机上のモノたち の巻

4b014239.jpg 私が使っている机は事務用の机として作られたものではない。
 刑務所で受刑者が作った食卓である。
 なぜ刑務所作業製品の食卓を使っているかと言えば、もちろんそれなりに安いからである。
 そして、実に頑丈だからである。
 普通の事務机と比べて天板がやたらに厚くやたらに広い。
 天板も脚も集成材だからかなり重い。
 大きくて部屋の入口から入れることができなかったので、天気のよい日に一旦屋根に上げ窓を全部取り払ってそこから入れた。
 トラックの荷台から屋根に上げるのも、窓から部屋に入れるのも若者が4人掛かりでやっとやったという記憶がある。
 
 今回の話は、その広くて重い机のことではない。
 机の上のこと。
 私の机は一見普通の机より広いとは感じられない。
 何故かというと、所狭しとたくさんの物が載っているからだ。
 机が、「重いじゃないか!」と激しく文句を言いそうなほど何だかんだ載っかっている。
 パソコン・セットしかなかったらどんなに広々としてさっぱりするだろうと思う。
 ではあるが、私の性格と関係あるのかないのか片付けても片付けても次々物がやって来てすぐにすき間が埋められてしまう。
 実は、机の上ばかりじゃなく、机のある書斎代わりの八畳の部屋も物だらけ。
 巨大ゴミ箱に机が置かれていると言った方が分かりやすいだろう。
 もしかしたら、巨大ゴミ箱の中で椅子に座ったまま眠ったりしている私もゴミかもしれない。
 差し詰め生ゴミと言ったところか。

 机の上に物がいくつ載っているのかこれまで数えたことがない。数えようとも思わない。
 とにかく多過ぎるのだ。
 でも、むさしがどんな机であんなバカな川柳や文章を書いているのかと興味のある方がこの世のどこかにいるかもしれないので少しだけ紹介することにする。
 まず、パソコン。机の上の一番いい場所で一番大きい面積を占めている。
 ノートパソコンではなく、れっきとしたデスクトップ・パソコン。
 ディスプレイの上には棚が設えられていて、棚の上には安物のインクジェット・プリンターが鎮座ましましている。
 川柳や文章を作るのはほとんどこのパソコンでやるのだが、たまに鉛筆やボールペン、あるいは筆で何かを書くこともある。
 そのためのスペース、つまり手作業のできるスペースということだが、それはキーボードの手前に置いたA4サイズのカッターマットの上しかない。
 パソコンとキーボードの間にも物が置かれている。
 左から順に挙げれば、まず直径7〜8センチほどのガラスのシャーレがある。
 それにはダブル・クリップやゼム・クリップなどが入っている。
 シャーレの上にはメンディングテープがあって、更にその上に右手の形をした大きなクリップがある。
 この月光荘のクリップは、買ったはいいがはどう使えばいいか分からないので今のところ単なる置物に過ぎない。
 その右にあるのは、首の置物。
 函館のギャラリー村岡というところでずいぶん昔に買った。3センチ角ほどの大理石のような石の台座に高さおよそ5センチの金属製の頭が接着剤でくっつけられている。
 真鍮だろうか、鼻が大きく口をぎゅっと引き結んでいて、何となく威厳がありそうな顔。
 買ったときは光っていたのだが今は黒ずんでしまった。黒ずんでいる方が光っているよりはいいように思うがどうだろう。
 その右には物が二つある。
 手前は木製の小さなカッターにセットされたメンディングテープ。
 その奥にはモンブランのボトル・インク。
 ブルーなのかブルー・ブラックなのか今となっては覚えていないほど昔に買ったもので、1年に2〜3回付けペン用に使うことがある。
 その右は2種類の目薬。
 日に数時間パソコンと向き合うので目薬は必需品なのだ。
 その右、ディスプレイの真ん中やや右よりにカメラがある。
 フィルム用カメラでオリンパスペンという。
 昔は、つまり発売当時はこのサイズでも小型で、だから「ペン」という名前がついている。
 これは、ある人の遺品、ありがたくもタダでいただいた。
 今はたぶん使用不能だと思われるが、35ミリ・フィルムを使い、12枚撮りのフィルムだと24枚撮れるハーフサイズ・カメラである。
 私が今使っているカメラはデジタル一眼レフだがやはりオリンパス製なので、これはそのご先祖様みたいなもの。
 大のお気に入りだから机のほぼ中央に置いてある。
 その右にあるのは、高さ4センチほどの切妻屋根の家の形をした真っ黒な鉄製文鎮。
 黒い色が黒錆なのかペイントなのか。盛岡の光原社という民芸の品物を扱っている店で買った、と思う。
 その右にも文鎮があって、こっちは高さ2センチほどの円柱状でガラス製。
 その右には百円ショップで買った高さ7〜8センチほどのガラス製ドームがある。
 時計を分解修理する職人のように、ゴミが付着すると困るものや紛失しやすい細かい何かに被せて使おうと買ったのだが、今は中にメモリースティックがあるだけ。
その手前は小さな急須型の磁器製水滴。
 硯にぽとりぽとんと水を注ぐためのもので、朱の地に花柄模様が描かれていて赤絵と言われるタイプのものかもしれない。
 アンティークショップで千円ぐらいだった。大して古い物でないのは確かだ。

 ここまで挙げた物がパソコンのディスプレイの幅、およそ50センチの範囲に置かれている。
 その右へ行こう。
 高さ10センチ程の人の形の木彫がある。
 ちょっと見にはいたずらで削った木のようにしか見えないが、よく見ると坊主頭の男で背中に細い針金の羽根がついている。
 天使だ。
 これも、前述のギャラリー村岡で買った。
 その右には直径7〜8センチ、高さも同じくらいの白いガイシがある。
 ガイシは漢字で書くと「碍子」で、「電線を絶縁し支持するために鉄塔や電柱などに取り付ける器具。一般に陶磁器またはプラスチック製の絶縁体と鋳鉄製の金具より成る。」(広辞苑第六版)もの。
 これは磁器製で、真ん中の穴にアウロラというイタリア製の黒いボールペンを差し込んでペンスタンドの代わりに使っている。抜群の安定感がある。

 と、ここまで書いて、更にその左右にあるものを書き込もうとしたが、とにもかくにも物がありすぎて我ながら嫌になってくる。
 いちいち書き連ねていくのは書く方もつらいし、読む方もたぶんつらいだろう。
 端折って書く。

 インク壺と一緒になったペン立て。華奢に見えるが、手に持つとかなり重い。
 シャープペンシルを差し込んだ焼き物の小さい壺。釘か何かに引っかけることができるように脇に出っ張りがある。
 細長い、普通のやつの半分くらいの硯。物のあり過ぎる机の上では小さいが故に助かる。
 鉛筆や蛍光ペンが無造作に突っ込まれた、元は綿棒の入っていた透明なプラスチック製容器。
 切手を入れた磨りガラスの容器。金属製の蓋がついている。
 印肉が入れられている小さな陶器の蓋物。
 そして、ハスの花が描かれた散華を入れた小さな額がある。
 これを買ったのは私だがその素性を今でははっきり思い出せない。定年退職した記念の旅行で買って来たような気がする。
 散華をネットで調べると「仏に供養するため花をまき散らすこと。特に、法会(ほうえ)で、読経(どきょう)しながら列を作って歩き、はすの花びらにかたどった紙をまき散らすこと。」と出てくる。
 私の机の上にあるのは裏に「中宮寺門跡 蓮花」と書かれている。奈良県の法隆寺近くにある中宮寺という寺で買ったもの。
 日本画家重岡良子という方の絵で、色気のない私の机の上にほんのり彩りを添えてくれている。

 更にその左右にあるものを書こうとしたがここで限界、飽きたので本当にやめることにする。
 私の机の上にあるものは、私が生きている間はそれぞれに実用のモノとして機能を有しているが、私が亡くなればその瞬間からゴミとして扱われるモノたちである。
 いずれも愛着のあるモノばかり。
 気が向いたらいつかまた続きを書こう。

  

Posted by musan8 at 2018年02月15日 22:39Comments(2)

シェルターに持ち込むもの の巻

d832bcfd.jpg 2017年9月15日早朝、何とも表現しようのない薄気味悪いサイレンの音が村中に鳴り響いた。
 Jアラートである。
 北朝鮮から午前7時ごろ発射された弾道ミサイルがあろうことか北海道上空を通過し、襟裳岬東方の太平洋上に落下した。
 消防自動車のサイレンとも救急車のサイレンとも違う、心を乱されるような聞きなれない変な音。
 今でもときどき思い出してしまう。
 できれば二度と聞きたくない。

 そのJアラートのサイレン、11月29日午前3時過ぎに北朝鮮から弾道ミサイルが発射された際には鳴らなかった。
 あれはほぼ1時間かけておよそ1千キロを飛行し、私の住む青森県の西方約250キロの地点に落下した(ことになっている)。
 サイレンが鳴らなかったのは、国土に危険性がないと政府が判断したからだという。
 北朝鮮は新型大陸間弾道ミサイル「火星15」の発射実験に成功したと発表し、アメリカ全土への到達が可能だと宣言した。
 「火星15」には核弾頭を搭載できるらしく、金正恩氏は、もし核戦争になればアメリカはもとより真っ先に日本列島を海に沈めてやると豪語している。
 ということで、私たちが生きている今の日本はいつ核戦争に巻き込まれてもおかしくない、とんでもなく危険な状況にある。
 ところが、周りを見回しても誰一人としてそんなことは考えていないようだしおびえてもいないようだ。
 金正恩氏とトランプ米大統領が脅し合っているニュースをまるでお笑いのボケと突っ込みの様子を見ているように見ている。
 核戦争なんて起きるわけがないといった顔ばかりである。
 かく言う私も、実は「まさかそれはないだろう」と高をくくっている。
 つまり、平和ボケしている。

