おひさしぶり。

  • author: mumurin
  • 2011年08月20日

おひさしぶりです。


自分のブログにログインしたの自体久しぶり。笑


ブログの表示っつーかテンプレっつーか変わっててびびった。

とりあえず、戻した。



書くこと、言いたいことはいっぱいあるけど、文章作る気がおきないんだよね。ごめん。




取り急ぎ。


昨日の震度5の地震では無事でした。


昨日から自宅の改修工事が始まったから、屋根から職人さん落ちたりして、うちで死人が出たんじゃないかってびびったけど。

大丈夫でした。


3.11を彷彿とさせる揺れ方、時間帯、状況だったから動揺した。


けど、この人の前では絶対弱音吐きたくないって人が直属の上司で、変にプライドみたいなもんが勝って。


そんな昨日でした。




青森・光星、お疲れ様でした!!!!!

夏休み

  • author: mumurin
  • 2011年07月23日

おひさしぶりです!



今から東京行ってくる!

夏休みとりました



着いたらまずは、高校の同級生の瀬戸早妃ちゃん(グラビアやってるコ応援しよう\(^o^)/)の舞台を観るのだ!


そんで夜はみゆき先輩とデート



明日はまいちと待ち合わせて、大学のサークル友達のADエミ嬢に会う!



月曜に仙台に戻ります。




月曜からはついに東北電力も計画停電。

基本的には不実施、だそうだけど。

仕事にならんだろう。
電気ついた途端にやばい電話かかってきそうだよね。

是非とも不実施であってくれ!!




ほいじゃー
行ってくるお(^ω^)

深夜高速

  • author: mumurin
  • 2011年05月22日

生きててよかった

生きててよかった

生きててよかった

そんな夜を探してる

生きててよかった

生きててよかった

生きててよかった

そんな夜はどこだ

5月!

  • author: mumurin
  • 2011年05月03日

ゴールデンウィークいかがお過ごしでしょうか\(^o^)/


そろそろうちにも仙台市の人が損壊具合を見にきます!

近所にきてて今お昼休憩行った
さすがお役所!!



むちゃくちゃいい天気なもんで、やっとこさ冬物ニットを洗っています。


夕方にはサロン行ってくる!!

なんで

  • author: mumurin
  • 2011年04月24日

なんでなんでしょうね。



まるで別人で



津波は面影すら持っていっちゃった





会わなくて済むなら会わない方がいいって、岩沼のおじさん達には言われたけど

初めは会わないつもりだったけど

そんな訳にはいかない気がして

最期に会ってきました。





会って良かったのか会わない方が良かったのか

複雑です。

だってあんまり違うから。





まだしばらくは鬱モードから抜け出せないかも。

地震と津波と火災の町

  • author: mumurin
  • 2011年04月24日

4月に入ってからは被災地にも行っていました。

3日は亘理町逢隈に避難中の、岩沼の親戚へ衣類とティッシュなどの消耗品などの物資を渡してきました。




これは亘理へ向かう高速道路からの景色。荒浜です。

松林がまばらになって、海が見える。車がゴロゴロ転がってる。瓦礫の山。

でも、反対車線側は家がきれいに残ってる。
高速道路が防波堤になったんです。

まさに紙一重の世界。


岩沼の家の写真を見せてもらった。仙台空港の近くで、空港の被害の酷さを聞いてたから想像はしていたけど…
表しか残ってなくて、裏の堀沿いに津波が押し寄せて、裏側から土台ごとごっそり持っていかれてた。

おばちゃんの話によると、松林の上に波が見えたそうです…相当な高さだよね…

学校の2階に避難してたけど、それを見て2階じゃダメだって判断で、3階に行って逃れたそうです。

おじさんが会社を経営してるから、多分もう岩沼に戻って避難所暮らしをしてるかもしれない。

何にしても無事でよかった。



17日には気仙沼へ。

気仙沼はお父さんの実家です。

芸人のサンドウィッチマンがここで被災して、彼らのおかげで気仙沼の情報を知ることができた方が多いと思います。

気仙沼は大津波に遭った後、流された重油タンクに引火し、海一帯で火災が起こりました。
その火は山に移って山火事に。

ばぁちゃんの家はその山にあります。

携帯が繋がった時に身内、家の安否は確認できたけど、実際見たら言葉にならなかった。












このエネオスの看板より上に波が上がったんだと思うとぞっとする。


気仙沼の市場、大島への船着場のあたり














400tのマグロ漁船が街中に転がっています。




これは湾に入る川に架かった小さい橋なんだけど、この橋を飲み込んだ津波に乗せられて、橋を越えられるはずのない大型船が上流に横転していました。





多分、重油タンク。







船が焦げてて、火災の凄さがわかります。






これはお父さんの弟の家。
おじさんは11日当時、仕事で一関に行っていて無事でした。










どこも同じ景色。。。






家です。

家は室内に30〜40cmくらい水が入ったくらいで、今は泥も掃き出してキレイになっていました。
地震そのものの被害はほとんどなくて、地震だけなら仙台の方がひどいくらい。

