無門日記

ことばで/一羽の鴎を/撃ち落すことができるか    寺山修司

木曜日 曇り

ぼくの所属する結社「雪華」の主宰が交替した。
創刊主宰の深谷雄大先生から、橋本喜夫さんに継承されたのである。
そのことは6・7月合併号で発表され、8月号からもう橋本新主宰の選となっている。
自分が所属している結社の主宰が変わるというのは初めての経験で、なんとなく妙な気分、というかどこかしら新鮮な気分にもなっている。

橋本喜夫さんは知っている人も多いと思うが、ぼくとは親友の関係。
これまでいろいろなことを一緒にやってきた仲間だ。
そしてぼくも橋本さんも「雪華」では若手と言われるほど、結社の高齢化は進んでいた。
ここで主宰交替という時期が来て、深谷雄大先生と比べるとずっと若い世代に属する橋本さんにバトンが渡されたのはとてもすばらしいことだ。
雄大先生の英断であろう。

来年からは結社誌の体裁も大きく変わるようだし、新しい「雪華」に期待するだけではなく、ここを変革の目にするつもりでぼくもがんばってみようと思っている。

結社とぼくとの関係はそういうことで何も問題ないのだが、ふと気になるのは、深谷雄大先生との間にあった師と弟子という関係の変化だ。
変化というより、師弟というものは雄大先生が主宰を降りたとしても、ぼくの方から変えるつもりは全くない。
やはりぼくにとって、師と呼べる俳人は、深谷雄大と黒田杏子の二人である。
このふたりに代わる師を持つつもりはまったくない。
もしふたりがぼくより先に世を去ったとしたなら、それはぼくが師を持たない日を送るということを意味する。ふたり以外に新しい師を探すことは今後ありえないということだ。

ときどき結社を頻繁に変えて、その都度そこの主宰を師としている人を見かけるが、それはその人の勝手であると思いながら、ぼくはそうはしない。
なぜって、それがぼくには自然だし、その程度の覚悟は持っているから。


      「雪華」9月号 深谷雄大先生句より
 師の旅を追ふ炎天の行き止り       深谷雄大
 ひとときを雄滝の下に立ちてをり     深谷雄大

     「雪華」9月号 「雪月花」掲載拙句より
 胎内の夕日のはたて実はまなす     秀彦
 くちなはのにほひ残せし山の雨      秀彦

     「雪華」9月号「雪華集」掲載拙句より
 花萱草岬に向かふ遺族たち        秀彦
 石楠花や癒えざる傷を持ち歩く      秀彦



「藍生」9月号も届いている。
今月は福島大会の特集。ほかにも読み物が多く、結社誌としてはかなり分厚いなぁ。

    「藍生」9月号 主宰詠より
 滑空の鴉おほむらさき咥へ        黒田杏子
 すつぴんの夏井組長冷し酒        黒田杏子

    「藍生」9月号 掲載拙句より
 肩薄き少女は突けり心太         秀彦
 余花の蝶半端な死者を追ひにけり    秀彦

 

9月9日の俳句集団【itak】のイベント案内。
さてさて今週の土曜日は、早くも俳句集団【itak】の第27回イベントですゾ!

今回の第1部企画は、某有名予備校教師で俳人の松王かをりさんによる俳句のための文語文法講座。
これは俳人的にはツボでしょ!

平成28年9月10日(土)13:00〜17:00
北海道立文学館 地下講堂

参加料:500円
いつものように第2部は句会をやりますから、参加時に2句出句してください。(見学も可なので受付時にお伝えください)
どなたでも参加できます。
散歩の途中にふらっと参加でも全然かまいません。

お待ちしております。

280908itak第27回フライヤー




オーストラリアのオペラ歌手で、キリテ・カナワさんという人がいる。今年72歳。
え〜、そんなにトシだったっけ? 
若い人、と思っているうちに月日は容赦なく流れていたということだろう。
クラシックばかりではなくジャズのアルバムも出している多才な人だ。
彼女の歌から、名曲「いそしぎ」(The shadow of your smile)を聴こう。

Kiri Te Kanawa: "The shadow of your smile"