 ところが、平和ボケしている私の頭が「核シェルター」のことを時々思っていたりする。
 「シェルター」をキーワードにインターネット検索すると、「核シェルターの家庭用の価格はいくら?」という見出しが付けられたホームページがヒットする。
 「日本も家庭用核シェルターが必要になってきた時代かもしれません」などと書かれている。
 内容をかいつまんで紹介すると、家族4人が中に入って身を守ることができる100万円弱の地上据え置き型家庭用防災シェルターや、数百万円もする地下に設けるタイプの防災シェルターなどが写真入りで取り上げられている。
 更に、地下15階に及ぶ70人収容可能で5年分の食料を保存できる1区画3億円以上するアメリカの核シェルターまで紹介されている。
 「防災シェルター」や「核シェルター」は今や現実のものなのだ。
ではあるが、原爆や水爆を滅茶苦茶撃ち込まれ日本列島が水没してしまうのであれば例え数百万円かけて家庭用防災シェルターを用意したところで何のためにもならない。
 そんなわけで、年金でその日暮らしをしている私は防災シェルターを準備するつもりなど毛頭ないし、買えるわけでもない。
 それはそうだが、もしも10日ほど暮らすことができるような核シェルターをタダで手に入れることができるならばどうしよう、なんてことを思わないでもない。(イジキタナイね…)
 そして、それが手に入るとすれば避難する際、中に何を持ち込もうかなどと考えたりする。
 せっかく核シェルターに閉じこもるのであれば有意義に過ごしたいではないか。
 こんなのを昔の人は「捕らぬ狸の皮算用」と言った。違うかな…。
 で、私は、シェルターに何冊かの本を持って入りたい、とか、音楽も聴きたいからポータブルCDプレイヤーと数枚の音楽CDを持ち込みたい、などと思ったりする。
 それと、コーヒーも飲みたい。モカ・マタリの豆を用意しておこうなどとも思う。
 外は戦闘状態、あるいは焼け野原というとてつもない状況の中で、シェルターにこもって本を読んだり、好きな音楽を聴いたり、コーヒーを飲んでいられるかとも思うが、可能であれば、そんな中で私が読む本はどんなものがいいだろう。
 川柳を作り続けて20年が過ぎたが、句集などの川柳関係書籍を持ち込むつもりは微塵もない。
 ノーベル賞をもらえない村上春樹の本も、ノーベル賞をもらったカズオ・イシグロの本も意図するところではない。
 そんなことをああでもないこうでもないと考えて、実は何日も楽しんでしまった。
 聖書はどうかとも思ったがクリスチャンではないのでやめて、それでは「歎異抄」や経典などの仏教関係はどうかとも考えたが辛そうなので除外。
 今のところ有力候補は宮本武蔵の「五輪書」である。中に何が書かれているかなど知りもしないが、これは文庫本にもなっていて手に入れやすいはず。
 「五輪書」でなければ、吉川英治の「宮本武蔵」はどうだろう。これも、新潮文庫から出ている。
 自分が「むさし」を名乗って川柳を書いているからの「武蔵」なのだが、何となく井伏鱒二の「珍品堂主人」はどうか、とも思ったりする。
 「珍品堂主人」は骨董屋のことが書かれているそうで、何やらおもしろそうだ。
 文庫本でも出ていることになっているが、どういう訳か青森市民図書館でも青森市内の書店でも見つけることができなかった。ネットだと比較的簡単に入手できるようだが、そこまではしたくない。
 ある人が井伏鱒二全集を持っていて、その中に入っているという情報ももらったが、シェルターの中で井伏鱒二かよなどと思ったりもする。
 たかが本であるがされど本で、究極の選択ともなればいわく言い難い難しさがある。
 では、CDはどうかというと、手元にジャズのCDが1千枚と少しあって、その中から選ぶのだから簡単そうだがこれまた難しい。
 トランペットの帝王マイルス・デイヴィスもギターの名手ウェス・モンゴメリーもいいが、これ1枚と言えばやっぱりデクスター・ゴードンの「GO」というアルバムを選ぶかもしれない。
 デクスター・ゴードンは言わずと知れた高名なテナーサックス奏者だ。しかもこのアルバムには「チーズケイク」という名曲が収められている。
 「チーズケイク」とは耳慣れない言葉かもしれないが、片仮名で言えば「チーズケーキ」のこと。
 あ、蛇足だね…。

 もしかしたら、オレって今、妄想してる?


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Posted by musan8 at 2017年12月15日 09:22Comments(0)

支離滅裂 の巻

9fe919df.jpg 机の上に左の肘をついて、上を向けて開いた手の平には顎を乗せている。
 頬杖をついているのだ。
 右手は何をしているかというと、パソコンのマウスを掴んでいる。
 では、私が何をしているかというと、実はただボーっとしている。
 パソコンの前に座ってはいるがディスプレイを見ているわけでもない。
 何かを考えているというのでもない。
 眠りに落ちそうな状態で椅子に座っている。
 目をつぶれば一瞬にして眠りの世界に入れそうだが、なかなかそうはならない。
 うまく行けば椅子に座ったまましばらく夢が見られる。
 眠り込んでしまえば今やっている作業が遅れてしまうとか、目が覚めたらどうしなければいけないとか、そんなことは考えていない。
 このところ、晩酌後の私はいつもこんな調子だ。

 携帯電話のこと。
 私はまだガラケーを使っている。
 ガラケーって何だと思った頃が懐かしい。
 ガラパゴス携帯なんてどんな人が考えた言葉か知らないがなかなかの発想だと思う。
 今では私もガラケーがどうのこうのと普通に言っている。
 ところで、今使っているガラケーが壊れたら私は次の携帯をスマホにするのだろうか。
 ガラケーが売られていなければスマホにするしかないが、ガラケーがあれば次もガラケーになるはずである。
 ガラケーの何がいいかと聞かれればちょっと困るが、利用料がスマホより安いというのが大きな理由。
 スマホに魅力がないということではない。
 家族に無駄遣いのチャンピオンと囁かれているほど無駄遣いをしていつも大した小遣いを持っていない老人なので利用料の高いスマホへ移行できないのだ。
 例えスマホに変えたとしても、私は目が悪いからゲームはできないだろう。
 多用するのはたぶんカメラとインターネット。
 手の平に乗る道具で簡単にネットサーフィンができるというのは魅力的である。

 無駄遣いと言えば、思い当たることだらけ。
 昔風に言えば骨董屋みたいな、今風に言えばリサイクルショップみたいな、格好つけて言えばアンティーク屋みたいな、そんな店を覗くのが好きで安物を何だかんだ買ってしまう癖がある。
 もちろん、古本屋も好きである。
 川柳を始める前、村に住む骨董の好きな人としょっちゅう酒を呑み骨董のことをいろいろ教えてもらったことが今のそんなところにつながっている。
 骨董と言えば古美術品みたいで恰好いいが、私の場合美術品と名の付くものを買うようなパワーがどこにもないので買うのは単なる古物である。
 古物を売ったり買ったりするには古物商許可証というものが必要で、私に骨董のことを教えてくれたひとも古物商ではなかったがそれを持っていた。
 その許可証というのは、警察署を経由して都道府県の公安委員会へ書類を提出すればたいていもらえるらしい。
 試験はないはず。
 古本屋をやるにもその資格が必要なのだそうだ。
 話が脇にそれた。
 古物は普通の商品と違うところがある。
 何が違うかと言えば、普通の商品は店に現物がなくても注文すれば大抵手に入れることができるが、古物は目の前にあるものを誰かに買われてしまえば次にいつお目にかかれるか全く分からない。
 いつどんな品物が入荷するかも不明である。
 だから、古物を置いている店はしょっちゅう顔を出してチェックしなければならない。
 そうしないと、自分の欲しい物が入荷しても誰かに買われてしまったりする。
 全く油断ならないのがそんな店で、買わなかったり買えなかったりして後で「あの時無理をしてでも買えばよかった」と悔やむことも多い。
 その辺のスリルがまたおもしろいところ。
 例えばリサイクルショップと普通の文房具屋に同じ万年筆があるとする。普通の店では未使用のものが定価で売られているが、リサイクルショップでは同じ未使用の物でも定価よりずっと安く買える。
 だから、何本も持っている万年筆でもついつい手が出てしまう。
 それが私の無駄遣いの実態である。
 古物でも特殊な物は逆に新品より遥かに高いこともある。
 私が買えるのは鉛筆とかコップとか本などで、せいぜい頑張ってもパイプ椅子とかである。
 ということで、プレミアムのついたものは買わない、買えない。
 古物を置いている店では廃盤になった物を見つけることもある。
 そんな楽しいところだが、買おうとするものは注意深く見なければいけない。
 壊れた物を壊れた物として平然と売っているのがそんな店であり、レジに品物を持って行くと「状態を確認しましたか」「品物は交換できませんので」とよく言われる。
 自分の責任で物を買わなければいけないのだ。
 古いものは妙に人間を惹きつける力を持っている場合があって、そんな物に出会う楽しみもある。
 あ、M舎のあの古い額縁まだあるだろうか…。

 と、ここで目が覚めた。
 パソコンに向かったまま眠り込んであれこれ夢を見るのは楽しい。
 ではあるが、首が疲れる。


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Posted by musan8 at 2017年11月15日 14:10Comments(0)

