実を言うと、私は、うつ病も患っている。50歳を過ぎた頃より症状がひどくなっていたようで、6年位前についにカウンセリングルームの扉を叩いた。初回には、それまで自分に起こっていた出来事、家族関係、生活歴などについて聴き取りが行われた。そのあとで、カウンセラーの先生(以下O氏)との面接があった。
 O氏は若々しいスリムなタイプのカウンセラーだった。O氏は、開口一番「これはひどいなぁ。サラブレッドだ」というようなことをつぶやいていた。O氏の言うには、私の鬱の原因は雑多で根の深いものらしく、乳児期の体験にも原因の一端があるかもしれないとのことだった。
 思春期を過ぎて成人してから、後に叔母から聞いた話なのだが、私は生まれてすぐ半年間くらい乳児院にあずけられていたそうだ。母は、私が生まれるとすぐに育児ノイローゼになり、私をおぶって河の橋桁のところにボーッと立ちすくんでいるところを、通行人が不審に思って声をかけてくれたのだそうだ。その人が声をかけてくれていなかったら、もしかしたら私は今こうして生きていなかったかもしれない。

 そのことに鬱の原因があったのかどうかは、今となってはどうでもよいことである。カウンセリングを受けた時に、それまでの自分の人生を振り返ってみたのだが、そのとき気付かされたのは、自分にはいつもどこかに他者に対する恐怖感があって、人と接するときにいつも緊張しているということだ。いつも周りに気を使いすぎて、思っていることを素直に表現することができず、うまく運んでいた筈のことを、結局は無意識の内に壊してしまう。これまでの人生は、そんなことの繰り返しだったような気がしている。

 周りに原因があったことも多いに違いない。仮にそうであったとしても、そんなことも最早どうでもよくなっている。

 私は、4人家族の長男であるが、両親はすでにこの世にはなく、八歳年上のたった一人の姉も、40歳代に天国に旅立ってしまった。家族の中では、私は唯一の生き残りだ。私はおばあちゃん子であった。長生きした祖母であったが、明治生まれの祖母はもちろん今はいない。

 幸い、今私には家族がいるのでまだ救いがあるが、やはり、とてつもなく淋しい。

 家族がいても、私はこの豊かな日本のなかに暮らしていても、圧倒的に孤独だ。難病も苦しいが、病気よりももっと苦しいことがある。それは、誰からも愛されないことだ。私は、これまでの人生で次のことを学んだ。

  人間に「愛」なない
  人間は、赦さない
  人間は、謝らない
  人間は、感謝しない
  人間は、契約を守らない

 人間に「愛」があれば、人間に赦す心があれば、人間は謝るであろうし、感謝もするようになるだろう。
 人間に「愛」はない。世の中から戦争はなくなっていないし、殺人はあるし、子どもたちは餓死しているし・・・

 諸行は無常である。しかし、すべてが失われても、そこにたった一つ残るものがある。

 最後に残り、しかも永遠にあるもの。それは、「神の愛」だ(と思う)。神の愛は宇宙に偏在している。

 繰り返し言おう。人間に「愛」はない。あるのは神の愛のみだ。誰からも愛されない身となってみて、初めて、私は世界に神の愛が偏在していることを実感できるようになった。

 鬱に苦しむ私に向かって「あなたは神に愛されている人ですね」と言ったO氏の言葉が、私の心の奥底にいつも響いている。



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