日曜日 晴れ

お盆の前に書斎(と言っても実に間狭な空間だが)の大整理をした。
整理といってももう捨てる以外に選択肢がない状態だったので、三つある壁を埋めている書棚と書物の壁ひとつ分だけでも完全に捨ててしまおうと決意し、ただただ腰が痛くなるのをがまんしながら単純労働にてホントに書棚ごと本を捨て、これまで隠れていた壁のうちひとつ分が床から天井まですっかり何もなくなった。
20年以上見たことのなかった壁が白々とあらわれて、ちょっと感動し、風邪をひくようにも感じた。

空いたところに前から考えていたオーディオセットを入れるというプランを実行。
本来は書斎にあるべきだったが、とにかくそのスペースがなかったため、居間に置いてあったものだ。
居間にはこれまで2つのオーディオが置かれていた。
と言ってもぼくはマニアではないので高級なものではないし、特に意味があって2種類あったわけでもなく、いろいろ事情があり、アナログ用のセットとデジタル用のセットの2組を置くような事態になっていた。

空いたとはいえ所詮狭い空間なので、サイズが小さいデジタル用のセットを書斎に移す。
ま、つまりCDしか聴けないやつということだ。
それと、親の家を片付ていたときに、父のオーディオセットのうちスピーカーだけを持ってきてあったので、遺品のスピーカーというのも悪くないアイデアかとそれをつないだ。

なんとなく恰好がついた。

元来アナログ派ではあるが、LPしか聴かないというほどに頑固ではないので、CDもそれなりにある。
書斎で音楽が聴けるようになったことから、このところ急にジャズ熱がプチ再燃することとなった。

そんな日々の中で、突然のルディ・ヴァン・ゲルダーの訃報である。
興味のない人には、誰それ? であろうが、50年代60年代のジャズを好んで聴いている人たちにとってその名は神格化されている。
だがその人物はミュージシャンではない。
一介の録音技師である。
しかしジャケット裏のライナーノーツを読む人たちにとって、その名はいやでも目についた。
ハードバップ時代の名盤と呼ばれるレコードのどれもこれも彼の録音だったのである。
だからジャズ・ファンにとってはごく有名な人物だった。

神格化されるほどの名物録音技師が死んだ。
50年前に活躍していた人だから年齢的には死んでもおかしくないのであるが、しかし、あの時代がとうとう本当に実在しない過去になってしまったようにも感じて、そういう感慨があったのである。

別にことさら追悼しようと思わなくとも、棚のCDを適当に引っ張り出して掛けてみれば大半は彼の録音だ。
ブルーノートやプレスティッジのような往年のジャズ・レーベルであれば、彼以外の録音技師の名前を探す方が難しいぐらいだ。

彼がモノラル時代から独特の録音をしていてくれたため、ぼくらはステレオ録音やデジタル録音が必ずしも優れていないということを知っている。
ゲルダーに教えてもらったと言ってもいいだろう。
楽器の音を正確に再生するだけでは演奏の生々しさというのを再現できるわけではない。
人の耳はそれほど正確じゃないからね。
写真で撮った風景が実際に見たものと違うように感じるのと同じことだ。

聴覚というのは自分の聴きたい部分を誇張して聴いているわけだ。
ゲルダーの録音にはそういう誇張があった。
それは彼が素人上がりだったからこそだろう。
ジャズが好きというのが高じて自分の好きな音で録りたいという動機で技師になってしまった。
ゲルダーサウンドというものが出来た。
アドリブに入ったとたんその演奏者の音がぐっと大きくなり前にせり出してくるような録音なのである。
ステレオもなにもあったもんじゃない。
アドリブしているヤツがど真ん中で大見得きっているのだ。
そんな歪んだ録音が、しかし人の聴覚にはステレオ録音やデジタル録音より生々しく聴こえるわけだ。

ああ、ルディ・ヴァン・ゲルダー。彼がいなければジャズの黄金期は生まれていなかったのかもしれない。

じゃこれ聴いて今夜はおしまいにしよう。
アート・ブレイキーのブルーノート版で「バードランドの夜」。
これはすごい。ピアノがホレス・シルバーで、トランペットはあのクリフォード・ブラウンなのだから、たまらんなぁ。

Art Blakey Quintet - Quicksilver (from "A night at birdland")

金曜日 晴れ


image


明日23日(土)の文学フリマ札幌にぼくも参加します。

「第一回 文学フリマ札幌」
7月23日(土)11:00〜16:00
場所〜さっぽろテレビ塔2階
入場無料


itak のブースで句集「無量」を地味に売ります。
鈴木牛後さんも下川町から句集を売りにやってきますよ!
ナマ牛後をお楽しみに〜。
瀬戸優理子さんも句集「恋のキセキ」を手売りしますよ。

いろんなジャンルのブースが出ているようですので、遊びに来て下さい。

田島ハルがイラストを描いた「北海道の法則デラックス」(サイン本)も売りますので、上の色紙を目印にitak ブースへ!