つがること の巻

265674b3.jpg 全国的に見て「つがる」と言えば、「つがる」というリンゴの品種や、ストーブ列車が走る青森県「津軽」地方や、作詞・阿久悠、作曲・三木たかしで石川さゆりが熱唱する演歌「津軽海峡冬景色」の「津軽」を思い浮かべる人の数よりも、太宰治の小説「津軽」を思い出す人の方が多いのではないか。
 ところで、この文章のタイトルにある「つがる」だが、これはそれら「つがる」「津軽」とは違う。
 津軽弁の《つがる》である。
 標準語で言えば「違う」ということ。
 津軽の人達は「それ、つがる」「つがるじゃよ」などと今も普通に、しかも頻繁に使っている。

 何故こんなことを書き始めたかというと、実は、「ムーさんの独り言」に何を書けばいいか分からなくなり困惑の極みへ到達したからだ。
 高齢のためかボケのためか原因は不明だが、とにかく行き詰まった。
 で、とりあえずテキトーなことを書きつけたのである。
 ここから更にテキトーな何かを書きつけて、それをダラダラ繰り返し、それだけで今回は終わってしまえないかと思案した次第。
 実は、何日も前から、いやもっと前から「ムーさんを書かなければ…」「何を書けばいいんだ…」と悶々としてきた。
 どういう訳か、悶々とすればするほど混沌の世界へ迷い込んでもっともっとどうすればいいか分からなくなる。
 自分の無能さが今更に情けない。
 そんな状態が続いていた数日前、自家用車を運転中にある異変が起こった。
 北朝鮮がミサイルを発射したということではない。
 アラン・ブースの「津軽―失われゆく風景を探して」をふと思い出したのだ。
 そして、私もアランのように太宰の「津軽」をたどってみればどうかと思った。
 焼き直しの焼き直しになるが、それだと案外簡単にできそうだなどと「悶々」あるいは「混沌」というものが思わせたのだろうか。
 しかし、時間が足りないし、股関節が悪いため痛くてアランのように歩くこともできない。
 (アラン・ブースは、私の住んでいる蓬田村も歩いたんだっけ?読んだのがずっと昔なので何も思い出せない…。本がわが家のどこかにあるはずだが…。あ、関係ないか…)
 たとえ健常者のようにバリバリ歩けて競歩を軽くこなすことができたとしても、たとえ、地球と月を往復できるほど時間があったとしても、太宰やアランに比べるまでもなくノミの心臓ほどに小さく性能も大したことのない私の脳ミソでは「むさし流・津軽―たとえ股関節が悪くても」など逆立ちしたってどうしたって書けるわけがない。
(そんなことハナから分かってるだろう?ところで、「ノミの心臓」って、こんな場合に使うべき言葉じゃないぞよ…、……ま、いっか…)
 それでは、《つがる》何を書くべきか、である。
 ない…、何も思いつかない…。
 窮地に陥るといつもしゃしゃり出てくるのが、突如として数行前のカッコ書きに登場した私の中にいるもう一人のワタシ。
 こいつは川柳の句会や大会が近づくと私が眠っていても勝手に起き勝手に宿題の句を作っていたりする。
 そんなやつなのに、今回は調子が悪いのか文句をつけるだけで妙案も珍案も出してくれない。
 ここはやはり私の方で何とかしなければ、なのだ。

 締め切りが明後日の24時という2017年9月13日の朝、5時半に目が覚めた。
 夜中に私の中の別のワタシがいろいろ足掻くので、目覚めたばかりでも私の脳はくたびれている。
 ではあるが「ムーさんに何か書くことがないか」と健気に考え始める。
 しかーし、6時半になっても何も閃かない。
 結局、普段の生活に突入することにした。
 その方が、まかり間違って何か閃く可能性があるかもしれない(汗)
 トイレにも行きたくなったのでこの時とばかりに起き上がり、階下へ降りるべく痛む股関節をなだめなだめ階段へと向かう。
 廊下の突き当りでいつものように窓から外を見た。
 北側のその窓からは、わが家の農具庫がJR津軽線の向こうに小さく見えるのだ。
 今にも朽ちそうなその小屋が今日も無事に確認できた。
 そして、小屋の背景の晴れた空には虹が出ていた。
 そう言えば、屋根を打つ弱い雨の音をさっき聞いたような気がする。
 くっきりとして太い、左側へ緩くカーブして立ち上がる右半分ほどの虹だ。
 あ!と思った。
 脳の回線がボケでこんがらがったからか、はたまた「悶々」が祟ってショートしたからか
「虹はオスである」
というフレーズが線香花火のスパークよろしく、か細く不意に、いとも容易く私の頭の中で閃いた。
 雨上がりの空に弧を描く七色の光の帯を「虹」というのは誰もが知っている。
 しからば、その「虹」がオスであるということをご存じだろうか。
 この秘密でも何でもない一見くだらない情報は、川柳教室の資料作りのためパソコンで調べ物をしているとき偶然私の胸に飛び込んできた。
 広辞苑で「にじ」を引いたら次のように出ていたのだ。

 にじ【虹・霓】雨あがりなどに、太陽と反対側の空中に見える7色の円弧状の帯。大気中に浮遊している水滴に日光があたり光の分散を生じたもの。外側に赤、内側に紫色の見える主虹のほかに、その外側に離れて色の順を逆にする副虹が見える。のじ。ぬじ。

 恥ずかしい話だが、「にじ」に「霓」という字もあるなんて全く知らなかった。
 寝耳に水である。ということで次に「霓」を漢字として調べる。

 にじを竜の類と考え、雄を「虹」、雌を「霓」という。

と書いてあるではないか。
 何だとお?雄が「虹」で雌が「霓」だとお?頭が痛くなるぞお…、だった。
 調べている内に【虹霓】という言葉があることも分かった。

 こう‐げい【虹霓・虹●】[楚辞 哀時命]虹(にじ)。古くは竜の一種と考え、雄を虹、雌を霓・●といった。(広辞苑)
 (※「●」は虫偏に「兒」を書きます。私のワープロソフトでは打ち込めない字です。)

 漢字という人類のとてつもない財産を築き上げた昔の中国の人達は、空に架かる虹を生き物だと思って見ていた。
 しかも、想像上の動物である竜の一種だなんて思っていたのだから何ともダイナミックで、且つ微笑ましい人達である。
 虹をつかまえた人間はそれまでもこれまでもどこにもいないのだから、あれは竜だと言ってもどこにも不都合が生じない。
 たまに二重の虹を見ることがあるが、くっきりした方をオス、薄い方をメスと考えていたようだ。
 オス、メスそれぞれに漢字を創作し、メスの方は2つも字を作った。いやはやである。
 あれ?「虹」も「●」も虫偏だ。
 昔の中国の皆さ〜ん!竜は虫の仲間ですか〜。
 と呼びかけたが誰も答えてくれない。そこで、またしても広辞苑のお世話になる。

 りゅう【竜】(慣用音。漢音はリョウ)〜杼上の動物。たつ。㋐〔仏〕インド神話で、蛇を神格化した人面蛇身の半神。大海や地底に住し、雲雨を自在に支配する力を持つとされる。仏教では古くから仏伝に現れ、また仏法守護の天竜八部衆の一つとされた。㋑中国で、神霊視される鱗虫の長。鳳(ほう)・麟(りん)・亀(き)とともに四瑞の一つ。よく雲を起こし雨を呼ぶという。竹取物語「はやても―の吹かする也」㋒ドラゴンのこと。(↓きイ肋蔑)

 ,㋑の「鱗虫」が分からないので、もう一度広辞苑のお世話になる。

 りん‐ちゅう【鱗虫】うろこのある虫。へびなどの称。

 なるほど…、竜は虫だった。しかも鱗虫の長だ。
 新村出さんありがとうございました。ネットサーフィンならぬ「広辞苑サーフィン」、楽しかったです。

 こんなオバカなこと、世界中のどれだけの人が覚えているだろう。
 覚えていたってもちろん何のタメにもならない変なことなのだから覚える必要は全くないが、この種のことは私が覚えているだけでも他にいくつかある。
 「鳳凰」を広辞苑で調べれば次のように出ている。

 ほう‐おう【鳳凰】古来中国で、麒麟(きりん)・亀・竜と共に四瑞として尊ばれた想像上の瑞鳥。形は前は麒麟、後は鹿、頸は蛇、尾は魚、背は亀、頷(あご)は燕、嘴は鶏に似、五色絢爛(けんらん)、声は五音にあたり、梧桐に宿り、竹実を食い、醴泉(れいせん)を飲むといい、聖徳の天子の兆として現れると伝え、雄を鳳、雌を凰という。鳳鳥。

 この説明の中にある「麒麟」だってそうだ。

 き‐りん【麒麟】 (雄を「麒」、雌を「麟」という)中国で聖人の出る前に現れると称する想像上の動物。形は鹿に似て大きく、尾は牛に、蹄は馬に似、背毛は五彩で毛は黄色。頭上に肉に包まれた角がある。生草を踏まず生物を食わないという。一角獣。(広辞苑・↓は省略)

 更に「くじら」もそうである。

 げい‐げい【鯨鯢】(古くはケイゲイ)〕困じらと雌くじら。(広辞苑・△肋蔑)

 同じ種のオスとメスによって字が《つがる》のはもっとありそうだ。
 漢字はやはり難しい、日本語もやたらに難しい。
 でも、楽しくないこともない。
 お!テキトーなことを書きつないでいたら結構な長さになったぞ。
 ああ?んん?
 もっと《つがる》ことを書くはずだった。



