月曜日 晴れ

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(飲みなれないワインなど飲みながら、相変わらず薄汚い書斎よりお送りしております)



今週の週刊俳句に時評として「『中央』と『地方』について考える」を書いた。
発表はしたものの、実は何を言おうとしているのかよく分からぬままに書いてしまった。
発表されてしまってから、あらためて何が言いたかったのだろうかと考えてしまったほどだ。

なんであれを書いたのか。
そこから考えてみよう。
時評にも書いたけど、道新に道内文学時評を書かせていただくようになったときのことだった。
そのころたとえば『新撰21』とか『超新撰21』などが話題になっていて、ネットでは「週刊俳句」が一層注目を集めていた。
長く沈滞していた俳句の世界が動き始めているということをはっきりと感じ始めていたところで、「道内の俳句」について時評を書くことになってしまったのだが、ぼく自身が道内結社の同人でありながら、また現代俳句協会の地方組織の幹事をしていながら、書くべきことがひとつもないという状況に直面してしまったのである。

ひとつもないというのは言い過ぎで、実際には書いているし、題材がまったくないわけではない。
ただ、語るべき情況がないというのは偽らざる気持ちだ。
ぼくはそれまで比較的楽観的に、「週刊俳句」のような活動が拡大していくと、既存の俳句組織や出版とは異なる状況が生まれ、俳句文芸もそれにつれて活発化するだろうと思っていた。
それは間違ってはいないと思う。
しかし、地方の文芸の状況にそれがどう影響を与えるだろうか、そこまで考えてこなかった。

確かに地方の句会の高齢化は進んでいるので、ネットなど無縁な人たちが多いのは事実。
そうかもしれないが、いくら高齢化と言ったって若い人がいないわけではない。
だけどそういう若手は中央志向が強く、地元の俳句会に参加しようとする人は激減している。
ネットが物理的、地理的な問題に関係なく表現可能なメディアであることも、かえって多極化には向かわず全国一律中央化を進行させることになっているんじゃないか。
札幌に居ても、沖縄に居ても、ネットを通して全国の俳人とコミュニケーションがとれたり、批評したりされたりする機会を得ることができるようになった。

悪いことではない。
でも、そのせいで地元での句会に敢えて参加しなければならない理由などなくなってしまったともいえる。
また、地元の句会に参加したところでまともな評価や批評を受けられるわけではない。
道内で句集を発行してもそれが批評の対象となることはまれだ。
これではネットメディアの普及を通して変化しつつある俳句文芸の状況は、地方にはいっさい影響を与えないまま進んでいきそうだと思った。

地方の俳句文芸が衰退しているのは、高齢化という理由だけではないのだ。
そこに批評が存在していないというのも一因ではないだろうか。
結社内のルールに従って作品発表を淡々と繰り返しているだけで、結社の枠を超えた批評などどこにも見当たらない。そこに沈滞の問題がある。
では地方にあるべき批評を作り出すにはどうすればいいのか。

批評すべき状況を作ればいい。
当たり前のことだ。
それをぼくは既存の結社に期待し続けてきたきらいがある。
しかし、もうそれは無理ではないか、そう感じている。
ではどうすればいいか。
簡単なことである。
既成のものに頼らない運動を起ち上げればいいのだ。
そして、高齢化で若手がいないという意見が多いのなら、あえて若い人たちを中心とした運動を起こしてしまえばいい。
レベルなどどうでもいい。
高いレベルでなければ運動を起こせないというのなら、何年待ってたってなにも起こらない。
70歳80歳になってからじゃ無理だろ。
イマ、やるべきだ。
それは、最初からネットをメディアとしてやるのではなく、あくまでも顔を合わせての運動を中心としてやりたい。
そしてその活動の報告や作品発表などは俳誌発行のほうに進むのではなく、ネットで行う。
さらに各自が関わっているネットを通してその運動への相互批評を展開する。

そういうこれまで無かった形態の運動をやれるところから始めてみたい。
ぼくら中年から初老になりつつある世代は助言者に徹し、あくまで若手中心の運動をこの北海道で起こす。
成功するかどうか、それは分からないし、考えてもしかたがない。
ただ、ぼくひとりがバタバタしてもできないことだ。
賛同者を集めて進めたい。

ぼくは焚きつけ。焚きつけられて燃え上がる若木を熱烈募集中。

さてどうなることやら。
焦らず、やれるところから、始める。とにかく始める。

なんだか久しぶりに燃えてきた。



『藍生』2月号届く。
『暮らしの歳時記』特集など。


    『藍生』2月号 主宰詠より
 雪雲も大白鳥も夜明け前      黒田杏子
 墓山に到ればひらく霜の花     黒田杏子


    『藍生』2月号「藍生集」収載拙句より
 眼をつむりゐて初しぐれどのあたり    秀彦
 聴き耳を立て流星を探しけり       秀彦




今夜は、この世にいない人の声が聴こえてくるようだ。
そんな気分だ。

honziさんの遺作から。


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