まったりとお待ちしておりますm(__)m

木曜日 晴れ

その後の続報。

俳句甲子園は前回報告のとおり小樽潮陵高が地方大会で優勝し松山本選進出を決めましたが、惜敗した旭川東高Aチームがその後、投句審査枠の難関を突破し北海道2校目の本選進出を決めてくれた。
これはすごいこと。
とうとう北海道から2校、松山に行く時代が来ました!
彼らのがんばりにエールを送りたい。

俳句甲子園ばかりが高校生俳句の場ではない。
先日札幌の隣町の石狩市でNHKの「俳句王国が行く!」の公開収録があった。
見物に行ったのだが、壇上のメンバーの中に石狩南高の逵(つじ)君がいるではないか!
彼とはこれまで何度か句会で一緒になっている。
いい表情で、大人たちと俳句を語っていた。
そして当日の観衆の句の中からこの日の主宰の坊城俊樹さんが佳句を選句したのだが、その中に琴似工業高校の海斗君の句もみごとに入選していた。

なんだかうれしくてならない。
いいなぁ! 十代!


さて今週の土曜日は早くもitakの第26回イベントだ。

日時 平成28年7月9日(土) 午後1時〜午後4時50分ごろ
場所 北海道立文学館 講堂
参加料 500円
投句 2句(当季雑詠)
第1部 トークショー「男の恋句 女の恋句」
    出演 高畠葉子、橋本喜夫、瀬戸優理子
第2部 句会


詳しくはitakの公式ブログ参照のこと。



ジョニ・ミッチェルの「サークルゲーム」をしみじみ聴いてみる。
この歌は映画「いちご白書」の主題歌として有名で、バフィー・セントメリーの細かなビブラートの効いた歌声が印象深いけど、オリジナルのこちらももちろんいい。
季節は回転木馬のように回ってゆく。少年はいつか二十歳になって…。
という歌詞を十代のころ辞書片手に訳したことを思い出す。
その少年も二十歳どころか還暦になってしまった。
それでも季節は回転木馬のようにアップダウンしながら回ってゆく。


Joni Mitchell - The Circle Game

IMG_20160614_171650


この写真は昨日の夕方の雨上がり。
今日の札幌はとてもいい天気で、暑いというより爽やかな一日だった。(と言っても日中はオフィスに籠の鳥だが…)

週末は俳句甲子園の地区大会(土曜に勝手に前夜祭で日曜が大会)で、珍しくがんばる。
基本的にがんばらない人間なので、やはり疲れたのだけれど、今年は夏井いつきご夫妻も前夜からお付き合いいただき、楽しいひとときを持てた。

地区大会の結果は主催者による正式発表はまだながら、北海道新聞が取材記事を掲載してくれたのでもう周知のこととなっている。
北海道の高校が参加するようになって以来本選に連続出場し昨年は本選準優勝と実績のある旭川東高校が新興の小樽潮陵高校に破れるという大波乱があった。
琴似工業高校も善戦し、3校拮抗する息詰まるような地区大会だった。

この地区大会は、審査員も含め、裏方でも俳句集団【itak】が全面的に協力したので、近日中にitak 公式ブログに大会の様子がアップされる予定だ。

旭川東高校は実力的にはかなり高かったため、本選出場を逃したのは惜しい。
しかし、ここで小樽潮陵が代わりに出場権を得たのは、北海道の高校生俳人たちにとって喜ばしい状況が生まれたとも言えるだろう。
旭川東高校には作品選考による可能性もまだあるので、なんとか粘り腰を見せてほしい。

思えば、「手伝ってほしいんだが」、という依頼に軽い気持ちで審査員を受けてしまって、その後ここまで深みにはまるとは思っていなかった。
それから10年以上たち、気づけば北海道という地での俳句の種蒔きがライフワークのような状況になっているのは不思議な感じだ。

