわり、ライブ出演や流しという地道な活動を続けている本物の「演歌師」である。

イベントの案内は俳句集団【itak】の公式ホームページを参照してほしい。
3月12日は中島公園内の北海道立文学館にぜひお越し下さい。

第24回俳句集団【itak】イベントのご案内


情報誌「ふりっぱー」でも紹介されている。
たった500円で岡さんの歌声が聴けるのは、実に「お得」であります。

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所属結社誌「藍生」と「雪華」の最新号が届いた。

「藍生」3月号には、「藍生25周年のつどい」での夏井いつきさんのスピーチ抄録が掲載されていた。
その中でいつきさんは、昨年5月に来道し俳句集団【itak】に参加した際のエピソードを語ってくれていた。

《五月に北海道を訪れました。北海道には「藍生」会員である五十嵐秀彦さんを代表とする【itak】という俳句集団があります。「イタック」とはアイヌ語で「言葉」を意味します。五十嵐さんたちの呼び掛けで結成されたこの集団は、北海道の俳句状況を俳句そのものの力でもっと面白いものにしようという目的を掲げています》(夏井いつきさん)

わお!

こういう形でitakの活動の一端が多くの人に伝えられていくことはとてもうれしいこと。
ありがたい。大感謝。



   「藍生」3月号  主宰詠より
 存在者寒満月のその真下        黒田杏子
 かなしきことをかなしみて花を待つ   黒田杏子

   「藍生」3月号 「藍生集」掲載拙句より
 快楽の欠落埋める霜の花        秀彦
 両腕の揚力強し冬の月          秀彦

  
   「雪華」3月号  主宰詠より
 華をなす天上の暮夜雪明り       深谷雄大
 眉も眼も口も崩れて福笑ひ       深谷雄大

   「雪華」3月号 「雪月花」掲載拙句より
 起源問ふ母の眼の色冬北斗      秀彦
 風花や古書肆に言語軟禁す      秀彦

   「雪華」3月号 「雪華集」掲載拙句より
 明日生きることの悦楽冬麗ら      秀彦
 疾走の健次の悪字虎落笛        秀彦


さて、itakイベントにお迎えするスペシャル・ゲストの岡大介さんの歌をまた聴いてみよう。
曲は「酒がなけりゃ意味がない」。
これはジャズの名曲「スイングがなけりゃ意味がない」の替え歌だ。
実によい歌いっぷりじゃないか!

岡大介 「酒がなけりゃ意味がない」

木曜日 曇り

北海道新聞の夕刊で「道内文学時評」を担当させていただいているが、毎月何を書こうかけっこう悩んでもいる。

道内俳誌を中心に紹介し、ときどき新しく出た句集の書評を入れ、さらに新しい活動で注目されるものがあれば取り上げる。そんな感じでやっていきたいと思っている。
今月は先月に続いて道内俳誌からの作品鑑賞とした。
テーマは「季語と私性」。
こんな大上段に振りかぶったテーマで書くには、このコーナーは小さすぎる。
しかし、俳句に興味のない人も読む記事なので、あまり難しいことを長々書くわけにもいかない。
それがかえっていいかもしれない、とも思う。

記事の内容を下記に転載する。

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「季語と私性 関係性の中で言葉を詩に昇華」

俳句において「私」というのは重要な要素だ。
正岡子規が「客観写生」を主唱して以来、俳人は主観と客観という二つの概念を対立軸のように論じる傾向がある。しかし実際に主観と客観は文芸において簡単に分けられるものではなく、たとえ眼前にある桜を「あるがままに」詠んだとしたところで、それも自分の心中に照射したモノを言葉に変換しているのであり、客観と呼べるものではない。
むしろ眼前にある事物と作者、つまり「モノと私」との関係性の中で言葉を詩に昇華させるのが俳句であると考えたい。
そこに俳句における季語の重要性が見えてくるのではないか。

先月は道内俳誌から死生観の表現について例句を挙げて鑑賞したが、今回は季語と私性との関係を感じさせる句を探してみた。

 群すすき吾に削ぐもの何も無し   川名律子  
                        (「壺」12月号)
相当の齢を重ねなければこの言葉は出てこない。
意図的に捨てたものもあれば、あるいは悲しみとともに去っていったものもあろう。
作者は今現在の自分を見つめている。対峙するかのように群すすきが揺れている。
作者は思う。もう自分に削ぐものはないのだと。

 わけあって少し乱れて渡り鳥    斎藤圭 
                       (「丹」第107号)
見上げた空に渡り鳥がゆく。整った雁行がいま少し乱れた。
その光景が心の中に波を立てる。少し乱れたのは作者自身のことでもあろう。季節の移ろいを呼び声とし本能の命ずるままに渡ってゆく鳥ではあるが、人もまたいのちの宿命を持つものとして生きているのだ。

 人体崩れて千匹の雪虫       小林ろば 
                       (「夏至」第95号)
大胆な句。
冬のおとずれを告げるように、どこからか湧いてくる無数の雪虫に、人という存在のもろさを直観する。
人体の崩れと千匹の雪虫とが一句の中で呼応し反発する。
観念的なようでいて、雪虫の実感がなければ作れない句である。

 我を容れ複眼痒き鬼やんま     西澤寿林子 
                       (「道」1月号)
とんぼの複眼は、2万個前後の個眼で構成されているという。
作者は鬼やんまを見つめ、鬼やんまも作者を見ている。
2万個の目にうつる自分の姿を思うとき、主客は逆転し「我を容れ」と把握する。そのとき作者ととんぼは得体の知れないものでつながっている。
2万個のとんぼの眼とひとりの私が境界を失ったときに、自分の複眼が痒いと作者は感じたのだった。
存在の不安、いのちへの畏れが一句に収斂しているのだ。

(北海道新聞 平成28年2月24日 夕刊)
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ぼくの次女で漫画家をしている田島ハルが表紙絵を担当した単行本が発売されている。

川口明弘さんの『ワタクシ、直木賞のオタクです。』(バジリコ)

直木賞に関したトリビアな話題や、隠れたすごい逸話など満載で、ユーモアのある文章も楽しい。
なかなか面白い内容なので、ぜひお買い求めを! 全国書店で発売中!
などと宣伝いたしますw


ワタクシ直木賞のオタクです

日曜日 雪

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チカホの大通駅側で古本市をやっていた。

ちょっと面白いものがあったので買ってみる。

美術評論家の坂崎乙郎の『終末と幻想 絵画の想像力』(平凡社選書)と、山下博司の『ヒンドゥー教とインド社会』(山川出版社)の2冊。

『終末と幻想』は1974年の出版で、なんとなく読んだことのあるような、既視感があるけど、まあいい。

当時流行っていたミニマムアートやコンセプチュアルアートに背を向け、幻想的リアリズムを評価しようという労作だ。
最初のところで、幻想的リアリズムについて坂崎がこう書いている部分に注目した。

《絵画というメチエに寄せる絶対的な心酔、伝統に寄せる不逞な信頼》

これは「絵画」を「俳句」に置き換えると、伝統回帰の傾向の見える昨今の俳句状況をも表しているように思えた。
ぼくもある意味伝統回帰派に近いところがあるので、少し考えさせられた。
「絶対的な心酔」「不逞な信頼」は、俳句文芸にとって必要だ。
しかし、それは形式的で盲目的、あるいは権威主義的な回帰であってはならない。

必要なものは、著者がこの論で述べているように、想像力なのだと思う。
それが今の俳句の世界にあるのだろうか。

考えさせられたこととは、それであった。

水曜日 曇り

なかなか寒いのであります。
そうは言いながらも2月の17日。だがしかし、寒いのでありますよ。

さて、2月は「逃げる月」とも言って、あっという間に過ぎていく感じがある。
なので早くも3月の情報を書いておくが、俳句集団【itak】の第24回イベントは、3月12日。

こちらを参照。
第24回イベント 『届け演歌の風!岡大介カンカラ三線ライブ』

次回はかなりスペシャルなゲストということで岡大介さんをitakにお迎えする。
彼は現代の「演歌師」として注目を集めている若手歌手。
演歌師と言っても五木ひろしとか氷川きよしとかとは違って、添田唖蝉坊などに代表される明治末年から昭和にかけての主に流しで歌われた芸能で、自由民権運動などの影響を受け、社会風刺的な戯れ歌などを題材としている。
このあたりの歌にはフォーク歌手の高田渡さんも興味を持って、自分のレパートリーにしてもいた。
岡さんは、古い歌だけではなく、なんでも歌っちゃう人でもある。浅川マキさんの歌なども感動的に歌ってくれる。

このitakらしい型破りのイベント、ぜひお見逃し、お聴き逃しのないように!!