車は全部波に持っていかれました。




裏は山だけど、目の前は海。
普通に海が近いんです。





隣の本家は完全にやられてました。苺のハウスも。





表の方の家が奥に押し流されて。





この色が変わってるところ。このラインまで水が上がったてこと。考えらんない…





火災の後。焦げた瓦礫もあったし、この辺の植栽が枯れたみたいに変色してました。

本家です。







元々かなり立派な作りの家。
基礎や柱はしっかり残っていたけど、波の威力からか微妙に斜めってました。







ここが何処だかわからなくなりそうな位に同じ景色。





ここには、昔よく遊びにいった遊具のある公会堂があったんだけど、遊具の欠片すらない。




気仙沼は70〜80cmくらい地盤沈下していて、この状態が今は普通。
前は歩いてた所も、今は海になってしまった。自衛隊が砂利を高く敷き詰めてくれて、何とか車が走れるようにしているのだそう。

この日のあたりから大潮の時期で、夕方の満潮時にはもっと水位が上がったし、市街の辺りも寸断されるところがありました。












ばあちゃんの話によると、地震自体は大した事なくて。(東北の人間は地震慣れしてるし)

家の対岸がお魚市場(サンドが被災した場所)で、その市場の2階くらいの高さの波が来るのが見えて、更に高台に行ったんだそう。

チリ地震の大津波を経験してるから、初めは大した事ないって片付けしてたけど、おじさん(お父さんの兄。うちのお父さんは3人兄弟の真ん中。)が無理矢理高台に連れて行ったから大丈夫だったて。

どこの地域もだけど、今回のこの震災、誰もがこんな所まで津波が来るとは思ってなくて、余裕だと思って避難が遅れた人・避難中に自宅に戻ろうとした人・車で避難して渋滞になって遅れた人が安否確認できていないみたいです。
誰の話いを聞いてもそう。

近所の高台の家に避難してから火が出て、山に移って、おじさんたちは数日間づっと火を消す作業に追われたらしい。

だから、気仙沼は油くさかった。
海のにおいと重油のにおい。今にも引火しそうな、具合が悪くなるにおい。



ここに行って、完全に価値観が変わってしまった。

津波で全く住めなく人に比べれば、例えば2階が残ったとかで家財が少しでもあればいい。
家が半壊に近かったって、ライフラインが寸断されてたって、住めるだけいい。

沿岸部で助かった地域は本当に紙一重。
道路1本挟んで、0か100かの世界。


ばぁちゃんちの辺りは今はもう10世帯くらいしか無くなって、その少しの世帯だけのためにライフラインが早く復旧するとは到底思えない。
車は流され、辛うじて一関から戻ったおじさんの車1台を使って物資を受け取りに行ったり移動をしている状況。

海産物の加工場で働いてたおばさんと3番目の従兄弟は、職場が流されたために解雇。
特養で働いてた一番上の従兄弟も、系列の特養が流されて、そこの職員を受け入れるのに経験浅いし資格もまだ無かったから解雇された。

これからどうするのかなって、想像もつかない。


物資は結構豊富みたいで、米軍が普段戦場に持って行ってるらしい非常食をわけてもらった。

お店がなくても、意外と物資はあるから安心した。

逆に、仙台の自分の家はなんて中途半端なんだろうって。

家はあるけど、次は倒れそうだし。
直したくても当時の建築屋はもう存在しないし、頼んだ工務店もなかなか来ない。
仕事はあるけど、ガソリンがなかった。
気仙沼あたりは車が流されてるからガソリンは沢山あったけど、こっちはなくて皆何時間も並んでた。
お店もあるけど、短縮営業で、仕事してるから買い物に行けない。食べ物には困りました。
他県からの支援物資はほとんどなくて、学校に備蓄されてる非常食や、近くの農家やファミレスからの提供で酢量限定で配給され。他県からの物資と思われるカンパンが配られたのは、ガソリンも入るようになってから。

