無門日記

ことばで/一羽の鴎を/撃ち落すことができるか    寺山修司

金曜日 曇り

プラスの気温の日が続いて、ずいぶん雪解けが進んでいる。
奇妙な具合だ。
2度ほど、記録的な大雪になった札幌なのに、雪解けは例年より早い。
1か月とは言わないが例年より半月ほど早く季節が進んでいる印象。

今日は、新聞でコラムを担当している執筆陣で道外に移るため降板予定の作家の送別会をした。
ネタにする俳句や短歌を選び、コラムを書く。
これもまた選句のひとつだろう。

あれやこれや選句の仕事というのが多い。
毎月目を通す句の数はいったいいくつになるだろうか。
中には大手メディアもあるので、8千句は超えていると思う。
さすがに集中力が切れることもないわけではないが、そんなときはいったん手を休めて集中が戻るのを待つ。
投句する人が真剣なのを知っているから、やっぱり選句というのは手を抜けない。

実は、選者をしていると多少悩むことも多い。
自分に選者の資格があるだろうかという疑問がいつもあるが、それは棚上げしておかねばしかたないと腹は括っている。
高いところから句の良否を判定する姿勢は絶対に避けようと決めている。
取れない句というのは多数あるけれど、その一句一句には価値があると感じている。
きれいごとを言っているのではない。
どの句もその人にしか作れなかった句であり、詩だから。
共感して胸つかれる思いも頻繁だ。

基本的に、選句する際には、ぼくは一読者となる。
それは読んでいるのだから当然読者だろうと思う人もいるだろうが、実際はそうではない選者が多いように思う。
つまり俳人として持っている自分なりの俳句への姿勢というものを基準として俳句をチェックしている選者が当然いる。
それの何が悪いと言われそうだ。
悪いとは思わない。
けれど、ぼくはあえてそれはしない。

ぼくは有季定型を自分の作句の形として採用している。
自分で作るときは、それを自分に強いている。
だけど読者となったときには、そういうものを全部捨てて、俳句を絵画を見るかのように楽しむ。
だから、伝統俳句だろうと現代俳句だろうと、口語でも無季でも自由律でも多行俳句でも新かなでも旧かなでも、表現形式にはこだわらず一句一句を面白く読んでいる。
そこに作者の吐息が感じられれば最高の気分になる。

だからどんな句であってもぼくにとっては面白いのだけれど、選ばねばならないのが選句というものだ。それが困る。
好みで選句しているのだろうか。
それは当然あるだろう。
だけど繰り返しになるが、あくまでも読者として特に感心した句というものを選んでいる。
ぼくはこんな句は作らない、と思った句であっても、それは作者の視点なので基準とならない。
読者のぼくが感心して読んでしまった句を選ぶようにしている。

読者(ぼく)はきまぐれだ。
だから何に感心するかは分からない。

でも傾向として、感心できない句というものはある。

・事実報告の句
・言い古された慣用句に頼っている句
・月並みな老いの句(老いの句自体を否定はしない)
・政治的主張しかない句

こうして書き出して、確かにそうなのだが、どこか納得できないものを感じてもいる。
最後の決め手は上記のようなことではないような気がするのだ。

そこで大切になってくるのが、「レトリック」の存在。
どうも結局、そこに行きついてしまう。
単なる事実報告であっても、レトリックさえ成功すればその句は単なる事実報告ではなくなる。
なんだか当たり前のことを言ってるような気がしてきた。

俳句は「言葉の芸」だ。
美術で言えば、セザンヌが平凡な林檎やオレンジを描いても平凡にはならないように、モチーフがいかに平凡であっても、言葉の芸がそれをひとつの芸術に変える。
そのあざやかな手並みが一句を立ち上げるのだろう。

17音しかないからこそ、その芸が際立つ。そこにしか頼るべきものがない。
どんな鋭い、あるいは立派なことを書いても、そこに言葉そのものの芸がなければ、陳腐な句になる。

言葉を読者の心の深いところにしみこませるためには、レトリックが最も効果的に思える。
現代詩や短歌は、物語を書ける。
けれど17音の俳句では物語はできない。
言葉それ自体の美しさや喚起力を際立たせるためのレトリックが必要。
過去の名句と呼ばれるものを読み直せば、それを痛感する。
読者は言葉のマジックを期待しているのだ。

