川柳と周辺の作業 の巻

376e7c60.jpg 川柳というものに関わって20数年が経つ。
 おかじょうき川柳社の中でも年齢が上の方になったからか、あれこれの役を演ずるようになって川柳にいつも追いかけられている。
 今回は川柳に関し私が今どんなことをしているかここに洗い出してみようと思う。

 まず、句を作ることについて。
 句を作ると言えば、私の場合句会、大会及び柳誌への投稿が主なもの。
 川柳は提出句数の何倍も作り、その中からいいと思われるものを選んで投句すべきであるが、数だけやっと揃えて間に合わせているのが実状だ。
 参加している句会は、おかじょうき川柳社例月句会のみ。
 これには7月以外の十一か月毎月出席している。
 7月は年1回の大会「川柳ステーション」があって、私はこれに句を提出していない。
 おかじょうき川柳社の例月句会で使う句は宿題、席題と研究吟で毎月13句。単純計算すると年間140句ほど提出している。

 大会のための作句について。
 昨年参加した大会を振り返ってみよう。
 1月には弘前川柳社が開催している「新春川柳大会」(会場・弘前市)へ参加した。
 ここの宿・席題は6題で2句ずつ提出、それと我洲杯1句で計13句提出。
 2月は「青森県近代文学館川柳大会」(会場・青森市)に参加。
 この大会の宿・席題は5題。各題2句提出で計10句提出。
 5月は「金木桜まつり川柳大会」(会場・五所川原市金木地区)。
 この大会は宿・席題が5題で2句ずつ、それと岸柳杯が1句で11句提出。
 次は9月で、9月は大会が2つあった。
 東奥日報社が主催する「県川柳大会」(会場・青森市)が先で、ここでは7題の宿・席題にそれぞれ2句提出なので全部で14句提出。
 そのおよそ10日後に黒石市で「川柳忌県下川柳大会」が開催された。
 宿・席題は5題で2句ずつ提出。それと特別選1句の提出があったので全部で11句。
 10月も大会は2つ。
 まず「五所川原川柳大会」(会場・五所川原市)へ参加。
 ここは宿・席題が5題でそれぞれ2句提出。それと特別選が1題・1句だから全部で11句提出。
 1週間後の「県下深浦川柳大会」(深浦町)にも参加。
 ここは2句提出の宿・席題が5題、それと特別選が1題1句提出だから11句。
 11月は「青森市民文化祭川柳大会」(会場・青森市)があって、6題の宿・席題に2句提出だから12句。
 結局、年間7大会に参加し、宿・席題及び特別選などに計90句ほど提出している。

 柳誌への投稿は2か所。
 月刊おかじょうきの雑詠欄「無人駅」へ毎月5句提出するので、年間60句を無理やり作る。
 青森県川柳社機関紙「ねぶた」の「山家集」へも毎月5句提出することになっているので、ここにも年間60句を作っている。
 ということで、昨年の句会・大会・柳誌などに提出した句の数はおよそ350句である。
 大まかに言えば毎日1句作っているということになる。

 次に、選者をやっているものをチェックしよう。
 先に述べた大会の多くは結社代表ということで選者を兼ねることが多い。
 そのほかのものを列挙してみる。
 まず、私の住んでいる蓬田村の広報に子供川柳の欄があって、年間9回蓬田小学校の生徒が作った句を読んで選をし選評を書いている。これは、句箋がわが家に届けられたその日の内に処理するようにしている。
 新聞は、読売新聞青森県版「よみうり文芸・時事川柳」のコーナーを杉野草兵さんから引き継いで担当しており、青森県内から集まる投稿作品をほぼ毎週選をし、「寸言」という100字ほどの雑文も書いている。 これも、子供川柳同様なるべく当日中に処理するよう自分なりに義務付けている。
 青森県川柳社の機関紙「月刊ねぶた」が毎月発行されていて、中に「百彩の虹」というコーナーがある。そこの推薦句を私も選ぶことになっていて、これはおよそ200句から3句を選ぶという作業。
 これは翌月報告だから時間的に少し余裕がある。
 川柳ひらない誌でも似たような作業を数年続けていて、これも毎月で、60〜70句から6句を選んでその日の内にハガキで返信する。

 ラジオ番組も担当している。
 毎週土曜日昼12時から10分間放送されるエフエム青森のミニ番組「チャレンジ川柳!むさし流!」である。
 放送は毎週だが、収録は月1回。県内外から毎月100句ほどの投稿があって、その中から4回、あるいは5回放送する分の入選句を選び、マイクに向かって言うコメントを毎月考える。
 これが、簡単なようでいて意外に難しい。

 ほかにもやっていることがある。
 おかじょうき川柳社が主催する川柳教室である。
 青森駅前のアウガという市役所の建物に1室を借り、月2回実施している。
 聴講してくれる方は今のところ12〜13人。
 それらの方々へ毎回宿題を1題出す。
 宿題は、葉書やメールで事前に2句ずつ私に届けられるので、受付簿を作り、届くたびに受け付け、提出された全ての句にコメントをつける。
 その資料がA4で4枚ほどになる。
 教室は午後1時から2時半頃までで、提出された全句から気に入った2句を参加者に選んでもらい、選んだ理由をそれぞれ話してもらいながら私のコメントを付け加える。
 コメントは適当なことばかり言っているのだが、これまた難しい。

 原稿を書くという特に頭の痛い作業もある。
 定期的に書かなければいけないのは、月刊おかじょうきに掲載されるものが2つ。
 1つは、会員雑詠集「無人駅」の鑑賞コーナー「カンテラ」。
 もう1つは、「ムーさんの独り言」というこの雑文。
 両方とも例によって甚だ勝手なことばかり書いているのだが、四苦八苦しない月はない。
 原稿と言えば、月刊おかじょうきに載る句会結果を毎月キーボードに向かって打ち込むという作業も担当しているし、川柳ステーションのトークセッションはテープ起こしも担当している。

 次は会議。
 おかじょうき川柳社の運営や月刊おかじょうきの編集について毎月打合せが開催され、代表であるので当然毎回出席しなければならない。

 最後に、おかじょうき川柳社代表という役目のこと。
 故角田古錐さんは「おれがおかじょうきの代表だとただ威張っていればそれでいい」と言ったが、実際は全然違う。
 簡単に言えば、代表とは運転手であり書き役であり、時にはカメラマンにもなりと柳社に関するあれこれを何でもやらなければいけない雑用係のようなもの。

 以上が、川柳に関し今の私がやっている主なこと。
 これ以外に突然選者依頼が舞い込むこともある。
 ということで、私はほぼ毎日何らかのかたちで川柳と関わっている。
 気が小さいものだから夜中に原稿のことでうなされ目が覚めてしまったりすることもある。
 忙しいのはボケ防止にいいと言われるが、さてさて、この状態一体いつまで続けられるのだろう。
 そのうちきっと大きいミスをする。
 そうすれば役目から外され楽になれるだろう。
 そうなる前にどこかを何とかしたいのだが…。


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Posted by musan8 at 2017年06月15日 22:05Comments(4)TrackBack(0)川柳

ボールペンと不満と の巻

ee7992ce.jpg 文房具が好きである。
 中でも、筆記具が好きだ。
 私はもうすぐ70歳。今の時代のどこにでもいる団塊世代の老人である。
 しかも、あちこち壊れた無職不透明の老人で、未だ文房具に未練というか強い関心があって、文具店のガラスケースの中に飾られた万年筆を買えるわけもないのに長い事じぃっと覗いていて店員に不審の目で見られたりしている。
 インターネット通販のホームページをあちこちググっていたりもする。
 ホームページは私がどれだけ長い時間万年筆の写真を見つめていようとも誰も咎めだてをしないので目が疲れるほどあれこれいつまでも見ていたりする。
 よって、私は目薬常用者である。

 若い頃から筆記具が好きだった。
 鉛筆も万年筆もボールペンも、ただの老人にしてはたぶん呆れるくらい数も種類も多く持っているはずだ。
 しかし、それを使って何か仕事をしているわけではない。
 ごくたまに手紙を書かなければならなくなって、失礼のないように万年筆で書こうとしても10本以上ある万年筆はほとんど使われることがないのでインクが切れていたり、内部で固まっていたりでそのまま使えたためしがない、というのが偽りのないところ。
 持っている筆記具の多くはわが家のあちこちで眠っている。
 使いもしない、と言えば毛筆だって細いのから太いのまで20本以上はあるし、筆ペンも10本ほど持っている。
 ではあるが、私は筆記具コレクターではない。
 それほど高価なものを買うわけでもない。
 邪魔になるほど筆記具があるが、文章を作らなければならないことがあればパソコンを使っている。
 では、何ゆえ大して使いもしない筆記具を今も買うのだろうか。
 実は、筆記具というものには私を引き付けてやまない何とも言えない何かがあるのだ。
 もしかしたら私の心の奥で、自分に合った筆記具を使えば上手な字が書けるかもしれない、とか、書きやすい筆記具だといい文章やいい川柳が書けたりするかもしれないという微かで遥かでいびつで淡い希望のようなものが瞬いているのかもしれない。

 鉛筆は今のところ月光荘8Bが心の真ん中に堂々と君臨しているのであまり問題がない。
 問題は万年筆とボールペンである。
 この2種類は満足できるものを持っていない。
 (と言うか、先日まで持っていなかった。)
 高額なものであれば私にしっくりぴったりくるかと言えば、買ったことがないので正確なところは分からないがそうでもないような気がする。
 私の手と指と頭に合う書き心地の問題なのだ。
 矛盾だらけだが、滑りすぎない、走り過ぎない、それでいて力強く滑らかに悠々とした文字の書けるペンが私の理想である。
 今までいろんな万年筆やボールペンを使ってきたがそんな私を満足させるものがなく、それをいつも不満に思っていた。
 とんでもなく高価だが私の希望を満たすものがこの世にもしもあるとすれば、貧乏人の私にはもちろん買えないだろうが希望が残されていることになり生きて行く活力になる。