考え出したらキリがないんです。

雨風を凌げる家があるだけでもいいはずなのに。

自宅の写真を載せてるけど、これを見て市の人はどう判断するか分からないけど、半壊にも満たないんじゃないか、罹災証明がしっかりおりるのだろうかって思いがあります。
市が見に来て証明出してもらえるまで、約1ヶ月かかるって。沿岸部の被災地でも数週間かかってるから、こっちは1ヶ月以上はかかるだろうな。

それまでにまた地震きて崩れやしないか…


友達の話を聞いて、もっと壮絶な被災話や避難生活を聞いて、気仙沼に行って、何処が一番酷いとかないんです。
テレビでは石巻や陸前高田の話がメインだけど、芸能人も行ってるけど、そこが一番じゃないんです。

全部が被災地なんです。

テレビには映らない仙台の山の方、岩手宮城内陸地震のあった地域なんかでは山津波ってのがあって、土砂崩れのような現象も起きてます。

千葉周辺の液状化現象もそう。

そして原発。あれは最早人災としか思えないけど、20km圏内は遂に警戒区域として立ち入り禁止になってしまった。
福島には友達や先輩、たくさんいます。そしてこの警戒区域になって帰れないコもいます。
なんて言っていいのかすら分からなくなってしまったけど、心配で仕方が無い…。



あたしたちは、何でだか知らないけど生かされてしまいました。

正直、こんな中途半端な状態なら、いっそ一思いに潰されたほうがよかった。

でも、生きてるから、やれることはしないといけないんだよ。



日付が変わったから、今日。
今日はお通夜に行ってきます。

会社で大船渡に行ってた人のご遺体が見つかりました。その子どもも見つかりました。
まだ、奥さんと赤ちゃんは見つかっていません。生きてるか亡くなっているかも分からない。

被災地に行って、色んなことを考えているときにこんな結果を知らされて、平静を保っているのが、つらい。

今日は心してお送りしたいと思います。

あたしらにもすぐ出きることは、忘れないでいることだから。

この震災のことは、絶対に忘れません。

頑張ります。

でも、頑張れって言わないで。むかつくから。

もう色々手は尽くしています。待つしかなかったり、やりようがないんです。

CMで、復興に向けた応援みたいなのやってるでしょ。
別に気にしないようにしてたけど、1人すっげーむかつくのがある。

こっちに来てそれ言ってみたらいい。
言えるわけないよ、皆もう頑張ってる。

桑田さん・福山さんのは純粋にすごいって思えたんだけど、他のは偽善っぽいってゆーか。

まぁ、やらない善よりやる偽善のほうがいいのかもしんないけどね。

ひねくれてるって思ってもらってもいいです。こういう意見もあるの。



ただ、まだ1ヶ月そこらしか経ってないけど、今生きてる今日までの事は絶対に忘れないで下さい。

7日の話。

  • author: mumurin
  • 2011年04月24日

改めて、7日の夜のお話。


茶の間のコタツでごろ寝してたらきました。


地鳴りがして。

初めはしたからコンコンコンコン…って細かくたたかれてるみたいな、徐々にそれが強くなって大きくなって。

コタツにもぐって、沢山ものが落ちてくるのが布団越し、テーブル越しにわかって、コタツから出たら停電してた。




これはあの余震の直後です。茶の間の隣の台所。


あたしが思うに、11日とは揺れのタイプが違ったから、宮城県沖地震がついにきたんだと思ったんだよね。
11日は回るような横揺れ。7日は叩き上げられるような縦揺れ。

震度も大きかったからそう思ったんだけど、11日が規格外のマグニチュードだったし、7日のあれで余震ってのは納得いかないけどアリな話なんですってね。


戸とか窓のサッシが外れて、今回は窓ガラスが割れました。







車中泊して、明るくなってから家を確認。








11日以降続く余震で、建物はかなり弱っています。
11日は主に西側の被害がひどかったけど、今回は東側にも及びました。やっぱり揺れ方が違ったみたい。














せっかく上げた家具たちはまた倒れて、食器もまたダメになって。










で、ダメ押しにこれ。






いやーまいった!!

内装の壁は落ちたのはここだけだけど、全体的に浮いてしまいました。


会社に電話して、8日は休んで家を片付けてました。


外れた壁、浮いた壁は、日曜大工で補修。


夜は再度の停電で暗い夜を過ごしました。



20時には寝てたけど、電話をくれた人もいて、結構しゃべっちゃった!

情報も欲しいのはあるけど、震災からなかなか人に会えない!

どんな理由でも、友達目線の話し相手いるのが本当にありがたい!!