ほかの生き方もあったようにも思う。
だが歩き始めた道はまだずっと先まで続いているようなので、がんばらないけど、しぶとく歩んでいきたい。



今夜の音楽は、ビョークの最新映像から "stonemilker"。
画面が360度動かせるという凝った動画になっている。(PCのみか?)
彼女のやることはいつも新しい。
ついていくのが大変…。


bjork: stonemilker

水曜日 曇り、ときどき雨

280601itak第26回フライヤjpeg



俳句集団【itak】第26回イベントは7月9日(土)。
詳細はitakの公式ブログを参照してください。

次回の第1部企画は、久しぶりのトークショーとなっている。
高畠葉子プロデュース企画で、彼女が司会をし、出演は実力派俳人・橋本喜夫、短歌界のスター・山田航、昨年現代俳句新人賞を受賞した新鋭・瀬戸優理子が、俳句における男の恋・女の恋を縦横に語り合うという興味深い内容になっている。
男2人、女2人、このヒトクセもフタクセもあるメンツが、いったい何を語るのか。
そもそも恋を語れるのか橋本喜夫!(爆) とか、見どころ満載!
楽しみなところだ。
 
なんと言っても俳句集団【itak】でのみ実現可能な顔ぶれはすごい。ユニークなトークショーとなること間違いなし。
この機会をお聴き逃しのないように。
7月9日は道立文学館へ行きましょう。



ぼくの次女で、漫画家の田島ハルの新刊本がいま書店に出ています。
北海道の法則研究委員会+田島ハル『北海道の法則デラックス』(リンダパブリッシャーズ/泰文堂)


全国の書店で販売されていますので、なにとぞ〜〜〜よろしくお願いいたします!



今夜の音楽は、ジャズ・ピアニストのマル・ウォルドロンによるサティの曲の演奏。
ま、サティとは言っても独自の解釈とかいうようなものでもなく、通常のジャズのパターンでテーマの部分をサティのメロディでやって、アドリブパートはモロにジャズという構成。
それはそれで楽しめて悪くない。

al Waldron Plays Erik Satie - Desespoir Agreable

火曜日 曇り、のち雨

明日はもう6月。行事が集中する月だ。
ぼくの関係だけでも、北海道俳句協会総会、北海道現代俳句大会、俳句甲子園札幌大会、これが6月にある。

以下に、参考として掲載しておくので、都合のつく方はのぞいてみてほしい。
どれも参加するだけなら無料である。

1、北海道俳句協会総会
 6月5日(日)13:00〜17:30(講演会は15時頃から始まります)
 会場 すみれホテル  札幌市中央区北1条西2丁目
 主催 北海道俳句協会
 記念講演 「 俳句の言葉 」
   佛教大学教授・京都教育大学名誉教授
   俳誌「船団」代表 坪内稔典 氏

2、北海道現代俳句大会
 6月12日(日) 14時から
 主管 南北海道現代俳句協会
 会場 五島軒 函館市末広町4−5
 講演 現代俳句協会副会長 鳴戸奈菜氏 演題「言葉と俳句」


3、俳句甲子園札幌大会
 6月12日(日) 受付開始   午前10時
        大会開催時間 午前10時半〜午後16時
 場 所  札幌市東区民センター
 参加校
 琴似工業高校・旭川東高校(A,B)・小樽潮陵高校