なんだか、そんなことを思ってしまった。

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火曜日 晴れ

5時50分、起床。
いつもこんなに早く起きるわけではない。
今日は第3火曜日なので、道新文化センターで午前と夜間の2つの俳句教室を担当する日。
そんなときはやたら早く起きることにしている。

顔を洗ったり、朝食の用意をしたり、ひとりでごそごそと朝のルーティーン。
たまたまテレビをつけると、フィギュアのペア・フリーをやっていた。
ちょうど「りくりゅう」の演技が始まるところ。
ショートでは失敗して5位だということだったので、正直あまり期待もせずに、チーズとパンとスープ、野菜ジュースの朝ご飯を食べながら見ていた。

驚いたね。世界歴代1位の得点を出してしまう。
あらららら。朝からこれはなんだか気分が良くなる。

最後まで見ている時間はないので、途中で家を出る。6時30分。
地下鉄駅まで雪道を歩いたが、途中1回コケる。
注意して歩いているんだが、歩道の除雪直後だったので、路面が削られていてツルツルだったところに足を取られた。
特にダメージはない。今季3回目のコケ。

朝、7時15分に札幌グランドホテルのスターバックスに入る。
ここは7時から開店しているので大変都合がよい。

午前教室の句会用2句を句稿の中から選ぶ。
読者を置いてけぼりにするような句が多い中で、多少は共感性のある句を選ぶ。自分の中途半端な性格を少し感じる。

午前教室では今日は富澤赤黄男の後半をやるので、その資料に目を通す。
赤黄男と言えば 

 蝶墜ちて大音響の結氷期

が、代表句として有名だけれど、戦後の『蛇の笛』や『黙示』の奇妙な句も実は好きだ。

 零の中 爪立ちをして哭いてゐる

とか、わかるとかわからないとかから遠く離れた感覚の句もいいじゃないか。


前日にやっておけばいいことなのに、どうしても当日早朝にこの時間を持ちたいのである。
10時が開始時間だから、スタバに2時間以上いることになる。

トシとともに集中できる時間帯が午前中に限られてきているようだ。
なぜなのかは知らない。血糖値とか血流とか、いろいろ原因はありそうだが、午後3時あたりまでが限界で、あとは準備したことを話すことはできても、考えをめぐらせたりするのはうまくいかない。
頭を使う作業は午前中にやることにしている。

午前教室は10:00〜12:00。現状13名だが、今日は見学者が2名いた。
入ってくれるかどうかはまだ分からない。


教室終了後、近くのスパゲッティ屋でスパカツを食べる。
食後はコワーキングカフェに入り、現俳協のインターネット講座の選句をする。
俳人というのは俳句を作る人ではなくて、選句をする人のことを言うのではないかと思うほど、創作時間より選句時間の方が圧倒的に長い。
それが気になり、これではいかんと強迫観念のようなものにかられ、選句作業後に20句作った。
そこまでで突然電池切れみたいに眠くなり、うとうとしてしまう。

目が覚める。

すこし元気になっていた。
午後3時。別のカフェに移動。本日3軒目。
夜間教室の予習をする。篠原鳳作の句鑑賞。
鳳作は宮古島から鹿児島に戻ってから流行りに左右される句が多くなり、駄作が増えていくのが時系列に追いかけているとはっきりと分かる。
それでも最後に

 蟻よバラを登りつめても陽が遠い

を得ることができた。
この句はいいなぁ。

 しんしんと肺碧きまで海の旅

と並ぶ代表句と言えるだろう。
30歳で夭逝したことを思えば、この2句だけでも立派な仕事だった。


夜間教室は18:30〜20:30。
仕事帰りに参加できる時間帯でやっている。
受講者現在9名というこじんまりした教室なので、家族的な雰囲気かもしれない。


21:30ごろ帰宅。

明日の仕事の予定を確認をして、本日終了。


こうして自分の一日を時系列に書き出したことはなかったかもしれない。
実は、手書きの日記は毎日書くのが習慣なのだけれど、そっちは日記というよりはアイデアメモのようなもの。
何をしたかはあまり書かないので、今回ちょっと新鮮。