岡大介さんのHPはこちら



解放節(岡大介)




それと先月の第23回イベントも、高校生のみなさんのがんばりで盛況だった。
第1部のイベントの抄録がitakのHPにアップされているので、ご覧ください。

俳句集団【itak】第23回イベント抄録



    俳句集団【itak】第23回イベントに出句した拙句から
 引き算の果ての望郷初御空       秀彦

月曜日 雪

昨日は季節外れの暖かさだった。今日は一転してまた真冬に逆戻り。
まだ2月だからそう簡単に春は来ない札幌だ。

家にいるときも近頃はパソコンに電源を入れることが少なくなって、このブログもほとんど放置状態。
スマホで事足りてしまうわけで、なるほどPCの売り上げも落ちるはずだ。

でも、この無門日記にはそれなりに愛着がある。
もう10年以上続けてきたのだから。

これからは別に新しい情報や、珍奇なyoutubeを貼る必要など考えずに、スマホからブログを更新することにしよう。

以前はこのブログに読書記録のようなことを書いていた。
あの頃に比べると、必要に迫られての読書ばかりになってしまって、純粋に楽しみのための読書は激減したと思う。いいことではない…。
反動でSF小説なんか読んで逃避したりもしている。
たとえばいま読んでいるのが、アンディ・ウィアーの『火星の人』(ハヤカワ文庫)。
映画『オデッセイ』の原作ということなのでキワモノかと思ったら、これが意外と面白い。
冒頭で化学の話が延々と続くのをガマンできれば、だが。

まぁ、こんな具合にユルユルとスマホから更新することにしよう。


 外されし眼鏡ひとつの寒夜かな   秀彦


金曜日 雪

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遅くなりましたが、新年おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
(喪中なのですが、まあこの程度のことは言っておこう。)


実は年末年始、短い日数ではあったが、海外旅行に出かけていた。
行き先は、タイのバンコク。
なぜ?
それは一緒に行った同居人も疑問だったようで、向こうに行ってからこの旅行の意味は何かしらね、などと言う。
だから、これは還暦記念ということにしておけばいいんじゃないか、と提案したところ、ああそうね、などと言っていた。
本当はスペインに行こうと数年前から言ってはいたのだが、ヨーロッパの政情不安もあって今回は止めにした。
バンコクだってテロとは無縁ではないのだが、まあ基本仏教国なので、キリストVSイスラムの構図の外だからまあ大丈夫かな、と思った次第。(しかし後でよく調べるとどうもそうでもなかったようだ)

バンコクは東南アジアでもとびきり有名な街で、バックパッカーも含め世界中から観光客の集まるところだ。
行ってみて、その価値は十分あると思った。
もっとタイはバンコクを宣伝してもいいぐらいだ。
有名な三大寺院(ワット・プラケオ、ワット・ポー、ワット・アルン)を見るためだけでも行く価値がある。

料理もとても美味しく、日本人に合った味だと思う。(ところが帰国後下痢発症という余計な土産付きではあったが・・・)

また、チャオプラヤー川でタイ人や観光客などこぼれ落ちるんじゃないかと思うほど乗せた水上バスに飛び乗り、威勢のいいお兄さんの掛け声や笛の音を聴きながら、強い陽光にキラキラ光る川面の向こうにワット・アルンの大仏塔を眺め川風に吹かれる気分は最高だった。

さてさて、そんなことで命の洗濯をして帰国した後はさっそくいろいろバタついている。



まず、今月の俳句集団【itak】第23回イベントだ。
これはもう明日である。

以下詳細を載せる。
誰でも参加できるので、第1部企画と句会参加であれば当日ふらりとやってきていただいてもOKだ。

第23回俳句集団【itak】イベントご案内

*と き  平成28年1月9日(土)
       午後1時〜4時50分

*ところ  北海道立文学館 講堂
      (札幌市中央区中島公園1番4号)

*参加料 一般500円、高校生以下は無料

●第1部  北海道札幌琴似工業高等学校文芸部
       『学校祭展示再現と高校の文芸部の活動紹介』
       展示と解説 文芸部顧問 佐藤啓貢+文芸部生徒

●第2部  句会(当季雑詠2句出句)




俳句集団【itak】の新年詠もyoutubeでアップされている(幹事の労作)
今年も幹事たちによる新年詠を発表しているが、来年からは幹事以外の参加者にもお願いしようかなと思っている。



「藍生」と「雪華」の1月号から主宰詠と拙句抄。以下の通り。


      「藍生」1月号主宰詠より
 寒月に伏したる句作三昧者        黒田杏子
 青邨忌冬青空に手を合はす       黒田杏子

      「藍生」1月号「藍生集」掲載拙句より
 父に墓無し尾花波あふれけり      秀彦
 方幾里流れて鰯雲となる         秀彦



      「雪華」1月号主宰詠より
 新月の闇恐れずに歩み行く       深谷雄大
 虹失せしのちも見てゐる冬の天     深谷雄大

      「雪華」1月号「雪月花」掲載拙句より
 きれぎれに月光走る夜の坂       秀彦
 秋高し古窯に宿る神の水        秀彦

      「雪華」1月号「雪華集」掲載拙句より
 尾花散るわが逃げ疵の背に散る    秀彦
 まひるまの赤き鶏の目高き稲架    秀彦


 

今月3日に、ジャズ・ピアニストのポール・ブレイが死んだ。
装飾を排除し、非常にストイックに音を選びながら弾く彼のピアノは、どこか省略の効いた俳句のようでもあった。
ぼくの学生時代のアイドルの一人だったので、訃報にショックを受ける。

Paul Bley - Alrac (solo piano) LIVE video 1973




金曜日 雪、のち曇り

昨日の北海道新聞夕刊に書いた「道内文学時評」の全文を転載しておこう。

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先日、高文連の指導をされている俳人・永野照子さんから一枚の資料をいただいた。
それは北海道高文連第13回文芸研究大会の作品コンクール入選作品一覧であった。そこには高校生俳句の今を伝える秀句が並んでいた。

 夕焼の街でグリコの遊びかな      旭川東高 荒井愛永

右はコンクール最優秀句となった作品。
「夕焼の街」「グリコの遊び」それしか言っていないが、読者は自分の記憶の中のジャンケン遊びの風景を思い浮かべるに違いない。
夕焼けと影の交差する街が奥行きをもって浮かび上がる。

次に優秀句となった3句を見てみよう。

 よう来たねしわの深い手茄子植える    旭川北高 大水ひかる

作者の祖母であろうか。上五に会話の一部を切り取って置くことで、一句を生き生きと動かしている。

 蝉時雨日記白紙のまま遺品     旭川東高 木村杏香

遺品の日記を描くことで作者は死と向き合っている。
日記をつけていた人が世を去れば途中から白紙の日記が遺される。
当り前のことながら、そこに発見があり発見が詩となっている。

 葬式の裏手に並ぶ蟻の列       札幌大通高 山田詩織

単なるアレゴリーではなく実際に蟻の列があったと見るのが俳句である。
葬式という表側のフォーマルさの裏に極小の生命である蟻の対比があり、一句の中に多層の世界が生まれる。

他の入選句は次の通り。

 星月夜先に押される降車ボタン   旭川東高 渡部琴絵

 夏蜜柑齧つて星の滅びたる     旭川東高 柳本佑太

 川唸り欠けた道路に紅葉映え     札幌北高 石山明香里

 終戦やてんとう虫の羽光る     札幌琴似工業高 細川大

 スカートをはいて北窓開きけり      小樽潮陵高 高橋なつみ

 幾億の星数のもと牛蛙           札幌琴似工業高 水口朋瑛


俳句はしばしば「老人の文芸」のように言われるが、その本質的な部分を考えるとき「老人性」と呼ばれるものはほとんど無いことに気づく。
あるのは17音の詩であり、それ以上でも以下でもない。
文芸全般においてかつて華々しく活躍したあの寺山修司も、高校時代に俳句から創作活動を始めたのである。

今回、十代の若々しい感覚に触れ、正直うらやましくてしかたがない。
高校生諸君が今後も瑞々しい感性に一層磨きをかけ、より高みを目指して創作を続けてくれることを願ってやまない。

(北海道新聞 2015年12月24日 夕刊文化欄)
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旭川東高と琴似工業高校、小樽潮陵高は俳句甲子園北海道大会でおなじみの高校だが、それ以外にもしっかり俳句を作っている生徒たちがいる。
彼らをいつでも迎えられる場を用意しておきたいなぁ。
それが北海道の俳句の世界に必要だと思う。
ともあれこの記事が若い俳人のみなさんへのクリスマス・プレゼントとなればうれしい。


「藍生」1月号が届いた。
藍生誌は表紙の色が毎年変更になる。
2016年の色は「藍灰色」というのだそうだ。しぶい色である。

     「藍生」1月号  主宰詠より
 覚めてまた木の葉の時雨聴くしばし      黒田杏子
 青邨忌冬青空に手を合はす          

     「藍生」1月号 掲載拙句より
 父に墓無し尾花波あふれけり         秀彦
 方幾里流れて鰯雲となる
 煮え切らぬ雲や秋鯖買うてゐる
 ただ懼れ赤岳に立つ月に立つ

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さて、今年ももう数え日に入ったようだ。
来月は正月早々に俳句集団【itak】の第23回イベントがある。

◆日時:平成28年9月12日(土)13時00分〜16時50分
◆場所:「北海道立文学館」 講堂
     札幌市中央区中島公園1番4号
     TEL:011−511−7655

■プログラム■
 第一部 展示と解説
 北海道札幌琴似工業高等学校文芸部
   『学校祭展示再現と高校の文芸部の活動紹介』 
 展示と解説 文芸部顧問 佐藤啓貢+文芸部生徒一同


 第二部 句会(当季雑詠2句出句)

 <参加料>
 一   般  500円
 高校生以下  無  料
(但し引率の大人の方は500円を頂きます)
  