 では、まず万年筆のこと。
 万年筆は常時使っていれば問題が少ないが、放っておくとインクが蒸発してなくなっていたりするからやっかいだ。
 ずぼらな私には向いていない筆記具と言えるだろう。
 それでも、若いころ買ったモンブランやパーカー、パイロットなどが机の脇にある。
 モンブラン149などは専用の革シースに収まったまま何年も使われていない。
 赤いパーカーのデュオフォールドは樺細工のペンケースの中で眠り続け、その存在が忘れられるほど長い時間が経過している。
 特殊な脳波の一つと言われるシータ波をイメージしたセーラー創業85周年記念限定万年筆などというわけの分からないものまである。
 それらを一緒に山葡萄の蔓で編んだ小さな籠に無造作に突っ込んでいる。
 こうして置くと、見つからないということがなく精神衛生上誠に助かるのだ。
 今は使わない万年筆だが、たまには手に取ってボディをなでまわしてやったりペン先を見つめてやろうと思っている。
 どうしても使わなければならない場合はボトルのインクがあるので付けペンとして使うつもりだ。
 ただのおバカさんだとばれにくいように少し言い訳をしておく。

 次に、本題のボールペン。
 ボールペンは現代日本で、いやたぶん世界中で今一番多く使われている筆記具ではないだろうか。
 私はボールペンを主としてメモ用に使っている。
 メモしておかないと思いついたことをすぐ忘れてしまうので、紙と筆記具を家のあちこちに置いたり持ち歩いたりしている。
 ボールペンは万年筆のようにインク漏れの心配がなく、鉛筆のように芯が折れる心配もないのでメモにぴったりだ。
 だから、何本も持っている。
 1本100円程度のものがほとんどだが、少し高いものもあったりする。
 この世にはいろいろなタイプの人間がいるが、ボールペンは文字を書けさえすればそれで良いと考える派と、少し高価でもすらすらと気持ちよく書けて、しかも満足できるデザインでないと困るという派の二つに分かれるようだ。
 私は明らかに後者のタイプである、と思う。

 私だけの感覚かもしれないが、以前のボールペンはそれほど書きやすい道具ではなかった。
 書き始めにインクが出なかったり、かすれたり、固まりで出て来たりと私を長い間いらいらさせて来た。
 ところが、近年は低粘度のインクが出回るようになってなかなか書き心地のよいものもある。
 そんな中で私のお気に入りは、三菱鉛筆のジェットストリームだ。
 ホームページに《「クセになる、なめらかな書き味。」を実現した、世界初の画期的な新開発インクを搭載し、既存の油性ボールペンと比較して、『JETSTREAM』は筆記速度に関わらず、低い筆記抵抗でなめらかな書き味を実現しました。》と、何だか難しいことが書かれているがそれなりに書きやすい。
 そんなわけで、百数十円のジェットストリーム・スタンダードや、それより少し高いラバーボディなどがわが家のあっちにもこっちにも、あっちのカバンにもこっちのカバンにもと所かまわず置かれている。
 そんなに好きなジェットストリームだから、古いカバンから数年ぶりに見つかったパーカーのブルーの軸のボールペン、デュオフォールドに使えないだろうかと考えた。
 そいつを買ったのは10数年も前のことで、せっかく買ったのだが書き心地に不満があった。
 それ故に何年もカバンに入ったままになっていたのである。
 インターネットの筆記具関係ブログをあちこち見ていたら、パーカーのボールペンはアダプターを使えばジェットストリーム用の替え芯が使えると書かれていた。
 ゼンハイソゲとばかり、ネット上の安売り文具店へアダプターとそれに合うジェットストリームの替え芯を注文。
 せっかちなものだから、注文した次の日からまだ来ないかまだ来ないかと待っていたが、ネット通販も日曜祭日は荷造りや発送作業をしないらしく注文してから5日後に届いた。
 かくして待ちくたびれた私の首は少し長くなった。(うそです。)
 1個千円ほどのアダプターが1個、ジェットストリーム替え芯はブルーとブラックが1本ずつでそれぞれ200円、それと送料、代引き手数料で2千円を超えた。
 宅配業者が帰るや否や紙製の小さな箱からアダプターを取り出し、一緒に届いた黒のジェットストリーム替え芯をそれに突っ込んでデュオフォールドへセットする。
 難しい作業は一つもない。
 デュオフォールドというペンは1920年代、ジャズとアールデコの時代に誕生したパーカーのフラッグシップモデルで、デザインも悪くはないが手に持った時の重さとバランスが何とも言えない。
 しばらく手に持ってそんなことを楽しみ、どきどきしながら試し書きに取り掛かった。
 ところが、である。
 何と、インクが出ない。
 ぐるぐると螺旋を書いても紙の上にはペン先のへこみしか残らない。
 百数十円のジェットストリームにだってありえないことが現実に起こった。
 インクを黒から青に替えてみたが同じだった。
 ショックである…。
 ペン先を寝かせ気味にしてしばらく紙へこすりつけているとやがて諦めたようにインクが出始め、その後はスムーズに書けるようになるが、放っておくとまた書けなくなる。
 その現象はその日のその後も、次の日も、それ以後もずっと続いた。
 それでも何とか我慢し数日使っていたが、ついにキレた。
 別の具合悪さにも気づいたのだ。
 紙に字を書く時は誰でもペン先を紙に押し付けるのだが、その時微妙にガタつきを感じるようになった。
 これでは2千数百円も掛けてわざわざ使いにくくしたようなもの。
 実に情けなく心が落ち着かない状態に陥った。
 これではいけない、と解決策がないかインターネットであれこれ調べ始める。
 こんな時の頼みの綱はインターネットだ。
 すると、パーカーの替え芯と形もサイズも全く同じ別の会社の替え芯が何種類か販売されていて、それが何不自由なくパーカーのボールペンに使えることが分かった。
 中に、やたらと評判のよい替え芯が紹介されている。
 伊東屋が扱っているというROMEOだ。
その替え芯は太さ(ボール径)が1ミリのものしかないが、書きやすくさえあれば私は何ら困らない。
 わずかでも良い方法があるとすぐそっちへ傾くのが私の悪い癖だが、アダプターとジェットストリームの替え芯で失敗したばかりなのでネット通販で買うのはどうにも気が進まなかった。
 では、どうすればよいか。
 実際にROMEOの芯をデュオフォールドへセットして試し書きし、ガタつきがないか、書き心地いいか確認してから買うべきである。
 それはそうだが、わが家の近くの文具店にROMEOがあるとは到底思えなかった。
 何たって世界のイナカ青森なのだ。
 そんな青森でも、パーカー純正の替え芯ならたぶん買える。
 純正替え芯の書き心地が昔とどう変わっているかは知らないが、それで我慢するしかないという結論に至った。
 ところが、実際にはわが青森もそんなに馬鹿にしたものではなかった。
 デュオフォールドを青森市内の文具店へ持っていき
「これに合う替え芯をください」
と言ったところ、中年の男性店員が無造作に数種類の替え芯を私の前に並べた。
 そして、中の1本を慣れた手つきでデュオフォールドにセットし
「この芯は純正ではないのですがどうでしょうか」
と言った。
 差し出された試し書き用の紙にぐるぐると線を引いて見ると快感を感じるような書き心地。
 それが何とROMEOだった。
 「これでいいです。これが欲しかったのです。」
と6百円プラス税を笑顔で支払う。
 そうして今、私は、雑文の締め切りが迫って冷や汗にまみれているにもかかわらず、雑用紙とROMEOの入ったデュオフォールドを持ち出して無意味でテキトーな文字や図形をいつまでもあれこれ書いてニコニコしているのである。
 何かを書かないではいられない、そんな書き心地なのだ。
 それって本当なの?と思われるかもしれないが、実話である。
 ただし、「私にとっては」という前提のある書き心地なので注意していただきたい。

 いきなり話が変わるが、私は不満まみれで数十年生きてきた。
 それは現在も進行形で、恐らく死ぬまで続く。
 何が不満かと言われれば何にもかににも不満である。
 特に自分自身に対して強い不満がある。
 股関節の具合が悪くて嫌になるほど痛いし、酒をちょっと多めに飲んだだけですぐ酔ってしまうし、酔えば言った事も言われたことも忘れてしまう。
 まだある。
 字が下手くそなこと、字を丁寧に書くことができないこと、ぼやけて通らない声質、川柳がうまく作れない、こんなことを考える自分の性格も不満、と全身不満だらけで何でこんな自分に生まれてしまったのだといつも嘆いている。
 まだまだあるが書くのが面倒。
 私が立っていれば、それは不満が立っているのであり、私は歩く不満である。
 そして何より不満なのが脳の働きが生まれてこの方ずっとパッとしないということ。
 何でもどんどん記憶できて、それをいつでも自由に引き出せて、物事に対する判断力に優れ、すごいセンスの川柳を次々書ければ言うことないのだが事実は全くの逆だ。
 その上、先に書いたように好きな筆記具にさえ不満を持っている。
 たぶん…、私がいろんなものに持っている不満とは違うと思うが、誰もが少しは不満を抱えて生きている。
 そして、多くの人間に不満があるからそれを解消しようといろんなものが発明され開発され仕組みが作られこの世が動いている。
 この世は不満というものがあるから進化し続けているのだ。
 話がまた変わって”地球は回り続けている”ということは誰もが知っている。
 それでは、地球はどうして回るのだろう。
 地球が回り続けるための動力というものがあるのではないか。
 その動力はもちろん輪ゴムなんかではない。
 もっと大きなもの。
 もしかしたら私の大発見かもしれなく、とんでもなく間違った考えかもしれないが、その動力は「人間どもの不満」という摩訶不思議なものではないか…。
 世界中の不満が地球をごろごろ転がしているのだ。
 だから、いつでも何にでも大いに不満を持っている私は地球が回り続けるためにとてつもなく貢献しているということになる。
 違うだろうか…。



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Posted by musan8 at 2017年03月15日 14:10Comments(0)TrackBack(0)

