中継ぎ哀歌 〜ナカツギエレジー〜

俳優・高杉征司のブログ

高槻シニア劇団WakuWaku 第二回公演「遠くに街がみえる」

 私が脚本・演出をしているシニア劇団の本公演が迫ってきた。

 今年で二年目。半年かけて演技の基礎トレーニングをして、残り半年で公演稽古をするというサイクルで活動している。昨日より今日、去年より今年、と上達すべく取り組んでいるのだが、そこは人間の面白いところで、そんな簡単にデジタルに情報が蓄積されていかない。一進一退の毎日だ。
 では上達していないかというと、勿論そんなことはなく、むしろ去年の公演映像を観てみると「ああ、格段にうまくなったな、みなさん」とため息が出る。じゃあ手放しで喜べるかというと、それはそれで勿論そんなことはなく、それぞれが抱えている演技上の問題の根本はそんなに変わっていなかったりする。変わったと言えば変わったし、変わってないと言えば変わってない。
 若かりし私は、ツンツンの感性とゴリゴリの自意識とヘロヘロの思想を武器に社会と闘っている、つもりでいた。それは勿論強烈な承認欲求に苦しんでいただけで、社会と闘うどころかとんだ一人相撲なんであって、思い出すだに赤面する。しかし、今の自分の思考の軌跡や行動原理をつまびらかにしてみると案外変わっていないことに愕然とする。いやいや、でもあの頃よりは格段に生きやすくなっているし、アウトプットの形も変わっている。そう、私自身、変わっていると言えば変わっているし、変わってないと言えば変わってない。そんなお話を書いてみた。

 シニア世代が話しているのを聞くと「若者のエネルギーはすごい」的な言葉をあらゆる文脈で耳にする。私に言わせれば「あんたらの方がよほどエネルギッシュだよ! よほどね!」と思うのだが、まあ彼ら自身はそうは思っていないようだ。得てして自分のことは分からないものだ。加齢で随分エネルギーを失ってそれでなおあのエネルギーならば、若い時は睨んだだけでガラスが割れるほどのエネルギーでないと辻褄が合わない。勿論体力も落ちれば、関節も痛み、可動域は狭くなり、すぐに息が上がる。これ以上言うと怒られるのでこの辺にしておくが、そんな体感が若さへの憧憬やら失った何かやらを彼らに意識させるのだろうが、私から見れば「彼らは歳を取って何を手に入れ、何を失ったのか」とんと分からない。
 当然「質」の変化は確実にあるし、物理的には陰りもある。一方で精神性や癖、面影などすこし突っ込んだ部分に着目すると案外変わっていない。そう、やっぱり変わっていると言えば変わっているし、変わってないと言えば変わってない。まあそんな差異は着眼点が変わると随分と違ったものになるのであって、そうやって過去の自分と今の自分を客観的に見つめようという試み自体に一つ価値があるように思う。そして、過去がどうであれ、今がどうであれ、我々はこの先も生きていくという現実。
 還暦同窓会で、42年ぶりに思い出の学生寮にやって来た四人が、過去と現在が錯綜する中、自分を見つめていく物語。皆さんのご来場をお待ちしております。

以下、公演詳細。
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高槻シニア劇団 WakuWaku 第二回公演
「遠くに街がみえる」脚本・演出:高杉征司(サファリ・P)

「遠くに街がみえる」チラシ表


還暦同窓会で思い出の学生寮に集まった四人。

この寮も間もなく取り壊されるようだ。あの頃と何も変わらない佇まい。何も変わらない「私たち」。けれど確かに何かが変わっている。そこで一夜を明かすうち、蓋をしていた記憶が、感情が少しずつ甦る。若さの放つエネルギー、それゆえの過ち。

「我々は何を失い、何を手に入れたのか?」


18歳の当時と60歳の今が交錯するシニア世代による青春群像劇。


【日時】
2017年11月2日(木) 11:00〜 / 15:30〜
                   3日(金・祝) 13:00〜
※開場は開演の30分前

【会場】
高槻現代劇場 305号室

【料金】
1,500円
25歳以下及び50歳以上は1,000円

【チケット受付】
高槻現代劇場チケット受付
TEL:072-671-9999(受付時間10:00〜17:00)
http://www.city.takatsuki.osaka.jp/bunka/theater/calender/1222.html

【主催】
公益財団法人高槻市文化振興事業団

【企画協力】
特定非営利活動法人劇研

VOGA旗揚げ20周年記念公演「about XX」終了!