詳細は公式ブログを参照のこと。
第23回俳句集団【itak】イベントのご案内
第23回イベント 『学校祭展示再現と高校の文芸部の活動紹介』

水曜日 雨、のち曇り



 冬隣キトクといふ字かけぬまま    秀彦


先月の20日に、母を看取った。
満88歳(享年89歳)。
思っていた以上に悲しみは感じなかった。
この2年ぐらい認知症がひどくなり、本人が一番苦しんでいたことを思うと、楽になってよかったね、という気持ちで送ることができた。
父のときも今回も、不思議なほど静かな心境で、通夜にご詠歌を歌って下さった住職の美声を楽しむほどの余裕があった。
ぼくも還暦目前。トシをとるというのはこういうものなのかもしれない。

出張等の仕事の予定にもぶつからず、葬儀や初七日が済ませられたのは、このごろの忙しさの中で奇跡のよう。

父の時と同様に、悼句を13句作り棺に入れた。
悲しくはないのだが、句はずいぶん作った。人の生死は詩に通じる道なのかもしれない。




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「第18回俳句甲子園公式作品集 第4号」が送られてきた。
俳句集団【itak】で広告を出している。
地区大会からの詳しい情報が載っているので、この出版は意味がある。
これからの俳句の世界は、俳句甲子園を経験した俳人の活躍を抜きに語れない状況となるだろう。
その意味で、高校時代の作品を後日振り返ることができるこの作品集は今後とても貴重な資料になるはずだ。
 
書肆アルスのサイトから購入可能



さて、今月は俳句集団【itak】の第22回イベントがある。

日 時  平成27年11月14日(土)
       午後1時〜4時50分
場 所  北海道立文学館
   (札幌市中央区中島公園1番4号)
参加料  一般500円、高校生以下は無料

●第1部  トークショー
       『いま、狸小路があたらしい!』
       トーク 出版「亜璃西社」・エッセイスト
            和田 由美

●第2部  句会(当季雑詠2句出句)

●詳細お問い合わせはEメール
(itakhaiku@gmail.com)へ。



今月の懇親会は、瀬戸優理子さんの現代俳句新人賞のお祝い会も兼ねている。

イベント詳細はこちら




さて、ひさしぶりの今夜の一曲。

ぼくはビートルズ・ファンではない。
しかしなぜか、伊坂幸太郎ではないが、「ゴールデン・スランバー」という曲が好きだ。
短い曲で、「キャリー・ザット・ウェイト」〜「ジ・エンド」と繋げてひとつという感じになっている。
どこか諦観のようなものを感じさせるところに惹かれているのかもしれない。

The Beatles - Golden Slumbers/Carry That Weight/The End

水曜日 曇り

あっという間に9月も2週目半ばになり、ぼんやりしているとどんどん時に追い越されてしまう。

今頃になって先月のことを思い返し、実にいろいろなことがあって興奮させられる8月だったなぁ、という話しをちょっと書いておきたい。

昨今は、情報の速さという点でSNSにかなうものはなく、FBやツイッターでなんでもあらかた伝わってしまうので、ブログの情報というのは「速さ」という点ではほとんど意味がなくなってしまった。
でも考えようによっては、はやければいいとも限らず、のんびりと時間差で事件を取り上げるのも、二度情報に触れることとなり、それはそれで面白いかもしれない。


さて何を書こうとしているかというと、今年の現代俳句新人賞のことである。
今年度の受賞者は2人であった。
北海道の瀬戸優理子さんと、東京の中嶋由佳さん。

瀬戸さんは、ぼくら俳句集団【itak】の仲間だ。
中北海道現代俳句協会の仲間でもある。
昨年の第14回中北海道現代俳句賞の受賞者でもあり、同賞の選考委員をぼくがつとめさせてもらった縁もあって、今回の現代俳句新人賞受賞が実にうれしく、自分のことのように喜んでいる。
作品は正式には「現代俳句」誌10月号に掲載されるようだが、サイトで一足早く読むことができる。
上のリンクで見ることができるし、縦書きのページも用意されているのでご覧いただきたい。

瀬戸優理子 「微熱」30句



実を言うと、ぼくも40代のときにこの賞をめざしていたことがある。
何回か挑戦したが受賞はかなわず、それで方針を転換し、現代俳句評論賞の方に寺山修司論を応募したところ、そちらで受賞してしまった。
もう12年も前のことだ。
俳句実作ではなく評論で受賞したというのは、思えばその後の人生にけっこう影響しているなぁと思う。
そんなことをこもごも思い出される瀬戸さんの吉報であった。

10月に東京上野の東天紅で授賞式が予定されている。




瀬戸さんのことで興奮さめやらないときに、さらに吉報が追いかけてきた。
旭川東高校が、なんと俳句甲子園全国大会で準優勝してしまったというのである。
これまでベスト8が最高成績であった北海道代表校が、なんと準決勝で強豪中の強豪・開成高校をやぶり決勝に進出したのだ。
名古屋高校に惜しくも負けたとはいえ、準優勝はまことに快挙だ。
ちょうどその日、吉田類さんの句会に参加していたのだが、類さんも「すばらしい快挙」と喜んでくれていたのもうれしかった。
10年以上、俳句甲子園北海道大会で見続けていた同校が、とうとうここまで来たという感慨に思わず涙がこぼれるほど感動してしまった。

俳句集団【itak】でも、さっそく同校の柳元佑太君が書いてくれた参戦記を掲載させてもらった。

また、同校文芸部のブログに掲載されている木村杏香さんのエッセイも感動的だった。

いいなぁ〜!高校生!

旭川東高だけでなく、琴似工業高校など道内の高校生俳句を応援し続けてきたitakにとってもうれしいうれしい北海道の高校生の活躍だった。
来年も楽しみだ!


以下、旭川東高の作品抄

待ち針の向きは揃はず星流る     荒井愛永

大地割るやうに初蝉羽化したる    荒井愛永(優秀賞)

葉脈の透きとほりゆく夕立晴     木村杏香

ポケットに牛舎の鍵や草の露     柳元佑太(優秀賞)

秋隣待受はまだ変えられず      萩原 海

炎天や縄文展の開くを待つ      本庄 海




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7月に開催された俳句集団【itak】第20回イベントの「No Music、No Haiku」の抄録がitakブログにUPされている。
実に面白い内容なのでぜひ読んでほしい。
音楽と俳句について、これほど自由に語られたものをぼくは読んだことがない。

さて、9月12日(土)は俳句集団【itak】第21回イベントだ。
今回の第1部企画は「ゆるゆるトークショー『鴨々川ノスタルジアってなぁに?』 」である。
今すすきので進んでいるある種の街おこし活動の、仕掛け人3人によるトークショー。
ギャラリー「鴨々堂」の石川圭子さん、歌人・山田航さん、地方出版の雄・寿郎社の土肥寿郎さんが、はたしてどんな話しをしてくれるのかたのしみだ。

大人気の歌人・山田航さんが出演する今回の企画、航ファンのみなさん、お見逃しなく!!


第21回俳句集団【itak】イベントのご案内



最近、つくづく初心が大事だなぁと思わされることが多く、どうすれば初心に帰ることができるのだろうと思い迷っている。

だから、というわけでもないが、ぼくの大好きな歌手・ビョークのソロになった頃の古い映像を見てみよう。
1994年! このあたりが彼女の「初心」なんだろうなぁ・・・・・・。

Bjork (MTV Unplugged) 'Aeroplane'

月曜日 晴れ、ときどき曇り


風がはっきりと秋風となった札幌。

今日は仕事を休み、締切の近い原稿を書いていた。
ちょっとした夏休みではあるが、ぼんやりとはできないみたいだ。

先月、道立文学館のトークショーに出演した際のギャラの代わりとして図書カードを頂戴していたので、昨日はジュンク堂に行って本を買った。

寺山修司 『青い種子は太陽のなかにある』(角川書店)

白石征  『望郷のソネット 寺山修司の原風景』(深夜草書社)

又吉直樹 『第2図書係補佐』(幻冬舎文庫)


寺山と白石の本は、どちらも最近出版されたものだ。
『青い・・・』の方は、最近発見された未発表戯曲。「天井桟敷」以前の20代の頃の戯曲ということに興奮させられる。
「天井桟敷」旗揚げ5年前にもうすでにその世界は準備されていたのだ。

『望郷のソネット』を書いた白石征は、編集者として寺山と18年間交流のあった人物。
この評論の中で、寺山文学と説経節との関連について書いているところに注目したい。

又吉直樹はご存知のとおり芥川賞を受賞して話題がヒートアップしている。
彼は6年前に既に自由律の句集を出版しており、もともと文芸活動をしてきた人なので、会社員や教員が創作活動をしていて芥川賞を受賞することになんの不思議もないように、芸人が小説を書いてもなんらおかしなことではないと思う。

 ポケットに五円玉いつのものか

 高架下歩く自分の足音を聴く

 俺も酔ってここに座る日が来るとは

      又吉直樹(せきしろとの共著)『カキフライが無いなら来なかった』(幻冬舎)



『火花』に関しては芥川賞としてどうかという意見も聞くが、そういう評価はともかく内容はなかなか面白かった。
特に次の文章には小説の筋とは関係なく感心してしまった。

「平凡かどうかだけで判断すると、非凡アピール大会になり下がってしまわへんか? ほんで、反対に新しいものを端から否定すると、技術アピール大会になり下がってしまわへんか? ほんで両方を上手く混ぜてるものだけをよしとするとバランス大会になり下がってしまわへんか?」
     又吉直樹 『火花』より(p32)