風と屋根と締切と の巻

ee47e7b4.jpg 屋根のトタンが剥げているようなガワガワという激しい音に目が覚めた。
 だいぶ前から強い風が家に吹き付けているのは意識の底で感じていたが、それよりはるかに大きい音。
 ガワガワというよりバリバリに近く、物が壊れているような音。
 半端じゃない怖さがある。
 突風だ。
 生まれてこの方70年近くこの地に住んでいるが今の音は特別だった。
 瞬間的に風速20メートル以上になったかもしれない。
 私が寝ているのは2階西側の部屋。
 冬の津軽は強い西風の日が多いのだが、年に1〜2度というとてつもない風が今吹き荒れている。
 恐らく猛吹雪だ。
 畳の上に布団を敷いて寝ているので、耳が屋根とほぼ同じ高さにあってトタンの泣く音が真っ直ぐ届く。
 津軽の人も犬も家も何もかもがこの風と音と雪に耐えなければならない。
 こんな時は屋根のトタンが剥がれても外へ出てはいけない。屋根が壊れてどこかへ持っていかれるまではじっとしているしかない。
 たぶん屋根は壊れていないしトタンも剥げてはいない。
 なんとなくそれは分かる。
 きょうは2017年1月12日、木曜日。
 この冬は年末から数日前まで過去に経験がないほど好天が続き、3日前は何と「積雪なし」と報道された。
 それが一転し、昨日から吹雪。
 雪掻きもせずに良い思いをしてきた罰ではないだろうが、困ったものだ。
 私は寝る時、習慣的に小さな明かりも消してしまうので真っ暗で何も見えない。
 枕元にいつも置いてある二つ折りの小さな時計を手探りで探しボタンを押す。
 ぼんやりとデジタル表示が見えた。
 午前3時半だ。
 この時計は安物だが光エネルギーを電気エネルギーに換えて動くソーラー時計で、しかも電波時計だから狂うことがない。
 昨夜寝る時も風が強く、もしかしたら風の音で夜中に目が覚めるかもしれないと思ったが、これほど強くなるとは予想外だ。
 最近の天気予報は昔と違ってよく当たる。
 テレビの天気予報にはたいてい気象予報士が出てくるし、気圧の変化や寒気の動きなどを元に詳しく説明してくれる。
 昨日の予報では青森県に猛烈な風が吹き雪も非常に多いと言っていた。
 酸ヶ湯の積雪は2メートルを超えたらしいが、あそこは八甲田山の中腹だから平地に住む者には参考にならない。
 突然、強い風の音がして家が震えた。
 トタンの音が耳を襲う。
 グワッグワワワッ。
 屋根が壊れたんじゃないかと恐ろしくなる。
 でも、壊れてはいない、と思う。
 これまで何度か経験しているので慣れてもいいはずだが、屋根のトタンのこの音は聞くたびに「ああ嫌だ」と思う。
 なんでこんなところに生まれてしまったたのだ、と呪いたくなる。
 できもしないことだが、雪の降らないところへ移住したい。
 何でさっさと引越ししないんだ、とも思う。
 やってやれないこともないだろうが、それは現実的じゃないことも知っている。
 もしかしたら、家の西側10メートルほどのところを走っているJR津軽海峡線がストップしているかもしれない。
 始発が通過するのは5時40分ころだからまだ先だが、貨物列車は夜中でもしょっちゅう走る。
 あのゴーゴーとうるさい音をきょうは聞いていないような気がする。
 風の音が邪魔で列車の音が聞こえないのか、雪がひどく降り積もって音を吸収してしまうのか、それとも走っていないのか…。

 再び眠ろうとするが、風の音が眠りの世界へなかなか戻してくれない。
 少し考え事をする。
 15日は「月刊おかじょうき」の原稿締め切り日だ…。
 あと3日しかない…。
 1月句会の結果は打ち終わったが、雑文「ムーさんの独り言」を書かなければいけない。それに添える写真も見つけなければ…。
 自由詠鑑賞コーナー「カンテラ」に載せる句を選んで鑑賞文、のようなものも書かなければいけない。
 先月の自由詠欄から月間賞の句を選ばないとならない。
 あれもこれも手つかずだ…。
 うーん、きょうの午後は青森ペンクラブの役員会があって出席することになっている…。
 でも、この天気だから、雪片づけが大変そうだし、津軽線がいつ運休にならないとも限らない…。事務局へ欠席の電話を入れよう…。
 待てよ、明日の夕方はおかじょうき川柳社の打ち合わせがある…。
 締め切りまで原稿を揃えることができるのだろうか、うーん、うーん…。
 頭の中をそんなことが行ったり来たりしている内にいつの間にか眠っていた。

 次に目が覚めたのは午前6時25分。
 夜はまだ明け切っていない。
 数年前から朝6時半頃になると勝手に目が覚めるようになった。
 友人に目覚まし時計を持っていないやつがいて、彼は若いころから起きようと思った時刻に自然に目を覚ますことができるという。
 まるで人間時計みたいなやつだが、私が朝6時半頃目覚めるのはそれとは違う。たぶん老化現象だ。
 風が相変わらず家に襲い掛かっている。
 パジャマの上に薄いダウンジャケットを羽織って部屋を出ると、薄明りの中に屋根が見えた。
 吹雪いているが、それほどひどくはない。
 あちこち見回しても屋根はどこも壊れていない。
 屋根の上には積雪が5〜6センチ。
 雪掻きが楽で助かるなあと思いながら階下へ降り、トイレに入って膀胱を軽くする。
 トイレには小さなパネルヒーターを置いて24時間電源を入れっぱなしにしてあるから寒くはない。
 トイレを出て居間兼キッチンへ。
 とてつもなく寒いというわけではないが気温はプラスじゃないだろう。
 居間側の大きな石油ストーブとキッチン側の反射式石油ストーブの両方へ点火。
 南部鉄のケトルをペットボトルの水で満たしキッチンのIHヒーターへ載せる。
 テレビのスイッチをオン、チャンネルはNHK総合だ。
 朝起きるといつもテレビをつけるのだが、前に座って画面を見るわけではない。
 キッチンが部屋の西側にあって、窓に風が吹きつけうるさかった。
 家は親父が建てたもので、もちろん文句を言うべきではないが、雨や雪が2階の屋根から1階の屋根に落ちる構造になっていることやキッチンが西向きになっているところなど気に入らない所がいくつかある。
 自分がいいと思うように建て替えればいいのだが、それは無理。金がない。
 そんなことを考えているより、早くコーヒーを淹れ朝食を済ませて雪片づけをしなければならなかった。
 何やかやを済ませたら、2階のストーブへ灯油を満たし、何とか原稿づくりを始めよう。
 カンテラへ先に手をつけようか、それともやっかいな「ムーさんの独り言」を書き始めようか…。
 でも、ムーさんは何を書けばいいんだ?
 待てよ…、黒石川柳社から選句依頼もあった…。
 そうだ、ペンクラブの事務局に欠席する旨電話しないと…。
 あまり早く電話しても迷惑だろうから9時頃にしようか…。
 いろんなことが頭の中でモクモクしている内にケトルの湯が沸騰。
 コーヒー抽出用のポットとサーバー、ドリッパーをテーブルへ並べる。
 淹れたコーヒーを保温するための小さな電気コンロも出す。
沸騰している湯は高温すぎるので、冷ますため抽出用ポットへ移し温度計を突っ込む。
 コーヒー豆をメジャーカップで2つ電動ミルへ入れる。
 豆は青森市にある専門店で仕入れたエチオピア産。
 モカが手に入らないので今はこれがお気に入りだ。
ドリッパーに円錐形のペーパーをセットする。
 コーヒーカップはどれにしようか…。
 20個ほどあるコーヒーカップの中で最近使っているのはあまり大きくない青白磁のもの。
 きょうもそれにしようかと、粉になったコーヒーをドリッパーへ入れ少し振って表面を平らにする。
 風の音に混じって玄関引き戸の開く音が聞こえた。
 吹雪の中を朝刊が届いたのだ。
 テレビが「今シーズン最強の寒波です」「北日本を中心に暴風雪、高波に警戒を」「きょうも冬型の気圧配置が続きます。北海道や東北の日本海側は雪や猛吹雪となるでしょう」などと言っている。


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Posted by musan8 at 2017年01月15日 17:19Comments(0)TrackBack(0)

ほろほろと古錐さん の巻

bfc6080f.jpg 時の過ぎるのが早い。
 もう12月、角田古錐さんが亡くなられてから既に4ヵ月が過ぎた。
 古錐さんのことを時々ふっと思い出す。
 それは夜中に突然目が覚めたときなどであるが、最近とみにボケ気味な私の脳みそは前後の脈絡もなく斑にものを思い出す。
 古錐さんは凄いアマチュア写真家で、若い頃「ねぶた祭り」の写真コンテストでグランプリをとったことがあったんだ、だとか、津軽に聳える岩木山の写真を撮るためわざわざ下北へ行って超望遠レンズで撮った、とか、絵画・彫刻など美術に詳しく、美術品の収集もしていたんだよな…、なんてことがほろほろと頭をよぎる。

 今、机の上に古錐さんの句集「北の変奏曲」(東奥文芸叢書 川柳14 東奥日報社)と私の句集「亀裂」(東奥文芸叢書 川柳9 東奥日報社)が並べてある。
 シリーズ9冊目と14冊目だから全く同じ装丁で、まるで兄弟のようであり親子のようでもある。
 「北の変奏曲」は去年(2015年)の2月に発行された。
 亡くなられる1年と半年前のこと。
 この句集の準備をしていた古錐さんは80歳を超えていて「生きている内に出版されるかな」と私に笑いながら言った。
 私はそれを聞いて、単なる冗談だと思っていた。
 その頃の古錐さんはいつもどおりの古錐さんで、一緒に酒を飲んでもいつまでも飄々としていて決して私のように乱れることがなかった。
 ところが、それから間もなく体調を崩し、それこそあっという間にこの世におさらばしてしまった。

 句集の著者略歴を見ると、古錐さんが川柳を始めたのは1995年である。
 私が川柳を始めたのは1994年12月だからほぼ同時期に川柳を始めていた。
 その時古錐さんは62歳、私は45歳。
 古錐さんは青森県庁を退職し、まず北野岸柳さんの川柳教室へ通って川柳を学んだ。
 私はと言うと、友人に「千円飲み放題の会がある」とだまされおかじょうき川柳社忘年句会へいきなり紛れ込んだ。
 極端に言えば、古錐さんは川柳というものを正当に勉強し、私は見よう見まねの自己流でただ作っていた。
 古錐さんは岸柳さんの始めた川柳ふぉーらむ「洋燈」へまもなく入会、後におかじょうき川柳社へも所属する。
 私もおかじょうき川柳社にいながら「洋燈」へ入った。
 川柳ふぉーらむ「洋燈」は後におかじょうき川柳社へ併合されたので、それこそ20数年私と古錐さんは一緒に川柳をやって来た。
 句の作り方やスタイルは全然違っていたが互いの存在を認め合っていた、と思う。