2と3が日程かぶってしまって、困る・・・。




「藍生」6月号が来た。

   「藍生」6月号 主宰詠より
 残花一幹雲上に啼く雲雀     黒田杏子
 チェ・ゲバラ読了新茶とどきけり   黒田杏子

   「藍生」6月号「藍生集」掲載拙句より
 千夜百夜淡雪にいま指を立て    秀彦
 仏壇に失語の春を父と母と     秀彦


先月の「藍生」5月号と、「雪華」5月号についても抜粋を載せておく。

   「藍生」5月号 主宰詠より
 櫻貝時宗の寺の小机に      黒田杏子
 花の世の花の夜なり二人なり    黒田杏子

   「藍生」5月号「藍生」集掲載拙句より
 五体貧しく雪の暗渠となりぬ    秀彦
 冬の日のつまさき並ぶ靴屋かな  秀彦


   「雪華」5月号 主宰詠より
 寒明けの光陰父の歳を越す    深谷雄大
 ゆるやかな風の春雪妻と受く    深谷雄大

   「雪華」5月号「雪月花」掲載拙句より
 あたたかき雪塊を積む空を積む  秀彦
 輪郭の失せし親子や寒日和    秀彦

   「雪華」5月号「雪華集」掲載拙句より
 雪の華一字一字を闇とする    秀彦
 雪椿この世の顔を寄りそはせ   秀彦



空き家となった親の家に、ときどき出かけて遺品の整理をしている。
これがなかなか大変なことでさっぱり進まない。

もう大切なものだけ取り分けてあとは業者に頼んで一括廃棄してもらうしかないと思うようになった。
そう決めたからといって、作業が進むかというとそんなことはなく、ガラクタの山の中から出てくるものにいちいちひっかかってはムダに時間がすぎてしまう。
先日はブライヤー・パイプ(喫煙用のパイプのこと)が数十本出てきたのだが、これはいったいどうしよう。
もう禁煙してしまったので無用の長物。
しかし、以前の値打ちはぼくも知っていて、ただゴミとして捨てるのはもったいない。
こういうのはみんなどうしているのだろう。

本も書庫に溢れるほどある。これはもうブックオフに叩きうるしかない。
次にカメラだ。全部フィルムカメラ。交換レンズがかなりの本数あるので、それはひょっとしたら売れるのか。

彫刻刀もいろんなサイズや形態のものが数十本ある。

で、こんなものもあった。

KIMG0395




















ああ、メンドクサイ。で、なんとなく右のものを左にうつし、左のものを右に積み替え、なにも前進できずに終わるということを、何度か繰り返しているのだ。

ところで、書庫の中に「スターリン全集」を見つけた。
いまやゴミほどの価値もないだろうが、時代を感じるのであった。


今夜の音楽は、チック・コリア、リターン・トゥ・フォーエバーの「サムタイム・アゴー」。
これはね、当時あまり好きではなかった。
商業主義がプンプンしていてイヤだと思っていた。
でも久しぶりに聴くと、これが案外いい。
特にフローラ・プリムのなんの芸もないストレートな歌声が気持ちいいのである。

Chick Corea, Airto Moreira & Flora Purim - Sometime Ago

日曜日 快晴

20160508175324


ようやく札幌にも春らしい青空が広がった。
夕方、天神山緑地に桜と梅を見に行ってきた。遅咲きの桜がまだかなり楽しめた。



先月の北海道新聞の道内文学時評で、3月に亡くなった木村敏男さんのことを書かせてもらったので、以下に転載しておく。

====================================================
「『肉体が選んだことば』紡ぐ〜道内句会の重鎮・木村敏男さん死去〜

3月9日、木村敏男さんが亡くなった。
北海道の俳句界にとって重鎮とも呼ぶべき作家の突然の訃報であった。
結社「にれ」主宰、「にれ」終刊後は「蒼花」名誉主宰、北海道俳句協会会長など俳句団体の要職を歴任、北海道新聞文学賞、鮫島賞などの受賞歴、木村さんの功績を挙げれば切りがない。ここではそうしたことは別として、俳人としての木村敏男その人の作句姿勢について振り返りたい。

氏は「にれ」創刊の際、「風土への挨拶」ということを提唱した。
俳句と風土をつなげて語ることは特に珍しくはない。
しかし木村さんの言う「風土への挨拶」には、より根源的な意味があるように思える。
昭和53年、北海道新聞社から出版された『北海道俳句史』という労作があり、その序文に氏は次のようなことを書いている。
北海道の俳句という文芸は「厳しい風土に晒され、また純化され、更に、新しさを加えつつ織りなされてきた現象でもある」とし、その反面、「素材そのものを風土性と誤って受けとり易いという、素朴な庶民性がもたらす認識のひずみ」について指摘した上で、俳句と風土との関係は「長い時間をかけて、そこに棲む人間のすみずみにまで生きつづける、肉体が選んだことばとしてはじめて現前する」のだと言う。
「風土への挨拶」という言葉の背景にはこうした思索があることを忘れてはならない。
木村敏男俳句には単純な風土賛歌や産土郷愁、表面的な自然詠などを乗り越えた世界がある。
その作品における「風土」はまさに「肉体が選んだことば」そのものなのである。

 転身のわが鯖雲の急ぐなり

昭和42年、44歳のときの句だ。道庁職員であった氏は、この年に帯広から札幌へ異動となり、翌年には北海道新聞文学賞を受賞し文芸活動を大きく飛躍させていくことになるのだが、そんな人生の節目に立つ若々しい気負いと不安がこの句から伝わってくる。

木村さんが作句を始めたのは昭和25年、27歳のときであった。
その後66年という歳月を俳句への熱い姿勢で走り続けた。

私の手もとには最後の句集となった第7句集『今生』がある。

 満天星の炎尽してわかれけり
 生れし日も逝くときもまた雪しんしん
 春はやて生涯の帆は全開で

「遠い遠い彼方へ向かって孕んだまま去って行く白い帆。たぶん私は、その最後の白い影を見届けることは出来ないだろう。しかし私はそれを見続けるのだ。」(『今生』著者帯文より)

俳人・木村敏男。93歳の大往生であった。

====================================================


さて、5月。
今月は大相撲・・・じゃなかった俳句集団【itak】の第25回イベントがあるぞ!