これは漫才のことを言っているのだが、そのまんま俳句に当てはまるものだからおかしくて笑ってしまった。



今夜の音楽も少し秋らしく・・・。

Helen Merrill / Born to Be Blue


日曜日 曇り、ときどき雨



前回更新してからもう一ヵ月以上経ってしまった…。

スマホをよく使っていると、ブログよりfacebookとかSNS系に流れがちになってしまうようだ。
だけどそれだと、どうも記録が細分化してしまう。
やっぱりブログにはブログの機能があるだろうから、できるだけ続けていきたい。



まず俳句集団【itak】の活動について

7月に第21回イベントを開催した。

第1部は、北海道新聞文化部現役記者とOB記者による音楽を通して俳句について考えるという面白い企画のトークショーで、深夜放送的なゆるいトークと、それでいて深い内容についつい引き込まれた。
その抄録はもう少しするとUPされるはずだ。

第2部の句会もなかなか充実していたので、その様子については橋本喜夫さんの句会評を読んでいただきたい。
ぼくの句への褒めてるのか貶しているのかわからん喜夫さんの句評は愛情かwww
ただ、「ほととぎす」の季語は動かないというのはうれしい読みだ。
実は内心、ぼくもここは「ほととぎす」しかない、と思っていたので。

俳句集団【itak】第20回句会評

俳句集団【itak】第20回句会評

俳句集団【itak】第20回句会評


【itak】は隔月なので、もう来月には第21回イベントが控えている。
公式ブログに案内記事が載っているが、次回もユニークな企画を用意できた。

第21回俳句集団【itak】イベントのご案内

第21回イベント ゆるゆるトークショー『鴨々川ノスタルジアってなぁに?』

第1部企画には、人気の歌人・山田航さんが久々の登場
なので、航ファンのみなさん必見ですよ。

そんなわけで、今年も絶賛爆走中の【itak】をなにとぞよろしくお願いします。




所属俳誌「藍生」8月号、「雪華」8・9月号から作品転載


   「藍生」8月号 主宰詠より
 去りがたし梅雨蜩の霧の山       黒田杏子
 染めしことなきこの喜寿の髪あらふ  黒田杏子


   「藍生」8月号「藍生集」掲載拙句より
 糸遊や聴こえぬ耳を持ち歩く      秀彦
 椅子ひとつあいて桜のただなかに   秀彦



   「雪華」8・9月号 主宰詠より
 身の内の烈火連なる鶏頭花       深谷雄大
 裂け目なき石榴の一つ木に残る    深谷雄大


   「雪華」8・9月号「雪月花」掲載拙句より
 地図ひろげ春野の果に遊泳す     秀彦
 太き字の祖国淋しき寺山忌       秀彦


   「雪華」8・9月号「雪華集」掲載拙句より
 海見ては海を識らざる蝶の群      秀彦
 夜桜の灯やおちつかぬおちつかぬ   秀彦

「雪華」の「雪月花」欄の句は巻頭句だった。
このごろ「雪月花」で巻頭になることが多くなった。
深谷雄大主宰がぼくに何か伝えようとしているんじゃないか、と少し気になっている。



8月も中旬ともなると札幌はもう秋の気配だ。
ハンバート・ハンバートの歌声に、なんとなく秋の色を感じてもいる。

夜明け - ハンバート ハンバート 

火曜日 曇り


7月17日は、「カルチャーナイト」だ

この日、札幌市内の公共施設や文化施設、民間施設が夜間開放されて、文化イベントが各所で開催されるのです。

道立文学館では、「公開歌会・句会」が開催される。
これは短歌・俳句・川柳合同イベントで、三分野それぞれパネリストが参加して「星」をテーマにした持ち寄り作品を語り合うという企画らしい(よく分かってないw)。
で、俳句のパネリストとしてぼくが出演するので、ぜひぜひおいでくださいませ。

7月17日 18:00〜19:30
道立文学館地下講堂
参加無料
当日先着 60名まで


カルチャーナイト2015表


カルチャーナイト2015裏





さてさて、今週の土曜日は、俳句集団【itak】第20回イベント!!!

前回は夏井いつき祭で記録的な盛り上がりとなったが、今回は少しクールダウンしてゆったりとやりたいと思っている。
いつも通りどなたでも参加できるので、itakの公式ブログを参考にして当日ふらりとやってきてくださいな。

俳句集団【itak】第20回イベント
日時: 7月11日 13:00〜16:50
場所: 北海道立文学館 地下講堂
第1部 トークショー「No Music,No Haiku 」(恵本俊文と大原智也 〜俳句集団【itak】幹事・北海道新聞記者)
第2部 句会(当季雑詠2句)



所属俳誌の「藍生」と「雪華」の7月号が届いたので、その中から少し作品を転載する。


   「藍生」7月号 主宰詠より
 闘志涼しく山を越え谷を越え       黒田杏子
 暁方の遠蛙また睡りけり         黒田杏子

   「藍生」7月号「藍生集」掲載拙句より
 禅学の四方八方ふきのたう        秀彦
 三鬼の忌青空踏まぬやう歩く       秀彦


   「雪華」7月号 主宰詠より
 いづくまで行きては果つる青嵐      深谷雄大
 黄泉の師に問ふ句の幾つ虹の天    深谷雄大

   「雪華」7月号「雪月花」掲載拙句より
 春星やさみしい靴の中に堕つ       秀彦
 地の紋のはるけきところ野火煙      秀彦

   「雪華」7月号「雪華集」掲載拙句より
 鉛筆の数だけ並ぶ春愁          秀彦
 雪解けて馬頭観音歩き出す        秀彦





浅川マキさんの歌で何が一番好きかと問われれば、一番かどうかわからないけど「それはスポットライトではない」が、なにより好きだと答えるだろう。
この曲のオリジナルは、よくロッド・スチュワートだと言われるが、それは間違いで、ジェリー・ゴフィンとバリー・ゴールドバーグの作品。ロッドはそのカバーである。

だけど・・・、これは浅川マキさんの歌だと思う。
ゴフィンでもゴールドバーグでもロッド・スチュワートでもない。
それはそうだ。

 またおいらいつか感じるだろうか
 あんたは何を知ってるだろか


そう歌うのはもちろんマキさんしかいないのだから。
ぼくはこの問いをずっと抱えて生きてきたのだから。

金子マリさんもカバーしている。
いい感じだと思う。
彼女の歌で聴いても、やはりこの詩のこの場所で泣きたくなるのは変わらないようだ。

金子マリ"それはスポットライトではない"

月曜日 曇り

俳句集団itak第20回フライヤー


まずは俳句集団【itak】のイベント情報。

先月の三周年記念夏井いつき企画について、句会ライブの抄録もitak公式ブログにアップされた。
あらためて第1部のトークショーと第2部の句会ライブの記事を紹介する。


俳句集団【itak】第19回イベント抄録【第一部】夏井いつきさんトークショー

俳句集団【itak】第19回イベント抄録【第二部】 『句会ライブ』

かなり長文の記事だけれど、イベントが盛り上がっていたことは十分伝わる内容だと思う。

さて、今月は北海道俳句協会大会があったり、俳句甲子園北海道予選があったり、北海道現代俳句大会があったりで、イベント目白押しだった。
そして来月もまた俳句集団【itak】の第20回イベントがある!

第20回俳句集団【itak】イベントのご案内「NO MUSIC,NO HAIKU」


第19回イベントの沸騰とは対照的にクールダウンして、ゆるゆると楽しい企画を用意したので、ぜひまた多くの参加をお願いいたします。
楽しいですよ〜♪
初めての方も遠慮なくご参加ください。



たまにはつれづれのことも書いておこう。
今夜、職場の仲間ととあるホテルのラウンジで軽く飲んでいたら、ピアノの生演奏が始まった。
数曲カクテルジャズのような演奏が続いたのだが、突然記憶をゆさぶるメロディになった。
その曲の演奏が終わったとき、席が近かったこともあって、ピアニストに声をかけた。
「今の曲は『リコーダ・ミー』ですよね。ジョー・ヘンダーソンの」
すると若い女性のピアニストが少し驚いた表情をしてから、にっこり笑ってうなずいてくれた。

ジョー・ヘンダーソンの名曲「リコーダ・ミー」。アルバム「ページワン」(ブルーノート)に収録されていた。
若い頃にジャズ喫茶で飽きるほど聴いた曲。
しかし、いつもこの曲を聴くと、なにか野心のようなものが湧き上がる気がしたものだ。
なんのあてもない青年の野心。
でもあの日々があったからこそ、今の自分がいるようにも思うのだった。

youtubeで探してみたら、ジョー・ヘンダーソン(ts)、フレディ・ハバード(tp)、ハービー・ハンコック(p)、トニー・ウィリアムス(ds)、ボビー・ハチャーソン(vib)・・・というすごいメンバーによるライブ映像の「リコーダ・ミー」を見つけた。
今もなお心に火をつけてくれる演奏だ。

Joe Henderson - Recorda-me

金曜日 晴れ

さあ今年も俳句甲子園の季節がやってきた!