 私が古錐さんを特に意識し始めたのはいつ頃だったろう。
 川柳を始めたころ「そんなに長続きしないだろう」と思っていた私は、周りで川柳をやっているひとのことをあまり意識せず、無茶な句ばかり作っていた。
 5・7・5音でさえあればどうにかなる、と思っていた。
 それでも、周りの人達に少しでも追いつきたいと思ってはいたらしい。
 一方、古錐さんがどうだったかと言えば、それが私にはよく分からない。
 何しろ、私は生まれてこれまで川柳教室と名の付くところで教えてもらった事がない。
 だから、古錐さんが川柳教室でどんなことを学んでいたのか分からないのだ。
 先生が北野岸柳さんだから川柳の歴史や作句技術など基礎をきちんと学んでいたことと思う。
 そう言えば、古錐さんは死ぬまできちんとした方で、しかも飛びぬけて頭脳明晰な方だった。
 そんな古錐さんだから柳誌「洋燈」の編集にも携わり、自由詠欄「洋燈集」を担当していた。
 ところが、洋燈に入って間もなく私は「洋燈集」への句の提出をさぼるようになった。
 何たって句ができないのである。
 そんなことが何回か続いたとき、私の勤め先へ古錐さんが電話をくれた。
 曰く「あんたが洋燈集に句を出さないでどうするんだ」だった。
 思ってもいなかった言葉で驚いた。
 私のような海のものとも山のものとも知れないやつが句を出そうが出すまいが「洋燈集」の編集には何の支障もないはずだから、それは古錐さんの思いやり以外の何ものでもなかった。
 人生の大先輩であり、エリートであった古錐さんが私のことを覚えてくれたんだと思うとうれしくもあった。
 それから私は何とか既定の数だけ句のようなものを作って出すようになった。
 あの一言がなければ、もしかしたら私は「洋燈集」に句を出すのをずるずるとさぼるばかりか川柳をやめていたかもしれない。

 それから思い出すのは、私がおかじょうき川柳社の代表になったときのこと。
 第4代代表の岸柳さんが病に倒れてから私はおかじょうき川柳社の代表代行ということになっていた。
 ところが、いつまでも代表代行というわけには行かないから代表になるようにと一部の方々から言われるようになった。
 しかし、代表代行であれば何か失敗しても代表ほど責任を感じなくてもいいと心の隅で思っていたらしく、私は代表になるのをためらった。
 そんなある日、数人のスタッフが集まった打合せの席上古錐さんが言った。
 「代表というのは、ほかの川柳社と何かあったとき”俺がおかじょうき川柳社の代表である”と威張ってさえいればそれでいいんだ」と。
 正直言ってあれにはぶったまげた。
 理屈も何もなかった。
 そして私は思った。
 何があっても俺がついているから心配しないで代表をやれ!と古錐さんは言っているのだと。
 そう思うと気が楽になり、今でも私はのほほんとおかじょうき川柳社代表というものになりすましている。

 古錐さんは川柳もうまかったが、長文も上手だった。
 月刊おかじょうきに「古錐の車窓」を連載し、それには多くのファンがいて「びわこ」の永政二さんもその一人だったと聞く。
 そうだ、古錐さんはカラオケでよく「小樽運河」を唄っていた。

 こうやって私がこの世を去るまで古錐さんは私の心の中に住み続けるのだろう。
 古錐さん、また一杯飲ろうぜ! 

 ●

ともだちになろう小銭が少しある
これぽっちの骨が人生なのかなあ
平行線だからこの手を放せない
みんな生きてる物凄い音たてて
固ゆでの卵ボロボロ恐山
雪しんしん静かに童話続いてる
生きるってやっぱり握り飯だなァ
死後のこと話そうおーい生ビール
真っ直ぐに立てばどこかが曲がってる
日が暮れて迷子だったんだと気付く
被告席に妻を忘れたまま帰る
左手のグラスで象が溺れてる
消臭剤プシュプシュ僕が消えてゆく
             全て「北の変奏曲」からむさしが選出


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Posted by musan8 at 2016年12月15日 19:33Comments(2)TrackBack(0)

老化とか劣化とか の巻

e0887168.jpg 私は現在六十七歳、日本国が認めるれっきとした老人である。
 あれ?
 確か、六十七歳だったよな…。
 今は2016年10月で、私は1949年1月生まれ、誕生日が過ぎているので現在の西暦から生まれたときの西暦を引けばそのまま満年齢のはず。
 計算してみるとやっぱり満の六十七歳で間違いない。
 こんなふうに時々きっちり確認しないと自分が何歳であるか分からなくてあわてたりする。
 国家が「前期高齢者」という煮ても焼いても食えない立派なレッテルを貼ってくれているくらいだからしょうがないかとも思うが、待て待てまだそんな矢鱈な歳ではないなどと勝手に打ち消したりもしている。

 ところで、最近変なことが気に掛かって戸惑うことが多い。
 「稲荷神社」の「稲荷」は何故「いなに」と読まないで「いなり」と読むのか、とか、「室生犀星」の「室生」にどうして中村真一郎という人は「むろう」ではなく「むろお」とわざわざ振り仮名を振るのだろうか(増補版「誤植読本」高橋輝次編著・ちくま文庫)など、普段の生活には何の支障もなく為にもならない、どうでもいいようなことが無性に気に掛かる。
 たぶん、老人になった証拠だろう。
 「むろお、ねえ」などと呻いていたら、川柳の師匠の言葉を思い出した。
 「行こう」と書いても「いこう」と読むことはない。「う」の前の「こ」を伸ばして「いこー」、つまり「いこお」と読む。
 この師匠の言葉と、中村真一郎という人が「室生」に「むろお」と振り仮名を振る理由はたぶん同じだと思う。違うかな…。

 ついでに、「稲荷神社」のこと。
 私のパソコンに入っている広辞苑第六版で「稲荷」を引くと、
 いなり【稲荷】(稲生(いねなり)の転か)』
とあって、次に6通りの意味が書かれている。
 6通りの意味の方はまあどうでもいいが、「稲生(いねなり)」とは何のことか知りたくなる。
 再び広辞苑を引く。
 驚きました。
 「稲生」は見出しに確かに1つある。
 でも、その読み方は「いねなり」ではなく「いのう」。
 「姓氏の一つ」で、目的の単語「いねなり」とはたぶん関係ない。
 広辞苑も変なところがある…。

 実を言えば「稲荷」の読み方が気になったのは数ヶ月前のことで、調べなければいけないと思いつつもいつの間にか忘れていた。
 それが昨日、パソコンに向かっているとき「稲荷」という言葉が突然頭のどこかでひらめいた。
 昨日ひらめかなかったら、それはまたずっと忘れたままになっていただろう。
 こんなふうに、近頃あれこれ忘れてしまうことが異常に多く、もしかしたら認知症になっているかもしれない。
 認知症は恐ろしい。
 気になったことや話していたことがほんの数分後に分からなくなって「あれ?何が気になっていたんだっけ」「さっき何を話していたんだっけ?」と思い出そうとしても思い出せないことがある。
 これもそこはかとなく恐ろしい。
 だから、気になったことはすぐにメモをするか調べてしまうに限る。
 そんなことは重々承知のはずだが、性格なのか何となく面倒臭くてつい放っておく。
 すると、また忘れる。
 そんなこんなで、いろんなキーワードが頭の中で迷子になっているものと思われる。
 そしてそして、迷子のキーワードを突然思い出したりすると、「いよいよ本物の認知症か…」と自分を疑うことになる。
 もしかしたらわたしの老化レベルはかなりハイレベルなところにあるのかもしれない。

 記憶に関したこと以外でも自分の老化をしみじみ思うことがままある。
 先日、カメラのレンズを見てそう思った。
 草花を撮るのが趣味で、かれこれ20年ほど50ミリマクロレンズというものの世話になっている。
 マクロレンズとは接写用レンズのことで、撮ろうとしている花にぶつかっていないかと心配になるほど近寄って撮ることもできる。
 ちなみに、そういう専用レンズを使えばいい写真が撮れるだろうと思うかもしれないが、そうとは限らない(汗)
 だから私は、よそ様の何倍も撮るように心がけている。
 下手な鉄砲も数打ちゃ当たるで、たまに1枚くらいまぐれでいいのが撮れるかもしれない。
 とにかく、ああでもないこうでもないと被写体にあっちからもこっちからもレンズを向け、ひたすらシャッターを切っている。
 年に10万カット以上の写真を撮ることも珍しくない。
 そんな過酷な使い方をされたこのレンズは、これまで何度も内蔵されている絞りが壊れた。
 壊れればその都度修理に出し、もう20年近く使っている。
 カメラのレンズというものにはピント合わせのために回すリングがついている。
 それはピント・リングと呼ばれ、普通凸凹のゴムで覆われ指が滑りにくく操作しやすいようになっている。
 現代の一眼レフカメラはシャッターボタンを半押しすると自動的にピントが合うようになっているが、条件によってはそれができないことがあって、そんな時必要なのがこのリング。
 さて、私の愛用マクロレンズであるが、こいつのピントリングが去年あたりから妙にネバネバになって、今年に入ったあたりからぼろぼろ剥がれ出した。
 今では、剥げた部分の面積がゴムの残っている面積をはるかに超えている。
 内緒だが、このレンズと全く同じ規格のレンズをもう1本持っている。
 そいつはゴムの剥がれたやつよりずっと新しいのだが只今故障中。
 故障したらさっさと修理に出せばいいのだが、出せば大した金額ではないにしても修理費がかかり、それが年金生活者には案外痛い。
 ということで、ゴムが剥げても動いている古い方を使っているという次第。
 私は草花を撮るため毎日の如くカメラを手にする。 その度にピントリングを操作するので、毎日のように「お前も老いたなあ、劣化がひどいなあ、まるでオレみたいだ…、直してあげたいけどな…」などとついつい話しかけてしまう。
 私もこのレンズに負けず劣らず劣化が激しい。
 あ、人間の場合は老化と言うんだっけ…。
 私は、数年前に梯子から落ちて右股関節が変形している。だから歩くと痛い。
 歯は数年前何本か抜けて美味しいものを美味しく食べることができない。
 目は、パソコンで文章を作っていると字がぼんやり見えて打ち続けていられなくなるほど衰えている。

