2010年05月
2010年05月30日
■16時開始なのに16時に兄から電話もらって思い出した。
きょうはプロ修斗。
後楽園ホールでなくその近くのJCBホール。
ってことは大会場、すごいカードが用意されている。
皇居ランをして帰路に昼食べてそのままメガタバで泳ごうかと思ったけれど寒いので一度帰宅して洗濯など。
電話が来たときはロードバイクのフロントチェンリングがバラバラに分解されてたとこだった。
■組み立てて着替えて出たのが17時前、駐輪場に停めてJCBホールのアリーナへ。
係員に先導してもらって前から4列目の席、柔術の先輩方に挨拶して前を通してもらって席へ。
第3試合が始まるとこ。
第2試合の朴光哲戦を見逃した。
これから、リオン武、日沖 発、遠藤雄介、漆谷康宏、佐藤ルミナ、松根良太、上田将勝、田村彰敏、有名選手がゾロゾロ出場する。
■そうそう、来るときの後楽園で、コスプレの若者がたくさん集っていた。
なにかのイベントかな。
ものすごい数。
あれは、楽しいね。時間に余裕があれば写真をちらりとでも撮ったのに。
では観戦。
きょうはプロ修斗。
後楽園ホールでなくその近くのJCBホール。
ってことは大会場、すごいカードが用意されている。
皇居ランをして帰路に昼食べてそのままメガタバで泳ごうかと思ったけれど寒いので一度帰宅して洗濯など。
電話が来たときはロードバイクのフロントチェンリングがバラバラに分解されてたとこだった。
■組み立てて着替えて出たのが17時前、駐輪場に停めてJCBホールのアリーナへ。
係員に先導してもらって前から4列目の席、柔術の先輩方に挨拶して前を通してもらって席へ。
第3試合が始まるとこ。
第2試合の朴光哲戦を見逃した。
これから、リオン武、日沖 発、遠藤雄介、漆谷康宏、佐藤ルミナ、松根良太、上田将勝、田村彰敏、有名選手がゾロゾロ出場する。
■そうそう、来るときの後楽園で、コスプレの若者がたくさん集っていた。
なにかのイベントかな。
ものすごい数。
あれは、楽しいね。時間に余裕があれば写真をちらりとでも撮ったのに。
では観戦。
2010年05月20日
2010年05月18日
■22時35分の時計を見てから職場を後にしてメガロス田端へ。
10分走って10分泳げるかと思ったのに、5分しか泳げなかった。
部屋に寄ってシューズを取ってきたのと、プールの前にトイレに寄ったのが原因か、そもそもムリだったのか。
■フロント、ジムフロア、プール、それぞれにあいさつの他にスタッフから気軽に声がかかる。
フロントのカトーさんとは久々。帰りは少し長めの立ち話。
忘れないようにここにメモりたいけど書けないな。
他にカマノくんとセノーさん。
いい感じだよね。
プールはシブヤくんヤマノウチさん、うわっ新人のコの名前が出てこない、ごめんなさい。
ジムはサトーくんウエシマさんなど。
みなさんありがとう。
ではまた。
■ランは軽くストレッチしてから10分間2km、つまりキロ5分のペース。後半は緩急つけて最後に時速12kmキロ4分36秒のペースで終わり。
10分でも汗は出始めるけれど足りないな。15分あたりから始まって30分くらいないと。
■スイムは平泳ぎをケノビからゆっくり大きく。
水の流れを感じながら水と一緒にゆっくり流れてると、メガタバに入会する以前、区民プールに行って息抜きしてた頃、がらんとした夜のロッカールームと閑散とした静かなプールを思い出す。
5分でもほとんど休まずに行ったり来たりしてればそれなりに息も上がるし爽快感もある。
ではね。
10分走って10分泳げるかと思ったのに、5分しか泳げなかった。
部屋に寄ってシューズを取ってきたのと、プールの前にトイレに寄ったのが原因か、そもそもムリだったのか。
■フロント、ジムフロア、プール、それぞれにあいさつの他にスタッフから気軽に声がかかる。
フロントのカトーさんとは久々。帰りは少し長めの立ち話。
忘れないようにここにメモりたいけど書けないな。
他にカマノくんとセノーさん。
いい感じだよね。
プールはシブヤくんヤマノウチさん、うわっ新人のコの名前が出てこない、ごめんなさい。
ジムはサトーくんウエシマさんなど。
みなさんありがとう。
ではまた。
■ランは軽くストレッチしてから10分間2km、つまりキロ5分のペース。後半は緩急つけて最後に時速12kmキロ4分36秒のペースで終わり。
10分でも汗は出始めるけれど足りないな。15分あたりから始まって30分くらいないと。
■スイムは平泳ぎをケノビからゆっくり大きく。
水の流れを感じながら水と一緒にゆっくり流れてると、メガタバに入会する以前、区民プールに行って息抜きしてた頃、がらんとした夜のロッカールームと閑散とした静かなプールを思い出す。
5分でもほとんど休まずに行ったり来たりしてればそれなりに息も上がるし爽快感もある。
ではね。
2010年05月06日
■18時半からの「木曜泳ごう会」へ18時半すぎて職場を出る。
数年かけて少しずつ運動不足になっていて、この3月4月の繁忙期でカラダがなまってるのがわかる。
向かい風とはいえ明治通り30km/h超えての巡航ができない。
雑司ヶ谷体育館プールに着く頃にはフトモモがパンパン。