札幌会場は以下のとおり。


日時
 6月14日(日)受付開始 午前10時
         大会開催時間 午前10時半〜午後16時

場所
  札幌市男女共同参画センター  大研修室
  (札幌市北区北8条西3丁目札幌エルプラザ内)


参加校
 札幌琴似工業高等学校
 旭川東高等学校A
 旭川東高等学校B
 小樽潮陵高等学校



見学は自由なので、ぜひナマの俳句甲子園を見に来てください!!
ぼくも審査のお手伝いをしております。


詳細は俳句集団【itak】の公式ブログにも掲載されています。



俳句甲子園というと自分の高校生時代のことを考えもするが、あのころは俳句をやってみようとは思いもしなかった…。

そんな流れなのか、どんな流れなのかわからないけど、ボブ・ディランを聴きたくなったw

そうだ。 "I shall be released" にしよう。
ザ・バンドの解散ライブ「ザ・ラスト・ワルツ」から。

The Band: I Shall Be Released

火曜日 曇り

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先月9日の俳句集団【itak】第19回イベントで大変好評だった夏井いつきさんのトークショーの抄録が【itak】の公式ブログにUPされた。
抄録といってもほぼ全発言といってもいいぐらいに、【itak】幹事の久才秀樹さんが見事に編集してくれている。

ぼくら【itak】がやっていること、やろうとしていることの意味についてあらためて考えさせられ、三周年記念のイベントにふさわしい内容だった。
ぜひお読みいただきたい。

そして、夏井いつきさんの友情にあらためて感謝したい。



今年も俳句甲子園の季節がやってきた。
北海道大会の日程は以下のとおり。

第18回「俳句甲子園」札幌大会
開催日 6月14日(日)
受付開始時間 10:00
大会開催時間 10:30〜16:30
会場  札幌市男女共同参画センター(エルプラザ) 大研修室

出場校
・旭川東高校 A,B
・札幌琴似工業高校
・小樽潮陵高校
(計 4チーム)


ぼくも審査員で参加いたします。

見学は自由。どうぞ遠慮なくいらしてください。


俳句集団【itak】のブログでも紹介中


所属結社「雪華」の6月号が来た。


   「雪華」6月号 主宰詠より
 影あゆむ先の園生の桜まじ     深谷雄大
 山下り来て散る花のなかにあり   深谷雄大

   「雪華」6月号「雪月花」掲載拙句より
 手の甲に血統浮かぶ夕焚火      秀彦
 雪を踏む道それぞれの記憶踏む   秀彦

   「雪華」6月号「雪華」掲載拙句より
 雪微塵かつて悪所の道渡る     秀彦
 風邪ですと言うて淋しき手紙書く   秀彦




今夜の音楽は、ぼくの大好きな歌手、アビー・リンカンにしよう。
ディヴィッド・サンボーンとフィル・ウッズという豪華アルト2本との共演で、"Hi-Fly"。

Abbey Lincoln with Phil Woods - Hi Fly

土曜日 晴れ


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ぼくの次女で漫画家の田島ハルの新刊が発売されている。

『旦那様はオヤジ様 年の差夫婦ものがたり』(ニチブンコミックス)。

「週刊漫画ゴラク」での連載「こやじこはる日和」の単行本化です。
中に、俳人秀吉としてぼくがクマキャラで登場しております。
年の差夫婦の日常エッセイコミックとなっております(「漫画ゴラク」連載でしたので若干お下品www)。
どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m





28日の北海道新聞夕刊の「道内文学時評(俳句)」で、先日来道した夏井いつきさんのことを書いた。
その全文を以下に載せておく。

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  「夏井いつきの自由な風」(この見出しは道新さんがつけて下さったものです)

 蝶の羽たたむにしずかなる力   夏井いつき  『蝶語』

夏井いつきさんが5月の札幌にやって来た。
いつきさんと言えば、テレビのバラエティ番組「プレバト」での辛口先生として知らぬもののないほどの人気者であり、その著書『超辛口先生の赤ペン俳句教室』(朝日出版社)の売れ行きも好調、今ノリに乗っている松山在住の俳人である。
私と彼女とはもともと所属結社が同じで、また俳句甲子園のつながりもあり以前からの友人であるが、その夏井さんが5月9日道立文学館講堂で開催された俳句集団「itak」の三周年記念イベントに登場。私との対談形式のトークショーや、句会ライブをやってくれた。

バラエティ番組では辛口のコメントを連発しタレントたちの俳句を斬りまくる彼女だが、それは多分にテレビ的演出であり、実際にはユーモアとやさしさにあふれ、まわりをいつも笑いで満たしてくれる素敵な俳人である。
夏井さんは、俳句集団「いつき組」の代表(仲間からは「組長」と呼ばれている)とし愛媛県松山市にあって全国に仲間を広げながら、さらには今年で第18回となる高校生の俳句大会「俳句甲子園」の立役者でもあり、最近は「100年俳句計画」を提唱して精力的な活動を展開している。

その基本には、俳句愛好者の裾野を広げようという熱意と姿勢が一本の筋となってしっかり通っている。
現在のテレビ出演もその方向性の中にあることは、彼女のファン層がこれまで俳句に興味のなかった人たちにも広がっていることからも見てとれるだろう。

今回のイベントでの対談の中でも、俳句愛好者をもっと増やし俳句人口をより大きくする中でこそ、次代の俳人が育ってくるのであり、すぐれた作品もまた多く生れてくる可能性が広がるのだという意味の発言があった。
その意見に私は強く共鳴したい。

俳句は本来もっと自由なものである。もっと多様なものである。
彼女があえて100年俳句計画と言うのも、正岡子規の俳句革新運動を絶やすことなく、今の時代に蘇らせたい、次の100年につなげたいという熱意から出たものだろう。
彼女の思いは当日会場を埋め尽くした110名を超える参加者に確かに伝わったと信じている。

夏井いつきさんのいる場所にはいつも自由な風が吹いている。
それは俳句文芸の復興に通ずる風だ。

句会ライブはゲーム感覚で「少し悲しい気持ち」という出題があり、数分間で即吟し投句。
みんなで意見を出しながら選句を楽しむ趣向で、次の句が最高点句となった。

 扇風機むけば崩れるゆで卵   下川町 鈴木牛後



(五十嵐秀彦 北海道新聞 5月28日夕刊 文化欄)

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【itak】の第19回イベントではいつきさんとぼくとの対談型トークショーをしたので、その抄録が近日中にitak公式ブログにUPされる予定。
そこでのいつきさんの話しがとてもいい内容。ぜひ愉しみに!



「藍生」の6月号が届いた。
今年は創刊25周年のため毎月特集号という充実した内容だ。
先月号ではぼくが登場していた「藍生の作家たち」が今月号にもあって、藍生の作家の層の厚さをあらためて感じさせるものになっている。


      「藍生」6月号 主宰詠より
 だんだんにだんだんに夕櫻かな      黒田杏子
 新茶くださる友の数存へて          黒田杏子

      「藍生」6月号「藍生集」掲載拙句より
 寝たふりをしては弥生の耳の穴      秀彦
 詩あきんど春の路地よりあらはるる    秀彦



今夜の音楽は、国際的に活躍している上原ひろみさんの超絶ジャズ・ピアノとしよう。

Hiromi Uehara Summer Rain LIVE

月曜日 曇り

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虚脱しているうちにもう一週間以上過ぎてしまった。

5月9日の土曜日。俳句集団【itak】の第19回イベントが開催された。
今回は松山からいらっしゃった夏井いつきさんが登場ということで、定員90名の会場は110名を超える参加者の熱気にあふれた。
たまたまタイミングが合ったということながら、第19回がちょうど3周年記念イベントでもあって、このただならぬ雰囲気は実にそれにふさわしいものだった。

第1部は、いつきさんとぼくとの緩めのトークショーで、テレビの話題からいつき組、俳句甲子園、100年俳句計画など、さまざまなことを彼女に語ってもらった。
時間は足りなかったけれど、俳句愛好者を広げるということが俳句のレベルを上げ多様性を作り出すということ、そのことが次代につながり次の100年を作り出すという姿勢と熱意は十分伝わったと思う。


俳句集団【itak】第19回イベントを終えて「3周年イベントは夏井いつき祭だった!」




最近も多くの本を頂戴している。
買うつもりでいた本を恵贈いただいたときには、実に恐縮してしまう。もたもたしていた自分が恥ずかしくもなる。
たとえば『関西俳句なう』「オルガン」などはぜひここで内容に触れたい。ところがね〜。しっかり読む時間がなく往生してもいるんだ。
ぜひ近いうちに取り上げたい。



静岡の若い俳人・澤田和弥さん急逝の報せがあった。
彼とは手紙のやりとりのようなことは何度もしているが、一回しか会ったことがない。
それは7年前の大阪でのことだった。
彼は寺山修司の大ファンで、ぼくはぼくで寺山論で現代俳句評論賞をいただいた後まだ4,5年しかたっていなかった時期だったので、互いに寺山文学について語り合ったことをおぼえている。
あの頃はふたりとも煙草を吸っていたものだから、とあるビルの喫煙コーナーみたいな場所で話し合った。パーテーションで区切られた三畳ほどのチープな空間の風景をまだおぼえている。
彼は今も煙草を吸っていたのだろうか。
こんなときに、そんなどうでもいいことが気になってしまった・・・。



 革命が死後となりゆく修司の忌     澤田和弥




寺山修司が作詞した歌を聴いて和弥君への挽歌としたい。

浅川マキ ふしあわせという名の猫

水曜日 晴れ

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札幌の気温は、おそらく20度を超えたのだろう。
今日は市内の代表的な桜の名所の円山公園で、有志による吟行句会。
暑いほどの日差し。これは6月下旬か7月あたりの札幌の陽気だろう。

句会そっちのけでブルーシートの上でごろ寝をしていると顔の上を桜の花がつぎつぎと吹かれてゆく。

8句ぐらい出してみたが、まあまあ好評だったのは次の句。

 束の間の主語なきときや花吹雪      秀彦

前からいろいろ試していた「主語なきとき」をこの吟行で使ってみたのだが、「花吹雪」では少々オチをつけてまとめてしまったようで通俗だったかもしれない。

 一角獣桜の下に少女ら来る     秀彦

ぼく的にはこっちの方が好きなのだが、だいたい自分が気に入っている句は不評というセオリーどおりか。

それにしてもとんでもない人出だった。
これは今日の札幌ドームの試合より集まっていたんじゃないか。数万人レベル?