 ついでに気になっていたことを少し書く。
 食べ物を誰かに少し差し上げるとき、津軽の私の住む地方では昔から「ひとかたけですが」などと言ったりする。
 「ひとかたけ」は「一回食べる分」とか「少しですが」という意味で使われているのだが、その言葉を口にするたび「この言葉はどこから来たのだろう」「語源は何だろう」と気に掛かっていた。
 そして、それは津軽弁、つまり津軽特有の言葉だから広辞苑や大辞林などの辞書に載ってるわけがないと思っていた。
 ところが「あさめし、ひるめし、ばんめし」(日本ペンクラブ編・ちくま文庫)という本を読んでいたら「かたけ」が出てきた。
 向田邦子さんが「お弁当」というエッセイで「親がひとかたけの弁当を」と使っているのだ。
 こりゃ大変とばかりに広辞苑を引いたら「かたけ」はちゃんと載っていた。
 「かたけ」は「片食」と書き、「1日2度の食事(近世、朝夕2食)のうち、1回の食事」「食事の度数を数える語」という意味があった。
 今の日本は1日3食だから「片食」という言い方は似合わないが、2食であれば「片」は理屈に合う。
 それを津軽弁だとばかり思っていた自分が情けなかった。 
 俺は、何のため辞書を何冊も買ったのだ。

 もう一つ。
 ある本を読んでいたら「馬齢を重ねる」という言葉が出てきた。
 「馬齢を重ねる」ってオレみたいなやつを言うんだよなと思ったら頭のどこかに「ばれい」が引っ掛かってしまった。
 で、「ばれいしょ」ってどうやって書くんだっけ?とふと思ったのだ。
 そうしたら私の頭の中であるはずがない「馬齢薯」という3文字が転がり始めた。
 これはいけない、何かが狂っていると思い手元にあった電子辞書をすぐ引いた。
 当然であるが「ばれいしょ」は「馬齢薯」でなく「馬鈴薯」だ。
 「齢(とし)じゃなく鈴(すず)ねえ…あ〜あ」だった。
 これって、やっぱり老化だよな…。

 というふうに、私のあちこちで「老化」というものがくっきりし出した。
 そして最近、何かへまをすると何でもかんでも「老化」のせいにしている自分がいる。
 もしかしたら、この何でも老化のせいにするってのも老化のせいかもしれない…。
 ありゃりゃ。


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Posted by musan8 at 2016年10月15日 10:13Comments(2)TrackBack(0)

鉛筆 の巻

de38e377.jpg 

 5・7・5と暮らし始めて20年が過ぎた。
 私の5・7・5は川柳。
 川柳は座の文芸と言われる。
 「座」は座ること、集まること。
 やれ例月句会だ、どこそこの大会だと同好の者が集まっては顔を突き合わせ、互いに競い合いながら発展してきたのでそう言われるのだろう。
 句会や大会へ行くと自分の句を句箋に書いて主催者へ提出しなければならない。
 句箋というのは細長い紙のこと。
 川柳を始めた頃「句箋は鉛筆で書きなさい」と結社の先輩に言われた。
 句箋は万年筆で書こうがボールペンで書こうが、はたまた筆ペンで書こうが本来勝手である。
 「それはそうだが鉛筆で書きなさい」と先輩は言う。
 何故だろうと不思議に思って聞いたら、そこにはちゃんと理由があった。
 大会へ行くと提出すべき句の数と同数の句箋が支給される。
 受付番号が打たれた専用のもので、予備はない。
 そこで問題が生じる。
 書き損じた場合どうするかだ。
 実は、主催者へ申し出ると代わりがもらえる。
 でも、「それをやってはいけない」と先輩は言う。
 「大会というのは大人数が集まるから主催者はいつもてんやわんやなんだ。書き損じなんかで迷惑をかけるべきではない。例え10数人の句会でも同じこと。鉛筆だと書き間違ったところを消しゴムで何度も消せるじゃないか」というのが彼の論だった。
 ストンと胸に落ちる話であり、道理で句会や大会へ行くとみんな鉛筆で書いているわけだと納得。
 以後私も鉛筆で書いている。
 ところが、モンブランやパーカーなどのいかにも高級そうな万年筆をこれ見よがしに手にして句箋を書いている人がたまにいる。
 万年筆でないと川柳モードに入れない方とか、それなりの覚悟ができている方や決して書き損じをしないという強固な信念を持っている方とかなのだろう。
 せっかちで若い頃から書き間違うことが多かった私は最近真性認知症かと思うほど書き間違ってばかりいる。
 だから、万年筆やボールペン、あるいはフェルトペンなどの消せない筆記用具で書いている人がいるとつい尊敬の眼差しで見てしまう。
 その先輩がもう一つ話してくれたことがある。
 句箋を書くため使っている鉛筆のこと。
 句会・大会参加者の提出した句がどうなるかというと、集まった句から適当な数の入選作が選ばれ、佳作、秀逸、特選などのように序列がつけられその場で発表される。
 選ぶ人はそれなりの経験を積んだ実力者がつとめ、選者と呼ばれる。
 句はそれぞれが懸命に考えて作るのだが、時に1句も入選しないことがある。
 これを全ボツと言い、川柳をやっている者は誰でもいつの句会・大会でも何とかこの全ボツから免れたいと画策している。
 そこで先輩は「どうすれば自分の句を選者へ強くアピールできるか」と考えた。
 薄く細い線の字より濃く太い線の字が選者の目を引くはずだから、一般的に使われているHBや2Bよりはるかに濃く太く字が書ける4Bを使っていると言うのだ。
 私の頭は《ヨンビーノエンピツハジヲカクタメノモノデハナイ、デッサンノタメツクラレタモノデアル》という考えでガチガチに固まっていた。
 絵の心得なんかもちろんあるはずもなく4Bを1本も持っていなかったのでその話にかなり面食らったが、発想が柔らかく自由で、しかも理屈に合っていてなるほどと思った。
 えらく感心した私は先輩の使っているものと同じ三菱ユニ4Bを早速購入。
 ここでまた、問題発生。
 私は何かに心が引っ掛かるとしばらくそこから抜けられなくなってしまったり、長い間そのことに引き摺られてしまったりする、いわゆる凝り性な面が少しある。
 それは性格であるから止めようとして止められるものではない。
 果たしてそれから十数年、未だに鉛筆に囚われている。
 選者へのアピールはもちろんだが、芯の濃さ、太さ、減り具合あるいは軸の色やナイフでの削り易さなどメンタル、フィジカルの両面にわたって自分に合う使い心地の良い句箋用鉛筆を探し続けている。
 具体的には三菱鉛筆のユニ、トンボ、ペンテルなど国産4Bを次々試し、やがて三菱鉛筆ハイユニへ移行。芯ホルダーにも手を出した。
 カランダッシュ、スタビロ、ステッドラーなどの海外製品もチェック。
 廃版になっているスタビロの赤軸鉛筆を探していてふと思ったことがある。
 赤いスタビロが売れ残っていた店には5Bしか在庫がなかった。
 4Bじゃないのかとがっかりしたが、濃く太い芯で書く句が選者に強くアピールするのであれば4Bより5Bで書いた方がもっと強くアピールできるはずではないか。
 そして、5Bより6B、6Bより7Bがもっともっと強くアピールするはず。
 斯くして、私の句箋用鉛筆はどんどん濃くなり、ハイユニが10Bまで販売されるようになった今は当然のごとく10Bを多用している。
 そしてもう1つはまっている鉛筆がある。
 東京銀座の月光荘という画材店が販売している8Bで、本来はデッサン用。
 軸は六角で、使用されている木材の素性が直視できるよう塗料は透明である。
 この鉛筆、長さは普通だが普通の鉛筆よりかなり軸が太い。
 一般的な鉛筆の軸は径7ミリほどであるが、月光荘8Bはおよそ9ミリ。
 使い始めた時その2ミリの差ゆえ使いづらく思ったが慣れると何とも言えない程好さに変わった。
 この鉛筆、書き心地はよいが少々困った点がある。
 筆記用具を句会、大会などへ持ち歩くためペンケースへ入れるのだが、削った鉛筆を裸のまま入れるとケース内部の布や革が芯で黒く汚れてしまう。
 鉛筆のキャップは芯が折れるのを防ぐばかりでなくこんな時も役立つのだが、普通のものより太いこの鉛筆は普通のキャップが全く合わない。
 専用の革製キャップが用意されていて、1個6百円近くと鉛筆の倍くらいする。
 これには参った。
 というのは、この鉛筆もダース買いしてあるのだ。
 たかが鉛筆ごときに1個6百円近いキャップを1ダースも揃えるなんていかにも不経済ではないか。
 結局半数の6本にキャップをし、残りは自宅待機とした。
 鉛筆に関して言うと、これまで買った物が書斎やトイレや枕元など家のあちこちにあって、死ぬまでかかっても使い切れない数になっているはずなのに更にまたこんな無駄なことをしている。
 そんなことはさておいて、お気に入りは何と言っても月光荘8B。
 今持っている1ダースは使用できる限界ぎりぎりの短さになるまで使うことにする。
 そのためもう1つ手続きが必要になった。
 短い鉛筆をあたかも普通の長さの鉛筆のように使える補助軸とかエクステンダーと呼ばれるものがあるのだ。
 ところが、インターネットでいくら探しても月光荘8Bに合う鉛筆用補助軸は見つからない。
 何日か考え、普通の鉛筆より太いクレヨン用の補助軸がないかと思いついた。
 探すとこれがあるのだ。
 クレヨンホルダーというもので、月光荘8Bに使えるサイズが何種類かある。
 あるにはあるのだが、欲しいものは不思議に安くない。
 安くはないが欲しいものは欲しい。
 インターネット上で一番安く売っている文具店を見つけスイスのカランダッシュ社製と、ドイツのリラ社製のものを1本ずつ注文する。
 数日後メール便で届き、代引き手数料、消費税を含めおよそ5千円を支払った。
 ここで、またまた問題発生。
 補助軸は短い鉛筆に使うものであるのに、短い月光荘8Bを1本も持っていなかった。
 普通の鉛筆は1本でおよそ50キロメートルほど線を引くことができるらしい。
 柔らかく減りやすい芯の月光荘8Bであるが月1〜2回の句会・大会で句箋しか書かないから余り減らないのだ。
 それなのにせっかちなのですぐ使ってみたい。
 補助軸が届いた日の夜、長いままの月光荘8Bを真ん中でポキンと2つに折ってそれぞれに装着し使用感を試した。
 補助軸は鉛筆を覆う構造なので鉛筆より太くてごつい。
 絵を描くには具合がいいかもしれないが字をうまく書くには慣れと工夫が必要だと感じた。
 そんな私の補助軸だが、最近コレクションが1つ増えた。
 これまた東京銀座の「五十音」という小さな文具店が扱っているミミックというのを入手したのだ。
 一見万年筆にしか見えないシロモノで、キャップを外すまで中に鉛筆が入っているなんて毛ほども感じさせない。
 ミミックとは擬態のこと。
 万年筆に見えて、実は鉛筆ということから命名されたようだ。
 何と、こいつが1本1万円もする。
 自分では買えないと言うか買いたくないので一計を案じる。
 どうしたかというと、誕生日プレゼントとして息子と娘に買ってもらったのだ。
 ミミックは普通の太さの鉛筆用だから月光荘8Bは入らない。ハイユニ10Bが収まっている。
 収まっていると言ってもハイユニ10Bも新品同様の長い物しか持っていなかったので、これまた半分の長さに切って入れた。
 何もそこまでしなくても、と自分でも思う。
 本末転倒なんだからどこかで止めればいいのだが、どういう訳かいつもこんな変なことになってしまう。