ただ自宅付近の電波が悪くなってしまって…

ソフトバンク弱い!!緊急地震速報ないし!!

auにしたい〜!



7日は追い討ちをかけるような、色々踏みにじられたような余震でした。




上げ直した家具も、元通り。震災ゴミも増えてしまい。
寧ろ、弱っているところにきたからここまでの被害になってしまったんだと思います。

でも、あたしの家はまだいい方なんだよ。

近所では【危険】の赤紙が貼られている家や塀が増えて、取り壊している家も増えています。
お向かいの家もあたしの家以上に壁が落ちてて、引っ越すそうです。


一昨日、地元紙に取り上げられたんだけど、この地域みたいな内陸部は行政の支援が遅れています。

沿岸部の被害が甚大すぎるし、役所の方々も被災者。仕方ないです。


ただ、次、また震度6〜7クラスの余震がきたら。
我が家はほぼ確実にダメになる。

お願いだから、もう揺れないで!!

1ヶ月

  • author: mumurin
  • 2011年04月11日

経ちました。


遠い昔のようなよくわからないような…



さっきも福島県沖で震度6弱の地震がありました。

仙台市は震度4〜5弱。

しかも回数が半端なく多い…



もう勘弁してよ。本当。

地震がくるたびに頭もお腹も痛くなる。ずっと揺れてるみたいだし。




あ、7日深夜の余震の被害写真、livedoor PICSに載せてあります。

前に載せた画像から、あたしのトップページに入れば見れる、はず。

改めて記事としても公開するつもりだけど、いつやれるか分からないので。
興味ある方はご覧なってみてください。なかなかの衝撃画像です。



今、弟の車で自宅に向かってるんだけど、めちゃめちゃ混んでる。
7日の余震のせいでJRがまたダメになったせいもあります。


それと、家の状態が大丈夫なのだろうか…

大分壊れたから、更に悪化してないか心配。



またでかいのがくる気がする…

みなさん、しっかり備えてくださいね

無事です

  • author: mumurin
  • 2011年04月08日

また宮城県で強い揺れがありました。


家族全員無事です。


家の状態は悪化、家財道具もめちゃめちゃ…

11日の被害の整理もできてきて少し落ち着いてきたのに…


ライフラインは、今回は電気の復旧が早くて、ほとんどついてます。

が、うちの近所はまた電線が切れて停電してしまいました

水道は今のところ大丈夫。
赤水も出てないし。

ガスはプロパンで、ガス屋さんが夜中のうちに点検にきてくれたから大丈夫。
都市ガスは昨日の時点で復旧してない所もあったから、また延びるでしょう…


今の状態はこんな感じです。
仕事は休みます。


11日の地震とはタイプが違った…

ケータイも電池やばい。
また追って更新します。

3月11日 14時46分

  • author: mumurin
  • 2011年03月27日

11日は普通に会社で仕事をしていて

15時のおやつ、ってわけではないけど、お茶でも煎れて一息つこうかしら〜なんて感じで流し台にいて大好きなチャイを作ってたら


14:46


事務所がぐるぐる振り回されてるような揺れ


流し台にいたから、咄嗟にガス栓を閉めました。


今までに感じた事のない長くて強い揺れで

2日前の地震の比じゃなかった。

立ってられなくて、真っ直ぐ歩けなくて

地震で机の下に本気で隠れるなんて初めて。

蛍光灯が点滅して消えて、パソコンも棚の物もばたばた落ちて


少し揺れがおさまって、外に逃げるぞって、近くの公園に皆で逃げました。


近くの会社とか施設からもどんどん出てきて、近所の学校は避難してきた人でキャパ越え。


30分以上は事務所に戻れなくて、誰かのケータイのテレビで津波のことを知った。


家族に連絡しても繋がらなくて。


会社はみんな帰ることになって、あたしは同じ方面の人の車に乗せてもらって帰った。


停電して信号がついてなくて、道路は混乱。大渋滞。

住宅街は空いてたから、何とかなった。


途中、新しめの家電量販店の天井が落ちてて窓が割れてるのを目撃。
墓地の墓石も倒れてたし、近所の古い民家の塀は崩れて跡形もない。


自宅についたら…






棚が倒れてガラスが割れて破片だらけ。家具は隣のおじさんが上げてくれたけど、どうすればいいのか唖然。。

屋根瓦が落ちてた。駐車場の屋根が壊れてた。





やまと(犬)が怯えて縁の下から出て来なかった。
目の前に瓦が落ちてきたんだもんね、怖かったよね。



家族はみんな留守。