他人には退屈きわまりない内容でした。
ごめん。

次回はすこし内容のあることを書ければいいなぁ、と思いつつ寝ることにする。




木曜日 晴れ

昨年末から「無門日記」を再開し、1月8日まで快調に続けていたけど、1月10日から11日まで松山市の「あしらの俳句甲子園」に行ったあたりから、やたら忙しくなってしまってまた中断していた。

「あしらの俳句甲子園」は、その前身の「まる裏俳句甲子園」時代からお世話になっていて、いったい何年連続でお呼びいただいてきたのかもう分からなくなっている。
まあ、過去を振り返ってもあまり意味がないから、などと思って自分のズボラを正当化している。

SNSなどで名前だけ知っている俳人たちとリアルで会えるのは刺激的だしうれしい。
一年ぶりだったり数年ぶりだったりする再会もある。
ここで少し詳しい報告ができればいいんだけど、もう記憶も曖昧になってるのでやめておこう。
また来年お会いしましょう! と当てにならない未来に向かって呼びかけてみる。

夏井いつきさんとのツーショット写真で報告に代える。

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あし俳だけじゃなくて、北海道俳句協会の鮫島賞選考会や、俳句集団【itak】の1月イベント、中北海道現代俳句賞選考会、などの例年1月の仕事に通常の道新文化センターの講義など怒濤の一ヵ月(この程度で「怒濤」などと言うと笑われるが)。

そして月末の記録的な大雪!

さらに追い打ちをかけてきた衆院選挙!

だいたい不信任案を提出されていないのに恣意的に総理大臣が解散を決めるというのは、どういう法的な根拠にもとづくのだろう。
違法の疑いがあるのに、火事場泥棒のような性急さの選挙期間。
大雪の札幌では候補者の声もほとんど聞くこともなく投票させられた。
結果は笑えないマンガだった。
もうそのことはさんざん人々が言っているので、ここには書かない。


で、一応それも乗り越えたところでブログに戻ってきた。


現代俳句協会の「俳句オンライン教室」で担当している「ステップアップ講座」2月は、飯田龍太の句の鑑賞をする予定なので、今日はその準備をしていた。
現代詩手帖特集版「飯田龍太の時代 山廬永訣」(思潮社)を読み直していて、齋藤愼爾の「屹立した反近代の詩想」という論考に次の文章を発見して、ちょっと考えさせられた。

〈単なる土着回帰でも前近代的な共同体との癒着でもない。自然を拒絶し、拒絶の中に屹立することで創出した反風土幻想=反近代の詩想というものである〉 齋藤愼爾(出典上記)

いわゆる「山廬の人」であった龍太への世評がいかに的外れであるかを指摘したのだろう。
ぼくはこの言葉に細谷源二を思った。
ぼくが言うところの「北方俳句」も、けして土着回帰ではないのは言うまでもないのだが、それをどう表現すれば伝わるのかと長く悩んできた。
齋藤愼爾の言葉にその回答を見つけた気がする。
「北方俳句」というのは風土と強く関係しつつも、風土幻想ではないのだ。
飯田龍太に関する論考からそれを気づかされるとは思ってもみなかった。


そうそう、ぼくの『細谷源二の百句』(ふらんす堂)が書店ジュンク堂札幌店に5冊入っていたが、最近チェックしたところ在庫は残り1冊となっていた。
買ってくれた4人の方々に感謝している。
本屋で買ってもらえるのは、なにか特別な喜びがあるものなんだなぁ。


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木曜日 大雪

北海道新聞「新・北のうた暦」の今日の担当は石川青狼さん。

引用句
空想もわたしの養分もちぷっくり   小林ろば

今年の正月も餅ざんまいだった。網の上で餅を焼いていた子供のころを思い出す句。


今日は一日雪が降り続き、歩くこともできないほど積もった。
明日も降り続いたら記録的な降雪になりそう。


今朝の北海道新聞の文化欄に、『細谷源二の百句』(ふらんす堂)のことが掲載された。
書評ではなく、記者さんがぼくに取材して書いてくれたもの。
けっこう大きく出ていて驚く。
さらに、ぼくの顔がダルマさんみたいで、笑えた。
ジュンク堂札幌店にも近日中に入るとのこと。買ってくれる人がいたらいいなぁ。
ネットで購入の際は、ふらんす堂オンラインショップが確実です。


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水曜日 雪

北海道新聞「新・北のうた暦」の今日の担当は、ぼく。

引用句
母なくて母の世のなし七日粥   深谷雄大

母の不在。言われてみれば家族という小世界で母の存在は大きい。そこに倫理観などの様々な家庭の価値があった。食卓の七日粥を前にして、喪失感が強くなったのだろう。


俳句集団【itak】の第83回イベントが下記日程で開催されます。

北海道新聞の短詩コラム「新・北のうた暦」ファンは必見の講演内容です!