俳句集団【itak】第25回イベント

◆日時:平成28年5月14日(土)13時00分〜16時50分

◆場所:「北海道立文学館」 講堂
札幌市中央区中島公園1番4号
TEL:011−511−7655

■プログラム■
 第一部 講演会 『めくるめくアオサギの世界』
       講 演  北海道アオサギ研究会代表 松長克利

 第二部 句会(当季雑詠2句出句)

 <参加料>
 一   般  500円
高校生以下  無  料
(但し引率の大人の方は500円を頂きます)



詳しくは公式ブログを参照ください。


講演の概要もブログを参照のこと。


アオサギの専門家の講演。俳人必聴ですぞ!!



今夜の音楽は、スペインのガールズ・ジャズなどを。
ヴォーカルとトロンボーンが Rita Payes 、トランペットは Andrea Motis 。
イロモノ以上に聴きごたえがある。

SO DANCO SAMBA... RITA PAYES JOAN CHAMORRO SCOTT ROBINSON ANDREA MOTIS I. TERRAZA J. TRAVER

月曜日 曇り、ときどき雪

木村敏男さんが先月9日に亡くなった。
そのことをぼくも含めてみんなが知ったのは22日のことだった。

かつての「にれ」の主宰で、亡くなるまで「蒼花」の名誉主宰。
元北海道俳句協会会長で、中北海道現代俳句協会顧問。
北海道新聞文学賞、鮫島賞、北海道文化奨励賞、北海道文化賞など、数々の賞を受賞されている北海道屈指の大物俳人だっただけに、2週間近くその死を誰も気づいていなかったことに驚きを感じた。
敏男さんは寺田京子さんとも親交があり、若い頃には細谷源二の薫陶も受けた俳人だった。
享年93歳。

木村敏男さんについて書く機会があれば、何をそこに書こうか。
そんなことを考えている。

 満天星の炎尽してわかれけり     木村敏男



4月もあっという間に中旬に入ってしまった。
来月も俳句集団【itak】のイベントをやる。
第25回イベント。
第1部講演は北海道アオサギ研究会代表 松長克利さんの『めくるめくアオサギの世界』

◆日時:平成28年5月14日(土)13時00分〜16時50分
◆場所:「北海道立文学館」 講堂
札幌市中央区中島公園1番4号
TEL:011−511−7655

■プログラム■
 第一部 講演会 『めくるめくアオサギの世界』
       講 演  北海道アオサギ研究会代表 松長克利

 第二部 句会(当季雑詠2句出句)

 <参加料>
 一   般  500円
高校生以下  無  料
(但し引率の大人の方は500円を頂きます)



スマホにマッコイ・タイナーの「ソング・フォー・マイ・レディ」が入っていて、それをひさしぶりに今日仕事帰りの地下鉄の中で聴いた。
特に「夜は千の眼を持っている」は、大好きな演奏だ。
若々しい生気に満ちたピアノがいきなり勢いよく始まり終始前のめりに続く。
力強いピアノ・トリオだなぁと聴いていると後半になっていきなりソニー・フォーチュンのアルト・サックスが切り込むように登場するところは、最初に聴いた時からもう40年も経っているというのに今も感動してしまう。
あのころ、この演奏を聴いて、「底辺から世界は変えられる」とか、「真の前衛とは何か」とか、ひどく青臭いことを考えていたものだ。

ぼくの青春の一曲。

McCoy Tyner - The Night Has A Thousand Eyes

土曜日 曇り

明日は中北海道現代俳句大会です!

