一日一楽 in シンガポール

最高に楽しく面白い人生のために。2017年4月からシンガポール在住。旅と本と音楽、たまに料理。

さていきなりですがお詫びです。なぜかパソコンからだとログイン画面の先に進まず、記事が書けないエラーが発生してます。モバイルから書き起こす根性はないので、このお題は改めて書きたいと思います。ってかなんでこのタイミング?すごいよ、ライブドア。やっぱ何かあるね、ブログ部。

さてさて、また小難しそうなお題。って私が出したんですけどね。

当時シンガポールに赴任して少し経ったところで。「日本のやり方って、めっちゃ生産性低くない?」 って思い始めていたところでした。日本の、ではなく、弊社の、かもしれませんが。

日本の企業の生産性が低いというのはよく言われることで。例えば
・毎日遅くまで働いている割に利益が出ていない
・休みもなく働いているのに給料が安い
などなど。実際に、日本企業の給料ってかなり安い。思っているより安い、というか、思っているより他国の方が高いのです。よく引き合いに出されるのが「タイの部長職は、日本の部長職より給料をもらっている」という話。もちろん企業によりますが、「日本人はどの国よりも給料が高い。日本より高いのってアメリカくらいじゃない?」なんてのはものすごい誤り。

給料が少ないということは、超単純化すると、それだけアウトプット(社会に対する貢献度合い)が低いということ。能力が低いということと必ずしもイコールではないですが、結果的に「その人に対してそれだけのお金を払おうという人が少ない」ということを示しているわけで、これはちゃんと受け止めるべきこと。

実際、外から日本を見てみると(私も含めてですが)ハムスターが車輪の中をくるくる回っているように、どこにも進んでいかない議論や一歩も実行に移されない計画が多すぎるという気がします。これはなぜなのか。いくつか理由があると思います。

1.自分の価値観がすべてで、他のものさしがあるってことを想像もしない
これは各国一緒だと思います。一緒なんだけど、日本という国があまりにも特殊すぎるので日本で「そうだよね」ということが通じる世界が狭すぎるというのが問題。世界70億(くらい?)の中で「あーそうそう」といってくれる人が1億2千万人しかいない。いや、もちろん充分多いですよ。でも残りの約69億人が発想した価値あるものを取り込めなければ、いろいろもったいない。

2.議論が下手すぎる
まず、議論と人間とを分けて話すのが苦手。何を言っているか(What)ではなく誰が言っているか(Who)の方が大事ってのが多い。だから若手の話が重要視されないし、ローカルの情報が適切に扱われない。そして相対的に本社様にいるオジサンの意見が通る。
次に話が婉曲的すぎる。相手の心情に配慮したものの言い方は、日本人じゃなくてもします。でももっとちゃんと主題(イシュー)にアドレスしてます。日本人の議論は、え?だから結局何が言いたいの?っていうのが多すぎ。
そして、同じ話を延々する(どれだけ話しても結論は1つしかない)。ある特定の議題を扱っている時に全く別の議題を持ち込む(その際に前の議題についての結論を出さない)。また、語弊を恐れずに言えば「会議の話についていけない偉い人」がいるとその人に合わせて進みが遅れる。そして、相手の意見に「積み重ねて」議論を発展させることは圧倒的に苦手。相手の意見を排除して自分の意見を言うことしかしない。Aさんの言っていることに「賛成か、反対か」の立場しか取れないことが多く、そうなるとアウフヘーベンなんて望むべくもない。とかもういろいろ。

3.「やり方」にこだわりすぎる
これは1にも通じるのですが、終わりよければすべてよし、とか「黒いネコでも白いネコでもネズミを捕るネコはいいネコだ」的な発想があまりない。箸の上げ下ろしまで口出ししたい人がいーっぱい。小学生じゃないんだから(いまどき小学生でも嫌がると思うけど)そこまでマイクロマネジメントしなくてもいいんじゃないですか? やる方もいちいち小さなことで上にお伺い立てるのやめませんか? って思うことが多い。あと、他人のことを気にしすぎ。

その他いろいろありますけども、これらは本当は、民族や人種の問題ではなく個人の問題で、どの国のどの企業にも多少なりともあるはずなのですが、日本の場合は謎の「空気」というものが場を支配してしまって、個人以上に集団の文化がそうなっちゃってるとそこから抜けられない率が高いような気がします。まさに集団浅慮。集団で謎のことを一生懸命やっちゃう。

って、そういう私も日本にいたときはまさにそうだったので、上記は自分に対する反省点でもあります、はい。

でも本当は日本企業ってもっとクリエイティブでイキイキしてたり、あうんの呼吸でひらめきを共有できちゃったり、やるべきことを愚直にすごいクオリティでできちゃったりするところもあると思うんです。実際、たまにびっくりなことやってくれる(いい意味で)し、やっぱりすごいなってチームもいっぱいある。そういうのをもっと増やしたい。