 濃く太い字の句箋をずいぶん長いこと句会・大会で出し続けているが成績はまあまあの線からほとんど上がっていない。
 月光荘8Bや贅沢なミミックに差し込んだハイユニ10Bで句箋を書いて川柳がうまくなったわけでもない。
 お気に入りの道具を手ににこにこしているばかりだ。
 まあ、それはそれでいい。
 ところで、川柳がうまくなる鉛筆を置いてる店誰か知らないか。

*この稿は、同人誌「文ノ楽」16のため書いたものです。
*写真と本文は互いに関係ございません。

  
Posted by musan8 at 2016年08月04日 20:30Comments(0)TrackBack(0)

いつもとどこか違う日 の巻

f164a732.jpg 2016年3月8日(火曜日)
 自家用車で10時に家を出た。
 まずは村のコンビニへ寄って教室で使う資料を15部ずつコピー。
 そこから国道280号線バイパスをおよそ20キロ南下し、更に青森市中心部へ向かう。
 私は無職となった2009年4月からJR青森駅前のビルの一室で月2回川柳教室をやっている、というかやらされている。
 教室と言っても参加者からあらかじめ出してもらった句にあれこれ文句をつけているに過ぎないが、これがいつまでたっても慣れない。
 午後1時からのその教室をどうにか終え、少し買い物をして4時過ぎわが家へ無事舞い戻った。
 その日の主な日程はそれでお仕舞いである。
 散った桜の花びらがほろほろ風に吹かれてゆくように2階の書斎へ流れ着き、おもむろにパソコンの電源を入れる。
 いつものことだ。
 いろんなところから連絡があったりするのでこまめなメール・チェックが欠かせない。
 程なくパソコンが立ち上がった。
 しかし、どうしたことかインターネットに接続できない。
 朝出掛ける前はいつも通り使っていたのに、メールを受信しようとすれば「○○○(メールアドレス)を解決しています」とエラーメッセージが出る。
 そのエラーはいつまで待っても解消されることはなく、受信も送信もできない。どこかのホームページを見に行こうとすれば固まったように動かなくなる。
 インターネット関係以外はパソコン本体にもソフトにも異常がない。
 今まで遭遇したことのない障害なので友人に助けを求めようと固定電話の受話器を取った。
 ところが、受話器がうんともすんとも言わない。
 まるで闇につながっているようだ。
 ”なるほど、犯人は電話回線だったか”と思い至る。
 今の私にとってパソコンがインターネットに接続できないということは絶望的異常事態である。
 通常営業の時間帯ではないので駄目かもしれないと思いながらNTTへ電話をかけてみる。
 もちろん、携帯電話から。 
 つながった。
 ただし、相手は機械。
 機械が繰り出すいくつかの質問に電話のボタンを押して応え、最後に私の携帯電話の番号を声で応えた。
 1時間以内に向こうから連絡があるという。
 そして30分後、落ち着いた感じの女性から電話がかかって来た。
 今度は聞かれることに全て口頭で応える。
 障害はやはり電話回線側にあるようで、次の日点検・修理のため業者を派遣してくれることになった。
「修理が有料になる場合もあります」
と言われたのが気になったが、とりあえずホッとして携帯電話を切る。
 その点検・修理の日というのが3月9日で、何の関係もないが2日後が未曾有の大震災3・11から丸5年目にあたる。

 3月9日(水曜日)
 毎週水曜日は「よみうり時事川柳」の投稿作品がわが家へ速達で届くことになっている。
 その日のうちに選をし、「寸言」という100字程の文を添え新聞社へファックスしなければならない。
 私は子どもの頃から引っ込み思案で物怖じしたりするなど性格的に弱いところがあって、やたらに物事を億劫がるおとなになってしまった。
 ではあるが「よみうり時事川柳」は十年ほどやっているので今ではそれほど感じない。
 しかし、電話回線うんぬんは初めてのこと。
 初対面の誰かと話すのがまず億劫、誰かに何かを説明するのがまた億劫で、今日中にインターネット接続が復旧できない場合はコンビニへ行ってファックスしなければいけないなどと考えたりするので更に億劫。
 それより何より、電話機を置いている散らかし放題の書斎を片付けなければとても他人を入れることができないのでこれまた億劫と、多重・多層的億劫状態に陥っていた。
 これが次々連鎖していくと「風呂へ入るのも億劫」「飯を食うのも億劫」となり、ついには「生きているのが億劫」なんてことになったりするんだろうな、などと思ってみたりする。
 ともあれ、電話回線の点検・修理には誰かが立ち会わなければならないし、家族の中でその任を担うべきはイヤでもオウでも私をおいて外にない。
 朝食後すぐ始めた書斎の掃除がざっと終わった午前9時頃、NTTから依頼されたという業者から携帯電話へ連絡が入った。
 明るい青年の声だった。
 相手の声が明るい、たったそれだけのことで気持が少し楽になる。
 げんきんなものだ。
 その30歳代と思われる快活な感じの電話工事の青年がわが家を訪れたのはおよそ1時間後。
 まず不具合の状態について簡単な質問をし、次に異常がどこにあるか実際に探っていく。
 どうしたかというと、パソコンのそばに置いてあるルーターと呼ばれる黒い小さなプラスチック製の箱からケーブルを外した。
 え?と驚いていたら、抜いたそのケーブルの先っぽを工具箱から出した煙草の箱ほどの大きさで弱い光を出す道具に差し込んだ。
 その光がどこまで届いているかをチェックして行くのだと言う。
 わが家の電話は去年光通信になった。だから光を出す道具を使うのだ、と思う。
 青年は靴に履き替えてベランダへ出たり、電柱と電柱の間に電話の線と平行して張られているワイヤーへ特殊な梯子を延ばし先っぽを引っかけて登って行ったり、あるいは電柱そのものをましらのようによじ登ったりと実に忙しい。
 だが、それを黙々と苦もなくやってゆく。
 晴れてはいても依然として冷たい風が吹いているのだが、寒さなんか何でもないことのように外での作業をこなし、嫌がるふうもない。
 若さがそれらをはるかに圧倒しているのだ。
 俺にもこんな元気な頃があったはずだよな…、なんて何となく眺めていたら意外にあっさり原因が突き止められた。
 電柱からわが家までの光ケーブルが途中で傷ついていたという。
 もしかしたら、昨日午後の強風が原因かもしれない。
 ケーブルを交換することになって工事は昼前に難なく終了。
 当たり前のことだが、ネット接続も電話回線も同時に回復した。

 私の所属するおかじょうき川柳社はインターネット上にホームページを開設していて、そこで柳社の情報を発信したり、投句を受けつけたりいろんなことをしている。
 柳誌「月刊おかじょうき」の様々な原稿を数人のスタッフが編集担当のSinさんへ送るのも、ゲラの校正をやりとりするのもインターネットを使う。
 また、柳社の主な人どうしの連絡もほとんどがメールで、インターネットは今や私たちにとってなくてはならないものである。
 私などはインターネットに寄りかかって生活していると言ってもある意味過言ではない。
 だから、昨日の夕方電話回線の不具合を発見してからというもの「急ぎのメールが来ていないだろうか」「ホームページの掲示板に何か新しい書き込みがあるのではないか」などといらぬことが気にかかって胃の具合がいささか変になっていた。
 ではあるが、電話回線が回復したとたんあっさり普通の人間に戻った。
 「原因が外部にありましたので、今回修理費の請求はありません」と言われたときはにんまりしてしまった。

 そんな何となくホッとしているところへ郵便が届いた。
 それは新聞社からの速達で、言わば想定内のこと。
 水曜日はわが家へ郵便が2度届く。
 1度目が昼前のこの速達で、次が昼過ぎの普通郵便である。
 その日2度目に配達された郵便物はいつもより量が多く、いつもと少し違っていた。
 ダイレクトメールや水道料金のはがきなどの中に厚さ1センチ程のスマートレターがある。
 それと、薄い青緑色のインクで表に「川柳たかね」と印刷されたB5サイズの封筒もある。
 スマートレターの表側は、特徴のある尖った字が太めのフェルトペンで手書きされていた。
 送り主は札幌市の進藤一夫さんという方。
 だが、札幌の進藤さんという方で知っているのは一人だけ。
 かつて「川柳ふぉーらむ洋燈」というグループがあって、それはおかじょうき川柳社と後に合流したのだが、そこの柳誌に毎月掲載される自由詠欄を丁寧に鑑賞し評を書いてくれていた進藤一車さんである。
 あれ?と思った。
 進藤一車と進藤一夫って、「進藤一」まで同じじゃないか…。
 急いで封を切ると茶色の本が1冊入っていた。
 表紙に進藤一車句集「その日ぐらし」と印刷されている。
 句集の扉を開くと一筆箋が1枚挟まれていて、スマートレターの表書きと同じ筆跡で次のように書かれていた。

 八戸さま 始めまして。一車の長男でございます。遅ればせの御報告ですが、父は旧年十二月十五日亡くなりました。このたび私が発行を託された句集ができましたのでお送りいたします。御一読いただけると幸いです。 進藤一夫