 2017年9月15日、つまりこの原稿を書いている本日、北朝鮮は午前6時57分ごろ弾道ミサイル1発を太平洋に向けて発射した。
 ミサイルは北海道上空を通過し、襟裳岬東方の太平洋上に落下。
 発射直後、村にサイレンが鳴り響いて何事かと思った。
 サイレンが鳴り終わる前にテレビ各局が報道を開始。村の防災無線放送もミサイル発射の情報を伝えるとともに避難を呼びかけた。
 しかし、わが家は誰もどうすることもできなかった。
 北朝鮮のミサイルが日本列島を越えたのは、8月29日以来6回目である。
 本文と何の関係もなく蛇足だが書き足しておく。


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 *本文と画像は互いに関係ありません。
  
Posted by musan8 at 2017年09月15日 17:47Comments(0)

不思議な小皿 の巻

2d84add6.jpg 初めて川柳を作った20数年前のことを今でも思い出す。
 10歳年下の友人に「蟹田に千円呑み放題のところがあるから」と誘われ、行ってみたらおかじょうき川柳社の忘年句会だった。
 一杯食わされたのだ。
 「句会が終わればいくらでも飲ませるから」となだめられ、「ただ待っているのも退屈だろう」と句を作らされた。
 以後句会に出続けている。ではなく、懇親会に出続けている。
 当時、おかじょうき川柳社の句会には怪物がうようよ集まって来て、それを眺めているだけでも飽きなかったし、何よりも懇親会でふんだんに酒が飲めた。
 私は句会のために句を作っていたのではなく、怪物が見たい、酒が飲みたいと句を作っていた。
 その頃の私の句は単なる5・7・5に過ぎなかったが、作りながら「川柳ってどうして5・7・5なんだ」といつも思っていた。
 「5・7・5なのに何で俳句じゃなく川柳なんだ」という疑問もあった。
 そして、これらの疑問は私だけが知らないほんの初歩的なものだから決して他人に聞いてはいけないことで、どれだけ時間がかかろうと自らに問い続け、いつかは自分なりの答えを見つけなければいけないことだと思っていた。
 句会に集まるのは変に熱を帯びたニンゲンばかりだから懇親会での話は尽きることがなく、無理やり終わるのはいつも深夜で、帰りは仲間の車に世話になるしかなかった。
 会場が青森市になってからも家に帰るのはやはり深夜で、今度はタクシーを利用するようになり、それがいつの間にかJR津軽線の最終電車で帰るようになって、今では終電より1本早い電車で帰宅している。
 そんな変化(老化?)と関係あるのかないのか、脳も変化をきたしている。
 「生きる」ことをテーマに書いた5・7・5が川柳だと先輩たちに教えられ、今もそうだと思っているが、前期高齢者になった頃から「川柳とは小皿に盛った自分である」などとあらぬことも思うようになった。
 その小皿は不思議な小皿で、盛るものの内容、形、味などに制約がある。
 盛ることができるのは人間、つまり「自分」であり、それも17音前後にまとめられていなければならない。
 「自分」というものには、自分なりに見た世の中や自然なども含めることができる。
 小皿の縁から鼻や指先がはみ出るのは仕方ないが、全体が5・7・5音のリズムに乗っていなければならない。
 「自分」の特定の部位を刺身のようにそのまま盛り付けることもできるが、こくがあってしかもさっぱりした味に仕上げるのが理想で、煮たり焼いたり蒸したり、粗塩や胡椒を振ったりと工夫が必要である。
 そんなややこしい作業の果てにようやくでき上がる小さな一皿の私。
 そんなむさしなんて、例えできたとしても誰も見たくも食べたくもないだろうが、要するに、これからの私がつくるべき川柳というのはそんなものかなと思うのである。

 すみません鼻が曲がっていませんか  むさし



*この原稿は、2017年7月14日の東奥日報金曜リレーエッセイ「想咲日和」に掲載されたものです。
*本文と写真は互いに関係ありません。  
Posted by musan8 at 2017年08月10日 08:38Comments(2)

川柳と周辺の作業 の巻

376e7c60.jpg 川柳というものに関わって20数年が経つ。
 おかじょうき川柳社の中でも年齢が上の方になったからか、あれこれの役を演ずるようになって川柳にいつも追いかけられている。
 今回は川柳に関し私が今どんなことをしているかここに洗い出してみようと思う。

 まず、句を作ることについて。
 句を作ると言えば、私の場合句会、大会及び柳誌への投稿が主なもの。
 川柳は提出句数の何倍も作り、その中からいいと思われるものを選んで投句すべきであるが、数だけやっと揃えて間に合わせているのが実状だ。
 参加している句会は、おかじょうき川柳社例月句会のみ。
 これには7月以外の十一か月毎月出席している。
 7月は年1回の大会「川柳ステーション」があって、私はこれに句を提出していない。
 おかじょうき川柳社の例月句会で使う句は宿題、席題と研究吟で毎月13句。単純計算すると年間140句ほど提出している。

 大会のための作句について。
 昨年参加した大会を振り返ってみよう。
 1月には弘前川柳社が開催している「新春川柳大会」(会場・弘前市)へ参加した。
 ここの宿・席題は6題で2句ずつ提出、それと我洲杯1句で計13句提出。
 2月は「青森県近代文学館川柳大会」(会場・青森市)に参加。
 この大会の宿・席題は5題。各題2句提出で計10句提出。
 5月は「金木桜まつり川柳大会」(会場・五所川原市金木地区)。
 この大会は宿・席題が5題で2句ずつ、それと岸柳杯が1句で11句提出。
 次は9月で、9月は大会が2つあった。
 東奥日報社が主催する「県川柳大会」(会場・青森市)が先で、ここでは7題の宿・席題にそれぞれ2句提出なので全部で14句提出。
 そのおよそ10日後に黒石市で「川柳忌県下川柳大会」が開催された。
 宿・席題は5題で2句ずつ提出。それと特別選1句の提出があったので全部で11句。
 10月も大会は2つ。
 まず「五所川原川柳大会」(会場・五所川原市)へ参加。
 ここは宿・席題が5題でそれぞれ2句提出。それと特別選が1題・1句だから全部で11句提出。
 1週間後の「県下深浦川柳大会」(深浦町)にも参加。
 ここは2句提出の宿・席題が5題、それと特別選が1題1句提出だから11句。
 11月は「青森市民文化祭川柳大会」(会場・青森市)があって、6題の宿・席題に2句提出だから12句。
 結局、年間7大会に参加し、宿・席題及び特別選などに計90句ほど提出している。

 柳誌への投稿は2か所。
 月刊おかじょうきの雑詠欄「無人駅」へ毎月5句提出するので、年間60句を無理やり作る。
 青森県川柳社機関紙「ねぶた」の「山家集」へも毎月5句提出することになっているので、ここにも年間60句を作っている。
 ということで、昨年の句会・大会・柳誌などに提出した句の数はおよそ350句である。
 大まかに言えば毎日1句作っているということになる。

 次に、選者をやっているものをチェックしよう。
 先に述べた大会の多くは結社代表ということで選者を兼ねることが多い。
 そのほかのものを列挙してみる。
 まず、私の住んでいる蓬田村の広報に子供川柳の欄があって、年間9回蓬田小学校の生徒が作った句を読んで選をし選評を書いている。これは、句箋がわが家に届けられたその日の内に処理するようにしている。
 新聞は、読売新聞青森県版「よみうり文芸・時事川柳」のコーナーを杉野草兵さんから引き継いで担当しており、青森県内から集まる投稿作品をほぼ毎週選をし、「寸言」という100字ほどの雑文も書いている。 これも、子供川柳同様なるべく当日中に処理するよう自分なりに義務付けている。
 青森県川柳社の機関紙「月刊ねぶた」が毎月発行されていて、中に「百彩の虹」というコーナーがある。そこの推薦句を私も選ぶことになっていて、これはおよそ200句から3句を選ぶという作業。
 これは翌月報告だから時間的に少し余裕がある。
 川柳ひらない誌でも似たような作業を数年続けていて、これも毎月で、60〜70句から6句を選んでその日の内にハガキで返信する。

 ラジオ番組も担当している。
 毎週土曜日昼12時から10分間放送されるエフエム青森のミニ番組「チャレンジ川柳!むさし流!」である。
 放送は毎週だが、収録は月1回。県内外から毎月100句ほどの投稿があって、その中から4回、あるいは5回放送する分の入選句を選び、マイクに向かって言うコメントを毎月考える。
 これが、簡単なようでいて意外に難しい。

 ほかにもやっていることがある。
 おかじょうき川柳社が主催する川柳教室である。
 青森駅前のアウガという市役所の建物に1室を借り、月2回実施している。
 聴講してくれる方は今のところ12〜13人。
 それらの方々へ毎回宿題を1題出す。
 宿題は、葉書やメールで事前に2句ずつ私に届けられるので、受付簿を作り、届くたびに受け付け、提出された全ての句にコメントをつける。
 その資料がA4で4枚ほどになる。
 教室は午後1時から2時半頃までで、提出された全句から気に入った2句を参加者に選んでもらい、選んだ理由をそれぞれ話してもらいながら私のコメントを付け加える。
 コメントは適当なことばかり言っているのだが、これまた難しい。