お母さんは、従姉と産まれたばかりの赤ちゃんと一緒にいて、病院で受け入れてくれないか探して、ダメで戻ってきた。

家の中は居れないし危険だから、近くの中学校に4人で避難したけど、あまりの人の多さに、夜は車で寝泊まり。

赤ちゃんが泣くのは当たり前だけど、周りに気を遣ってしまう。
会社を出る時に持ってきたお菓子も、お腹が空いても堂々とは食べられない。

避難所はあたしの家の前の中学校。
車を入れられるように校庭も開放されて、自宅もまだ瓦が落ちそうだから車を持ってきて過ごしていた状態でした。

ガソリンが少ないけど、避難所にずっといるのもキツい。

何より、まだ戻らない家族の車が家に入るのを校庭から見れるから。



お父さんは地震発生時、仕事で栗原にいたらしく、夜中何とか帰ってきた。

栗原もかなり揺れが強かった地域。数年前に岩手宮城地震でやられたところです。

混乱しながらも、普段かかる何倍もの時間がかかったけど帰ってきた。


私立学校の先生をやってる弟は、学校で生徒を保護してるって何とか連絡がとれて、朝になってから帰ってきた。

地震が起こった頃はちょうど生徒が帰る頃で、100人以上の生徒たちが親と連絡も取れず、交通もダメになって取り残されたそう。




明るくなって、家を片付け。


















家ボロボロ…
最早笑えてくる。



朝刊が来て、津波のことを知る。

情報はラジオとmixiしかなかった。電話もメールもダメで。

親戚のいる気仙沼、岩沼、大島とは全然繋がらなくて、ただ津波で流されただろうってことしか分かんなかった。


地元だって、津波はないけどひどい有り様。
























活断層の真上にある町で、基本、発表されてる震度よりも強く感じます。。


ライフラインも断たれて。
うちはプロパンガスだから、ガスだけはいち早く復旧したけど、停電、断水は辛かった

給水車はこなくて、配られるペットボトルの水、お父さんとあたしはもう復旧している会社で水をもらって凌いだ。
トイレ用の水は川の水を使った。


赤ちゃんも心配だし、ライフライン復旧の前に従姉たちは旦那さんの実家の酒田に疎開。


復旧してからまずお風呂入りました!!
風呂で感動するとか…本当にありがたかった。



電気が復旧するにつれて、消息不明だった親戚の安否も徐々に分かるようになって一安心!


まだ不明の人もいるけど、津波をもろにうけた地域ばかりだから、生きててよかった。




会社にはチャリで行ってます。

交通は急ピッチで復旧始まってます!

でもバスは道路があの通りだし、近くのバス停は通らない1時間に1本だし。
JRも最寄り駅〜仙台駅は月末には再開するらしいんだけど、暫定ダイヤらしい。

自宅から駅までの道も地割れがひどくてチャリはきつそう。

まだまだチャリ通かなぁ〜。


初めの1週間は通常業務にはならないけど、とりあえず会社行った。

米炊いておにぎり作ったり。


会社にも津波の被害にあって自宅が流された人がいる。

工務店とか紹介してもらえるかと思ったけど、「まだ家があるだけいいだろ」ってなるから、言えない…


元々持ってた悩み?愚痴?も抑え続けていけるのか。

まー実際あたしいなくても回るだろうけど、稼がないとだし。頑張って行く。




18日は、まいち・ウエンツ・しゅんた君に会ったよ

まいちとウエンツが買い物代行してくれて、本当に助かったしゅんた君はこの食糧難の中、お菓子を分けてくれた
3人ともありがとう!!


20日は勾当台公園で在仙アーティストによる炊き出しイベントがあって、すごーく行きたかった
自宅の片付けをしてました。

こんな時でも、好きな音楽は離れないんだよね。

1月にライブをやってからは歌うことだったり、また楽器をやることにすごく意欲が沸いてる。

…試験勉強とかで全然やれてないけど(試験は中止になりました)

元々イベント好きだし。祭好きだし。

電気がついてから見る情報はほとんどがマイナスだから、こういうプラスな、ポジティブな話題を作りたいよね!!



震災からもう2週間以上が経ってしまった。
長いような短いような実感のないような。


今まで当たり前だったものが当たり前じゃなくなった瞬間でした。


心配してくれる人たちがたくさんいるって改めて気づきました。


みんな、生きててくれてよかった。ありがとうね。



あの瞬間は絶対に忘れません。




コメント返してなくてすみません
ちゃんと見てます!ありがとう!

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