去年の12月ほぼ1ヶ月間を青森市民病院で過ごした。
12月5日に入院し、結婚記念日の11日に手術、30日に退院というコースで、直腸が従前より20センチ短くなった。
術後ずっと体調が思わしくなかったが、このところはまあまあの状態である。
入院前の壮絶な苦しさを思うと、ほとんど普通に生活できる今を非常に”ありがたい”と思う。
変な話だが、このところいろんな事を”ありがたい”と思うようになった。
なぜだろう。
12月に入って間もなくいきなり吹雪に見舞われたが、その後天気が回復し今は道路上に雪がない。
雪のない12月の道路を車で走っていて不意に「ありがたいなあ」と思ったりする。
特に、毎週月曜日と木曜日に行く漬物売りの時はそう思う。
40年近く雪道を運転して慣れているつもりだが、道路上に雪がないとほっとする。
去年の冬、漬物売りのため午前4時半頃凍結路を走っていたらいきなりハンドル操作が不能になり道路から飛び出し側溝にトラックで落ちていった。
”死ぬってこんなものかな”とわたしが思い、もう一人のわたしは勝手に悲鳴を上げていた。
だから、雪のない冬の道路は”ありがたい”。
先日、村の夜空に突然サイレンが鳴り渡った。
火事であった。
仕事の関係上サイレンが鳴ってまもなく現場に駆けつけたが、既に消防団が出動し消火活動をしていた。
団員は支給されている防火服を着用しているのも普段着のままの者も一丸となり火と闘っている。
本気の目つきの消防団員達を見て「ああ”ありがたい”ものだな」と思った。
若い頃一時フィルムで写すカメラをいじっていたが故あって10数年写真から遠ざかっていた。
数年前、デジカメの性能が良くなったので安いのを買い、いわゆる雑草の写真を撮り始めた。
撮っている場所は自宅付近の空き地や畦道などで、毎年あまり変わらない。
そんな場所でクローバーやタンポポやアザミなどの花を撮る。
生まれて50年ほど雑草の写真を撮ることを趣味にするなんて思いもしなかった。
でも、何となく撮り始め、今では雪のない時期必死に生きている草達と毎日のように向き合う。
花を見ていると何故か「”ありがたい”なあ」と思うようになった。
手術のことも、冬道や火事や野の花のことも、以前はありがたいと思わなかった。
手術は治るためにするのだし、雪のない冬道は自然の成り行きでそうなるのだし、火事で消防団が出動するのは当然で、野の花は勝手に咲くのだからとずっとそう思っていた。
それが、最近「そうかな?」と思い始め”ありがたい”と思うようになったのだ。
川柳をやっていることも本当は”ありがたい”ことなのかも知れない。
あれこれありがたがるのは「老人力がついただけ」と言われるかも知れないが、少し違うような気もする。
もしかすると、ガンになったことも、側溝に落ちていったこともダメなことではなく”ありがたい”ことで、だから今日のわたしがあるのかも知れない。
明後日、去年は入院のため欠席した川柳忘年会に出るつもりである。
今年無事出席できるということは実に”ありがたい”。
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