 原稿を書くという特に頭の痛い作業もある。
 定期的に書かなければいけないのは、月刊おかじょうきに掲載されるものが2つ。
 1つは、会員雑詠集「無人駅」の鑑賞コーナー「カンテラ」。
 もう1つは、「ムーさんの独り言」というこの雑文。
 両方とも例によって甚だ勝手なことばかり書いているのだが、四苦八苦しない月はない。
 原稿と言えば、月刊おかじょうきに載る句会結果を毎月キーボードに向かって打ち込むという作業も担当しているし、川柳ステーションのトークセッションはテープ起こしも担当している。

 次は会議。
 おかじょうき川柳社の運営や月刊おかじょうきの編集について毎月打合せが開催され、代表であるので当然毎回出席しなければならない。

 最後に、おかじょうき川柳社代表という役目のこと。
 故角田古錐さんは「おれがおかじょうきの代表だとただ威張っていればそれでいい」と言ったが、実際は全然違う。
 簡単に言えば、代表とは運転手であり書き役であり、時にはカメラマンにもなりと柳社に関するあれこれを何でもやらなければいけない雑用係のようなもの。

 以上が、川柳に関し今の私がやっている主なこと。
 これ以外に突然選者依頼が舞い込むこともある。
 ということで、私はほぼ毎日何らかのかたちで川柳と関わっている。
 気が小さいものだから夜中に原稿のことでうなされ目が覚めてしまったりすることもある。
 忙しいのはボケ防止にいいと言われるが、さてさて、この状態一体いつまで続けられるのだろう。
 そのうちきっと大きいミスをする。
 そうすれば役目から外され楽になれるだろう。
 そうなる前にどこかを何とかしたいのだが…。


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Posted by musan8 at 2017年06月15日 22:05Comments(4)TrackBack(0)川柳

ボールペンと不満と の巻

ee7992ce.jpg 文房具が好きである。
 中でも、筆記具が好きだ。
 私はもうすぐ70歳。今の時代のどこにでもいる団塊世代の老人である。
 しかも、あちこち壊れた無職不透明の老人で、未だ文房具に未練というか強い関心があって、文具店のガラスケースの中に飾られた万年筆を買えるわけもないのに長い事じぃっと覗いていて店員に不審の目で見られたりしている。
 インターネット通販のホームページをあちこちググっていたりもする。
 ホームページは私がどれだけ長い時間万年筆の写真を見つめていようとも誰も咎めだてをしないので目が疲れるほどあれこれいつまでも見ていたりする。
 よって、私は目薬常用者である。

 若い頃から筆記具が好きだった。
 鉛筆も万年筆もボールペンも、ただの老人にしてはたぶん呆れるくらい数も種類も多く持っているはずだ。
 しかし、それを使って何か仕事をしているわけではない。
 ごくたまに手紙を書かなければならなくなって、失礼のないように万年筆で書こうとしても10本以上ある万年筆はほとんど使われることがないのでインクが切れていたり、内部で固まっていたりでそのまま使えたためしがない、というのが偽りのないところ。
 持っている筆記具の多くはわが家のあちこちで眠っている。
 使いもしない、と言えば毛筆だって細いのから太いのまで20本以上はあるし、筆ペンも10本ほど持っている。
 ではあるが、私は筆記具コレクターではない。
 それほど高価なものを買うわけでもない。
 邪魔になるほど筆記具があるが、文章を作らなければならないことがあればパソコンを使っている。
 では、何ゆえ大して使いもしない筆記具を今も買うのだろうか。
 実は、筆記具というものには私を引き付けてやまない何とも言えない何かがあるのだ。
 もしかしたら私の心の奥で、自分に合った筆記具を使えば上手な字が書けるかもしれない、とか、書きやすい筆記具だといい文章やいい川柳が書けたりするかもしれないという微かで遥かでいびつで淡い希望のようなものが瞬いているのかもしれない。

 鉛筆は今のところ月光荘8Bが心の真ん中に堂々と君臨しているのであまり問題がない。
 問題は万年筆とボールペンである。
 この2種類は満足できるものを持っていない。
 (と言うか、先日まで持っていなかった。)
 高額なものであれば私にしっくりぴったりくるかと言えば、買ったことがないので正確なところは分からないがそうでもないような気がする。
 私の手と指と頭に合う書き心地の問題なのだ。
 矛盾だらけだが、滑りすぎない、走り過ぎない、それでいて力強く滑らかに悠々とした文字の書けるペンが私の理想である。
 今までいろんな万年筆やボールペンを使ってきたがそんな私を満足させるものがなく、それをいつも不満に思っていた。
 とんでもなく高価だが私の希望を満たすものがこの世にもしもあるとすれば、貧乏人の私にはもちろん買えないだろうが希望が残されていることになり生きて行く活力になる。

 では、まず万年筆のこと。
 万年筆は常時使っていれば問題が少ないが、放っておくとインクが蒸発してなくなっていたりするからやっかいだ。
 ずぼらな私には向いていない筆記具と言えるだろう。
 それでも、若いころ買ったモンブランやパーカー、パイロットなどが机の脇にある。
 モンブラン149などは専用の革シースに収まったまま何年も使われていない。
 赤いパーカーのデュオフォールドは樺細工のペンケースの中で眠り続け、その存在が忘れられるほど長い時間が経過している。
 特殊な脳波の一つと言われるシータ波をイメージしたセーラー創業85周年記念限定万年筆などというわけの分からないものまである。
 それらを一緒に山葡萄の蔓で編んだ小さな籠に無造作に突っ込んでいる。
 こうして置くと、見つからないということがなく精神衛生上誠に助かるのだ。
 今は使わない万年筆だが、たまには手に取ってボディをなでまわしてやったりペン先を見つめてやろうと思っている。
 どうしても使わなければならない場合はボトルのインクがあるので付けペンとして使うつもりだ。
 ただのおバカさんだとばれにくいように少し言い訳をしておく。

 次に、本題のボールペン。
 ボールペンは現代日本で、いやたぶん世界中で今一番多く使われている筆記具ではないだろうか。
 私はボールペンを主としてメモ用に使っている。
 メモしておかないと思いついたことをすぐ忘れてしまうので、紙と筆記具を家のあちこちに置いたり持ち歩いたりしている。
 ボールペンは万年筆のようにインク漏れの心配がなく、鉛筆のように芯が折れる心配もないのでメモにぴったりだ。
 だから、何本も持っている。
 1本100円程度のものがほとんどだが、少し高いものもあったりする。
 この世にはいろいろなタイプの人間がいるが、ボールペンは文字を書けさえすればそれで良いと考える派と、少し高価でもすらすらと気持ちよく書けて、しかも満足できるデザインでないと困るという派の二つに分かれるようだ。
 私は明らかに後者のタイプである、と思う。

 私だけの感覚かもしれないが、以前のボールペンはそれほど書きやすい道具ではなかった。
 書き始めにインクが出なかったり、かすれたり、固まりで出て来たりと私を長い間いらいらさせて来た。
 ところが、近年は低粘度のインクが出回るようになってなかなか書き心地のよいものもある。
 そんな中で私のお気に入りは、三菱鉛筆のジェットストリームだ。
 ホームページに《「クセになる、なめらかな書き味。」を実現した、世界初の画期的な新開発インクを搭載し、既存の油性ボールペンと比較して、『JETSTREAM』は筆記速度に関わらず、低い筆記抵抗でなめらかな書き味を実現しました。》と、何だか難しいことが書かれているがそれなりに書きやすい。
 そんなわけで、百数十円のジェットストリーム・スタンダードや、それより少し高いラバーボディなどがわが家のあっちにもこっちにも、あっちのカバンにもこっちのカバンにもと所かまわず置かれている。
 そんなに好きなジェットストリームだから、古いカバンから数年ぶりに見つかったパーカーのブルーの軸のボールペン、デュオフォールドに使えないだろうかと考えた。
 そいつを買ったのは10数年も前のことで、せっかく買ったのだが書き心地に不満があった。
 それ故に何年もカバンに入ったままになっていたのである。
 インターネットの筆記具関係ブログをあちこち見ていたら、パーカーのボールペンはアダプターを使えばジェットストリーム用の替え芯が使えると書かれていた。
 ゼンハイソゲとばかり、ネット上の安売り文具店へアダプターとそれに合うジェットストリームの替え芯を注文。
 せっかちなものだから、注文した次の日からまだ来ないかまだ来ないかと待っていたが、ネット通販も日曜祭日は荷造りや発送作業をしないらしく注文してから5日後に届いた。
 かくして待ちくたびれた私の首は少し長くなった。(うそです。)
 1個千円ほどのアダプターが1個、ジェットストリーム替え芯はブルーとブラックが1本ずつでそれぞれ200円、それと送料、代引き手数料で2千円を超えた。
 宅配業者が帰るや否や紙製の小さな箱からアダプターを取り出し、一緒に届いた黒のジェットストリーム替え芯をそれに突っ込んでデュオフォールドへセットする。
 難しい作業は一つもない。
 デュオフォールドというペンは1920年代、ジャズとアールデコの時代に誕生したパーカーのフラッグシップモデルで、デザインも悪くはないが手に持った時の重さとバランスが何とも言えない。
 しばらく手に持ってそんなことを楽しみ、どきどきしながら試し書きに取り掛かった。
 ところが、である。
 何と、インクが出ない。
 ぐるぐると螺旋を書いても紙の上にはペン先のへこみしか残らない。
 百数十円のジェットストリームにだってありえないことが現実に起こった。
 インクを黒から青に替えてみたが同じだった。
 ショックである…。
 ペン先を寝かせ気味にしてしばらく紙へこすりつけているとやがて諦めたようにインクが出始め、その後はスムーズに書けるようになるが、放っておくとまた書けなくなる。
 その現象はその日のその後も、次の日も、それ以後もずっと続いた。
 それでも何とか我慢し数日使っていたが、ついにキレた。
 別の具合悪さにも気づいたのだ。
 紙に字を書く時は誰でもペン先を紙に押し付けるのだが、その時微妙にガタつきを感じるようになった。
 これでは2千数百円も掛けてわざわざ使いにくくしたようなもの。
 実に情けなく心が落ち着かない状態に陥った。
 これではいけない、と解決策がないかインターネットであれこれ調べ始める。
 こんな時の頼みの綱はインターネットだ。
 すると、パーカーの替え芯と形もサイズも全く同じ別の会社の替え芯が何種類か販売されていて、それが何不自由なくパーカーのボールペンに使えることが分かった。
 中に、やたらと評判のよい替え芯が紹介されている。
 伊東屋が扱っているというROMEOだ。
その替え芯は太さ(ボール径)が1ミリのものしかないが、書きやすくさえあれば私は何ら困らない。
 わずかでも良い方法があるとすぐそっちへ傾くのが私の悪い癖だが、アダプターとジェットストリームの替え芯で失敗したばかりなのでネット通販で買うのはどうにも気が進まなかった。
 では、どうすればよいか。
 実際にROMEOの芯をデュオフォールドへセットして試し書きし、ガタつきがないか、書き心地いいか確認してから買うべきである。
 それはそうだが、わが家の近くの文具店にROMEOがあるとは到底思えなかった。
 何たって世界のイナカ青森なのだ。
 そんな青森でも、パーカー純正の替え芯ならたぶん買える。
 純正替え芯の書き心地が昔とどう変わっているかは知らないが、それで我慢するしかないという結論に至った。
 ところが、実際にはわが青森もそんなに馬鹿にしたものではなかった。
 デュオフォールドを青森市内の文具店へ持っていき
「これに合う替え芯をください」
と言ったところ、中年の男性店員が無造作に数種類の替え芯を私の前に並べた。
 そして、中の1本を慣れた手つきでデュオフォールドにセットし
「この芯は純正ではないのですがどうでしょうか」
と言った。
 差し出された試し書き用の紙にぐるぐると線を引いて見ると快感を感じるような書き心地。
 それが何とROMEOだった。
 「これでいいです。これが欲しかったのです。」
と6百円プラス税を笑顔で支払う。
 そうして今、私は、雑文の締め切りが迫って冷や汗にまみれているにもかかわらず、雑用紙とROMEOの入ったデュオフォールドを持ち出して無意味でテキトーな文字や図形をいつまでもあれこれ書いてニコニコしているのである。
 何かを書かないではいられない、そんな書き心地なのだ。
 それって本当なの?と思われるかもしれないが、実話である。
 ただし、「私にとっては」という前提のある書き心地なので注意していただきたい。