そのためにすべきことは何かというともう一言でしかなくて

「人のこと気にしないで価値あることをやれ!」

これです。このお題出した時はこんなオチになると思ってなかったんだけどなー。なんか今はそんな気分で書いております。もうちょいまともなこと書きたい気分になったら後日追記します(笑)

Homeといえばアンジェラアキ。ってちょっと古いか。

Home=自分が安心できる場所、ほっとできる場所という意味では、第1はもちろん埼玉ですが、第2は大阪・神戸、第3はムンバイ、そして第4にシンガポールが登場、という感じでしょうか。

第1の埼玉。いわずもがなの生まれ故郷。親戚もみんな埼玉なので、小さい頃から埼玉の田舎(埼玉自体が田舎だという指摘はおいといて)にもよく行っていました。山あいを流れる渓流、その上にかかる鉄橋(スタンドバイミーに出てきそうなやつ)、どこまでも青い空、おいしいお水、小さな社を抱えた神社… 故郷、と言われるといつもあの景色が出てきます。

また、うちの実家も決して田舎というわけではないのですが、たまたま家の前が農地指定されたエリアで、かつ、川沿い、かつ、ずーっと桜並木になっている、というラッキーな立地なので、地平線が見えそうに広く、春は桜が空を埋め、夏は緑の下草の緑がまぶしく、秋はどこまでも青く高い空が広がり、冬は赤城おろしにさらされて枯れ枝が寂しく揺れる、ってそんな風景に抱かれて育ってきました。

第2の大阪・神戸は、住んでいたのは3年ですが、通っていたのは7年以上だからか、なぜか行くとほっとします(帰ってきたっていう気がするんですよね実際)。活気があって騒々しくて、カラフルでイントネーションがやさしくて。ご飯美味しくて、なんでも笑っちゃうようなところ。私の30代は間違いなく、大阪の景色と紐付いています。うーん、そういえばしばらくいってないな。

第3のムンバイは、たいしていっていないのですが、初めて担当した国がインド、その中でも特にムンバイによくいっていたので、殻から出てきた雛が最初に見たものを親と思うが如く、ムンバイが私にとってはひとつの原点になっている、という意味であげています。でも実際、いろんな国に出張していますが、ムンバイが一番落ち着く。もちろんおもしろさという意味ではどの国も面白いんですけどね。まぁ慣れてるというだけかもですが。

そして最後にシンガポール。もう1年近く住んでいますが、徐々に慣れてきたかなと思います(ようやく?)実際出張から帰ってくると、ほっとするし「あーつかれた!」とベッドになだれ込みたくなる(実際になだれ込んでいます。笑)。故郷と思うかどうかの基準の一つに、風邪引いた時にそこにいたいかどうか、というものがあるのですが、ようやくシンガポールもそのひとつになってきたかなと思います。

さて今後ですが、もっともっとホームを広げて行きたいと思っています。日本のどこかの都市でもいいし、海外でもいい。アジアに限らず、面白いところならどこでもいい(そしてだいたいどの国も面白い)。あとから考えた時に、30代が大阪時代だったように、40代はシンガポール時代ということになると思います。50代はどこ? 60代は? とどんどん可能性を広げて行きたい。って、そういうのを故郷というのか? って議論はありますけど。

どこがいいかなー。オセアニアもいいし、ギリシャもいいな。今後も好きなところに好きなように住めるよう精進します!

おちがありませんが今日はこんなところで。

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さて、これは当時人事異動をしたばかりだったリコヤン部長のお題。

うーむ。これに関してはいろいろ書けるのだが、どこから書いていいやら。

とりあえず私、全く予想に反して新卒ではいった会社で20年勤めております。大学卒業して今の会社に入って、5年くらい経った後でも、まさかこんなにずっと働いているとは思わなかった。子供の時であればなおさらです(小学校の卒業文集に、サラリーマンになりたいと書いた気はしますが)。 

基本的にはあまりローテーションなどない会社なのですが、とはいってもやりたいといえば割とやらせてくれる会社なので、結構好きに異動してきたような気がします。入社した時の担当の人事から「やりたいことはなんでもやりなさい。出すぎた杭は打てないから」と言われて真に受けてましたからねー(笑)いま思うと、きっとその方(少し年上の女性でした)の時代はまだまだ大変で、いろいろ忸怩たる思いをしたから、次の世代である我々にはもっとのびのびやってほしかったんだろうな。おかげでうちの代はかなりのびのびしております(笑)