第25回 中北海道現代俳句大会
平成28年4月3日(日) 午後1時から
会場 札幌サンプラザ (北区北24条西5丁目)
講演 久才秀樹氏 (北海道新聞文化部記者、俳句集団【itak】幹事)
演題 「横山大観展と足立美術館」


大会目玉となる講演はわがitak幹事のQちゃんの登場です。
本日4月2日から5月15日まで、道立近代美術館にて道新等の主催で「足立美術館所蔵 横山大観展」が開催されます。
道新文化部の担当記者である久才秀樹さんの講演というのは実にベスト・タイミング。
今回の講演を聴いてから観に行けば二度美味しいという企画であります。

現代俳句協会の会員でなくとも参加できますし、講演だけなら無料、予約も必要ありません。
この機会にぜひ中北海道現代俳句大会にいらしてください!!


KIMG0162


KIMG0160


佐藤文香さんの『俳句を遊べ!』(小学館)が今話題になっている。
実に驚いたことに、この本の中に俳句集団【itak】のことが書かれていた。
文香さんにそのことを教えてもらったので今日あわててジュンク堂に走り、購入。

え〜と、どこに載っているかというと、P250の「今から俳句を始める人のために」の中。

《東京では現代俳句協会青年部の勉強会、北海道なら俳句集団itak(イタック)の勉強会に顔を出してみるとよいですよ。このあたりで気さくな人に近づいて、その人が参加している句会にまぜてもらいましょう》

いや〜、ありがたい、と同時に俳句の種まきをするというitakの趣旨もきっちり理解して紹介してくれていることがうれしい。
この本は、俳句に興味のある若い人向けの内容なので、北海道の若者たちがこれを読んでくれることに期待したい。
佐藤文香さん、ありがとうございました!



3月29日の北海道新聞夕刊に「道内文学時評(俳句)」を書いたので、その内容を転載する。

=====================================================
「むずかしい日常詠〜平易でも凡庸許されず」

俳句とひとことで言ってもそれはさまざまな顔を持つ。
日常をモチーフとした生活詩という面も俳句では重要だ。日常のささいな事物も俳人の目をとおして描かれることで秀句となりうることは、過去の多くの名句が証明している。

ところがこの日常詠というものほどむずかしいものもない。
モチーフが日常の平凡な事物であることは何の問題もないが、文芸である限り言葉や文字の力を発揮させ、作者その人でなければ作れない一句にしなければならない。
見えたままのことを、ただ説明するだけでは俳句にならないのである。
俳句は平易であってもいいが、凡庸であってはならないということだ。

その日常性をテーマとして最近の俳誌からいくつか鑑賞してみよう。

 鏡餅供ふ箪笥の古りにけり    佐藤嫉辧福崟捗わかくさ」3月号)

正月を迎えるために真っ白な鏡餅を箪笥の上に供える。
輝くほどの白さ。そのときふと気づく。
見慣れた箪笥も鏡餅の白さとの対比で急に黒く古びて見えることを。
年越しのそのときに、鏡餅に箪笥の古さを気づかされ、自分の生きてきた年月を気づかされているのである。

 前頭葉ひとゆすりして夜食かな   吉田恭子(「艀」1月号)

夜なべ仕事をしていて空腹を感じ、なにか食べようかと思った。
集中していた頭をもみほぐすように振ってみる。何気ない仕草。
それを「前頭葉をひとゆすり」と表現した言葉の選択に、日常に隠された肉体という存在が露呈する。なるほど、思考ややる気、理性を司ると言われる前頭葉でなければならない。

 木枯やポストの色は嘘のいろ  小山田富美子(「アカシヤ」2月号)

木枯の吹く冬の乾いた空気の中に、見慣れた赤いポストがひとつある。
だがこの句はそのポストが「嘘のいろ」だというのだ。
ここに詩的飛躍がある。読者はそこに戸惑い、興味をひかれる。
作者が投函した手紙の内容にまで読者の思いはたどり着こうとするのかもしれない。

 囀の微塵の闇を燦々と    嵩 文彦(「奥の細道 別冊」第2号)

この句はけして平易な句ではない。
一見日常性とは無縁に見えるかもしれない。
だが、「囀」は現実の小鳥たちの求愛の呼び声と受け取りたい。
作者は春の「囀」の下に立ち、それを雨のように浴びている。
いのちあるもののはかない声を「微塵の闇」と捉え、その闇が「燦々」と輝くと感じたとき、光が作者自身の闇に差し込んでくるのだ。
これもまた異色ながら日常詠の句と言えるだろう。
 
(北海道新聞 3月29日夕刊)

=====================================================

このページのトップヘ