昨日の北海道新聞夕刊に「道内文学時評」を書いた。孤高の俳人・嵩文彦(だけ・ふみひこ)さんの最新句集『ダリの釘』について「個」と「孤心」の探究という視点で書く。

記事を貼っておこう。

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(クリックすると少し読みやすいと思います)



「藍生」5月号に「文芸おちこぼれ」というエッセイを書いた。
全文を転載しておく。
自分の来し方を振り返り、ぼくと俳句との関係について考えてみたことである。



「文芸落ちこぼれ」

なぜ俳句?せっかくの機会なのでそのことを考えてみた。
短歌でもなく詩でもなく、まして小説では毛頭なく、どうして俳句になってしまったのだろう。
俳句ひとすじと胸を張りたいところではあるが、どうもそうでもなく、来し方を振り返るとそこには消去法のような自分の歩みが見えてきてしまう。

まず中学生のころ、なんにもわからないくせに井伏鱒二に憧れ、短編小説のようなものを書いていたが(言うまでもなく子どもの作文である)、高校に進学するとどうやら小説というのは大江健三郎や安部公房のようなものを書かなければならないらしいと気づき小説を諦め、当時流行っていた現代詩に転向した。
私の書く詩はいつも無駄に長く、その長さに驚く人たちはたくさんいたものの、内容をほめてくれる人はほとんどいなかった。
それでも現代詩を続ける道もあったのだと今さらながら思うけれど、就職して仕事に忙殺され一旦お休みにしたら、あっという間に10年以上のブランクがあいてしまう。
そのあとで詩にもどろうかとまた迷っていたとき、短歌や俳句の方が外から見ると活気があるように見えたものだから、詩も短歌も俳句も字数が違うだけで同じようなものだという乱暴な思い込みで、短歌と俳句を作り出した。

しかし短歌の才能が無いことはすぐに分かった。
そんな愚かで迷ってばかりの道の果てに、結果的に私の手元に残っていたのが俳句だった。

なんだ、そりゃ絵に描いたような文芸落ちこぼれじゃないか、と思いもするが、文芸というのは落ちこぼれぐらいのほうが味が出るさ、とうそぶきながら現在に至っている。

文芸落ちこぼれの道を歩んできたせいか、私は正直言うと句会というのに今もなじめずにいる。
書くというのはとても個人的で密室的な行為だという思いから抜け切れないので、句会で成績がいいの悪いのという感覚はよくわからない。

そんなひねくれ者が長く藍生に置いていただき、さらには地元で俳句集団【itak】などという鵺(ヌエ)のような句会活動をしているのだから、世の中不思議なことばかり、俳句は不思議なことばかり。

その不思議な世界をもっともっと楽しみたいものだ。

           (「藍生」5月号より)



今日の音楽は、早川義夫さんの「桜」。
この時期、はずせない名曲だ。
’02年、Honziさんと梅津和時さんとの共演。
もうこの顔ぶれは二度と実現できない。

「ふたりのからだから歌がこぼれ出す…」

早川義夫 - 桜

月曜日 晴れ

IMG_20150426_114241[1]


すっかり暖かくなり、さすがの札幌にも春が来た。
いつもより一週間早い桜の開花。
いま、あちこちで満開となっている。

俳句集団【itak】第19回イベントは5月9日と近づいてきた。

ご案内のとおり、今回は【itak】3周年記念イベントとして、夏井いつきさんをお迎えして開催される。
松山の地から俳句の世界をゆさぶり続けているいつきさんが、北海道で俳句状況をなんとかゆさぶれないものかと3年前に旗揚げした【itak】に登場することにはどこか運命的なものを感じもしている。

すでに予約が100名を超えて会場のキャパを大幅超過してしまったため、現在キャンセル待ちならば受け付けている状態。
立ち見了解であればまだ若干名なら受けられると思うので、ご希望の方は事務局 itakhaiku@gmail.com に問い合わせください。

俳句集団【itak】第19回イベント

また、前回の第18回イベントで大変好評だった栗山麻衣さんの講演「震災と俳句」の抄録も【itak】公式サイトにアップされているのでぜひお読みいただきたい。

俳句集団【itak】第18回イベント抄録(『震災と俳句』講演 栗山麻衣)【紂

俳句集団【itak】第18回イベント抄録(『震災と俳句』講演 栗山麻衣)【隋



ハーモニカの巨匠トゥーツ・シールマンスの名演奏で、"Bluesette"。
大編成をバックにハーモニカひとつで勝負。すごいなぁ。
2009年のステージなので、なんとオントシ87歳の演奏!!
昨年、92歳で引退。ご存命です。

Toots Thielemans - Bluesette

火曜日 曇り

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嵩文彦(だけ・ふみひこ)さんから最新句集『ダリの釘』(未知谷)を頂戴した。
嵩さんは詩人・俳人で、1938年生まれ。
詩人として詩集8冊、詩画集3冊。
俳人としてこの句集が6冊目となる。

どこの結社にも俳句団体にも属していない。

北海道の詩人として高名であるが、今は俳句一本でやっているようだ。
その詩作品が前衛であったように、俳句のほうもやや難解な傾向はある。
このごろあまり見かけなくなってしまった前衛俳句を久しぶりに読ませてもらった、というのが率直な印象だ。

 新春の脳髄を打つダリの釘
 帆船の遺骸に処女地の火柱を
 それぞれの愛しき舌が脳を舐む
 燃え盛るピアノ夏野を欲しいまま
 稲妻は花充つ貴櫃にガラとゐる
             嵩文彦 『ダリの釘』より

俳句という17音の極端に短い詩形では、時にシュルレアリスム的あるいはダダ的な表現となる場合がある。
それは江戸期の俳句にも見られる一面で、俳句の特性のひとつだとぼくは思っている。
なにもヨーロッパ文学を並べてみる必要はないけれど、彼らが19世紀末になってようやく気づきはじめたことを芭蕉はもう17世紀にやっていた。
そう捉えると俳句はなんでもあり、なところがあって、シュールもダダも伝統も抒情も呑みこんでしまう。
そこに「座」も「孤」も入ってしまう。
それは連句の発句という俳句の出自を思えば当然の性質だろう。

もし俳句に弱点があるとすれば、それはこの懐の深さと「座」という土壌にあるのかもしれない。
それを弱点と言うと反発されるかもしれないが、実際そのことがかなり俳句の足を引っ張っているように感じている。
もちろん本来それが弱点ではないことをよく知ってはいる。
知っている上で、あえて言うのである。

特に「座」に多くの問題が潜んでいると思うのだ。
句会の多くが均質性を求める傾向に陥っているように見える。
非常に個性的な作品が登場すると、特にベテランを中心としてよってたかって詩形にまつわる指摘を繰り返し、その結果、最初は個性的であった句や作家が、しだいに見る影もなく平凡な、その他大勢俳人に変質してしまうのをこれまで何度も見てきた。
多数派、主流派が句会(結社)を支配し、彼らがグループ全体の色を決めてしまう。
本来多様な俳句が、多数派の選ぶスタイルにまとめられてゆく。
すると、前衛や伝統や抒情などの多様性が、作家個人にではなく、あたかも句会とか結社とかの「座」に帰属しているかのようになってしまう。
その状況が長く続くと、多様性や「座」という俳句の特性が、単なるセクトに堕ちてしまう。

嵩さんのような孤独な作家の句集を読むと、そのことを考えさせられるのだ。
氏は集団に入らず、ひとり自分の詩と格闘している。

こうした個(孤)が、「座」にあっても各人の中にしっかりと存在している状態が、ぼくから見れば理想なんだがなぁ…、と思うのだった。


 藤の花シャーレに胆砂殖えゐたる        嵩文彦




そんなことを考えていると無性にエリック・ドルフィーを聴きたくなった。

彼の演奏には、伝統的な「座」の中にあって、異次元にひとり飛翔してゆく姿がある。
それは怖ろしいほどの、孤独だ。


Eric Dolphy - A great solo on Take the A Train

月曜日 曇り

第19回itakフライヤーjpg


はい。タイトルのとおりです。

5月9日(土)に開催予定の俳句集団【itak】第19回イベントに、夏井いつきさんがいらっしゃいます。
ちゃっかり1部〜2部通しての企画をお願いしてしまったので、半日がマルマル夏井いつきプロデュースのような内容になっております。

詳しくは俳句集団【itak】の公式ブログを参照願います。

夏井いつきさんといえば「いつき組」の組長さんですが、もともとはぼくと同じ「藍生」の人。
俳句甲子園の仕掛け人でもあり、そちらでもお世話になっています。

そして近頃はあのMBS、TBS系のTVバラエティ「プレバト!!」で、「毒舌解説」とか「超辛口先生」とか話題騒然(?)、人気者として注目されているのはご存知のとおり。

そもそもいつきさんが狙っているものとは何か!
「100年俳句計画」とはいったい何だ?