 いきなり話が変わるが、私は不満まみれで数十年生きてきた。
 それは現在も進行形で、恐らく死ぬまで続く。
 何が不満かと言われれば何にもかににも不満である。
 特に自分自身に対して強い不満がある。
 股関節の具合が悪くて嫌になるほど痛いし、酒をちょっと多めに飲んだだけですぐ酔ってしまうし、酔えば言った事も言われたことも忘れてしまう。
 まだある。
 字が下手くそなこと、字を丁寧に書くことができないこと、ぼやけて通らない声質、川柳がうまく作れない、こんなことを考える自分の性格も不満、と全身不満だらけで何でこんな自分に生まれてしまったのだといつも嘆いている。
 まだまだあるが書くのが面倒。
 私が立っていれば、それは不満が立っているのであり、私は歩く不満である。
 そして何より不満なのが脳の働きが生まれてこの方ずっとパッとしないということ。
 何でもどんどん記憶できて、それをいつでも自由に引き出せて、物事に対する判断力に優れ、すごいセンスの川柳を次々書ければ言うことないのだが事実は全くの逆だ。
 その上、先に書いたように好きな筆記具にさえ不満を持っている。
 たぶん…、私がいろんなものに持っている不満とは違うと思うが、誰もが少しは不満を抱えて生きている。
 そして、多くの人間に不満があるからそれを解消しようといろんなものが発明され開発され仕組みが作られこの世が動いている。
 この世は不満というものがあるから進化し続けているのだ。
 話がまた変わって”地球は回り続けている”ということは誰もが知っている。
 それでは、地球はどうして回るのだろう。
 地球が回り続けるための動力というものがあるのではないか。
 その動力はもちろん輪ゴムなんかではない。
 もっと大きなもの。
 もしかしたら私の大発見かもしれなく、とんでもなく間違った考えかもしれないが、その動力は「人間どもの不満」という摩訶不思議なものではないか…。
 世界中の不満が地球をごろごろ転がしているのだ。
 だから、いつでも何にでも大いに不満を持っている私は地球が回り続けるためにとてつもなく貢献しているということになる。
 違うだろうか…。



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Posted by musan8 at 2017年03月15日 14:10Comments(0)TrackBack(0)

風と屋根と締切と の巻

ee47e7b4.jpg 屋根のトタンが剥げているようなガワガワという激しい音に目が覚めた。
 だいぶ前から強い風が家に吹き付けているのは意識の底で感じていたが、それよりはるかに大きい音。
 ガワガワというよりバリバリに近く、物が壊れているような音。
 半端じゃない怖さがある。
 突風だ。
 生まれてこの方70年近くこの地に住んでいるが今の音は特別だった。
 瞬間的に風速20メートル以上になったかもしれない。
 私が寝ているのは2階西側の部屋。
 冬の津軽は強い西風の日が多いのだが、年に1〜2度というとてつもない風が今吹き荒れている。
 恐らく猛吹雪だ。
 畳の上に布団を敷いて寝ているので、耳が屋根とほぼ同じ高さにあってトタンの泣く音が真っ直ぐ届く。
 津軽の人も犬も家も何もかもがこの風と音と雪に耐えなければならない。
 こんな時は屋根のトタンが剥がれても外へ出てはいけない。屋根が壊れてどこかへ持っていかれるまではじっとしているしかない。
 たぶん屋根は壊れていないしトタンも剥げてはいない。
 なんとなくそれは分かる。
 きょうは2017年1月12日、木曜日。
 この冬は年末から数日前まで過去に経験がないほど好天が続き、3日前は何と「積雪なし」と報道された。
 それが一転し、昨日から吹雪。
 雪掻きもせずに良い思いをしてきた罰ではないだろうが、困ったものだ。
 私は寝る時、習慣的に小さな明かりも消してしまうので真っ暗で何も見えない。
 枕元にいつも置いてある二つ折りの小さな時計を手探りで探しボタンを押す。
 ぼんやりとデジタル表示が見えた。
 午前3時半だ。
 この時計は安物だが光エネルギーを電気エネルギーに換えて動くソーラー時計で、しかも電波時計だから狂うことがない。
 昨夜寝る時も風が強く、もしかしたら風の音で夜中に目が覚めるかもしれないと思ったが、これほど強くなるとは予想外だ。
 最近の天気予報は昔と違ってよく当たる。
 テレビの天気予報にはたいてい気象予報士が出てくるし、気圧の変化や寒気の動きなどを元に詳しく説明してくれる。
 昨日の予報では青森県に猛烈な風が吹き雪も非常に多いと言っていた。
 酸ヶ湯の積雪は2メートルを超えたらしいが、あそこは八甲田山の中腹だから平地に住む者には参考にならない。
 突然、強い風の音がして家が震えた。
 トタンの音が耳を襲う。
 グワッグワワワッ。
 屋根が壊れたんじゃないかと恐ろしくなる。
 でも、壊れてはいない、と思う。
 これまで何度か経験しているので慣れてもいいはずだが、屋根のトタンのこの音は聞くたびに「ああ嫌だ」と思う。
 なんでこんなところに生まれてしまったたのだ、と呪いたくなる。
 できもしないことだが、雪の降らないところへ移住したい。
 何でさっさと引越ししないんだ、とも思う。
 やってやれないこともないだろうが、それは現実的じゃないことも知っている。
 もしかしたら、家の西側10メートルほどのところを走っているJR津軽海峡線がストップしているかもしれない。
 始発が通過するのは5時40分ころだからまだ先だが、貨物列車は夜中でもしょっちゅう走る。
 あのゴーゴーとうるさい音をきょうは聞いていないような気がする。
 風の音が邪魔で列車の音が聞こえないのか、雪がひどく降り積もって音を吸収してしまうのか、それとも走っていないのか…。

 再び眠ろうとするが、風の音が眠りの世界へなかなか戻してくれない。
 少し考え事をする。
 15日は「月刊おかじょうき」の原稿締め切り日だ…。
 あと3日しかない…。
 1月句会の結果は打ち終わったが、雑文「ムーさんの独り言」を書かなければいけない。それに添える写真も見つけなければ…。
 自由詠鑑賞コーナー「カンテラ」に載せる句を選んで鑑賞文、のようなものも書かなければいけない。
 先月の自由詠欄から月間賞の句を選ばないとならない。
 あれもこれも手つかずだ…。
 うーん、きょうの午後は青森ペンクラブの役員会があって出席することになっている…。
 でも、この天気だから、雪片づけが大変そうだし、津軽線がいつ運休にならないとも限らない…。事務局へ欠席の電話を入れよう…。
 待てよ、明日の夕方はおかじょうき川柳社の打ち合わせがある…。
 締め切りまで原稿を揃えることができるのだろうか、うーん、うーん…。
 頭の中をそんなことが行ったり来たりしている内にいつの間にか眠っていた。