開催日 1月17日(土)13:30〜16:50
場所  北海道立文学館講堂(札幌市中央区中島公園1−4)
参加料 一般500円、高校生以下無料
申込締切  1月14日(水)17時
投句締切  1月16日(金)17時

第1部 講演 「新・北のうた暦選者の9年間」
    月岡道晴先生(國學院大學北海道短大教授)

    
第2部 句会 (当季雑詠 2句 事前投句)

懇親会 いろはにほへと すすきの南7条店 17:30〜 (会費4500円)
(懇親会希望者は12日までに申し込みしてください)

どなたでもお気軽にご参加ください!

可能な人はフォームから参加登録し、その後「夏雲システム」から事前投句。
上記不可能な人はメールで参加希望(第1部、第2部、懇親会などの参加不参加明記)し、第2部句会参加の方は投句2句とともに申込みください。
メールアドレス itakhaiku@gmail.com

詳細はブログまたは下記フライヤー参照ください。


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火曜日 曇り 酷寒!

北海道新聞「新・北のうた暦」の今日の担当は月岡道晴さん。

引用歌
朝四時にマイナス二十度の報告をdiscordオンラインの奴に   武田晴翔

discordオンラインが何かは知らないが、朝4時にチャットをしているんだろうなぁ、というのはなんとなくわかる。外はマイナス20度だと遠隔地の人に伝えているのだろう。外も寒いが、このチャット自体がぼくには寒く感じられた。



今日は第1火曜なので道新文化センターで午前と夜間の俳句講座。
午前は篠原鳳作の1回目、夜間は芝不器男の1回目をやった。
年末年始もあまりいつもと変わらず、ず〜と仕事していたが、対面の仕事としては今日が仕事始めと言っていいだろう。
篠原鳳作と言えば、
 しんしんと肺碧きまで海の旅
が代表句として知られているけれど、この句を作った当時の俳号は「雲彦」だった。
だけどやっぱり鳳作の句と呼びたい。

 蟻よバラを登りつめても陽が遠い    鳳作

「海の旅」の句もいいが、絶句となったこの句の新興俳句感もたまらないなぁ。

夜間教室は芝不器男。
不器男は結社「天の川」で鳳作の先輩に当たり、不器男が死んだ年に鳳作が「天の川」デビューしたのは、この二人の不思議な縁であろう。
そしてどちらも早逝するという共通点もある。

 あなたなる夜雨の葛のあなたかな   不器男
 永き日のにはとり柵を越えにけり
 白藤や揺りやみしかばうすみどり



今日はとにかく一日とても寒かった。
こんな道を歩いて、夜間教室に向かったのです。

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土曜日 曇り 

北海道新聞(1/3)の道新「新・北のうた暦」今日の担当は樋口智子さん。

引用歌
子どもらにお年玉もらう歳となるオイルに染みし子の手たくまし   横山やすこ

一見平凡な上句を下句の措辞で生き生きとした感情に転換する。短歌はこういうことができるんだよなぁ。77の強さ。俳句はそれをあえて捨てることで余白を利用する。そんな感じなのかな。



早くも正月3日となる。
昨日は娘家族がやって来て、にぎやかな一日だった。
ぼくには身近な親戚というのが少なく、娘たちも家を出てしまっているので、夫婦で孤島のように暮らしている。いまのところそれで特に問題もない。
それでも正月に集まることのできる数人の家族がいるのは、ちょっとうれしい。