それが5月9日、この札幌の地で明らかになるはず。


 糸瓜忌や百年生きるはかりごと       秀彦


この句はぼくの句ですが、まあ子規を思うとそういう感じが湧いてきますね。
俳句集団【itak】は、100年どころか5年後には北海道の俳句が消滅するという危機感の中で3年前に旗揚げしました。
「5年俳句計画」ぐらいしかなく、あるいは「計画」と呼べる思いも薄く、どうせ消滅するなら最後にジタバタしてみようという程度のノリで始まったぼくらのitakが思いがけず3年過ぎたこと(別名「三周年記念イベント」)に自分たちで驚きながら、今回「100年俳句計画」の主をお迎えします。

なんと愉快なことか!


当日の会場はいつもどおりの北海道文学館講堂のため、キャパが限られています。
すでに早くも満席状態になってしまいましたが、キャンセル待ちという方法もありますので、参加ご希望の方は下記にお問い合わせください。


問い合せ、参加申し込みは下記アドレスに。

itakhaiku@gmail.com


日曜日 曇り

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いつき組の「100年俳句計画」4月号に、第4回「大人のための句集を作ろう!コンテスト」最優秀作品の中町とおとさんの句集『さみしき獣』が付録となっているというので、さっそくマルコボ.コムに発注して入手。

中町とおとさん。’79年生。千葉在住。いつき組。

 目を閉ぢて銜へあふ匙星朧
 背を抱けば翼のなごり夏に入る
 証しなど無い ただ夏の果てで待て
 はたはたと流星騒ぐ道具箱
 星あかり集めて太る犀の角
 竜胆のぐらり傾げば死ねさうで
 共にゐてさみしき獣初しぐれ

             中町とおと『さみしき獣』より

いいねぇ〜。好みです。



嵩文彦さんの句集『ダリの釘』をいただいている。
内容の濃い句集。
やや謎めいて、これまた好みの句が並んでいるが、それは後日のブログで。



俳句集団【itak】第18回イベントの作品評の「やぶくすしハッシーが読む」第4回までブログにUPされている。

『やぶくすしハッシーが読む』 〜第18回の句会から〜 (その1)
『やぶくすしハッシーが読む』 〜第18回の句会から〜 (その2)
『やぶくすしハッシーが読む』 〜第18回の句会から〜 (その3)
『やぶくすしハッシーが読む』 〜第18回の句会から〜 (その4)


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ビョークの4年ぶりの新作「ヴァルニキュラ」を入手。

ちかごろCDを買うことも少なくなってしまったが、彼女の新譜はいつも買っている。
同時代性を感じられる音楽家がビョークぐらいしかいない気がするからだ。

「同時代性」という言い方は、正確ではないか。
過去でもなく、現在でもなく、ぼくらの世界の一歩先にいる存在という印象なのかもしれない。

ヨーロッパの歌手でありながら、アイスランドという辺境をあえて前面に押し出し主張する姿勢に魅力を感じている。
どちらかというと叙事詩的世界に傾くこれまでの作品と比較すると、今回の「ヴァルニキュラ」は、映像作家であり夫のマシュー・バーニーとの破局をテーマとしたパーソナルな内容で、全篇ピリピリとした緊張を孕んだ遅いテンポの曲が並ぶ。
いつもの前へ突き進むビョークではない。

「緩徐楽章」。
ふと、そんな言葉が浮かんだ。
この作品は、彼女の音楽人生の「緩徐楽章」となるのかもしれない。

先月からニューヨーク近代美術館で開催されている「ビョーク回顧展」に合わせてか、3月にニューヨークでヴァルニキュラ・ツアーが行われ、その様子がいま続々とyoutubeにUPされている。
その映像を見ると、編成がストリングス中心のとてもシンプルなものになっていて、まるで18年前の「ホモジェニック」に戻ったようなステージになっている。
ただ、編成が似ていてもその音はかなり違う。

内面に、内面に、ゆっくりとその傷を癒すように、繭のなかに籠るかのような、ヴァルニキュラの世界。
この傷心の作品としての、人生の緩徐楽章のつぎには何がやってくるのだろう。

期待はさらに先へとつながっているのだった。



Bjork - Stonemilker (Brooklyn,Ny) 3-22-15

金曜日 晴れ

うかうかしていると矢のように時間が過ぎてしまう。

俳句集団【itak】の第18回イベントは、今月の14(土)に無事終了。
参加者は60名を超えた。

第1部の講演は、道新記者で俳人(「銀化」同人)の栗山麻衣さんの「震災と俳句」。
これが俳句だけではなく、短歌、詩、小説から映像に至るまで、さまざまな表現に震災がどのような影響を与えたのか、その作品の特徴も整理しながら、分かりやすく語る内容で、とても勉強になった。
参加者にも大変好評であった。

4年前の震災は、そこで直接被災した人ばかりが当事者ではないのかもしれない。
講演を聴きながらそんなことも思った。
あれだけの広域での災害であれば、親戚や関係者が被災した人も多いだろう。
さらには、人災である原発事故は今なお放射線物質が流出していることで、日本中が程度の差こそあれ被害を受けている(見えないが間違いなくそれはある)。
そしてあれほど多くの命が失われた事実が、報道から伝えられる情報ということを超えて、ひとりひとりを刺し貫いたのではないだろうか。

そうであれば、被災者でないものがそれをモチーフとして創作することへの疑問も、そう単純なことではないだろうと思うのだった。

俳句集団【itak】公式ブログ「第18回イベントを終えて」


この講演については、北海道新聞の26日夕刊の道内文学時評欄にも書かせてもらった。

270326道新時評2jpg























さて、万年筆ネタでも書こう。

相変わらず金がないのに万年筆が欲しいという物欲は強く、その結果、中古万年筆で何かいいものが出ていないか暇さえあればチェックをしている。
で、先月のことだが、かなり珍しいものが出てきた。
若干高価ではあったが販売時の価格に比べると半額以下だったので、エイヤッと買った一本を紹介したい(見せびらかすとも言うw)

それは、セーラー・プロフィット・梨地・ロングモザイク・長刀エンペラーのBニブである。
えらく長い名前。
あえてこのペンに名前をつける必要はないというメーカー側の考えなのだろう。
確か受注生産で、あまり多くは作られなかった品だ。
大量生産するつもりはこれっぽっちも無かったから、名前はいいや、みたいなところだったのか。
プロフィットというのはセーラーの主軸のモデルの名前。
梨地というのは、つや消し仕上げであること。
ロングモザイクというのは全長が長い作りであり胴軸にギャザード仕上げのモザイク素材が使われているということ。
長刀エンペラーは、長原宣義さんの作った特殊ペン先の名前。
これらの要素をただ並べただけの製品名である。

ほぼ手作りのペンだ。
特にペン先は、この製品に関しては長原さんが自ら手がけていたはずである。
写真でもわかるように、外見はかなり独特。

書き味のほうは、これがなかなか凄い。
ニブは撓りのない固めのものだが、どの角度で書いてもまったくかすれの無いフローの良さ。
すっかり気に入って、毎日使っている。

このペンを買い求めた直後に、長原宣義さんが亡くなられた。
そんなことにも、なにかしら縁を感じているのである。


DSC_0126





















今夜の音楽。
なつかしの憂歌団。「パチンコ〜ランランブルース」。
ワン・アンド・オンリーの存在だと思う。

憂歌団 パチンコ〜ランランブルース

金曜日 曇り

ちかごろブログの更新頻度が少なくなって、たまに書くと俳句集団【itak】のイベント情報がメインになっている。

まあ、しかしそれも当然といえば当然で、特に固定した会員制度をとっていないitakにとって、広報活動はなにより重要なことだ。

ときどき「itakの会員は何人いますか?」と聴かれて戸惑うことがある。
正会員という考え方がないからだ。
幹事という役割のメンバーはいるが、彼らが会員であって他は違うというのでもない。

「一度でもitakに参加したら、その人は会員です。itak会員と名乗っていただいていっこうにかまわない」ということをいつも言っている。

事実そうなのである。
俳句集団【itak】は、組織ではない。運動だ。
運動は壁も垣根も持たず、明確な輪郭を持たず、いびつな物体がバランスを崩して動き出すように、俳句という荒野を風に吹かれて転がってゆくような存在だ。

あまりにきっちりと固まってしまった俳句の世界を、俳句集団【itak】という運動体が揺さぶっている。
組織が組織を揺さぶってしまったら喧嘩になるかもしれないが、こちとらは幸い組織ではない。
ぐにゃぐにゃとした運動体である。
ぐにゃぐにゃと、ごろごろと、転がっていく。
喧嘩になりようもない。

あれは何だ?とみんなが思う。
何だかわからないのだw
何ものでもないのだから分かるはずもない。

だけど、そこでは結社も同人誌も協会もないところで、あらゆる修飾を取り払った俳句だけが、相聞の句座を作っている。

また、句会だけではなく、さまざまな切り口での文化イベントも行われる。

組織ではないから、誰でも参加できる。


俳句集団【itak】の活動を、簡単に説明するのは、なかなか難しいかもしれない。
ネットの話しもしなけりゃならないし、この運動に参加した中から、既存の結社に入っていく人たちのことも、どこかで話しをしたいものだ。