ふらふらと階段を上ってロッカールーム、19時、準備運動が終わったところに合流。
■前回同様にBクラス、イシザカ先生。
昨年7月の入会時の初日にDクラスで少しだけお世話になった、ドリルのバリエーションの多い指導の細やかな先生。
だと思っていたら、実際習ってみるとイシヅカ先生と同じようにとにかく泳がせる。雑談というか休憩時間が少ない分さらに泳がせられている感じ。
といっても1,000mだった。
そか、ビート板キックが多いからか。
時間の半分近くを前回同様にビート板キック。
つらいけどこういう練習は一人ではできないのでとてもためになる。
今回はクロールということで、後半はクロールの練習。
5月の残り3回で他の泳法をするという。
クロールでこれだけたいへんだったら、バックとバッタの回がつらそう。
■20時半に終了、健司先生に先導してもらいと自転車で途中まで帰る。
この間の雑談というか会話も得るもののが多い。
メガロス田端に21時20分。
21時半からの「はじめてマスターズ」に出られる。
4月から始まったこの30分のクラス、初回に出て今回で2回目。
間に2回あったのだが出られなかった。
スイムビューティーササキコーチ。
なぜだか先頭になってしまったので、サークルの出だしにとまどいつつなんとか30分を終える。
さて、これから職場。
数年かけて少しずつ運動不足になっていて、この3月4月の繁忙期でカラダがなまってるのがわかる。
向かい風とはいえ明治通り30km/h超えての巡航ができない。
雑司ヶ谷体育館プールに着く頃にはフトモモがパンパン。
ふらふらと階段を上ってロッカールーム、19時、準備運動が終わったところに合流。
■前回同様にBクラス、イシザカ先生。
昨年7月の入会時の初日にDクラスで少しだけお世話になった、ドリルのバリエーションの多い指導の細やかな先生。
だと思っていたら、実際習ってみるとイシヅカ先生と同じようにとにかく泳がせる。雑談というか休憩時間が少ない分さらに泳がせられている感じ。
といっても1,000mだった。
そか、ビート板キックが多いからか。
時間の半分近くを前回同様にビート板キック。
つらいけどこういう練習は一人ではできないのでとてもためになる。
今回はクロールということで、後半はクロールの練習。
5月の残り3回で他の泳法をするという。
クロールでこれだけたいへんだったら、バックとバッタの回がつらそう。
■20時半に終了、健司先生に先導してもらいと自転車で途中まで帰る。
この間の雑談というか会話も得るもののが多い。
メガロス田端に21時20分。
21時半からの「はじめてマスターズ」に出られる。
4月から始まったこの30分のクラス、初回に出て今回で2回目。
間に2回あったのだが出られなかった。
スイムビューティーササキコーチ。
なぜだか先頭になってしまったので、サークルの出だしにとまどいつつなんとか30分を終える。
さて、これから職場。
■メガタバの駐輪場から巣鴨の整骨院シケヤスに電話したら誰も出ない。休みか。
天気も良いので上野ASAZOまで行ってみよう。
と、途中の千駄木の松屋に寄る。
ASAZO、水曜日って定休じゃなかったっけ。
祝日にも休むのかわからんけどとりあえず行ってみよう。
■食事の件、温泉旅館ではちゃんとしたごちそうで腹一杯に食べたし、ついでに両親宅に1泊したときもちゃんと食べさせてもらったのだがなにせ写真を撮る余裕がない。
週末などに両親宅に泊まりに行って父の散歩の手伝いなどをしてもう2年になるが、「介護」という言葉はしっくりこないし父がまるで衰えた老人のようで好きじゃないので使わなかった。
父は老いて身の回りのことができなくなってしまったのではなく、病気で手術をしたからだ。
それは自分にもあり得るし、もっと若い人たちにも誰にもあり得る。
介護認定をとって補助があったとしても、回復するまでに人の手を借りるのは介護とは言わんだろう。
どうしてもってときは「介助」って数回使った。
しかし最近の、具体的には胆嚢の入院手術のあとの父にたいして必要なのは残念ながら「介護」だ。
そんな感じだ。
天気も良いので上野ASAZOまで行ってみよう。
と、途中の千駄木の松屋に寄る。
ASAZO、水曜日って定休じゃなかったっけ。
祝日にも休むのかわからんけどとりあえず行ってみよう。
■食事の件、温泉旅館ではちゃんとしたごちそうで腹一杯に食べたし、ついでに両親宅に1泊したときもちゃんと食べさせてもらったのだがなにせ写真を撮る余裕がない。
週末などに両親宅に泊まりに行って父の散歩の手伝いなどをしてもう2年になるが、「介護」という言葉はしっくりこないし父がまるで衰えた老人のようで好きじゃないので使わなかった。
父は老いて身の回りのことができなくなってしまったのではなく、病気で手術をしたからだ。
それは自分にもあり得るし、もっと若い人たちにも誰にもあり得る。
介護認定をとって補助があったとしても、回復するまでに人の手を借りるのは介護とは言わんだろう。
どうしてもってときは「介助」って数回使った。
しかし最近の、具体的には胆嚢の入院手術のあとの父にたいして必要なのは残念ながら「介護」だ。
そんな感じだ。