VOGA「about XX」全日程を終了しました!
文字通り「嵐とともに」駆け抜けました。電波状態の思わしくない男山山頂に籠もりっきりの三週間ちょい。一部で「高杉が消えた。連絡が取れない」などと囁かれていましたが、それも普段の私のレスポンスの早いことの裏返しと前向きに受け止めて、そう、何事も前向きに前向きに乗り切りました。
ご来場いただいたお客さん、VOGAの皆さん、出演者・スタッフ・関係者の皆さん、石清水八幡宮の方々、ご来場いただけなかったけど気にかけていただいた皆さん、本当にありがとうございました。
この場をお借りしまして心より御礼申し上げます。

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初めて尽くしの今回。
何が初めてかというと、もう挙げればキリがないのだけど、VOGAが初めて、共演者もほぼ全員初めて、音楽や拍にハメてセリフを言うのも初めて、野外劇も初めて、石清水八幡宮も初めて、仕込みでチェーンソーを使ったのも初めて、台風の暴風雨に打たれながら芝居したのも初めて、一日で100箇所くらい蚊に刺されたのも初めて。もう大きなことから小さなことまで初めて尽くし。良いことも、一見良くなさ気なことも丸っと「経験」という言葉で包み込んで、生きていく糧にしていくという人間の図太さ、厚かましさ。いや、本当にいい経験になりました。蚊に刺されたことを除いては。

作品としては、
石清水八幡宮という最高のロケーションで、森の声を聞き、風の音に耳を傾け、土の臭いと感触を確かめながら自分の存在や立ち位置を確認するような塩梅だった。物語としては、草壁カゲロヲさん演じる劇団プンティラの看板俳優が純粋芸術に身をやつしていけばいくほどに社会性、もっと言うと同時代性を失っていくことに思い悩む、ということになるのだけれど、ポピュリズムに陥らないで、かと言って思考停止にも陥らないで社会性を保つことに自覚的でいるのはアーティストに限らずなかなか難しいのではないかと感じる。表現として「青臭い」部分はあるけれど、でも本質的には普遍的な、いつの時代も、いくつになっても「ぼくら」が思い悩むことが提示されていたと思う。古代ギリシャ哲学がアテドコロになっていることがなんともインテリジェンスを感じさせ、しかも音楽と振り付けの中でセリフを吐いていく抽象シーンとストレートプレイを繋ぐ架け橋となっていたことも見逃せない。観劇の感想とは、観ていただいた方それぞれが思い思いにご自身の「経験」や「今」をアテドコロに感じていただくものなのであって、そのための種はしっかりと蒔かれていたのではないか。
演出・脚本・音楽の近藤和見さん(私と同い年!)の作る曲は美しいだけじゃなく、デジタルの持つ規則性を暴力性に変換して牙を剥いてくるようで、プロジェクションマッピングのデジタルな映像とも相性がいい。その作品の芯には我々アナログな人間が俳優・パフォーマーとして配置されているのも実に面白い。稽古の当初は、デジタルな規則正しいテンポに我がをはめ込んでいくことがうまくいかず、AIの牛耳った世界に適応できずはみ出していくダメ人間のような気分になった。終わった今、別に何を克服できたわけでもないし、アナログな人間の復権を見たわけでもないのだけれど、少なくともこういった試みの面白さの片鱗は感じられたし、融合しきれないまでも「溶け合ったその先」はイメージできたように思う。