マブソン青眼さんから新しい句集『世界の起源』をいただいた。
私家版のシンプルな装幀が、いかにもマブソンさんの最近の心境を表しているかのようだ。
各章に二進コードがふられているのが不思議で、最初は意味のあるコードだろうかと思った。
中を見ると、一句ごとに「0」か「1」が付けられていた。
前書きにその意味が書かれていて、「0」は「調和する素粒子」のような句で、「1」は「反発する素粒子」のような句なのだそうだ。章のタイトルに並んでいる二進コードは、章に収められた句に付けられた「0」と「1」を続けて並べたものだと分かった。
そして句は作成順なので、二進コードは意味ではなく偶然であり、それを著者は「不可解な偶然」「何かの自由意志」の表れだと言う。
このところマブソンさんは人間登場前の世界に強く魅かれているらしい。
その思念から、人間不在の状態を起源としてそこから生まれる詩を求めている。
と、まあけっこう難しい背景があるけれど、句はむしろ素朴な容に向かいつつあるようだ。

マブソンさんが実践している「5・7・3」の詩形について、俳句界ではさまざま意見が出ている。
意見が出るのはけっこうなことだと思う。
しかし、「これは俳句ではない」とか言う論調は気に入らない。
すこぶる気に入らない。
表現は表現者のもので、誰からも指図されるいわれはないはずだ。
俳句であるとかないとか、神の視点で他者の句を論ずる資格は誰にもない。
デュシャンの「泉」が芸術であるかどうかという議論と同様に、独善的で幼稚な批判だ。
作品を虚心に見て、そこに詩を感じるかどうか。
それが作品の評価であるべきで、ぼくは誰からも「俳句であるかどうか」など教えてもらいたくはないのだ。
そんなことを一瞬思って、いま読み進んでいる。

 光子一個ずつ追いかけてヒバリ
 四脚より光りを放ちアメンボ
 暗夜無限カエルのこえのらせん
   マブソン青眼 句集『世界の起源』から



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木曜日 雪 寒い

新年おめでとうございます。

北海道新聞「新・北のうた暦」の今日の担当は石川青狼さん。

引用句
初日記能登半島の地震印す   林冬美

そうだったなぁ。能登の地震は一昨年の元日のことだった。
不景気に災害。さらに悪政が追い打ちをかけてくる。
生きにくい国になってゆくようだ。


札幌の元日は寒くて細かな雪が降り続いていた。
初詣は基本行ったり行かなかったり気まぐれなのだが、昨年に続いて近所の月寒神社にお詣りした。
おみくじを引いてみたら「大吉」で、ちょっとにやける。

今年は特に大きな目標はないけれど、こつこつと丁寧に生きようと思う。



 いろいろとみなふたつづつ雑煮椀       黒田杏子

 雪迎ふことをならひの年迎ふ         深谷雄大



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水曜日 晴れ 寒冷

北海道新聞「新・北のうた暦」の今日の担当は、ぼく。

引用句
人の世の区切りを告げる除夜の鐘   薮田慧舟

今年の大晦日がぼくの担当日となった。一日ずれると元日だったので、ホッとしている。
句の選択も鑑賞も元日と思うと緊張してしまって、なかなか満足なものが書けない。
ま、実際に原稿を書いているのは2ヵ月も前のこと。
緊張するのも妙な話しで、ぼくだけのことかもしれないけれど。



田島ハル氏がやって来て、居間でだらだらしている。
それがうちの大晦日風景。

沖縄の俳人・豊里友行さんが「blog 俳句新空間」に「名俳句鑑賞へのラブレター」という連載(鑑賞の鑑賞という面白い企画)を開始し、その初回で拙著『細谷源二の百句 北方俳句への軌跡』(ふらんす堂)について書いてくださっている。
大変ありがたいこと。

今年一年、ぼくに何ができたのかと考えたとき、やはりこの出版が大きかった。
これまで2冊の句集を出しているが、それは自分のためと言われれば、そうだと言わざるを得ないものだった。
しかしこの本は、細谷源二という俳人の存在を忘れて欲しくないという思いだけで書いた。
後になって源二を知りたいという人にとって手がかりとなるものを残しておきたかった。
それがまがりなりにも形になった。
ふらんす堂さんと、2年前に道立文学館で特別展「細谷源二と齋藤玄 北方詩としての俳句」(この動画の最後のほうで、ぼくが登場しむにゃむにゃしゃべってます)を開催してくれた北海道文学館の皆さんのご努力があってのこと。
ひたすら感謝の一冊。