 次に目が覚めたのは午前6時25分。
 夜はまだ明け切っていない。
 数年前から朝6時半頃になると勝手に目が覚めるようになった。
 友人に目覚まし時計を持っていないやつがいて、彼は若いころから起きようと思った時刻に自然に目を覚ますことができるという。
 まるで人間時計みたいなやつだが、私が朝6時半頃目覚めるのはそれとは違う。たぶん老化現象だ。
 風が相変わらず家に襲い掛かっている。
 パジャマの上に薄いダウンジャケットを羽織って部屋を出ると、薄明りの中に屋根が見えた。
 吹雪いているが、それほどひどくはない。
 あちこち見回しても屋根はどこも壊れていない。
 屋根の上には積雪が5〜6センチ。
 雪掻きが楽で助かるなあと思いながら階下へ降り、トイレに入って膀胱を軽くする。
 トイレには小さなパネルヒーターを置いて24時間電源を入れっぱなしにしてあるから寒くはない。
 トイレを出て居間兼キッチンへ。
 とてつもなく寒いというわけではないが気温はプラスじゃないだろう。
 居間側の大きな石油ストーブとキッチン側の反射式石油ストーブの両方へ点火。
 南部鉄のケトルをペットボトルの水で満たしキッチンのIHヒーターへ載せる。
 テレビのスイッチをオン、チャンネルはNHK総合だ。
 朝起きるといつもテレビをつけるのだが、前に座って画面を見るわけではない。
 キッチンが部屋の西側にあって、窓に風が吹きつけうるさかった。
 家は親父が建てたもので、もちろん文句を言うべきではないが、雨や雪が2階の屋根から1階の屋根に落ちる構造になっていることやキッチンが西向きになっているところなど気に入らない所がいくつかある。
 自分がいいと思うように建て替えればいいのだが、それは無理。金がない。
 そんなことを考えているより、早くコーヒーを淹れ朝食を済ませて雪片づけをしなければならなかった。
 何やかやを済ませたら、2階のストーブへ灯油を満たし、何とか原稿づくりを始めよう。
 カンテラへ先に手をつけようか、それともやっかいな「ムーさんの独り言」を書き始めようか…。
 でも、ムーさんは何を書けばいいんだ?
 待てよ…、黒石川柳社から選句依頼もあった…。
 そうだ、ペンクラブの事務局に欠席する旨電話しないと…。
 あまり早く電話しても迷惑だろうから9時頃にしようか…。
 いろんなことが頭の中でモクモクしている内にケトルの湯が沸騰。
 コーヒー抽出用のポットとサーバー、ドリッパーをテーブルへ並べる。
 淹れたコーヒーを保温するための小さな電気コンロも出す。
沸騰している湯は高温すぎるので、冷ますため抽出用ポットへ移し温度計を突っ込む。
 コーヒー豆をメジャーカップで2つ電動ミルへ入れる。
 豆は青森市にある専門店で仕入れたエチオピア産。
 モカが手に入らないので今はこれがお気に入りだ。
ドリッパーに円錐形のペーパーをセットする。
 コーヒーカップはどれにしようか…。
 20個ほどあるコーヒーカップの中で最近使っているのはあまり大きくない青白磁のもの。
 きょうもそれにしようかと、粉になったコーヒーをドリッパーへ入れ少し振って表面を平らにする。
 風の音に混じって玄関引き戸の開く音が聞こえた。
 吹雪の中を朝刊が届いたのだ。
 テレビが「今シーズン最強の寒波です」「北日本を中心に暴風雪、高波に警戒を」「きょうも冬型の気圧配置が続きます。北海道や東北の日本海側は雪や猛吹雪となるでしょう」などと言っている。


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Posted by musan8 at 2017年01月15日 17:19Comments(0)TrackBack(0)

ほろほろと古錐さん の巻

bfc6080f.jpg 時の過ぎるのが早い。
 もう12月、角田古錐さんが亡くなられてから既に4ヵ月が過ぎた。
 古錐さんのことを時々ふっと思い出す。
 それは夜中に突然目が覚めたときなどであるが、最近とみにボケ気味な私の脳みそは前後の脈絡もなく斑にものを思い出す。
 古錐さんは凄いアマチュア写真家で、若い頃「ねぶた祭り」の写真コンテストでグランプリをとったことがあったんだ、だとか、津軽に聳える岩木山の写真を撮るためわざわざ下北へ行って超望遠レンズで撮った、とか、絵画・彫刻など美術に詳しく、美術品の収集もしていたんだよな…、なんてことがほろほろと頭をよぎる。

 今、机の上に古錐さんの句集「北の変奏曲」(東奥文芸叢書 川柳14 東奥日報社)と私の句集「亀裂」(東奥文芸叢書 川柳9 東奥日報社)が並べてある。
 シリーズ9冊目と14冊目だから全く同じ装丁で、まるで兄弟のようであり親子のようでもある。
 「北の変奏曲」は去年(2015年)の2月に発行された。
 亡くなられる1年と半年前のこと。
 この句集の準備をしていた古錐さんは80歳を超えていて「生きている内に出版されるかな」と私に笑いながら言った。
 私はそれを聞いて、単なる冗談だと思っていた。
 その頃の古錐さんはいつもどおりの古錐さんで、一緒に酒を飲んでもいつまでも飄々としていて決して私のように乱れることがなかった。
 ところが、それから間もなく体調を崩し、それこそあっという間にこの世におさらばしてしまった。

 句集の著者略歴を見ると、古錐さんが川柳を始めたのは1995年である。
 私が川柳を始めたのは1994年12月だからほぼ同時期に川柳を始めていた。
 その時古錐さんは62歳、私は45歳。
 古錐さんは青森県庁を退職し、まず北野岸柳さんの川柳教室へ通って川柳を学んだ。
 私はと言うと、友人に「千円飲み放題の会がある」とだまされおかじょうき川柳社忘年句会へいきなり紛れ込んだ。
 極端に言えば、古錐さんは川柳というものを正当に勉強し、私は見よう見まねの自己流でただ作っていた。
 古錐さんは岸柳さんの始めた川柳ふぉーらむ「洋燈」へまもなく入会、後におかじょうき川柳社へも所属する。
 私もおかじょうき川柳社にいながら「洋燈」へ入った。
 川柳ふぉーらむ「洋燈」は後におかじょうき川柳社へ併合されたので、それこそ20数年私と古錐さんは一緒に川柳をやって来た。
 句の作り方やスタイルは全然違っていたが互いの存在を認め合っていた、と思う。

 私が古錐さんを特に意識し始めたのはいつ頃だったろう。
 川柳を始めたころ「そんなに長続きしないだろう」と思っていた私は、周りで川柳をやっているひとのことをあまり意識せず、無茶な句ばかり作っていた。
 5・7・5音でさえあればどうにかなる、と思っていた。
 それでも、周りの人達に少しでも追いつきたいと思ってはいたらしい。
 一方、古錐さんがどうだったかと言えば、それが私にはよく分からない。
 何しろ、私は生まれてこれまで川柳教室と名の付くところで教えてもらった事がない。
 だから、古錐さんが川柳教室でどんなことを学んでいたのか分からないのだ。
 先生が北野岸柳さんだから川柳の歴史や作句技術など基礎をきちんと学んでいたことと思う。
 そう言えば、古錐さんは死ぬまできちんとした方で、しかも飛びぬけて頭脳明晰な方だった。
 そんな古錐さんだから柳誌「洋燈」の編集にも携わり、自由詠欄「洋燈集」を担当していた。
 ところが、洋燈に入って間もなく私は「洋燈集」への句の提出をさぼるようになった。
 何たって句ができないのである。
 そんなことが何回か続いたとき、私の勤め先へ古錐さんが電話をくれた。
 曰く「あんたが洋燈集に句を出さないでどうするんだ」だった。
 思ってもいなかった言葉で驚いた。
 私のような海のものとも山のものとも知れないやつが句を出そうが出すまいが「洋燈集」の編集には何の支障もないはずだから、それは古錐さんの思いやり以外の何ものでもなかった。
 人生の大先輩であり、エリートであった古錐さんが私のことを覚えてくれたんだと思うとうれしくもあった。
 それから私は何とか既定の数だけ句のようなものを作って出すようになった。
 あの一言がなければ、もしかしたら私は「洋燈集」に句を出すのをずるずるとさぼるばかりか川柳をやめていたかもしれない。

 それから思い出すのは、私がおかじょうき川柳社の代表になったときのこと。
 第4代代表の岸柳さんが病に倒れてから私はおかじょうき川柳社の代表代行ということになっていた。
 ところが、いつまでも代表代行というわけには行かないから代表になるようにと一部の方々から言われるようになった。
 しかし、代表代行であれば何か失敗しても代表ほど責任を感じなくてもいいと心の隅で思っていたらしく、私は代表になるのをためらった。
 そんなある日、数人のスタッフが集まった打合せの席上古錐さんが言った。
 「代表というのは、ほかの川柳社と何かあったとき”俺がおかじょうき川柳社の代表である”と威張ってさえいればそれでいいんだ」と。
 正直言ってあれにはぶったまげた。
 理屈も何もなかった。
 そして私は思った。
 何があっても俺がついているから心配しないで代表をやれ!と古錐さんは言っているのだと。
 そう思うと気が楽になり、今でも私はのほほんとおかじょうき川柳社代表というものになりすましている。

 古錐さんは川柳もうまかったが、長文も上手だった。
 月刊おかじょうきに「古錐の車窓」を連載し、それには多くのファンがいて「びわこ」の永政二さんもその一人だったと聞く。
 そうだ、古錐さんはカラオケでよく「小樽運河」を唄っていた。

 こうやって私がこの世を去るまで古錐さんは私の心の中に住み続けるのだろう。
 古錐さん、また一杯飲ろうぜ! 