 何と、一車さんが亡くなっていた。
 句集の最後にあるプロフィールを見ると、一車さんは昭和3年生まれだから今年の誕生日で88歳になるはずだった。
 句は後でじっくり読ませていただくことにして、次に「川柳たかね」を開封する。
 「川柳たかね」は、今年1月に51歳という若さでこの世を去った加藤鰹さんが長いこと代表をつとめていた静岡の結社である。
 鰹さんは人懐っこく、遠い静岡から私のような片田舎に住む老人にまで気を遣って下さる不思議に暖かい方で、去年、ガンとの闘病生活を続けながら出版した「かつぶし」という句集をわざわざ私にまで送ってくれた。
 思えば、平成25年の全日本川柳大会青森大会でお会いしたのが最後となってしまった。
 封筒から出てきたのは「川柳たかね」516号〈加藤鰹追悼号〉。
 最後の方のページに痩せてしまった鰹さんと彼の仲間の写真が何枚か載っていて、見ていると何だかジンとしてくる。
 チラシが1枚折り込まれていて、それは「静岡たかね川柳会加藤鰹追悼誌上句会」の案内だった。
 ということで、平成28年3月9日は進藤一車さんの訃報と遺句集と、それから加藤鰹さんの追悼号柳誌が同時に届いた日である。
 こんなことがこうやって重なり合うなんて、もしかしたら神様の手違いじゃないだろうか。
 自分ながらかなり鈍いと思っている私もその日はそれからちょっと落ち込んだ。

 川柳界にいるのが長くなったせいか、最近句集をいただくことが多い。
 いただいた句集は丹念に読ませてもらうのはもちろんだが、気に入った句は川柳教室で紹介させてもらったりする。
 そのため私なりの資料作りをするのだが、ここ数年はパソコンにそれを打ち込んでいる。
 パソコン用のデータにしておくと、後で検索できて何かと便利なのだ。
 たいていは気に入った句を十数句選んで打ち込むのだが、たまに掲載句全部を打ち込むこともある。
 進藤一車句集「その日ぐらし」は前半が1ページに1句、途中から上下2段になり1ページ15〜16句掲載になる。
 だから句の数が思わぬほど多いのだが、最後まで一気に読ませてしまう力を秘めている。
 教室用に選んだのは次の11句。

 大泣きをしたのか笑ってばかりいる
 真夜中に水呑む ほんとうに独り
 忘れられぬようしっかりにくまれる
 イワシ聴きながらショパンを焼いている
 お見舞いが帰ると元の石になる
 失くしたエンピツは深海魚だった
 お尋ねします仮面の下も鬼ですか
 犬に噛みつくと悲しい顔をする
 死んでからこんなに花をくれたって
 口が閉じたら語り部になろう
 げんこつをほどいてごらん海がある

 「失くしたエンピツ」の句は、堺市の墨作二郎さんが発行している「現代川柳点鐘」で以前見た記憶があって懐かしかった。
 全句を読み終え、これは時間をかけても丸ごと打ち込むべきであると判断。
 それから3日かけて打ち込んだ。
 打ち終わるまで2度「あれ?」と思った。
 そのときのメモを元に打ち込みが終わったデータを検索してみると、何と2箇所に掲載されている句が2句あった。
 この句集は、原稿を一車さん本人が準備し、一車さんが亡くなられてから一夫さんがそれを元に出版したと「あとがき」にもある。
 原稿を作っているとき一車さんの体調が思わしくなくてこんなことになったのかもしれない。
 一夫さんに簡単な礼状を出すとき、余計なお世話だと思いつつも文末に重複掲載のことを書き込む。
 しばらくして、一夫さんからハガキが届いた。
 富良野のダイヤモンドダストの写真がプリントされた絵葉書で、表側の下半分に見覚えのある細かい字がびっしり並んでいた。

 重複掲載の御指摘ありがとうございます。全く気が付きませんでした。実は私が気付いた重複句がもう一つあり、それは初出が三つの年にわたっていました。残された数冊の年度別作品ノートを見ても判然とせず、一番早い年にした経緯があります。あれだけ几帳面な父にしてそんなことがあるとは思ってもみませんでした。ともあれ丹念に読んでいただき父も喜んでいると思います。取り急ぎお礼まで。

 句集の重複掲載とは関係ないが、川柳をやっている人間は句を重複して投句することがないようにいつも気をつけている。
 一度公表された句は特別な場合を除いてそれ以後どこへも投稿できないという原則がある。
 人によっては、管理のため柳誌などに発表された自分の句を全てノートへ書き写している。
 北の川柳界を長年牽引してきた一車さんがそれを知らないはずはない。
 そこまで考えて、遺句集の原稿(年別)に重複句があったのは一車さんの体調のせいだけではないかもしれない、とふと思う。
 重複句は次の2句である。

「とても静かに結婚記念日を忘れる」
 p27(平成7年作)とp157(平成14年作)に掲載
「夕焼けに食べられそうな一輪車」
 p166(平成20年作)とp174(平成22年作)に掲載

 非売品の句集に句の重複掲載があったって誰に何の迷惑もかかる訳ではなく取り立てて言うこともないのだが、果たして単なる原稿整理の手違いだったのかと次第に気になってくる。
 句集へ掲載されている句は、平成3年から亡くなられる27年までにつくられたおよそ900句。少ない数ではない。
 そして、平成27年の一車さんは87歳というご高齢で、しかも悪性リンパ腫だった。
 途方もなく体調が優れない中での原稿整理だったはずで、意識が混濁し句を2回3回と書き入れることがひょっとするとあったかもしれないが、そんな単純な誤記載ではなく時を異にして別々に生まれた句ではないかと思い始めた。
 一車さんがどうやって句をつくっていたか知らないが、私の場合で考えてみる。
 私は、その日その場でつくらなければならない席題は別として、宿題の句などは長い時間をかけてつくる。
 いや、正しくは「長い時間をかけてつくる」ではなく「短時間でつくる能力がないので長い時間がかかってしまう」だ。
 具体的に言うと、私のつくる句はほとんどが題詠だからまずは題に基づいて土台となる句をつくる。それから、その句を納得がいくまで何十回となくつくり直す。時に数日、あるいは十数日を要する。眠っていても夢の中の私が勝手に直し続けていたりする。そうやってできた句が必ずしもいいものとは限らないが、土台とした句と全く別なモチーフの句になっていてびっくりすることもある。
 よく言えば、句に意識を集中させ猛スピードでことばの取捨選択を繰り返し、句を最終形に追い込む作業だ。
 大して能力のない私が能力ぎりぎりのところでそんなことをやっている。
 だから、時には以前つくった句と全く同じ句が生まれても不思議はないような気がする。
 もしかしたら、これまで同じ句が何度もできていたのに、それに気付いていないだけかもしれない。
 仮にそんなことがあったとすれば、それは、前につくった句が錯綜した意識の中で再びひょいと顔を出したわけではなく、かたちが同じではあるが全く別のでき方をし全く別の産道を通り別の句として誕生したのである。
 どうしようもなくそういうものが生まれてしまったのだ。
 重病で、しかも超高齢であればそんな可能性が更に高まるだろう。
 重複掲載というのは少しだけ格好良くないが、一車さんの中ではかわいい一卵性双生児だったのかもしれない。
 だが…。
 待てよ…。
 待てよ待てよ…。
 もしかしたらそれは…。
 そんな七面倒くさいことではなく…。
 一車さんがわれわれにちょっといたずらしただけかもしれない…。
 「へへっ、気づかれたか」なんて、今頃あの世で苦笑いしていそうだ。
 きっとそうだ。
 そう言えば一車さん、この句集に「たかが川柳されど川柳」という副題を添えている。
 されど川柳、なのだ。
 謎のある句集があったっていいじゃないか。
 句は一車さんの子であり、同時に一車さん本人である。
 2度出てきたらその不思議さも味わってしまえばいい。
 句を、句集を、じっくり読んで、それで名川柳家進藤一車を楽しめれば、それでいいではないか。


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Posted by musan8 at 2016年04月04日 08:37Comments(0)TrackBack(0)

いらいら の巻

6d585514.jpg ものは毀れる。
 どんなものでも毀れる。
 それはどうしようもない逃れられないこと。
 そんなことはハナから承知しているのだが、自分の使っているものが毀れてゆくというのはどうにも気分が良くない。
 毀れてしまうのも不愉快だが、いつ動かなくなっても不思議じゃないなぁ…、ああ毀れそうだ…などと思いながらそれを使い続けなければならないというのは不愉快を超えてつらいものがある。
 いらいらしてしまう。
 使っている間中ずっといらいらが続き、どうにか使い終わっても「次に使うときちゃんと動くだろうか」などと心がチクチクする。
 人間的に修行が足りない私だからこその現象かもしれない。
 ところで今、私のまわりで毀れそうなもの、毀れかかっているものがいくつもある。
 パソコン、除雪機、電子辞書など数え上げればきりがない。
 ものというのは作られた時から劣化が始まる。
 メンテナンスをしても劣化は容赦なく進み、いずれは使用に耐えられなくなってあるものはゴミとして捨てられ、あるものは何かに再生されるが多くのものは地球の一部に戻ってしまう。
 それが宇宙の仕組みなのかもしれない。

 ものというのは必要であるから作られ、入手される。
 必要とされる間は何十年でも毀れないで欲しいと思う。
 毀れれば言わば相棒を失うことになるので多いに困る。
 そこまで毀れてしまわなくても、修理したり買い替えたりしなければならないからお金がかかって貧乏人の私は困る。
 修理費がほんの少しであればどうってことないが、信じられないほどお金のかかるものもある。
 最たるものが家だろう。
 大雪だった十数年前、怠けて雪下ろしをしばらくしないでいたら2階の屋根から1階の屋根に大量の雪が落ち1階の軒が折れてしまった。
 これは大変というので、大工の棟梁をしている母の弟が呼ばれた。
 その叔父は、人当たりがよく何でもはいはいと引き受けるタイプである。
 それをいいことに母と家内が結託し、軒の修理と同時に古くなった台所、風呂、トイレも一緒に改修してくれと勝手に依頼してしまったのである。
今思い出してもぞっとする出来事だった。
 家は人が住まなければならないものだからこまめにメンテナンスしなければならない。
 ところが、車庫や小屋だとそうでもない。
 自宅から200メートルほど離れたところに畑があって、そこに親父が農具庫兼牛舎として使っていた小屋がある。
 建坪15坪ほどのその小屋は構造的に2つに別れていて、牛小屋に使っていた北側半分が南側よりかなり古い。
 ある年、とんでもない風が吹き荒れ北側の屋根のトタンが一部剥がれて飛んでしまった。
 農業をやめ、牛もいなくなってからずっと後のことでおんぼろトラクターを南側に置いてあるがほぼ空き家同然だったし、修理をすれば結構な金がかかるのでそのまま知らんふりしている。
 朽ちて崩れるならそれもいいなどとうそぶいているが、実は草の写真を撮ってその辺りをぶらつくたび参ったなあと思う。