秋雨前線がゴリゴリに攻め込んできて防戦一方だった我々は、ついに最終日リーサル・ウェポンを叩き込まれる。一矢報いてこっちが叩き込むのではなく、トドメとばかりに叩き込まれたのだ。追い打ちね、追い打ち。そう、超大型の台風21号が石清水八幡宮にもやってきた。真っ裸に服を剥かれて、手足を縛られ、ヘソに無造作に指をグリグリ押し込まれ、気持ち悪くなってるところを写真に取られ、挙句の果てにその写真を高島屋の屋上からバラ撒かれるような、そんな、いや、何の例えだ、これは!? とにかく本番最終日に台風がやってきた。
本番中、舞台上でパフォーマンスしてる時はいいのだけれど、舞台上にいるけど動いてない時、そして舞台袖で立ち尽くしている時、これは本当に悶絶した。寒さで震えが止まらない。袖でポツリと「心臓止まりそう・・・」とこぼした私を人肌で暖めて舞台上に再び送り出してくれたののさんと羽室さん、この御恩は一生忘れませんよ! 「人間って暖ったけー、色んな意味で」の言葉を残して舞台上に出ていく私に向けられた冷たい目に気付いていないわけではありませんが、それは見なかったことにしておきます。
そんな激しい環境にも関わらずご来場いただいたたくさんのお客さんには本当に頭が下がります。劇団としても難しい判断だったと思う。安全は最優先だが、できるだけやりたいと思っただろう。そして我々客演も当然想いは同じ。どこのタイミングでいかような判断を下すのか、相当苦しんだと思う。私は判断する立場にないこともあり、決まったことを粛々と実行しようと思っていた。開催でも中止でも。我々も(特に劇団さんだが)悪天候を面白がってイベントとして乗っかったわけではない、ということだけは分かっていただきたいです。台風を茶化すような書き方をしたので、エクスキューズまでに。

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あと一週間もすれば次の現場の小屋入り。
はっきりと頭はそっちに切り替わっている。この三ヶ月、ヒッグス粒子のように私に激烈な質量を与え続けた「about XX」も終わってしまえばどこへだか霧散してしまった。それが演劇なのだ。いつものことだ。そして通り過ぎたときに濾し取られたものが幾ばくか私の中に降り積もる。それは重要な経験だったり、腸壁のカスだったりする。そんなものだろう、私が生きるということは。

この財産を没収す〜「財産没収」終わりました〜

サファリ・P 第三回公演「財産没収」の全日程が終了しました。
ご来場いただいた皆さん、劇場スタッフの方々、共演者・スタッフのみなさん、その他お世話になった方々にこの場を借りて御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

利賀演劇人コンクール2015で優秀賞一席をいただいた作品だけど、審査員の皆さんにいくつかご指摘いただいた点を修正すべく京都公演に踏み切った。「欲望線」「悪童日記」と継続的創作を経て、今回満を持しての再演だ。このメンバーでの創作方法が積み上がってきて、共通の言語や価値観も共有されるようになってきた。それらを総動員して「専門家ではない一般のお客さんにも楽しんでいただける」こと、そして「ダンサーが発話する」ということに向き合っていく。


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photo:堀川高志(kutowans studio)

倉庫を借りて稽古していたのだけれど、スポットクーラーもウィンドファンもあってないようなもので、室温は36.8℃、湿度は80%オーバー。みんな笑っている。稽古がクリエイティブで楽しいのか、暑さで頭がおかしくなっているのかは分からない。演出・ダンサー・俳優・スタッフがみな感じたことをどんどん口にして、創っては壊しが続いていく。ただのアイデア勝負ではなく、戯曲を読み解いて、それが効果的に、時に衝撃的に出力されるように。
そして今回特筆すべきはダンサーの発話。松本くんも松尾さんも本当に素晴らしかった。声を扱うのは本当に難しい。声量や音の高低をつくるのもそれなりに難しいけど、そこに響き方やベクトル、タイミングなどが絡んでくる。それは「こうやるねん」みたいに簡単に説明できるものではなく、イメージや経験の中から試しながら引っ張り出すしかない。しかも一度うまくいっても意味はなくて、再現性を持って何度もやれなければならない。二人とも本番中も再現性を持って、かつチャレンジングに声の表現に立ち向かっていた。その精神も舞台上に現れた表現も本当に美しかった。一緒にやれて幸せ。

この作品も今後レパートリーとして全国に(ゆくゆくは世界中に)持っていくことになる。
その都度、今回のように今の自分の価値観を投影していきブラッシュアップしていく。やればやるほどにテネシーが台本に込めたものが発見される。それらを身体に取り込んで私の財産にしていく。この繰り返し。嗚呼、芸術は終わらない。

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photo:堀川高志(kutowans studio)



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