でもまあ、百聞は一見にしかず。
一度itakのイベントに顔をだしてみるといい。
これまでの北海道での俳句のイベントとは全く異なる座がそこにはある。


明日、第18回イベントが下記の要領で開催される。
どなたでも参加できるので、何をしているのか様子を見に来るだけでもいいだろう。



俳句集団【itak】第18回イベント

日 時:平成27年3月14日(土)
    午後1時〜4時50分
場 所:北海道立文学館講堂
参加料:一般500円、高校生以下無料

第1部 講演会「震災と俳句」
    講演 栗山麻衣
    (北海道新聞社記者・俳人)

第2部 句会(当季雑詠2句出句)

問合せ: itakhaiku@gmail.com



講演者紹介



ぼくの大好きなアイスランドの歌手・ビョークの久しぶりの新譜 「Vulnicura」 がリリースされた。
国内版は4月に発売される。
前作「Biophilia」もついこの前出たと思っていたのに、もう4年も経っているとのこと。

新作がどんなものか調べてみると、これがなかなか面白いものになっている。
ビョーク自身が「傷心の作品」と呼んでいるように、これは伴侶であった映像作家マシュー・バーニーとの破局をテーマとした作品らしい。
ビョークらしくない、非常にプライベートな動機だが、しかしそこは凡百の音楽家とは違う。
おそらくビョークにはこの後10年の展望があるのではないか、という思いを抱く。

ストリングスの編成を中心にソロで唄った「ホモジェニック」。
その後、大規模オーケストラと合唱を導入した「ヴェスパタイン」、ブラスバンドと合唱の「ヴォルタ」、ボイスの「メデュラ」、やはり合唱を多用した「バイオフィリア」と拡大や変化を求めてきた構成を、今回、ストリングス中心で合唱抜きのソロ中心の内容にしてきた。
これは「ホモジェニック」以来のことだ。
そしてアルバムのリリースにほぼ時を同じくして、ニューヨーク近代美術館(MoMA)での「ビョーク回顧展」である。

作家というものは60歳になってようやく納得できる作品ができるものだとアイスランドでは言われている、自分も60歳までは予行練習と考えている、というようなことを彼女は以前インタヴューで発言していた。
その彼女も今年50歳になる。
60歳まであと10年となった。

今回の 「Vulnicura」 は、その10年の第1歩なのではないか。
そんな気がするのだ。



bjork: lionsong

日曜日 曇り


道新20150226

(クリックすると拡大します)

26日の北海道新聞夕刊に「道内文学時評(俳句)」を書いた。
角川の『俳句年鑑2015年版』に載っていた小川軽舟さん「俳句のユーモア」を読んで考えたことや、最近の道内俳誌から選んだ諧謔の濃い句をとりあげてみた。

ユーモアを感じさせる句というのは、探してみる意外と少ないものだ。
そう言ってもぼくもあんまり作らない。
嫌いではないのだが…。



3月になった。
奇数月だ。
奇数月といえば、俳句集団【itak】イベントだ!

ということで、今月14日は第18回イベントです。
公式ブログを参照ください。

第18回俳句集団【itak】イベントのご案内

第18回イベント 講演者紹介

初めて参加の方へ。
次のメールアドレスに事前に申し込みをしていただけると助かります。

俳句集団【itak】事務局アドレス
itakhaiku@gmail.com

また、当日ブラリと参加、というのも可能です(ただし懇親会参加の場合は必ず事前予約をお願いします)。



「藍生」3月号と、「雪華」3・4月号が届く。
「雪華」が遅刊でもないのに、どうして合併号になったのか。
主宰が高齢になってくれば、いろいろと思うようにいかないことが出てくるのだろう。


    「藍生」3月号 主宰詠より
 誰も拾はぬ櫻貝煌煌と          黒田杏子
 観潮船どつと傾く鈴の音         黒田杏子

    「藍生」3月号「藍生集」掲載拙句より
 風花や半音低き声の人         秀彦
 言訳の冬の林檎を等分に        秀彦


    「雪華」3・4月号 主宰詠より
 福笑ひ寂しきことのありとても      深谷雄大
 鏡中に舞の始めの目鼻描く       深谷雄大

    「雪華」3・4月号「雪月花」掲載拙句より
 膝抱けば背に白日の冬鷗        秀彦
 寒林に戻る鴉や三菩提          秀彦

    「雪華」3・4月号「雪華集」掲載拙句より
 外は雪降る泣き顔の妻がゐる     秀彦
 骨牌のひとり遊びや雪の声       秀彦




なんだか風邪をひいてしまって元気がないけど、なつかしい拓郎の(モップスの)「たどりついたらいつも雨ふり」を山崎ハコのカバーで聴こう。

・・・。

血管キレそう ・・・w


山崎ハコ 「たどりついたらいつも雨ふり」


  

木曜日 曇り

第18回フライヤー


早くも2月中旬になってしまった。
そろそろ来月の俳句集団【itak】第18回イベントの宣伝を始めよう。


俳句集団【itak】第18回イベント

日 時:平成27年3月14日(土)
    午後1時〜4時50分
場 所:北海道立文学館講堂
参加料:一般500円、高校生以下無料

第1部 講演会「震災と俳句」
    講演 栗山麻衣
    (北海道新聞社記者・俳人)

第2部 句会(当季雑詠2句出句)

問合せ: itakhaiku@gmail.com


講演「震災と俳句」については上のフライヤーを参照してほしい。
あの大震災が俳句と俳人に何を突き付け、どのような影響を与えたのか。
震災から4年がたった今、あらためて考える機会としたい。




ネットラジオでジャズを聴く。あるいはyoutubeで視聴する。
それで終わり、ということが多くなった。

ジャズを聴くこと自体、若い頃と比べれば極端に少なくなっている。
あんなに夢中に聴いていたのに…。
あの時代(70年代)、まだCDは出ていなかった。LPばかり買い漁っていたものだ。
と言っても金は持ってなかったので、いつも中古LPばかり。
しかし、ジャズの場合は中古レコード屋の方が勉強になったものだ。

欲しいレコードがあって買いに行くなんてことは百にひとつもなく、だいたいは中古レコード屋の、通称エサ箱と呼ばれるレコードがぎっしり詰め込まれた箱に顔を突っ込み片っ端からジャケを見て、良さそうなものを引っ張り出す。
ジャズ喫茶で聴いたことのあるものもあれば、全く内容の分からないものもあったが、毎日のようにレコード屋にかよっているうちにカンのようなものが身に付き、そのうちハズレの無い選択ができるようになったものだ。
リーダーの名前を知らなくともサイドのミュージシャンや、レーベル、録音時期、はてはプロデューサや録音技師の名前から内容を予測できるようになった。

まあそこまで「情報戦」をしなくとも、50年代のブルーノートやプレスティッジ、リバーサイドなどは全て買えば良いので、そのあたりを中心に据えると、その前後もアタリはつくというものだった。
ハードバップばかりではなく、その前のビバップや更に古いトラディショナル、あるいは下ってファンキー、新主流派、フリーまで何でも差別なく聴きまくっていた。

その経験はその後で意外なところに現れることになる。
つまり、スタイルにこだわる愚ということに気づいてしまった。
かつてジャズならどんな時代のどんなスタイルのものも楽しんだのと同様、俳句に関しても、伝統的なものから、自由律も前衛も無季も、なんでも良いと思えばスタイルにこだわらずに楽しめるのである。
意味的に全く理解不能なものも楽しむことができる。
だって、コルトレーンの末期やセシル・テイラーやアンソニー・ブラクストンが楽しめたのだから、高柳重信がわからん、なんてことは毛ほども思わない。

音楽も美術も文芸も、わかるわからないではない。
感じるものがあるかどうかでしかない。
自由に作り、自由に鑑賞すればよい。
それをぼくはジャズに教えてもらった。

ふと、植草甚一さんのことを思い出した。
面白いか、つまらないか、それしかない人だった。
興味のおもむくままにどんどん手を広げてゆく植草さんは、いつも若々しく輝いて見えた。

さて、今夜はそんな流れでジャズでも聴いてから寝よう。

Art Blakey & Jazz Messengers "The Summit"。
アート・ブレイキー初来日(1961年)のときの映像だ。

この曲はウェイン・ショーターの作ったものなので、当時流行っていたファンキー・ジャズとはかなり違う雰囲気を出しているのがこれを聴いていてわかる。つまり「新しい」のである。
なんてうらやましいことだろう。
この時代、芸術分野には革命が満ちていて、新しい創造的表現が鑑賞者の成長よりもはるかに速く変化しながら次々と登場していた。
ものすごいことに出会える時代だったんじゃないか。

この日、アート・ブレイキーのファンキー・ジャズを聴きに来た当時の日本のジャズ・ファンたちは、そこで思いもよらぬ「新しい音」を聴いてしまったのである。
時代は既にコルトレーンを先頭にして変革に突き進む道に入ろうとしていた。
ウェイン・ショーターの音はその新しい時代の音だった。

そうしたことは後年になって振り返ったとき初めてわかることであり、当時はただ「新しい音」への戸惑いがあるだけだっただろう。
そのことが、現代から見ればとてもうらやましいのだ。
焼き直しの貧弱な表現ばかりが横行している今の時代からの、これは、嫉妬である。

Art Blakey & The Jazz Messengers - The Summit



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