『細谷源二の百句 北方俳句への軌跡』は、ふらんす堂のオンラインショップからの購入が一番確実です。ぜひそちらからご購入をお願いいたします。


さて、大晦日。
2年前に書斎の大整理をしたものの、その後は全く放置状態のため、ぐちゃぐちゃのカオス。
結局そのままで越年することになった。
まあ、いいや。

じゃあ、元日にまた会いましょう。


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火曜日 雪

北海道新聞「新・北のうた暦」の今日の担当は山田航さん。

引用歌
医者の払ひ十円あると聞く夜は火を焚くことも心とがめる   伊東音次郎

作者は明治から大正にかけて活躍した口語歌人。大晦日が借金の返済日だった時代、歳末は貧者にとってつらい時期だった。いまも大差ないか…。



「雪華」1月号届く。
今回の「現代俳句時評」は「俳句は風の栞であるかもしれぬ〜柊月子第40回道新俳句賞受賞作を読んで〜」。
「現代俳句列伝」は第43回。「野見山朱鳥 火の生涯と生命諷詠」。

「雪華」は次第に評論掲載が増え続けている。
土井探花さんの連載「口語俳句序説」は既に6回目となった。
三谷なな子さんの「句集『潜伏期』ノート」ロングランを続けている。
鈴木牛後さんの「牛後の〈読む〉」は今回、ぼくの時評と被って柊月子さんの作品集『風の栞』だ。
藤原ハルミさんの『ハルミの読書遍歴』も早いもので4回目となる。
村瀬ふみやさんの「続・ハンセン病療養所の俳人たち」の第1回も始まった。
鈴木総史さんの「俳句総合誌を読む」も三品吏紀さんからバトンタッチで開始となっている。

こんなに多数の散文の載っている結社誌も珍しいだろう。
俳句という文芸は鑑賞があって成立するようなところがある。
17音という極小の詩は、その受けとめが読者の数だけあるのだから、句が読者の中でどのように展開されるかがキモだ。
作者自身が、読者の鑑賞から自作の意味を知ることも、けっして少なくない。
鑑賞するまでもなく、この句は書いてあるとおりの句意です、という句があったとすれば、それは哀しいほどに凡庸な句であろう。あるいはそう言ってしまう読者の想像力が空のバケツだということだ。

   「雪華」2026年1月号 「雪月花」掲載5句
 零と壱並べ肉体透ける秋
 団栗や今日も誰かの死出の朝
 残菊や暮れ続けなほ暮れ残る
 花食べにゆきし少女や大花野
 あらはなる受胎告知図銀杏散華

   「雪華」1月号 「雪華集」掲載5句
 洗面器の底の月夜を怖れない
 昏昏と鋭(と)き闇のあり桂郎忌
 肺尖のひととき雪の香(かざ)抜けて 
 馴れ合ひの町に冬来る叛旗来る
 母語哀し冬太白を振り仰ぎ



さて、早くも30日となった。明日で今年も終る。
一年を振り返り、メモ的に活動(定例の仕事を除く)を記しておく。

1月11日12日 松山市「あしらの俳句甲子園」に審査員として参加。
1月 角川「俳句」2月号に栗林浩句集「あまねし」の書評「来し方行方をあまねく見つめ」掲載。
 本阿弥書店「俳壇」3月号特集「俳句と方言の関係」に「風土性と方言について」掲載。

2月 「アジール」#9発行

3月 「現代俳句」4月号の「百景共吟」に5句発表。

5月 「俳句四季」6月号「わたしの歳時記」にitak会員の30句とエッセイ掲載。
 山岸明子評論集『俳人とその生涯 心理学者 俳人を論ず』(文學の森)に拙稿「暮れることなき一日を生き続け」全文収載される。
 「アジール」#10発行

6月8日 北海道現代俳句大会(釧路市)で講演「飛ばない鳥は飛べない鳥〜俳句を読むということ〜」。
 戸田幸四郎第一句集『望峰』(亜璃西社)の序文と帯文を書く。
6月15日 俳句甲子園札幌大会で審査委員長(旭川西高優勝)

8月〜9月 札幌演劇シーズン2025「ゲキカン」執筆。
 「アジール」#11発行。

9月 「俳壇」10月号「ブックレビュー」でマブソン青眼『ドリームタイム』句鑑賞執筆。

10月25日 道立文学館にて講演「寺山修司の俳句〜少年時代の嘘〜」。

11月11日 『細谷源二の百句 北方俳句への軌跡』(ふらんす堂)刊行。


今年もいっぱい仕事しました。
来年はどうなるのかな。


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