さて「やりたいことをやる」を地でいった結果、あまりローテのない会社の中で、職種としてはシステムエンジニア、営業(国内・海外)、事業企画を、職場としては東京、大阪、シンガポールをベースに、日本主要都市・APAC全域を担当するという貴重な経験をさせてもらうに至りました。社内組織においても、複数の社内カンパニーを経験をしているので(これはたまたまですが)、他の人に比べれば、知り合いも多いと思います。これも本当にありがたい限り。これらは別に考えてやったことではなく、その時その時の流れでそうなっただけですが、いま思うとその時々の上司、同僚、部下には本当に感謝しかないないです。その時々のみなさんのおかげで、流れ流れてシンガポールまで来れたわけですから。

もっとも、社内人脈の多さとか社内の細かいくせをよく知ってるとか、そんなもん転職した瞬間になんの役にも立たないので、そこに甘えることなく、これまでの経験を生かした自分自身の「刃を磨く」ことが大事だなと、ますます強く思う今日この頃です。いやほんとに、ぼーっとしてると過去の蓄積だけを使って仕事をしちゃってるんで。アウトプットもどんどんしなく(できなく)なってきてしまっているし。自分自身のこのだらけた感じに、自分で危機感を感じています(その割に週末めっちゃだらけてしまうのだが…)。

ただ、いろいろな人の中から選ばれて今のポジションにアサインされた訳なので、その分の責任と自覚を持ってやらないとだな、と。といってもそんな感じに重圧に捉えてしまったり、まじめに「こうあらねば!」とか考えてしまうと何もできなくなるので、やっぱりこれからもやりたいことをやる、その中できっちり結果を出していく(そうじゃないと自分に自信がなくなるし、面白くないし!)、できれば好きな人と好きなことをやって、それが人のためになって自分も儲かってハッピー、というのを追求したいと思います。とりあえず次なにしようかな。




 

なんと小難しいお題を… ここまで順調に書いてきましたが、さすがにこれは筆が止まりました。まぁ仕方ない。MBA取得者で作られたブログ部なので、なんとか向き合うしかない。

さて、シンガポールに来てもうすぐ1年。ありがたいことに、シンガポールだけでなく、APAC全域が担当範囲なのであちこち行っては各国現地法人の社長やマネジメントと話す機会があるのですが、マネジメントスタイルって本当に人それぞれ違います。そして社長が変わると会社もがらっと変わってしまうほど、社長って影響力があります。特にアジア諸国は、社長が交代すると側近もがらっと入れ替わることがあるので(IT業界だけかもしれませんが、新しく社長が就任すると、しばらくして元いた会社の気心しれた幹部を引き抜くことが割とよくあります)、余計に影響力が大きいように思います。もちろんひとりでできることは限られていますから、社長ひとりに何もかもを背負わせるのは違うと思いますが。

それらを見ていると、これがマネジメントの正解!というのはどうもなさそうに見える。それを見て、しばらくもやもやとマネジメントってなんなんだろうと思っていました。

が、最近この記事を読んで妙に腹落ちしました。
https://medium.com/@takaha.shoko/エントロピーの先に生命が見る夢と-世界と時間の美しさと-挑戦-7ef6dece980f
要は、様々な紛争も会社で起こる小さな問題も、全ては熱力学第二法則のエントロピーの法則があるからである、という説なのですが、いやこれはほんと、かなりしっくり来ました。

私はこう見えても(?)秩序立ったものが好きなので、誰かがそれをひっくり返したり、全然秩序に合わないことをやったりするとイラっとしてしまいます(我ながら、小学校の学級委員みたいなところがある)。仕事をしていても「本来こうあるべき」というところから外れたことは、小さなことでも気になってしまって、元のあるべき姿に戻したくなってしまう。意識しないとこのくせが、マネジメントに出てしまうことがあります。

ところが、もしこの世の中がエントロピーの法則に支配されているならば(いや、実際支配されてるんですけど)、私のこの変なくせは、結構ナンセンスな力の使い方ということになる。常に変化がある(一度整えたものはぐちゃぐちゃになるし、一度決めたものは意味がなくなるし…というように)ということを前提にすると「元に戻す」ことはできないんだとわかる。崩された秩序は崩されるべくして崩れたのだから、新しい秩序を探すか、もっと崩して新しい化学反応を求めるか、別の手を取るべきだとわかる。

マネジメントとは結局の、このエントロピーの増大と永遠に寄り添って時には秩序を作るし時にはそれを壊すし、その間でうまくたゆたっていくことなのではないかと思った。すべてはその次の優先事項になるような気がする。

眠くなって来てうまくまとまりませんが今日はこんなところで。おやすみなさい。




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