 ●

ともだちになろう小銭が少しある
これぽっちの骨が人生なのかなあ
平行線だからこの手を放せない
みんな生きてる物凄い音たてて
固ゆでの卵ボロボロ恐山
雪しんしん静かに童話続いてる
生きるってやっぱり握り飯だなァ
死後のこと話そうおーい生ビール
真っ直ぐに立てばどこかが曲がってる
日が暮れて迷子だったんだと気付く
被告席に妻を忘れたまま帰る
左手のグラスで象が溺れてる
消臭剤プシュプシュ僕が消えてゆく
             全て「北の変奏曲」からむさしが選出


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Posted by musan8 at 2016年12月15日 19:33Comments(2)TrackBack(0)

老化とか劣化とか の巻

e0887168.jpg 私は現在六十七歳、日本国が認めるれっきとした老人である。
 あれ?
 確か、六十七歳だったよな…。
 今は2016年10月で、私は1949年1月生まれ、誕生日が過ぎているので現在の西暦から生まれたときの西暦を引けばそのまま満年齢のはず。
 計算してみるとやっぱり満の六十七歳で間違いない。
 こんなふうに時々きっちり確認しないと自分が何歳であるか分からなくてあわてたりする。
 国家が「前期高齢者」という煮ても焼いても食えない立派なレッテルを貼ってくれているくらいだからしょうがないかとも思うが、待て待てまだそんな矢鱈な歳ではないなどと勝手に打ち消したりもしている。

 ところで、最近変なことが気に掛かって戸惑うことが多い。
 「稲荷神社」の「稲荷」は何故「いなに」と読まないで「いなり」と読むのか、とか、「室生犀星」の「室生」にどうして中村真一郎という人は「むろう」ではなく「むろお」とわざわざ振り仮名を振るのだろうか(増補版「誤植読本」高橋輝次編著・ちくま文庫)など、普段の生活には何の支障もなく為にもならない、どうでもいいようなことが無性に気に掛かる。
 たぶん、老人になった証拠だろう。
 「むろお、ねえ」などと呻いていたら、川柳の師匠の言葉を思い出した。
 「行こう」と書いても「いこう」と読むことはない。「う」の前の「こ」を伸ばして「いこー」、つまり「いこお」と読む。
 この師匠の言葉と、中村真一郎という人が「室生」に「むろお」と振り仮名を振る理由はたぶん同じだと思う。違うかな…。

 ついでに、「稲荷神社」のこと。
 私のパソコンに入っている広辞苑第六版で「稲荷」を引くと、
 いなり【稲荷】(稲生(いねなり)の転か)』
とあって、次に6通りの意味が書かれている。
 6通りの意味の方はまあどうでもいいが、「稲生(いねなり)」とは何のことか知りたくなる。
 再び広辞苑を引く。
 驚きました。
 「稲生」は見出しに確かに1つある。
 でも、その読み方は「いねなり」ではなく「いのう」。
 「姓氏の一つ」で、目的の単語「いねなり」とはたぶん関係ない。
 広辞苑も変なところがある…。

 実を言えば「稲荷」の読み方が気になったのは数ヶ月前のことで、調べなければいけないと思いつつもいつの間にか忘れていた。
 それが昨日、パソコンに向かっているとき「稲荷」という言葉が突然頭のどこかでひらめいた。
 昨日ひらめかなかったら、それはまたずっと忘れたままになっていただろう。
 こんなふうに、近頃あれこれ忘れてしまうことが異常に多く、もしかしたら認知症になっているかもしれない。
 認知症は恐ろしい。
 気になったことや話していたことがほんの数分後に分からなくなって「あれ?何が気になっていたんだっけ」「さっき何を話していたんだっけ?」と思い出そうとしても思い出せないことがある。
 これもそこはかとなく恐ろしい。
 だから、気になったことはすぐにメモをするか調べてしまうに限る。
 そんなことは重々承知のはずだが、性格なのか何となく面倒臭くてつい放っておく。
 すると、また忘れる。
 そんなこんなで、いろんなキーワードが頭の中で迷子になっているものと思われる。
 そしてそして、迷子のキーワードを突然思い出したりすると、「いよいよ本物の認知症か…」と自分を疑うことになる。
 もしかしたらわたしの老化レベルはかなりハイレベルなところにあるのかもしれない。

 記憶に関したこと以外でも自分の老化をしみじみ思うことがままある。
 先日、カメラのレンズを見てそう思った。
 草花を撮るのが趣味で、かれこれ20年ほど50ミリマクロレンズというものの世話になっている。
 マクロレンズとは接写用レンズのことで、撮ろうとしている花にぶつかっていないかと心配になるほど近寄って撮ることもできる。
 ちなみに、そういう専用レンズを使えばいい写真が撮れるだろうと思うかもしれないが、そうとは限らない(汗)
 だから私は、よそ様の何倍も撮るように心がけている。
 下手な鉄砲も数打ちゃ当たるで、たまに1枚くらいまぐれでいいのが撮れるかもしれない。
 とにかく、ああでもないこうでもないと被写体にあっちからもこっちからもレンズを向け、ひたすらシャッターを切っている。
 年に10万カット以上の写真を撮ることも珍しくない。
 そんな過酷な使い方をされたこのレンズは、これまで何度も内蔵されている絞りが壊れた。
 壊れればその都度修理に出し、もう20年近く使っている。
 カメラのレンズというものにはピント合わせのために回すリングがついている。
 それはピント・リングと呼ばれ、普通凸凹のゴムで覆われ指が滑りにくく操作しやすいようになっている。
 現代の一眼レフカメラはシャッターボタンを半押しすると自動的にピントが合うようになっているが、条件によってはそれができないことがあって、そんな時必要なのがこのリング。
 さて、私の愛用マクロレンズであるが、こいつのピントリングが去年あたりから妙にネバネバになって、今年に入ったあたりからぼろぼろ剥がれ出した。
 今では、剥げた部分の面積がゴムの残っている面積をはるかに超えている。
 内緒だが、このレンズと全く同じ規格のレンズをもう1本持っている。
 そいつはゴムの剥がれたやつよりずっと新しいのだが只今故障中。
 故障したらさっさと修理に出せばいいのだが、出せば大した金額ではないにしても修理費がかかり、それが年金生活者には案外痛い。
 ということで、ゴムが剥げても動いている古い方を使っているという次第。
 私は草花を撮るため毎日の如くカメラを手にする。 その度にピントリングを操作するので、毎日のように「お前も老いたなあ、劣化がひどいなあ、まるでオレみたいだ…、直してあげたいけどな…」などとついつい話しかけてしまう。
 私もこのレンズに負けず劣らず劣化が激しい。
 あ、人間の場合は老化と言うんだっけ…。
 私は、数年前に梯子から落ちて右股関節が変形している。だから歩くと痛い。
 歯は数年前何本か抜けて美味しいものを美味しく食べることができない。
 目は、パソコンで文章を作っていると字がぼんやり見えて打ち続けていられなくなるほど衰えている。

 ついでに気になっていたことを少し書く。
 食べ物を誰かに少し差し上げるとき、津軽の私の住む地方では昔から「ひとかたけですが」などと言ったりする。
 「ひとかたけ」は「一回食べる分」とか「少しですが」という意味で使われているのだが、その言葉を口にするたび「この言葉はどこから来たのだろう」「語源は何だろう」と気に掛かっていた。
 そして、それは津軽弁、つまり津軽特有の言葉だから広辞苑や大辞林などの辞書に載ってるわけがないと思っていた。
 ところが「あさめし、ひるめし、ばんめし」(日本ペンクラブ編・ちくま文庫)という本を読んでいたら「かたけ」が出てきた。
 向田邦子さんが「お弁当」というエッセイで「親がひとかたけの弁当を」と使っているのだ。
 こりゃ大変とばかりに広辞苑を引いたら「かたけ」はちゃんと載っていた。
 「かたけ」は「片食」と書き、「1日2度の食事(近世、朝夕2食)のうち、1回の食事」「食事の度数を数える語」という意味があった。
 今の日本は1日3食だから「片食」という言い方は似合わないが、2食であれば「片」は理屈に合う。
 それを津軽弁だとばかり思っていた自分が情けなかった。 
 俺は、何のため辞書を何冊も買ったのだ。

 もう一つ。
 ある本を読んでいたら「馬齢を重ねる」という言葉が出てきた。
 「馬齢を重ねる」ってオレみたいなやつを言うんだよなと思ったら頭のどこかに「ばれい」が引っ掛かってしまった。
 で、「ばれいしょ」ってどうやって書くんだっけ?とふと思ったのだ。
 そうしたら私の頭の中であるはずがない「馬齢薯」という3文字が転がり始めた。
 これはいけない、何かが狂っていると思い手元にあった電子辞書をすぐ引いた。
 当然であるが「ばれいしょ」は「馬齢薯」でなく「馬鈴薯」だ。
 「齢(とし)じゃなく鈴(すず)ねえ…あ〜あ」だった。
 これって、やっぱり老化だよな…。

 というふうに、私のあちこちで「老化」というものがくっきりし出した。
 そして最近、何かへまをすると何でもかんでも「老化」のせいにしている自分がいる。
 もしかしたら、この何でも老化のせいにするってのも老化のせいかもしれない…。
 ありゃりゃ。


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Posted by musan8 at 2016年10月15日 10:13Comments(2)TrackBack(0)