 さて、今最もいらいらしているもののこと。
 それは、除雪機である。
 暖冬だと言われた今冬であるが、わが村には例年どおりどっさり雪が降り雪片付けをしなければとても生活できない。
 わが家の車庫は道路から見て敷地の一番奥にある。
 車庫から車を出すためには通路の雪片付けが不可欠。
 作業は何故か私がやることになっていて、私はその労力のほとんどを除雪機に頼っている。
 通路に降った雪をそいつで庭へ飛ばしてやるのだ。 雪が多くて日に5回除雪したこともある。
 そのため庭の雪は高さ3メートルになることも珍しくない。
 頼みの綱のこの除雪機だが、中古で買ってからもう20年になる。
 この冬に入ってからそいつのエンジンが不調で、除雪中に回転数が落ちてしまったりする。
 考えるまでもなくもう替え時なのだ。
 そんなことは重々承知しているのだが、買い換えるとなれば私にとっては巨額の費用を要する。
 なんたって年金生活者なのだ。
 いつ動かなくなっても不思議ではないが動かなくなるその瞬間までは使うつもり。
 ではあるのだが、のんのんと雪降る中でエンジンが止まったらどうしようといつもびくついている。
 そんなこんなで除雪機についてはたぶん春までびくびくいらいらが続く。
 春になれば雪が降らないからエンジン停止に対する恐怖はなくなるが、その代わり買い換え費用をどう捻出するかでいらいらするのはみえみえである。

 私は除雪機や小屋のことだけでいらいらしているのではない。
 今この原稿を作成するため使っているパソコンも挙動不審で、そろそろウィンドウズ10の機種に乗り換えなければいけないらしい。
 川柳を作るときに使っている電子辞書にいたってはディスプレイのバックライトが毀れたらしく暗くて何と表示されているかほとんど確認できない。
 買った店へ持って行ったところ、購入価格より少しだけ安い修理費を提示され仰天してしまった。
 ということで、電子辞書は買い替えるか修理するか今悩んでいる。
 そんなこんなでまわりのものが次々劣化し、故障し、私はいつもいらついている。
 実は、もっといらいらしているものがある。
 それは、自分の身体である。
 身体の劣化を「老化」と言う。
 人間の身体も「もの」であるから建物や道具や機械と同じで年とともに劣化し、いずれは壊れてしまう宿命にある。
 自然気胸を手術しその後直腸癌を手術、更に喉頭癌を治療してどうにか生き延びているのだが、あろうことか数年前股関節が故障してしまった。
 先日なんか、1階の屋根に上がって雪下ろしをしていたら滑って転んで落ちてしまった。
 あれだって、老化のため身体の自由がきかなくなってのことだろう。
 私も私の周りのものもことごとくが劣化し、たぶん生きている間いらいらが続く。
 生きるのをやめればそれはなくなるのだろうが死にたくもない。
 ならば気にしなければいいのだが、そうはできない性格である。
 よって、私のいらいらは死ぬまで続く。
 待てよ…、頭が毀れるって心配もあったな…。


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Posted by musan8 at 2016年02月15日 09:07Comments(0)TrackBack(0)

書を生むひと の巻

f2ce3af9.jpg 寺田沙舟氏は言わずと知れた著名書家であるが、親しみを込め「沙舟さん」と書かせていただく。
 2015年9月6日午後1時少し前、沙舟さんは青森空港にほど近い青森市浪岡の「王余魚沢(かれいざわ)倶楽部の森」に立っていた。
 森の中では、いや例え町中にいたとしても途方もなく派手に見える衣装を身につけ、それが妙に似合っていた。
 朱の地の、膝下まである貫頭衣のような衣装で、ぼかしの入った大きな牡丹の花が数輪鮮やかに手書きされている。
 彼女の脇には真っ白な紙が貼られた幅90センチ長さ3.6メートルの板が太い杉の木に立てかけられていた。
 そして、400人の老若男女が今か今かと固唾を呑んで見守っている。
 穂の長い、それほど太くない筆に湯桶ほどもあるプラスチックの容器からたっぷり墨を含ませた書家は微かにほほえむ。
 何と、詩の巨人谷川俊太郎の詩を谷川俊太郎本人の目の前で今正に揮毫しようとしているのだ。
 巨人の前と言えども一歩も引かない。
 軽くステップを踏むように動き出し、踊るように書を生み始めた。
 その一部始終を私はカメラのファインダー越しに見つめシャッターを切り続ける。
 沙舟さんが第1画を生み出したのは12時56分57秒、30字余りの3行を生み終えたのは13時00分12秒頃。その間およそ3分。右から左から遠くから近くから一眼レフデジタルカメラで59カットの写真に収めた。
 今回の展覧会と関係ないことを何ゆえ長々書いているのかと思うかも知れない。
 実は、王余魚沢で沙舟さんが筆を振るっているのを見て「これは書を書いているのではない。書を生んでいるのだ。」と強く思ったからだ。
 私は「書」の門外漢であるが、以前から「書」は生き物であると信じている。
 「書」は紙の上で動作を止めているが、時に、見る者に猛獣のように襲いかかったり優しく話しかけたりする。
 沙舟さんがまるで字を書いているように見える動作、あれは実は「書」を生む所作なのだ。紙に「書」を生み付けるという言い方が当たっている。寺田沙舟は「書」という子を産む「書の母」なのだ。
 そう思わせる書家がこの世に何人いるだろう。
 そんなことを思いながら今回の展覧会をご覧になってはいかがだろう。

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 この文章は、2015年10月30日から11月1日まで中三弘前店8階スペースアストロで開かれた「第12回寺田沙舟とその仲間による書展―津軽を書く。―」に寄せて書いたもので、10月28日の陸奥新報に掲載された。
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Posted by musan8 at 2016年01月08日 19:01Comments(0)TrackBack(0)

文芸コンクールでの一場面 の巻

1b640771.jpg 今年も青森県民文化祭が開催された。
 美術、音楽、ダンス、茶道、華道、人形劇、文芸など16分野にわたる県民による祭典で第25回目。
 中に短歌、俳句、川柳、詩、小説、児童文学の作品を募集・表彰する文芸コンクールがある。
 このコンクールを実施しているのは6部門の委員からなる実行委員会。
 川柳部門の委員は青森県川柳社から推薦された柳田健二さん、三浦蒼鬼さんと私の3名である。
 応募は自作・未発表作品であることが原則で、県内に住む方であれば誰でも参加できる。
 川柳は1人3句ずつハガキに書いて応募することになっており、県内10名の選者が選に当たる。
 選者はそれぞれ特選1名、秀逸3名、佳作15名を選出し、特選には3点、秀逸には2点、佳作には1点の点数が与えられる。
 そして、その合計点によって知事賞1名、準賞3名、佳作賞10名が決定される。
 今年の川柳部門には73名の応募があって、11月8日青森市内で表彰式が挙行された。
 川柳部門知事賞に輝いたのは青森市の今泉敏雄さんで、受賞作は次の3句。

 ひょいと生きひょいと死にたし水の月
 虞美人草だあれもいない手鞠唄
 みんなきてみんな帰りし曼珠沙華

 さて、話はここからである。
 11月30日夕方、わが家の電話が鳴った。
 文芸コンクール実行委員会の委員長からだった。
 曰く「今年の川柳部門知事賞今泉敏雄氏の作品について県民文化祭を担当する県庁の課へ投書が来ました。投書によれば今泉氏が俳句作品として別の場所に応募し大賞となった作品と同じ作品が川柳の県知事賞を受賞しているようです。ついては、投書のはがきをコピーしたものやその他の資料を送りますので川柳部門での検討をお願いします。」である。
 そして12月3日、資料の入った封筒が郵便により柳田健二さんと私へ届けられた。
 中身は、A投書ハガキのコピー、B県庁担当者から文芸コンクール実行委員会委員長へ宛てた文書のコピー、C公益社団法人教育文化協会第9回連合ILEC幸せさがし文化展(平成27年度)俳句の部結果一覧表、ほか2枚。
 Aは全てワープロ印字で中身はこうである。
 〈宛先〉
 青森市長島一丁目1の1
 環境生活部県民生活文化課
 青森県民文化祭実行委員事務局御中
 〈差出人〉
 全国俳句協会事務局
 〈文面〉
前略 今年度の県民文化祭文芸コンクールの川柳部門で「川柳知事賞(大賞)」を受賞した作品『みんなきてみんな帰りし曼珠沙華』ですが、過去にご本人が公益社団法人教育文化協会(東京神田に事務局あり)コンクール俳句部門で連合大賞を獲った作品と酷似しています。その作品は『みんな来てみんな帰りし夏の星』です。「全国でも知られている作品ですから如何かな!」と思います。事務局で確認して対処することをおすすめします。草々

 郵便を開封し中身を読んだ私は柳田健二さんへ電話をした。
 「共に今泉敏雄さんの作品である川柳『みんなきてみんな帰りし曼珠沙華』と俳句『みんな来てみんな帰りし夏の星』を比較すれば確かに上5中7は酷似している。しかし、下5の文言もその意味するところも大きく違っていて全く別個の作品として読むのが妥当ではないか。今泉さんの作品は二重投稿、盗句等の瑕疵はないものと考えるべきで県知事賞受賞に何ら問題はない。」という私の意見を伝える。
 柳田さんを中心に委員の三浦蒼鬼さん、青森県川柳社会長も交えて相談することになった。
 電話を終えて投書を再度チェック。
 文面の「連合大賞を獲った作品」という部分を同封の一覧表により調べる。
 なんと、連合大賞でも、ILEC大賞でも、その下の秀作、更にその下の佳作でもなく、更に更に下の入選である。
 まあそれはいい。
 次に、投書のハガキを最初見たとき差出人の「全国俳句協会事務局」に所在地も電話番号も書かれていないことが気になっていたのでインターネット検索してみる。
 「全国俳句協会」という団体は1件も引っ掛かってこなかった。
 あれれ?である。
 仮にも「全国」という冠がある団体がインターネット検索に引っ掛からないということがあるだろうか。
 俳句関係の方に聞けばすぐはっきりすることだろうが、どうもきな臭い。
 この2点について、再度柳田さんへ電話。

 このことについて、文芸コンクール実行委員会川柳部門が出した結論は、今泉さんの文芸コンクール川柳知事賞受賞作は二重投稿には当たらない。知事賞受賞は妥当である、というもの。
 しかし、この投書は一体何だったのだろう。


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Posted by musan8 at 2015年12月15日 08:35Comments(0)TrackBack(0)